登場者プロフィール
生島 淳(いくしま じゅん)
スポーツジャーナリスト1967年生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。博報堂勤務を経て独立。ラグビー、駅伝、野球を主に手掛ける。著書に『エディー・ウォーズ』『慶応ラグビー「百年の歓喜」』等。
生島 淳(いくしま じゅん)
スポーツジャーナリスト1967年生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。博報堂勤務を経て独立。ラグビー、駅伝、野球を主に手掛ける。著書に『エディー・ウォーズ』『慶応ラグビー「百年の歓喜」』等。
金沢 篤(かなざわ あつし)
その他 : パナソニックBKコーチ環境情報学部 卒業健康マネジメント研究科 卒業1977年生まれ。2015-2018慶應義塾大学蹴球部ヘッドコーチを務める。選手時代のポジションはSO。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学院健康マネジメント研究科修士課程修了。
金沢 篤(かなざわ あつし)
その他 : パナソニックBKコーチ環境情報学部 卒業健康マネジメント研究科 卒業1977年生まれ。2015-2018慶應義塾大学蹴球部ヘッドコーチを務める。選手時代のポジションはSO。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学院健康マネジメント研究科修士課程修了。
廣瀬 俊朗(ひろせ としあき)
その他 : ラグビーワールドカップ2019アンバサダー理工学部 卒業1981年生まれ。慶應義塾大学理工学部卒業後、東芝へ。2007年日本代表初選出。12年代表主将。ラグビーワールドカップ2015日本代表。ポジションはWTB/SO。著書に『なんのために勝つのか。』。
廣瀬 俊朗(ひろせ としあき)
その他 : ラグビーワールドカップ2019アンバサダー理工学部 卒業1981年生まれ。慶應義塾大学理工学部卒業後、東芝へ。2007年日本代表初選出。12年代表主将。ラグビーワールドカップ2015日本代表。ポジションはWTB/SO。著書に『なんのために勝つのか。』。
2019/06/25
1984、85年の記憶
昔、慶應の野澤武史君(1999年度大学選手権優勝時FW、現山川出版社取締役)が、「僕は慶應右翼ですから」と言っていたんです。それで言えば僕は「早稲田右翼」(笑)。子供の頃から早稲田しか受けないつもりだったんですが、高校2年の時、松永敏宏さんがキャプテンの代(1984年度)の慶應を見て、受けようかなと思いましたね。
慶明、早慶戦に勝利し対抗戦優勝。そして大学選手権決勝で、スローフォワードによる「幻のトライ」で同志社に惜敗した試合が非常に感動的でした。そして翌年、僕が高校3年の受験の時に慶應が日本一になるわけです。
すごい時代でしたね。
結局は早稲田に進みましたけど、この時の思いがずっと僕にはあった。大学時代に放送されたドキュメンタリーを見ても、すさまじい練習を泥だらけになってやっている。そんな姿に、どうしてあのスマートな慶應の人たちがここまで必死になってやっているんだろう、という疑問がずっとありました。
そして、日本一の前後のメンバーの人にお話をお伺いし、『慶応ラグビー 「百年の歓喜」』(2000年)という本を書いたんです。僕が高校時代に惹かれたものは何だったんだろうと考える中で、やはり、上田昭夫という人の存在はものすごく大きかったんだなと感じましたね。
お二人とも上田さんの薫陶を受けていらっしゃいますね。
そうですね。僕が慶應ラグビーに初めて触れたのも1984年頃です。自分は小学生でしたが、父親も慶應出身でラグビー好きで、やはり〝魂のタックル〟に憧れましたね。
田代博さんというすごく小さいフランカーの方のタックルがカッコよかったから、その頃バドミントンのラケットに「6」と書いていたんです(笑)。この頃から慶應でラグビーやりたいなと思っていましたね。
慶應のメンバーは全部言えました。早稲田も何人か覚えていますけど。
橋本(達矢)、五所(紳一)、中野(忠幸)の第一列ね。
僕は、84、5年は3歳くらいで覚えていない(笑)。創部100周年(1999年)に向けた頃から慶應が強化を進め、2回目の監督(総監督)に就任された上田さんから、高校生の時に突然電話がかかってきてびっくりしました。最初は「誰ですか」みたいな感じだったんですが、「慶應ラグビーの上田だ」と言われて。
