慶應義塾

ポーランドと日本

登場者プロフィール

  • 関口 時正(せきぐち ときまさ)

    東京外国語大学名誉教授

    東京大学文学部仏語仏文学科卒。著書に『ポーランドと他者』、訳書に『ショパン全書簡 ポーランド時代』(共訳)、プルス作『人形』(第69回読売文学賞、第4回日本翻訳大賞)など。

    関口 時正(せきぐち ときまさ)

    東京外国語大学名誉教授

    東京大学文学部仏語仏文学科卒。著書に『ポーランドと他者』、訳書に『ショパン全書簡 ポーランド時代』(共訳)、プルス作『人形』(第69回読売文学賞、第4回日本翻訳大賞)など。

  • 山中 誠(やまなか まこと)

    その他 : 日本・ポーランド文化交流協会理事長経済学部 卒業

    慶應義塾大学経済学部卒業。1974年に外務省入省後、アジア局、欧亜局、条約局、国際情報局にて勤務。駐シンガポール大使(2007年~10年)、駐ポーランド共和国大使(2011年~16年)を歴任。

    山中 誠(やまなか まこと)

    その他 : 日本・ポーランド文化交流協会理事長経済学部 卒業

    慶應義塾大学経済学部卒業。1974年に外務省入省後、アジア局、欧亜局、条約局、国際情報局にて勤務。駐シンガポール大使(2007年~10年)、駐ポーランド共和国大使(2011年~16年)を歴任。

  • 柴田 恭子(しばた やすこ)

    その他 : ポーランド・日本情報工科大学日本文化学部専任講師法学部 政治学科非常勤講師法学部 卒業

    慶應義塾大学法学部政治学科卒業。ポーランド科学アカデミー哲学・社会学研究所博士課程修了、博士(社会学)。

    柴田 恭子(しばた やすこ)

    その他 : ポーランド・日本情報工科大学日本文化学部専任講師法学部 政治学科非常勤講師法学部 卒業

    慶應義塾大学法学部政治学科卒業。ポーランド科学アカデミー哲学・社会学研究所博士課程修了、博士(社会学)。

2019/03/25

「古い国」ポーランド

柴田

ポーランドには、その歴史にドラマ性があります。現在までポーランド国民の意識に大きな影響を残しているのが、18世紀後半のロシア、プロイセン、オーストリアという列強三国による「ポーランド分割」ですが、それに先立つ15世紀から17世紀にかけて、ポーランド(ポーランド・リトアニア共和国)は中東欧の大国として、かなりの繁栄を誇っていました。

山中

建国は9世紀とか10世紀頃だったと言われていますね。柴田さんがおっしゃった通り、15世紀から17世紀ぐらいがいわば黄金期で、非常に大きな版図のポーランドという国があったと。

柴田

ええ。そこで特徴的だったのは、士族が人口の10%前後を占め、16世紀からは選挙王政という形で、王様を世襲ではなく、自分たちで選んでいたことです。そのように強い自由の意識があり、現在のポーランドでも民主主義、自由の意識が大変重要視されていると思います。

ただ、自由を重要視するあまり、これらの士族が各々結託したり外国に買収されたりして、議会で拒否権を濫用し、列強の干渉を引き起こして分割されてしまった。

関口

「ポーランドとはどういう国か」と聞かれたら、その名前が残っている最も古い国の1つ、という言い方ができると思うんですね。現在の国名ポーランド(ラテン語でポローニア、ポーランド語でポルスカ)のように、中世から国名が現在まで続いている国はそんなに多くはない。

イタリアという国はなかったし、ドイツやオーストリアという国もなかった。現在EUを構成する国の名前で、ポーランドは最も古い国名の1つです。

言語についても、中世のラテン語支配が終わった16世紀から、ルターなんかが一生懸命ドイツ語を普及していきますが、ドイツ語にちょっと遅れて16世紀半ばにはポーランド語文学が完成している。

この「古い」ということは大事なことではないかと思います。セルフイメージが中世から今日まであるのだろうと思います。自分たちがポーランド人だという意識が随分昔からあったのでしょう。

