AIが「空気を読み」、人間の意図を推論するようになったとき、最後に残る「人間らしさ」とは何でしょうか。慶應義塾大学文学部の荒畑靖宏教授が専門とするのは、ハイデガーやウィトゲンシュタインが問い続けた、主体が生きる場としての「世界」のあり方です。荒畑教授は、1990年代以降のサブカルチャーにおける「セカイ系」という概念を補助線に、近代哲学が抱えてきた「『ぼく』と『きみ』の関係性が世界を形づくる」という精神構造を解き明かします。「AIと哲学がつむぐ新たな世界論」の【後編】は、身体性をめぐるAIと人間の決定的な境界線、そして私たちが自らの「世界」を再構築するためのヒントを、哲学の英知から学びます。
プロフィール
荒畑 靖宏(あらはた・やすひろ)
教員・研究者/慶應義塾大学 文学部人文社会学科哲学専攻 教授1997年3月に慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程哲学専攻修了。2003年3月、慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程哲学専攻単位取得退学。2006年2月、フライブルク大学大学院哲学専攻博士課程修了、Dr. phil. 。成城大学文芸学部ヨーロッパ文化学科専任講師、成城大学文芸学部ヨーロッパ文化学科准教授、慶應義塾大学文学部准教授を経て、2020年4月から現職。2020年5月~21年3月、フライブルク大学フッサール文庫客員研究員。2021年4月~22年2月、ウィーン大学ウィーン学団研究所客員研究員。
プロフィール
荒畑 靖宏(あらはた・やすひろ)
教員・研究者/慶應義塾大学 文学部人文社会学科哲学専攻 教授1997年3月に慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程哲学専攻修了。2003年3月、慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程哲学専攻単位取得退学。2006年2月、フライブルク大学大学院哲学専攻博士課程修了、Dr. phil. 。成城大学文芸学部ヨーロッパ文化学科専任講師、成城大学文芸学部ヨーロッパ文化学科准教授、慶應義塾大学文学部准教授を経て、2020年4月から現職。2020年5月~21年3月、フライブルク大学フッサール文庫客員研究員。2021年4月~22年2月、ウィーン大学ウィーン学団研究所客員研究員。
■子どもの頃から持ち続けた「違和感」
荒畑教授が哲学に関心を持ったきっかけは、幼い頃から持ち続けてきた「世界」への違和感だった。なぜこの人たちが自分の両親なのか、なぜここが自分の生きる世界なのか、という疑問が頭から離れなかった。
「高校生になってもまだ、表向きは周りのみんなと同じように行動しながらも、ほかならぬ自分がそうしなければならない理由を見いだせずにいました」
ここで荒畑教授が述べる「世界」とは、まさにその後の研究の核心となるものだが、私たちが一般的に会話や頭の中に思い浮かべる世界とは意を異にする。
私たちが世界と聞けば、たとえば日本やアメリカ、はるか遠くにあるブラジルやグリーンランドなど、「客観的な場所」を思い起こす人が多いだろう。「あなたは世界について知らないね」。誰かにそう言われたら、自分の住む国や地域以外のことに対する知識がないと指摘されていると受け止める人が多いのではないだろうか。
しかし、荒畑教授が述べる「世界」とは、そうした客観的なデータや地理的な場所ではなく、自分が主体的に住みたいと思う場所、自分がそこにいていいと思える場所のことを意味する。たとえば動物は、ブラジルやグリーンランドのことを知らなくても、自分がすむべき場所を知っている。それが動物にとっての「世界」であり、荒畑教授は「我々にとっても本当はそういう『世界』があるはず」と語る。
「自分とは無縁の地球の果てまで含めて世界と呼ばれ、そこで生きろと言われたとき、直感的に嫌だと感じる人はいると思います。でもそれは、日本が嫌い、アメリカに住みたくない、といった感情ではありません。自分の住む環境や構造に対してどこか違和感があるという抽象的な感覚です」