もともと早稲田に行こうと思っていたんですけど、その上田さんの一声でガラッと慶應に行きたくなりましたね。
上田さんからはどういう言葉で口説かれたんですか。
「待っているよ」みたいな感じです。「一緒に強くしよう」とか。手紙も突然来たり、そういうところは上手でしたね。
その頃(2000年入学)の慶應は泥臭いというより、華やかなメンバーが揃っていた印象がありますね。
國學院久我山から、ずいぶん選手が来ていたね。
そうですね。牧野(健児)さんとかもおられました。晋作さん(高田)も久我山でしょう。
上田さんは、ほかの大学志望だった高校生を慶應に変えられる力があった。ずいぶん仕組みを変革した方だと思うのです。
まず、上田さんはスタイルから変えた。学生服からブレザーに変わったのはちょっとショックでしたが、それが国際的なスタンダードなんだと上田さんは考えていました。リクルーティングについても、湘南藤沢キャンパスのAO入試を上手く活用したのは画期的でしたね。
そうですね。
プレーだけでなく、仕組みで勝とうとする発想が革命的でした。
でも、上田さんの先輩にあたる中嶋章義さんという、カネボウの最後の社長を務められた方から、「生島さん、慶應のラグビーのことを書くのなら、猛練習は僕と同級生の藤賢一(とうけんいち)君(1972年度主将)が始めたんだと記して欲しいんです」とお話を頂戴したんです。
上田さんはそうした歴史を踏まえつつ、仕組みを変え、こうして金沢さんや廣瀬さんのような人材を慶應に残していったんだなと思います。
上田昭夫の情熱
85年の優勝の後、低迷が続き、その後ちょうど慶應が変わっていく時期が、僕の学生時代の4年間の真ん中だったんですよ。僕の1、2年の時は対抗戦が6位とか7位でした。本当に初戦の青学に勝てないんです。明治、日体、筑波にも負け、とりあえず東大には勝って、そしてなぜか早稲田には勝てた(笑)。
96年、森内(勇策)さんがキャプテンの時ですね。
全勝の早稲田になぜか低迷していた慶應が勝つんです。次の年も。
ただ、慶應は猛練習で上下関係も厳しいと言われていましたが、入ってみると違うなと感じましたね。林雅人さんが96年にフルタイムのヘッドコーチで入ってきて、オーストラリア流のコーチングを入れてきたんです。それで一気に変わっていったんだと思います。
そして、上田さんの情熱と、やや独善的にも見えるような遂行する力で、周りの意見をはね除けて改革を推し進めたので、僕が3、4年の時に花開いたんだと思います(4年時、1999年度に大学選手権優勝)。
上田さんの勝利に対する執念や、自分がこうと思ったことを貫き通す姿勢はすごく感じました。
僕の頃は現場は林さんがほぼやっていました。上田さんはたまに来て、「おい、ちゃんとやっているか」くらいの感じで、そんなに現場にいませんでした。
入部したらマットさん(林ヘッドコーチ)の最先端のコーチング理論がすごく楽しかった。前年はオーソドックスなラグビーで優勝したのに、その年はブランビーズというオーストラリアのチームを真似すると言って、ずっとボールを持ち続けてキックをしない攻撃をやっていたんですよ。もう全然違うラグビーで、それがすごく面白くて。
当時はあまり思わなかったんですが、自分が裏に回ると、やはり上田さんがいたから変わったんだ、と感じますね。学生は林さんのコーチングばかりに目が行くんですけど、上田さんは監督なのにちゃんとコーチングは預けていた。
でも、監督だから責任は自分が取るわけです。しかし、任せたら任せる。「すごくできた」なんて言ったら大変失礼ですけど、そういう方だったと感じますね。
上田さんはいつも熱があり余っている状態で、それ以前にフジテレビでニュースを読まれていたのと同じ情熱を、慶應ラグビーを強くするために捧げていらっしゃったと思いますね。
1994年から2度目の監督に就任されましたが、週末だけのコーチが当然の世界に、フルタイムのコーチとして林さんを持ってきたということも画期的でした。
慶應では初めてのフルタイムコーチでしたね。
上田さんはマネジメントの天才だったと思います。でも、幼稚舎から学んでいたお嬢さんが大学に進学する時には、「娘が大学4年の時に優勝できるよう、同級生でいい選手を勧誘しようと思ってるんだ」と真剣に話していたのが懐かしい思い出です。何かそういう、いい意味の子供っぽい情熱がすごくあった方でした。
「猛練習」からの転換
