慶應義塾

Jazz Moves On!

登場者プロフィール

  • 服部 真二(はっとり しんじ)

    その他 : 一般財団法人 服部真二 文化・スポーツ財団 理事長その他 : セイコーグループ株式会社 代表取締役会長 兼 グループCEO 兼グループCCO経済学部 卒業

    1975年慶應義塾大学経済学部卒業。Jazz&Pops三田会(JPM)会長。

    服部 真二(はっとり しんじ)

    その他 : 一般財団法人 服部真二 文化・スポーツ財団 理事長その他 : セイコーグループ株式会社 代表取締役会長 兼 グループCEO 兼グループCCO経済学部 卒業

    1975年慶應義塾大学経済学部卒業。Jazz&Pops三田会(JPM)会長。

  • 井上 幹(いのうえ かん)

    その他 : エクスペリメンタル・ソウル・バンド「WONK」ベーシストその他 : 作曲家その他 : アレンジャー法学部 卒業

    2013年慶應義塾大学法学部卒業。勤務するゲーム会社ではゲームサウンドデザインを担当。

    井上 幹(いのうえ かん)

    その他 : エクスペリメンタル・ソウル・バンド「WONK」ベーシストその他 : 作曲家その他 : アレンジャー法学部 卒業

    2013年慶應義塾大学法学部卒業。勤務するゲーム会社ではゲームサウンドデザインを担当。

  • 中川 ヨウ(なかがわ よう)

    その他 : 音楽評論家研究所・センター アート・センター訪問所員

    洗足学園音楽大学名誉教授。2020~22年度慶應義塾大学アート・センター設置講座「Jazz Moves On!」担当講師。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。

    中川 ヨウ(なかがわ よう)

    その他 : 音楽評論家研究所・センター アート・センター訪問所員

    洗足学園音楽大学名誉教授。2020~22年度慶應義塾大学アート・センター設置講座「Jazz Moves On!」担当講師。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。

2023/07/25

アメリカンポップスからジャズへ

中川

本日は、音楽が大好きな3人が集まりました。服部さんはスキーやテニスがお得意で、学生時代は音楽をなさっている印象はなかったのですが、どういうきっかけで音楽に熱中することになったのでしょうか。

服部

私は昨今、音楽には大きな力があると信じるようになりましたが、特に音楽を勉強してきたわけでもないのです。2011年の震災直後から東日本応援コンサートを開催するため、東北被災3県に毎年通い続けています。被災地の宮城県多賀城中学校を訪れたのがきっかけで合唱曲を作曲し、生徒に作詞をしていただいて、2021年にはコンサートで披露しました。このような活動をしているのは音楽の力を信じるが故です。しかし、もともとこんなに音楽の力を信じていたわけではありません。

小さい頃、私の叔母の服部豊子が、上皇陛下のお母さま香淳皇后にバイオリンを教えさせていただいていた。その影響で、バイオリンの先生に習いましたが、練習が嫌で嫌で(笑)。

昭和36、7年ぐらいですか、当時、SONYのトランジスタラジオで聞いていたのがアメリカンポップスなんです。ビートルズ登場以前です。当時はラジオと言うと、「S盤アワー」とか「FEN」。1位から4、50位ぐらいまで、全米チャートで上昇している曲をかけるんです。

中川

赤丸急上昇の曲ですね。

服部

「次の曲は48位から22位に一挙にランクアップ」とやっていて、ずっと聞いていたので、その時代だけは詳しいんです。ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシスとかね。全部好きでしたね。

中学2年の時にビートルズが来日して熱狂的なブームになりましたけど、やはり私の原点はアメリカンポップスなんです。一番好きなのは、エルヴィス・プレスリーですね。それから日本ですと、グループサウンズや加山雄三さんが登場してきて。

ただ、私は聞いているだけだったんですよ。皆がギターを弾くから、僕にもギターを買ってくれと言ったら、贅沢だと言って、ウクレレを与えられた(笑)。バンドには入ったことがない。「皆いいなあ、すごいなあ」と思いつつ、私はひたすら聞くだけでした。

