登場者プロフィール
瀨戸 信昭(せと のぶあき)
その他 : 株式会社日本ヴォーグ社代表経済学部 卒業1976年慶應義塾大学経済学部卒業。「ハンドメイドでHappy Lifeを」をモットーに、編み物をはじめとしたハンドクラフトの出版、教育、手芸店等を展開。
瀨戸 信昭(せと のぶあき)
その他 : 株式会社日本ヴォーグ社代表経済学部 卒業1976年慶應義塾大学経済学部卒業。「ハンドメイドでHappy Lifeを」をモットーに、編み物をはじめとしたハンドクラフトの出版、教育、手芸店等を展開。
横山 起也(よこやま たつや)
その他 : 編み物作家その他 : 小説家その他 : NPO法人LIFE KNIT代表法学部 卒業1998年慶應義塾大学法学部卒業、2000年同大学院法学研究科修士課程修了。時代小説『編み物ざむらい』で日本歴史時代作家協会賞文庫書き下ろし新人賞受賞。
横山 起也(よこやま たつや)
その他 : 編み物作家その他 : 小説家その他 : NPO法人LIFE KNIT代表法学部 卒業1998年慶應義塾大学法学部卒業、2000年同大学院法学研究科修士課程修了。時代小説『編み物ざむらい』で日本歴史時代作家協会賞文庫書き下ろし新人賞受賞。
ハナ サイード
その他 : ニットデザイナー文学部 卒業2017年慶應義塾大学文学部卒業。在学中にパリ第一大学美術史学部留学。毎年セーターを編んでくれた祖母の影響で小学生から編み物に親しむ。著書に『着まわしニット』。
ハナ サイード
その他 : ニットデザイナー文学部 卒業2017年慶應義塾大学文学部卒業。在学中にパリ第一大学美術史学部留学。毎年セーターを編んでくれた祖母の影響で小学生から編み物に親しむ。著書に『着まわしニット』。
「編み物は手芸ではない」
私は慶應在学中、体育会ゴルフ部に所属していました。日米対抗戦の代表になるほど熱中しましたが、迷った挙句、卒業の2年後に、先代が始めた日本ヴォーグ社に入りました。体育会系だったので、最初はもちろん編み物のことなんてチンプンカンプンです。女性ばかりの社内でとても戸惑いましたが、その後、経験を積み、ニットの先生方との出会いにも恵まれて今に至っています。
1961年に社団法人日本編物文化協会を発足させた時が編み物の最盛期で、会員数は約10万人にのぼりました。当時は手芸も盛り上がっており、69年には財団法人日本手芸普及協会ができました。
2015年にはそれらを統合し一般社団法人日本手芸普及協会(現在は公益財団法人)となりましたが、この時、編み物の先生たちから「編み物は手芸ではなく服飾文化です」と言われました。たしかに一口に編み物と言っても、すごいテクニックがたくさんある。講師を目指す人はみんなプライドをもって技術を磨いているのを実感しました。
協会ではどのような活動をしているのですか。
手編み学習指導体系にもとづく認定資格を作りました。スクールを開講し、本科、高等科、講師科があります。指導員、准師範、師範と段階を経ますが、すべての課程を修了するのに5年ほどかかります。他のハンドメイドにはない世界です。
1960、70年代は"編み物ブーム"だったのですね。当時の盛り上がりはどんな感じだったのですか?
ステータスとまでは言わないけれど、編み物をできることが個人をアピールできる重要なポイントでした。当社でも編み物の作品集をたくさん出版し、どれも良く売れました。毛糸のメーカーも種類もたくさんありましたよ。
戦後の編み物ブームでエポックメイキングだったのが1967年です。この年以降、編み物教室がものすごく人気を博しました。働く方が次第に増え、教室に通えなくなったのです。そこで1967年に編み物の通信教育を始めたところ、68年、69年と大ヒットしました。
自宅で編んだものを郵送してもらい、先生が添削して送り返す方式で、受講者数は通算100万人に達しました。
受講者が100万人もいたなんてすごい熱量ですね。日本中から作品が送られてきたのですね。
そうです。あまりの多さに当時、小石川郵便局から、もうやめてくれと言われたほどです。社員数も一気に80人ほど増えました。
令和の編み物ブーム、到来中
毎年、日本ヴォーグ社の建物を使って「イトマ」という編み物好きの人のための毛糸マーケットを開催しています。2日間で2000人もの方が来場するのですが、ものすごい熱気です。30くらいのブースでちょっと変わった毛糸などを販売しており、予約制にしないとお客さんが入りきりません。
そんなことになっているのですか!