王様がいるのに共和国

山中

私がポーランドで驚いたことは、5月3日が憲法記念日で日本と同じ日だったことです。もっとも、ポーランドでは憲法制定は1791年のことでした。

これは世界史上米国に次いで2番目に古い議会制定憲法なんですね。ですから、非常に歴史のある議会政治の伝統を持っていた。それについては、ポーランドの人も誇りに思っているようです。その頃が、いわゆる第一共和政の時代ということですね。

関口

その終わりですね。

山中

その後、分割の時代を経て1918年の第二次世界大戦終結後、民族自決の原則で、なんとか独立を勝ち取り、そこから始まるのが第二共和政です。その後、第二次世界大戦、ソ連時代の共産主義体制を経て、1989年に冷戦が終わって民主化する。そこから第三共和政が始まります。

関口

第一共和政は、王様がいるのに共和国という。これは珍しいです。ほかには知らないですね。

柴田

王様も選挙で選ぶこの体制は、貴族共和制、士族民主主義とも呼ばれていますね。

関口

選挙で選ぶようになったのがちょうど文章語ポーランド語の自律と同じ16世紀の半ば頃ですね。選挙権は、士族身分を持つ者、日本で言えば武士階級に属していれば誰でも持っている。選ばれる王様も、国籍による制限は一切ない。

ですから、外国人の王様が何人もいます。だいたい最初の選挙で選ばれた王様はフランスから来ている。そんなふうに、面白い一種の議会民主制がかなり早くからあった。

柴田

そうですね。

関口

そして、王様はあまり力がなくて、絶対王政は嫌だと(笑)。人口の10%の士族が皆、一国一城のあるじで、広い荘園を持って、それなりの自由を持ち、群雄割拠している。

王様はたくさんの大名の中の一人に過ぎず、国の常備軍というものもない。その間に絶対的な君主制を目指すフランス、ハプスブルク、ロシアなど周りははどんどん強くなってきて、18世紀末にばらばらにされてしまったわけです。

ヨーロッパの防壁

柴田

キリスト教との関係も深いものがありますね。

関口

中世の時代、ポーランドが建国して、ラテン語とキリスト教の共同体の中で地歩を築く中、ヨーロッパではないもの、特にモンゴルとの激しい出会いがあり、そこで自意識を持ち始める。

ちょうど元寇の頃、ポーランド人はモンゴル軍、つまりタタールと戦い、相当痛い目に遭って君主も殺されています。キリスト教圏を守れというミッションをローマから与えられ、自分でも意識し始める。

それから、もう少し後で、東方教会という、違うキリスト教に属するロシア人と戦う段になると、キリスト教を守るとは言えなくなる。そこで、どういうレトリックが出てくるかというと、われわれは「ヨーロッパを守る、自由を守る、民主主義を守る」となる。どこかで聞いたような言葉ですね(笑)。

山中

今、よく言われていますね。

関口

つまり、ヨーロッパの東の境界を守る、ヨーロッパの防壁の役割を果たしたんですね。

このようにポーランド人には、ヨーロッパを守ってきた、キリスト教を守ってきたという論理がある。日本の学校では、そういうことは教わらないけれど、これは大事なことではないかと思います。実際にヨーロッパやアメリカに行くと、そういうレトリックに出会いますね。

柴田

そのキリスト教を守る、ヨーロッパを守るということで、一番現在のポーランドまで意識が残っているのが、おそらくロマン主義文学が生み出したメシアニズムではないかと思います。

19世紀、分割されたポーランドに大きな武装蜂起が2回起きます。1830−31年の11月蜂起、1863−64年の1月蜂起です。11月蜂起が失敗すると、知識人たちがパリに亡命します。ポーランドを代表する国民的詩人アダム・ミツキェヴィチをはじめ、重要な詩人が3名いますが、その詩人たちが、「ポーランド民族」の意識を形づくったと言えると思います。