中川

その頃は歌っていらっしゃらなかったんですね。

服部

ええ。カラオケに行ったりギターをかき鳴らしていましたが、40代になって初めてCDをつくったんです。自分でギターで作曲して。

そのとき音楽というのはアレンジによってこんなに違ってくるのだと、はじめてわかりました。そこから病みつきになった。私はそういう単なる音楽愛好家です。

中川

でも音楽愛好家が、CDをつくろうというのは行動的ですよね。

井上

すごいです。

服部

ジャズに興味を持ったのは、やはり40代ぐらいからかな。スタンダードジャズをいいなあと。

ある時友人からご紹介いただいてジャズ界の大御所、穐吉敏子さんと食事をしました。忘れられない言葉があったんです。「クラシックというのは難しい曲を弾いたほうが勝ちなのよ。でもジャズは『キラキラ星』を弾いても、難しい曲に勝てるの」と。面白いなあと思って。

ジャズは即興でぶつかり合うじゃないですか。あれには大きなエネルギーを感じます。素晴らしいなと思い、それでジャズに興味を持つようになりましたね。

でもやはり私は、歌のあるスタンダードジャズのほうがどちらかというと好きなんですね。

中川

ご自分が歌が上手いと気がついたのはいつですか。

服部

あまり上手いと思っていません。ちゃんと習い出したのは10年くらい前です。特に発声とかを勉強したのは本当にこの5、6年です。ジャズというのは英語なので発音が大事ですからね。音程は自分の録音を何回も聞いて、どういうときにピッチが悪いかを勉強するようになりました。

社会貢献のためのコンサートや、世界各国での会社のイベント、大使館などで歌っています。

10年程前、ベルンの在スイス日本国大使館でのパーティで、欧州各国の駐スイス大使が大勢参加されました。大使館の方は席次に相当気を使っていましたが。イタリアのバンドで私が歌うと、最後は国境を越えて笑顔で1つの輪ができました。海外で音楽の力を体感した最初の出来事でした。

ジャズが流れる家庭で育って

中川

素晴らしいことですね。井上さんはジャズとの出会いはどのようなものだったんですか。

井上

慶應は大学からですが、僕は両親がジャズミュージシャンで、父親がサックス、母親はピアノだったんです。もう生まれた時から、ジャズの中という環境で育ちました。自然と音楽は好きになっていくのですが、僕も親から言われてピアノを習わされたのが、本当に嫌で嫌で(笑)。厳しいことを言われるのでやりたくなくなって、小学6年生ぐらいから、小さな反抗でギターを始め、ジャズ以外の音楽も聞くようになりました。

小学校から高校ぐらいまでは、「ジャズはちょっと」という感覚がありましたね。

中川

家庭でずっとジャズが鳴っているわけですか。

井上

そうなんです。それで当時流行っていたロックバンドに傾倒したり。高校生ぐらいまでは、いわゆるオーセンティックなジャズに少しアレルギーがありました。でも大学に入って慶應のサークルを覗いてみると、とてもハイレベルで、この人たちは何のために大学に来ているんだ、というような楽器奏者がジャズにもゴロゴロいまして。

中川

プロのミュージシャンのようなレベルですよね。

井上

そういう人たちを見ると、こんなに高度なことができるんだったらジャズも楽しそうだと思えてきて、そこでやっと自分もジャズをやってみようと決心がついた感じです。

中川

今、所属されているWONKさんは、素敵なメンバーが4人で結成したグループですね。ボーカルの長塚健斗さんとは、高校の時から一緒にバンドをなさっていたんですね。

井上

そうです。高校からの友人で、高校生の時はロックバンドを一緒にやっていました。大学に入って、いろいろなつながりからWONKを結成する時に、たまたま彼も参加。それは本当に偶然だったんです。

中川

面白い。

井上

大学の頃は彼も、小さなジャズクラブのようなところで、ジャズスタンダードを歌っていたんです。僕もジャズといろいろなジャンルのクロスオーバーに興味があって。荒田洸(ドラムス)と江﨑文武(キーボード)はジャズ研だったので、ジャズという1つのキーワードで4人集まったんですね。

