登場者プロフィール
榊 龍昭(さかき たつあき)
トライバルラグとテキスタイルの専門店「Tribe」を主宰20代で絨毯に出会い、その後戦禍のイランでトルクメン族の青年より遊牧民の絨毯(トライバルラグ)を知る。現在は世界各地の先住民族の染織品の研究と展示販売行う。
榊 龍昭(さかき たつあき)
トライバルラグとテキスタイルの専門店「Tribe」を主宰20代で絨毯に出会い、その後戦禍のイランでトルクメン族の青年より遊牧民の絨毯(トライバルラグ)を知る。現在は世界各地の先住民族の染織品の研究と展示販売行う。
檀 ふみ(だん ふみ)
その他 : 俳優経済学部 卒業慶應義塾大学経済学部卒業。高校在学中にデビューし、テレビ、映画で活躍。『檀流きものみち』『檀流きもの巡礼(たび)』では、日本の守りたい染織文化を丹念に取材し執筆。
檀 ふみ(だん ふみ)
その他 : 俳優経済学部 卒業慶應義塾大学経済学部卒業。高校在学中にデビューし、テレビ、映画で活躍。『檀流きものみち』『檀流きもの巡礼(たび)』では、日本の守りたい染織文化を丹念に取材し執筆。
鎌田 由美子(かまだ ゆみこ)
経済学部 准教授イスラーム美術史。東京大学大学院、メトロポリタン美術館研究員を経て、ニューヨーク大学美術研究所より博士号。著書に『絨毯が結ぶ世界』(日本学士院学術奨励賞)。
鎌田 由美子(かまだ ゆみこ)
経済学部 准教授イスラーム美術史。東京大学大学院、メトロポリタン美術館研究員を経て、ニューヨーク大学美術研究所より博士号。著書に『絨毯が結ぶ世界』(日本学士院学術奨励賞)。
2022/12/26
「絨毯、こわい」
私は檀さんの『父の縁側、私の書斎』の中の「絨毯、こわい」というエッセーを拝読し、絨毯がお好きということを初めて知ったんです。
もう絨毯には限りなくエピソードがございまして、何度失敗したことか(笑)。何回も買っていますが、一番悲しかったのは、ある時、畳一畳より少し大きいくらいのペルシャ絨毯を、セールで結構安くなっていたので思い切って買ったんですね。
「これは素晴らしい、完璧」と思って家の床に置いたら、3日後ぐらいに母が、「あなた。猫が絨毯におしっこしているみたいよ」と言う(笑)。そこで、逆上して水をかけてしまったら染料がブワーッと溶け出し、青くなってしまった。その青いまんま、いまだに家にあります。
もう1つ、イスタンブールに行った時に、海が描かれたとても心惹かれる絨毯に出会い、買って山の家に置いたんですよ。そうしたら、半年行かない間に浸水していたんです。絨毯にもカビが生えて、端っこがぼろぼろに。すごく悲しかった。気に入った絨毯には、たいてい、悲しい想い出があって。
それでも、こりもせず、新しい家にした時に、ベッドの足もと用の絨毯を買ったんですよ。そうしたらそれも猫が。
引っ搔いたんですか。
そう。猫は古いシルクの絨毯には爪立てなかったので、シルクにしたんです。そうしたら新しいものにはなぜか爪を立てるの(笑)。中からいろいろ糸が伸びてきて。いつも絨毯をコロコロで掃除していますが、そのたびにヒョロヒョロと出ているものが悲しいなと思っています。
そのように絨毯に惹かれるのはどうしてですか。
どうしてでしょうね。だって、鎌田さんもお好きなわけでしょう?
