登場者プロフィール
田村 茂樹(たむら しげき)
山岳ガイド、羽黒山伏京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻修士課程修了。生き方に悩む自分を救ってくれた山に恩返ししたいと登山ガイドに。ウェブサイトにて食べられる野草のレシピも公開。
田村 茂樹(たむら しげき)
山岳ガイド、羽黒山伏京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻修士課程修了。生き方に悩む自分を救ってくれた山に恩返ししたいと登山ガイドに。ウェブサイトにて食べられる野草のレシピも公開。
犀川 陽子(さいかわ ようこ)
理工学部 応用化学科准教授幼少期から山菜採りや草花の観察が好きで、自然現象への関心をもつように。遠くからでも食べられる植物を見極めるのが得意。生物現象を化学的なアプローチで解明する研究に従事している。
犀川 陽子(さいかわ ようこ)
理工学部 応用化学科准教授幼少期から山菜採りや草花の観察が好きで、自然現象への関心をもつように。遠くからでも食べられる植物を見極めるのが得意。生物現象を化学的なアプローチで解明する研究に従事している。
相場 博明(あいば ひろあき)
一貫教育校 幼稚舎教諭理科の担当教諭として幼稚舎恒例の高原学校に同行し、野草の観察、採取や調理の指導にあたる。古生物学者として、新種の古代ゾウの「ハチオウジゾウ」を発見記載。
相場 博明(あいば ひろあき)
一貫教育校 幼稚舎教諭理科の担当教諭として幼稚舎恒例の高原学校に同行し、野草の観察、採取や調理の指導にあたる。古生物学者として、新種の古代ゾウの「ハチオウジゾウ」を発見記載。
2023/08/25
野草を食べた経験
私の出身地は栃木県の足尾銅山(現日光市)です。大正時代は約3万8000人が暮らし、とても栄えていました。閉山となった昭和48年、私は中学生でした。当時は1万人ほどだった人口も今は1,500人ほどです。そうした山の中で生まれ育ち、春に裏山でゼンマイやワラビ、山ウド、ギボウシなどの山菜を採って遊んでいました。
豊かな自然の中で育ったのですね。
そうですね。山菜がたくさん採れると母に褒められ、それを干してお正月に食べたりしていました。
私は化石の研究が専門で、学生時代に調査で五台山の牧野富太郎植物園(現高知県立牧野植物園)に行ったのです。数日こもっていたところ、ある日、職員の方々が野草の天ぷらパーティーをしており、そこに私も呼んでくれたのです。
彼らはそのへんにあるイタドリやヨモギ、タンポポを食べていました。野草なんて美味しいはずはないと思いましたが、「食べてごらん」と言われるままに口に運ぶと本当に美味しく感動したのを覚えています。
それが野草食の初体験になったのですね。
はい。そうした出会いがあり、私も幼稚舎に勤務することになった際に、高原学校で山菜天ぷらのカリキュラムを取り入れました。幼稚舎では毎年、立科(長野県)に行き、6~9泊ほど滞在して自然を学びます。野草の天ぷらには都会育ちの児童は最初疑心暗鬼ですが、塩をふって食べさせると止まらなくなります。恒例のカリキュラムとなり、1995年以来30年近く続いています。
私は長野県で山岳ガイドをやっていますが、生まれは東京の都会育ちです。大学卒業後は大阪で会社勤めをしましたが、都会暮らしと会社勤めが合わず、しばらくして辞め、長野県の小谷(おたり)村に移り住みました。そこは山菜の宝庫で、地元の人たちに教えてもらうと、春のフキノトウに始まり、さまざまなものが採れる。夏の初めまでは、野菜を育てなくても生きていけるほどで、カルチャーショックでした。
うらやましい環境です。
そこで自然の中から生きる糧を得る大事さを身に沁みて感じ、山菜だけでなく、キノコ狩りや釣りや狩猟と手を広げていきました。登山ガイドをしている最中に湧水を飲んでみせると、長野に生まれ育った人たちでさえ驚かれることがあります。現代人は自然から遠くなっているのを感じます。自然との繋がりを取り戻すきっかけを提供し、関わり方を継承することは自分にできる世直しかなと思って案内しています。