中川

なるほど。その荒田さんがやはり慶應。江﨑さんが芸大の出身ですね。

服部

中川さんは子供の頃からジャズ好きだったのですか。

中川

私は、幼稚園から幼稚舎にかけて、父が運営していた児童福祉施設のブラスバンドのマスコット指揮者をしていました。親御さんのいないお子さんが、まだ学校などで辛い目に合うことが多い時代です。音楽好きだった父が考えついたブラスバンド活動。そこで、ジャズも少々やっていた。お子さんたちが音楽活動をすることで、自信と明るさを取り戻す姿を見て育ち、音楽って素晴らしいなと肌で感じていました。

実験的な「ソウル」を目指す

服部

WONKさんの音源を聞かせていただきました。「エクスペリメンタル・ソウル・バンド」ということですが、どういう意味でしょうか。

井上

ソウルというのは、いわゆるマーヴィン・ゲイなどオールドなソウルという意味ももちろんあります。皆、そういう音楽もすごく好きなので、その影響を受けたことを示したい。それともう1つは、何か心、魂に来る音楽をやりたいという意味合いもあるんです。実験的だけどストレートに魂に来るものはなかなかないなと思っていたので。

一見複雑だけど、聞けば心に響くものを目指す、という意味でエクスペリメンタル・ソウル・バンドとしました。

服部

なるほどそういう意味ですね。曲を聞かせていただきましたが、今、おっしゃったマーヴィン・ゲイの『What’s Going On』にちょっと透明感が似ていますね。

井上

そうですか。根底にはそういうソウルミュージックやジャズがあって、それを実験的に自分なりに解釈しようというバンドです。

中川

WONKという語は、スラングなのですが、オタクといった意味ですね。

井上

はい、いろいろな意味があって、もう少し悪い、変なやつみたいな意味もあります(笑)。

あとは「揺らぐ、ひねる」みたいな意味もあって「ちょっとひねた人たち」という意味合いもあるのですが、実はジャズピアニストのセロニアス・モンク(Thelonious Monk)のMを逆にしてつけたのですね。

服部

新作の『artless』でしたか。あれは今おっしゃったような、いろいろなジャンルの音楽が融合していていると思うのですが、その基になるものはどういうものですか。

井上

僕の場合、根幹を言えばやはりジャズとビートルズみたいなところになってくるんですよね。

でも、それは自分の意図した根幹というよりは、やはり育った環境で聞かされてきた音楽が多分に影響している。親がずっとスタンダードジャズを演奏していたわけですので。

自分の根幹になっているのは、きっとそういうものなんだろうと思いつつ、ソウルミュージックや70年代のアース・ウインド&ファイアーのようなファンクミュージックのようなものが、自分で摑んできたルーツとしては重要に思っています。

音楽とスポーツを支援する活動

中川

この度、慶應義塾大学アート・センターの設置授業として、3年間にわたり「Jazz Moves On!」という授業が開講され講師を務める機会に恵まれました。服部真二 文化・スポーツ財団が助成してくださいまして本当に有り難いことでした。

慶應義塾とジャズは、実は戦前からとても深い繋がりがあります。日本最初のジャズ・ソングのレコーディングは、1928年3月の『菊池滋弥とレッド・ブリュー・クラブ・オーケストラ』(ニッポノフォン・レコード、後の日本コロムビア)によるもので、曲は「My Blue Heaven」。邦題は、「あほ空」でした(笑)。バンド名から察せられるように、リーダーでピアニストの菊池以下、益田智信(tp)、坂井透(banjo)、高橋宣光(ds)と大半が塾生でした。益田家でレコーディングされたと聞いています。慶應義塾がジャズ・レコーディングのルーツ校でもあるのです。

そんなことをお話ししているうちに、服部さんが、「それでは慶應でジャズの歴史の授業があってもいいね」と言ってくださって講座が創設できたのです。服部財団の創設の意図や経緯をお話しくださいますか。

服部

今年6年目を迎えますが、きっかけは昨今、戦争や異常気象で、世の中で苦しんでいる人がいる。そういう時こそ音楽の役割、重要性というのは見直されると思うのです。ジョン・レノンの『イマジン』も、ベトナム戦争の停戦活動に影響を与えたわけですよね。ですから音楽というのは、国境、人種や世代を超えて、人類を1つにできる力があると思うのです。スポーツも同じです。

