登場者プロフィール
牧村 健一郎(まきむら けんいちろう)
ジャーナリスト早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社入社。記者として主に文芸、書評、昭和史などを担当。著書に『新聞記者 夏目漱石』『獅子文六の二つの昭和』など。
牧村 健一郎(まきむら けんいちろう)
ジャーナリスト早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社入社。記者として主に文芸、書評、昭和史などを担当。著書に『新聞記者 夏目漱石』『獅子文六の二つの昭和』など。
山崎 まどか(やまさき まどか)
コラムニスト、翻訳家。清泉女子大学文学部卒業。「女子カルチャー」に関する映画、音楽、ファッションを中心に紹介している。著書に『「自分」整理術』など。
山崎 まどか(やまさき まどか)
コラムニスト、翻訳家。清泉女子大学文学部卒業。「女子カルチャー」に関する映画、音楽、ファッションを中心に紹介している。著書に『「自分」整理術』など。
岩田 敦夫(いわた あつお)
商学部 卒業1953年、岩田豊雄の長男として東京に生まれる。1960年、慶應義塾幼稚舎入学。1977年慶應義塾大学商学部卒業。同年から2010年まで、株式会社ジャルパック(旅行業)に勤務。
岩田 敦夫(いわた あつお)
商学部 卒業1953年、岩田豊雄の長男として東京に生まれる。1960年、慶應義塾幼稚舎入学。1977年慶應義塾大学商学部卒業。同年から2010年まで、株式会社ジャルパック(旅行業)に勤務。
2017/03/01
復刊で静かなブーム
昭和の人気作家、獅子文六(ししぶんろく)(本名=岩田豊雄、1893―1969)の作品が近年相次いで復刊され、静かなブームとなっています。
牧村さんが2009年に評伝『獅子文六の二つの昭和』を書いてくださり、その後ぐらいから徐々に、「作品の一部を収録させてほしい」という出版社からのお問い合わせをいただくようになりました。そして2013年、ちくま文庫さんの、営業から編集に移られた方が父の作品を読んでくださっていたようで、ぜひ自分のところで出したいというお話をいただき、1作目として復刊されたのが『コーヒーと恋愛』(1963)です。これがご好評をいただいて、すでに17刷になっています。
それはすごい。
装丁なども新しい切り口で出していただきました。父の昔の作品を読んでくださっていた読者の方に加えて、新しい層の方が関心を持ってくださったというのが大きいと思います。うかがったところでは、若い女性の方も買ってくださっているようで、新たな読者に恵まれたのかなと思っています。
その後、2作目として『七時間半』(1960)を出していただき、以来、年に2冊ずつ出していただいています。また中公文庫さんも、前に出していただいた本を改版して出版していただいています。
私が解説を書かせていただいた『青春怪談』が1月に出ましたが、発売5日で増刷が決まりました。いままでで最短だそうで、まさに機が熟している感じですね。
山崎さんはどういうきっかけで読まれたのですか。
10年ぐらい前に、文化系の若い男の子や女の子たちの間で、昭和の古本の装丁がきれいなものとか、いま読んでも面白いものを掘り起こして再発見するようなブームがあって、その時に獅子文六さんの名前はよく挙がっていました。
私もそのころ、古本で獅子文六を見つけて楽しむ、みたいなことをやっていたんです。『コーヒーと恋愛』は、ロックバンド「サニーデイ・サービス」の曽我部恵一さんが解説を書かれていましたよね。そういうこともあって、獅子文六は、レトロな文学が好きな人の中ではわりと名前が出ていました。
女性の店主がやっている古本市などでは、小説だけではなくエッセーもたくさん並べられていました。『私の食べ歩き』(1976)とか、夫婦相談の『夫婦百景』(1957)とかも人気があったのです。私も機会があれば「獅子文六のファンです」と言うようにしていました(笑)。
