慶應義塾

司馬遼太郎生誕100年

登場者プロフィール

  • 福間 良明(ふくま よしあき)

    立命館大学産業社会学部教授

    2003年京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。出版社勤務、香川大学准教授などを経て現職。専門は歴史社会学・メディア史。著書に『司馬遼太郎の時代』等。

    福間 良明(ふくま よしあき)

    立命館大学産業社会学部教授

    2003年京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。出版社勤務、香川大学准教授などを経て現職。専門は歴史社会学・メディア史。著書に『司馬遼太郎の時代』等。

  • 大石 裕(おおいし ゆたか)

    その他 : 名誉教授

    十文字学園女子大学特別招聘教授。東海大学特任教授。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。専門はマスコミュニケーション論。著書に『国家・メディア・コミュニティ』等。

    大石 裕(おおいし ゆたか)

    その他 : 名誉教授

    十文字学園女子大学特別招聘教授。東海大学特任教授。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。専門はマスコミュニケーション論。著書に『国家・メディア・コミュニティ』等。

  • 片山 杜秀(かたやま もりひで)

    法学部 教授研究所・センター 教養研究センター所長

    慶應義塾大学大学院博士課程法学研究科博士課程単位取得退学。専門は政治思想史。著書に『未完のファシズム』(司馬遼太郎賞受賞)、『左京・遼太郎・安二郎 見果てぬ日本』等。

    片山 杜秀(かたやま もりひで)

    法学部 教授研究所・センター 教養研究センター所長

    慶應義塾大学大学院博士課程法学研究科博士課程単位取得退学。専門は政治思想史。著書に『未完のファシズム』(司馬遼太郎賞受賞)、『左京・遼太郎・安二郎 見果てぬ日本』等。

2023/04/25

司馬作品の読み始め

大石

今年は、作家司馬遼太郎(1923~1996)の生誕100年に当たります。そこで、今日はいろいろな面から司馬さんについてお話しできればと思います。この企画の一番のキーワードは恐らく「国民的作家」ということになろうかと思います。司馬の他には、吉川英治や夏目漱石が国民的作家と言われていますが、近年では司馬遼太郎が抜きん出て、評価が高いのかなと。

まずは、『司馬遼太郎の時代』を昨年出版された福間さん。司馬作品との出会いからいかがですか。

福間

私が司馬を読み出したのは、小学校の高学年か中学の頃だったと思います。小学生や中学生にはちょっと小難しいので、「余談」のところは飛ばして、登場人物が勇躍するところばかりを追っていたようなところがあります。受験の時のある種のストレス発散みたいな、坂本龍馬はいいよな、と思いながら予備校に通っていた時期もありました。

ただ、それから20代半ばまでは断続的に読んでいたのですが、社会人を経て大学院に入ってからはパタッと読まなくなり、40半ばになってもう1回読み出した口です。

大石

どうして40半ばに再び読み始めたのですか。

福間

学部で面倒な仕事が回ってくるようになってきたんです(笑)。打ち合わせが多いので、時間が細切れになり、研究書や資料を、腰を据えて読めない。そういう中で息抜きに司馬を読むのがいいかなと。

また、司馬の本が、なぜこれだけ読まれているのかという関心もうっすらと芽生えていました。その頃は戦争体験論みたいな研究をやっていましたので、司馬の戦車兵体験がどのように作品に投影されていたのかや、大阪外国語学校時代のことにも関心がありました。

また、思想史の内在的な研究は片山さんはじめいろいろあるわけですが、もう少し外在的な、当時のビジネスの状況や戦後社会の変容と絡めてみたらどうだろうという意識も芽生えていました。

片山

私は司馬との出会いはかなり具体的に覚えていて、1973年、NHKの大河ドラマで『国盗り物語』が放映された時です。私が小学3年生の3学期に始まりました。『国盗り物語』には引き付けられて、見始めたら原作を読みたくなったんです。

それまでは本格的な大人が読むような文庫本の長編小説は読んだことがなかったんですが、『国盗り物語』の4巻本を買ってもらい熱中して読みました。

それから『関ケ原』や『城塞』に行って、一生懸命、司馬を読み始めたんです。私のおじが、甥が小学生なのに司馬を読み出したと聞いて、『坂の上の雲』のハードカバー、6巻本をくれたり(笑)。『空海の風景』や『翔ぶが如く』も、連載や単行本で出た時に読んでいました。