私は子どもの時、父の仕事でパキスタンのカラチに3年間いたんです。イランから流れてくる絨毯を扱う一家がいて、ペルシャ絨毯を買うようになったのですね。
両親がそれを日本に持ち帰ったので、子どもの頃から身近な調度でした。私自身、まさか大人になり、絨毯の研究をするとは思っていなかったのですが、大学院博士課程でニューヨーク大学に行き、博士論文を書く時に、先生から「日本に伝わるイスラーム美術品について研究してみては?」と言われたんですね。
実は祇園祭の山鉾にはインドやペルシャの絨毯がかかっています。オランダ東インド会社が江戸時代に持ってきたものです。それがどこで作られ、どういう経緯で持ってこられているかを調べようと、絨毯を専門に研究するようになったんです。
そうですか。
絨毯は調べれば調べるほど面白く、また美しく、触れば手触りがよく、知識欲も満たされます。インテリアとして集めるのも楽しいですし。
絨毯の房
榊さんはどういうきっかけで絨毯の輸入をされるようになったのですか?
かれこれ絨毯を商って35年ぐらいになりますね。最初は学生時代、友人の彼女が、パキスタン人の絨毯屋さんでアルバイトをすることになったことに始まるんですね。友達のほうもパキスタン人に上手く言いくるめられ、会社を突然辞めて絨毯屋になった(笑)。
僕も展示会を見にいったところ、すごく惹かれてしまい、時代もバブル時代、あまり将来も考えずにその友達と2人で絨毯屋を始めました。最初はパキスタンの絨毯屋さんの絨毯を預かって販売するような形で、何もないところから始めたんです。
すごい。それは勇気があるわ。
先ほど檀さんが水をかけて失敗したと言われましたが、私は今朝、先週アフガニスタンから届いた絨毯を洗っていたんですよ。
水で洗うのですか?
ええ。ただ、洗う時に注意しなければいけない点があります。漬け置きみたいにすると色が移ったりする。また、新しい絨毯は色が移りや すいですね。
色が移るというか、抜けてきてしまいますよね。染料が落ち着いていないのでしょうね。
そういうことですね。着物とかも、そうですよね。
着物も草木染で糸を染めるものがあります。織り手の名人が、まず染めたての糸を見ると「隠せ」と言うんですって。タンスの中に2、3年眠らせていると、何となく織ってもいいかなというような色に落ち着いてくると言っていました。
私が買った絨毯は出来たてだったのでしょうか。
そうかもしれませんね。
また日本で買うと、房が両端きれいに揃っていますでしょう。ところがシンガポールで買ったものを開けてみたら、片方に房がないんですよ。「これはだまされたのでは」と思っていたら、向こうでは房が不揃いなのは普通なのだそうですね。
そうなんです。房は絨毯を織る際の経糸(たていと)になるので、どうしても必要になりますが、織り上がったら切ってしまうこともできる。ただ、日本ではなぜかこの房をすごく気にする。
シンメトリーでないと気になりますよね。
あと、房が長いほうが高級品だという話もあったり。
それは伝説?
実際は関係ないですけど、そういうことがバブル期に人気のあったペルシャ絨毯にはありました。ただ、実際に経糸が多いほうが結び目が細かい絨毯なので、房がたくさん付いているほうが、織りの密度という意味では高級という感じはあります。でも長さは、あまり関係ない(笑)。
触り心地の魅力
檀さんは寝室にもペルシャ絨毯を置かれているんですか?
小さいものですけど、ベッドの足もと用に。寝室はフローリングなので、朝起きて降りる時、固くてヒヤッとしますよね。シルクのすべすべしたやさしさが、素足には心地いいです。
色とデザインがきれいという視覚に加えて、触り心地も絨毯の魅力の1つですよね。
雑誌で読んだのですが、坂東玉三郎さんもご自宅の寝室にすごくいい絹のペルシャ絨毯を敷かれていて、目覚めて、一番初めに触れるものが美しいものでありたいということでした。そういう触覚の楽しみもありますよね。
絨毯は、そこに置くだけで部屋が華やかになったり、がらりと雰囲気が変わったり、いろいろなアクセントにもなりますね。
私は雑誌の企画で、裏千家のお家元をお招きしてお茶会を開いたことがありますが、その時に例の海が描かれたトルコの絨毯を敷いて、海の上でお茶会を開いているような感じにしようと言って、山まで1人で取りにいきました。そうしたら、重くて、重くて(笑)。
絨毯は本当に重いですから。
本当に爪がはがれるかと思いました。きれいな絨毯でしたが、カビてしまって、あれはもう甦らないですよね?