非常に泥臭かった猛練習の慶應のラグビーが変わってきたのは、松本啓太郎さんがキャプテンでいらっしゃった時(1995年度)くらいと聞いてはいます。いわゆる昔で言うと「回し」という、罰で走るみたいなものもあったんですが、そういうのも松本さんがなくされたと。
でも、やはり僕の頃もきつい練習はしていました。ただ昔との違いは、理由が明確になっていたことですね。昔は、試合が終わった後の練習で、例えばコーチが「今日はパスが悪かったので走れなかった」と言うと、「じゃあ、インゴールでタックルしよう」となるのが慶應だったそうです。「パスが悪かった、走れなかった」のに何でタックルするんだと(笑)。
そういうことが段々なくなってきて合理的になってはいきましたが、練習はメッチャきつくて。
きつかったですね。特に僕の時はボールキープをする戦略だったから、かなり走って……。
100周年の後にオーストラリアに行って、ハリケーンズとブランビーズの試合を見たら、ブランビーズが最初の5分くらい、ひたすらボールを回したらしいんです。それで林さんが、「これだ」みたいな感じになったらしいです。
それ以前の猛練習についての考察は面白いですよ。80年代のメンバーで、いまや錚々たる経済人の方々は、大学でラグビーは終わりだ、という気持ちがあったからこそ、猛練習に耐えられたと言うのです。
「卒業後は仕事で勝負」というのが深層意識にあって、「これくらい耐えられないと、そのあともやっていけない」と思っていたんじゃないかと。だから会社に入ったら楽勝だったという人が多いです(笑)。
なるほど。
慶應は80年代までは社会人の第一線でラグビーをやられた方はほとんどいなかったんじゃないですか。丸紅に行かれた村井(大次郎)さん(84年度FB)がジャパンに選ばれて、仕事が終わると、竹橋から麻布まで走って帰ったりしてトレーニングをしていたと話されてました。
それで、エディー・ジャパンの時の日本代表ディレクターだった稲垣純一さん(1978年卒)が、「これではちょっと寂しい、慶應を卒業してからも続けてほしい」と、サントリーのラグビー部をつくって選択肢の一つとして提示したそうです。後輩にもかなり声をかけていたようです。慶應の後輩にラグビーを続けてほしいという稲垣さんの情熱が、今のサントリー、そしてジャパンにつながったんだなと感じます。
「理不尽さ」をどう乗り越えるか
慶應の転換点は、やはり90年代中盤でした。90年代前半までは、歴史の美学に殉じているところがあって、猛練習、そして試合ではハイパントを多用していました。今ではハイパントはなくなりました。
そうですね。
私の記憶の中では、70年代中盤からすでに慶應といえばハイパントというイメージでした。でも、実際には日本一の世代はボールを展開する素晴らしいラグビーを見せていたわけです。ところが、仕組みとしてのコーチングが確立されていなかったため、人材的にも苦しくなり、拠り所が猛練習しかなくなっていったのかな、と思います。
やはり上田さんが90年代の後半から再び指導に当たったことで、リクルーティングが変わり、フルタイムのコーチを採用してアドバンテージができた。そこから練習方法も理論的な方向に変わっていきました。
そうですね。でも現在もやっぱりある程度きつい練習はしなければいけないのは当然です。そもそもラグビー自体がそういうスポーツだと思うんですよね。試合中に厳しいこともあり、自分たちが思っているような状況にはならない。
ですから、理論も教えますが、理不尽なことも練習の中に入れていかないと試合で選手が対応できない。そのあたりは上手くバランスを取りながらやっていかないといけません。
今の若い人には、その理不尽なことをやらせるための工夫もあるんでしょうね。
学生はますます理由がないとやれなくなっています。だから、すごく難しいんです。理不尽なことをしなければいけない理由を説明するみたいな。
そのとき、やはり「この人がそう言っているんだから」と思われるような、信頼というものがすごく重要だと思うんです。
さじ加減が難しいなあ。
そうですね。今の学生がラグビーをやる理由はいろいろですから。
でも不思議なことに、エディー・ジャパンは理不尽そのものじゃないですか。
そうですね。
逆に、大人じゃないと耐えられないのかな(笑)。
ラグビーの試合自体がそうですから。理不尽というか想定通りにはいかない。だから、想定の練習をしてもしょうがないというのは大前提ですね。そういうところは代表になると分かってくる。