そういう人たちは、ほかにどんな作家を読むんでしょう。
尾崎翠がとても人気がありました。日記によく獅子文六のことを書いていて、「尾崎翠も獅子文六の大ファンだった」みたいな情報も知られ始めていました。
もちろん私たちは、獅子文六の最盛期というのを体験していませんが、たくさんの映画が残っていますよね。ですから、古本屋で獅子文六を集めて、同時にそれを名画座で見る、みたいなことも流行っていたんです。
牧村さんは、近年のブームをどのようにご覧になっていますか。
僕が若いころは、獅子文六を読みたいと思って本屋へ行っても、まったく手に入らなかったんです。
大正生まれの私の父が慶應の出で、書棚に文六さんの本がいくつもあった。それを中学時代から読んでいて面白いなと思っていました。15年ぐらい前かな、朝日新聞の読書欄を担当していましたが、仕事がらみで『娘と私』(1953―56)を読んだところ、2度目だったけれどすごく面白くて、新聞の小さなコラムにそのことを書いたんです。
そうしたらすごい反響が来ました。それは山崎さんみたいな若い世代ではなくてオールドファンからですが、「女学生時代にこれを読んだ」とか、「戦争の時に『海軍』(1942)を読んで私は海軍に行った」とか、自分の人生や昭和史と、文六さんの作品や生き方を重ねる人たちがたくさんいらっしゃったのです。
それで、この作家は、潜在的な読者がすごく多いんだなと思って、片っ端から読みました。僕の記者としてのテーマは「昭和史と文学者」でしたが、文六さんの作品は、軽妙に見えるけれど実はすごく深い教養があって、一時の流行作家みたいな扱いは本当にもったいないと感じました。それで『二つの昭和』を書いたんです。オールドファン世代と、あと山崎さんみたいな若い世代の層と、その2つがいま重なっているのではないでしょうか。
いままで本屋さんに置いていなかった作品が並び始めて、買い直している昔のファンもきっと多いと思います。
そうかもしれません。こういうことは珍しいんじゃないか。オールドファンだけでなく、若い読者が食らいついてくる。これが文六さんのすごさだなと思います。
自らを律する文学者
昔、獅子文六という名前がどれぐらい大きかったのかはよく分からないのですが、『青春怪談』(1955)や『自由学校』(1951)は、出版されてすぐ映画会社が競作で、同じ年に同じ原作で映画化しています。
そして『娘と私』はNHKの朝ドラの第1作の原作ですから、それを考えると相当な人気作家だったんじゃないでしょうか。
僕も同時代ではないですが、本当に流行作家だったと思います。角川文庫や新潮文庫の棚にずらっとたくさん並んでいた。それから、おっしゃるように、同じ原作、同じタイトルの映画を大映と松竹が同じ日に公開した。しかも当時は映画の最盛期です。
私は父が還暦の年に生まれたので、小さいころしか作家としての父を見ていません。父は家で執筆していて、午前中、原稿書きをして、午後、いろいろな方が家に来られるというのが毎日の暮らしでした。演劇もやっていたので、出版の方や演劇の方が毎日欠かさずにいらっしゃっていましたね。
そのころのお家はどちらですか。
東京の赤坂です。
やはりお忙しそうにしていたという印象ですか。
ただ、いわゆる「作家」というイメージと違って、時間をすごくきっちり守る人でした。朝のうちに何枚と決められた量の原稿を、本当に規則正しく書いていました。
しかも午前中にきちんとやるというのがすごいですね。最近読んだ『天才たちの日課』という本に、いい作家は午前中に仕事をしていると書いてありました。
夜中に書いているようなイメージですけどね。
私もそう思っていました。獅子文六さんの日課が知りたいですね(笑)。早起きでしたか。
7時ぐらいには起きて、原稿を書いていましたね。年齢的に、私が知っている父は、おそらく書き手としてはすこしピークを過ぎていたとは思います。
