慶應義塾

文楽を愉しむ

登場者プロフィール

  • 吉田 玉男(よしだ たまお)

    人形浄瑠璃文楽・人形遣い

    1953(昭和28)年生まれ。1968年初代吉田玉男に弟子入り。翌年中学卒業後に吉田玉女を名乗り初舞台。2015年4月、師匠の名跡を襲名、襲名披露公演を行う。

    吉田 玉男(よしだ たまお)

    人形浄瑠璃文楽・人形遣い

    1953(昭和28)年生まれ。1968年初代吉田玉男に弟子入り。翌年中学卒業後に吉田玉女を名乗り初舞台。2015年4月、師匠の名跡を襲名、襲名披露公演を行う。

  • 檀 ふみ(だん ふみ)

    その他 : 女優経済学部 卒業

    慶應義塾大学経済学部卒業。高校在学中に女優としてデビュー。テレビ、映画で活躍。『ああ言えばこう食う』(阿川佐和子と共著)で講談社エッセイ賞受賞。文楽好きとしても知られる。

    檀 ふみ(だん ふみ)

    その他 : 女優経済学部 卒業

    慶應義塾大学経済学部卒業。高校在学中に女優としてデビュー。テレビ、映画で活躍。『ああ言えばこう食う』(阿川佐和子と共著)で講談社エッセイ賞受賞。文楽好きとしても知られる。

  • 石川 俊一郎(いしかわ しゅんいちろう)

    一貫教育校 高等学校教諭(国語科)

    1979年慶應義塾大学文学部卒業。86年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。87年より慶應義塾高校教諭。この間、主事等を務める。著書に『江戸狂歌本集成』等。

    石川 俊一郎(いしかわ しゅんいちろう)

    一貫教育校 高等学校教諭(国語科)

    1979年慶應義塾大学文学部卒業。86年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。87年より慶應義塾高校教諭。この間、主事等を務める。著書に『江戸狂歌本集成』等。

2019/07/25

三人遣(づか)いの人形

私は文楽を見るようになってから10年以上になります。そろそろ見るのが2回目、3回目となる演目も出てくるわけですが、この頃、初めて見たのか、そうでないかが分からなくなってしまって(笑)。似たような話が結構ありますでしょう。

大体、いつも何か「理不尽だ」と思って帰ってくる(笑)。

玉男

悲しいお芝居が多いですから。

石川

いいじゃないですか。その都度新鮮で(笑)。「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」みたいに派手なものは、「前は勘十郎さんが遣(や)った」「今度は玉男さんが遣った」というような見方もあります。

確かに何回か見るとよく分かって、味わうことができますね。

玉男

僕もお客さんに1回よりも2回、3回と見ていただきたいなと思いますね。

昨日は4月文楽公演の千穐楽(国立文楽劇場公演『仮名手本忠臣蔵』)でしたので、すごく力が入りました。4段目の最後、「城明渡(しろあけわた)しの段」では、特に。

石川

玉男師匠が大星由良助(おおぼしゆらのすけ)で、4時間の公演時間のうち最後の30分だけの登場で、全部持って行ってしまった(笑)。

玉男

悪いなと思っているのですけど。(桐竹)勘十郎さん[ 高師直(こうのもろなお)]、(吉田) 和生(かずお)さん[塩谷判官(えんやはんがん)]の殿中刃傷の後、判官が切腹して家臣たちも皆、城を立ち去り、最後は由良助一人の芝居になりますので。

石川

切腹の場に由良助が遅れてやってきて城明渡しでしょう。文楽のセットというのは書き割りなんですが、大きく描かれていた背景が、パタンと変わって小さくなって、遠近法で城から遠ざかるのを表している。その歩いていくたたずまいで、もう、由良助の苦悩が分かる。

