慶應義塾

ナポレオン没後200年

登場者プロフィール

  • 後平 隆(ごひら たかし)

    その他 : 名誉教授

    1974年慶應義塾大学文学部卒業。パリ第8大学大学院博士課程修了(Ph.D)。1997年~2017年慶應義塾大学経済学部教授。専門はフランス19世紀文学。

    後平 隆(ごひら たかし)

    その他 : 名誉教授

    1974年慶應義塾大学文学部卒業。パリ第8大学大学院博士課程修了(Ph.D)。1997年~2017年慶應義塾大学経済学部教授。専門はフランス19世紀文学。

  • 菊澤 研宗(きくざわ けんしゅう)

    商学部 教授

    1981年慶應義塾大学商学部卒業。86年同大学院商学研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。専門は経営学、組織の経済学等。著書に『戦略の不条理』等。

    菊澤 研宗(きくざわ けんしゅう)

    商学部 教授

    1981年慶應義塾大学商学部卒業。86年同大学院商学研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。専門は経営学、組織の経済学等。著書に『戦略の不条理』等。

  • 堤林 剣(つつみばやし けん)

    法学部 教授

    1989年慶應義塾大学経済学部卒業。ケンブリッジ大学大学院政治思想専攻修了(Ph.D)。専門は近代政治思想史。著書に『「オピニオン」の政治思想史』(堤林恵との共著)等。

    堤林 剣(つつみばやし けん)

    法学部 教授

    1989年慶應義塾大学経済学部卒業。ケンブリッジ大学大学院政治思想専攻修了(Ph.D)。専門は近代政治思想史。著書に『「オピニオン」の政治思想史』(堤林恵との共著)等。

2021/05/17

勝ち続けなければならない宿命

堤林

本年はナポレオンがセント・ヘレナ島で1821年に没してから200年ですが、フランスではある程度盛り上がっていて、いろいろなイベントが企画されているようです。特にマクロン大統領が命日に当たる5月5日に記念スピーチを行う予定で論争を呼んでいる。フランスでは、往々にしてこのようにナポレオンが政治的に利用されるのです。

菊澤

僕の場合、専門が経営学ですのでナポレオンについての関心はあくまでも戦略論です。経営戦略には軍事戦略などが意外と参考になるんですが、その中でもすごく目立つ存在としてナポレオンがいる。ナポレオンの上手な戦略から学べるものは結構あります。

ナポレオンにはいろいろな面がありますが、僕の中ではやはり戦場の英雄という感じです。戦いが華麗で、彼の究極的な正統性(レジティマシー)は戦いで勝つことなのだろうと思うのです。宿命として勝ち続けなければいけなかったのかなと。そこから見ていくと、おもしろいところが見えてくる感じがします。

後平

確かにそうでしょうね。

菊澤

彼の生まれは必ずしもよくないわけですよね。これが王家の一族であれば、自然と正統性があるのに、彼にはそれがないので、戦争に勝ち続け、それを人気につなげるしかなかった。ある意味で、彼は人民の人気を自分の正統性の源泉としている。

僕が思うに、最初は彼は政治家などに取り入る手段として戦っていたと思うのですが、頂点に立った時、手段と目的が逆転したような感じがします。つまり、戦争をすることが目的になってその手段を探していくように転倒してきた感じを受けるのです。これが没落の始まりだったのかなという印象があります。

後平

今のお話は、ちょうどコンスタンが1813年に書いた有名な『征服の精神と簒奪』が当てはまってくるように思いますね。同時代のナポレオン批判としては、もう一人、シャトーブリアンが、ブルボン朝を擁護するために『ボナパルトとブルボン』という痛烈なナポレオン弾劾のものを書いている。

文学畑から言うと、この2つがナポレオン批判の代表ですが、コンスタンのほうがはるかに説得力がある。今、菊澤さんがおっしゃったこともまさにドンピシャリで、つまり「簒奪」ということですね、勝ち続けなければいけないのはなぜかというと、例えばブルボン朝の王様ならば、その前の祖先がたくさんいるので仮に1、2回負けたからといって国民は離れない。だけど、ナポレオンにはそれがない。