1830年代、ミツキェヴィチらは、主権を失って苦しんでいるポーランドを、ヨーロッパ諸国の中のキリストになぞらえます。ポーランド人が血を流して戦うことによって、専制主義国家や物質主義的な文明にとらわれた人々の罪を贖い、地上に神の国を建設する。40年代には、この戦いを率いる英雄を待望する考えへと発展させます。苦難の意識を、ヨーロッパに自由を取り戻すという、民族の使命に読み替えてしまう。いわば運命共同体の思想なんですね。

日本とポーランドの出会い

関口

もともとポーランド・リトアニア連合国家は世界で最も多くのユダヤ人がいた地域です。現在のポーランド共和国とロシア共和国の間です。でも、これもなかなか学校で教わらない。なぜなら学校で配られる教科書の地図は、全部政治地図だから国境で区分されていて、ユダヤ人の国はイスラエル再建まで存在しないからです。

国境で分けられた地図を見ていくと、ある時代にポーランドがなくなってしまう。日本が開国して日本人が初めてポーランドのことを知った19世紀、たまたまポーランドという国家はなかったんです。これは日本から見るポーランドのイメージに大きく影響していると思います。

明治時代に一番たくさん書かれたのはポーランド哀史、「かわいそうな国、ポーランド」というイメージです。そこから、ポーランドのようにならないようにしようという見方も生まれる。

列強が並ぶ中、弱い国は食われるから、軍備をしっかりして、国を中央集権にして、強い国にならなければいけない。餌食となって八つ裂きにされた例として、ポーランドが念頭にあったことが明治の文献を見ると分かります。

柴田

福澤先生も『西洋事情』や時事新報の社説「東洋の波蘭(ポーランド)」でポーランド分割に触れています。ヨーロッパ列強の支配がアジアに及ぶ危機感を、ポーランドの状況に重ねて感じていたのでしょうね。

山中

私は、基本的にはポーランド人は外国人に対して寛容な民族性があるのではないかと思っているんです。戦前、多くのユダヤ人とともに寛容に一緒に暮らしていたことを思うと、現在、メディアで騒がれているような排外的傾向がポーランドに生じているとされることに、ちょっと違和感を感じます。

ユダヤ人を除けば、移民流入といった経験が最近はなかったので、経験が不足している面もあるかもしれませんが。

柴田

ユダヤ人や反ユダヤ主義については最近いろいろな研究が出てきています。そのきっかけの1つ、2000年にポーランドで出版された、ヤン・トマシュ・グロスの『隣人』という本には、第2次世界大戦中、実はポーランド人によって、イェドヴァブネという町でユダヤ人への虐殺が行われたことが明らかにされています。

ちょうどEU加盟を控え、ポーランド国民のアイデンティティについて議論されていたときでしたので、ポーランド人にとっての他者であるユダヤ人による、国のイメージを悪くする陰謀だというような、古くからの反ユダヤ主義が再燃しました。

まだ少ないのですが、現在、少しずつイスラム系移民も増えてきているようです。これから移民についてどのような言説が繰り広げられていくか、注意して見ていかなければいけないと思っています。

「日本びいき」の淵源

山中

私が初めてポーランドに赴任したのが、2011年10月、東日本大震災が起きた年でした。3・11の直後から、半年以上にわたって大使館の門の前にずっと花束やランタンが飾られ、被災地の安寧と復興を祈っていてくれたのです。

赴任後、いろいろなポーランドの人に会いましたが、皆、震災は大丈夫かと心配してくれて、大変有り難かった。多くの人が募金やチャリティー活動をして日本を力強く支援してくれました。

このような日本支援の高まりの背景にはやはり、日本びいきの国民感情があるのではないかと感じました。

柴田

19世紀からの日本とポーランドの交流の歴史には、いろいろな段階があると思うのですが、一番初めは、ヨーロッパ一体がそうですが、やはりジャポニスムの影響があると思います。

関口さんがお書きになっている、フェリクス・“マンガ”・ヤシェンスキというコレクターが、ヨーロッパ中をまわって浮世絵を集めたと言われています。映画監督のアンジェイ・ワイダが青年時代に、ヤシェンスキのコレクションを見て衝撃を受け、自分の創作活動にもつなげたという話もあります。