昨日、「足」がとってもよくて、足を遣っていた(吉田) 玉路(たまみち)さんに「足の筋肉まで見えたよ」って声をかけたんですよ。

それは素晴らしい。見巧者(みごうしゃ)ですね。

玉男

城から外へ出るので袴をちょっと裾を絡(から)げるんですよ。そうするとちょっと人形の脛(すね)が見える。

何だかすごく専門的なお話になっていますので、専門家じゃない私が解説申し上げると(笑)、文楽は普通、人形一体を三人で遣(つか)っている。これが、まずすごい。

石川

三人遣いの人形というのは、世界で文楽一つだけですからね。

入門すると最初は足から学ぶんでしたよね。

玉男

はい、足ですね。

足に10年。左手に……。

玉男

15年。

左遣いに15年! 右手と首(かしら)は主遣(おもづか)いと言うのですよね。

玉男

はい。左手で首を持って、右手で人形の右手を動かすんです。

でも、そこまで行くのに、まず足の修業に10年かかります。

今どき10年なんて!

玉男

私も大体10年ぐらいで師匠が認めてくれて卒業しました。

「うどん」で入門する

玉男師匠は何歳で入門されたんですか?

玉男

14歳ですか。

石川

歌舞伎だと、主立った役になる方は世襲が多い。ところが文楽は、世襲もあるけど、玉男師匠のように、そういった家の育ちではない人も多いんです。先代の玉男師匠(初代)も違いますね。

玉男

そうです。僕の場合、人形遣いの人が近所にいたのです。

石川

亡くなった(吉田) 玉昇(たましょう)さんですね。

玉男

ええ。昭和41、2年当時はとても後継者不足だった。それで、玉昇さんに中学2年のときに「文楽に1回、遊びに来ぃへんか」と。

懐柔されたわけですね(笑)。飴1個で。

石川

いや、飴じゃないんですよ。

玉男

うどんです(笑)。関西はうどんなんですよね。それで先代の玉男に入門したのです。大阪の、道頓堀にあった朝日座(1984年閉館)というところでした。

入ってすぐはまだ足も遣わしてもらえない。まず、人形が出入りする横幕という小幕を開け閉めする役をやらせてくれた。人形遣いが出るときに、「はいッ」とか、「いよッ」とか、いろいろ掛け声をする人がいるんです。「ぼく、『はい』と言うたら幕開けんねんで」と言われて。

じゃあ幕開けの役から。

玉男

そうです。それから、お芝居が終わったら、舞台下駄を脱ぐときに師匠の足元に草履を揃えて出したり、おしぼりや手拭いを渡したりでした。

付き人さんみたいな感じで。

玉男

そんな感じですね。そういうことをしながら、「足」をちょっとずつ教えてもらったんですね。

「つまらないからやめよう」とは思われなかったんですか?

玉男

それはなかったです。面白かったですね。文楽の場合、太夫(たゆう)、三味線とあって、それに合わせて人形が動くということで、とにかくはじめて文楽の人形の舞台を見たらびっくりしましたよ。映画館みたいだし。パッと横見たらもう舞台があって。

当時の朝日座というのは、廊下にズーッと人形が置いてありました。14、5歳の子どもでしたので、はじめは怖かったんですよ。

石川

それは怖いですね。

私も何度か拝見したことがあるのですが、人形はただそこに置いてあるだけだとモノでしかない。

ところが、人形遣いがちょっと首を持ち上げたりしただけで、たちまち魂が入るのですね。

玉男

そうなんです。人形はそのままでは、やはり死んでいるのです。ところが、人形遣いがこれを持つと、お客さんは「えっ?」と言われます。

ちょっとした微妙な動きでも、やはり魂が人形に入ります。文楽の人形というのは技術もありますが、本当に気持ちを入れて遣うんです。

良い太夫さんは眠くなる?

石川

昨日は大阪の本公演の千穐楽でしたが、今回は、全体として、お客の入りはいかがでしたか。

玉男

お蔭様でとてもよかったです。「国立文楽劇場開場35周年」として「忠臣蔵」を公演したのです。通し狂言で、本当は1日で全部終えてしまうものですが、全部やると夜遅くなってしまう。特に今回は、全段完全上演と銘打っていますので、4月は4段目までをやり、次に7月に5段目からまたやって。その次は11月に8段目から11段目まで、としています。

通しでやると何時間ぐらいかかるのですか。

石川

これまでの通し公演だと、午前10時半から始まって終わりが午後9時半頃ですよね。

すごい! ワーグナーどころじゃないですね。江戸時代の人は、それを通しで見ていたわけですか。

石川

そうです。朝早くから始めて、夜は照明がないから、日が暮れたら終わる。そんな感じじゃなかったのかな。

僕は本当は悪い観客で、ちょうどいい感じで義太夫と三味線が入ってくると、ついウトウトと(笑)。恥ずかしいのだけど、檀さんはそんなことはありません?