正統性をどう確立するか

堤林

そうですね。コンスタンは『征服の精神と簒奪』の中で「ナポレオンはアナクロニズムだ。文明に反する。ヨーロッパは文明化しているのに、それに逆行しているので長続きしない」と言う。

面白いことに彼が皇帝を退位した後、彼の息子を王や後継者にしようと考えた人はいないのです。結果的にルイ18世になってしまう。ナポレオンが皇帝になった時、一応、人民投票で世襲制を確立しているのにです。そういう意味でレジティマシーがないとは言えなくもないのです。

私はコンスタン研究者ですが、果たしてコンスタンは正しかったのかと問うた場合、8割ぐらいは正しいと思う。でも完全にナポレオンがアナクロニズムかというと、必ずしもそうとは言えないと思います。

ナポレオン自身、一生懸命、戦勝以外のレジティマシーを確立しようとしている。ナポレオン法典(1804)や戴冠式(1804)がそうです。パリのノートルダム大聖堂で執り行い、教皇まで呼んで、身にまとったシンボリズムも象徴的です。そうやって戦勝以外のレジティマシーを確立しようと努力したのですが、それが必ずしも上手くいかなかったということではないか。

シャトーブリアンはナポレオンが死んだ後に、“Vivant, il a manqué le monde ; mort, il le possède.”「生きているうちに、つかみ損ねた世界を死して手にした」と言っている。これは、ナポレオン伝説というものが死後にできて、それによってシンボルとしてイデオロギーとしてナポレオンが復活したということです。

だからレジティマシーの定義によると思うのですが、ある意味ではボナパルティズムという考えがその後、フランスの政治に大きな影響を及ぼす。ナポレオン法典なども影響が大きいわけです。

後平

シャトーブリアンは最後までブルボン王朝を擁護しますね。彼の言っているレジティミテ(légitimité、正統性)というのは、要するに歴史的な正統性です。ナポレオンが求めている正統性には歴史的な背景は全然なく、民衆の支持ですよね。そうやって権力の座を上り詰めるのだけれど、上り詰めた後、今度はそれをどのように維持するのかが彼の最大の問題になる。そうした時に例えば戴冠式などは、おそらく一般の人々からはものすごく受けたのでしょう。

だけど、若い頃のイタリア軍総司令官ボナパルトには絶賛して心服していたスタンダールなどはその頃からちょっとおかしいのではないか、と思い始める。インテリで自由主義的な考え方をする人からすると、あのような戴冠式は噴飯物なわけです。そういう一筋縄ではいかないような世論もあったのでしょう。

台頭する若き将軍

後平

ナポレオンが頭角を現すきっかけになったのがトゥーロン攻囲戦(1793)ですね。革命後、あのへんは王党派が多くて中央政府の支配が及ばない。トゥーロンをなんとか攻略しなければいけないと軍を派遣するのだけど、将軍たちが上手くやれない。そこに若いナポレオンが出て行って自ら考えた攻略案を上に飲ませたら、たちどころに攻略に成功して注目を浴びたわけです。

菊澤

トゥーロンの戦いから、ナポレオンはおそらく上層部は駄目だと見ましたね。ずっとイライラしています。彼自身の作戦は、彼がまだ下っ端だったので、すぐには実行できなかった。しかし、上層部がゴタゴタして、結局、彼の提案した作戦通りに実行していきますよね。そんなところから、背後にいる政府が駄目だと思ったのではないか。

後平

そうですね。僕がナポレオンは大変だったろうと思うのは、急進的なジャコバン派が、ロベスピエールが失脚した後も何回も復活するわけです。総裁政府〔1795~99〕ができても、議会で選挙をするたびに王党派が勝ったり、ジャコバン派が勝ったりして、中央で行政権力を握っている5人のdirecteur(総裁)が一枚岩ではない。

そうするとどちらに振れるか分からない。王党派が勝ちそうだとなると、ポール・バラスなどがナポレオンの力を借りて、パリで銃撃してやっつけてしまう(ヴァンデミエール事件)。その中でナポレオンがいつ頃からか自分も権力を握れるのだと思ったきっかけが、たぶんあったのだろうと思うのです。

その後ナポレオンはイタリア方面軍総司令官という将軍としてイタリアに行きますが、当時、人が足りないから、少しでも頭角を現した若い軍人を将軍にする。でも、彼らがどういう政治的な意見なのかを監視するため、パリの権力者たちは子飼の議員を各地に派遣するわけです。