音楽やスポーツで挑戦する姿を見ると、社会の人々は感動をもらって勇気づけられる。そういうことから服部真二 文化・スポーツ財団をつくって、今まで大体1年に6、7人、スポーツと音楽で活躍されている方々を表彰し、応援してきました。中には世界に羽ばたくような人も出てきています。現役だけでなくて、それを支える方々も表彰しています。

中川

パラリンピックの選手の伴走をされる方や義足をつくる方など、普段ですと光が当たらない方にスポットライトを当てて表彰される点も意義深いと感じています。

後からよくぞあの人を服部財団が見つけたという方もいます。服部良一さんの曾孫に当たるバイオリニストの服部百音さんなどは、5年前に表彰されて、今やスターですね。

服部

現在、幼稚舎生の吉村妃鞠さんもバイオリンの世界コンクールで数多く1位をとっているんですよね。すごい人がいるなと。

財団のリーフレットには、世界に挑戦する音楽家やアスリートを応援と書いてあるのですが、それも少し広がってきて、紀平凱成さんという、自閉症のピアニストの方とかスポットのなかなか当たらない方も表彰して、こちらも勇気づけられています。ハンディがあっても音楽の力で乗り越える勇気ですね。

先程申し上げた東北の被災地支援でも、宮城、岩手、福島の3県で演奏会を行い、ブラスバンドの子どもたちに、腕時計型のメトロノームを差し上げたり。日本の将来は子どもたちにかかっていますから。

「Jazz Moves On!」の授業

中川

素晴らしいですね。助成いただいた慶應の授業、「Jazz Moves On!」は、「拡張するジャズ」というような意味でつけさせていただき、新しい試みをさせていただきました。

これは慶應義塾大学アート・センターが設置した初めての授業だったのですが、どの学部からも受講することができたのです。本当に全塾から来てくださったので、いろいろな方にジャズの面白さや歴史を話すことができました。

また、ゲスト講師が来てくださった時も、音楽を演奏し、かつ講義をしていただけました。そのようにレクチャー&コンサートのような授業ができたのも、アート・センター設置だからでした。

服部

それは画期的でしたね。

中川

2020年度、ちょうどコロナ禍に授業が始まり、すべてリモート授業でのスタートになってしまったのですが、お蔭で、全講義をリモートで撮影して、全てアーカイブで残すことができました。それは嬉しかったです。慶應義塾に脈々と流れていたジャズの歴史を1つの授業で束ね、また拡張することができたかと感謝しています。

きっと30年後には新しい事実が見つかって、あの頃中川が間違ったことを言った、なんてこともあると思いますが、それは研究の礎にしていただいて、批判の対象になれることも嬉しく思います。

服部

ジャズの歴史は変わってきたのですか。

中川

調べれば調べるほど、ジャズの歴史は変わってくるのです。つい10年前までは、ジャズはニューオリンズで生まれたということになっていましたが、今はアメリカの南部全体で生まれたことになっている。

アフリカ大陸から奴隷として拉致されてきた人は、アメリカに来る途中、カリブ海の島々で一定の期間、奴隷として使役された後、アメリカ大陸に渡ってくるので、カリプソとか、カリブの音楽の影響を多く受けています。

そして南部で一番大きい奴隷市場があったニューオリンズから、様々なところに奴隷として売られていく。ジャズはニューオリンズで始まったと思いがちですが、始まったのは、当時、奴隷として働かされていた人々が住んでいた様々なプランテーションだったという事実がわかってきたのですね。

多様なミュージシャンを生む塾の風土

中川

塾生の音楽サークルの話をしたいと思うのですが、井上さんが塾生だった2010年頃は、すでにいくつも部に入るという動きがあったんですね。

井上

はい、そうですね。

中川

それは慶應では、割と新しい動きなんですけど、音楽ではどんなサークルがありましたか。

井上

ジャズではもちろんジャズ研があり、クロスオーバー研究会があり、あとはモダンシャックス。

中川

そしてKALUAがあり。ビッグバンドが2つありますね。ライトミュージックソサイェティとKMP。ライトが日本最古の学生ビッグバンドです。

井上

あとはポップス研究会、シャンソン研究会。

中川

津軽三味線のサークルもありますね。本当に多岐にわたるジャンルのサークルがあります。

井上

ただ一部のサークルは、名前が創設時のまま中身が変わっているところが結構あって。例えばオフコース研究会というのは、たぶん当初はオフコースの曲をやっていたんでしょうけれど、今はバンドサークルで何をやってもいい。

