慶應義塾

美しく文字を書く

登場者プロフィール

  • 西村 弥生(にしむら やよい)

    カリグラファー(西洋書家)、工房「ヤヨ・カリグラフィー」主宰。

    スイス人カリグラファーMuriel Gaggini氏に師事。教育と制作の双方を柱に、伝統西洋文字芸術の魅力を広める活動を続けている。

    西村 弥生(にしむら やよい)

    カリグラファー(西洋書家)、工房「ヤヨ・カリグラフィー」主宰。

    スイス人カリグラファーMuriel Gaggini氏に師事。教育と制作の双方を柱に、伝統西洋文字芸術の魅力を広める活動を続けている。

  • 岩井 秀樹(いわい ひでき)

    その他 : 書家文学部 卒業

    1979年慶應義塾大学文学部卒業。書家・東山一郎氏に師事し、仮名書道を学ぶ。書家として日展特選2回受賞を果たす。その傍ら、「書道 東龍文会」を主宰し、聖徳大学文学部教授として後進の育成にも努める。

    岩井 秀樹(いわい ひでき)

    その他 : 書家文学部 卒業

    1979年慶應義塾大学文学部卒業。書家・東山一郎氏に師事し、仮名書道を学ぶ。書家として日展特選2回受賞を果たす。その傍ら、「書道 東龍文会」を主宰し、聖徳大学文学部教授として後進の育成にも努める。

  • 桂 誠一郎(かつら せいいちろう)

    理工学部 システムデザイン工学科教授

    専門は抽象化理工学、人間支援・超人間、データロボティクス。書かれた文字を高精度で再現する「モーションコピーシステム」を2012年に開発。

    桂 誠一郎(かつら せいいちろう)

    理工学部 システムデザイン工学科教授

    専門は抽象化理工学、人間支援・超人間、データロボティクス。書かれた文字を高精度で再現する「モーションコピーシステム」を2012年に開発。

2022/11/25

書くこととの出会い

岩井

私は小中学生のころ、漢字書道の書家だった父から習字を習っていました。高校時代は理系のクラスでしたが、そういう家庭環境もあって大学は慶應の文学部に入りました。

大学入学後、知り合いの先生を紹介してほしいと父に掛け合い、「お前は子どもの時から線が柔らかかったから、仮名書道はどうか」と東山一郎先生を紹介してもらいました。

最初は仮名書道に強い興味があったわけでもなく、読むことすらできませんでしたが、東山先生が2013年に亡くなるまでの38年間師事しました。

西村

お父様は岩井さんのことをよく見ておられたのですね。

岩井

私自身、仮名書道が向いていたかはわかりません。いまだに好きかどうかも(笑)。それでも長い間続けてこられました。いくらでも書いていられるので向いていたのでしょうね。

仮名書道の深さは限りがなく、今出せない味や線が10年後には書けるようになるということもあります。私としてはいい枯れ方をしたいと思っているのですが。

西村

"いい枯れ方"……素敵です。

岩井

一方で年齢を感じることも。やはり頑張っても書けないこともあります。世間的にはおじいさんと呼ばれる歳ですが、書道界ではまだまだ。70代半ばから80歳ごろにピークがくるのを目指しています。先達にも70代によい作品を残されている方が多くいます。

西村

私はもともと会社員でしたが、何か技術を身に着けたいと考え、色々と挑戦したものの一つが伝統的な西洋書道・カリグラフィーでした。わからないなりに始めたところ、やればやるほど終わりがない世界だと知りました。何よりも、これほど夢中になれるものがあったとは、と。文字の美しさもさることながら、長い歴史の一部になれる喜びを感じ、技術と文化を伝えたいと考えて工房と教室を開きました。

カリグラフィーは歴史の勉強も大切です。私はミュリエル・ガチーニさんというスイス人の先生に出逢い、文字の歴史的な変遷を体系立てて学ぶことの大切さを教わりました。

書法と歴史を両方学ぶのが正統なカリグラフィーなのですか?

西村

それが理想です。ローマ字の形は100~200年ごとに変わってきたのですが、背景には戦争や生活スタイルの変化といった歴史的出来事があります。そうした影響を受けつつ、引き継がれる部分と変わる部分が出てきます。一つの書体を理解するためには、前後の時代の書体も勉強することが大切です。私も生徒たちに一書体だけ学んで満足せず、歴史の流れの中で理解を深めるようにと伝えています。

岩井

今も残る書体や文書に傾向のようなものはあるのですか?