そして、この将軍は負けたとか、この将軍はまずいとか、温和すぎるとパリに通告すると、たちまち召喚されて、裁判があって処刑されてしまうんですね。そういう中にナポレオンは置かれていたんです。総司令官という名称にしても、ある一定期間だけ、要するに日付限定のミッションなわけです。

菊澤

体制維持で言うと、徳川家康は上手に体制を作っていったなと思うんですね。彼は武士という軍人でしたが見事に政治家になる。その点ナポレオンは、やはり始終戦争で忙しかったのだという気がします。家康は戦争を収めた後、内部統治の制度を見事につくっていく。そこにナポレオンはいけなかった。

なぜか。よく言われているように、彼が一国の王ではなく、複数の国を支配する皇帝になってしまったために、自分の領地がはっきりしない。それゆえ、制度面の体制づくりをする時間が彼にはなかったと。

ナポレオンは、まさにスタッフ部門、つまり参謀本部のようなものを初めて軍隊内に設置したのですが、そのスタッフはあくまでも戦争用の軍人で、それを政治までは持ってきていない、それを国内政治に応用できれば、またちょっと違っていたかもしれません。

後平

例えばナポレオンが、伝統的な旧貴族と自分の腹心、要するに若い軍人たちによる新しい帝政の貴族を融合させようと思っていろいろなことをやりますね。

これはスタール夫人などに言わせると、体制を維持するための設計などではなく、ナポレオンは人間が悪いから、ちゃんとしたものも、いい加減なものもゴチャゴチャにして、相手が嫌な目にあって自尊心を傷付けられていることを喜んでいると、すごい悪口を言うわけです(笑)。

菊澤

僕が思うに、例えば彼は愛国心を持つ国民を徴兵し、上手に使った。もう1つ、法律で私有財産を認めた点も大きい。なぜか。敗北し敵国に支配されると土地を取られてしまうので、兵士は必死に戦う。このように、上手に人間の心理的な側面をマネジメントしていました。

それまでは傭兵と犯罪人が兵士として戦場に送られていた。そういう兵士はすぐ逃げてバラバラになるので1つに固めておかなければならない。すると相手は大砲を撃ちやすくなる。一方、国民軍は分隊化行動しても、またもとの1つの軍隊に戻ってくるので、多様な戦術が可能になる。ナポレオンは、軍隊の性格をよく分かっていたと思います。

傭兵は、よい働きをするとお金がもらえた。しかし、ナポレオンはお金の代わりに勲章を渡すという制度をつくり、今までにないマネジメントを展開しました。軍事の側面でいうと、革命的だったと思います。

人民を体現する1つのモデル

堤林

歴史にifは禁物ですが、ナポレオンの右腕だったタレーランが、フリートラントの戦い(1807)で勝った後、ナポレオンに「これでやめましょう」とアドバイスをする。「私は今回の勝利が、陛下が余儀なくも勝ち取られる最後の勝利であると考えたく存じます。今回の勝利が私にとって貴重なのはそのことによるのでございます。けだし、勝利がいかに美しいものでありましても、私は率直に申し上げなければなりませぬが、もし陛下がさらなる戦への道を進まれ、また新たな危険に身をさらされる場合、私の見ますところ勝利は私の申し上げ得る以上のものを失うこととなりましょう」(ジャン・オリユー、宮澤泰訳『タレラン伝(下)』)と言っているのです。

それに対してナポレオンは冗談じゃない、私はもっと野望があると言って征服を続ける。われわれはナポレオンが最終的に負けたことを知っているので、必然的にこうなったと思いがちですが、レジティマシーがいつどのように確立するかは、時間の問題でもあるわけですね。

そもそもフランスではレジティマシーというものが、革命以降危うくなっている。ブルボン家が戻ってくれば正統性があるかというと、全然そうではない。

もう王権神授説ではやっていけないということは、皆分かっている。つまり人民主権しかないということなのだけれど、人民主権とは何なのか、誰が人民を代表するのかというところで、対立が生じて政治が不安定になっていた。そういう意味ではレジティマシーが確固たるものではない中で、ナポレオンは1つのモデルを出したとも言える。

