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教授の愛する「イタリアン」
プロフィール
藤谷道夫(ふじたにみちお)
教員・研究者/慶應義塾大学名誉教授。イタリア学会元会長。イタリア文学・ラテン文学を専門としているが、ダンテ『神曲』の研究と和訳を多角的に行なっている唯一の人物である。自身の研究と執筆活動のほかに朝日カルチャーセンターで講義を行なっている。
イタリア語との出会いは運命のいたずら?
先生は学生として慶應に入学したときから、イタリア語の道に進もうと思っていたのですか?
まったく考えていなかったよ。最初はドイツ語を勉強していたし、ロシア文学が好きだったからロシア語もやっていたけれど、それも趣味の範疇で教授になるなんて考えてもなかったんです。
そうなんですね。そこからイタリア語に出会ったきっかけはなんですか?
きっかけは、留年したことなんです。(笑)
恥ずかしながら、進級に必要な必修科目を申請するのを忘れてしまったんです。留年したからまた語学も取れるようになって、どうせなら違う言語やろうと思ったことがすべての始まりになりました。履修していたドイツ語からフランス語に変えて、ロシア語とギリシャ語を勉強しました。三田キャンパスに行ってからは、ラテン語も勉強しました。ただ、当時慶應の文学部にはイタリア語の授業がなかったから、イタリア語にはまだ出会っていないんです。
イタリア語に出会うまでに様々な言語に触れ合ったのですね。
幸いなことに語学をやるだけの時間はたくさんありました。言語に触れていく中でフランスの詩人ネルヴァルに出会って、この人を研究したいと思ってフランス文学専攻に進学しました。ところが僕が3年生のとき、同級生は就活で忙しいけれど、僕はまだ時間があったから仏文の先輩と読書会を始めました。当時は友達と著作を輪読する読書会というものが流行っていて、ダンテの『神曲』を読むことにした。辞書を引きながらなら読めると思って軽い気持ちで始めたら、これが全然読めなかったんです。なんでかっていうと、『神曲』は中世イタリア語、要するに古文で書かれているから現代の辞書を引いても読めない。そこで、縁あって恩師の須賀敦子先生に出会うことができて、イタリア語を教えてもらうことになりました。
そこから今に至るまでイタリア文学を追究しているのですね。
そうだね、イタリア語ならいけると思ったんです。実は英語もドイツ語もフランス語も発音がうまくいかなくて、どこか自分の中でしっくりきていなかった。でも、イタリア語は違った。身体にすっと入ってきて、ようやく自分の言語に出会った感じがしました。
本当に偶然が重なって僕をイタリア語に出会わせてくれた。もし留年していなかったら『神曲』を読もうなんて考える余裕はなかったので、恩師の須賀敦子先生にも出会うこともなかったのかもしれない。だから、失敗しても先はあるってみんなにも思って欲しいです。僕は失敗しようと思って失敗したわけじゃないけれど、あの留年がなかったら今の僕はいません。
アルダ先生と歩んだイタリア語教育
先生にとって大切なイタリア語の一冊を伺いたいです。
1550年にヴェネツィアで出版された『神曲』の注釈書です。須賀先生のところでこれを使って5年間勉強したんだ。神曲の冒頭句のたった一行に対して、一項まるまる注釈があることに衝撃を受けた。こんな文学は初めてで、僕が今まで読んできた文学と考え方が全然違ったんです。そのとき、こういう文学が僕は好きだなって身をもって感じました。もう一冊はイタリアで買った『神曲』の初期印刷本です。1550年にヴェネツィアで出版されたもので、『ダンテ百科事典』にも記載されています。
そこから大学院時代にイタリアに留学してアルダ先生と出会われたんですよね。
語学学校でアルダに出会って、一緒に日本に帰ってきました。妻の専門は、インドヨーロッパ語族で、ラテン語の言語学でした。日本でイタリア語に関する言語学の専門家としてイタリア語を教えることができる教師は少なく、貴重な存在です。
そして、帰国後おふたりで一緒にイタリア語の教科書をお作りになったと聞いています。
当時、イタリア語初心者のための教科書が日本にありませんでした。僕はイタリア語を習得するのに苦労したから、これからイタリア語を学ぶ人が困らないようにしようと思ってアルダと一緒に『イタリア語の最初歩』(三修社)を作りました。彼女は言語学の専門家だから、文法的な裏づけは彼女がきちんと見ることができる。僕は日本人が第二外国語として学ぶときにどこでつまずくか分かる。そうやって、お互いの得意なことを持ち寄って、一緒に作り上げていきました。
そうしたイタリア語を勉強する学生に寄り添う先生の姿勢は、普段の学生との向き合い方にもつながっていたのでしょうか。
学生の話をしっかり聞くっていうことを大切にしています。授業についていくのが難しい学生の中には、病気だったり、いろいろな事情を抱えていたりする人もいます。そういうのは、話してみないと分からないからね。
もう一つ、普通、人は過去や現在から人を判断するけど、僕は学生を未来から判断するようにしています。今できるかどうかだけで全部を決めつけない。今は難しいかもしれないけど、あとから変わることだってある。将来立派になるだろうと思って学生と接しています。
人と文化をつなぐ絶品イタリアン
先生は、料理をすることがご趣味だとお聞きしました。
イタリアに留学しているときに、プロの日本人のシェフから料理を教わったことが大きいです。その人の家によく遊びに行き、一緒に作るのを手伝いながら教えてもらいました。ボンゴレも、そのときイタリアで教わった作り方で今も作っています。
日本でおすすめのイタリアンレストランはありますか?