関口

でも、美術史上のジャポニスムは、ポーランドはヨーロッパで最も例が少ない国だと思うんですね。

ヤシェンスキが西ヨーロッパの現代美術と日本の版画などを、オークションでたくさん買って、ワルシャワで展示した際には散々な目に遭っていますよね。

柴田

そうですね。そのとき、ヤシェンスキの風貌も変わっていたということもあるようですが。

関口

というより、やはり野蛮な国の、芸術とはとても思えないものを展示したという批判が多かった。つまりベルリン、パリ、ウィーンと違い、彼の考えをワルシャワは受け入れてくれなかった。

一方、南のクラクフという古い都市では、ワルシャワに比べると芸術に対する理解が高かった。そこはワルシャワに比べると自由で、日本美術も面白いじゃないかと、ヤシェンスキは受け入れられた。

でも、他の国に比べてポーランドでは、ジャポニスムはやはり弱いといってよいのではないでしょうか。

柴田

ヤシェンスキは、ポーランドには国民的、民族的な美術がないと考え、日本の美術からインスピレーションを受けて、それをつくり出そうと言っていたように思います。

日本文化に興味を持っている現代のポーランド人にお話を伺った際も、ポーランドでは突き詰めて美を追求することがあまりできなかったので、日本の美術は、自分たちの原動力になると言っていました。

ですから、19世紀末の時点ではジャポニスムが弱かったとしても、現在までその影響は続いているのかなと思います。

山中

端的に言って、ポーランドが日本びいきである理由には、やはり日露戦争が大きかったと思います。あれだけ苦しめられた憎きロシアを、アジアのよく知らない日本という国がやっつけてくれた。敵の敵は味方だと。いまだにそういう感情が続いている面があって、歴史教科書でも日露戦争にはかなりのページ数を割いていると聞きます。

それから、日本とポーランドを結ぶ、非常に心温まるエピソードもあります。ロシア革命後の1920年頃、シベリアには多くのポーランド人孤児がいました。シベリアに流刑になった家族の子供たちで、親を亡くして、栄養失調になって瀕死の状態だった。

救いを求めた各国の中で日本だけがこれを受け入れたのです。孤児約800人は日本で健康を回復し、無事にポーランドに帰っていったのです。このエピソードもポーランドの人たちの記憶に残っています。

また、ポーランド人は、武道とかお茶、お花など日本の精神性に富む文化に関心や憧れを持っていて、それが親日につながっているように感じます。だから、日本語学習熱も高いですし、アニメや日本食などに対する人気も非常に高いものがあります。

本当に「親日的」なのか?

関口

柴田さんも親日国、日本びいきだと思いますか?

柴田

政治的に右派の人も左派の人も、悪いことを言う場面はあまりなく、日本が好きだという人は多いと思いますね。

関口

そうですか。ちょっと反対のことを言うと、僕は文学や映画、版画などでポーランドに触れ始めて50年以上経っているんですが、ポーランド人が特に他の国の人々に比べて日本に対して親しみを持っているという印象はないです。

僕は大昔、1970年代に実際にポーランドの小学校で地理の授業をやったことがあるんです。

山中

そうですか。存じませんでした。

関口

そこで、いかに教育の現場で日本のことが教えられていないかを知りました。日本というものの欠如、不在ですね。それからもう1つ、新聞や教科書に書かれていることが誤っている。それにずいぶん衝撃を受けたことがあります。もちろん当時は社会主義時代とか、いろいろなバイアスはありますが、端的に言って、正しく知られていないという印象を強く持ちましたね。

知られていないということと、一方でアメリカやドイツなどから伝わってくるイメージや神話が結び付くんですね。つまり、自分できちんと勉強していないところに、日本に関するイメージが伝わってくると無批判にそれを受け入れてしまう。

山中さんがおっしゃったように、原点として日露戦争でロシアをやっつけてくれた、ということはずっと集団的な記憶の中にあることは確かです。でも、他のヨーロッパの国に比べて、ポーランドが親日的だという印象は僕はないですね。

山中

今、ポーランドに進出している日本企業は300社で、4万人の雇用を創出しています。現地の日本企業の皆さんから話を聞きましたが、一様にポーランド人従業員は非常に勤勉で、謙虚で、一生懸命仕事をする、そして裏表がないと言います。