コレージュ・ド・フランスのピエール・ロザンヴァロンが、ナポレオンモデルというのは、ナポレオンという1人の人間、リーダーが人民を体現するモデルである、だから議会をないがしろにする、と言うわけです。ナポレオンはしばしば「民主国家のルイ14世」と揶揄されますが、「朕は国家なり」というような人民主権モデルになっている。

後平

その根拠は、つまりナポレオンが何回か国民投票をやって、これだけ支持されているのだからということですよね。第一統領の時も皇帝の時も、憲法を国民投票にかけるとたいてい半分ぐらい棄権なのだけど、投票した人の中では圧倒的に勝っている。棄権した人の半分をナポレオン側に上乗せするとか、いろいろなインチキをやっていますが、そうせざるを得なかったのでしょうね。

堤林

そうですね。レジティマシーを担保するには人民投票しかないのですが、いったん権力を獲得してからそれを固めるため、手を替え品を替え制度をつくったり、オピニオン、プロパガンダによって意識を操作し、芸術も総動員している。

フランス革命以降、フランス政治は不安定になってどんどん分裂していくわけです。総裁政府は常に不安定で、それでは駄目だと、総裁の1人、シィエスがナポレオンと組んでブリュメール18日のクーデター(1799)を起こす。そして、権力を掌握したナポレオンは、共和国8年憲法の布告と合わせて、これで革命は終わったと宣言します。実際に安定するのは1802年頃ですが。

こう見ていくと、これまでフランス革命以降ずっと不安定だった政治が、ナポレオンが支配者になってますます中央集権化し、数年経つと安定する。客観的にそうした事実はあると思うのです。

そこは上手いなと思います。単に戦争だけではなく、やはりプロパガンダというか、すごいオピニオン操作をしているなと。ナチは後にそこから学ぶわけですね。ナポレオンファッション、帝政ファッションもそれなりに人心を捉える1つの手段となっているのかなと思います。

ナポレオンは表立ってはフランス革命の理念を賞揚し、自由とか平等と言っているわけですが、裏で彼はイタリア遠征の時にすでにこのようなことを言っています。「3千万人の共和国だと! われわれの習俗と悪徳を伴った! そんなものを実現する可能性がどこにあるんだ? それはフランス人が心酔した妄想だったが、他の妄想と共に消え去るだろう。彼らに必要なのは栄光、虚栄心の充足だ。自由なんぞ気にかけているもんか」(Jean Baelen,Benjamin Constant et Napoléon)。

後平

彼らは自由とか、そんなものは全く求めてなんかいないのだ、赤ちゃんのガラガラでも持たせておけ、とすごいことを言っていますよね。

スタール夫人など自由派の人から見れば、ナポレオンはいろいろな手段で人々から自由を奪って独裁権力をつくっていると思える。ナポレオンは、スタール夫人をパリから40里追放にするのです。「パリに入ってはいけない」というのがその当時何を意味したか、今のわれわれにはほとんど分からないぐらいですが、とにかくパリのサロンがなければ、そういうインテリは生きた心地がしないわけです。

スタール夫人は仕方なくパリから出るのだけれど、ナポレオンが戦場に行っている時にこっそり帰って来る。すると警察大臣のフーシェなどは、まあいいじゃないかと黙認しているのだけど、その後それが全部ナポレオンに伝わっていたり。その後、またナポレオンの怒りを買って、スイスのコペに逃れざるを得なくなる。その過程を書いた『追放10年』というとてもおもしろい本があります。

卓越した能力

菊澤

ナポレオンは軍事独裁に近いのですが、その印象がほとんどないところが賢いと思います。今のミャンマーなどの軍事独裁とやっていることはほとんど変わらないのですが、彼は実に上手に国民投票を行ったり、法律をつくったりするイメージがあります。

彼は理系的で数学が得意。もちろん軍事はとても上手なのですが、それだけではなく、彼は士官学校でいじめられていて、図書館にずっと籠ってたくさんの歴史書を読み、歴史に相当詳しかったと思います。その点で彼は文系的でもあり、ただ者ではないという感じはしますよね。

後平

ブリエンヌ兵学校の時のナポレオンは、ほとんど他の仲間と交わらないで1人で本を読んだり考え事をしていたりで、成績も芳しくないですよね。58人中42番というのだから。