新撰組ブームもあったんですよね。『燃えよ剣』が栗塚旭の土方歳三でテレビドラマ化されて。あのときには間に合っていないのですが。

どのぐらい理解していたかは疑問ですが、とにかく、いつも司馬作品をそばに置いて、そのうち、山岡荘八や海音寺潮五郎や吉川英治も読むようになり、読み比べながら、いつも司馬遼太郎を気にしていました。司馬の本に育てられたような気持ちがとてもありますね。

福間

戦国物と幕末・明治物は同時並行で読まれた感じですか。

片山

まず戦国でしたね。『国盗り物語』『関ケ原』『城塞』あたりを読んで、当時『覇王の家』がまだ新しい本だったかな。『覇王の家』は今でも評判が悪いと思うけど、あまり面白いと思わなかった。家康を書くとつまらない、というのはたぶん司馬遼太郎の本質に関係していると思うんですね。

やはり信長や光秀とか、何かやってすぐ死んでしまう人のほうが輝く。坂本龍馬、高杉晋作、織田信長、大村益次郎など、やることをバッとやって、途中で死んでしまう人が司馬遼太郎の関心事なのだと思います。

三島事件と司馬遼太郎

大石

私の場合も、大河ドラマの影響があって『竜馬がゆく』とか、いくつかの作品は読んでいました。ただ、強い関心をもったきっかけは実は松本健一の本だったんです。私が中学生の時、三島由紀夫の割腹自殺があった。当時は気が付いていませんでしたが、毎日新聞の1面で司馬さんが三島を強く批判していた。その理由を松本さんは『三島由紀夫と司馬遼太郎』という本の中で大変面白く論じていた。司馬が三島をあそこまで強く批判したのはなぜなのか。これが1つのきっかけでした。

あともう1つ、吉村昭と司馬遼太郎の対比なんです。出来事が記録として残る時に、例えば司馬さんは記録の中にも嘘はあるのだから、俺はその記録を嘘も含めて歴史を鷲摑みするんだと。一方、吉村さんは、記録を徹底して調べて、残ったところは推測するけれど、それは妥当性を持った推測だと言うわけです。

虚像と実像が入り混じるという問題を司馬さんや吉村さんはどう考えているのか。ニュース論などとの関連で興味をもったというわけです。

国民的作家だけあって、司馬は国民的記憶というか集合的記憶として日本の芯にいる方のように思える。本人は周辺にいたつもりかもしれないけれど、文化勲章をもらっていつの間にかど真ん中に来ている。彼自身が歴史的なストーリーの中にどんどん組み込まれているところにも面白さを常に感じていました。

福間さんは、どの作品に一番こだわってこの本を書かれたのですか。

福間

特定のどれということではないのですが、どちらかというと『街道をゆく』などよりは歴史小説、しかも長編にフォーカスを当てました。『国盗り物語』『新史 太閤記』、『坂の上の雲』『竜馬がゆく』といった、司馬の売上上位にくる作品に、結果的に注目したかなと思います。

でも、私自身は『坂の上の雲』を読み出したのは遅くて、会社員になった20代です。そしてその時はそれほど面白いと思わなかったんです。ただ、40半ばぐらいに読み直した時、やはり戦争体験や戦争を巡る情念みたいなものが、あの作品には結構投影されているなと感じ、そういう観点から若い頃によく読んでいた戦国物を読み直しました。

司馬の場合、幕末明治物、特に『坂の上の雲』が一番注目されると思うのですが、もちろん史実と違うところは結構ある。でも、そのことよりも私が興味を持ったのは、なぜ司馬がそういう事象をそういう切り口で描こうとしたのかです。

うがった見方かもしれませんが、やはり自分自身の戦争体験や、あるいはエリートに対する違和感といったものを投影する形で乃木のことを書き、『翔ぶが如く』の西郷、『国盗り物語』の明智光秀、『新史 太閤記』の秀吉を書いているのではないか、と感じるようになりました。

『坂の上の雲』で描かれたもの

大石

なるほど。片山さんは『坂の上の雲』をどう評価されていますか。

片山

あれは明治100年記念(1968年)の産経新聞の連載という形で始まった小説ですが、すでに『竜馬がゆく』をベストセラーにしている司馬遼太郎が、明治時代というものを幕末物の続きとして書いた。あの明治100年の年は大河ドラマ『竜馬がゆく』が北大路欣也演じる龍馬で1年間放送されていたわけですが、まさにあの年に『坂の上の雲』の連載を始めて、司馬遼太郎時代が来るみたいな状態だったと思うのですね。

その中で『坂の上の雲』は、日露戦争までの司馬史観と言われるもの、まさに日本人のある種の戦後のナショナリズムの1つの形をつくるようなところがあったと思います。つまり、栄光の明治みたいなものと、敗戦から立ち直っていく高度成長期の戦後日本を重ね合わせているところがあると思うのです。