私もずっと川崎に住んでいた都会育ちです。幼いころ、祖父がよく近くの山に連れて行ってくれて、そこで山菜などを採って遊んでいました。一度、タラの芽を探してごらんと言われ、採ったものがすべてキイチゴの芽だったことがありました。形が似ているので間違えていたのですね。タラの芽も昔は川崎でよく採れました。
私は今、自然現象や生物現象を解明する研究をしていますが、理系に進んだのも、子どものころに図鑑をみたりしていた影響が大きかったのだろうと思います。図鑑と実物を一生懸命見比べながら、食べられる草かどうかを調べていました。植物の名前や性質がわかるようになると、毒性のものかどうかが気になり始め、その成分を知りたいというふうに興味を深めてきました。
「ここは採れそう」の感じ
わが家は現在は長野県の筑北村で暮らしていますが、夫婦でも性格が違います。僕は野草や山菜、キノコを採集したり、魚や獣を獲ったりする方が向いていますが、妻は農耕の方が楽しいらしく、弥生人と縄文人が同居しているようです(笑)。
完全に自給自足なのですか?
なかなかそうはいきません。自分自身で食べ物をとったり作ったりする大切さも知った上で、市場経済の恩恵を受けている感じです。
私も将来の夢が自給自足でした。かなっていませんが(笑)。
山菜採りは私も大好きです。春になると、どこに何があるかが大体わかります。ゼンマイはこっち、ワラビや山ウドはあっちというふうに。キノコがよく採れる場所をシロと呼びますが、子どものころは山菜のポイントやキノコのシロをいっぱい知っていたので、山菜採り名人と呼ばれていました。
初めての山でもこの感じだとあの植物がありそうといった感覚が働きますよね。
山の向きや乾燥程度で本能的にわかりますね。それは科学的な根拠にもとづいているのではなく、子どもの時から採っているから何となくわかるというだけなのですが。
キノコのこわさ、難しさ
でも昔からこわいのはキノコです。高原学校は春と秋に行っており、秋にはキノコの勉強もします。児童はキノコを採集してスケッチするのですが、野草や山菜のように食べさせることは決してしません。
私も学生時代にキノコの研究をしていましたが、こわくて食べたことがありません。研究の中でも見分けがつかない2つのキノコの成分がまったく違うことがありました。
私の母親は、私を産む前にキノコにあたって死にそうになったそうです。クリタケとナラタケが定番の地域でニガクリタケを食べてしまったらしく、1週間苦しみ抜いたそうです。そうした話は児童にもします。この2つは似ているけれど、片方は美味しくて、片方は猛毒だよと。キノコは絶対に自分で判断して食べてはいけないし、人にあげたり、もらったりしてもダメだと教えます。
素人には同じものに見えるのでキノコは本当に難しいです。
僕もキノコも野草も食べられるものを探す時には、見分けがつくポイントを必ず押さえておきます。
高原学校では児童にヨモギを採らせるのですが、葉の形がトリカ ブトと似ています。毛がいっぱい生えているのがヨモギ、毛が生えておらず葉が広がっているのがトリカブトだよと十分注意を喚起しても稀にトリカブトを採ってくる児童がいます。そういうことがあるので揚げる前には1枚1枚真剣に確認します。
子どもの頃、春の七草を集めに行ったことがありました。道端でこれはホトケノザだと思ったものが、後でコオニタビラコだったとわかりました。食べても何事もなかったのですが、後できちんと調べると、ホトケノザには毒性があることがわかり驚きました。
ベニテングダケは毒きのこで知られていますが、実はうまみも強くて、友人はそれを味わってみたいと、吐き出すつもりで少し口に入れたらしい。ところが、その美味しさに負けて飲み込んでしまったんですね。すると少しだけあっちの世界…… 愉快な世界の方なのですが(笑)、に行ったと言っていました。