実物を見ればできるかもしれないですね。毎年、地元の修理屋さんと一緒に絨毯の買い付けに行きます。僕が扱っているのは古い絨毯なので、少し破れていたり、房がもうなかったりするからです。
頼もしいです。一度現地から呼んでいただきたい(笑)。
やはり修理して、また元に戻して100年ぐらい使えるのも絨毯の魅力だと思います。
最古の絨毯
タイルだったら1000年前のものとか残っていますよね。ローマ遺跡のタイルを見た時、「わあ、絨毯みたい」と思ったのですが、絨毯とタイルではどちらが先なのかしら。
絨毯の歴史はすごく古いです。起源がわからないぐらい。現存最古はシベリアのお墓にあったパジリク絨毯と呼ばれるもので、かなりいい状態で出てきたものです。紀元前4世紀のものと言われています。
シベリアから!
パジリク渓谷というバイカル湖の近くです。冬はかなり冷えるところで、偶然が重なり、奇跡的に残った絨毯です。
スキタイという古い騎馬民族のお墓から出たのですが、スキタイは金製品のバックル、冠やベルトとかを古くからつくっていた民族で、たぶん墓泥棒がそこに入って金製品だけ盗んで絨毯は残っていたようです。
その後、水が中に入り込んでシベリアだから凍ったんでしょうね。偶然が重なったことで、絨毯が奇跡的に冷凍保存状態になったんです。
色もきれいなままなんですか?
きれいに残り、今、エルミタージュ美術館にあるので見ることができます。とにかく奇跡的な状態で残っています。
騎馬民族は行く先々で絨毯を敷いていますものね。常に持ち歩いて。
絨毯も大きく分けると2種類あります。ペルシャ絨毯のように都市の工房で商品としてつくられるものと、遊牧民が彼らの生活の中で作ってきたタイプの「トライバルラグ」と言われるものです。遊牧民はヤギやヒツジといった家畜を飼っているので、自分たちで毛を刈り、紡ぎ、それを女性が織り、それら全てが家財になるのですね。敷物だけではなく、袋物にしたり、生活に必要な道具を全部織って作ります。
榊さんは特にトライバルラグを扱われていますが、欧米にはトライバルラグのコレクターがたくさんいて、オークションもあり、同好の人が集まるソサエティもたくさんあるんです。一方、日本は欧米ほどにはそれが根付いていない。でも、私はだんだんトライバルなもののほうにはまってきています。
まず、都市の絨毯に比べると、価格が抑えられていて集めやすい。それと遊牧民は今、定住化政策などでだんだん少なくなっています。これまであったものがなくなっていくことはとても残念であり、それゆえ当時の技術で作ったものに心惹かれます。だから古いものを欲しくなってしまう。
今、作られているものではなく、古いものということですね。
はい、大体100年ぐらい前ですね。そういうものはまだまだ買えます。それが部族ごとに色や文様が皆違うので、それを知ると、また面白くなり、次は何族のものが欲しいとなってしまう。
それぞれの部族のトライバルラグについて、榊さんはたぶん日本で一番お詳しいディーラーでいらっしゃって、現地の遊牧民からたくさん購入されています。
トライバルラグに惹かれて
遊牧民の方々は、親から受け継いだ古いものを持っていたりするわけですか。
そうですね。私は最初は1988年、イラン・イラク戦争の末期のイランに行きました。そこでトルクメンという部族に出会い、それまで知らなかったトライバルラグに出会ったんですね。
エスファハーンという、日本で言えば京都のような古都で、何もやることがなく町を歩いていたら、1人の若者が声をかけてくれた。周りはひげの濃い人ばかりの中、彼は日本人のような顔をしていました。
それでホッとして話をしたら、彼はトルクメン族で、エスファハーンの美術学校にカスピ海の近くのゴンバデ・カーブースというトルクメンが多い町から、カリグラフィーの勉強に来ていたのです。その他にも美術学校では、クルド人やアルメニア人などいろいろな人たちが絵や伝統工芸の勉強をしていて、小さなカレッジみたいでした。