そうであればど真ん中にいた伊藤博文や山縣有朋を主人公にして日清・日露戦争を描くと思うのですが、そこを幕末ノリというか青春もの、組織の中にいるけどトップではない、陸軍と海軍の秋山兄弟に正岡子規を配するという絶妙な形で、明治の一種の全体小説を書こうとした。大河ロマンとしての明治を若い主人公で描いたのです。

結局、この作品は日露戦争小説になっていますが、太平洋戦争のことを書いたら、国民文学としてはやはり悲壮なものになる。山岡荘八に『小説太平洋戦争』がありますが、つらいからあまり読みたくないじゃないですか。日露戦争だと勝ち戦だから、皆、読みたくなる。

明治の青雲の志で、坂の上の雲を見て上昇していく話を若い主人公でやる。海軍も東郷平八郎ではなく、比較的自由な思考ができる参謀の秋山真之を選ぶ。兄も陸軍ですが騎兵です。やはり司馬遼太郎は馬に乗っている人が好みなので、好みの兄弟を主人公に、青春ロマン小説にする。おいしいところを全部上手に拾って上手くつくっているなと。

やはり国民作家と言った場合には『坂の上の雲』がポイントで、次にその前の『竜馬がゆく』ということになると思います。

大石

ただ、特にアカデミズムからは『坂の上の雲』はかなり批判されますよね。あの当時の岩波新書的な歴史観から見ると、あんなサクセスストーリーで明治を語っていいのかと言われる。まさに明治100年は、アカデミズムの中でもそういう批判的な視点が非常に強かった。

ただ、私はお2人よりもちょっと年上なので覚えているのですが、おかしいのはその頃、平気で日本軍賛美の映画やドラマをやっているわけです。その一方で、『コンバット!』みたいなアメリカがナチスの軍隊をやっつけるのを美化するテレビドラマも放送している。知識人とは違って一般の人々は、日本賛美の戦争映画やアメリカを美化するものを一緒に平気で楽しんでいて、何でもありなんです。

だから一般の人にとってはまだ混濁の中にいた時に、司馬さんがひょいっとはしごをかけてくれたようなところがあって、その代表作がまさに『坂の上の雲』だったのかなと。

そのへんが、『坂の上の雲』から『この国のかたち』で見せたような、日本は素晴らしいけれど昭和の初期だけは捨ててしまおうという歴史観が受けた理由なのかな、という印象を持っています。

福間

『坂の上の雲』は確かに日露戦争に勝ったサクセスストーリーである一方、明治陸軍や明治政府の組織病理みたいなものも結構描いていますよね。乃木もそうですし、長州閥、薩摩閥などもそうです。同時に、ガダルカナル戦などと関連付けて論じたりもしているので、司馬が描く明治はそんなに明るいのかなという感じもあるんです。

なので、むしろ面白いのは、暗さと明るさの両面ある『坂の上の雲』が、なぜ明るさのみが注目されたのかということ。一般の読者もそうですし、アカデミズムも明るさを批判的に捉える傾向があったわけです。

大石

後に司馬さん自身が『この国のかたち』で、「明るい明治と暗い昭和」をクローズアップして語ったというのもあるんですよね。

英雄物語としての叙述

片山

違う角度で言うと、「幕末の延長線上に日露戦争まで書く」というのが、たぶん司馬さんの人本位で小説を仕立てるギリギリ何とかなるラインなのだと思います。これが大正、昭和になると、関東軍とかの特定の人物を主人公にして書くのは司馬さんの書き方だと難しい。

基本的に英雄というか人を立てて歴史を叙述するという、司馬遷の『史記』に学ぶ歴史観の限界が来る。司馬さん流の英雄物語的な歴史ロマンが成立しなくなるのですね。

大石

『ノモンハンの夏』は書けなかったですもんね。

片山

昭和は陸軍がいて、海軍がいて、政党があって、貴族院が、国民が、マスコミがと、司馬さんの世界にとっては訳がわからないようになって、モンゴルの方がいいとなってしまう。パオがあって、見渡す限り全部見えていて(笑)。

大石

面白いのはノモンハン事件は、司馬の担当編集者だった半藤一利さんが書くわけですよね。記録や回顧談なんかをもとにして。司馬さんはノモンハンは書けなかったと言っていますが、司馬の作品は直接に証言をとれない時代におきた事件ですよね。だから戦争にしても、ドラマと史料が混在して描かれる。

