2026/04/15
生体に本来備わっている免疫の力でがんを治す。生きた免疫細胞を利用した「免疫細胞療法」の一つであるCAR-T細胞療法は、リンパ腫や白血病などの血液がんに対して高い治療効果を示しています。
しかし、現在の免疫細胞療法で全てのがんを治療できるわけではありません。先端医科学研究所がん免疫研究部門の籠谷勇紀(かごや ゆうき)教授は、より多くの患者さんが免疫細胞療法を受けられるようにして、将来的にはがんを克服することを目標に、基礎研究から臨床応用の橋渡しとなるように研究に取り組んでいます。
生きたT細胞でがん細胞を攻撃するCAR-T細胞療法
免疫の働きを利用してがんを治療する「がん免疫療法」が、手術、抗がん剤(薬物療法)、放射線治療に次ぐ、“第4のがん治療法”として普及しつつあります。
その代表とも言える免疫チェックポイント阻害薬は、がん細胞によって免疫細胞にかけられていたブレーキ(PD-1/PD-L1など)を解除することで、免疫細胞による攻撃力を高めさせる薬です。
籠谷教授が研究対象としているのは、免疫細胞の遺伝子を加工して攻撃力を高め、直接がん細胞を攻撃させる「免疫細胞療法」です。
CAR-T細胞療法は、患者さんから取り出したT細胞にがん細胞の表面にある“目印”を認識するCAR(キメラ抗原受容体:chimeric antigen receptor)を導入し、体外で培養・増殖したうえで患者さんに戻してがん細胞を直接攻撃させます。
リンパ性白血病や悪性リンパ腫などの血液のがんで高い治療効果を発揮しており、2019年から保険適用されています。
「血液がんに対する効果は素晴らしく、それまで治せなかった白血病の多くが治せるようになりました。しかし、治療にかかる費用がとても高く、副作用の強さ、寛解後の再発などの課題もあります。また、血液がんを除くほとんどの固形がんには効果がないというのが一番の問題です。私たちはCAR-T細胞療法をはじめとした免疫細胞療法の効果を高めて、どんながんでも完全に治せる治療法を目指した研究に取り組んでいます」
「リビング・ドラッグ」と呼ばれる免疫細胞療法の強み
「生きた細胞を使う免疫細胞療法は『リビング・ドラッグ』と呼ばれています。既存の薬を投与しても体内で分解されたら終わりですし、本当に病気のある局所に届いているのかどうかわかりません。いずれ薬が効かなくなる薬剤耐性の問題もあります。
その点、生きている細胞は必要なところで増えて、その場所に適応していく能力を持っています。加えて、治療してがん細胞が死滅しても、生き残って監視し続けてくれます。そう考えると、今は治療できない手強いがんを完全に治せるのは、やはり免疫細胞療法などの細胞医薬品だと思うのです」
免疫細胞を使った治療や薬剤の発展に対して、そう期待を寄せる籠谷教授。「最終的なゴールは、がんの克服」としつつ、主に2つのアプローチで免疫細胞療法について研究しています。
一つは、T細胞の性質を遺伝子レベルで明らかにして、より良い改変方法を見つけること。細胞の性質は約2万種類の遺伝子によって決まり、分子の相互作用によって大きく変わります。CRISPR/Cas9などの遺伝子編集技術を取り入れながら、目的遺伝子を操作することでT細胞の「質」を高めようとしています。
もう一つは、人工的な遺伝子の開発です。DNAや細胞などを部品として、求める機能を持つように設計して人工的に遺伝子を作り出すことが可能で、「合成生物学(シンセティックバイオロジー)」という分野が急速に進歩しています。
「免疫細胞療法だからといって、天然の免疫細胞にこだわる必要はありません。がん細胞の目印を認識するCARもターゲットに応じて設計して作る人工的な遺伝子です。狙った機能の獲得、抵抗性の克服などを目的として、遺伝子を自ら設計します」
免疫細胞を疲れさせない
患者さんの体内に戻した遺伝子改変T細胞においては、できるだけ長く働き続ける「持続性」が重要です。そうすることで治療効果を持続し、再発や転移を防ぐことができます。しかし、長期間にわたって治療を続けていると、T細胞が疲弊してしまうことがわかっています。