テストマッチなんてもう最たるもので、日本を離れて全然知らない環境のところに行くわけです。レフェリーも、いろいろ理不尽なことがあるので、その中でどう戦うかがすごく大事です。
日本にいるとコミュニティが限られていて、「自分たちが世の中の当たり前」みたいな勘違いをしていると、理不尽に対して耐えられないのかなと思いますね。
ラグビーを続ける道
慶應の中から日本代表がどんどん出てくるようになったのは廣瀬さんの少し前くらいからでしょう。
そうですね。栗原(徹)さん、野澤さん、瓜生(靖治)さんの代くらいからでしょうか。
僕が4年生の時に、ちょうどトップリーグができたんですよね。それが1つ大きくて、ラグビーを一線で続ける動機付けにはなったと思います。それまでは関東社会人リーグとかローカル感が否めなかった。
選択肢が増えたということでしょうね。しっかり仕事をするのか、現役引退後のキャリアを考えて勤めながらラグビーをするのか、あるいはプロ契約という形態も出てきた。
トップリーグをつくるのに尽力されたのは稲垣さんですから、そういう意味でも広がったんでしょうね。エディーさん(エディー・ジョーンズ)と慶應は、林さん、稲垣さんを通じて近いですし。エディーさんは慶應のグラウンドでもよく指導されますね。
そうですね。昨年も来ていただきました。
確かに、昔に比べるとトップリーグという道ができたので、そこに行く人はいますが、やはり大枠は仕事にシフトしていると思います。声がかかっても天秤にかけて、将来を考えて60歳までの仕事を取る学生が多いという感じはします。経済界で活躍されているOBの方が多いので、そういうのがカッコいい、というのが慶應にはあると思うんですね。
廣瀬もそうでしたし、今、プロ選手になっている人が、今後、引退後の道をつくっていくと思うんです。そうすると、「そういう道もあるんだ」と思って、そちらの道をいく人も増えていくのかなと思います。
成功のロールモデルですね。
エディー氏が変えた日本ラグビー
世界的には95年からプロ化が始まり、日本が最初、世界に追いつけなかったのは、企業文化の中のラグビーで戦っていたからでしょう。アマチュアがプロと戦っていたようなものでした。
それをエディーさんがガラッとマインドセットを変えましたね。
そうですね。それこそ日本ラグビーは、「プロ選手には勝てない」、「速い選手、大きい選手には勝てない」と、皆が思っていたんですよね。そこをエディーさんは変えてくれた。
今の日本代表の若い選手は、もう普通に「勝てる」と思ってやっていますよ。
集大成としては、2015年のイングランド大会なんですが、それまでに3年半くらい、いい準備ができたなと思いますね。
練習方法も、相当変わったんでしょう。
例えば練習の1日の組み立て方も、今までは2部練で、午前、午後の区別だけでしたけれど、最初の合宿は4部練で、5時半、10時半、2時半、6時スタートと1日4回練習がある。
1回の練習時間はギュッと短縮されて1時間とか45分なんですが、その代わり質をとにかく上げる。長くてゆっくりやる練習より、短く集中して練習をし、いい習慣を身に付けるというのがエディーさんのアイデアでした。最初は1日がメッチャ長く感じました(笑)。
しかも、朝の9時に「スリープ」が入っているんです。
朝寝の強要(笑)。これにはみんな戸惑っていましたよね。
そう。でも、栄養とトレーニングとリカバリーをすごくバランスよく考えるのがエディーさんだったのです。それで、ケガをしなくなるという。
佐渡のお米で体つきが変わった
エディーさんはオープンな方なので、練習方法なども、ネットですぐわかるんですよ。
でも、大学ラグビーでそれをどのように使うかというのはすごく難しい。コーチの手腕というのはそこかなと思います。皆、同じ知識は持っているけど、各人にどのようにアプローチしていくのか。ジャパンで上手くいっても、慶應で同じ反応が起こるとは限らないので。
慶應は、やはり仕組みで何とかしようというところが感じられますよね。OB組織の一般社団法人化(一般社団法人慶應ラグビー倶楽部、2018年設立)という非常に画期的なことにも挑んだ。また企業との連携にも他の大学と比べて非常に前向きですよね。
例えば、私もイベントのお手伝いさせていただいた佐渡のお米プロジェクト。合宿所にJA佐渡から佐渡米の提供を受けたんですね。学生たちは食べ盛りですから、そのご飯代もバカにならない。そこで自治体や企業との連携を図るところが慶應らしい。そういったバックアップ体制は非常に先進的だと思いますね。