私は皇室にも嫁げるといわれるぐらい、寝てるように見えないように寝ています(笑)。目を開けながら、意識が遠のいていくみたいな。

石川

前のほうの席だと、舞台から、「あ、このお客さん、寝てはるなあ」って分かりますか。

玉男

分かりますねえ。

石川

じゃあ今度から気を付けます(笑)。

玉男

でも、眠くはなりますよ、絶対(笑)。いい太夫さんの浄瑠璃はやはりよく眠れる。これは本当にそうだと思います。ちょっと下手な太夫さんは声が大きいばかりで、何か耳障りになるんですよね。

この間伺った話なのですが、蓄音機で昔の名人、豊竹山城少掾(とよたけやましろのしょうじょう)(古靱太夫(こうつぼだゆう) )さんのSPを聴かせながら、実際に人形遣いさんに演じてもらう文楽が湯布院であったらしい。

そうしたら人形遣いの方が、「とても人形が遣いやすくてよかった。もう1回やらせてくれ」とおっしゃったそうですが、太夫の語りでそれだけ違うものなのですか。

玉男

山城少掾に三味線が(鶴澤(つるざわ))清六師匠ですね。今度また「野崎村」 を蓄音機でやるみたいですね。やはりいいんですね。山城少掾に語ってもらって、うちの先代が人形を遣っていたのを聴きましたが、ものすごく素晴らしかったです。

足遣い・左遣い・主遣い

石川

僕は国文学専攻だったせいもあり、25歳ぐらいからずっと文楽を見ているんです。

歌舞伎は諸先輩で詳しい方がたくさんいらっしゃる。近世文学をやっているのだからほかに何かないかと思って文楽を見始めたんです。そのころ玉男さんは玉女(たまめ)さんという名で、髪の毛が突っ立っていて(笑)。ちょうど入門して10年ぐらいで、まだ小さなお役でした。

足から左になられた頃?

石川

先代(玉男師匠)の左に入られたぐらいだと思うんです。その頃は左が誰だとか全然分からなかったけど、最近、誰が左で誰が足だっていうのまで楽しくなって。

それ、すごいです。

石川

体形で分かるんですよ。

でも足遣いは客席から見えないでしょう?

石川

いや、でも時々クルッとなったりして、体つきが分かるんですよ。

それはすごいですね。私は全然まだそこまでいたらない。

主遣いの方の高下駄。あれはどのくらいの高さがあるのですか。

玉男

高いのは40センチもありますね。

やはり、足を遣う人たちがいるから、主遣いの人の下駄を高くして下に余裕を持たせているんですね。舞台もちょっと上のほうにあるし。

玉男

そうです。それで手摺(てすり)という足隠しがあります。約二尺八寸、90センチ弱あるんですね。そこに人形を差し上げると、人形が地面に立っているように見える。そのために、いくら背が高くても舞台下駄を履いて人形を遣う。