僕も会場でライブ配信のMCを担当し、編み物コミュニティの結束の強さを目の当たりにしました。しかも、ライブをインターネット配信したことで、この熱気が若い人にも届くようになった。イベントに参加する年齢層も大きく変わり、情報をキャッチし始めた30代、40代の方が来られるようになりました。
このコミュニティは他のハンドメイドにはない感じです。編み物ファン同士は、1日中黙っていても一緒に過ごせるようです(笑)。
とても良くわかります。
昔ほどじゃないにせよ、今また編み物ブームが訪れているのを感じます。ハナさんは盛り上がりを感じることはありますか?
SNSを見ていると、最近はどれだけ簡単に、安く、かわいいアイテムを編めるかというところで盛り上がっています。100円ショップの毛糸がすごく人気で、売れ切れるほどだとか。小さなポシェットを作ったりするのも、本を見て勉強するというよりは、動画を見てやってみる人が多いようです。
教室で習うものだった昔とは正反対ですね。
以前、夕方の情報番組で手編みニットがスローファッションとして取り上げられていたのです。その時に何となく「編み物ブームがきてるのかな」と感じました。
着たいニットは自分で編もう
ハナさんが編み物を始めたきっかけは何ですか?
編み物が得意な祖母の影響です。おしゃれをしたい学生時代、お金はないので、「自分で好きなデザインを編めばいいんだ!」とウェアを編むことに熱中し始めました。
それは1970年代のブームの時と基本的には一緒ですよ。
私が始めたころは、ニットデザイナーの三國万里子さんのニットがとても人気でした。「こんなにおしゃれなものが編めるんだ」と思い、三國さんの本を見ながら編んでいました。
ハナさんがお召しのニットは刺繍が入っていて素敵ですね。
父の祖国パレスチナの伝統的な刺繍のモチーフを編み込みました。この刺繍はクロスステッチなので編み物でも再現しやすいのです。
僕は小規模のオンラインサロンをやっているのですが、参加メンバーの1人に「編み物カウンター」というアプリを開発した藤田佑輝さんという男性がいます。
「編み物カウンター」は私も使ったことがあります!
このアプリは、一段編んだらタップするという使い方で、つい忘れてしまいそうになる数字をメモ代わりに記録できるのですが、実は世界中で何回タップされたかをカウントしています。もちろん、アプリを使っている人に限定されるのですが、世界でどのくらい編み物がされているかを推し量ることができます。昨年8月以降でタップされた回数は、ひと月あたりそれまでの5倍に達したそうです。つまり今までの5倍、編み物がされている。
そんなに!
その後、暖かくなる季節にはタップ数が落ちるかと思いきや、その度合いは変わらないようです。インストール数もアクティブユーザー数も同じ5倍を維持しているとのことで、1つのアプリから観測される数値とは言え、もうブームと呼んでいいのではないでしょうか。
本でつながるニットの輪
ニットの世界では季節を問わずいろいろな本が出版されていますよね。私も2022年に『着まわしニット』を出版しました。
どのような経緯で本を出すことになったのですか?
2018、19年にそれぞれ自費出版でZINE(ジン)を作ったのです。自分でデザインして編んだアイテムを、友人にモデルとカメラマンをしてもらい、編み図も描きました。今見返すと間違いもあるのですが、できた当時、出版社や毛糸メーカーに送りました。日本ヴォーグ社にも送りましたよ。
そうだったの⁉
その後、他の出版社の編集者の目に留まり、出版することになったという経緯です。
僕も以前、編み物のZINEを作ったんですよ。日本ヴォーグ社が運営するKeitoという毛糸専門店が浅草橋にあった頃に、それを見たスタッフの方がワークショップの講師を依頼してくれました。
2020年に The Power of Knitting という本が出ました。『編むことは力』というタイトルで日本語版も出ています。
社会的なムーブメントの1つの表現として編み物を捉えた本で、とても話題になりましたね。編み物の本が日本ヴォーグ社のような手芸専門出版社ではなく、岩波書店から出版され、他分野も巻き込んで話題になったことに驚きました。
編み機が飛ぶように売れた時代
瀨戸さんも編み物をなさるのですか?