彼らも日本人が珍しかったのか受け入れてくれて、そこで1週間ほど過ごした経験が、トライバルラグに惹かれる大きなきっかけでした。
トライバルラグは本当に生活の中から生み出されているのが魅力です。民藝の柳宗悦も1950年代に、家畜の背にかけて荷物を運ぶために遊牧民が作った袋物を、クッションのようにして書斎のソファーに置いているのですね。
柳は、絨毯について、そのデザインは生活の歴史の中から出てきたもので、作為がなく、生活そのものからつくられる美しさがあるとして、理想的な工芸品と位置付けている。そのことは驚きでした。
もう少し若い民藝の芹沢銈介や濱田庄司は、たくさんトライバルなものを持っています。民藝の人たちが理想とする美を体現するものの1つに遊牧民の絨毯もあるのですね。
私は画家の堀文子先生の「押しかけ弟子」を自称していて、よくお宅にお邪魔していました。
最晩年、お体が弱られた時に、先生のおそばで泊まったりしましたが、堀先生も本当に世界中を旅した方で、いろいろな民芸品を持ち帰りお部屋に飾っていらっしゃいました。それをモチーフにした作品も多く遺されています。布などもよく集めていらした。生活の中から生まれたものの作為のなさと美しさが素晴らしいとおっしゃっていましたが、本当にそうなのでしょうね。
日本の絨毯普及
絨毯の流通というと、日本ではずっと、売る側が利益が一番出たり、売りやすく入手しやすいものを、販売していた気がします。僕も35年ぐらい扱っていますが、始めた頃はパキスタンの絨毯すらほとんど日本にはなかった。その頃、主流だったのは中国緞通(だんつう)でした。
うちにも緞通、ありました。
日本全国、ちょっとリッチなお家に行くと、必ず大きな緞通が敷いてあった。日本で最初に大量に入ってきた手織り絨毯なんですね。これは田中角栄さんの日中友好が背景にあると思います。その頃は中国にほとんど輸出品がなく、天津緞通と言われる中国製の絨毯が入ってきて、政治的な意図もあって広く売れたのではないかと思っています。
そうか。最初に建てた家の少し広い部屋に緞通を入れたのですが、あれは角栄さんのお蔭ですか(笑)。ただ、その頃の絨毯は大きく重くて厚くて。もう、すぐに「これは要らない」ということになって。
そうなんです。とても重かった。その後、まさにバブル期に入ってきたのがペルシャ絨毯です。絨毯自体は素晴らしいものでしたが、価格的 な混乱がありまして……。
あの時は高ければ高いほどいいとか、細かければ細かいほうがいいとかいう話ばかりでしたね。
そうです。イランの人たちが日本に持ってきていたのです。その当時はイランと日本の経済格差はものすごくあり、1枚絨毯を持ってきて日本で売れば、イランでマンションが建てられるくらいの利益が出たそうです。
ちょっと大きな織りの細かい絨毯を買うと、日本でも車1台買えるどころではないような値段でしたよね。
それがバブルが崩壊した後に絨毯が急に売れなくなり、イランの人たちも困って絨毯を直接安く売り始めたので急に値段が十分の一ぐらいになってしまった。そこで今までの流通とは全く違う形での販売が始まり、高額で買っていた方々は価格不信に陥り、絨毯はマイナスイメージができてしまった。
その後、キリムがおしゃれな女性の間で人気になり、アジアの家具や着物、工芸とともに入ってきました。一時、非常に売れましたが、そういう人たちが高齢化し、もう、ものは増やさないという断捨離に入ってきてしまって。
まさに私の世代だわ。
もう1つ、ギャッベという、たぶん日本で一番売れた手織り絨毯があります。これはイランの遊牧民が織っていると自称しているものですが、その多くは商業的な絨毯で、動物が文字の中にピョンといたり、日本人の感性に受ける感じで、今でも人気があります。
