2026/08/13
肺がんに対する凍結療法が2026年3月に保険収載され、世界初となる心大血管浸潤腫瘍の新術式も注目を集めています。これらの研究を牽引してきたのが、慶應義塾大学医学部外科学教室(呼吸器)の朝倉啓介教授です。朝倉教授は、患者一人ひとりにとって適切な治療を追求しながら、新しい医療の可能性を切り拓いてきました。医師を志した原点や医療への信念、そして未来への展望について話をうかがいました。
医師を志した原点
医師を志したきっかけは、子どもの頃に患者として慶應義塾大学病院を受診した経験だったといいます。
「大きな病院にかかったのは初めてでした。病気になる不安を初めて感じて、もし自分が医者だったら家族や友人を助けられる、と子どもながらに思ったんです」
病気そのものは深刻なものではありませんでした。しかし、その経験をきっかけに医学の道を意識するようになったといいます。
現在は呼吸器外科の医師ですが、医学部に進学した当初は内科を志望していたそうです。
「外科医の体を使って働く姿がかっこよかったんですよね。私は高校、大学とバレーボールをやっていたので、運動部のような雰囲気にも惹かれました」
さらに、呼吸器外科を選んだ理由については、こう振り返ります。
「呼吸器外科は手術の難易度が高く、危険を伴う場面も少なくありません。だからこそ逆にやってみたいと思いました。難しいほうに挑戦したいタイプなんです」
医師として成長した転機
医学部を卒業したのが2002年。それからさまざまな経験を積んできましたが、中でも大きな転機になったのは、二度の「慶應の外に出る経験」でした。
一度目は、2011年の姫路医療センターへの国内留学です。
当時、胸腔鏡手術(胸に数か所の小さな穴を開けて行う、体への負担が少ない手術)が国内で広がり始めていました。学会でその手術を知った当時卒後9年目の朝倉教授は、「慶應でもこの治療を取り入れるべきだ」と感じたといいます。
その後の行動は迅速でした。
「学会発表をされた先生に自分でメールを書き、『ぜひ手術を学ばせていただけませんか』とお願いしたんです。受け入れていただけることになって、それから教授のところへ行き、『一年間行かせてください』とお願いしました。本来の順番とは逆だったんですけどね(笑)」
こうして実現した国内留学では、一年間で約100件の胸腔鏡手術を執刀しました。
「もちろん新しい手術を身につけられたことも大きかったのですが、それ以上に学んだことがありました」
それは、「教える」ということでした。
「一年しかいない若い医師に手術を任せるというのは、教える側にとって本当に大きな決断なんです。もし何か起きたら、その責任は任せた側が負います。それでも若い医師に経験を積ませようとする。その姿勢には本当に頭が下がりました」
手術の質を保ちながら、次の世代を育てる。その両立の難しさと大切さを、この一年で学んだといいます。
「今、自分が教える立場になってからも、そのときの経験はすごく影響しています。診療の質を高く保ちながら、若い人たちにしっかり経験を積んでもらうことは、常に意識しています」
もう一つの転機は、2015年から約3年半在籍した国立がん研究センター中央病院での経験です。
「全国から医師が集まる環境で、それまで慶應や姫路で学んできたものとは全く違う診療や手術を経験しました」
特に大きかったのは、自分が当たり前だと思っていたことが、決して唯一の答えではないと気づいたことだったといいます。
「慶應ではこう教わった。でも別の病院では違うやり方をしていて、それでもきちんと成果が出ている。そういう経験を通して、考え方がすごく柔軟になりました」
だからこそ、現在も若い医師には一度は慶應の外へ出ることを勧めています。
「今の若い人たちにも、『一度は外へ出た方がいい』と話しています。他の病院には他の考え方や文化があります。慶應のやり方だけが全てではないと知ることは、医師として大きな財産になると思っています」
新しい技術を学ぶこと、人を育てること、そして柔軟に学び続けること。その経験は後に、「自分が受けたい医療を提供する」という朝倉教授の信念にもつながっていきます。
「自分が受けたい医療」を判断基準に
2018年に慶應義塾大学病院へ戻り、2023年に教授へ就任した朝倉教授。自らが理想とする医療を実現するために、教室運営で最も大切にしている考え方があります。
「自分が受けたい医療を提供する」
この言葉は、教室のホームページや刊行物にも掲げられ、カンファレンスでも繰り返し若い医師たちに伝えられています。
「本当にその患者さんにとって適切な治療は何かを考えるとき、自分だったらこの治療を受けたいと思うか、自分の家族だったらどうするかを考えるようにしています」
そう考える理由は、医療には一人ひとり異なる事情があるからです。
「『診療ガイドライン』にはエビデンスに基づく治療法が書かれていますが、常にそのとおりに治療をしたらいいわけではありません。患者さんが置かれている社会的な状況や、ご本人の考え方、ご家族のことまでは、ガイドラインには書かれていません。本当にその人にとって何が一番いいのかは、最後はその人の立場になって考えないと判断できないことがあるんです」