いえ、私は紺屋の白袴です。会社に入る時にこれはさすがに知らないとまずいと思い、少し勉強しましたが。
当時はどなたに教わったのですか?
社員の人たちです。みんな先生のような存在でしたから。編み機の使い方も教えてもらいましたよ。
私は編み機に触ったことがないんです。
僕は物心つく前から触っていました。家庭用編み機の技法に、裏目を表目に返す「タッピ返し」という操作があるのですが、小さい時にそれをやって遊んでいたようです。
「ようです」とは?
物心がつく前の年齢なので。編み物を始めた時、どうも糸と針の扱いに慣れていたので母親に訊くと、「ちっちゃい頃にやっていたからね」と(笑)。
1960年ごろまでは編み機も嫁入り道具の1つでした。年間100万台は売れていました。かつてはトヨタが編み機を作るほど需要があったのです。
編み物教室にも編み機がずらりと並んでいましたね。
機械を使うと、手編みではできないこともできるのでしょうか。
手で編むよりも早く編めるなど、利点はありますが、一長一短があるかと。編み機には編み機の文化があり、機械を使えた人はその筋の技を練っていたと聞いています。
戦後日本に編み物文化が急速に広まったのは、おそらく物が不足する中で自分の服は自分で作ろうという意識があったからです。編み機が爆発的に流行ったのもそういう理由でしょう。でも、家庭用の機械では平面でしか編めないなどの制約があります。そこで、趣味としてより自由な手編みが盛り上がったのかなと僕は見ているんですが。
横山さんが持っているのは、日本手芸普及協会の「手編み師範」の資格ですか?
いえ、僕の資格は「プロフェッショナル」です。
いえ、僕の資格は「プロフェッショナル」です。
編み機と手編みでは、編んでいる時の気持ちも違いますか。
僕は長じてから編み機は触っていませんが、違うようですよ。僕が高校生だった1990年代前半には、教室でも編み機のコースは少なくなってしまっていましたが、今はまたやる人が少し増えているみたいですね。
編み物のマインドフルネス
手編みが残ったのは、編み物の作業に心のよりどころになる部分があったからかもしれません。
最近の「デジタルデトックス」と呼ばれる効果の1つでしょうね。心のよりどころと言えば、当社の編み物教室の先生たちは、阪神・淡路大震災や東日本大震災の被災地を訪ねて編み物教室を開催していました。被災者の方々が大勢参加して下さり、「編み物があってよかった。なければ心が折れていた」と言っていただけました。
編み物にはそういう側面があると思います。手仕事全般に言えるのかもしれませんが、編むことに集中すると、普段の嫌なことを忘れられます。
私も同感です。
僕の母も編み物講師として東日本大震災の被災地を回るプロジェクトを起こした1人でした。
震災直後は多くの先生方がボランティアで行っていましたが、5年ほどの間に人数が減り、母の始めた活動は母1人になってしまっていたようです。そこで、僕のところに連絡が来て、親子2人で南相馬市の仮設住宅や学校を訪ねることになったのです。1週間かけてほうぼうをまわり、東京に戻る時になって先方のコミュニティでリーダーをやってくださっている方が母に「震災直後は『こんな時に編み物なんかやっても……』と思いましたが、とても助かりました」と伝えてきました。
実は、僕は編み物の「心に効く力」を知ってはいたものの、その言葉を聞くまでどこまで通じるのか半信半疑だったのです。あまりにひどい大災害、ひどい被害でしたから。でも、その時に被災地の方が心の底からそうおっしゃるのを伺って、「『編み物の持つ力』はこんな状況でも通じるのか!」と衝撃を受けました。それ以来、本腰を入れて編み物文化の普及に取り組むことにしたのです。
編み物とは筒を作ること
以前、カウチンセーターで有名なカウチン族に会いにカナダまで行ったことがあります。カウチンセーターって前開きじゃないですか。
カウチンセーターと言えば、という形がありますね。
彼らは前開きのカーディガンにする時はまずプルオーバー(頭からかぶって着る形)を編み、そしてハサミで前を切ってしまうんですよね。
ニットを切るのはやったことがありませんが、英国のフェアアイルセーターもそうですよね。筒状に編んで、ソデを切る場合もあると聞いたことがあります。
そうですね。ハサミを入れるのは合理的と言えば合理的だけど、日本では絶対にありえない(笑)。
伝統的なセーターの作り方を研究すると、大体、胴体と2本の腕が入る計3本の「筒」をくっつけることに終始しています。編み物っておそらく布地をいきなり筒状に作れるほぼ唯一の方法なんです。織物はすべて平面ですが、編み物は最初から輪っか状に、筒として作れる。その形からして、編み物は「包むこと」に特化していると言えますね。
靴下もそうですね。
僕が大学院生だった2002年に、日本編物文化協会から『伝統のニット──「てづくりのもの」のなかにある不思議なもの』という本を出版しました。この本では伝統的な5種類の編み方──ガーンジーセーター、アランセーター、カウチンセーター、ロピーセーター、フェアアイル──にまつわるよもやま話を調べて書いたのですが、カウチンセーターだけでなく伝統的なセーターは大体筒状に編んでいくので、和服のようにすべて平面裁断で作るのとは対照的です。