慶應のチームはすごく走るんで皆ガリガリだったんです。そこに帝京大学という強力なチームが出てきて、フィジカルの強さが重要だということが、大学ラグビーの中で当たり前になった。「帝京に勝つためには体をまず大きくしないといけない」と、栄養士さんに来てもらったりしたんですが、全然効果が出ないんですよ。
結局、寮で食べていたのは練習後の夕飯だけだったんですね。そうすると、一食しか管理ができない。まず朝飯を食べない。昼はお金がないからコンビニ、夜だけ寮でちゃんと食べますみたいなことになる。
それでは全然だめですから、全部寮で出して管理しようとなった。すると、今度はお米が足りないので佐渡市にご協力をお願いしたわけです。この何年かでだいぶ慶應の選手も体つきが変わってきましたね。
とにかく、どの大学も帝京に勝とうと、この10年やってきた。方向としてはあるべき方向に慶應は進んだと思います。ピッチの上だけではない、いろいろな戦いがありますよね。
それと、私が慶應が羨ましいなと思うのは、部員が一般学生と一緒に勉強する機会が多いことです。早稲田の学生の応援が少なくなったのは、スポーツ科学部がある埼玉県所沢のキャンパスができて、本部キャンパスに通う体育会の学生が少なくなったのが一因です。一般学生と体育会の学生の交流がなくなってしまうのは寂しい。慶應はその点、恵まれているので、これは生かしてほしいと思います。
加えて中等部、普通部、塾高、志木高、SFC中高からのクラスメートが出るとなれば応援も増えるでしょう。ラグビーが慶應の花形スポーツでいるためには、もちろん優勝を争っていないといけないとは思いますが。
大学ラグビーの本質
ただし、優勝を目指すとなると、重要なのはリクルーティングなんです。大変ですよ、帝京大や東海大と渡り合うのは。各大学の入試の仕組み、そして入学後のバックアップ体制にも差がありますから。
決定時期もどんどん早くなっているみたいですね。
慶應は、その中でよく戦っていると本当に思います。指導陣の苦労がしのばれます。わずかなエッジが優勝につながりますから。上田さんは、そのわずかな先行者利益をつくるのがすごく上手な方だった。
今、情報が溢れている中で、どういうふうにエッジを出していくか。それはリクルーティングだけでなく、仕組みやプレー・スタイルも同様です。慶應にはプレーは泥臭く、戦略はスマートに勝ってほしいんです。
慶應の選手は頭は良いと思いますよ。山田章仁(2007年卒、日本代表)もそうですけど、自分がこうやって活躍するんだというイメージを持っている。全体を見て、このメンバーの中で、自分はどういう役割を持って貢献していくんだと、自分の立ち位置を決められるのが慶應出身の代表選手かなと思います。
僕は去年の慶應のチームの古田京キャプテン(医学部)の記者会見での対応を見ていて、大学ラグビーは勝つだけではないな、と本当に思いましたよ。古田キャプテンはこの一年間ですごく成長しましたね。
そうですね。下級生の時とは全然違いますね。
やはり大学のラグビーというのは、そういう人間教育の場だとも僕は思っているんです。いい人材を輩出なさったなと思いましたね。
でも昨季の最後の試合(大学選手権準々決勝早稲田戦、19−20で惜敗)に負けた後、それを受け止めるのは、学生ではなかなか難しいと思いますね。
いや、そうですね。でも、一番受け止められなかったのは古田ですね。やっぱり、それだけ賭けていたものがあったのだと思います。表立っては絶対に言いませんが、心の中では相当苦しかったみたいですね。そんなこともラグビーの理不尽さなのかもしれないですけど。
そうですね。
4年間のヘッドコーチをしたなかで、「やはり慶應ラグビーはこうあるべきだ」ということは、常に選手には話しかけていました。上からというよりは、できるだけ選手に考えさせるようにはしていましたね。
例えば「慶應の伝統」って何かということを全員に考えて話してもらう。それは一体何なのかと。そういうことを考えさせることで、彼らも120年続いている、ということを感じ取って誇りに思ってくれたらいいなと思ったんですね。
今は大学のチームがゴミ拾いをやってFacebookに上げたりするのが流行りです。でも、そんなことはサラッとできるのがカッコいいなと思う。そういうことが選手に染みついてほしい。