文六さんはきちっとした人で、いわゆる無頼派的、文学青年的なものはあまり好みではなかったようです。新劇をやっていて「文学座」の立ち上げにも関わっておられますが、演劇人もそのへんは結構だらしない人が多いというか(笑)、のめり込んでしまう人もいる。彼はそういうタイプではありませんでした。
例えば原稿の締切は絶対に守る。文学者だからといった甘えは自他ともに許さない人だったみたいですね。他人にも厳しかったらしい。例えば原稿料なども、業界では暗黙の了解みたいなところがあるものですが、そこも文六さんはしっかり確認していた。そしてそのために自分も締切を守る。編集者が少しだらしなかったりすると、文六さんからきつく叱られたということを先輩から聞いたことがあります。
いろいろな面できちんとしていたのが、あれだけ多くの作品につながったようにも思います。
それと、特に若い時は大食漢でしたよね。岩田さんが生まれる前、千駄ヶ谷にお住まいだった時期があります。
まだ40代でしょうか、午前中に仕事をして、昼飯をいっぱい食うらしい。それで日本青年館とか国立競技場のあたりを1時間以上かけて散歩をして腹ごなしをする。大酒飲みではあるけれども自分を律した暮らしでした。ものを書くための時間を午前中にきちっと取るのもそうですが、合理的な考えの人だったんですね。
おうちの中でも、お子さんに生活を律するということをおっしゃっていたのでしょうか。
いえ、そういうことはあまり言わなかったです。父も20歳くらいのころは生活が荒れていたこともあったようですね。
ただ、お金に対しては厳しいところがありました。買ってもらったばかりの腕時計をなくしてしまった時なんかはすごく怒られました(笑)。でも、どちらかというと「男の子なんだから好き勝手にやりなさい」という感じでしたね。
フランスに留学されていたこともあって、獅子さんの作品はとてもおしゃれな印象を受けます。食べ物や女性のお洋服の描き方とか、きちんとしているのと同時に上手だし、すごくしゃれている。本人はきちっとしていらしたということですが、だらしのないキャラクターを描くのもお上手ですよね(笑)。
昭和の大流行作家
獅子文六の人気のピークというのは、いつごろになるのでしょうか。
戦前にも、戦後にも大ヒット作があります。戦前は『海軍』がものすごく売れて、朝日賞という朝日新聞主催の賞を藤田嗣治などと一緒に受賞しています。このころが作家としてのひとつのピークだろうと思います。戦後、『てんやわんや』(1949)や『自由学校』でまた人気が出て、『大番』(1956―58)などは大ヒットでしたよね。戦後だと、昭和30年前後が一番忙しかったのではないでしょうか、ちょうど岩田さんがお生まれになったころ。
思いがけなく生まれてしまったので、ミルク代を稼ぐので大変だったんでしょう(笑)。
藤田嗣治と獅子文六はどこか重なるところがあります。
どちらもフランスに留学していますね。
ええ、『海軍』と、「アッツ島玉砕」のような戦争画とのつながりをすごく感じます。
私たちの世代は、戦後の『てんやわんや』や『大番』が大ヒットしたことは知っていますが、『コーヒーと恋愛』とか『青春怪談』あたりがすごく好きというところがあって、当時大ヒットしていたものと、いま若い世代に受けているものとで少しズレがあったりするのも面白いですね。
確かにそうですね。『自由学校』や『てんやわんや』は、文六さんがうまく軽く書いているけれども、それでも重い戦争の雰囲気がありありと残っている。一方で、『コーヒーと恋愛』や『青春怪談』は、昭和30年ころ、高度成長時代の始まりの時期で、戦争という重みがうすれて、少し軽く、明るくなってきた時代の作品です。その雰囲気がいまと、シンクロしているのではないでしょうか。
今回、解説を書くために『青春怪談』を改めて読んでみたのですが、旧世代と新世代の両方が出てきます。旧世代の抱えている戦争の記憶が色濃く出て、だからこそ若い世代は自由に生きるべきなんだということがメッセージとしてものすごく伝わってきます。