ところが、これはペルシャ絨毯のように細かくなく、どこでも織れるのですね。だからインドや中国とかで真似したものが出回って、これまた価格がオリジナルのギャッベとそれ以外で違いが出ています。このように常に絨毯は、いろいろなことに影響されやすいとも思います。
西洋絵画に描かれた絨毯
でも、それだけ皆が好きなんでしょうね、絨毯を。
そう思います。絨毯の歴史を振り返ると、ものすごい人気商品だったことがわかります。ちょうど絨毯の生産地はイスラーム圏と地理的に重なっているのですね。いい羊毛が採れ、そして、イスラームの広がりとともに、絨毯を使う慣習も広がっていく。というのも、イスラーム宮廷では絨毯は絶対に必要な調度だったからです。高級な絨毯はペルシャでもトルコでもインドでも、宮廷工房で織られていきます。
そして、イスラーム圏の絨毯が商品や贈答品としてヨーロッパにもたらされます。14世紀以降にはイタリア絵画の中にトルコの絨毯が描かれます。描かれる場所が宗教画の、例えば受胎告知の場面や聖母子像の下の部分なのです。その描き方がすごく細かいので、画家の名前を取り、ロレンツォ・ロットだったらロット絨毯と分類されるぐらいです。
一番初めは教会勢力、その後は力をつけてきたイタリアの商人層、それからヨーロッパの君主たちが14世紀から17、8世紀まで熱心に入手しました。はじめはトルコの絨毯が多いのですが、だんだんペルシャやインドに移っていきます。
17世紀以降は東インド会社が現地でヨーロッパで人気のデザインのものを商品としてつくらせ、ヨーロッパに入ってきます。そのように、常にヨーロッパが熱心に絨毯を集めている。やはりずっと変わらない魅力があるのだと思います。
絵画の中に見られる絨毯を追ってゆくのもとても面白そうですね。そういえばフェルメールの絵の中でも、テーブルの上に絨毯がのっかっているものがありますよね。
まさにそうです。当時は床に敷いて踏むのではなく、テーブル掛けなどとして使っていることが一般的には多いのです。
そうか、貴重なものだから。
はい。でも貴重であるゆえに、例えばヘンリー8世の肖像画などは、絨毯の上に立っている姿で描かせています。だから、ステイタスシンボルとしても絨毯は機能していて、君主たちの肖像画は、どれもペルシャやトルコの絨毯の上に立っている。
東インド会社の文書を読むと、当時の人もやはりペルシャ絨毯が一番良いことは把握しています。あとは北インド、ラホールとかの織の細かい絨毯が良いこともわかっている。一方、インドの南部でヨーロッパに人気のデザインを商品として作らせると安くできる。そういうものがヨ ーロッパ各地や、日本に入ってくるのです。
日本に現存しているインド絨毯は、日本にばかり残っているデザインなのですね。オランダ商人が日本側の人気デザインを把握していて日本で人気の赤い色のものを持ってきます。絨毯を見ると、当時の日本側とオランダ、インドの商人との密接な関わりが浮かび上がってくるようです。
様々なトライバルラグ
トライバルラグは、遊牧民の各部族の女性たちが織るというお話でしたよね。着物の取材をしていた時、同じような絣で、見た目は同じようなものでも、その土地により、作り方が全く違い、染料も違っていて、その地方独特の工程や、特徴が表れていました。トライバルラグの場合も、その土地により、違ってくるわけですか。
そうですね。トライブとは部族という意味ですが、部族ごとに、色、柄、技法、素材、とても特色があります。例えばトルクメンは絨毯を作る技術が非常に高いのです。
トルクメンの絨毯は、赤くて何か宝石のような感じがしますね。
トルクメンはもうほとんどが赤です。トルクメン族とバルーチ族はトライバルラグの中で数が圧倒的に多いのですね。例えば、婚礼の時に持っていく絨毯は敷物が何枚と決まっていたりするんです。
婚礼のプレゼントとして?