もちろん、完全に他人の気持ちを理解するのは難しいとわかっています。それでも朝倉教授は「自分が患者さんだったらどうするか」という問いを自分自身に繰り返します。
「自分が患者だったら……。そこに立ち返れば、患者さんに適切な医療を提案できると思っています」
この考え方は、子どもの頃に患者として病院を受診した経験ともつながっています。患者として感じた不安を知っているからこそ、患者の立場で考える。その姿勢は、現在も変わることはありません。
信念が形になった凍結療法
朝倉教授が「自分が受けたい医療」を追求した先にあるのが、肺がんを始めとする胸部悪性腫瘍に対する凍結療法です。凍結療法は、CTで病変の位置を確認しながら体の外から細い針を刺し、その先端をマイナス100度以下まで冷却してがん細胞を壊死させる治療法です。胸を大きく切開する必要がなく、体への負担が少ないことが特徴です。
「手術が難しい患者さん、例えば、肺をこれ以上切除できない方や、体の状態によって全身麻酔が難しい方でも受けられる治療です」
もう一つの大きな特徴は、繰り返し治療できる点にあります。
「放射線治療は非常に優れた治療ですが、基本的には同じ場所に何度も照射することはできません。一方、凍結療法は同じ場所にがんが再発した場合に、何回でも治療できます」
これまで「手術もできない」「放射線治療も難しい」と言われてきた患者さんに、新たな選択肢を示せることが、この治療の大きな意義だといいます。
一方で、朝倉教授は、この治療を自ら一から開発したわけではないことを強調します。
「この治療を始めたのは私ではありません。当時、当教室にいらした川村雅文先生と放射線診断科の中塚誠之先生が2002年に始められました。私は入局したばかりで、そのグループの一番下として関わり始めたんです。また、慶應でこの治療が安全に行えているのは、針を穿刺する放射線診断科IVR(画像下治療)医の高い技術力の賜物です」
その後、治療機器の保守体制などの問題から、2017年に凍結療法は中止を余儀なくされました。国立がん研究センターから慶應へ戻った2018年、朝倉教授が最初に取り組んだのが、この治療の再開でした。
保険収載までの道のり
「まずは機械を導入しなければなりませんでした。それだけでも大きな壁でした」
凍結療法のために導入した機器は高額で、購入は容易ではありませんでした。しかし、病院にこの治療法の必要性を丁寧に共有し、病院執行部と関連部門の理解を得られたことで、新しい機器を導入することができました。
さらに、もう一つ大きな課題がありました。
肺に対する凍結療法は当時、保険診療として認められていなかったのです。
「患者さんに安心して治療を受けていただくためには、保険外併用療養(保険診療と国内未承認の治療を併用できる制度)として実施できる環境を整える必要がありました」
その実現に向けて、臨床研究推進センターをはじめとする院内の多くの部門と連携しながら準備を進めました。2023年には患者申出療養(保険外併用療養のひとつ)として治療を開始。国から認められた20例を安全に完遂したタイミングで、2026年3月、肺がんに対する凍結療法は保険収載を果たしました。
現在は、全国から患者さんや医療関係者が慶應義塾大学病院を訪れています。
「保険収載はゴールではありません。これからは全国に安全に普及させていくことが私たちの役割だと思っています」
すでに全国の医療機関から見学を受け入れ、IVR医による技術指導や教育コンテンツの整備も進めています。
一方で、朝倉教授の信念は、この治療でも変わりません。
「凍結療法を希望して受診される患者さんはたくさんいらっしゃいます。でも、本当にその方にとって一番いい治療とは限りません」
実際には、従来の手術方法や放射線治療を勧めるケースも少なくありません。
「自分たちが取り組んでいる新しい治療だから勧めるのではなく、その患者さんにとって適切な治療を提案する。それが大原則です」
その姿勢があるからこそ、凍結療法は「新しい治療法」である前に、「患者さんのための新しい選択肢」として位置づけられています。
世界初の新術式に挑む
朝倉教授が取り組む研究は、凍結療法だけではありません。
日本で唯一の「大血管浸潤腫瘍治療センター」を舞台に、心臓や大血管にまで浸潤した胸部悪性腫瘍に対する新しい手術にも挑戦しています。
「私が取り組んでいるテーマは一貫しています。今まで局所治療で治せなかった患者さんを、どうすれば治療できるようになるか。それをずっと考えています」
局所治療とは、手術や放射線治療、凍結療法のように、病変そのものに直接アプローチする治療を指します。
「薬物療法は全身に作用する治療ですが、私は外科医です。だから局所治療で救える患者さんを一人でも増やしたい。そのために、局所治療による治癒の限界を広げることが、自分の役割だと思っています」
その考え方から生まれた取り組みの一つが、心大血管浸潤腫瘍に対する手術です。
胸部の悪性腫瘍が心臓の裏側や大動脈の奥まで広がると、腫瘍に手が届かず、切除を断念せざるを得ないことがほとんどです。
そこで朝倉教授らは、心臓血管外科を始めとする大血管浸潤腫瘍治療センターの関係者と連携し、新しい術式を考案しました。
「CT画像を一緒に見ながら、『どうすれば安全に切除できるだろう』と議論していたんです。そのとき心臓血管外科の先生から、『一度大動脈を切って、つなげばいいのでは』という提案がありました」