「もともとはウイルス感染症を研究している人たちが見つけた現象で、HIVや肝炎ウイルスのように長期間にわたる感染でT細胞が免疫機能を発揮し続けていると、その機能が低下するのです。それを疲弊と呼びます。がん細胞でも同じようにT細胞の疲弊が見られたので、私たちはT細胞を疲弊させないための研究も行っています」
T細胞の疲弊には免疫細胞にブレーキをかける分子(PD-1)が関わっていますが、PD-1を制御しても根本的な疲弊の回避、機能回復につながらないことがわかっています。籠谷教授らは遺伝子の発現に影響を与えるエピゲノム(遺伝情報は変えず、DNAやヒストンへの化学修飾によって遺伝子発現を変える仕組み)に着目。疲弊に関わるエピゲノム因子を調節し、疲弊しているT細胞をリプログラミングする研究などを進めています。
最大の課題である固形がんの治療を実現したい
もう一つの重要なテーマが、固形がんの治療です。CAR-T細胞療法は血液がんで高い治療効果が証明されています。しかし、胃がん、肺がん、大腸がんなど、がんの大部分を占める固形がんでは治療効果を確認することができていません。
その理由の一つは、CAR-T細胞が標的とする目印がないこと。
「血液がんは単純で、比較的均一な細胞で構成されているので、ほとんどのがん細胞が同じ標的分子を発現しています。その分子を標的とするCAR-T細胞を導入すれば、ほとんどのがん細胞を攻撃することができるのです。しかし、固形がんは複雑で、全てのがん細胞が同じ標的分子を発現しているとは限りません。一つの分子をターゲットに攻撃しても、別の分子を発現している細胞は生き残ってしまいます」
しかも、固形がんは守りが硬く、T細胞が攻め込みにくい環境にあります。
「血液はリンパ球という免疫細胞でできていますから、T細胞にとっては自分の陣地で戦うようなものです。一方、固形がんはがん細胞だけでなく線維芽細胞、マクロファージなどからなる腫瘍微小環境に周囲を守られていて、がん細胞の成長の手助けも受けています。固形がんに対して有効な免疫細胞療法を実現するには、その城壁を破る方法を確立しなければいけません」
汎用性の高い「ユニバーサルCAR-T細胞療法」開発へ
籠谷教授らは、CAR-T細胞療法を普及させるため、将来を見据えた研究にも取り組んでいます。
それが「ユニバーサルCAR-T細胞療法」の研究開発です。現在のCAR-T細胞療法は、患者さんから採取した免疫細胞を加工、増殖させる完全オーダーメードであるため、時間もコストもかなりかかります。
1回あたり数千万円にもおよび、限られた患者さんにしか適用できないのが現状です。
籠谷教授が開発中の「ユニバーサルCAR-T細胞療法」は、健康な人から採取したT細胞から大量にCAR-T細胞を作り、ストックしておいて、いつでも、誰にでも使えるようにするというものです。これが実現すれば一気にコストが下がり、治療を受けやすくなります。
もちろん、他者の細胞を使えば拒絶反応が起こります。拒絶反応を起こさせず、安全に、しっかり治療効果を出す細胞を作ることが重要になります。
「ユニバーサルな免疫細胞療法の確立に向けて、拒絶反応の問題など世界中で研究が進んでいます。実現すれば経済的なインパクトもかなり大きいので、製薬企業やベンチャー企業も多数参入し、大規模な臨床試験も始まっています。私たちは小さな研究室ですが、これまで研究してきた知見を活かしつつ、基礎研究からしっかり積み上げていきたいと考えています」
血液内科医から基礎研究の世界へ
現在は研究者として研究室を運営する籠谷先生ですが、医学部卒業後は血液内科医として臨床現場で働いていました。医学部に進学した時点から基礎研究には興味があったそうですが、血液内科に進んだことが研究者としての道を切り拓くきっかけになりました。
「血液がんの治療では骨髄移植を行いますが、抗がん剤がほとんど効かない患者さんでも骨髄移植によって一気に治ることがあります。その効果を目の当たりにしたことが基礎研究をするきっかけになりました」