いいえ、持参品です。自分の結婚のために、かなり若い頃から織り始めるのですね。持っていくものも袋が何枚とか、塩袋、サドルバッグとか細かく決まっています。
婚礼の時だけのためにラクダに飾る飾り絨毯とかもある。すごく量も必要なので、当然、技術も高くなってくるのです。そのように、生活に密接して絨毯があったのです。
スコットランドのタータンチェックの文様のように、自分たちを表す特徴があるということですか。
まさにそういうことです。トルクメンは、特に八角形のギョルとかギュルという文様がありますが、それは日本の家紋のようなものです。
トルクメンの中でも、テケ、ヨムート、サロール、サリク、エルサリなど、いろいろな支族に分かれている。さらにスレイマン家とか家柄までわかる。家紋的な文様は、現在でもずっと続けて織られています。
そういうのが面白くてはまってしまうんです(笑)。
日本の織物の絣なども、文様の1つ1つに意味があるとか、織り方にもいろいろありますからね。
トルクメンも、女性が小さい時から母親に習っていく形で、部族の模様などが継承されていきます。日本の機織りも、かつては農村で母親から娘へと継承されていましたが、そういうところはとても似ていますよね。
渋谷のトルクメニスタン大使館の若い女性の外交官から話を聞いたのですが、今も高校の必修科目に、絨毯を織るという科目があると言っていました。現在でもほとんどの女性は絨毯を上手に織れるそうです。
そういう意味では、日本でも高校や中学校で織物の授業とかで親しめるような機会があればいいですよね。
トライバルラグの「癒し効果」
一方、ここ数年、「BOHO(ボーホー)」と言われる新しいインテリアスタイルが欧米で人気です。BOHOとはボヘミアンとニューヨークのソーホーのことで、世界各地の様々な染織品とインテリアを取り合わせるものです。若い人たちもトライバルなものに惹かれる新しい動きがあるのですね。
グローバル社会の中で、ファストファッションなど何もかも世界中で画一化されていく。その中で、様々なストーリーがある本物に惹かれるのではないか。だから、手づくりの温かみのあるものが好まれるのかと思います。
おっしゃったように、ここ1、2年、若い30代ぐらいの方がトライバルラグ、特に古い絨毯にすごく興味を持ってくれるようになり、意外と忙しくなってきました。
よかったです。
今まで日本では30年間、トライバルラグを扱う人はほとんどいなかったんです。欧米では研究書もたくさん出ていて誰でもある程度はわかりますが、日本では「トライバルラグ、それ何?」と。
私もその言葉は今日初めて聞きました。そういうものがあることは知っていましたが。
ここ2、3年で急にSNSなどで若い世代に広がってきて、写真をアップする芸能人の方とかが、結構出てきて、急にマーケットが変化し てきた感じです。
トライバルなラグには「癒やし効果」もあると思います。精神科医のフロイトもトライバルラグのコレクターで、彼は自分の患者を診る部屋のカウチにカシュガイ族の大きなラグをかけていました。その診察室は、そのままロンドンのフロイト博物館に残されていますが、感情を和ませるような効果もきっとあったのではないかと思います。
そうですね。僕も道具だったら無地でもいいのに、何で遊牧民が、こんな手間と暇をかけて糸を染めたり、柄も非常に複雑な文様を入れるのだろうと非常に不思議でした。
認知考古学という考古学の新しい流れがあります。人類は20万年もの間、道具にほとんど柄を入れてこなかったようですが3万年から5万年ぐらい前に、「心のビッグバン」と言われているようなことが起こり、洞窟に壁画を描いたり、使う石器に文様を入れるようになるらしいのです。それが同時多発的に起こって、われわれの生活は急に変化し始めたらしい。
このように文様、色や柄というものは、人の心理に非常に影響を与えるのではないか。だから遊牧民はこれだけ大変な思いをして、色とか柄も着物とか身の周りのものに入れるのだろうと、絨毯を見ていて感じることがあります。
そうですよね。私が絨毯を好きなのも、きっとそこでしょうね。すっきりしたフローリングの部屋に憧れ、そのようにしてみると、今度はいろいろな柄が入ったものが欲しくなったりします。