片山

司馬さんはどこまで行っても、『太平記』や『平家物語』、あるいは、『三国志』とかのノリですよね。それで幕末から日露戦争までは何とかなるけど、あとは生きている人がたくさんいたりして、そのノリでは書けない。

司馬作品は都合のいいところを抜いて、面白い話にして読者が楽しめる世界をつくっている。ご指摘のように、吉村昭は逆じゃないですか。

大石

禁欲的ですよね。

片山

しかも、ひどい話を一生懸命書くというか。『戦艦武蔵』はこれだけ努力したのに、すぐに沈むとか。北海道の囚人がどうしたとか。『坂の上の雲』と時期的にかぶる『海の史劇』も、吉村さんはバルチック艦隊の徒労に重点をおいて書くじゃないですか。報われなかったことを、ずっと細々と書いている。

司馬の場合、歴史が動く時に決定的な役割を果たす英雄を描きますよね。吉村昭さんは全く逆で、無名の人がこれだけ苦労したのに何の役にも立たなかったことにものすごいページを費やす。相補的とも言えるけど、司馬遼太郎と吉村昭というのは世界の裏表のようなセットになっていますよね。

福間

戦争体験の違いみたいなものもあるのかなと思うんですね。吉村は終戦間際に徴兵されて、陸軍にいたのは本当に一時です。司馬の場合、大阪の薬屋さんの倅で、商家に生まれた人が、いきなり学徒出陣となり、戦車兵として数年いたわけです。なので、陸軍そのものや陸軍的な社会がどのようにつくられたのか、という関心もあったのかなと。

よく言われますが、司馬自身には自分が体験した昭和戦前期とは違う社会のあり方が過去にあったのではなかろうかという思いがある。明治だけでなく、それこそ戦国物や『項羽と劉邦』などと対比しながら、過去にどういう組織病理があり、司馬なりに、それを乗り越える可能性がどのようにあり得たのかを、考えようとしたように思います。

片山

司馬遼太郎は「馬賊になりたい」みたいな人だったでしょう。受験に失敗しても、結局はモンゴル語を専攻して、馬賊願望みたいなアウトロー、脱出、離脱志向がある。

吉村昭の場合、戦争中の体験も重要だろうけど、戦後、文学者として立てそうもなく、奥さんの津村節子さんと一緒に、物を実際に担いで日本中を行商して回ったみたいな時期がある。本当に漂泊ですよね。徒労としか思えないものを細々と書き続けるのは、戦争体験よりも、戦後の行商体験というか貧困体験の投影ではないかと私は思うんですけれど。

共同体の求心力を生み出す文学

大石

司馬の戦争体験についてですが、松本健一が『三島由紀夫と司馬遼太郎』で、司馬が「大本営参謀が『逃げてきた兵がいたら、それを戦車で轢き殺していけ』と言った」ということに関して、それは司馬が戦後神話としてつくり出したのではないかと言っている。

三島由紀夫は戦後日本社会を強く否定して、彼自身の美しい天皇像に殉ずべく、「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいった。一方、司馬遼太郎は「轢き殺していけ」という発言をつくり出し、戦前と対比させて戦後日本社会を擁護したのではないかと。

司馬さんがこの言葉を1つのアリバイににして、陸軍を中心とした日本軍の愚かさを繰り返し唱え、それと対比させて『坂の上の雲』を通じて明治のロマンを語り、『この国のかたち』でそれを一般化する形で述べていく。

それが、戦後1970年代に、日本の社会に対して「安心していいんだよ、このまま行こうよ」というある種の求心力を生み出す。これは、知識人の記憶と一般の人々の記憶の比重を逆転させたぐらいのインパクトがあるのかなとも思うのです。

福間

「轢き殺していけ」という話はたぶん事実ではなかったと思いますが、そこは留保した上で、司馬はああいった昭和像と明治像を提示しようとした。でも、一般社会の中で、司馬の「暗い昭和像」はそこまで響いていなかったのではないかという気がするんですよね。

合理性の欠如や組織病理などがいかにガダルカナルでの悲惨な戦争と表裏一体になっているのかという暗い話も、それこそ戦国物の司馬作品にも見られるわけですが、そういうところはそれほど注目されなかったのではないかと思います。

その意味で言うと、司馬が何を書いていたかもさることながら、人々が司馬のどこに注目しようとしたのかという問いもあるかと思います。それは70年代後半以降の時代が1つのキーになると思います。70年代後半以降、日本は高度経済成長が終わって、オイルショックも2度経験しますが、何とかそこをくぐり抜け、アメリカやイギリスより優位に立つわけです。