使い込まれるニットの真価
当社にはさまざまなヴィンテージのニットを収蔵していますが、アイルランドのアラン諸島がルーツとされるアランニットは今、編める人がほとんど残っていないと言われます。
編み手の数は随分減っているようですね。
編み物は昔、「コテージ・インダストリー」と呼ばれました。小屋のように小さな規模で営む産業、という意味ですね。
アランニットのように伝統的なニットは、家内制手工業的に作られていましたよね。
そう。アランニットはフィッシャーマンズセーターとしても知られていますが、編み込まれているマークには、いろいろな意味合いが込められています。ガーンジー島やジャージー島で見たニットにも家系を表す紋章が入っていました。それがあれば、着ている人が遭難して亡くなっても出自がわかったそうです。
実際にそういう側面はあったのでしょう。ただ、すべて鵜呑みにしてよいのかなとも思います。というのも、自分で編んだものは見ればわかるから。
「販売戦略的に付加されたストーリーだ」という人もいます。すべてをそういうふうに見る必要はないので、僕は「そういうこともあったかもな」という気でいますが。
確かに自分の編んだものはわかりますね。
まあそうかもね。昔はあくまで防寒着でしたから。オイリーで水を弾く毛糸を使い、今ほどファッション的な要素が強かったわけではなかったから。
本場のフィッシャーマンズセーターと言えば、重くて硬い。潮をかぶると質感がどんどんフェルトに近くなるのが特徴ですね。
使い込むほど丈夫になるのはかっこいいですね。
普段着にするには重くて疲れてしまうから、ファッションとしてはうけなくなってしまったけどね。
実際に着て見るとフェルトのすごさがわかりますよ。フェルトのコートはおもにモンゴルやシベリアの少数民族が着るものですが、極寒の地でもムートンの敷物を敷いてフェルトのコートを着れば寝る時も凍死しないと言われています。
驚くのは、それほど保温性が高いのに快適なことです。僕が着させてもらったのは6月で、生地がとても分厚いので最初は断ったのですが、「編み物をやっているなら絶対に着ておいたほうがいい」と言われました。そして、実際に着てみるとまったく嫌な感じがしない。
羊毛フェルトですよね。それは私も着てみたいです。
昭和に響いた毛糸狂騒曲
手編みと言えば、1970、80年代は日本で手編みがとても流行りました。その後1990年ごろから、それを見たアパレルメーカーが手編みのセーターを中国で生産するようになり、廉価で手に入るようになりました。残念だったのは、それを境に手編みの価値がすっかり変わってしまったことです。
僕が一生懸命営業してたのは80年代ですが、当時は一着分の毛糸代が1万円もしました。会社員の初任給が10万円いかない時代ですよ。それでもみんな、自分で毛糸を買って編んでいました。
ところが90年代以降、中国製の既製品が一着1980円程度で手に入るようになり、手編みの価値が一気に下がってしまった。それまでの毛糸の人気は大変なものでした。私たちもカウチンの毛糸を輸入して、1パック1万数千円で売りましたが、カナダで買い付けた5000パック分があっという間に売り切れてしまうほどでした。
毛糸を買って自分で編むのは、戦後間もなく生活する上で必要だから編んでいた頃とはそもそも目的が違いますよね。
そう、完全に趣味の世界。だから素敵なデザインの作品がたくさんありましたし、凝った作りが付加価値になっていました。100円ショップもない時代の毛糸は安くても1玉300円、上質なものなら1200円ほどしていました。私たちもカシミヤやアルパカの毛糸を扱いました。
「こういうものが着たい」と思った人が自分で作っていた時代ですね。今でこそアランニットのような縄編みのセーターは、クオリティにこだわらなければお店で手軽に買えますが、当時は簡単に手に入るものではなかったのですね。
そうです。そういう時代だからこそ、当時の編み物の本には素敵なデザインの作品がたくさん載っています。
昔の編み物の本をめくると、デザインが付加価値になっている感じがとてもよく伝わってきます。毛糸にお金を出して一から作る人たちの熱量を感じます。
1980年代は、仕入れのためにヨーロッパの毛糸メーカーをほとんど訪ねました。残念ながらそれらは今ほとんど残っていませんが、フランスやスイス、イタリア、イギリスでいろいろな毛糸を見ました。国や地域ごとに風合いが違いますが、向こうは硬水で染色するので洗濯すると毛糸の色が落ちやすかったのです。
今は、ヨーロッパはSDGs法制によって、状況が厳しくなっていますね。羊をどのような環境で育てるかといったことまで見られます。ある程度の水準以上の環境を整備できているメーカーでなければペナルティが加えられるのでメーカーも牧場も大変そうです。
編み方を変えると仕上がりも変わる
ハナさんはどういうところに、編み物の楽しさを感じていますか?