いまの若い世代は、当時の戦争とはまた違ったいろいろな軋轢に苦しんでいるところがあって、そこに対して、自由に生きなさいと言われているような感じです。『コーヒーと恋愛』もそうだし、『悦ちゃん』(1937)もすごく軽やかで。
男らしさとか女らしさとか、そういう固定観念をとっぱずして、もっと肩の力を抜いて、という感じですよね。
ええ、いまオールドファンもいて、リアルタイムのファンもいて、牧村さんのような、言わば再発見の世代もいらっしゃる。だから、何回も発見されるタイプの作家ではないでしょうか。
一言でいうと、古びないということだと思います。夏目漱石もそうですが、流行作家は皆、その時代の出来事や風俗を素材にして書きます。それで古びてしまう作家もいるけれど、漱石も文六さんも決してそうならない。素材は古びるかもしれないけれど、テーマは永続的である。だから僕は、本屋さんからなくなってしまっても、それで滅びるような作家ではないと思っていました。
本屋さんから一時期なくなったというのは、売れ過ぎてしまったようなところもあるのでしょうか。
読者の方と、プロの評論家の方では評価が違っていたのかなと思います。いわゆる「歴史に残る作家」というジャンルにはなかなか入れてもらえなくて、ちょっと離れたところにいるような。
文壇での評価というのはどうだったんでしょう。
文六さんの主な舞台は新聞と『主婦之友』ですよね。新聞小説家というのは、ちょっと軽く見られるところがあったのかもしれません。いわゆる文壇からはほとんど取り上げられなくて、獅子文六論などというのは当時なかったし、いまもほとんどない。
ただ、個人的な親交もあったのかもしれませんが、小林秀雄や阿川弘之などは、文六さんをすごく評価しています。
軽やかで明るくて、というものは軽視される傾向があったのでしょうか。
やはり私小説で、人間の内面を真面目にぎりぎり追求していく、というのが文壇の主流で、文章も凝りに凝ったものでなければならない。「文学の神様」みたいなものが一番高級だと言われていましたから、ちょっとタイプが違いますね。
演劇人ならではの作風
獅子文六の作品は、どれもユーモアにあふれています。そのユーモア感覚や明るさ、軽さというのはどこから来ているのでしょうか。
やはり、演劇から入っているところが大きいと思いますね。
そうですね。出発点が演劇人ですから、何といってもセリフがうまい。カギカッコがすばらしい。
旧来の小説家は、地の文をいかにうまく書くかで勝負しますよね。文六さんは、フランスの現代演劇を学んで帰ってきていますから、セリフの妙というか、いわゆる決めゼリフがうまいのです。例えば『自由学校』の五百助と駒子。駒子が五百助に「出ていけ!」と言う。この「出ていけ!」という一言は、本当に演劇の世界だなと思います。このような決めゼリフがいくつもある。演劇人であったということが、文六文学の決定的なキーワードではないかな。
それが、あれだけ多くの映像化にもつながっている。
おっしゃるとおりです。起承転結があって、シーンがくっきり分かれていて、それで最後の結末をちゃんと残してある。書き割り的、段取り主義だと言われるけれど、彼は教養があるから1つ1つのシーンが実に深い。
キャラクターが立っているけれども、類型でないという面白さがあります。分かりやすいキャラだけど、陰影がちゃんとある。俳優さんもやりがいがあるんじゃないでしょうか。
あと、映画を見ていると小説を忠実に起こしているものがとても多いのですが、それは、小説がそのままでも映画になるように書かれているからだろうと思います。絵がパッと浮かびますよね。
そう、非常に映像的です。
くどくどディテールを書いているわけではないけれど、パッと目に浮かぶ感じ。特に感心するのは、街の描き方がすごく上手で、実際に行ってみたくなる。あるいは、「ああ、あそこか」って分かる。
今度の『青春怪談』でも、赤坂とか、鵠沼(くげぬま)というところが出てきます。鵠沼は父の弟がずっと住んでいた場所です。ですから私が読んでいても、あっ、これはあそこだな、と分かりますね。