野草の美味しい調理法
アクが強い野草は天ぷらが合う気がします。幼稚舎生が美味しいと言うのもわかる。タラの芽もトゲがあるけれど、天ぷらにすると美味しい。ノビルやノカンゾウはお浸しや酢味噌和えがいいですね。
煮たり、一夜漬けにするのもいいですよね。
佃煮もおすすめです。子どもの頃はサンショウやフキをそうして食べていました。ただ、子どもは佃煮が苦手かもしれない。山菜には5つの味があると児童に教えています。ぬるみ、えぐみ、酸味、淡白、苦味ですね。食べ比べて観察してごらんと言っても、同じ味だと言う。
野草は春に食べるのが良いようです。クマは冬眠明けに溜まった澱を排泄するためにそういうものを食べるそう。人間も冬は籠りがちになりますから、溜め込んだ毒素を出す本能が残っているのかもしれません。
私も野草を食べていた頃の方がお腹が強かった気がします。腸内細菌が違ったのかもしれません。今もたまに柔らかいヨモギの葉を摘んで研究室でヨモギ餅をつくったりします。
幼稚舎でも校内の敷地に生えている草を、理科の授業にも取り入れて、食べさせられたらいいのですが、いろいろあって難しいです。
そうですよね。経済成長と都市化にともない、道端の野草も食べにくくなってきました。
今は街中では難しいですね。山に入って体験すると本当に勉強になると思います。生物や化学の勉強でもあり、家庭科の勉強でもあり。
田村さんは長野県に移住する前まで、半自給的な生活をなさったことはなかったんですか?
無縁でした。記憶にあるのは、田舎のおばあちゃんがイナゴを佃煮にしてくれたことくらい。それまではタンポポが食べられるといったことも知識としては知っていたものの、実践してみることはありませんでした。長野県に移住を決めたのは、人間というよりももっと根源的な、動物としての本能が目覚めたのかもしれません(笑)。
美味しく食べるまでの手間ひま
小谷村では地元の人が野草の食べ方を教えてくれたのですか?
そうですね。住み始めはそういうこともわからず、コゴミを見せられても、ワラビですか、などと訊き返すくらい無知でした。そういう状態からおじいちゃんやおばあちゃんに採れる場所を教えてもらい、漬物や煮物を出してもらってはつくり方を訊いていました。僕は料理好きなので、自分で調理すると野草摘みも一層楽しくなります。
田村さんご自身で山菜や野草を調理なさるのですか?
そうです。母親から受け継いで一番ありがたかったのは料理をすることですね。
いいですね。私は苦手で(笑)。
野草や山菜は下処理がたいへんですよね。料理が好きじゃないとなかなか……。ツクシなんて袴を取る下処理も手間ですし、胞子で手が黒くなります。長く茹ですぎて量が小さくなってしまったりすると、ああ、もう……となります。
フキの筋を取ったり、ゼンマイの綿を取ったりするのもとてもたいへんでしょう?
そうですね。野草や山菜は美味しく食べるところまでが長い。子どもの教育にはとても良いと思うのですが。
最近、子どもが少し大きくなり、家の近くで一緒にニラやノカンゾウを採ります。まだ採ったものを分けたり、後で調理しやすいように土や枯草を混ぜないようにしたりできないのでまだまだ自分ひとりでやった方が速いですが(笑)。
そこを仕込まないと(笑)。
そうですね。でも、親子で楽しめる遊びとしていいですよね。
食べ頃を選んで採るのも大事ですよね。やっぱり柔らかいうちに採りたい。タラの芽も大きくなってしまうとトゲが痛いので。
そうですね。
逆にもうちょっと育ってから採ろうという場合もありますね。
もう少し様子を見れば可食部分を増やせるな、とかですね。ヤブカンゾウは少し柔らかい中に埋まっている白い部分が美味しいです。ノビルも引っこ抜いた時に球形のところが出てきてほしい。そういう採りやすいところから採るといったコツも必要ですよね。
野草は採りすぎ注意?