欧米に進出した日本企業が、現地で人を雇うと、面従腹背というか、表向きは従いながらも裏では日本人の悪口を言っている、というような話をよく聞きますが、そういったことがポーランドではなく、労使関係は極めて順調です。

日本語学習者の数は、中東欧ではもちろん最大ですし、質も非常に高い。日本食の人気も、ワルシャワだけで寿司屋が200軒以上あると言われます。

これらは現象面の話ですが、親日的な国民性が現れているのではないかという気がするんですね。

柴田

ワルシャワに長く生活する間、「あなたは日本人ですか。私は日本が好きです」と話しかけられることが多かったので親日的だと考えていましたが、関口さんがおっしゃったように、日本は憧れの国というイメージが先行し、自分で作り上げた「理想の国・日本」が念頭にあるとは言えるかと思います。

1990年代にポーランドでは、テレビで日本のアニメ放映が始まっているので、私が教えている大学では、その影響を受けて日本が好きになったという学生が多く、現代のポピュラーカルチャーへの関心は大きいと思います。

関口

日本食ブームも、ポーランドでは世界的に見るとずいぶん遅れて始まっています。やはりまだ日本とか、日本人というのが生活の中になくて珍しいんだと思います。

例えば小津の映画と黒澤の映画を比較しても、ポーランドでは黒澤の知名度が圧倒的に高く、小津について知っている人はごく一部の専門家に限られる。イギリスで世界の名画を選ぶランキングでは小津の『東京物語』が長年トップでした。ポーランドでは「小津が面白い」というような段階に達していない。まだエキゾチシズムの段階。これは、僕の非常に厳しい見方ですが。

それから、どうしても分かり合えないのではないかと思うのが、ポーランド人がセルフイメージとして持っている個人主義の観念です。彼らは日本人というと集団主義者と見る。規律が正しいと言えばそうですが、軍隊的なイメージを持つこともある。

工場進出の話がありましたが、僕が聞いた話では、ポーランド人にラジオ体操をやらせるのは簡単ではなかったそうです。つまり、号令で同じことを皆がやるということに対して嫌悪感が非常に強いんですね。

漫画やアニメがポーランド人に受け入れられるのも遅かったと思います。それは、子供であることの価値、「かわいい文化」のように「かわいい」ということを最上位に置くような文化が異質だったのではないか。つまり、ポーランドは成熟した、大人であるということに価値を置く文化、常に大人でなければならないことを迫られる文化なんですね。

そうやっていくつかの点を見ていくと、日本とポーランドはやはり違うところも相当あるのでは、と思うんです。

「日本祭り」での交流

山中

いや、関口さんのおっしゃることはよく分かるんですが、それはまさに先生だからこそ、そういう感じを持たれるのかなという気がするんですね。

外国の文化、芸術、学術といったものに対する理解は、専門家レベルと、それからいわゆる草の根の庶民の理解という違ったレイヤーがあると思うんです。

専門家については、私が知っているワルシャワ大学やヤギェロン大学で日本を研究している人たちのレベルは、他のヨーロッパの国と比べても相当高いと思うんです。

関口

私も高いと思います。

山中

草の根レベルの例としてはワルシャワで2013年に始まった「日本祭り」があります。大きな会場を設えて、ステージ、ブース、模擬店などを通じて日本文化を紹介し、現地の人々と在留邦人の交流の場として人気を博しました。その後も毎年開催され、今年で7回目になります。日本祭りは、今や1日で約3万人の来場者を集める人気行事として定着した感があります。

それからもう1つ、クラクフにある、通称「マンガ館」、日本美術技術博物館の存在も非常に大きいと思います。この館では浮世絵など美術品の展示、ワークショップ、講演会などが開催され、年間10万人以上が来館します。2014年には創設20周年を迎えましたが、日本文化の一大発信拠点として活躍を続けています。

やはり日本の文化、技術、芸術、そういったものを喜んで受け入れる大きな素地がポーランドにはあるのではないかと思います。

柴田

アニメは『キャプテン翼』、『セーラームーン』から始まってずいぶん人気がありましたね。今でも学生は、センチメンタルな調子で話しますので、若い世代にはその影響があると思います。