『青春怪談』って、実は移動距離がすごく長い小説ですよね。女性の家は鵠沼のほうにあるし、男の子の家は赤坂の文化住宅です。旧世代の2人が会うのは小金井の霊園で、最後が向島百花園。とても移動距離が長い。それだけのロケーションを上手に使える作家ってそうそういないと思います。この点も、映画映えする作品だなと思います。
私は、『悦ちゃん』もすごく好きなんです。これも非常に映画的で、東京の街が舞台だけど、ハリウッドのシャーリー・テンプルの映画を見ているような気持ちにさせられる。東京の街を舞台にしていながら、あんなハイカラな感じの小説はあまりないように思います。
映像的というのも、若い世代に受け入れられやすい要素なのかもしれません。
ええ、『七時間半』もそんな感じで受け入れられています。東京から大阪まで7時間半かかった時代。その7時間半という枠内で、かつ列車内という限られたロケーションで、いろいろなドラマが展開していきます。
第1幕第1場、第2幕第1場、第2場といったシーンがありますよね。演劇人だったから、第3幕のここはこういう場面にする、といったことを常に頭に置いて書いていたのかもしれません。
獅子文六の書いた戯曲というのはいろいろあるのですか。
たくさんはないけれど、あります。一番有名なのは『東は東』(1933)です。これはぜひお読みいただきたい。短いけれどシリアスな芝居で、異文化理解が本質的にいかに難しいかというのがテーマです。文六さんの最初の奥さんはフランス人で、お子さんが生まれたけれどもうまくいかなくて、フランスに帰って亡くなりました。その痛切な体験をもとに、時代や男女の役を置き換えて、別の世界、異人種との共同生活がいかに大変かを描きました。いまでは国際結婚は珍しくないですが、非常に現代的なテーマですね。
小説が文庫でこんなに復刻しているのだから、演劇のほうも見てみたいですよね。いまの俳優さんたちがやるとまた違うでしょうから。
それこそ文学座あたりでね。
ええ、やってみてほしいです。
慶應・福澤とのかかわり
慶應とのかかわりということでは、文六さんは幼稚舎から普通部、そして大学理財科から文科に転じています。そして、文六さんのお父さんは福澤諭吉の門下生でした。
祖父は岩田茂穂といって、福澤先生と同じ、中津の出身です。最後には福澤先生を尊敬して慶應義塾に入りますが、当初は福澤先生の先進的な思想に反発して、先生を暗殺するグループに加えさせられたりもします。そして、そこから寝返って、先生の門下に入ったという話を聞いたことがあります。
ドラマチックですね。そのことも小説化してほしかったな。きっとすごく面白かったでしょう。
祖父と福澤先生とのつながりはかなり深かったようです。慶應義塾に入って、先生の指導などもあったと思いますが、アメリカに1年間留学し、帰ってから横浜で商売を始めます。結婚した相手の父親は三河の平山甚太という人で、横浜で花火師をやっていました。旅館も経営していて、中津出身の慶應義塾の方が利用していたらしいのです。そこの娘さんと祖父が結ばれたんですが、その紹介をしたのが小幡篤次郎先生です。
父の「豊雄」という名前も、中津=豊前の国の「豊」という字からとっています。その名前をつけてくださったのも小幡先生だと聞いています。
戦後、文六さんはそれまで住んでいた大磯から赤坂に引っ越された。それはお子さんの教育のためだったそうですね。その時から慶應に入れようと考えていらっしゃったのでしょうか。
幼稚舎とは決めていなかったようですが、どこか東京の学校に入れたいということはあったみたいですね。
慶應の出身で、文学座を一緒に立ち上げた久保田万太郎も文六さんと同じぐらいの年代ですよね。元塾長の小泉信三先生も。
そうです。普通部に進学したころ、小泉先生が大学生で、テニスを教えてくれたこともあったそうです。
作家だと、小林秀雄さんも湘南にお住まいだったので、親しくしていました。あと、赤坂で家が近かったこともあって、吉川英治さんもですね。