ピザなら千歳烏山のピッツェリア・ディーノ(Pizzeria Dino)が美味しいです。本場ナポリの職人さんが作っているのでイタリア人も認める味です。本物の味を知るというのは大事なことだと思うから、学生や卒業生を連れていくこともあります。
他には、西永福のガッティ(Gatti)もおすすめです。料理はもちろん美味しいのですが、ワインがすごい。2000本あるワインをオーナーが全部熟知しています。料理に合ったワインを選んで提供してくれるから、誰でも楽しめると思いますね。
イタリアでは、一口にイタリアンといえないくらい料理に地域ごとの特色がありますよね。
ピザで言うと例えば、ローマはピザ生地が薄いけどナポリは厚いです。しいて言うなら冬はナポリのピザの方が好きです。冬は厚い生地の方がピザが冷めなくてもちもちなんです。ただ、夏のローマのピザも格別です。もちろん薄いのも厚いのもどっちも美味しいです。
もう一つ思い出話をすると、フィレンツェのガルガ(Garga)っていうレストランの皇帝風スパゲッティ(spaghetti all’imperatore)を食べたことがあります。ボンゴレソースなんだけど、エビとイカが入っててオレンジソースもかかってる。あれは僕が生涯で一番美味しかったスパゲッティです。みんなにも本場の味を楽しんでほしいからぜひ食べてみてほしい一品です。ただし、このスパゲッティは、シェフが引退して、もう食べられなくなりました。料理も一代限りなんだね。その点は学問と似ているかな。
イタリアを持ち帰ってきたみちお先生
先生が学生に一番伝えたいことは何でしょうか?
イタリアを実際に見てきてもらいたいということです。イタリアに行って、その目で見ないと分からないことがあると思います。たとえば日本では、絵画は教科書の中のものとしてどこか生活と切り離されています。でもイタリアに行くと、教会の中や街の至るところにたくさんの絵画が当たり前のように存在しています。イタリアに行くとそのことにまず衝撃を受けると思う。次に、キリスト教やギリシャ神話を知らないと、その絵画に何が描かれているのかを理解するのが難しいということに気付くと思います。実際にその場で見て、衝撃を受けて初めて文化や歴史、宗教と生活のつながりを肌で実感する体験ができる。学生にイタリアでの語学研修を勧めているのも、その衝撃を味わってほしいからです。それがきっかけとなって、自分でも学ぼうと思うので、良いモチベーションになります。
ほかにもイタリアの魅力はたくさんあって、世界遺産が一番多いことは有名ですね。ただ、最大の世界遺産はイタリア人だと思います。イタリアに行って、イタリア人を知ってもらいたいです。
イタリア人のどういうところに惹かれたのでしょうか?
人間らしさです。僕がフィレンツェにいたとき、毎日国立図書館に通っていたんだけど、ある日急に土砂降りになった。傘も持ってなくて、ずぶ濡れで歩いてたら、知らない方がパッと傘に入れてくれて図書館まで歩いてくれた。そういう自然な優しさがイタリアには溢れています。
イタリアに行って得た気付きはありますか?
向こうに行くと、日本のことをたくさん聞かれます。スーパーで総菜売り場のお兄さんから「Che cos’è 武士道?(武士道って何ですか?)」っていきなり聞かれたこともある。そのとき、自分が日本について何も知らないことに気づいて、帰ってきて日本のことをちゃんと勉強するようになりました。
最後に読者に伝えたいことはありますか?
イタリア語は、継続して使っていなければ忘れてしまう。でも、イタリア語を忘れても、イタリアの文化を学んだことや考え方、人間らしさはずっと記憶に残っていく。それを少しでも学生が受け取ってくれていたら、うれしいです。
学生には、世間の声ではなく、自分の心の声に従って生きてほしい。「三つ子の魂、百まで」ということわざがあるように、誰しも生まれながらに持つ根本的な感覚があると思う。それを大事にして欲しい。僕は子どもの頃から、単に年齢が上だからという理由で偉そうにする人が苦手でした。それは今でも変わらない。僕が教師だから、年配者だから偉いとは思わない。みんなも自分の感覚を大事にしながら過ごしてほしいです。