素材を育て、それを使う
絨毯の美しさは芸術家も惹きつけてきました。ドラクロワは「私が見た中で一番美しい絵画はペルシャ絨毯だ」と言っている。ウィリアム・モリスはペルシャ絨毯のコレクターで、彼のデザイン自体、イスラーム美術の影響をかなり受けています。
昔は優れたペルシャ絨毯を集めるのは、王侯貴族や大商人だけで、20世紀初めでも、例えばロックフェラーのような実業家でした。今は普通の人でも買えるようになり、いい時代だなと思います。一般市民でもトライバルなものであれば、古くていいものを買えるようになっているので。
トライバルラグの古いものというのは、やはり使われていたものですか。
道具として使われていたものです。テントの中での敷物の他、テントの骨組みを組み立て、その屋根や壁になるようなラグも必要です。遊牧民は移動が多く、1年にほぼ2回は移動するのですね。
すると、かなり風とか砂とか雨に洗われているわけですね。
はい。風化と言いますが、使いこまれているので余分な毛が取れる。
羊はとてもデリケートで、毛の質が食べ物やいろいろなことで変わってしまいます。そこで遊牧民は羊がストレスなく、気持ちよく、おいしい草を食べられるように、夏の暑い時期は涼しい山の上に連れていったりします。健康でストレスなく育った羊の毛はものすごく張りがある。素材自体、遊牧民の織ったラグは非常に健康的な魅力があります。
自分たちで育てたものを自分たちで使うわけですね。
遊牧民は羊という素材から育てている。毛を刈り取り、汚れをきれいに洗う。ほぐして綿状にして紡ぐ。それは全部、手作業で時間がすごくかかっています。もちろん織るのもそうです。そうやってできたラグが先ほど言われたように、そこまで高くない。それも魅力ですね。
やめてください、また買いたくなってしまう(笑)。
絨毯がいとおしい
鎌田さんはそんなにたくさんお持ちで、どうされているのですか。
日吉の研究室にも置いていますが、日吉は自然が豊かなのでイガが付き、穴があいたりするのですね。泣きそうになります。
なので、しょっちゅう風に当てたり、虫がいないかをチェックしたり、ペットをかわいがる感じですね(笑)。トライバルのものが好きになると、修復した痕さえもいとおしく感じるようになってくるのです。
それ、ちょっとすごい。ペットを飼うような感覚⁉
そうです。トルコなどでは、古いものを家庭で、いわゆるレース編みのような感じで、自分たちで直しているものもあって。だから、買ったものをよく見ると、修復があったりしますが、残念という気持ちはなく、前の人が大事にしていたことがわかり、私はそこに味わいがあると思うのですね。
そういうラグに寝転がると、遊牧民の人の感じた風とかを感じられそうですね。
本当に遊牧民って執着があまりないのです。まず、日本人のように土地に対する執着がない。そして物にもしがらみがない。遊牧民の作るものは、何かサラッとした感じがします。
例えばインドネシアとか、アフリカとかのものも好きですが、ちょっとドロッとしたものを感じることがあるのですね、呪術的だったり。そういう感覚は遊牧民にはあまりない。お墓などもポッと石が置いてあるだけのような感じで。
そうよね。だって土地を持っていないということは、そこにものも置けないわけだから。逆に持っている最低限のものは、すごくいとおしいものなのだと思います。
日本だと例えば不動産を担保にしてお金を借りますが、イランの田舎では不動産にあまり価値はないです。その代わり、絨毯に価値があって、イランの銀行の地下室にはいい絨毯がたくさんあると言われています。高価な絨毯を銀行に持ち込むとお金が借りられる。
私は2009年に1度だけ、ニューヨークのサザビーズの絨毯のオークションに行きましたが、ほとんどが中東の方で、彼らも財産としていいものを入手したいんですね。
私もそこで1点だけビッディングしました。2008年のリーマン・ショックの後で、大雪の翌日でしたので人も少なくて1回挙げただけで買えたんです。
それはよかったですね。どういう絨毯ですか。
18世紀に南インドで織られた、まさにオランダが商品として作っていたもので、祇園祭の山鉾にかかっているものと同じタイプのものです。巨大な絨毯だったようで、ボーダーの端切れですが、それでさえ結構な大きさなのですね。