シャンソン研究会も、当時はシャンソンをやっていたと思うのですが、今は各々好きな音楽をやっています。やはり歴史ある慶應義塾だからこそ、いろいろ変遷があって今の姿がある。

本当に表題どおりの音楽をやっているのは、クロスオーバー研究会、ジャズ研、あとはライトミュージック。

中川

KALUAも、昔はハワイアンから始まって、ボーカルが上手い方たちが入るクラブだったんです。今はR&Bとかやっていますよね。

服部

戦後の日本はハワイアンが流行った時代があったわけですよね。ハワイアン三田会というのがありますが、80代、90代の方がたくさんいて演奏もしておられます。今はハワイアンの研究会はないんですか。

井上

KALUAとモダンシャックスは、設立当初はハワイアンのサークルだったんです。

僕も両方のサークルに所属していたんですが、KALUAのOB会に行くと、80代の方がスチールギターでハワイアンをやって、次は若者がR&Bをやるみたいな感じです。

中川

ライトの創立が1946年、戦後すぐですが、その頃にたくさんクラブができている。慶應では戦前から軽音楽も塾生の間で盛んで、それが戦後きちんとしたサークルの形になっていった。

服部

ライトはすごく有名なミュージシャンを輩出していますよね。北村英治さんなんて今も現役でしょう。

中川

そうです。94歳で素晴らしい演奏家です。

服部

すごい方ですね。一度ご挨拶させていただきました。

中川

素晴らしいですね。授業「Jazz Moves On!」に教えに来て下さったライト出身ミュージシャンは、即興演奏家の佐藤允彦さん、トランペット奏者の島裕介さん、福田組というコンテンポラリー・ビッグバンドを率いる福田葉介さんがいらっしゃいました。慶應義塾出身の方では、ピアニストの林正樹さんと伊藤志宏さん。WONKから荒田洸さんと井上幹さん。塾外からは、ジャズ作曲家の挟間美帆さん、人気ドラマーの石若駿さん、ギタリストの井上銘さんと実に多彩でした。ジャズ以外からも、アルゼンチン・タンゴの小松亮太さん、三味線の上妻宏光さんがゲスト講師としてご来塾下さいました。

村井邦彦さんも、プレイヤーにはならなかったんですがライト出身で、YMOなどを輩出したアルファミュージックという会社をつくられた。

服部

大作曲家ですよね。

中川

そうですね。もっと広く慶應義塾出身の音楽関係者と言えば、加山雄三さんもいらっしゃるし、石原裕次郎さんも歌手と言ってもいいですし。

服部

世間の方々は日本初のシンガーソングライターは加山雄三さんだと思っていますよね。ところが日本初のシンガーソングライターは、日本でハワイアンが流行っている頃、ハワイアン歌謡曲をつくった慶應の大橋節夫さんなんです。

中川

そうかもしれませんね。

服部

十数年前に大橋さんのラストコンサートを見にいったのですが、ゲストはペギー葉山さんでした。もう亡くなって20年近くかな。

彼はよく言っていましたよ。スチールギターを庭でやっていると、裕ちゃん(石原裕次郎)が庭で見ているんだと。笈田敏夫さんはジャズでしたね。幼稚舎の友人同士です。

古くから、あらゆる分野で世の中に影響を与えた慶應出身のミュージシャンがたくさんいらっしゃるんですよね。

加山さんが日本のポップス界に与えた影響は素晴らしいですよね。あの方に憧れた桑田さんやユーミンさんはじめ、数え始めたらきりがありません。

アドリブの妙味

中川

私はジャズはやはりアドリブ、即興演奏が肝かなと思うのです。幹さんは即興も得意とされていますね。

井上

得意かどうかは置いておいて、本当にその瞬間に音楽に入り込めれば一番楽しいですよね。

アドリブというのは不思議で、もちろんそのとき感じたことを、周りの和声に合わせてどうやって表現していくかという、アート的側面もとてもあるのですが、一方ではスポーツ的、コンペティションな側面もある。どちらのアドリブがすごいかを交互にやってバトルしていくような。