玉男さんは大きくていらっしゃるから、玉男さんの足をなさっている方は、(位置が高いので)楽じゃないかと思うのですけど。

玉男

割と楽だと思います。でも、年を取ってくると重くなってきて、人形が低くなってくる。今、私も65ですから。

石川

主遣いが全部の人形を支えるわけですからね。

人形は何キロぐらいあるのですか。

玉男

一番重いもので10キロぐらいです。

それを左手1本で支える。

玉男

はい。ただ、左遣いが差金(さしがね)という棒を持っていて、人形の腰をグッと引いて受けてくれています。そうすると少しは軽くなる。

ただ、人形が歪んでしまったりするので、あまり人形を受けすぎてもいけないんですが。

絶妙な感じで人形を支えて左を遣うと、主遣いも楽になる。

玉男

そうです。歪まないように左遣いが受けてやる。それが左遣いの責任です。

でも不思議なもので、先ほど足遣いはあまり見えない、みたいなことを申しましたけど、よく考えれば、皆、見えているのですよね。

玉男

そうです。

主遣いの方など、主立った方は顔まで出しているのですから。

でも、やはりいい舞台になると、全てが消えて、人形だけが動いているように感じる。あれがまた不思議な世界ですよね。

玉男

はじめて見る方は黒衣(くろご)が邪魔に感じられるようですね。ところが、2回、3回と見ると、それが気にならなくなると皆様おっしゃいます。そこは面白いなと思います。

人形は一番多いときで一度に舞台に8体ぐらい出るときがある。すると、3×8=24人、人形遣いがいるんですよ。

石川

あの小さな舞台で24人がうごめいている(笑)。

玉男

たくさん出るときは別の人形が邪魔になったりする。3人遣いというのは大変ですね。

歌舞伎とは違う面白さ

石川

私たちの世代だと、小さい頃、東映の時代劇を見ていたり、テレビでもよくやっていたので、自然に時代劇に入れましたよね。「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん」とか「して父さんの名は あいあい阿波の十郎兵衛と申します」なんて語ったりしていましたけど、そういう環境が今はないですね。

今の若い人たちも文楽を見てもらえると面白いと思うんですけれど。歌舞伎とは違う別の面白さがある。

絶対面白いですよ。漫画世代だったら、歌舞伎よりも想像力を膨らませられるような気がします。

橋本治さんが書いていらしたけれど、義太夫の語りはすごく日本人の語彙を増やしてくれて勉強になる。子どもの頃からちょっと語らせて、いいところを覚えさせたらどうかと思います。慶應の幼稚舎あたりでやってください(笑)。

声を出すって、今の子どもたちにすごくいいことだと思うし。

石川

NHKのEテレの「にほんごであそぼ」では、勘十郎さんがやっていらっしゃいますね。

玉男

そうですね。(鶴澤) 清介(せいすけ)さん(三味線)と、(竹本) 織太夫(おりたゆう)さんが一緒に出演されています。

石川

私は、東京年4回、大阪も年1回は必ず見に行っているのですが、東京だとなかなかチケットが手に入らないのです。

そうなんですよ。

石川

いつも行っている方がまた次も買うので、観客の層が常に同じなのかもしれないですね。客層を広げる手段は何かないでしょうか。

「チケットが取れない」と文句を言ったら、「大阪に来てください」と言われましたけど(笑)。

玉男

東京はやはり劇場が小さいですからね。大阪は753席あります。東京は550席。200ぐらい違います。東京のほうが人口が多くお客さんも結構来られるので、200の差というのは結構大きい。

さらに大阪は日数が長いんです。東京は17日間のところ大阪は22日か23日ぐらいある。だから、大阪のお客さんはいつでも気楽に文楽を見られる感じもあると思います。

石川

あとは長門市のながと近松文楽など地方公演もあるんですね。東京でも地方公演があって大田区の区民会館や赤坂文楽(赤坂区民センター)、にっぽん文楽が明治神宮でやっていたりもします。

そういったところにもたくさん来ていただきたいなと思います。

私の席が取れなくなるほど見えると困るのですけれど(笑)。

玉男

本公演が大阪、東京と続き、その間に個人の公演とか、学校公演とか、毎年夏には内子座(うちこざ)(愛媛県内子町)のような古い小屋でもやっているので、ほぼ文楽をやっていない月はないんです。

ではお忙しい。大変ですね。

首(かしら)のしくみ

私が俳優として、文楽が素晴らしい、と思うのは、別に涙を流すわけでも顔が変わるわけでもない。ただ、人形がちょっと上向いたり、下向いたり、横向いたりするだけで、表情が出るところですね。