菊澤

これは一見悪そうですが、彼は、普通は4年で卒業するところを11カ月で卒業しているのです。だから抜群にできたのです。

後平

すごいじゃないですか。

菊澤

やはり天才ですよね。ただ彼はもともとイタリア領のコルシカにいたので、フランス語があまり上手くないということで相当いじめられていたようです。

本当は、海軍に行きたかったようですが、当時のフランスの士官学校は、本当の貴族ではないと海軍には行けなかったので、陸軍の砲兵になったようです。イギリスに彼が負けているのは大体海戦なので、そのへんも興味深いなと。

もう1つおもしろいのは、彼が負ける時は、徹底的には負けていない点。例えば、エジプト遠征も海戦で負けても陸戦では勝っているので、負けた感じでフランスに戻らないで、逆に凱旋将軍扱いされる。それからトラファルガー海戦では負けていますが、同時期のアウステルリッツの三帝会戦では大勝利を挙げているので帳消しになっている。

でも、最後はさすがに他の国も彼の戦法を真似してくるのです。これはハンニバルもそうですが、経営学と一緒で、成功している人は真似をされるので、最後は競争優位がつくれなくなってしまいます。

ナポレオン法典の発想

後平

ナポレオンには政治的なこととは別に行政面で残っている功績としてナポレオン法典がありますね。こういう発想は自分で考えているとすれば、すごい人だなと。

堤林

かなり、その思想にコミットしたと言われていますね。ナポレオン法典をつくるという発想がどこから出てくるのかと言えば、1つはルソーと、当時のリパブリカニズム(republicanism、共和主義)の思想的潮流と関係していると思います。もちろんナポレオンはルソーを読んでいますし、そこで立法者という存在があり、国をつくるということは、法律をつくる、憲法をつくることだという考えが出てくるわけです。

ナポレオンは実際に憲法によって皇帝になっている。それを人民投票で裏打ちしているわけです。こういう1つのフランス的な伝統があり、ルソー=ジャコバン型国家像という言葉が時折使われますが、人民主権は立法者、主権者というものが重視され、単一なものとして理解されるのです。これは非常にフランス的で、アングロサクソンモデルとだいぶ違う。

イギリスでは権力分立が自明視される。しかし、ナポレオンの場合、彼が人民を体現するからそれに抵抗するということはあり得ないだろうというロジックになるわけです。シィエスの有名な言葉に「権威は上から、信任は下から」というものがありますが、彼が人民を体現しているのだから、それを制約するロジックはどこからも出てこないと。これがルソー主義のロジックで、一般意志の論理だと抵抗権は認められないのです。

コンスタンがナポレオンがクーデターを起こした後に護民院の議員になりますが、1802年にナポレオンによって追放される。その時、ナポレオンはこの形而上学者たちは何を考えているのだ。全然分かっていない。フランスにおいては、私が人民であって、反対勢力の存在する余地はないのだと言い切るわけです。

それに対して、イギリスというのは王が人民の敵となり、議会が人民を代表することもありうる。それゆえ王権を制約するとなる。

後平

なるほど。ナポレオンの悪口を言う人などは、彼はとにかく自分を万能の人だと思わせたいんだと言いますね。例えばナポレオンが戦場で戦っている時に、フランスの小さな町の代表団から手紙を受け取る。町の教会の石が崩れたけれども直していいだろうかという裁可をナポレオンに求めているのです。

このようなことまでやっているのだとびっくりしたけれど、そのようなことまでやらなければいけなかったから、ナポレオンの睡眠時間はすごく少なかったのか。だって、人民は自分だということであれば、人民の考えることを皆やらなければいけなくなってしまう(笑)。

堤林

コントロールフリークではあったのでしょうね。

スタンダールの心酔

菊澤

ナポレオンの正統性というのは、彼の生まれも関係していますよね。もともと彼がコルシカ島にいた時はイタリア支配で、それがフランス領になる。だからある意味で本当のフランス人ではない。そこを追求されると非常に弱いところがある。

後平

同じことを例えばシャトーブリアンなどは悪口を言っている。ボナパルトと言わずにブオナパルテ(コルシカ語)ですよね。どうしてこれほど戦場でフランス人の血を流すことができるかと言えば、彼はフランス人ではないからだと。つまり王だったら自分の臣民を大事にするけれど、彼はそのようなことは考えていないと。スタール夫人も、ちょっと普通のフランス人とは違う人種、違う人格だと事あるごとに言っていている。