いわゆるビバップ時代のジャズはそういうことがすごく苛烈に行われていたと思うのです。アドリブが持つアート性と競技性みたいなところを自由に行き来できるダイナミクスは、ジャズの面白いところかなと思っています。

服部

ぶつかり合いですね。

井上

そうなんですよ。一見、スポーツと音楽は関わりがないように見えて、すごく関係あるなと思っています。

スポーツの競技性と肉体や所作の美しさみたいなところと、ジャズで言うアドリブの競技性とアート的側面のダイナミクスは、とても似ている。スポーツと音楽は、ジャズをやっている人間からするとしっくりくる組み合わせで、アート性も競技性もあって、精神的にも肉体的にも高め合うような力があるという共通点があると思っています。

服部

スポーツもアートですよね。トップクラスに行くとほとんどメンタルですから。

井上

トップアスリートの方のインタビューの気持ちやメンタリティの話はミュージシャンにも通じることがあるなと非常に感じます。ジャズのアドリブというのは、そういうあらゆるものを包み込む、すごくダイナミックな営みだと思います。

中川

それでいて独立自尊なところがないとだめですし。

服部

もうお亡くなりになりましたが、前田憲男さんという有名なピアニスト、編曲家の方は、あるジャズピアニストとバトル、競争したと言っていました。

前田さんが10秒ぐらいアドリブでワワッと弾くと、こちらがまた10秒。弾けなくなったら負け。何時間やったんですかと言ったら、4、5時間ぐらいやりましたと。

デュアルワークという選択

中川

私が井上さんを新しいと思ったのは、義塾を卒業された時に、会社員になることを選ばれたことです。最初から会社員と音楽家の、二足のわらじ、今の言葉でデュアルワークを選択された。

井上さんの時代ぐらいから、塾生に、「主楽器は何ですか」と聞くと、「コンピュータです」と堂々と言う人が出てきた。コンピュータで音楽をつくること、そしてDAW(Digital Audio Workstation)などを使って音楽をつくることが一般化したんですね。

井上

僕の場合、自分が当初やっていた音楽は、クロスオーバーやジャズだったので、プロとしてそれで生計を立てるには市場規模が小さいなと正直感じていました。

大昔は市場規模が小さくても、アートとして価値があれば、パトロンがいて、その人たちが生計を立てさせたこともあったと思うのですが、最近はマスをとれるものが音楽のプロになると思うのです。でも、自分がやりたいことは、マスを取れるわけではないな、という確信があって。

中川

なるほど。謙遜ではなく。

井上

そうですね。かつ、自分がやっていることにパトロンがつくこともないだろうなと。ですから自分が自分のパトロンになるという感覚で、会社員で生計をたてる一方、音楽は自由でありたいという道を選んだんです。

中川

ビジネスマン・井上幹がミュージシャン・井上幹のパトロンになる。どちらが主というわけではないんですね。

井上

そうですね。やはり生活というのは全ての基盤ですから。そこを投げうって、自分の好きなことだけをやるのは、自分には合っていないと思って。

中川

それ、新しい考え方ですよね。慶應の音楽家志望の方には割と向いた考え方だと思う。

服部

今はそれが許される時代ですから。昔は企業で作曲家として活動される方は本当に少なかった。『シクラメンのかほり』をつくった小椋佳さんくらいですよ。あの方は旧第一勧業銀行。最後は本社の部長で、地方の支店長もされました。

井上

もちろん会社が変わってきたというのもありますし、音楽に関しても、先人たちが積み重ねた知識のようなものがまとまってきて、それを吸収するのが、僕らよりも若い世代は速くなったということもあります。どんどん学習の時間が短くなっていくのです。