片山

『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の時代。

福間

そうです。そこに投影しやすい物語として、『坂の上の雲』が見出されたとも言える。そういった時代背景もあり、ベタな明治の明るさや、日露戦争に勝ったことにフォーカスされやすくなり、そのことがビジネスマン層を中心に読まれていった理由でもあるかと思います。

片山

確かにおっしゃるように、昭和の暗さについては読者はあまり見ていないのかもしれない。

吉村昭の話をしましたが、考えてみると、五味川純平がいたじゃないですか。彼は徹底的に、陸軍はどうしようもない、日本帝国主義はどうしようもないと言い続けた。『人間の條件』や『戦争と人間』は長らく読まれたと思いますが、60年代から70年代にかけて司馬遼太郎が書けないところは皆、五味川純平が書いているような気はします。

あの頃は戦後20何年だから、まだ兵隊に行っていた人も50代で現役世代の人が多かった。彼らが情念として五味川純平や岩波新書みたいなものに自分たちの時代が否定されているような感情はあったでしょう。ガダルカナルの話とかをされるとつらいけど、日露戦争だといいというのは、まさにあの時代ならではの1つの懐柔ですよね。

国民作家と見なされる理由

大石

マスカルチャーは混然一体となっていろいろな価値観が同居していた。それを拾い集めて整理してくれたのが、1人は司馬遼太郎で、もう1人松本清張が出てくる。国民作家と言ったなら、松本清張と司馬遼太郎が並び立つと思うけれど、いつの間にか司馬遼太郎の方がすっと浮上していって、差をつけられてしまったように思うんですね。そこに司馬さんの魅力もあるし、カリスマ要素もあるのかなと。

片山

日本に対して結構ひどいことを言っているはずなんですけどね。でも、皆が読みたいところを読めて、戦後の階級史観でもない、帝国主義史観でもない、日本が悪かったでもない。太平洋戦争のところは除けて、日露戦争まで日本は頑張っていたというイメージを与える。おっしゃるように司馬遼太郎が最終勝者になる。

松本清張だと明治も、『象徴の設計』で山縣有朋とか日本帝国主義の悪いやつがたくさんいたみたいなノリですからね。

福間

逆に言うと、司馬は明治の明るさと昭和の暗さ、両方語っていることが、国民作家とみなされる1つの理由でもあると思うんですね。暗い昭和だけを書いていたら、なかなかそうは言われない。明治の明るさだけだったら、当時の戦後歴史学が猛然と批判したでしょう。その両面に触れていたことが、戦後のある時期までは党派を超えて比較的受容された理由ではないでしょうか。

私は『覇王の家』は面白いと思うところがあって、家康のねちねちとした政治劇を延々と書いていくわけですよね。政治の駆け引きみたいなものの嫌な面も描きながら、組織のあり方やその歪みへのこだわりが司馬にはあるのかなと思います。陸軍的な組織へのいら立ちもあったのかなと思います。

松本清張はある種の弱者への肩入れは割とストレートに出すのですが、一方でそういう状況を生み出す組織のひずみや内部の力学を描くわけではないのかなと思います。

歴史を形作るものはなにか

大石

それは面白い視点ですね。お2人とも歴史が専門なのでお聞きしたいのですが、松山に「坂の上の雲ミュージアム」というものがありますね。これは、小説に乗っているからこそできるものだと思うのです。ある有名な創作物語が発表された後、そこで発掘された史実で歴史は修正されたり、膨らんでいくことがある。発見された事実を並べて編集するのが歴史だと考えた時に、歴史というものをどう捉えていったらいいのか。

片山

資料に即して専門的に研究すれば細分化していくわけで、どうしても大きな物語、まさに国民的というか、ある種の共同体が駆動していくような物語は生まれにくい。そういう大きな物語づくりのための、大ざっぱというか巨視的に見る見方、あるいは語りたいストーリーに努めて沿わせることはありますね。

『太平記』や『平家物語』も物語というのはそういうもので、史実を多少歪めても、皆をそうだと思わせる方に引っ張っていくことが大事だと。そういう機能を果たす人が国民作家というものになれるというところはあると思います。

大石

『竜馬がゆく』も司馬さんが書いて大河ドラマになり、龍馬の評価がぐっと上がって、龍馬空港という名前になった。そうすると、フィクションがノンフィクションの事実に影響を与えるという側面もあるのかとも思うのです。

片山

動員のための一種の方便としての歴史みたいなものでしょうね。そればかりになってしまうとまずいので、アカデミズム的な吉村昭や、あるいは五味川純平や松本清張的な逆からの物語もあってそこがある種の戦いになる。さらに、アカデミズムはそれは違うと突ついていく。これが全部機能しないとバランスがとれないのではと思うんですね。