その中で古田はリーダーシップを発揮しながら、より考えなければいけない立場だったので、生島さんから褒めていただいたような行動ができるようになったのかと思うんです。僕は何もしていないですけどね。
いやいや、コーチ陣の指導があったからですよ。でも、お二人のように卒業後もラグビーに関わっている人が多くなりましたね。高田晋作氏(99年度主将、FW。現三菱地所)も、ビジネスとラグビーを結びつけている。
はい。たしかに。
そうなんですよね。面白いのは、レベルはトップではなくても、いろいろなところで、ラグビーをやっているんです。根本は皆、すごく好きなんだなと思います。
リーダーシップのスタイル
慶應は、リーダーシップという意味では各部員のモチベーションの幅が広いので難しかったですね。帝京や東海はラグビーをやりに来ているので、そこで活躍しないと次の世界は見えてこない。でも慶應は、別にラグビーを頑張らなくても、いい会社に就職できるから、正直、ラグビーに重きをおいていない人もいる。
その人たちを1つにするところがすごく難しかったですし、いまだにその答えは僕の中では出ていない気がします。
昔は監督がウィークエンドだから、キャプテンがチームの中心でしたからね。それもまた、今は変わってきていますが。
例えば、何かをやるときに、それは、「ヘッドコーチの意思」と選手が受け取るのか、ヘッドコーチが導いていても、「自分たちがそれを決めたんだ」と思ってやるのかで違うんです。
キャプテンやリーダー陣と話すことはすごく重要視していましたね。絶対に譲れないところは譲りませんが、譲れるところはできるだけ選手から言わせるようにしていました。結局、自分たちから発したと思ってやるほうが、彼らもモチベーションと責任を持つからです。
今のコーチは、そうした「ヒューマンスキル」が求められます。例えば、エディーさんはものすごいリーダーシップを持っていると思いますが、実はすごく責任を分割していた。選手に任せるところもあるし。
コーチもスペシャリストが多かったですね。最初の2年間、エディーさんの代表チームは僕がキャプテンでしたが、そのときはある程度ベースをつくる時期で、エディーさんからのトップダウンが多かった。改革が必要でしたので。
でも、次にマイケル・リーチがキャプテンになったら、彼はバックグラウンドが全然違うので、いろいろなものを取り入れるようになっていった。そして、最後の最後にエディーさんの言うことを聞かなかったら南アフリカに勝ったんですよね。ラスト・ワンプレーで。
だから、どの時期かによってリーダーシップのスタイルが変わってくるし、キャプテンと監督との関係も変わる。そこは金沢さんも一緒だと思います。
選手に投げられるようになった、というのは組織としての成熟だと思うんですよね。
最初はある程度こういうことをやろうとトップダウンで落としておいて、少しずつ選手に決めさせていく。試合でも監督は上(スタンド)にいますし、現場に委ねている。そこがラグビーの面白いところだと思いますよね。
ワールドカップを前に
いよいよワールドカップ日本大会が近づいてきましたね(9月20日開幕)。
もちろん、勝ってもらわないと。ベスト8に行ける可能性はあると思います。あとは、ここからいい準備ができるのかというところ。
正直、メンバーがもう少し固定されていてもいいかなというのはあるんですが、基本的には強くなっていると思いますし、サンウルブズで世界相手にずっと渡り合っている経験もあります。あとは、ホームをどう有利に使うのかというところかなと思います。
前回のイングランド大会では、物理的に遠いので、日本との連絡もあまり取れなかった。でも今回は日本なので、友達ともすぐに連絡を取ってしまえるのでチームメート同士のコミュニケーションが減ったりする。そこがどう転ぶのかなというのはありますね。
情報の遮断ですね。面白いなあ。僕は9月20日までにどうやって応援を増やすかが重要だと思っています。僕はその国のラグビー力というのはファンの力も含んでいると思うからです。
2003年の準決勝で、ニュージーランドとオーストラリアが対戦した時、オールブラックス恒例の「ハカ」を打ち消すように、オーストラリアの人が皆、「ワルチング・マチルダ」を一生懸命に歌っていた。2011年のニュージーランド大会では、小学生が朝の通学路で、ドロップキックの練習をしていた。それを見てすごいな、これはかなわないなと思って。
そのようにラグビーが根づいている部分を見ると、皆で楽しんでジャパンを勝たせるような広報活動はものすごく大事だと思います。とにかくジャパンのファンを増やしていくことが大事です。