田村さんはウェブ上で山菜のレシピ集を公開されていますね。
レシピというほどのものではないのですが、コロナ禍が始まったころに食への関心が高まったようで、身近にある食べられる野草に興味がある人が増えているから書いてほしいと頼まれたのです。周りにあるものを取り上げてつくったので、お遊び程度のものですが……。
それにしてはバリエーションがすごく豊富。図鑑のようなレシピ集ですね。
いわゆる山菜というよりも、本当に道草的なものでつくりました。
調理方法だけでなくアク抜きの仕方も解説してあるのも親切です。
私も周りにあるもので調理するというノリで野草を採っていました。ツクシなどもがんばってたくさん集めたりしました。でも山菜や野草は茹でると小さくなってしまうのが難点です。
そうそう。アサツキやカンゾウも小さくなってしまう。たくさん採っても、調理すると、たったこれだけ……みたいな。
私も昔ゼンマイをいっぱい採りましたが、干してみるとずいぶん小さくなってしまったのでがっかりした記憶があります。
採る量がわずかだと、下茹でなどをすると満足できるほどの量にはならなかったりしますね。かえって手間だけがかかります。
逆に採りすぎてしまうのも大変です。夜、泣きそうになって下処理したこともありました(笑)。フキやウワバミソウは皮を剥くのがたいへんで、どうしてこんなに採ってしまったんだろうと後悔(笑)。
わかります。たくさんあるとつい採りたくなってしまいますよね。
私は小さいころにいろいろな種類を少しずつ採って、母親によく叱られました。野草ごとに茹でたり揚げたり下処理も調理の仕方も違うから、採るなら1種類だけ! と。
野趣あふれる味覚の世界
野草を天ぷらにする時に、イタドリは酸味がするとか、ワラビはヌルっとした食感が特徴だよと教えると、それを感じられる児童もいます。皆、身近な草花が食べられるとは思っていなかったらしく、苦いと思っていたら美味しかったというのは、やはり貴重な経験ではないかと思います。
幼稚舎生は大事に育てられている印象があるので、皆繊細な舌を持っているように思いますが。
でも、子どもたちは結構ワイルドで、最初は箸を使いますが、油断すると手づかみで食べてしまう児童も出てきます。そして、揚げたそばからすごい勢いでたいらげます。
たしかに野草や山菜を採るところから始めて、調理して食べるところまでを実際にやるのは教育的にもいいですね。それを味わうことはもちろん、ここで生きていたものをいただくという意味でも。
野草から少し話がずれますが、長野県に住み始めて、野菜の味がとても濃かったのは印象的でした。味のインパクトは野菜と山菜でもまた違うように思います。
そうですね。よくも悪くも山菜の味はかなり強いですよね。
近所に枝豆をつくっている農家があり、根っこが付いている状態で売ってくれるのですが、その根っこを切り落とし、枝ごと茹でて食べたら塩は要らないほどでした。
塩も要らないのですか?