ですから働きながら音楽をつくる時間が、運よく確保される世代になりつつあるのは実感しています。

中川

ゲーム会社に就職されたわけですが、会社でも音楽をつくろうと思われたのですか。

井上

僕が就職したグリーという会社は、当時儲かっていたので新規事業をやる資金が潤沢にあると思っていたんです。15年前はSpotify とかApple Music はなかったので、新しいWebの音楽サービスをやりませんか、と面接で言ったら入れてくれたんです。

だからそういうことをやるつもりだったのですが、社内の事情が変わり、ゲームで使う音楽をつくる部署で、いわゆる効果音をつくる仕事をしています。

服部

お世辞ではなく、WONKさんの音楽はいいですよ。

中川

あの音楽、息抜きになりますよね。

服部

昼下がり、海の前で聞いたりしたらいいですね。

中川

『artless』は合宿してつくられたんですよね。皆で同じ山小屋の中で寝起きして。ともに朝のコーヒーを飲んでつくっていたので、あんなリラックスした感じになるんだと思いますね。

服部

今、本当に癒しが必要な時代ですからね。

音楽は変わっていくのか?

中川

これからどんなメディアで音楽を聞いていくかという話題がよく出てきます。ちょっと怖いのですが、近い将来、脳内チップを入れて音楽を聞くことが可能になる、という話があるのですがどう思われますか。

服部

いや、入れたくないですね(笑)。そういう世界が現実として、イメージしにくいですね。

中川

割と早く実現すると思います。でも、チップが自分のパルスを読んでくれて、「今のあなたのパルスはこんな感じだから、こういうメロウな音楽を聞きましょう」なんて言われたら、ちょっとおせっかいな気がします(笑)。やはり自分で選んでいきたいという思いがある。

あとWONKさんの素晴らしいサウンドもそうですが、生の音楽の素晴らしさというのは、再生音楽、複製音楽とはまた違うと思うんですよね。いくらいい音響装置で聞いても、生で聞いた感動はまた別。あの演奏家と私が一緒の空気を吸っているとか、かいている汗などが感動の要因になるので。生の音楽の素晴らしさは不変です。

服部

やはりライブなんですよね。

井上

はい、それこそアドリブが肝というか、演奏が毎回違うというところに良さがあるんですよね。

中川

そうそう、ジャズではいつも同じことはしない。

井上

同じ曲を聞いても毎回違うし。もちろんジャズスタンダードを歌った場合も、毎回違うフェイクが入っていたり、節回しが少し違うとか、人によって歌い方が全然違うところがライブで感じる面白さなので。

服部

同じ歌手でも、体調によって微妙に声が違ってきますからね。

井上

やはりボーカルというのは人を引きつける不思議な力がありますよね。楽器にはない、根源に訴える力みたいなのがある。

ボーカロイドの音楽を聞いてもやはり声とは認識できないですよね。それは音が違うからというより、もっと根源的に人の声というのは、例えば危険を察知する声とか悲鳴とか、怒っているのか悲しいのかみたいな、根源に訴えるニュアンスみたいなところがすごいと思うからです。

中川

エモーションですね。ヴントの「感情起源説」は、歌の起源説の1つになっています。

服部

情緒なんですね。「あ」とか「い」とか、特に母音の1語の中に悲しみとかうれしさとかが籠められている。

井上

ボーカロイドやAIが、どこまで根源に訴える力を持てるのかは興味がありますね。ボーカロイドと人の声が、将来本当に自分の直感で判別できなくなったら、これはすごいことだと思います。

中川

AIでやる音楽が人を感動させるという瞬間はもう見えています。感動にも度合いがありますので、どこまでこちらの魂が揺さぶられるか。次の日になっても覚えているか。メロディを歌ってしまうかと考えると、これはわからないですね。

井上

自分が歌うとか、自分が演奏するということの良さは結局、身体性を持っているからですね。どんなに人間の声と見分けのつかないAIが出てきても、それは失われないと思うんですよね。

どんなにつたなくても、自分が歌うとか、自分が演奏するという営みにフォーカスされていくのかもしれないですよね。

服部

そうするとライブなんですよ。

中川

では、どんどん歌っていただかないといけない(笑)。

拡張するジャズの未来

中川

服部さんは音楽教育の一環として“セイコーサマージャズキャンプ”というものをやっていらっしゃいますね。これは夏休みの5日間、ニューヨークの一流ジャズミュージシャンを日本に招き、無料で、日本の学生さんを主とした受講生にジャズを教えているのですね。