アカデミズムが言っていることが全部正しくて、小説はインチキだと言っていたら、日本とは何かとか、日本人はどうやって生きているのかということに何の答えも出せないですよ。でも、それだけになってしまうと、抑圧された民衆のことなどが全部飛んでしまう。

だから、多元的に相克していくことが保たれる環境がないと、あっという間に焚書坑儒的にこれだけを読みなさいみたいになって、他はみんな要りませんと、とんでもないことになってしまう。

だから、清張と司馬、あるいは吉川英治とか、やはり何人か立場が違う国民作家がいて、司馬を読めば吉村昭も読んでいる人がいて、そういうことに実証的に干渉してくる学者がいるような環境がよいのだと思います。出版社もたくさんあった方がいい。どこかで一様になってしまうと怖いと思いますね。今ちょっとそういう怖さは感じるので。

『坂の上の雲』がおかしいというのは、『坂の上の雲』を読んでいるから初めてそう言えるわけで、半藤一利も吉村昭も司馬も、もっと若い人も読んでもらう。結局は教養の問題になりますかね。教養形成力としての国民作家みたいな。司馬遼太郎は今後も別の文脈で、時代の中で求められる作家だと思うのです。

福間

何で司馬だけこんなに議論され、批判されるのか。もちろん批判されるべきことはいろいろあるのですが、吉川英治や吉村昭を叩いても、議論としてあまり目立たないからだと思います。その点で司馬は別格で、それだけ逆にインパクトが大きかったと思うのです。

また社会学もそうだし、歴史学でもそうだと思いますが、どうしても狭い領域の中に閉じがちだと思うんですね。多角的な思考実験みたいなものは、もうちょっとなされてもいいのではないかと思うんです。

司馬は古代史や騎馬民族とかいろいろなことを好きに言って、学問に照らせば間違っていることもあったのかもしれませんが、細分化しがちな学問のあり方を考え直す契機にはなると思うのです。

もちろん大きな物語が常にいいというわけではないですが、細かなところに閉じがちなアカデミズムの中にも、1つの思考実験を組み込むような意識が、今日、もうちょっとあってもいいのかなと思います。

司馬にイデオロギーはないのか

大石

司馬さん自身は思想やイデオロギーを拒絶しますよね。三島についてもそうですが、あんなものは要らないとはっきり言う。その発言を聞いた時に、私はダニエル・ベルの『イデオロギーの終焉』(1960年)を思い出したんです。イデオロギーなき時代というのは、現状維持でいいんだと。マルクス主義というイデオロギーじゃなくて、資本主義という生の姿、現実を見ろと。色眼鏡で価値観を先に持って見るなと言うわけですよね。

だけど、司馬は作品の中で英雄を追っていったり、事件をたどっていったりするだけでも、実はそこに司馬さんの価値観、イデオロギーがあるじゃないかと、中村政則などは盛んに言うわけです。

司馬さんの価値観やイデオロギーというものが、歴史的コンテクストの中に置かれたときの思想史的な位置付けはどうなるのかという問題がありますね。司馬さんが1970年代に読まれた時と、今の2023年に読まれた時にどういう違いがあると思いますか。

片山

司馬さんのイデオロギーというか好みは、やはり朝鮮、高句麗、満州族、モンゴル、馬、自由というラインで満たされる世界があって、そこにつながっていると良い。アンチとして出てくるのは、中国の中原でも日本でも農耕民、農地にしがみついて、あるところでセクト化しているもの。そしてそれを正当化するようなイデオロギーです。そこに天皇がいて、三島などはそこにしがみついていると見えたのでしょう。

非農耕民的なイデオロギーを一生懸命肯定して、島国根性的なものは全部軽蔑する。これを司馬さんは脱イデオロギー的に言っているけど、司馬遼太郎イデオロギーは絶対にあると思うんですよね。当たり前過ぎて、皆、真面目に論じていないですが、そこを1回括弧に入れ、それが今後の日本にどのように役に立つのかを考えたほうがよいと思うのです。

高度成長期に第1次産業から第2次、第3次産業が主流となり、地方から都市への人の流れがある中で司馬はよく読まれたわけです。自由にあちこちに行って商売をし、合戦をしたり日本を大きくしたりするものがいいんだというノリで、皆読んだ。新撰組なんかも結局は多摩の農民が、農民をやめたいというだけですから。