西村

文書は宗教や政治に関わるものが多いです。学術的なものもあります。宗教に関わるものが最も多く、大半は聖書の写本です。一冊の本をつくるにはたいへんな人数と時間がかかるので、先達は皆、後世に伝えたいという熱い思いをもって、揺れるろうそくや薄暗い窓からの光を頼りに書き残してきたのでしょう。

モーションコピーシステムの挑戦

私はロボット工学が専門です。子どものころからドラえもんが好きで、漠然と科学技術が未来をつくっていくことに夢を感じ、慶應の一貫教育校から理工学部に進学し研究の道に進みました。データロボティクスを専門に、2012年には手書き文字を高精度で再現する「モーションコピーシステム」を開発しました。

人口減少時代で人手不足となる中、医療・介護だけでなく、生産分野などで、まさに文字を書くように人の手の代わりになるロボットをつくろうと日夜研究を進めています。

とはいえ、人の動作をロボットが再現するのはなかなか難しいことです。現在の技術は、決まった動きをプログラムして繰り返すことは得意なのですが、力を制御することは不得意です。「モーションコピーシステム」でも筆圧の再現には非常に苦心しました。

人の動作には「空間の移動」と「ものに触れているときの力加減」の2種類があります。文字を書くというのはこの2つがミックスされた動作になります。書道の繊細な動きはロボットには無理だと言われていましたが、私たちは研究を続け、2006年ごろに、この2つを成り立たせる理論の根本的なところを少し明らかにすることができました。

これをどうすれば一般の方にもわかりやすく説明できるだろうと考えていた時、ある方にロボットの技術を使って書道を再現してみるのはどうだろうとご提案いただきました。その方の義理のお父様が読売書法会で参与を務めておられた佐渡壽峰先生でした。そのような機縁で佐渡先生には私たちが開発した初号機で最初に筆をとっていただくことができ、その動きをプログラム化させていただきました[図1]。

図1 桂誠一郎教授らが開発した「モーションコピ ーシステム」と、システムによって保存(上)、再 現(下)された佐渡壽峰氏の文字
岩井

アームを持って書く動きを記憶させたのですね。

そうです。先生の動きをデータ化し、ロボットで自動再現しました。これに手ごたえを感じ、2号機では武田双雲さん、紫舟さん、金澤翔子さんらにもご協力をいただくことができました。

西村

こうしたデータをたくさん積み上げることで、著名な書家の他の文字もロボットが予測して再現できるようになるのでしょうか。

これからAIに期待するところですね。私たちの研究はまず忠実に再現させることです。筆圧を完全に再現させるというのは世界でも初めての試みだったのです。

なぜロボットに書かせたか

岩井

こうした技術を応用すると、今後どのようなことが可能になるのでしょう。

一つは技術保存や伝承でしょうか。書家の方の書法をデータ化することで後世にも再現可能になります。書く速さや筆圧も数値化されているので、特定の動きを分析することもできます。

このほか、練習や指導の場でも先生と生徒の字の違いをデータで比べられるようになるとトレーニングにも生かせるのではと考えています。

西村

例えば、ロボットが再現するアームの動きを生徒が持って体感するといったこともできますか?

はい、それも可能です。

西村

すると、私が岩井さんの運筆を体験し字を再現するということもいずれ可能になるのでしょうか。

おそらく実現可能です。岩井さんご本人がその場にいなくても、手を取って指導してもらえる状況をつくることもできます。

西村

ロボットに文字を書かせようと考えたのはなぜでしょう?

当初、書道だけはロボットにできないと言われていたのが挑戦しようとした一番の理由です。

この技術はテレビ番組でも取り上げてもらい、ご覧になった方からは脳卒中や脳損傷の患者さんで高次脳機能障害をお持ちの方のサポートに応用できないかという問い合わせもいただきました。

高次脳機能障害の症状の一つに、漢字を読むことはできるものの、お手本を前に同じ字を書こうとしてもそれができないという状態があります。「失書」と呼ばれますが、まだリハビリのやり方も確立されていない中で、私たちの技術を見てリハビリに取り入れられないかというお話をいただきました。とはいえ、ロボットにできない部分もまだ多く、今後は改良を加えながら、もっと技術を高めていきたいと思っています。

西村

今後どれくらい繊細な動きが再現可能になるのか興味が尽きません。

仰るとおり、これはロボット業界の共通の課題です。字を書くためのアームには縦・横・高さに対応する3つのモーターしか付いていません。人間の手や腕の関節は三十弱ある。それぞれの部位を個別に動かしながら、人間並みに自由度を高めていけるようにすることも課題です。

やはり一番すぐれているのは人の手なのです。道具を使う動きをロボットで再現するのはなかなか難しい。ちなみに、岩井さんが筆をとる時は、体の使い方をどのように意識しておられますか?