だけどナポレオンに抵抗して彼を敗北に導いたきっかけは、例えばスペインでの戦争で、スペイン人というのは、ナポレオンの言葉によればどうしようもない連中だということになるわけですが、これがナポレオンに抵抗できた。

あるいはロシア。『追放10年』で、スタール夫人は逃げている間にいろいろなところを見ていますがロシア人は全然違う。文明化される以前の人たちで、こういう人たちがナポレオンを粉砕する可能性があると言っているわけです。

だから、逆にナポレオンに心酔していたスタンダールなどは、フランスが大嫌いで、イタリア軍総司令官までのナポレオンのことは、本当に絶賛している。第2次イタリア遠征の時に若いスタンダールはミラノに入っているんですが、晩年になってから自伝でそこに筆が及ぶと思い出が頭を占領して、興奮してドキドキして書けなくて、しばらく部屋の中を歩き回ったと書いてある。

スタンダールはジュリアン・ソレルによってナポレオン時代の、ナポレオンを仰ぎ見ていた若者たちの姿をそのまま引き継いでいる人物造形をしたのかなと思います。

フランス政治の連続性

後平

コンスタンは小説『アドルフ』を書いていますが、政治家という側面が強いのでしょうか。

堤林

そうですね。文学者というアイデンティティーはあまりなかったようです。

コンスタンの場合、難しいのは、ナポレオンに対してずっと批判的だったのだけど、百日天下の時に協力してしまうわけです。そこで転向といいますか、Constant l’inconstant「一貫性のないコンスタン」と揶揄されるようになる。

でも彼は『百日天下についての回想』という本の中で、なぜ協力したかというと、自分の考えているリベラルな国家というものがナポレオンの下で実現可能かもしれないと思い、憲法を起草するわけです。L’acte additionnel「帝国憲法付加法」というものです。それはリベラルな憲法で議会も重視し、言論や出版の自由も尊重するものでしたが、百日天下で終わったので結局実現しない。ですからコンスタンとしては転向したつもりはないのです。

ただ、フランスの伝統的な国民性に絶対的な権力というものを尊ぶエートスもあって、それをトクヴィルが後に回想録(『フランス二月革命の日々――トクヴィル回想録』)の中で問題にするのです。フランスにおいては立憲主義がなかなか成立しない、個人的自由というものがなかなか尊重されないのだと。

「フランスにつくることのできないものがただ1つだけ。それは自由な政府。そして破壊することのできない唯一の制度がある。それは中央集権である。どうしてそれを消滅し得ようか。政府の敵はそれを好み、支配者もそれを熱愛している」と言っています。

同じようなことはモンテスキューも言っている。だから多くの思想家や歴史家は革命による断絶を強調しているけど、トクヴィルは、そうではなく、ルイ14世からジャコバン支配、そしてナポレオンの統治まで全部つながっていると、むしろ連続性に注目する。どんどん中央集権化しているのだと言うわけで、それはその通りかなと思います。

フランスの「偉大さ」

後平

ただ、フランスの場合、貴族の力が強かった頃は、貴族は王様に抵抗することこそが王様を思うことだというところもありますね。

堤林

おっしゃる通りで、モンテスキューはルイ14世の絶対主義を批判するわけです。貴族は重要である。中間団体として王権を制約することによって自由が実現するのだというわけです。しかし、実際には、ルイ14世以降どんどん中央集権化が進み、それがフランス革命を経てナポレオンによって完成されていくことになるわけです。

よくフランスのgrandeur(偉大さ)ということが強調されます。ドゴールも「フランスは偉大でなければフランスではないのだ」と言うのですが、よく言われるのは、ルイ14世─ナポレオン─ドゴールという流れです。フランスの偉大さが、1つのアイデンティティーとされている起源はルイ14世だと。もちろんシャルルマーニュ(カール大帝)であるとも言えますが、そのように壮大な支配を彷彿とさせるものが重視される。