最近は、編み図や文章パターンの作成に没頭しています。『着まわしニット』では、私のメモをもとに専門の方が描き起こしてくれたのですが、自分のデザインを自身で編み方まで広められるようになりたいと思って始めました。
私はシンプルなメリヤス編みでさえも没頭できるほど編む時間が好きで、編み図を作るのは苦手だったのですが、本格的に取り組んでみると結構楽しくできています。海外でポピュラーな肩・衿側から編み始めるトップダウン式の編み方に挑戦したりもしています。
ボトムアップ式では肩はぎ(後ろ身頃と前身頃を肩で編み合わせる)しないといけませんが、トップダウンの場合は肩はぎの作業がない代わりに、肩のデザインが重要だとわかりました。
本当にそうなんですよね。
編み方を変えると仕上がりの雰囲気が随分変わります。トップダウンは慣れるまでが難しいのですが、知らないことをやってみる面白さはありますね。
「セーター」と呼ぶのはなぜ?
ところで、日本では「セーター」と呼びますが、海外での呼び方は「プルオーバー」ですよね。「セーター」という単語もあるけれど、編み物の人たちは大体「プルオーバー」を使う。ハナさんはフランスに居た時期があるそうですが、どうでしたか。
フランスは「プル」ですね。「セーター」とは呼ばないです。
面白いですね。「プルオーバー」という名前には、伸び縮みするニュアンスがあるから、それ自体が編み物のことをよく示しています。
呼び名が動作を表しているのですね。
調べて見ると、「セーター」は米国でアメフト選手が汗をかいて減量するために使っていたことに由来するという説が出てきたけど、これは本当だろうか……。
え、それはちょっとイメージが変わりますね(笑)。
「スウェット」も同じように運動して汗をかくための衣類というのが由来のようです。でもこれは英語圏の呼び方で、ハナさんが言うようにフランスでのセーターの呼び名は「プル」ですね。このプルはプルオーバーの略で、するとプルオーバーが先にあったのだろうか。フランス語のほうが使い始められた時期が早い気もするけど。
編み物の発祥は英国ですか?
起源をさかのぼると、エジプトのようです。でも、当時の技法が現代までつながっているかは確かめるのが難しいようです。
スタイルブックを見ながら
編み物の本は今も変わらず人気ですが、手編みがブームだった1970、80年代ごろはスタイルブックもたくさん出版されました。手編み毛糸は海外ブランドも力を入れていて、イヴ・サンローランブランドの毛糸も販売されていました。
今では想像もつきませんが、そんな時代があったのですね。
毛糸メーカーも自社の製品を売るための戦略として、出版物を通しておしゃれなスタイルを積極的に打ち出していました。そういうメーカーのニーズに応えるデザインを私たちも一生懸命考えて、本を作ってきたわけです。
スタイルブックに掲載されている作品はすべて手編みですか?