玉男

そうですね。本当に1つ頷くだけでも変わります。

これは先代の玉男の首(写真)ですが、ヒノキでできています。師匠が自前でつくったものなんですね。

頭が坊主になっている。鬘(かつら)も毎回付けるのですね。

玉男

付けたり取ったりします。これは「文七(ぶんしち)」という名前の首です。役には全部、名前が付いています。「文七」は主役ですね。

動かすと目が檀さんのほうに向きます。こっちを引くと目が逆に動く。

この目の端、ちゃんと赤くなっているんですね。

玉男

これは「チョイ(引栓)」といいまして、人形を頷かせる仕掛けですが、太棹三味線の一の糸をつないで、顔の下、喉の下を通って、竹の栓にくくり付けてあります。節目のないヒノキですから、本当に100年でももつ首です。

首の名前は同じ「文七」でも、ものによってハンサムだったり、ハンサムじゃなかったりしますよね。

玉男

そうです。「文七」の下は「検非違使(けんびし)」で、ちょっと若い。もう一つ下は「源太」です。

「文七」という名前の首でも幾つかあるわけですね。娘もきれいな娘と、それほどでもない娘がいるでしょう(笑)。

石川

娘とか老女方(ふけおやま)とか。

玉男

ありますね。顔も一つずつ全部違います。ものすごくいい顔があったり、何かちょっときつい顔があったり、たくさん種類があります。

今日は胴体は持ってきませんでしたが、人形の胴の上に首を差し込み、胴体には衣裳を着けます。

その衣裳の中に布団綿を入れるんですよね。昔の布団綿がなくなって困っているという話を聞いたことがあるのですが。

玉男

そうですね。今の布団はナイロン綿みたいなもので軽いんです。昔の綿とは全然違う。昔の綿というのはものすごく柔らかいのです。

「檀さん家、古い布団ない?」って聞かれました(笑)。

衣裳を着けるのは人形遣いの役目なんですって。

玉男

「人形拵(こしら)え」といって、人形遣いが自分でやります。

縫い付けたり、着せたりもですか?

玉男

そうです。人形の胴体に襟から順番に着けていきます。

画像

立役(たちやく)と女方(おやま)

玉男さんの場合、私の拝見している限りでは立役が多いですよね。

玉男

ええ、僕は立役ですね。

玉女さんのときも、「女」だったのに男ばかり(笑)。

玉男

そうそう。僕は襲名で玉(たま)「女(め)」から玉(たま)「男(お)」になったので。

女の役をなさることはもうないのですか。

玉男

25、6の頃は、端役の女中や遊女役をいただいたことはありますが、その後はなかったです。敵役の、例えば「加賀見山旧錦絵(かがみやまきょうのにしきえ)」の局岩藤(つぼねいわふじ)、「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の八汐(やしお)とかはたまにやることがありますけれど。

悪い女の役はできる(笑)。

玉男

そうですね。これは大体立役遣いがやります。

動きが荒いから。

玉男

歌舞伎でもやはり片岡仁左衛門さんとか、中村吉右衛門さんなど、立役の俳優さんが演じられることが多いのではありませんか。

石川

以前、渋谷区文化総合センター大和田の伝承ホール寺子屋公開講座で「酒屋」のお園を遣われましたよね。あのときは照れていらした(笑)。

玉男

いや、照れるんですよ。やはりずっと立役を遣っていると、ふだんはやらないので。体も大きいですしね。

先代師匠は老女方を遣いましたし、蓑助(みのすけ)師匠も女方ですが、若男も遣われます。先代の勘十郎さんは立役遣いだけでしたが、今の勘十郎さんは両方ともやりますけれど。

勘十郎さんみたいな方は珍しいということですか?