それほど甘いのです。以来、枝豆には一切、塩をかけなくなりました。むしろかけてはいけない。新鮮な野菜は思っている以上に美味しく、だまされていたと思うほどです。
うちの村の小学校は自校給食なのですが、地元の野菜は味が濃すぎて生徒が食べたがらないそうで、北海道の野菜を仕入れていると。
そんな、もったいない。
でしょう? 何のための食育だろうと思います。
家庭では地元の食材をあまり使わないのかしら。
昔から住んでいる人がまだ多いので、親戚などが近くで作ってお裾分けされて食べていると思うのですが、味覚ができてくるまでは味が強いものやえぐ味や苦みが強いものは食べにくいのかもしれません。うちはそれも教育だと思うので食べさせるようにしています。子どももキュウリやトマトは大好きです。
キュウリやトマトは自分で育てることもできるし、新鮮なものは味の濃さがはっきりわかりますね。採れたてをガブッと口に含んだ時の美味しさは格別でしょうね。
農薬や肥料での汚染もないわけではないですが、土や水が根本的に違うのでしょうね。
昔はお日さまに当たっているからだよと言われました。今は植物工場のようなところで、屋内で光を当てて無菌栽培のレタスなどを育てたりもしていますね。虫食いがないのは良いのですが、やはり少し味気ない気がします。
植相の移り変わり
幼稚舎の敷地内にビオトープがあり、ちょっとした自然園になっているのですが、私が赴任した35年前と今とで野草の種類が変わっているのです。長野あたりではそうした変化を感じますか?
僕は長野県に移住してからまだ10年ほどなので、そこまではわからないのですが、それは遷移が進んでいるということですか?
遷移ではなく、外来種が入ってくることで草の種類が変わっているのです。幼稚舎では春にナガミヒナゲシ、ヒメツルソバ、アメリカフウロなどきれいな花がたくさん咲くのですが、それらはすべて外来種。私が赴任した頃はそれらはまったくなかった。そうした植物の変化がすごい勢いで進んでいます。
都心のほうが移り変わりは激しいのかもしれません。川崎もどんどん変わっていきました。タンポポもだいぶ減ったように思います。
昔はタンポポと言えば、日本タンポポと西洋タンポポがあり、西洋タンポポは総苞が反り返っているのが特徴で、日本タンポポは弱いから少なくなっていると教えられました。今は逆に純粋な西洋タンポポを見なくなりました。
幼稚舎では今も日本タンポポは見られますか?
雑種だらけだと思います。西洋タンポポと思いきや総苞の反り返り方がさまざまです。では日本タンポポかと言うと、どうもあやしい。
日本タンポポは春に咲いて西洋タンポポは1年中咲いていると思うんですが、雑種はどうでしょう?
雑種はわりと1年中咲いているような気がします。
1年中咲いているのに日本タンポポみたいな形なのですね。
そう。日本タンポポに見えるのです。両方とも食べられるからいいんですけどね(笑)。
まあ、食べるという意味では大きな問題ではないのかも(笑)。
タンポポは児童にも人気で、花を天ぷらにすると、こんなに美味しかったなんて、と皆驚きますね。
キク科はいろいろ食べられますしね。田舎でも都市化の進み具合によりますが、中心部は西洋タンポポが多く、奥に入った集落は在来のタンポポが残っている気がします。
私が一時期凝っていたスミレの花も移り変わりが激しい植物です。外来種のようなものもあれば、珍しい白い花も見られます。すごく濃い色のものもありさまざまです。
春になればあの場所にあの色のスミレが咲くはずと思っていても、街中ではどんどん変わっていき、わりとバリエーションが多いことに気づきます。川や海の近くや人通りが多い場所は移り変わりも激しいように思います。
タンポポでコーヒーを淹れる
実は昆虫もそうです。都会でも見たことがないような南方系の種が温暖化の影響で増えています。
外来種というと、外国から来るものだけを考えがちですが、日本から外国にいったものもありますよね。たとえばイタドリはシーボルトが観賞用としてヨーロッパに持ち出したものですが、イギリスを中心に大問題になっていると聞き、興味深いなと思いました。
葛(くず)も厄介で嫌がられていると聞きました。葛の繁殖力はすごいので、やはりたくましいと感じました。
たしかに葛はすごいですよね。
よく外来のセイタカアワダチソウが増えすぎて困るという話を聞きますが、葛の繁殖力はそれ以上です。さまざまなものを飲み込んでいく強さがあります。
葛も美味しいですよね。それこそ天ぷらに合う。
葛の芽は美味しいですね。
葉っぱも美味しいですよ。実は葛の花ってファンタグレープの香りがするのです(笑)。
それは知りませんでした。
見つけると児童たちに嗅がせるんです。
葛切りにする市販の商品は今、ほとんど葛から採っていないそうですね。別の植物のでんぷんを使っていると聞きます。
葛だけと言えるのは本葛と呼ばれるものだけになっていますね。
葛と言えば、風邪薬の葛根湯がありますが、実際に葛の根を採ることはありますか?