編み機が人気だった80年代までは機械編みの作品集もたくさん出版されました。当時のおもしろいエピソードがあります。とても人気があったニットデザイナーの戸川利恵子さんが香港のテレビ番組に出演した翌々日、自分が着ていたものと同じニットを着ている人が何人も街を歩いていたそうです。戸川さんが着ていたものを気に入って、番組を見て自分で編んでしまったのでしょう。
2日で編んでしまったということですか? すごいスピードですね。
目でコピーするのでしょうね。
僕の母の先生にあたる世代の人たちは、パッと見て、サイズ感とかすべて把握してしまったそうです。採寸しなくても編めてしまう人が多かったと言いますから驚きます。嘘みたいな話ですが、編む技術もミリ単位で正確無比な技を実現していた人たちもいたらしいです。
「編み物は手芸ではない」という主張の根拠は技術の高さなのでしょうね。
そういう風に言う方々にしてみたら「工芸」の意識なのかも。かつてニットではレストランに入れない時代があり、祖母たちの世代は編み物の社会的地位を高めるために、ニットのスーツをたくさん作ったと言いますから。
(紙面を見て)メリヤス編みの肩パッドがあったのですね。とてもかわいいですが、ジャケットの内側に仕込むためのものも編んでいたのですか?
そうです。ニットでスーツを作るのもトレンドの1つでした。
昔の日本編物文化協会の会合の集合写真を見ると驚きますよ。ホテルの宴会場で皆、ニットのスーツで写っていますから。
素敵ですね!
昔の先生方はニットでビシッとキメていました。今はそもそもニットスーツをあまり見ないですよね。
そうですね。昔の本で見たことがある、という印象です。シャネル風のツイードなど、素敵だなと思います。
編み物が暮らしの一部
以前、コロナ禍で「〈主婦〉の学校」という映画が話題になりました。アイスランドにある家事の学校のドキュメンタリーで、そこでは例えば、イチゴジャムを作るのにも素材を摘みに行くところから始めるのです。もちろん手芸も学べます。
僕が面白いと思ったのは、映画製作当時のアイスランドの環境大臣もこの学校の卒業生だったこと。彼は劇中に登場し、「祖母も母も家で手芸をやっていたから、こういうのは大好きなんだよ」とインタビューに応えるのですが、最後には「みんな、(社会課題について)いろいろ難しいことを言うけれど、SDGsはここにあるんだ」みたいなことを言う。政治家がこういう見方をするのかと、ハッとさせられました。
日本ヴォーグ社もそういう学校を始めてみようかな。
是非やってほしい。編み物も暮らしを作る一要素なのですから。
そうだね。上映会をやろう。
実は今、日本を舞台に「暮らし」をテーマにした小説を連載しています。禅の世界では手仕事を修行と捉えて「作務(さむ)」と呼びますが、この作務を題材に、「リツの喫茶法」という題で曹洞宗の月刊誌『禅の友』に毎月書いているんです。
作務は修行の中で掃除をしたり、食事を作ったりすることを指しますが、これってつまり暮らしのことでしょう? 僕は物語の中で、編み物も含めて近代化によって手放してしまった自分たちの事を、もう一度自分自身でやろうと呼びかけています。
ユニークですね。作務の時に着るから「作務衣(さむえ)」と呼ばれるのですね。
そのとおりです。僧侶の方々には袈裟を縫う仕事もあり、これもいわば作務の1つです。手芸も暮らしの一部分なのです。
なるほど。
パッチワークの元祖も僧侶たちではないかと言われています。出家した人たちが不要な布を縫い合わせ、「糞掃衣(ふんぞうえ)」と呼ばれる袈裟を作りました。編み物は今たしかにオンライン上で盛り上がっていますが、一方で暮らしに関わるリアルなものでもあり、せっかく編み物を始めてくれた若い人には、両方に関心を持ってもらいたいですね。
編み物とは輪っかから糸を引っ張り出すこと
編み物ブームと言っても、やっぱり挫折してしまう人もいるんです。そういう人のために、2013年に出版した『はじめの一歩 あみものできた!』という本を最近再刊しました。新たに巻末のコードから動画コンテンツを見られるようにもしました。
手厚いですね。初めて編み物をする方の中には敷居が高いと思う人もいるのでありがたいです。
そうですね。ウェアを編むのは大変そうと言う方もいます。だからこそ、100円ショップの毛糸で簡単な物から編み始めるのが人気なのかもしれません。
ニットは失敗しても簡単に解けるという利点がありますよね。
でもきっと本当に初めての人にとっては、最初の作り目を作るところから簡単ではないと思います。初めは動きがぎこちなかったりしますよね。
それは仕方ないよね(笑)。
少し練習すると身体の動きもスムーズになる。それが最初の関門かなと思います。
煎じ詰めれば、編み物は糸の輪っかから糸を引っ張り出すことに尽きますからね。
そうそう。どうやって引っ張り出すかのバリエーションだけですからね。
初心者の人は何から編み始めればよいでしょう。僕は以前、初心者向けにキノコの形のチャームを編むワークショップをしたけど、あまり一般的ではないからね(笑)。
スマホケースなんてどう?