それをスタール夫人や、親英派の人たちは、立憲主義的な立場から、権力の集中とか主権の絶対性は危険なのだと訴えるわけですが、フランスではあまり定着しない。

後平

トクヴィルも権力と人民との間にあるべきである中間組織、つまり昔の大貴族たちがどんどん王権によって浸食されてなくなってしまい、絶対権力と人民だけになっているのをすごく批判している。

しかし、ギゾーなどは、むしろ逆で中央集権を進めて、国の持っている地方にある力を全部パリに集め、指令は全部パリから出すと考えて、トクヴィルとぶつかるわけですよね。

堤林

ぶつかりますね。

後平

その当時の権力者は圧倒的にギゾーで、トクヴィルはしがない議員でしかなかった。しかし、今や評価は逆転している。中間的な勢力がなくなっているというのは現在まで続いている大きな問題ですよね。

堤林

ピエール・ロザンヴァロンはそこが重要だと言っています。今日的な用語を使うと、シビル・ソサエティ、市民社会のような中間団体がないと権力を制限することもできないし、また人民の意志というものをボトムアップで表現することも難しくなると言うのです。

ただフランスはやはり一般意志は絶対的で、立法権は無制限であるという伝統が続いていく。それがようやく変わったのは1970年代だと言われています。それまでは議会、立法府が国民を代表して一般意志を表現できるのだから、それを制約できる他の権力はないということで、長い間、違憲立法審査という制度が存在しなかったのが、ようやく70年代になって憲法院がそのような機能を担うことになる。

モンテスキューの逆襲と表現されることもあるのですが、ずっとルソー主義でやってきたものが、ある意味では立憲主義に近付いたと。それでようやく革命が終わったと、ドラマチックに言う人も出てくる。

しかし、2005年頃、暴動や事件があって、EU憲法が否決されたりすると、一部の議員から第5共和制をやめたほうがいいと、第6共和政の憲法草案が出てくる。このように上手くいかないと、憲法ごとひっくり返して新しくやろうという漸進的ではなく革命的な伝統がまだ残っています。

後平

ナポレオンの時代も1795年の憲法は駄目だからといって、全く違う99年憲法(共和国8年憲法)ができますね。

堤林

確かフランス革命から現在まで憲法は15回変わっているのです。

立体的な戦略

菊澤

ナポレオンの戦い方は、非常に緻密で、心技体(心理・技術・物理)の多元的で立体的な戦略であり、それが実に見事だと思います。

クラウゼヴィッツなどは、物理一元論で武力一辺倒です。ところが、ナポレオンは武力だけではなく兵士の心理もくすぐりますし、さらに戦術も上手で、物理、心理、技術を多元的に操る戦略を華麗に展開します。この点は、今でも学ばなければいけないという感じがします。

例えば、物理的観点でいうと、最新兵器を常に保持しています。また、彼が気にしていたのは兵士の酒とパン、そして靴をすごく気にしています。革靴が揃っていないと兵士の進軍の速度に影響するのできちんと用意する。それから心理的には愛国心をくすぐり、私有財産制を守ると言って、兵士の士気を鼓舞することもすごく上手です。若い時はリーダーとして率先垂範で前線に出ていって兵士の心を動かしています。

加えて、戦術的にも今に続く師団制度というものをつくる。この発想は彼からで、これは今の企業でいう事業部制のことです。大軍団制では移動すると長い列になってしまう。それを師団単位に分割し、同時並行して進軍すると、速度が全然違う。ナポレオンは、このような軍事革命をたくさん起こしています。

後平

ナポレオンは第1次のイタリア軍総司令官となってミラノを占領した後に、占領軍として各サロンに将校が招かれても履いていく靴がなかった。こういうひどい目にあった経験から学んだことが、後に生きているのかなと思ったのですが。

菊澤

これは経験なのかどうかは分かりませんが、そういうことに気が付いていたと思います。ナポレオンの軍隊にはスタッフ部門があり、靴などを管理する係をつくってそこに配属させています。だから意外と細かい点も気が付いていて、それがまた兵士にとって受けがよかったのではないか。

結構、兵士の間にも気軽にしゃべりに行っていたようで、「ちびの伍長」(petit caporal)とか言われていたようですね。

後平

そういうあだ名をつけられて、みんなに親しまれていた。ところが彼が統領になった時、昔の彼を知っている仲間が、パリの宮殿で彼を見かけて「あ、偉くなったあいつだ。俺が紹介してあげよう」と近くに行ったら、とても、いわゆる「チュトワイエ」などができるような雰囲気ではなく、何も言わずに戻ってきたという。その頃から野心を抱き始めたんでしょうね。。