服部

そうですね。本場の一流のミュージシャンに若手が触れる機会をつくってあげたいという趣旨です。将来音楽に関与しない仕事に就く人でも、ジャズの歴史や文化、背景を学ぶことによって人間の幅も広まりますしね。一流の講師から直接学べるのは励みになると思います。実際にプロが数人出ているのです。

中川

例えば中村海斗君というドラマーのお母さまにこの間お目にかかったら、サマーキャンプに入れることで、海外に留学に行かなくても、本場アメリカの先生たちが来て、様々なジャズの知識を教えてくれたと。

日本だと、どうしても音楽教育も真面目になってしまいがちですが、この先生たちは、ジャズの楽しさを教えてくれる。教育の仕方も日本と違うところがあります。

服部

社会貢献の一環としてやっていますが、音楽というのは、本当に今こそ必要ですよね。

中川

そうなんです。声を大にして言いたいですね。でも学校の授業からは音楽が減らされていたりします。

服部

微力ながら、日本にジャズが広まって、ジャズを通して輪ができて、みんなが笑顔になればいいなと思っています。

中川

そうですね。音楽を一緒にやると、自然に仲良くなりますから。

これからの慶應義塾発の音楽としても、ジャズだけではなく、津軽三味線でも日本一になったSFCの学生の中村滉己君がメジャーデビューしました。今後、どんどんユニークな塾生が出てきて活躍をすると思うんです。

ライトミュージックソサイェティは、クラウドファンディングで自分たちでお金を集めて新作CDを出しました。そして自分たちで今のジャズの最前線にいる挾間美帆さんに作曲を頼みにいったりしている。

そうやって日本で最古の学生ビッグバンドが、一番新しいジャズを生んでいるというコンセプトでCDを出しているのが、ああ、慶應らしいなと思います。

服部

ジャズにはやはり遊び心があります。世の中や人を明るくする音楽は絆を広めてくれるわけです。国境や人種を超えて輪が広がり、1つになるのに音楽は大きな役割を持つのではないでしょうか。

井上

ジャズと言うと、音楽の形式というより、その精神性みたいなところで捉えることが僕らの中では多いですね。

隣接するジャンルをどんどん取り込んで拡張していくのが、ジャズの精神性だと僕らは思っています。自分とは違う文化を取り込みながらも、お互い面白くやっていくみたいなところと、ジャズとは親和性がすごくあるなと思っています。

中川

拡張するシステムをもっているジャズは、だから今でも盛んなのだと思います。50年に1人という才能が、今どんどん若い人たちから出てきていて、楽しみで仕方ありません。

慶應義塾大学でジャズ史を講義して、今思うのは、塾生の優秀さです。期末の課題を読むのが大変楽しみでした(笑)。また、コロナ禍に授業をしてきて今強く実感しているのは、ジャズという音楽がもつ、困難を超えて前に進もうとする生命力です。コロナ禍は、各国がもっていた問題をあぶり出す側面がありましたが、アメリカで起こった「ブラック・ライヴズ・マター運動」にアジアン・ヘイト。そういった事実をSNSなどで見聞きし、履修生たちも驚き、傷ついたようでした。そういった中、授業ではビリー・ホリデイの名唱で知られる『ストレンジ・フルーツ』を聴きました。その涙を溜めた歌声 が、同じ人間を差別する愚かさを歌い上げていました。

ジャズという音楽を生み出して、演奏することで差別に屈しなかったアフリカン・アメリカンの歴史を知ることで、私どももまた人種差別撤廃への思いを強くしました。ジャズを聴き、また演奏することは、差別のない社会への実現に寄与するものだと感じております。

服部

慶應に限らず、今後も若い才能のある人たちを応援していきます。それが私の役割だと思っています。

中川

よろしくお願い致します。井上さんも、ますますご活躍ください。本日はどうも有り難うございました。

(2023年4月20日、慶應義塾大学三田キャンパス内にて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。