画像:三田評論創刊70周年記念パーティーでの藤山愛一郎
1984年慶應義塾創立125年記念事業の1つとして、地域研究センター(2003年より東アジア研究所に改組)が設立された。当時の石川忠雄塾長は自らも中国政治の研究者だったが設立の意図を「学際的な領域と学部の壁を超えた共同研究を推進する意味においてむしろ明日に向けての布石」と述べている。義塾では早くから多数の地域研究者を養成し、そうした研究者は、個々の国や地域を社会・文化、経済、政治等を分析し把握し塾内外で多くの業績を挙げていた。しかし、塾内はもとより、国内他組織との連携となると困難も多かった。新たな研究の土台となるセンターの発足は、国内では画期的なことだった。
さて日吉キャンパスの藤山記念館に名を残す藤山愛一郎(1897-1985)は藤山コンツェルンを作り、明治期から昭和期にかけて義塾評議員を務めた藤山雷太の長男である。岸内閣で民間人から外相を務めた政治家であり、日本商工会議所会頭や初代日本航空会長などを歴任した実業家でもある。「藤山現代中国文庫」と称される膨大な中国近現代関連資料を所有していたことでも知られていた。外国で刊行された中国研究書約1,500点、中国で発行された書籍約3,000点、100種を超える中国の雑誌・新聞からなるコレクションだった。
地域研究センター構想がまとまった頃、三田キャンパスでは1982年4月開館予定で図書館新館の建築が進められていた。そして新館開館後の旧館に藤山コレクションを受け入れるため、寄贈の予定が組まれていた。
しかし、1982年2月8日。ホテル・ニュージャパンの大火が起きた。千代田区永田町のこのホテルにあった藤山愛一郎の事務所もコレクションもすべて焼失してしまった。すでに前年10月に寄贈されていた一部の資料のみが難を逃れた。それらには「藤山現代中国文庫」の蔵書印がある。
図書館には近現代中国資料の特色ある文庫がすでに2つ存在していた。「望月文庫」と「及川文庫」である。「望月文庫」は実業家の望月軍四郎(1879-1940)が日本に中国研究講座がないことを残念に思い、義塾に望月支那研究基金を設立し、中国書の収集を及川恒忠(1890-1959)が中心となって進めたものである。「及川文庫」はその及川恒忠が寄贈した蔵書である。及川は政治学科を卒業して4年後義塾留学生として中国へ渡り、帰国後は法学部や経済学部で教鞭をとり、のちに法学部長を務めた。
藤山コレクションが火災にあわずに寄贈されていたら、義塾の中国近現代資料はより充実し、中国地域研究をさらに進めることになったであろう。
地域研究は90年代に入り、他大学でも研究所が作られるなど広がりをみせている。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。