玉男

そうですね。あそこまで器用にやりはるのは珍しいでしょうね。

足遣いの難しさ

女の人形には足がないんですよね。

玉男

ないんですよ。

でも足遣いはいるわけですか。

玉男

もちろんいます。

もちろんって、だって足がないのに(笑)。

玉男

着物の裾をこのようにして。

座ったりするときに足がいかにもあるように見せるということ。

玉男

そうですね。着物の裾に「つまみ」というのがありまして、両手で持って「ふき」をさばくわけです。これが女形の足遣いの難しさです。

足遣いにはあまり動かないのもあるんですよ。

石川

逆にそれは難しいですよね。

玉男

じっとしている足ですからね。大変なんですよ。座っている人形の足をじっと持っていて、人形の下にその足があるわけですから、歪んではだめで、その間、歯を食いしばって、汗がだらだら出てくる。

うちの師匠はじっとしている役が多かったんです。「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」の主役の長右衛門の足。それから、「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」の武田勝頼の足……。

「おまえはこのじっとしている足を持たなあかんで。これは勉強やねん」と言うのです。そのときは分からなくて、なんで動く足に行かしてくれへんのやろと思い、それでずいぶん嫌になったことがあります。

でも、「動く足はいつでも遣える。じっとしている足を持ってたらええねん」と言うのです。

何か禅問答みたいですね(笑)。

玉男

そう。でも、それは実際、後になって役に立ってきたんですよ。

じっとしている人形の足は人形遣いもじっとしていないといけない。動いたらだめです。だからそこは忍耐ですよ。

よくそういう辛抱ができましたね。

玉男

今、文楽の人形をやりたいと言って、若い研修生が来ても、足10年とか言うと……。

石川

逃げていってしまう(笑)。

玉男

そうなんです。給料は安いし(笑)。だからそういうことはあまり言わないで、「文楽ええで」と誘う。

石川

「うどん、おいしいで」と(笑)。

努力次第で名跡を継げる

国立劇場には、後継者を育てる養成事業があるのですよね。

玉男

2年に一度公募があり、中学校卒業以上、原則23歳以下の男性が応募できます。今、研修生で3人来ているんですが、神戸大学卒の学生が1人いて、その子は太夫志望なんですよ。25歳とちょっと遅いのですけどね。

でも声は結構出るんです。研修生は2年間で、その間に僕たちが講習します。はじめの半年ぐらいは人形、太夫、三味線、3つともやらないといけないのです。

石川

研修生はほとんど文楽のお家ではない方ですね。そういう方がだいぶ増えていて、技芸員全体でどれくらいでしょう?

玉男

研修生出身は全体の40%ぐらいでしょうか。

石川

歌舞伎だと名跡は世襲なのでその家でないと継げないし、また逆に、継がなければいけない。

文楽の場合、(鶴澤) 燕三(えんざ)という、味線ですごく大きな名前を、研修生出身の今の燕三師匠がお継ぎになっている。

玉男

(野澤) 錦糸(きんし)さんも研修生からです。前は錦彌(きんや)さんという名前でしたが、先代の錦糸師匠の名前をいただいた。研修生出身であそこまで行ったのは初めてです。

石川

そうすると、これから入っていく研修生にとってはすごくやりがいがありますね。

玉男

そうです。自分の努力次第です。人形遣いも、太夫、三味線も実力の世界なので、いくら親がやっていても本人が下手やったら誰も認めない世界ですから。

石川

玉男師匠も入門されてもう50年過ぎましたね。

玉男

ええ、52年になります。

石川

ちょうど同世代の、和生さんと玉男師匠と勘十郎さんの3人がトップでいらっしゃって。

すごい。三羽がらす!

玉男

ええ、本当に有り難いことです。この50年、本当にいろいろありました(笑)。平成27年に61歳で2代目玉男を襲名したことが大きいですね。

やはりこの襲名から、「これからが本当の精進や」という気持ちでいますね。

襲名されると、その名前によってやはり風格も芸も備わってくる。すごく不思議だなと思います。

玉男

先代が偉大な玉男でしたので。うちのおふくろなんか「一生、玉女にしておいたらどうや」って言うてたんですよ(笑)。

きっかけがあって、こうやって襲名をさせてもらいました。師匠を襲名するというのは、やはり師匠を追いかけていくことになりますので、一生修業ですね。

見どころ満載の舞台

玉男

師匠は「下手な人のも見なあかんでえ」とよく言っていました。舞台の袖からとにかく「見ておけ」と。どんな人でも、常に舞台を見ることは必要なんですよ。今の若い人は舞台を見ない子が結構多い。スマホばかりいじっている子がいるんですわ(笑)。