「ナポレオン伝説」の系譜

堤林

1821年に死んだ後、まさにラス・カーズの回想録(『セント・ヘレナ回想録』)で、彼の伝説が誕生するわけです。

いわゆるナポレオン神話ですが、フランスは苦境に立つと、ルイ14世も含めた過去の栄光をノスタルジアとして抱きながら、傷付いたプライドを修復しようとする。その流れはずっとあって、フランス的なアイデンティティーとしての「偉大さ」と言われる度に、ルイ14世、ナポレオン、ドゴールが出てくる。

元首相ドビルパンもそうですが、多くの人たちがフランスの偉大さを強調する時にナポレオンに言及し、ナポレオン的なイメージというものを援用するわけです。

ラス・カーズの回想録によってナポレオン神話が誕生して、ナポレオンの遺骸をフランスに持って帰ってこようというプロジェクトが実現するのが何と七月王政期なのです。王権側がナポレオンを政治的に利用しようとした。そういう流れが今日まで続いています。

今年、ナポレオンの没後200年に際しても、そのようなことをするな、という意見もあれば、してもいいけれど、célébration「祝賀」ではなくて、commémoration「記念」でなければいけない、それを皆で記憶し、過去の歴史というものを理解するために必要だという人もいます。

最初は解放戦争だと、真に受けた人もいたわけですが後に変わっていくわけです。ベートーベンも最初は期待しますが、後に失望する。さらに問題になるのは、ナポレオンが、1794年に廃止された奴隷制を復活させていることです。なぜフランス革命の理念を掲げながらそのようなことができるのだと猛反発する人もいる。

常にコントラバーシャル(物議を醸す)だと思います。おまけにマクロンが今度記念演説をするという話です。たぶんル・ペンから票を取るのが主たる目的なのではないかと思いますけれど。

後平

皆、政治利用ですよね。甥のナポレオン3世だって、皆からばかにされていたのだけど、ナポレオンという名前が効いてしまって、大統領から皇帝にまでなってしまう。

日本でのナポレオン人気

堤林

なぜ日本で、ナポレオンが人気があるのか、不思議と言えば不思議で、イギリスではもちろんそのようなことはないし、アメリカでも一部の例外を除いてない。でも、日本では古くは吉田松陰がすでにナポレオンにはまっているわけです。ラス・カーズの回想録も明治45年には翻訳が出て、前田長太という慶應の先生が訳している。

菊澤

現代の企業人からはあまり聞かないのですが、旧軍の軍人の中でナポレオンが好きな人はかなりいたようです。石原莞爾なども好きだったのではないかと思います。やはり軍人として華麗なので憧れるのだろうと思います。

軍事的な歴代英雄といえば、カエサル、ハンニバル、そしてナポレオンとくるのでしょうね。やはりスーパースターと数えうる中の1人だなという感じはします。

後平

これだけ遠大な野心を持ち、それを実現しようと思った人は他にいなかった。スタンダールもそのようなことを言っていた気がします。古代人と比較すれば、近代人は私生活の安寧と楽しみで動いているのだから、今時そんな大昔のようなことをいっても、完全なアナクロだと、たぶんコンスタンはそう思っていましたね。

堤林

そちらのほうがある意味健全だと思うのです。ナポレオンのような英雄は戦争がないと誕生しない。コンスタンは近代というのは商業社会で、文明化しているのだから平和に向かうといっています。モンテスキューや、アダム・スミス、カントも似たようなことを言っている。

ただそれは予測が外れ、20世紀になってヒトラーが出てくるわけです。だからあまり真似しないほうがいいということなのではないかと思いますね。

EUの理念の関係から言えば両義的なところもある。ナポレオンは自由や平等といった理念を一応プロパガンダとしては体現しているわけです。しかし、ヨーロッパ共同体は二度とああいう戦争を起こさないためにできた枠組みですからね。

とにかくナポレオンは今後も論争を呼ぶ人物であることだけは間違いないと思います。

(2021年3月19日、オンラインにより収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。