薬剤師の知り合いがやったことがあるらしく、大変だったみたいです。
昔、タンポポの根を児童に掘らせたことがあります。タンポポの根は長いので、誰が一番長く抜けるか根っこ掘り大会をしました。その根っこを乾燥させて、タンポポコーヒーをつくったこともあります。
タンポポコーヒー⁉ それはコーヒーっぽくなるのですか?
味は少し微妙ですが、一応それらしいものになりました。根っこも乾燥させたものを炒って粉にすると、お湯で出せるんです。見た目はコーヒーっぽくなります。
田村 黒くなるのはおそらく炒ってあるからでしょうね。
根っこから掘る愉しみ
私の祖父はよくヤマイモ掘りもしていて、お隣の家の敷地でもよく掘っていました(笑)。お隣さんも文句を言わずに掘らせてくれる人で、祖父はいつも自然薯を1メートルくらいの完全な状態で掘り出すのに一生懸命になっていました。大きいのが採れたぞと言ってはうれしそうに見せてくれたものです。
実際に栽培しているところでは、パイプを埋めてその中に伸びていくようにすることで掘りやすくする工夫をしていますよね。
そうですね。祖父はヤマイモが採れる場所もよく知っていて、雑木林の中でもここにあるぞと言っては私たちに掘らせてくれました。ここ掘れわんわん状態ですね(笑)。
幼稚舎では海浜学校で館山にも行くのですが、以前は宿舎の周りにハマボウフウがたくさん生えていました。ハマボウフウの根はとても長いので、やはり誰が一番長いものを掘れるか競い合っていたのですが、採りすぎてしまったらしく、ほとんどなくなってしまいました。それ以来中止になりましたが、最近はまた少し増えているようです。
タンポポもハマボウフウも、掘らないと根っこは採れないのですか? 引っこ抜けない?
掘らないとダメなんです。引っこ抜くと大抵切れてしまいます。一応記録も残してありまして、ハマボウフウは1メートル近くのものが採れたことがありました。
木の実を美味しく食べるには
野草ではありませんが、木の実はどうですか。私は子どものころ、田舎でしょっちゅうアケビを採って食べていました。
アケビは私も食べていました。
それから、サルナシやツノハシバミもすごく美味しい。昔は皆、どこに生(な)るかわかっていたので、秋になるとたくさん採りに行きました。
アケビを採る時に、長い竹の先を少し割った道具を使っていました。先端でツルをひねると簡単に採れたのですね。
そうそう。高いところに生るので、私たちも木の枝を折ったもので道具をつくっていました。
実が少し紫になると食べ頃。
いかに食べ頃を食べられないうちに採るか、獣との戦いでもありますね。
そう。獣が食べた跡があったりしました。
アケビは開く前に米びつの中に入れておくのがコツです。だんだん熟して甘くなる。土の中に埋めておいてもいい。
へー、それは知りませんでした。それなら早めに採って埋めておけば獣に食べられる心配もありませんね。
それからヤマブドウも立科山荘の周りにはいっぱいあります。これを児童に採らせるのですが、食べたことがないととても酸っぱく感じる。それでも子どもたちは喜んで食べます。もちろんアケビも採れるのでそれも食べさせると、皆甘いと言って驚きますね。種が多いのは少し食べにくいようですが。