ニット帽とか?
昔からポピュラーなのはマフラー?
僕も学生時代はよく編んでもらいましたよ(笑)。
最初の一歩は具体的な何かじゃないほうが良いかなとも思います。昔は、毛糸を使って遊ぶぐらいの感じで教えてくれる先生がいました。ですが、そういう方法は資格制度の中で採用されなかった。
システム化しないと指導者までのカリキュラム化ができなかったのです。それによって編み物の裾野は広がった面はありますが、この仕組みに合わない人もいます。
輪っかに糸を通して引っ張れば編み物になるので、それだけを1時間やってもらう指導も良いと思うのです。僕の祖母の世代の先生たちは自己流の編み方を持っていました。実際にそのやり方で編んでみると教わった方法よりも簡単だったりします。僕はどちらでも良いと思いますが、システム化されることで失われるテクニックもあると思うんですよね。
「正しい方法」として教わることで、それ以外は間違いと思い込んでしまうということですよね。
そうです。でも、正解はないでしょう。極端な話、編めちゃえばいいわけで。
難しいよね。教室に集まってもらって教える時には「これが正しい編み方」と決めないと、なかなか進まないところもあるから。
もっと自由に編みましょう!
コロナ前、「キノコの形をした作品を自由に編む」というテーマでワークショップを継続的に開いていました。初心者からベテランの方、大先生まで十数人も集まってくれる会だったのですが、「先生、自由に編め、と言われても難しいです」という声がたくさんあがるのです。
でも、僕は「輪から糸を引っ張り出せば編み物になるから大丈夫! 今やっているのが正解だから」と言うだけで、本当に自由に編んでもらうようにしました。すると、大先生やベテランの人たちまで「久しぶりに編み物が面白かった」と言って喜んでくれたのです。それも1回や2回ではありませんでした。
素敵ですね。
ルールができたことで編み物が普及し、みんながレベルの高いものを編めるようになった反面、ワクワク感みたいなものが減ったのかもしれない。僕はそういう楽しい感覚も含めて編み物を広めたいんです。
独学で始めると「エイヤ」でできることが、教室できちんと教わってそれ以外の方法がないように感じてしまうということもあるかもしれませんね。
一方で、動画から入る若い人はもっと自由だと思います。ネット上で「これいけるかも。作ってみたい」と思うものをみんなに見つけてもらうほうが時代に合っているのかもしれない。
でも、今基礎を知らないまま動画から入った人たちが、もっと凝ったものを作りたいと思ったらどうすればよいですか。
そのかけ橋がないのです。
保守的な意見だけど、それなら教室で基礎を勉強したほうがよいと思うんです。自己流と言っても基本は大切だから、それを押さえないと上手くならないんじゃないかな。途中で壁ができて「こんなものか」で終わるのは残念でしょう?
そうですね。ちなみに、米国にはリアルとオンラインのかけ橋があるんです。編み物好きが地域で集まれるコミュニティがあり、オンライン上でも「Ravelry(ラベリー)」というサイトでみんなが情報交換する。その連携が上手くいっているように見えます。
僕はそういうところも含めて寄与していきたい。『編み物ざむらい』のようなエンターテインメントを楽しむうちに、自然とリアルとオンラインのそれぞれに親しい人たちの距離が近づいてほしい。そうして、やったことがない人が編み物を始めやすくなる状況が作れれば嬉しいです。
私は最初から強烈に編みたいものがあって始めたタイプです。「こんなセーターができたらすごくかわいい、絶対編みたい」という衝動があり、随分時間がかかりましたが編めたのです。同じように、作りたいと思えれば頑張って編む人がいるはず、とも思います。「これいけるかも」もあれば、「難しそうだけど絶対やりたい」という入口もあるので、気に入ったデザインが見つかったら是非トライしてもらいたいですよね。
(2025年10月16日、日本ヴォーグ社にて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。