岩井

字を書く時は机で書くこともあれば、床で書くこともあり、バランスのとり方はさまざまです。

例えば、人前でデモンストレーションとして書かされることがあります。僕もある時、300人くらいが見ている前で畳一畳分ぐらいの紙に書いたことがありました。この時は漢字書道の先生と私がそれぞれ書いたのですが、左手の付き方やバランスのとり方が全然違いました。加齢によって腹筋、背筋が弱くなり、体勢が変わる場合もあります。

文字を繰り返し書く時に全く同じ動作をとることはないんですね。筆の軸と、筆の先端の穂の位置を逆にして書く「逆筆」という書法がありますが、これには最後に力を少し抜いていき、毛の弾力で筆自身が書いてくれる瞬間があります。それをロボットに書きながら選択させるのはなかなか難しいかもしれません。

西村

でも、期待しますよね。

岩井

うん、おもしろいと思う。

ロボットが再現することに、抵抗はありませんか?

西村

私は期待しかないです。

芸術の世界でAIができること

岩井

少し意地悪を言うと、毛の種類によって筆の弾力は違いますし、紙の種類によって滲み方や筆の引っ掛かり方が違います。

テニスで言えばクレーコートとハードコートでボールのはね方、打ち方や道具が違うのと似ているかもしれません。書道も筆や紙に応じた筆運びがあるわけですね。こうしたデータをインプットするのはものすごく労力がかかるように思います。

課題はそこなんです。今はまだ情報が不足しており、同じ字を再現するには同じ半紙と同じ筆でなければなりません。

西村

先が長くて楽しいですね。こうした技術にどうして期待が持てるかというと、私たちもいずれいなくなる存在なので、今の知識や技術をどう残そうかと考えるわけです。

例えば、羽根ペンは鳥から抜けた羽根をカットしただけのものなのですが、とにかく繊細。目の前にいる生徒たちには手をとって微妙な力の加減を伝えられますが、それも永遠ではありません。また今は方眼紙を1ミリごとにわけるブルーの線一本一本の上と下を見分ける自信があっても、いずれピントが合わなくなる歳になると同じ精度では書けないでしょう。どうしたらいいだろうといつも考えています。

岩井

桂さんの技術からは、私たちに取って代わられる危機感はない。安心感があります(笑)。

西村

そうですね。とても楽しみです。

よかったです。今日は、AIが芸術の分野でも人の仕事を奪ったらどうなるんだという反応だったらどうしようと不安でした。

西村

まさか。本当に期待しかないです。

岩井

書道を学ぶことで最低限のテクニックを身に付けたら、その後は個々のセンスや感性を磨いていけばよいと思うのです。絵も同じでしょう。模写を繰り返し、色使いやタッチを学んだ後にオリジナリティを身に付けていくわけじゃないですか。

書の場合は、ずっとお手本を見て書いている印象が強いと思いますが、自分らしい字が書けるようになるためには、いろいろと学ばなくてはいけません。そこへの橋渡しをロボットが担ってくれるのは期待が持てます。

手と道具との対話

岩井さんの逆筆のお話の中で、筆や紙選びによって書かれるものが違うというのが印象的だったのですが、カリグラフィーでも身体と筆や紙が対話するような側面があるのでしょうか。

西村

私たちが使うのは洋紙ですが、歪みや滲み具合には非常に気を配ります。同じ紙、同じ道具を使っていても気候による影響は大きいです。

紙だけではなく羊皮紙も使います。羊皮紙は動物の皮なので個体差がすごく大きい。動物の身体の一部そのものですからね。羽根ペンも、柔軟性とか、カーブの曲がり具合とか、水鳥の脂っぽさとか。道具の組み合わせによって毎回違うので時々で変えるしかありません。正確に書くためには、手を当てた瞬間から細かい調整が必要です。

岩井

正確に書くという場合、何に対して正確にと言うのでしょう?