アケビを初めて見た児童はイモムシのように見えるでしょうね。
中身もどこかおどろおどろしいですしね。私はキイチゴもよく食べたな。クコやグミも、見つけるとちょこちょこ食べていました。
あとはクワノミかな。
ああ、そうですね。
クワノミは黒くなった頃合いのものが甘くて美味しいですよね。それも虫や鳥との戦いですけど。
毒だけど美味しいかも問答
木の実にも毒をもったものがあるので注意はしています。ヒョウタンボクなんていかにも美味しそうに見えますし、真っ赤なマムシグサの実も一見食べられそうに見える。
木の実もキノコも同じような色をしているのに、危ないかどうかで微妙な色の違いがありますよね。
そうですね。毒があるものは、そういうオーラを放っている。
毒々しいものほど色が鮮やかで、それは警告しているのか、誘っているのか……(笑)。
毒の有無も、この赤は違うなという感じで直感的にわかるものもありますよね。猛毒のベニテングダケと美味しいタマゴタケはそっくりですが、ベニテングダケの方はなぜかどう見ても美味しそうに見えない。
その違いがわかるのは、後天的な学習と本能的なものとが合わさった人間ならではでしょうね。そういう知恵が蓄積されるまでは数限りない人が死んだ歴史がある。
以前、中間テストの問題について面白いことを言った児童がいました。私はこういう問題を出したんですね。「ヤマトリカブトはとても美味しい。だから食べてもよい。〇か×かで答えよ」と。もちろん答えは×ですが、ある児童から、ヤマトリカブトを食べたことがないのでわかりません、もしかしたら毒でも美味しかったらこの問題はどうなるんですか? と質問がきた。
たしかに美味しいかもしれない(笑)。美味しいのと毒があることはまた別の問題ですね。
そうなんです。人間は進化の過程で毒があるものは苦いという感覚を身に付けてきたので、一般的には美味しくないとは言えるのですが、なかなか鋭いと思いました。
苦さには何となく特別な感じがありますよね。生薬や漢方、スパイスはともすれば危ないと思うようなものでもある。トウガラシも最初に食べた人はきっと、うわー辛っ!となったはずですが、今ではスパイスとして美味しいことになっているし、保存にもいい。それもすべて長い歴史の中で上手な使い方の知恵が蓄積されたからこそですよね。ワサビだって最初に食べた人のことを思うと……。
初めて食べた人はよく口にしましたよね。
長野県に自生のワサビはありますか。
ありますよ。さすがに根っこから掘ってしまうと絶えてしまうのでしませんが、ワサビ菜を摘んで食べたりします。
立科山荘にも天然のワサビがあるんですよ。誰にも教えていない秘密の場所に自生しています。水がきれいなところに行くとありそうだなと感じます。
幼稚舎生はワサビ菜も食べられるのですか?
私が葉っぱを少しだけ採ってお試しで天ぷらを出すことはあります。ほら、ワサビだよと。
ワサビ感は残りますか?
残りますね。天ぷらでもやっぱりそれらしい風味があります。
獣害と自然環境の変化
幼稚舎の敷地で草花の種類が変わっているとおっしゃっていましたが、立科のほうでもそういう変化が見られるのですか?