幼少期の荒畑少年が抱いたのも、そんな感覚だった。この「居心地の悪さ」を解消するにはどうしたらいいのかと考える中で、大学は法学部政治学科を選んだ。人々が生きる「世界」の仕組みを設計するのは政治学だと思ったからだ。でも、何かが違うと気づく。
たとえ、より良い国家や社会をつくったとしても、それが自分にとって居心地の良い「世界」になるとは限らない。どうすれば「世界」について考えることができるのかを教えてくれたのは、中学生の頃から背伸びをして読んでいた哲学書だった。
荒畑教授が研究対象とするハイデガーやウィトゲンシュタインといった哲学者も、自分が主体的に住みたい「世界」を探求し続けた。荒畑教授は特に、ハイデガーがしばしば引用した、18世紀ロマン主義のドイツ人詩人ノヴァーリスの「哲学とは郷愁である」という言葉に深く共感した。
ドイツ語では郷愁を「Heimweh」(ハイムヴェー)といい、「家から離れて恋しく感じる」ことを意味する。
「ノヴァーリスは哲学を『どこにいても家にいるかのように存在したいという衝動』と定義しています。私自身も『世界』に居心地の悪さを感じていたので、どこにいても家にいるかのようにくつろげるのは最高だなと思ったのです」
さらに、若き日のウィトゲンシュタインのように、「現実の世界が住みにくいのであれば、自分が住むに値する『世界』を頭の中で構築してしまえばいい」という発想に救いを見いだしたという。「机に座ったまま頭の中で世界を壊して、自分が住みやすい『世界』をつくることができる。そんな哲学を私は好きなんだ、と次第に考えるようになりました」
■アニメ作品に見いだした共通点
荒畑教授の論考において特徴的なのは、「セカイ系」と呼ばれる漫画やアニメ作品と近代哲学という一見無縁に思える二つの分野に、共通点を見いだした点にある。
セカイ系作品とは、主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)というごく狭い関係の中にある、個人的な悩みや人間関係のトラブルが、「世界の存亡」のような抽象的・壊滅的な危機と直接結びつく、そんな物語のジャンルを指す。
1990年代後半から2000年代のサブカルチャー(漫画、アニメ、ライトノベルなど)において流行した。テレビや映画で社会現象を巻き起こした「新世紀エヴァンゲリオン」をはじめ、「最終兵器彼女」「ほしのこえ」「イリヤの空、UFOの夏」などが代表例として挙げられる。これら初期のセカイ系作品の特徴は、世界の存亡を懸けた戦いの中心にあって傷ついていくヒロインの「きみ」に対して、主人公の「ぼく」が当初は無力な傍観者でしかない点だ。
「新世紀エヴァンゲリオン」は、14歳の少年碇(いかり)シンジが巨大な汎用(はんよう)人型決戦兵器エヴァンゲリオン(EVA)初号機のパイロットとなり、謎の敵「使徒」と戦う物語。同じパイロットの少女らとともに戦いを重ねる中で、やがて絶望し苦悩するシンジの精神世界が描かれる。徐々に主人公のひとり語りが展開されるようになり、それが共感を呼んだ。
こうしたセカイ系作品には、社会や国家といった中間項が登場せず、主人公の「ぼく」と、「きみ」や「あなた」と呼びかけられるような「密接につながっている誰か」との関係が中心となって描かれている。それ以前の人気作品、たとえば「機動戦士ガンダム」や「攻殻機動隊」のように、主人公が国家や社会といった人間のつくったシステムと戦う物語とは大きく異なる点だ。
セカイ系は、いわゆるオタク文化を飛び越えて大きなムーブメントとなり、現代思想や社会学の領域も巻き込んで議論されたが、2000年代後半になると、「幼い自意識」「現実逃避的」などと批判されるようにもなった。
だが荒畑教授は、こうしたセカイ系の構造と近代哲学の精神構造に一定の共通点があると訴える。
「近代以降の哲学では、自分(ぼく)と密接につながっている誰か(きみ)がいて、それが重し(アンカー)となって『世界』を安定させ、自分もそこに住めるようになると考えます。誰か、というのは子どもにとっては母親かもしれません。幼い精神構造に見えますが、そこから抜け出せない人は結構います。このように、自分が住むべき場所はどうあるべきかを考える近代哲学と、セカイ系作品が通底していることに気がついたのです」