西村

アルファベットは漢字に比べて画数がとても少ないのです。単純な形が二十数個しかない上に、似ている形が多い。そこで線の明確さと形の正確さが大切になるのです。これは読み手に伝わるポイントの一つになります。

文字の歴史は人の心の歴史で、残したい思いがあるから書き残したものなのだなと日々感じています。文字そのものが意味を持たないアルファベットだからこそ、文章と印象を駆使して「伝えるために書く」を大切にしたいと思っています[図2]。

図2 西村弥生さんによるカリグラフィー作品
西村

少しの滲みやつなぎ目の太さでも印象は大きく変わります。古い書体用の幅のあるペンではペンの幅以上に太く書けないので、細いところを細く書くことでしか太さの差が出せません。でも、その差こそがエレガンスなのです。

西村

見る力も重要です。とくにトラディショナル・カリグラフィーは誰が書いても同じに見えると言われるのですが、私には著名な能書家の字はもちろん、生徒の字もすべて違って見えます。線の伸び、つなぎ目や跳ねの数値化できない差、書体の理解と選択。誰一人同じではありません。でもそういう目を持っている人がまだ少ないので書く技術とともに見る技術も伝えていきたいです。

西村

岩井さんも仮名書道の指導に当たられていますが、作品を読解するためには相当な訓練が必要ではないかと思います。生徒さんたちにも読めるように指導を行うのでしょうか。

岩井

読めるように教えます。ですが、もちろんいきなり読めるようにはなりません。僕も何年も訓練しましたから。やはり最初は真似から入ることになりますね。

20代のころ、ある先生から「墨の使い方三年、線一生」と言われました。墨はだいぶ使いこなせるようになりましたが、線は今も発展過程です。最近はやっと余白も書けるようになってきたかなと、自分なりに感じています。

「余白も書ける」というのはどのような感じですか?

岩井

美しく見せるための要素の一つに、余白に響く余韻というものがありますが、それはきわめて主観的なものです。美しく見えないと言われてしまえばそれまでのこと。ですが、僕自身は試行錯誤を重ねた結果、こう書くときれいな余白が生まれるというレベルになってきたように思います。

西村

余白をいかにつくるかはカリグラフィーにおいても重要ですが、私はまだまだ勉強中です。

平安時代の息遣いを感じる

岩井

平安時代に読み書きができたのはおそらく貴族階級だけだったと思いますが、平安文学の中に「墨継ぎの景色」という言葉が登場します。また、『源氏物語』に「濃く薄く紛らわして」という表現があり、昔はこれを「誰が書いたかわからないように」と訳していたようですが、最近は「濃淡を付けて」と訳されています。

「濃く薄く紛らわして」という表現があるということは、平安時代にも書き方の教則本みたいなものがあったのでしょうか?

岩井

いえ、『源氏物語』の中にそういう表現があったということのようです。おそらく当時の人も、墨の濃淡を付けることを美しいと感じていたのでしょうね。

僕たちは正確な臨書(名跡・名筆とよばれる手本を書き写すこと)を試みます。臨書によってそれを書いた人の息遣い、運筆のリズムや呼吸を感じ取り、追体験します。今はそのようにして学んでいますが、こうした美意識は平安時代もそんなに変わらなかったのではと思います。

西村

平安時代に書かれたものを直接見て研究することができますか?

岩井

見られます。三田キャンパスのKeMCo(慶應義塾ミュージアム・コモンズ)では平安時代の古書や漢籍を見ることができます。当時のものからは、やはり息遣いのようなものが伝わってきます。

そういうものに触れると、筆はこんな角度で持っていたのだろうなと想像が膨らみます。自分でも実際に試してみると、筆を起こす角度や紙の置き方など、身体感覚がある程度わかってくるんです。再現してみて見えてくることがたくさんある。運筆のリズムが少しせっかちだな、とか。カリグラフィーにもそういうところはありませんか?

西村

わかります。1000年以上前の写本に対して「ずいぶんと思い切りの良い方ね」と笑ったりします。

生徒たちを見ていると、同じものを見て練習しているはずなのに違いが出ます。その違いがやがて個性になっていくのかもしれません。

習い始めのころはまず個性を消すように指導されるのですか?