残すべき人類の財産として
最初に私が絨毯と出合ったのは、たぶん「絨毯の間」と呼ばれていた子供たちの寝室にあった、祖母が上海から持って帰った大きな絨毯だと思いますが、それなんか、もうすり減ってしまっていて、基礎のようなのが出てきていました。糸の部分、パイルの部分がほとんどなくなっていて。絨毯も消耗品だからこんなに毎日、掃除機かけていていいのかなとも思います。
普通にかけている分には大丈夫だと思います。ホテルとかお店など人がたくさん通るところは、どうしても減っていってしまいますね。また土足と、靴を脱いで上がる生活では汚れ具合が違う。遊牧民も、もともとテントの中では靴を脱ぎ、絨毯の上に寝転がったり、座ったりする生活なので、現地から持ってきたものはあまり汚れていません。
感触も、やはり靴の底だとなかなかわからないですよね。絨毯に触れ、実際に座ったり、寝転がり、肌に触ることで感触が伝わってくるし、絨毯に愛着が出てくる感じがします。
そうすると鎌田さんみたいにペットのようになっていくわけですね(笑)。
あと、日本人はシルクロード好きなところがありますが、遊牧民が持つノスタルジックなイメージにも魅力を感じますよね。
そうね。もともとが農耕民族の日本人と全く違うから、何かすごく憧れのようなものがありますね。
いろいろな民族と交流すると面白いです。今、アフガニスタンから絨毯を輸入していてパキスタンのペシャワールが窓口ですが、そこにはアフガニスタンのいろいろな民族、トルクメン、ウズベク族、タジク族、ハザラ族、それからパシュトゥーン族がいますが、取引をやっていると性格の違いをすごく感じます。トルクメン人やバザラ人はちゃんとしていて信頼できるし、レスポンスもいいです。
ウズベク人は調子がいいけど、お金にはしっかりした感じです。パシュトゥーン人はワイルドでガンガン突っ込んでくるけど、送られてくる絨毯が違ったり。そのへんを見極めないとビジネスは難しい。
もう30年も現地でやりとりされているのはすごいと思います。私なんか日本にいて買うだけなので。
基本的に買い付けに行くのが一番好きです。とにかく見たことないようなものを買いたい。だから、全然大変だと思ったことはないです。売るのは大変ですけど(笑)。
今、絨毯の価格が一番安いのはアフガニスタンです。これは物価が圧倒的に安いからです。経済的にはものすごく大変で、国民のほとんどの人が経済的にかなり困窮しています。
アフガニスタンは300年前と今とほとんど変わっていないんですね。ずっと内戦をしていたので外国人が入っていない。去年からアフガニスタンも激動なので、今後どうなるのかわかりません。何百年、何千年か続いてきたものが、われわれの時代でなくなってしまうことは残念なので、何とか次の世代につなげていければと思います。
滋賀県にあるMIHO MUSEUMはすごくいいペルシャの16世紀末の絨毯を持っています。ポーランド王家がもともと持っていて長らくメトロポリタン美術館に寄託されていたのを購入したのですね。
秀吉が16世紀のペルシャのキリムを羽織にしていますが、切り刻む前の状態と同じタイプのキリムもMIHO MUSEUMにあります。それも世界的に有名なものです。
日本にも本当に素晴らしいものがたくさんあります。もちろん、祇園祭がその代表的なものです。また、日本は、今、海外の染織好きの人に大人気です。これだけレベルが高い着物の染織文化は他にないと思います。
檀さんのお書きになった着物の本(『檀流きものみち』『檀流きもの巡礼』)はとても貴重な記録ですね。危機感を持って取材をされていることがよく表れていて。
危機感というか、毎回、悲しかったです。死にゆくものへの祈りのような感じですね。この染めが存在する限り、日本は大丈夫というような、自然や環境や文化とまっすぐにつながっているものってあるのですよね。たぶん、この絨毯がある限り、世界は大丈夫というような絨毯もあるのだと思います。
今日は本当に貴重なお話を伺いました。
(2022年10月19日、三田キャンパスにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。