すごい勢いで変わっています。私が赴任した当初はマツムシソウや秋にはキリンソウが生えていてお花畑でした。ところが、今はほとんどありません。最初の頃は本当にたくさんの草花が咲いていたので子どもにいろいろなことを教えられたのです。なにしろ100種類ほどの花が咲いていました。でも今は花が全然ない。山菜もかつては山ウドが採り放題でしたがそれもほとんどなくなってしまいました。
山ウドもアクが強い山菜ですよね。幼稚舎生も食べるのですか。
アクをとれば山ウドは子どもでも美味しく食べられますよ。
そうですね。芽も食べられるし、皮を剥けば茎も美味しい。
私は酢味噌が好きです。
幼稚舎生には天ぷらで出します。酢味噌で食べさせたこともありますが、人気がなかったなあ。
立科の植生が変わったのはシカの影響が大きいのでしょうか。
そうなのです。シカが増えて野草を食べ尽くしてしまいました。山荘のグラウンドもシカの足跡だらけです。一方で、立科では自然の遷移も起きていて、白樺の木をたくさん植えてしまい、それが大きくなり、下はミヤコザサだらけです。そういう植相の変化とシカ害の両方の影響ですね。
私も以前研究を兼ねて何度か登った丹沢のブナ林にはシカがけっこういる気がしました。立ち枯れなども問題になって木が減っていたり、下草の様子が変わっていたりするのを感じました。
山では、八ヶ岳や南アルプスの高山帯までシカが進出して高山植物が食べられてしまい問題になっています。今では北アルプスのほうの上高地などにもシカが入ってきます。今は通りがかるだけですが、いずれ定着してしまう可能性が高いので、そうならないように対策を打とうとしています。
対策というのは柵を立てたりするのですか。それとも捕まえるのでしょうか。
まずは駆除ですね。追い払ったり捕まえたりする研究が進められています。
地域ごとに獣害対策をしないと増え続けてしまうのでしょうね。
そこにはいろいろな原因があります。山にたくさん植林した結果、動物が食べるものがなくなって麓に出てくる場合もありますし、生活のために山に入らなくなって山と里との緩衝地帯がなくなって里に下りやすくなっている場合もあります。温暖化で冬を越せる個体が多くなっているのも原因の1つです。
クマの被害もよく聞きます。
猟によって獲られる数が減ったのも原因です。
そのバランスが難しいですね。
部分最適だけを考えるとおかしなことになるので、全体を見て対処しないといけません。その時に自然と接した経験がとても重要です。自然は複雑であると身体でわかっていないと、頭で考えたことだけでうまくいくはずだと思ってしまいます。そういう人が増えすぎると社会はおかしな方向に進んでしまいます。
自然との関わり方を知る
自然は複雑なものだということは、私もよく感じます。化学だと短絡的にシンプルな経緯で決着をつけたくなるのですが、なかなかそうはいきません。生き物を使った実験だとなおさらそうです。無理に外れ値を見ないわけにはいかないので、そういうものを全部含めて生き物の行動なのだと思うしかない。環境を見ても、こちらを立てればあちらが立たずといったことが繰り返されている感じがします。
私も長年、理科教員をやっていて、「採集理科」と名づけていますが、子どもたちにできるだけ採集させてあげることが自然を好きになる近道だと思っています。今は自然離れと言われ、まさにそのことを実感しますし、だからこそ実体験が大切なのですね。
私は30年前から野鳥も教えていて、高原学校でも生徒たちに野鳥の種類を熱心に教えてきました。それに取り組もうとしたのは、以前キジの鳴き声を子どもたちがサルの声だと言っていたからです。それはショックでしたが、同時に鳥のこともきちんと教えようと思いました。
理科の教科書や指導要領に鳥は一切出てきません。身近に鳥がいるのに、どうして学校で教えないのだろうと思います。子どもはウグイスの鳴き声を知っているけど、個体そのものを見たことがない。それは残念なことです。
鳥は都市部にもけっこういますよね。決してスズメやカラス、ハトだけではない。シジュウカラやメジロもよく見ます。見つけるとやっぱりかわいいなと思いますし。
そうなのです。だから教育でももっとそういうことをやりたい。高原学校もその一環ですね。
私も山岳ガイドとして、小中高校生の学習旅行や、子どもや家族向けの登山クラブを案内することがあります。実は長野県に住んでいても、意識しないと自然に関わる機会は多くありません。親が接した経験も少なくなっているので、関わり方も知らない。そこから教える必要があると感じます。
山登りに行くと、いろいろなことが新鮮でしょうね。
そうですね。やはり教えてあげると、自分たちが見えている世界がすべてではなくて、いろいろなことが遠くまで有機的につながっているのが見えてくると思います。
実際の自然と接し続けるかどうかはともかく、自然や宇宙と繋がる自分なりのチャンネルを何か持てるように導いてあげたいですね。
(2023年6月22日、三田キャンパスにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。