山中

コスプレ人気もすごいですよね。

柴田

そうですね。コスプレによってポーランドの若い方が「自由を感じることができる」と言うことがあります。おそらく、自分のアイデンティティの材料をどこから持ってくるかと考えたとき、日本文化が材料の1つ、「魅力のある他者性」として表れているのではないかと思います。

関口

近代文明が成熟し尽くしてしまったような西ヨーロッパには、僕らには想像できないくらい激しくヨーロッパを否定する人もいるんですね。もう必死で、非ヨーロッパ的な価値がどこにあるのか、日本で探したり、インドで探したりする。

ただ、ポーランドではヨーロッパ中心主義という、ヨーロッパ的なものの価値がおそらく非常に高い。それが日本と日本文化の価値を理解する上で阻害要因だった。でも、それは変わりつつあるのかもしれません。

ただ、ポーランドにはちょっと不思議なところもあるんです。自分たちはヨーロッパに憧れ、ヨーロッパを守ってきたけれど、オリエンタリズム的な反発もある。非常に繊細で複雑な心理なんですが、それが例えば衣装や風習に表れたりする。

1つだけ例を挙げます。17、8世紀の西ヨーロッパでは、身分のある知識人や裁判官はかつらをかぶることがステータスであり権威でした。ところが、ポーランドではそうした身分や権威の象徴として、日本のお侍の月代(さかやき)のように、髪を剃るのが1つのファッションだった。そして必ずひげが必要でした。そのようにヨーロッパに対する反発、自分たちは独自なのだという主張もある。これをサルマティズムというんですね。

カトリックの伝統も自分たちの独自性につなげ、今でも西ヨーロッパの反教権主義とかLGBTの権利拡大といった方針に対する反発のようなものもある。

日本のポーランド理解

柴田

もう1つ、ポーランドと日本ということで、よく話題になるのがショパンの音楽です。これも神話の一種だとは思いますが、ポーランド人にとってショパンの音楽は、ポーランド民族の魂を表す芸術作品であるとされています。

1927年からワルシャワでショパン国際ピアノコンクールが開かれており、日本人が初めて参加したのは1937年、原智恵子さんという方です。以来、数多くの日本人がショパンコンクールに出場しており、2015年には12人を数えました。

そのようにポーランドの魂であるショパンの音楽を日本人が好いてくれているということにより、ポーランド人にとって望ましい自我イメージが「鏡」のように映し出され、日本とポーランドが素晴らしい友好関係を持っている認識につながっているのかと思います。

山中

ポーランドというと、日本ではまずはショパン。それに続いてコペルニクスとかキュリー夫人という名前が出てきます。

もう少し新しくなると、法王ヨハネ・パウロ2世、映画のアンジェイ・ワイダ監督、そして連帯議長であったワレサ元大統領を知る人もいるでしょう。しかし、これ以上のポーランド人を知っている日本人は一部の例外を除いてまずいないでしょう。

ことほど左様に、一般に日本人のポーランドに対する関心や理解は遅れていると言わざるを得ません。特にポーランド人の日本に対する高い関心と比較すると、そのギャップは大きいものがあります。ポーランドが日本をもっと受容したいという気持ちのほうが相当強いのではないかと思うんですね。

私が4年半ほどポーランドに勤務して苦労したのは、政府も一般の人たちも、日本に対する期待がとても大きいのに、日本側がなかなかこれに応えてあげられないことでした。

柴田

多くの日本人学生が、ワルシャワをはじめポーランドの音楽大学で学んでいます。

先ほど関口さんが、個人主義で自由を何よりも大切にすると言われましたが、ショパンの音楽というのは、弾く人の持っている人間性、性格のようなものが正直に表されるので弾くのが大変難しいのです。それを弾くためには、自由であり、常に「自分」であることが必要になる。

ポーランドで学んだ日本人ピアニストの方とお話すると、ポーランドでは、文化と生活の中で、自分に正直に、自然な形で演奏をすることが可能になるそうです。日本では感じることのない呼吸の仕方、それこそ「芸術家」の風土がある。日本人がポーランドを積極的に受容する1つの例かと思います。