大動脈を一時的に切断すると、その奥にある腫瘍が直接見えるようになります。十分な視野を確保した状態で腫瘍を切除し、その後、大動脈をつなぎ直すという発想でした。
「呼吸器外科医にとって、視野展開のために大動脈を切るという発想はありませんでした。でも心臓血管外科の先生方にとっては日常的な手技なんです。異なる専門分野だからこそ生まれたアイデアでした」
この術式によって、これまで切除が難しかった症例でも手術できる可能性が広がりました。現在では他の大学病院からも患者さんが紹介されるようになり、世界初となる2症例を成功させ、その成果を英文症例報告として報告しています。
部門を超えた連携が、新しい医療を生む
こうした挑戦を支えているのが、慶應義塾大学病院の診療科の垣根を越えた連携だといいます。
「慶應は部門間の風通しが本当にいいんです。呼吸器外科だけではなく、心臓血管外科、放射線診断科、麻酔科、医療安全部門など、多くの部署が協力しあうことで、難しい手術や凍結療法のような新しい治療にも対応できるのです」
高難度の医療だからこそ、手術だけでなく、安全管理や院内の審査体制も欠かせません。
「新しい治療を始めるときは、病院全体で安全性を確認しながら進めます。いろいろな部門に支えられているからこそ、私たちも安心して新しい挑戦ができるんです」
近年は、ゲノム解析やオルガノイド(iPS細胞などの幹細胞を試験管内で立体的に培養し、本物の臓器に近い構造や機能を持たせた「ミニ臓器」)を活用した研究にも取り組んでいます。
手術で摘出した腫瘍を解析し、「どのような患者さんが手術の恩恵を受けるのか」を科学的に明らかにすることが目的です。
「手術の対象を無制限に広げたいわけではありません。本当に手術によってメリットを受けられる患者さんはどんな人なのか。それを研究で明らかにしていきたいと思っています」
新しい術式を開発することも、その適応を見極めることも、目指す方向は変わりません。
「今まで治療の選択肢がなかった患者さんに、新しい選択肢を届ける。それが私の研究の一番大きなテーマです。凍結療法も、新術式も、ゲノム研究も、そのための手段なんです」
次世代へつなぐ
朝倉教授が教室運営でもう一つ大切にしていることがあります。
若い医師が、自分自身の興味や関心を大切にしながら研究に取り組める環境をつくることです。
「研究は、自分が面白いと思うことをやるのが一番だと思っています」
教室では、朝倉教授自身が取り組む研究テーマだけでなく、若手医師が主体となって進める研究も数多く行われています。
AIを活用した手術支援、高齢患者の術後回復、リハビリテーションとの連携など、そのテーマは多岐にわたります。
「自分がどうして姫路の1年間であれだけ成長できたのだろう?と考えると、結局、上司に言われたからではなく自分でやりたいことを選んだからだと思います。だから、部下には、臨床でも研究でもぜひ自分自身がやりたいテーマに取り組んでもらいたいと思っています」
医師として大切にしている言葉を尋ねると、「独立自尊」と即答しました。
「この言葉には二つの意味があります。一つは、自分で考えて、自分で責任を持って行動することです。誰かが言ったからではなく、自分で考えて決める。それがすごく大事だと思っています」
そしてもう一つ、この言葉には「他者を尊重する」という意味も込められています。
「自分がそうであるなら、相手も同じです。その人が自分で考え、自分で決めることを尊重する。患者さんも、若い先生も、そういう存在として接したいと思っています」
慶應で得られる、人とのつながり
最後に、これから医学部を目指す高校生へメッセージを尋ねると、「慶應には、人とのつながりという大きな財産があります」と答えてくれました。
「教育や研究のレベルが高いことはもちろんですが、それ以上に、診療科の垣根を越えて協力できる文化があります。卒業してからも、そのネットワークはずっと続いていきます」
そのことを強く実感したのが、昨年、医学部生とともにブラジルを訪れたときでした。
「地球の裏側まで行っても、会ったこともない他学部の卒業生の方々が30名近く集まって歓迎会を開いてくださいました。『こんなところにも慶應のネットワークがあるんだ』と驚きました」
そうしたつながりを生かしながら、次の世代を育て、新しい治療を患者さんへ届けていく。
「これまで治療法がなかった患者さんに、新しい選択肢を届けたい」
その挑戦は、これからも続いていきます。
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朝倉 啓介(あさくら けいすけ)
慶應義塾大学医学部 外科学(呼吸器)教室 教授
慶應義塾大学病院 副病院長(医療安全・手術血管造影センター・労務管理・広報)
2002年慶應義塾大学医学部卒業、慶應義塾大学医学部外科学教室入局。2011年姫路医療センター呼吸器外科。2015年国立がん研究センター中央病院呼吸器外科。2018年慶應義塾大学医学部外科学(呼吸器)専任講師。2022年英国St. James‘s University Hospital短期留学。2023年慶應義塾大学医学部外科学(呼吸器)教授。
※所属・職名等は取材時のものです。