慶應からは山田章仁が出ますから。
前回大会と違い結果を出しているので、たぶん間違いなくどの国も日本をチェックしている。その中で力を発揮するのはすごく大変だと思うので、ぜひ頑張ってほしい。
僕がワールドカップでやっているプロジェクトの一つに「スクラムユニゾン」という、出場国の国歌を覚えよう、というものがあるんです。それを広めていきたいなと。
それはいいですね。いい歌ばかりだからね。
そうなんです。外国では観衆の皆さんがスタンドやパブとかでもよく歌を歌いますし、日本人も歌えたらいいなと。日本はあまり歌を歌うという文化がないんですよね。
イングランドやアイルランドでは、肝心な時に歌う歌もあるんですよね。
イングランドの応援歌は黒人霊歌の「スウィング・ロー」(Swing Low, Sweet Chariot)。日本でもラグビーの歌文化は定着させたいですね。
はい。そういう意味で、この機会に各国の国歌を覚えようというプロジェクトです。
やっぱりヨーロッパへ行くと違いますよね。スタジアムが震えるというのがこれなんだ、と感じますから。
慶應ラグビーの目指すもの
今年は創部120年の年ですが、慶應にはやはり存在感を発揮してもらわないと困ります。環境は厳しいかもしれないけど、慶應は大学選手権で数年に一度は決勝に進出して、そして少なくとも10年に1、2回は優勝してほしい。これはとても早大OBらしからぬ発言ですが(笑)。
でも、勝つ準備を常にしていれば、チャンスは必ず巡ってきます。実は、去年はチャンスだったんですけどね。
いや、そうなんです。「来た」と思ったんですけどね。
準決勝では、明治に対して慶應の方が分が良かったでしょうから。
ただ、優勝を狙える位置にいるということがすごく大事で、ちょっとした勝負のあやというのはコントロールできない面もあったりしますが、優勝のための準備をし続けていれば、また歓喜の瞬間が訪れるのではないかと思います。
慶應は「ラグビーしかない」という中でラグビーをやるのではなくて、いろいろなものの中から選択肢を持ってラグビーをやっているところに、生きがいとかカッコよさを持ってやってほしいですね。
そしてやはり、今まであるものを壊して新しいことにチャレンジするのが、僕は慶應らしさかなと思うので、どんどん新しいチャレンジをしてほしいですね。
今の話で思い出しましたが、中嶋章義さんは、学生時代にケガをしているのに三角巾で腕を吊り、学生服で歌舞伎座に芝居を見に行くのが粋だと思っていたと。それを聞いて慶應だなと思いました(笑)。
だから、いろいろな教養を身に付けながらラグビーをやるのが大事なことじゃないかと思うんです。
慶應ラグビーは、しっかりと「色」を出してほしいと思うのです。勝てたら当然うれしいですけど、「今年の慶應ってこういうラグビーだったよね」と皆の心に残るようなラグビーができたら、そこに誇りも持てる。
ぜひそういうラグビーを期待したいですね。
昨年のチームはフォワード陣がいい味を出していましたよ。4、7、8番がひたすら頑張る。あの懸命な姿が慶應っぽいなと思います。
僕がこれだけ慶應のことが気にかかるのも、『慶応ラグビー 「百年の歓喜」』を書いた時に、いろいろな方との縁をいただいたからです。そのときの縁が今も続いているのは有り難いことで、これはなかなかほかの競技ではないことです。
人とのつながりの中で感じるのは、慶應のOB、そして学生に共通するのは、社会性、ソーシャルスキルが高いことです。84、5年のメンバーのことを本にまとめたいという気持ちが続いているのは、松永主将、日本一の中野忠幸主将、そしてTBSでドラマの演出家になられた福澤克雄さん(旧姓山越。85年優勝時FW)をはじめ魅力のある方が大変多いからです。
日本一の主力メンバーでもある若林俊康さん(86年主将、WTB)の息子さん(若林俊介選手)が、現在慶應でプレーされているのを見ると、ジーンと来てしまいます。
ソーシャルスキルが高いという評価は、今の学生がつくっているものではないので、それはこれから学生が受け継いでいかなければいけないものだと思います。そうしないと、20年後、30年後に、慶應のラグビーって大したことないよね、と言われてしまうので。
是非慶應らしさを受け継ぎ、新しい面も出していくことを期待しています。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。