そう考えると、司馬遼太郎イデオロギーをきちんと析出して、何で農業が駄目になって、日本が高度成長する時代に、なぜ皆喜んで読んだのかを考える意味はあると思います。もしかすると日本が今疲弊している中、モンゴルの馬賊が好きですみたいなノリで、ベンチャー志向の人などが読めば、高田屋嘉兵衛はいいなとか、次の価値観に基づく国民文学にもなりそうな気がします。

福間

おっしゃるように、司馬のイデオロギーみたいなものは当然あります。ただ私自身は、司馬の思想にももちろん興味はありますが、どちらかというと、司馬が言っていることそのものより、なぜそんなことを言ってしまうのかということの方に興味があります。

それは司馬の戦中体験が大きいと思うんですよね。司馬が言っていることは、史実に照らせば誤りもないとは言えないでしょうが、司馬なりに戦車兵体験の中で感じていたファナティズムへの違和感みたいなものを、三島批判などに仮託しながら語っていたということかと思います。

特に戦車は、陸軍の中でかなりメカの部分が強いところですし、商人の家という生い立ちからも、経済合理性への関心があったと思うんです。そういうところから、司馬なりに合理性を阻むようなイデオロギーは拒否していく。それが結果的には戦後の高度経済成長期以降の日本社会に親和的だったのだと思います。

カリスマ化した後

大石

司馬さんは、文筆活動を創作から距離を置いて評論に入っていく時に、どこかで転換していくところがあったのかなと感じるのです。『街道をゆく』になるとある種の名人芸で、カリスマ化、神格化された司馬は、どこへ行っても、何を見ても、思ったことをパッと書けてしまい、それを皆がもてはやすという全く違う段階に入っていきますね。

そうした中、日中文化協会のトップであったにもかかわらず、台湾に行って李登輝と会見し、結果的に政治的な動きと評価されてしまった。皮肉なことです。

片山

確かにおっしゃるように、現実の日本に対していろいろ提言しているように見えても、やはり司馬ロマンの中での提言なんでしょうね。

司馬遼太郎だから許されるような独特の存在形態になっていたと思いますが、結局は司馬好みの世界の中のイメージであって、実際は馬賊だって組織がある。ましてや、モンゴルは騎馬軍団の統率だから、偉い人の言うことを全部聞かなければいけない、ものすごい統率の利いた組織で、司馬遼太郎の馬賊とはかなり違う上意下達的な社会です。

そうすると、どこかで司馬は海も入れないといけないと思ったのだと思います。最初から土佐好みがあって、『竜馬がゆく』があって、長宗我部があって、『木曜島の夜会』とか急に変なものを書いたりする。台湾好みも海は船の個人プレーで自由だからでしょう。戦車への幻滅があって陸に満たされないものが海に行き、自由に島で船をこいでいるイメージの台湾シンパシーはあると思います。

大陸の中国の駄目なところを島が救うみたいに、司馬ロマンの世界の中で台湾というのは正当化されていたのではないかと思うのです。

大石

そこにつながったのはすごく面白い。

福間

私自身は、『街道をゆく』には、いまひとつ惹きこまれないのが正直なところです。でも好きな人がたくさんいるのはわかるんですよ。『街道をゆく』は司馬が書いているから読まれたような気もして、たぶん私が同じ文章を書いても、誰も読んでくれないと思うんです。

片山

司馬も最初が『街道をゆく』だったら、国民作家にはならないでしょうね。

福間

水木しげるが『コミック昭和史』をデビュー早々に書いても、恐らく読まれないのと同じで、「一流作家」たる司馬の名前があるから読まれるようになったのだと思います。

司馬なりに資料に向き合い、歴史小説を書いていた時期と違い、『街道をゆく』は自分の知識を引き出しから出しながら、物語全体の整合性など気にすることなく、のびやかに書いている感じですよね。台湾とか、土地問題などに言及するようになったのも、自由に発言し、行動できるようになったからなのでしょう。そして同時に社会の中で司馬自身がつくられていったところもあるのではないかと思うんですよね。

描かなかった福澤諭吉

大石

司馬遼太郎は福澤諭吉については、例えば緒方洪庵について書く中では触れますが、正面切って論じなかった。なぜなんですかね。

片山

たぶん司馬好みの人ではなかったのだろうと思いますね。福澤諭吉がもっと早く死んでいたら書いたと思いますよ。慶應義塾をつくって、バーンと構えて大御所として、当時としてはそれなりに長生きした。

伊藤博文や山縣有朋を書かないのと同じ理由で、司馬から見ると西洋近代に向かっていって、陰も帯びながら巨大化して、システム化していくものをつくる片棒を担っている人の1人です。高杉晋作みたいにロマンいっぱいのうちに死ぬのではなく、ドンみたいになってしまっている。そういう人は興味がないんですね。