さらに荒畑教授は、セカイ系の作品に中間項が欠落していることなどへの批判について、芸術作品が表現する内容には時代に応じてさまざまな意見があることに理解を示しつつ、「近代哲学と触れ合っている部分のあるセカイ系の作品を、芸術やアニメの歴史の中で『終わったもの』として切り捨てるべきではないのでは」と語る。
■「正解のない問い」に導く答え
現代の若者は、常に「正解」や「効率」を求められる環境に置かれている。一方で、「自分の生きたい『世界』は、どんなものなのか」――そんな正解のない問いを深く考えられるのが哲学の面白さかもしれない。では、複雑化する現実社会のさまざまな問いに対して、哲学はどんな答えを導くのだろうか。
いま多くの人の関心を集め、難しい問いが次々に生まれている分野の一つが、AI(人工知能)だ。AIによって「世界を知る」ことは、できるのだろうか。
荒畑教授は、AIが世界についてどれほど高度な情報処理を行っても、少なくとも人間と同じ意味で世界を「知る」ことはできない、と断言する。その理由は、AIには「肉体(ボディー)」がないからだ。
子どもの頃に、「なぜ僕は僕なんだろう?」と素朴な疑問を持ったことがある人もいるかもしれない。実はこの問いは、主観的な「世界」を探求する近代哲学と根源的につながっている、と荒畑教授は言う。
「ほかの誰かではなく、『なぜ私は私なのか?』という問いは、私たち人間の場合に、実は『世界』全体のあり方をも巻き込む問いになります。『世界』は必ず『私』に現れるという形でしか存在しない。それが近代哲学の根幹です。そしてこの問いを、私たち人間と同じ意味で発することは、AIにはできないのだと私は考えています。なぜなら、AIには身体がないからです」
では、AIを機械の「身体」に入れて、ネットワークから遮断して自走させればいいのでは……?
荒畑教授は首を横に振る。
「それは、人間が身体を持つこととはまったく別の話です。たとえば『チャッピー1号』というボディーに入れられたAIが『何で僕は僕なの?』と疑問を持ったとしても、それは私たち人間が同じ問いを発した場合のような奇妙なねじれを生みません。なぜならば、AIの発するその問いはまっとうな問いで、たとえば『○○博士のお気に入りのボディーだからだよ』とか、『いや、とくに理由はないよ。気に入らないならこっちのチャッピー2号に入れようか?』などと答えることができます。ところが人間は、私がこの身体から出られるはずがないことも、私がこの身体を持っていなかったら私ではなくなることもわかっているのに、それでも『どうして私は私なのか?』と問いたくなってしまうのです。まず身体があって、そこに精神が発達し、意識が芽生えてこないと、この感覚は生まれません。そしてこの感覚が、哲学の、つまり『どこにいても家にいるかのように存在したいという衝動』の原動力になっているのです」
■居心地の悪さを感じたら、「世界」を見つけよう
生きづらさを感じることも多い現代社会。私たちは理想の「世界」に近づくことができるのだろうか。
荒畑教授は、「居心地の悪さ」を感じるなら、「今の場所から逃げてもいい」というメッセージを提示する。
哲学で言う理想の「世界」とは客観的なデータや地理的な場所のことではない。自分が本当に住みたいと思える場所、自分がそこにいていいと思える場所こそが「世界」である。したがって、与えられた環境が「お前の世界だ」と強制され、そこに違和感があるならば、そこから逃げ出し、自分だけの世界を見つけるべきだ、と荒畑教授は説く。
荒畑教授自身、幼少期に感じた「世界」への居心地の悪さは、いまも変わっていないという。ただ、自分が違和感を持っていることを研究できる学問の存在に気づき、たくさんの哲学者たちの住みたい「世界」に触れるにつれて、苦しいという感情はなくなったという。そして、理想の「世界」を見つける上で大切なのが、「人の言いなりにならない」ことだと語った。
「いまいる場所に居心地の悪さを感じているのなら、そこは多分、あなたの『世界』じゃない。『世界』は誰かから与えられるものではありません。いま与えられている『世界もどき』から逃げて、あなたの『世界』をちゃんと見つけたほうがいいかなと思います」
構成:朝日新聞GLOBE+編集長 玉川透
取材・文:澤木香織
写真:品田裕美