ほかの人の免疫細胞(骨髄)を移植して白血病細胞を攻撃する骨髄移植は免疫細胞療法だといえますが、ドナーの骨髄が患者さんに効くかどうかは移植してみなければわかりません。一方、CAR-T細胞やTCR (T細胞受容体:T cell receptor)- T細胞療法では、明確なターゲットに対してダイレクトかつピンポイントに攻撃できます。
「2010年代前半はまだ実用化には至っていませんでしたが、臨床試験が次々に行われ、治験結果が出はじめた時期です。国内ではほとんど研究者がいない時期でしたので、カナダに留学して研究することにしました」
留学中は、T細胞の活性化に関わるサイトカイン(生理活性物質)をCARに組み込むことで、治療効果を高める研究に従事しました。
「ディッシュの上でがん細胞とCAR-T細胞を混ぜておくと、翌日にはがん細胞が全滅しています。しかも特異性がとても高く、がん細胞以外は攻撃していない。その様子を実際に目にして、この治療法は本当にすごいと実感し、この研究にのめり込んでいきました」
分野を超え、臨床と基礎の連携ができる研究環境
慶應義塾大学医学部で研究室を構えて3年。研究室間の垣根が低く、研究領域を超えた連携ができることが強みの一つだといいます。
「慶應医学の基礎研究ラボは、総合医科学研究棟という研究施設に集まっていて、誰とでもコンタクトしやすい環境にあります。世界トップレベルの業績をあげている研究者たちと気軽にディスカッションできるのは、とてもありがたいことです。臨床医との関係も同様で、患者さんのがん細胞などの臨床検体を患者さんの同意のもとで提供してもらえるのはもちろん、慶應の臨床医は基礎研究にも通じているので、お互いにアイデアを出しながら臨床と基礎が高度に連携しています」
これから慶應義塾大学医学部、基礎研究を目指す人たちには「どんな研究があるのかを知るとともに、医学研究以外のことにも幅広く興味関心を持ってほしい」と話します。
「私のラボもホームページで研究内容を紹介していますが、今はどの研究者も多くの人に研究を知ってもらう活動をしています。そういったものを読むことで医学部のことがわかったり、将来やりたいことを見つけて勉強するモチベーションになったりすると思います。
そうして研究したことを、どうやって社会実装して患者さんに届けるか。どんなに優れた研究だとしてもそのまま大手製薬会社が薬にしてくれるわけではなく、自分たちでベンチャー企業を立ち上げて、外部の資金を得て、技術を成熟させる、といったプロセスも場合によっては必要になります。そのような経済システムのことなども幅広く学んでおくと、将来的に役立つのではないでしょうか。私自身も今一生懸命勉強しているところです」
実用化のために、基礎から臨床への橋渡し研究に注力
「やはり、自分が目指しているのは、基礎から臨床に橋渡しする研究です。留学中に基礎研究に携わってきたものが、現在治験という形で患者さんに使われています。そのような状況になっていることは医師としても研究者としても感動的で、一番やりがいを感じています」
そう語る籠谷教授。研究を研究で終わらせず、患者さんの治療につなげるために、基礎研究を進めると同時に企業やほかの研究機関とのコラボレーションや、資金集めなどにも奔走しています。
「がんを治療できる可能性が高いCAR-T細胞療法だからこそ、必ず実用化する」という強い思いを原動力に、研究を推し進めています。
籠谷 勇紀(かごや ゆうき)
慶應義塾大学医学部先端医科学研究所 がん免疫研究部門 教授
2007年東京大学医学部卒業。2013年同大学院医学系研究科・内科学専攻博士課程修了(医学博士)。東京大学医学部附属病院血液・腫瘍内科を経て、2014-2018年Princess Margaret Cancer Centre (カナダ・トロント)にてがん免疫療法の基礎研究に従事。東京大学医学部附属病院無菌治療部講師、愛知県がんセンター研究所腫瘍免疫応答研究分野・分野長、名古屋大学大学院医学系研究科がん先端診断・治療開発学講座細胞腫瘍学分野連携教授を経て、2023年1月より現職。
※所属・職名等は取材時のものです。