岩井

最初に現れるのは個性というより癖ですね。個性とは真似することで基礎ができてから現れるものだと思います。学問の世界で先行論文をきちんと読むところから出発するのと似ているかもしれません。

ただ、仮名書道の世界では、西暦1100年代ぐらいには大体新しい表現が出尽くしたと言われているんです。900年代ごろに発明され、その後200年ほどの間に花開いた。すでに鎌倉時代の人たちも臨書して真似をし、それが現代にも通じているというわけです[図3]。

図3 岩井秀樹さんの仮名書道作品

個性はすぐに現れない

西村

個性的であろうとして、一本の線がきれいに書けることの意味がわからないまま他人と違うことをしようとする人がいます。違うだけでその人の本当の個性でなかった場合、その文字を書き続けるのは苦しくなる日がくるかもしれません。本当の自分の個性について、焦らず模索してほしいと思っています。

基本を大事に少しずつ質を上げ、いくつかの書体を繰り返す中で手が線を覚えていきます。線が身に付くころには書体の分析も早くなり理解が深まります。すると次第に、全体的に少し華やかになったり、どっしりした感じが出たりと、微妙な違いが出てきます。同じものを目指し修練しているほうが、その違いは大きく現れます。私はそれこそが個性ではないかなと思います。

やはり基本が一番重要なのですね。ちなみに字が上手、下手という言い方がありますが。

岩井

書で言うと、上手い字といい字は違うのですが、いい字というのはたぶん習って教えられるものではありません。例えば、お坊さんの字などは人となりで書いているところもある。真似しようと思ってもなかなかできません。

西村

そうですね。個性とはつくるものではなく、あるものだと思っています。それは、すぐに出てくるものではない。私が各人に直接指導できる時間は週にほんの数時間なので、それ以外の時間にいかに真摯に文字と向き合ったかも大きく影響します。

筋トレのようですね。

西村

そう、まさにマッスルメモリーですね。真摯に向き合った人ほど個性は早く現れる気がします。

伝統の中のオリジナリティ

西村

ちなみにAIと桂さんのテクノロジーが組み合わされることによって、ロボットが今後個性のある字を書けるようになる可能性はあるのでしょうか。

まだ再現させるだけでも苦心している段階です。ミクロに見ると紙、筆や墨といったすべての要素が総合的に関わってきますので、そうした物理現象を再現するのも非常に高度な技術が必要です。

上手・下手というのも何かしらの味付けだと思うのですが、太さや強さを変えたりといったアレンジはおそらく可能です。ですが、0から1をつくるのは人にしかできません。本当にオリジナルな部分は人にしか出せないだろうなと今お話を聞きながら思っていました。ただ、そこに至るまでの訓練の過程で、ロボットが自分で書いた書を客観的に見てフィードバックを得ることはできるようになるかもしれません。

西村

ロボットがどのように成長していくのかとても興味があります。

コピーしたものはまだ速さと力のデータでしかなく、どうしてこういうふうに力を入れたかとか、なぜここで墨を付け直したかといった意図はまだデータ化できていないわけです。その原因を追究せずに、人間に近づけるのは難しいでしょうね。

西村

岩井さんは東山一郎先生に三十数年師事したそうですが、何十年習っても、師匠と同じ文字にはなることはありませんよね。そこが人の書く文字の面白いところですね。

岩井

東山先生は手本を書かない主義だったので指導の基本は古典の臨書でした。先生曰く「同じ古典を学んでも、俺が学んだものと君が学んだものは取るところが違うから、結果が違うはずなんだ」と。年齢も離れているのに同じように書いているのは不気味だというタイプの人で、先生の真似をしたものはかえって見てもらえませんでした。

そういう意味では、自分で餌を見つけて食べる能力を養ってもらえたとでも言いましょうか。自分を手本にするだけでは動物園の動物だと仰る先生でしたから、その方針はありがたかったですね。

西村

よい先生ですね。

岩井

それでも東山先生が亡くなった時は後ろ盾を失った気持ちになりました。それまで先生には、展覧会に出展する自分の作品を選んでいただいていましたので。けちをつけられたり、俺の趣味じゃないけどねと言われたりしながらも、そっちを出しておきなさいと言ってくれる、そういう先生だったんです。

そんな先生の物の見方を今振り返ると、正しいことを言っていたんだなと気づかされます。先生から言われてきたことが、年齢を重ねるごとに理解できるんですね。

ですから、先生が70代、80代のころに仰っていたようなことは、自分もその域に近づかないと理解できないかもしれません。僕が40代のころにそう感じるようになり、それ以来、先生に対して少し従順になりました(笑)。

学問もまず基礎を徹底的にやるのですが、研究にはどうしてもオリジナリティが必要です。とはいえ、まったく無の状態から何かが出てくるわけでもない。私も師匠の代から続く理論を押さえた上で、博士課程くらいからアレンジを加えていきました。研究者としては道半ばなので、今のお話はとても共感できます。

カリグラフィーの中の日本的なもの

岩井

西村さんが習ったミュリエル・ガチーニ先生の指導方法はどのようなものだったのですか?

