慶應義塾

動く遺伝子、トランスポゾンの謎に迫る!【後編】

2022/01/31

「動く遺伝子、トランスポゾンの謎に迫る!」前編では、トランスポゾンの働きを抑えるPIWI遺伝子がマスクされたゴールデンハムスターで、卵子も正常に発生しないことを初めて示した塩見春彦教授らの最新研究等を紹介しました。

後半は、そんなトランスポゾンが種の多様性を保つ鍵を握っているという話から始まります。

トランスポゾンで広がる種の多様性

トランスポゾンの発現の上昇が不妊と関係する可能性がある一方で、生殖細胞の形成過程におけるトランスポゾンの活性を完全に抑え込んでしまうと新しい変異が作られなくなってしまい、生物の進化も止まってしまいます。

進化する可能性を残すためには、ある頻度で新しい変異を生み出す仕組みも必要です。

「ダーウィン的な進化論でいうと、生物の進化は新しい変異とその自然選択であり、とにかくまず変異がないことには選択されない、つまり生き残れないことにつながっていきます。ですから私たちは生殖細胞形成過程でトランスポゾンをある程度発現させて、変異を入れるようにできているのではないでしょうか。」

人類は今回の新型コロナウイルスのような感染症のパンデミックに何度も何度もさらされてきたわけですが、必ず生き残る人がいます。それはまさにゲノムレベルの多様性があるおかげで、疫病が流行しても感染に強い遺伝子がある頻度で保存されているためです。

「そしてそこからまた次の世代が増えていくということをヒトの歴史は繰り返しています。つまりトランスポゾンは私たちが内に持っている変異源。それを完全に抑え込んでしまうと変異がゼロということになるので、私たちは変われない、生き残っていけないということになります。

ゲノムの変異は多くの場合一塩基単位ですが、トランスポゾンの場合、大きな断片がごそっとどこかに入っていくので、大いなる変化を生み出すことができます。逆に制御配列として使われる場合にも、大きな変化を期待できます。もちろんその全てが私たちにとっていい変化かどうかは分かりませんが、その中に、例えば気候変動などが起きたときにも対応できる個体が必ずでてきます。」

ゲノムは2度裸にされる

「哺乳類のライフサイクルでは、リプログラミングという現象が2回起こります。リプログラミングとは、ヒストンやDNAのメチル化等で修飾されていたゲノムがすべて“チャラ”にされ、修飾が外れていわば裸にされることを言います。」

1回目のリプログラミングは初期胚で起こります。受精卵から2細胞、4細胞、8細胞と分裂していく辺りで、一度ゲノムは裸にされます。

「そこから一辺“チャラ”にしておいて発生が始まると、そのステージに特異的な修飾やゲノムの構造変化が促され、最終的にこういう私たちの体が出来上がります。そういうことを1回やっていて、もう1回は生殖細胞の形成の一番最初のときに、やはり一度、ゲノムを裸にするんです。そこから精子や卵子を形成していく過程で少しずつDNAのメチル基を入れたりヒストンの違う修飾を入れていって成熟な精子に特異的な構造がつくられたり、卵に特異的なクロマチンの構造が作られるということが行われています。」

というわけで、私たちのゲノムは2回裸にされます。このとき、今までいろいろな仕組みで押さえられていたトランスポゾンが強く発現してきます。

「これを私たちは『バースト』と呼んでいます。哺乳類のライフサイクルで、トランスポゾンのバーストが2回起きる。それで、つい最近まではそんな危険なことをなぜやっているのだろうと言われていました。トランスポゾンがバーンと発現していろいろな場所に新しい転移挿入が起きたら、ゲノムはぐじゃぐじゃになってしまうではないかと。」

しかし、不思議なことにバーストしても、転移はあまり起きないことがわかっています。

「バースト時、トランスポゾンは発現しても、転移はあまり起こっていないのです。どういう仕組みで、発現はしても転移しないようにしているのかというと、生殖細胞の場合は前述のPIWI piRNA経路がそれを行っていることが明らかになりました。しかし、初期胚においてはまだ明らかにされていません。それを私たちは理解したいと考えています。」

塩見教授らは、今その手がかりをつかんでいるといいます。

「あと数年で、きわめて重要な初期胚という時期に、トランスポゾンがバースト発現されても、それが転移しないようにする仕組みが解明できると考えています。」

画像

研究の担い手にも多様性を

先進的な研究を陣頭指揮する一方、2021年10月から塩見教授は慶應義塾大学医学部の副医学部長として、学部全体の研究を牽引する責も担っています。

「研究現場で今求められているのは、若い人をいかに活躍させるかということと、女性研究者を増やし、育てていくことだと考えています。というのも、新しい分野、新しいサイエンスを生み出していくためには、やはり多様性が極めて重要だと考えていまして、そういうところを強くしていくようなことを行っていきたいと考えています。