関口

例えばポーランドとの貿易で言うと、もう韓国に追い抜かれている。中国にはとっくに抜かれている。だから、僕はもっと日本語講座が減るかと思ったら、相変わらず元気で、むしろ増えているんですね。様々な大学でなんとかして日本語講座、日本語学科をつくりたいという。これは経済だけでは説明できない。ポーランドにおける日本語熱とか日本に対する関心は、コンスタントにあるんです。

それに対して、日本でポーランドに関することは、「ポ」の字を探すのも難しい。年に1、2回しか全国新聞に載らない。 東京外大にポーランド語科ができたのは、東欧革命があったからなんです。あの機会を逃せばもうできなかったと思います。今でもポーランド語を学ぶ学生は年間15人程度で就職先もないわけです。

文化については低いレベルですけど、ずっと関心はあるんですよ。それは演劇、映画であり、それからグラフィックアート、音楽です。それは本当に細々と続いていて、一般の人々にまで影響を及ぼすものではないんですが、面白いことに日本の場合、ショパンだけではなく、シマノフスキ協会、モニューシュコ協会、パデレフスキ協会まである。

これにはポーランド人が驚くと思います。

国交100年を超えて

山中

冷戦が終わり、ポーランドが民主化して、その後の進路を考えたとき、やはり価値を共有する欧州への回帰というか、ヨーロッパに自分たちの将来を託すことに決めたわけです。

そしてついに2004年にEU加盟を実現させます。おそらく加盟28カ国の中で、最大の受益国はポーランドだと思うんです。

関口

そうですね。

山中

経済面では、EUの一員になったことで明らかにポーランドの現在の繁栄につながった。安全保障面でも、NATOとアメリカとの関係を大事にするという方針で今日まで平和と安定を維持してきました。

そこで問題なのが、最近EU自体が非常に求心力をなくしていて、混迷を深めていることです。移民問題やポピュリズムの動きもある。端的な例がブレグジットですね。

EUに求心力がなくなってきている状況下でポーランドがEUからの利益を受けながら、どのくらい理想とするEUの方向に働いていけるのか。日本にとっては、やはり欧州が繁栄して強くなってもらうことが重要ですし、その中で、ポーランドが建設的な役割を果たしてくれることを祈っています。

柴田

ポーランドは、自由や民主主義、そして民族の問題について、日本も様々に学ぶことができる存在かと思います。山中さんがおっしゃったように、EUの中で、正義や民主主義、自由、人権などの普遍的な価値を守る方向に戻ってきてほしい。

現在、政治的に分裂、混乱した状態が続いていますので、それを克服できればいいなと、ポーランド研究者の1人として願っています。

山中

今年は国交100周年なので、いろいろな記念イベントが考えられています。コンサートをはじめ、シンポジウム、ワークショップ、それに「ショパン展」も企画されています。

柴田

兵庫県立美術館などで開催されるようですね。芸術面だとポーランド映画祭は2012年から、イエジー・スコリモフスキ監督を監修者として行われています。1980年代からポーランド映画は岩波ホールなどで上映されてきましたね。

関口

僕の目から見ると、文化で一番長く、コンスタントに芸術家同士が親しく個人的に付き合っている交流が続いているのは、グラフィックアート、特にポスター。それから演劇ではないかなと思います。

山中

安倍総理は2013年に日本の総理としては10年ぶりにポーランドを訪問しました。2015年には、当時のコモロフスキ大統領が日本を訪問しました。

この首脳の相互訪問で日本とポーランドが「戦略的パートナーシップ」を結ぶことになりました。中身はいろいろありますが、草の根レベルでは、特に地方レベルの交流を進めようということになりました。事実、新しい姉妹都市のような関係が生まれつつあります。

山中

それから、ワーキングホリデーの制度も2015年から始まっていて、若い人が訪問先で仕事をしながら交流できるようになってきました。

山中

百年を迎えた両国関係ですが、今後さらに交流が進んでいくことを期待しています。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。