西村

私は完全にガチーニ先生の指導方法を引き継いでいまして、まず、写本を見なさい、お手本もよく見なさいと言われました。あなたは見ているようで見ていない、だから書けない、と。

アルファベットは単純な図形の組み合わせでできているので、まずは丸や線で書体の特徴を分析します。つまりOとIとLです。書体の基本形を全アルファベット書けるようになったら、変形とアレンジも。スペースが狭い場合の節約の手法や、逆に余裕がある場合の延長のさせ方、効果的なイメージチェンジや全体のバランスの取り方などです。これらを歴史と合わせて習得していきます。

全体のバランスというのは、岩井さんの言う余白に近いものでしょうか。

西村

そうかもしれません。以前、海外で展覧会に出品した時に、現地のアーティストにあなたの作品はすごく日本的だと言われました。私としては写本そのままの"ザ・西洋の古典"な作品を出したつもりだったので、その時に彼の言っている意味が全然わからなかった。どうやら一般的な西洋人が選ぶものよりも余白を広めにとり、真っすぐに書かれていたそうなんです。

もちろん真っすぐ書くのは西洋人も同じなのですが、日本人にはわからないような、西洋人から見て東洋的なポイントがあるのでしょうね。カリグラファーとしては一つの個性なのかもしれませんが、私は日本らしさを出そうなどとは思っていなかったので衝撃でした。

岩井

自然に滲み出たのでしょうね。

西村

日本人として培われた何かがあったのかもしれません。だとしたら嬉しいです。

岩井

たしかに仮名書道の余白と近いところはあると思います。こちらは日本のオリジナルの文化ですが、もしかすると日本人しか感じえないような余白の美みたいなものがあるのかもしれない。仮名書道でも、同じものを書いて個人差が出ることはよくあります。例えば同じ2行を書いてみても、行間を測ると数ミリのわずかな違いによってうるさく見えたり、寂しく見えたりするんです。

微妙な違いによって与える印象が大きく変わるのですね。

岩井

自分の字を生かす行間というのもあります。さらに文字の中にも空間をつくる技術がある。いろいろなレベルの余白があり、その積み重ねで全体ができるのです。先に書いた線の勢いや形によって、次の字の書き出しの位置が変わることもあります。

西村

それはとてもよくわかります。

岩井

仮名書道と西村さんのカリグラフィーは結構似ているかもしれませんね。タイプが近い気がします。

西村

とても光栄です。

岩井

線を引く位置は同じでも、字の形によって行間が広く見えることもあります。じつに微妙な差なのですが不思議なものですよね。

字の美しさを客観的に伝えるには

西村

もしかしたら桂さんにとって結構つらいお話なのかも(笑)。

よく、AIが登場することできっと何でもやってくれるだろうと言われるのですが、今日はやはりそんなことはないんだなと教えていただいた気分です(笑)。お二人とも日々修業され、それぞれの世界の道半ばであると仰り、その中でスキルを向上することの難しさがある。ロボットが上達するためには、同じようにさまざまな過程を積み重ねていかなければならないのだろうなと感じました。

コンピュータの世界は計算が高速なので、データを大量に扱えるメリットはありますが、地道なところはきわめて地道にやらないと、それこそ個性ではなく、癖だけを取り出してしまうようなことに陥りかねないと思いました。

西村

私は字を書くことに加え、カリグラフィーの歴史をつないでいきたいという思いがあります。その立場で言うと、やはり下手なものは下手だと言わざるを得ないなと思っています(笑)。積み上げて足して伝え続けていくのが自分の役割だろうと。

そうですね。おそらくどの世界もきっと同じなのだろうと思います。私もものづくりなどいろいろなスキルを再現するロボット研究を進めていきたいと思いますが、研究の世界でも修業に時間がかかります。その中で人にしかできないものがあるのはなぜなのかを突き詰めていくと、スキルとは何なのか、ロボットに身に付けさせるには何が必要なのかといった問いにいきつくのでしょうね。