石川

授業中と同じですね(笑)。

玉男

今はスマホで文楽の映像もすぐに見られるでしょう。でも、映像からは、表面的な段取りや形しか分からないと思います。やはり生の舞台を観て、微妙な動きや間、息づかいを感じ取ってもらいたいんです。

そうですよね。

石川

浄瑠璃の言葉というのは全部、頭に入っていらっしゃるのですか。

玉男

ある程度は入っていますね。たまに自分の役の台詞を太夫さんが語っているのに、一瞬忘れてしまい、「兄さん」とか左遣いに小声で言われて、「ああ、そうや、ここで動かさならん」というときがたまにあります。

でも、人形遣いは台詞を言う必要はないですからね。太夫が語ってくれるのです。その点、役者さんは大変でしょう。

役者は自分で勝手な間をつくれるから大丈夫です(笑)。

以前は私も人形ばかり見ていましたが、最近、太夫の語りとか、いろいろなことに目が行くようになりました。「こういう言葉の言い回しを覚えて日常生活の端々に出せたら面白いな」って。いい言葉がたくさんあるじゃないですか。

玉男

ありますね。

ときどき、ああいうむせび泣くような女性を演じてみたいなと思ったりもするのですけれど。

着物も好きなので、「ああ、こういう着物の合わせ方があるんだ」なんて見たりもしています。

それから、太夫さんの見台(けんだい)は蒔絵の見本市なんですよ。みなさん凝っていて、「うわー、すごい!」と思います。房なんかもものすごく凝っていたりする。見どころが山のようにあるのです。

玉男

お客さんは床も見なければいけないし、舞台も見なければいけない。忙しいでしょう、文楽は。

「聴きに行くもんや」という常連のお客様がいるのが文楽です。5月の東京公演の「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の「山の段」も、大掛かりな芝居です。上手だけでなく、下手にも太夫、三味線が出て、掛け合いで一段が進む。競い合ってすごい迫力の舞台になると思います。

石川

二つ床ですね。

玉男

舞台の真ん中に吉野川が流れていて。

石川

上手が「背山」、下手が「妹山」で、両脇で語る。

玉男

左右で対話するんですね。

太夫が語るんですか。

石川

そうです。すごくきれいな舞台ですよ。

名人が伝えてきた伝統

石川

檀さんは絵も音楽も着物もお詳しいですけど、文楽には、「俳優として見なければいけないな」ということで入られたのですか。

ずっと気にはなっていたんです。向こうの人の「シェークスピアの芝居を知らなければ話にならない」みたいなものが、文楽にはあるのではないかと思って。

10年ほど前、友達が、文楽を見始めるようになったので、一緒に東京公演を見るようになったら、すごくはまっていったんですよね。

玉男

嬉しいことですね。

石川

私は今から40年ぐらい前からなので、先代玉男師匠と簑助師匠の世話物を見ている。それから、(竹本) 津太夫(つだゆう)師匠(4代目)、(竹本)越路太夫(こしじだゆう)師匠(4代目)、お二人の「忠臣蔵」「妹背山」なんていうのを見ているのが、自分では財産だなと思っています。

素晴らしいですね。

石川

そのとき、今の玉男師匠はずっと左に付いていらっしゃったのだなと思うと、あのときもっと見ておけばよかったと思います。

文楽は、歌舞伎の外連味(けれんみ)と違う伝統をずっとそのまま保っている。僕が見てきたところで言うと、津太夫、越路太夫、そして先代玉男師匠、今も現役でいらっしゃる簑助師匠たちが昭和から平成の名人。現在だと和生師匠、勘十郎師匠、玉男師匠がいらっしゃる。

明日から令和の時代になりますが、これから期待できる中堅、若手はどうでしょうか。

玉男

結構若い人が伸びてきています。僕は今まで1部、2部両方出させていただいていたのですが、最近はどちらか一部だけの出演という日も出てきました。寂しい気持ちもありますが、今、玉助君とか玉志(たまし)君とか、僕より一回り下ぐらいの若い人がいます。大きい人形は結構肩にも腰にもきますから、彼らに任そうかなと思っているところです。