医学部では女性教授がようやく3人になりましたが、一面に男性が居並ぶ教授会は、欧米の研究者が見たら不気味な光景だと思います。

日本の人口は今後急激に減少すると予想されていまして、今は約1億2000万人ですが、半分程度になってしまうといわれています。しかし5、6千万人程度の人口で、ヨーロッパの多くの国々はハイレベルのサイエンスを行い、高水準の経済を維持しています。彼らに学ぶことはまだまだ多い。その1つはやはり多様性ではないかと考えています。特に女性の割合をどれだけ上げるかに注力していて、それで成功もしています。慶應の医学部では女性が活躍しているということを示していくことで、大学だけでなく、大きく言えば日本全体にいい影響が出てくることを期待しています。」

女性研究者が活躍するためには、中学生、高校生、大学生の段階から、女性にも自然科学の分野に入ってきてもらえるように変えていく必要があると塩見教授は考えています。

「これは親の世代の考え方を変えないことには、うまくいかないでしょう。まずは自分の感性や興味を大切にして、好きな分野の本を読むことです。あなたは女性だから理系にいくなら薬学部にしなさいというようなことを親や進路指導の先生はよく言うようですが、誤解を恐れず言えば、親や先生の言うことは信じるなということですね。外野にいろいろ言われてなんとなくその通りに進路を選んでしまうと、大学に入ってから『本当はこんなことをやりたかったのに』と後悔することになります。」

まず大学院を見よう

自分の進みたい道を歩くためには、絶えず何に興味があるのかを考え続けることが大切だと語る塩見教授は、大学・大学院修士課程で専攻した有機化学を元に別の研究がしたいと気づき、専門外のがん研究を行う研究室に大学院から入りなおした経歴の持ち主です。

「学生にはとにかくまず大学院を見なさいと言いたいですね。大学入試では、必ずしも希望の大学に入れるとは限りません。ですが、研究の道に進みたければ、自分の興味ある研究を行っている大学院の研究室を調べ、大学院の時点で目指す研究室に入ればいい。偏差値や名前よりも、やりたいことを行っている大学院の研究室を軸に探すことです。

私の場合は、第一志望に落ちてたまたま入学した大学で有機化学を専攻しましたが、勉強してみて修士まで進んだものの、今後は別の研究をしたいと考えるようになっていました。そんなとき、京都大学の大学院で興味ある分野の新しい研究室が人を募集していると聞き、門を叩いたのです。大学まで医学は門外漢でしたが、幸い教授に気に入っていただき試験も無事パスすることができました。そこではノーベル賞受賞者の本庶先生をはじめ最先端の研究に携わる諸先生方に指導いただき、がんの遺伝について研究しながら、多くを吸収することができました。」

もちろん、希望の大学に入学していればそれに越したことはありません。しかしそれでも、そこでやりたい研究ができるかどうかはわかりません。ですから、大学4年間、もしくは高校時代から7年間くらいかけて何をやりたいかじっくり探す。そして最終的には親や先生ではなくて、本人が面白いと思う研究室のある大学院に行くのが一番だと塩見教授は力説します。

「そうして研究に邁進していた京大時代のある日、教授から、米国人研究者が来日するから、京都観光にお連れするようにと言付かりました。そうして一日慣れない英語でお話しした後、その米国人研究者から『私の研究室にいらっしゃい』と言われ、『YES』と答えていたのです。8年間の留学では、研究以外のさまざまな事も学びました。例えば今、私はできるだけラボにいるよう努めていますが、これはアメリカにいるときのラボのやり方を踏襲しています。教授室のドアはいつも開けっ放しで、入りたい時に入ってきてください、というスタイル。話したいことがあるのなら、それがサイエンスの話であろうがなかろうが、人生相談であっても何でも構わないのです。日本人は、お行儀がよくて言いたいことも言わないことが多いでしょう。ですから、行儀が悪いラボにしたいと。とにかく『遠慮のないラボ』を目指しています。」

できるだけ日本の古い上下関係のようなものがないラボで、なおかつギスギスしたものはない、フレンドリーなラボであってほしいと考える塩見教授。学生には、塩見さん、と呼んでもらい、学生たちのことも、さん付けで呼んでいるそうです。

自由闊達なディスカッションのためには、とにかくまず話すこと。開放的なラボから、トランスポゾンの先端研究が次々生み出されていきます。

画像

塩見 春彦(しおみ はるひこ)

1984年岐阜大学大学院農学研究科修士課程を修了し、京都大学大学院医学研究科博士課程入学。1988年同大学院博士課程を修了、京都大学ウイルス研究所研究員。1990年米国ペンシルバニア大学ハワードヒューズ医学研究所研究員、93年同大学医学部生物化学生物物理科博士研究員、同科研究助教授。99年より徳島大学ゲノム機能研究センター・同大学大学院医学研究科教授。2008年より現職。2021年より慶應義塾大学医学部副学長(研究)を兼務。

※所属・職名等は取材時のものです。