岩井

ご研究の中で、例えば僕の字の余白がきれいに見える理由を客観的に説明できるようなところにつなげていただけたら嬉しいです。

僕も大学で講義を受け持っていますが、学生たちに最初に話すのは、できるだけ感性の要らない授業をしたいということなんです。というのも、東山先生は「この点はここに打った方がきれいだと思わないのかな?」という教え方をする人だったんです。黙って聞いていると「そう思わないからそこに点を打つんだろうね」と。嫌味でしょう?(笑)。

でも授業では、ここに点を打つと余白が広がるというふうに、客観性を持った説明ができないといけない。「こっちの方がきれいでしょう」では違う感性を持った人には通じないと思うのです。桂さんにもそのような分析を期待したいです。

美しく書くとは

岩井

とはいえ今日のテーマの「美しく書く」というのは難題ですね。

西村

本当に難しいです。

カリグラフィーの世界ではやはり明確さと正確さ、線の美しさが大切です。曖昧にならないように気を付けなければいけないんです。

文字も言葉も変わっていくものではありますが、変わらない部分も必ずあって、1本1本の線を丁寧に書くとか、きれいなつなぎ目とか、心を込めて正確に書くことが美しさにつながるのだろうなと思います。小さくて画数の少ない文字だからこそ、緻密さを心がける。おのずと、自分の気持ちも文字に乗ってきます。

岩井

その点、仮名書道は一般の方が美しいきれいな字を書くというのとはまた少し違うアプローチなのかもしれません。僕たちの場合は何文字かをつなげて書きます。でも、つなげるというのは実際の線でつながっている場合と、離れていても呼吸がつながって見える場合の両方があるんです。それは「受け止め」というような感覚なのですが、その時の間にもちょうどいい距離というものがあり、そうしたつながり方、呼吸の流れが美しさを醸し出していると言えます。

でも、僕がいろいろと工夫をして、これは面白いぞと思っても、じつは平安時代にほとんどやり尽くされているんですよね。新しい発明というのはほぼないんです。仮にあったとしてもそういう作品は独りよがりで、見る人に感動を与えるものにはなりません。

ですから、あまりよけいなことをせず、伝統に則ったほうがいい。その根底には、平安時代から変わっていない日本人の美意識のDNAがあるかもしれないからです。その美意識が今も生きていれば、現代人がわざわざ現代らしく書こうなどと思う必要なんてないと思うのです。

西村

日々積み上げてきたもの、という感じですね。

岩井

それは滲み出てくるのではないかなと。古典に則った書き方で、真摯に自分らしさを出したいと思えば、それが一番美しく見えるのではないかなと思います。言葉にすれば、品と格調ということになるでしょう。

西村

同感です。

平安時代にやり尽くされているというのがすごいですね。

西村

私たちの書道もそうですし、桂さんのテクノロジーも同じかもしれませんが、違うことをやるぞと意気込んでも、過去を知らないままで試みたものの大半は、過去に淘汰されたものですよね。新しいことよりも古いことの中にこそ自分がさらに輝ける種があると思って、まずは真摯に昔のものを勉強することが大切ではないかと思います。

岩井

すぐに結果を求めず、筆やペンを持って何かを書いているという過程が好きな人には、書道が向いている気がします。

西村

私の生徒の中でも、淡々と続けた人ほど個性的になっていきます。文字が伸び伸びとその人らしくなっていきますね。

最近はペンで字を書く機会が本当に減ってしまい、強いて言えば学生の論文を添削する時ぐらいです。今はいろいろなツールがありますが、添削はできるだけ自筆で直したものを渡すようにしています。というのも、文字にはやはり書いた人が心を込められる部分があると思うからです。大学に書類を出す時も手書きのメモを付けますが、そういう部分に人の心が現れる気がします。

ロボットもどこか無機質なものに思われがちですが、人間の行動を再現するだけでなく、西村さんのように歴史的なものを慮る中から原理となる理論が見えてくると、そのロボットは人と親和性をもつ動きができるようになるのではと思いました。

レオナルド・ダ・ヴィンチではないですが、かつて芸術と工学が一体だった時代から、学問が次第に細分化されていき、今はスマホのようなもので読み書きできてしまうまでになりました。これからは芸術と工学が再融合する形でロボットに人間由来のものを取り込んでいきたいと考えています。

岩井

いいですね。そんな未来を楽しみにしています。

(2022年9月5日、三田キャンパスにて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。