黒衣と出遣(でづか)い

石川

玉男師匠は今はもう立役のトップでいらっしゃって、直弟子のお弟子さんもいるし、玉佳(たまか)さんたちみたいな先代からの預かり弟子もいる。それ以外に協会でお役もやられていて、小割(こわり)委員もやられていますね。

「小割」って何ですか。

玉男

小割というのは、左遣い、足遣い、介錯や口上の配役を決める仕事です。勘十郎さんと二人でやっていますが、「人形小割帳」という大福帳のようなものに、人形の出入り順に主遣いの名前を記し、右肩に左遣い、左下に足遣いを記していきます。

石川

誰が何の人形の何をするかということを決めるんですね。

玉男

例えば4月公演の「忠臣蔵」でしたら、大序(だいじょ)から4段目までの人形の出入りを全部書いて決めていくわけです。

石川

場面によって、黒衣に頭巾をつけて遣うときと、顔を出して遣う場合がありますね。

玉男

口上が最初に「人形出遣いにて相勤めます」と言うでしょう。重要な場面は顔を出す出遣いが多いです。

玉男さんが黒衣で出ることもあるのですか。

玉男

もちろんです。

石川

例えば「忠臣蔵」の最初の大序は全部、主遣いも黒衣です。

物語のはじめ、例えば「忠臣蔵」では大序と2段目までは顔は普通は出さない。

玉男

とくに通し狂言というのは長いでしょう。だから、はじめから顔を出してしまうと、ちょっと。

本人が疲れる(笑)。

石川

いや、観客が人形遣いさんを見てしまうからではないですか。

なるほど、人形に集中させるためと。

玉男

今度の「妹背山婦女庭訓」で僕が遣う大判事清澄(だいはんじきよずみ)は、今は預かり弟子になっている玉勢(たませ)君が黒衣で大序を遣います。そのように若手が勉強のために同じ役を黒衣でやってもらい、出遣いのところから僕が顔を出して遣ることもあります。

そういうこともあるんですね。

石川

深く見ていくと、「さっき早野勘平をやっていた玉佳さんが、ここから玉男師匠の左に入ったな」と分かる。

あとは、「簑助師匠の左は一輔(いちすけ)さんだな」とか。一輔さんが、もう嬉々として左をやっていらっしゃる。そういうところにまた師弟関係の強さを感じるわけです。主遣いでいい役をやる方が師匠の左に付くのを見ると、「麗しいなあ。ああいう弟子が欲しいな」と思う(笑)。

師匠の左遣い

師匠が玉女さんの時代に、先代の玉男師匠が玉女さんの左を遣ってくださったことがあるんですってね。

玉男

若手勉強会のときに師匠が「左に行ってやる」と言って、「一谷嫰軍記(いちのたにふたばぐんき)」の熊谷の左を遣ってくれました。あとは「寺子屋」の松王丸の左ですね。これは、重たかったですよ(笑)。

石川

緊張してしまいましたか。

玉男

普通は緩めるところを師匠はグッと引っ張るんですよ。僕が前へ行こうと思ったら、左にグッと止められる。「間が早い」というわけです。とても勉強になりました。

どうして人形1つを3人であんなに滑らかに動かすことができるのだろうと、すごく不思議なんです。

玉男

三人遣いというのはやはり上手いことできていますよね。でも、主役や脇役クラスの主遣いができるようになるには、やはり3、40年かかるわけです。

そこが深くて面白いところですよね。一朝一夕にはできないわけですものね。

石川

これから舞台はもちろん、今度は後進の指導もされる。あとは普及ですね。

玉男

そうですね。今、学生向けの「文楽鑑賞教室」を東京でも大阪でもやっています。

石川

慶應の中等部が公演によく行っていました。

鑑賞だけではなく、義太夫をちょっと語らせるとかもいいですよね。

石川

上手く魅力を伝えていくことが必要だろうと思いますね。

玉男

今後ともぜひ、文楽をよろしくお願いいたします。

こちらこそ。今日お話を伺って、また楽しみが増えたようです。

(平成31年4月30日、京都ケンプトン清水にて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。