福間

やはり、ある種エスタブリッシュメントになっていますから。司馬はエスタブリッシュメントになる手前で筆を置きますよね。『新史 太閤記』も、天下を取った後の話などは駆け足で、本当にわずかのページ数です。それこそ福澤が慶應義塾をつくるまでだったら司馬っぽいストーリーにできたかもしれませんけれど。

大石

『福翁自伝』などの著作が世に出回り過ぎていたこともあるのですかね。大学というものに対する距離の置き方もあったのでしょうか。日露戦争時に開戦に賛成した学者たちに対しても「ふふん」という感じでしたし。

あと、『坂の上の雲』もそうですが、天皇が出てこないとよく言われますね。国民の物語、英雄の物語、あるいは民衆の物語にしてしまうと。

片山

そこがある種の革命というか、階層が下の人が頑張って上に行くのが好きなのでしょうけど、『最後の将軍』とかもとても薄い。司馬遼太郎で幕末を知ったつもりになっていると、お公家さんも孝明天皇も明治天皇も出てこないから、いくら読んでも明治維新史が頭に入らないですよね。

大石

大学入試に落ちてしまうかもしれない(笑)。

人文知を見直すきっかけとして

福間

司馬の読者はサラリーマン層が多かったとよく言われるように、あの当時のサラリーマン社会への親和性があったと思うんですね。それは基本的に一度就社したら転職しない社会で、社内でステップアップしていく、日本型経営みたいなものが前提でした。だからこそ歴史人物を通して組織人としての人格陶冶をめざす。そのような読み方をしていた部分もあったと思います。

でも、今は定年まで1つの会社にいることを前提にできない社会になっているので、「サラリーマンの教養」としての読み方は難しくなってくるのではと思います。

また、かつては歴史、あるいは文化的なものへの関心は、司馬に限らず高かったと思います。70年代には『プレジデント』のような雑誌も歴史特集をやっていて、そこでは学者がわかりやすい形で歴史を論じていることもよくあった。そうやってビジネスマンたちが人文知に緩やかに関心を持っていたと思うんです。

今はどの大学も世界ランキングを気にしていますが、それに資することはなくとも、一般の人々が読むような媒体に知的なものを書いていくのは重要だと思いますし、一般の人々の読みをフィードバックさせて、人文知を組み替えていく相互作用も重要だと思います。

今のアカデミズムのあり方や大衆教養主義のあり方みたいなものを考え直すきっかけとして、司馬が読まれた時代を見直すことはあってもいいと思います。

片山

司馬さんは動乱期の、これから生まれてくる、あるいは壊れていくところに関心があって、完成したものには関心がなくなっていく。だから、種をまくような人や既存の制度を壊す人を描いて、その後どうなったかには関心がない。

例えば『花神』の大村益次郎がまいた種は、司馬さんが一番嫌いな日本陸軍になるのだから、大村は悪いのではないかと私は思うけど、司馬史観では、まいた種をその後育てた人が悪くて、大村は悪くない。

種をまいて、その後を見届けられずに去っていくような人が大好きなんです。それなのに、今日の日本や未来の日本の方向を示してくれるようなアイデアが司馬作品にあると多くの読者が信じてしまったところに、私は悲劇があったと思うんですね。でも、司馬さんはそれをわかっていたのではとも思う。

もともとは日本への幻滅から始まって、大陸ロマンみたいなものを書いていた。でも、日本の読者が喜ぶので、そんなに書きたいわけではないけど、日本の歴史について書いてみたら、それが受けてしまったと。

しかし、やはり西郷とかを書く時に、イデオロギーとかは深まらないから、結局小説を書くのが限界に達したと思うんです。

そこで『街道をゆく』みたいないくらでも書けるエッセイに転換していった。だから、司馬遼太郎らしい、皆が求めている長編歴史小説というのは、割とはやくに終わってしまいますよね。

大石

その後にカリスマ化され、それが逆に反映されて作品の評価を高めたり、色づけたりしている。いろいろな立場からの読みが可能な人だから、いろいろな評価が今後も出てくると思うのです。

司馬さんの神話は、その時々の社会の考え方、価値観の分布に応じた読まれ方をしていくのでしょう。純文学でもないし、たんなる思想でもない。分野を超えた作品なわけですよね。その多面性が、今後もまだまだ躍動し続けていくのかなと。

今後、この生誕100年を期にどのような読まれ方をしていくのか。楽しみでもありますね。

(2023年2月23日、三田キャンパスにて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。