合理主義的な生活
大磯の家は『娘と私』に出てきてすごく印象的でしたが、赤坂のお家は『青春怪談』に出てくるような文化住宅だったのですか。
いえ、そこが不思議で、『青春怪談』は昭和30年の出版です。赤坂に引っ越したのは昭和33年なので、時代的にはちょっと合わないんです。どうやって赤坂のことを書いたのかなと。
なるほど。あの作品だと、ユニットキッチンとか、今風のすごくモダンなお家で、ヒロインが息苦しいみたいに描かれていました。
自分の家については、そんなにこだわっていなかったように思います。
書斎はどんな感じでしたか。
書斎は和室と洋室と2つを使っていました。その時の気分で、畳の部屋で書いたりテーブルで書いたり、使い分けていました。
やはり万年筆でしたか。
いや、シャープペンを使っていました。
シャーペン! 意外。
さすがモダンだなあ。
どのメーカーのシャーペンだったんだろう。すごく気になる(笑)。
そういうところも合理主義が出てくるのかもしれませんが、どうしてもこの文房具でないと、というのはあまりなかったようですね。
生原稿もお家に残っているのですか。
神奈川近代文学館にほとんどをお預けしています。
ぜひ獅子文六展をやりましょうよ。
僕は『二つの昭和』を書く時、神奈川近代文学館にはずいぶん通いました。あそこには文六さんの資料がものすごくたくさんあります。去年ぐらいかな、文六さんについて何かやりたいという話をしていましたよ。
生原稿も見てみたいし、愛用の品とかも知りたいです。食べ物のエッセーも書かれていますが、いつもどういう朝ご飯を食べていたのか、ものすごく気になります(笑)。
朝はパン食でしたね。普通のトーストを食べていました。
朝は必ずパン?
はい。それにコーヒーですね。
コーヒーにはこだわりがあったのでしょうか。
まだ種類もそんなにない時代でしたが、インスタントではなくて、パーコレーターに粉を入れて。
へえ、当時としてはしゃれていますよね。
祖父が横浜の外国人居留地の近くで商売をしていましたので、そこで小さい時からいろいろな外国の人を見ていたということはあると思います。あと、幼稚舎に入ってからも三田の寄宿舎に入っていましたので、そういったところでも新しいものを見ていたのかもしれません。
新しい情報にはやはり敏感だったのでしょうか。
興味のあるものとないものとがはっきり分かれていたみたいです。人の話を聞いていても、自分に興味のある内容になると急にむっくり起き上がる、みたいな感じで(笑)。
新鮮な女性描写
若い女性たちに読まれている理由のひとつが、女の人の描き方がとても上手なことだと思います。強い女性ばかりを一辺倒に描いているわけでもなく、容姿もそんなに美人ばかりではないけれど、描き方がとても上手で、チャーミング。女性の独立心みたいなものも感じられます。
『コーヒーと恋愛』も、コーヒーを淹れるのが得意な女性が主人公ですが、ダメな若い亭主や、彼女のコーヒーの腕前だけを欲しい人たちを捨ておいて、ヨーロッパに旅立つ、という結末に女性たちはすっきりするんじゃないでしょうか。『七時間半』も、登場する女の子たちがとても潔い。逆に、いまの文学にそういう女性像が足りていないところがあるのかなと思います。
なるほどね。
『断髪女中』(1940)は古い作品ですが、モガみたいな女中が出てきて、「えっ」と思うようなモダンなことを言う。こういう女性像って、文学史の表にあるような作品からはなかなか見つけられない。そこがいまの女の子たちにとっては新鮮なのかなと思います。
私からすると、父が女性のことを研究している姿はピンとこないのです。なので、後に父の作品を読んで「なんでこんな女性のセリフが言えるのかな」って不思議でした(笑)。
『娘と私』でも、娘さんの描き方やその接し方ってすごくいいなと思います。
文六さんは、バックボーンとして昭和モダニズムの人だと思います。大正教養主義の次の世代ですね。昭和モダニズムとは、新劇がそうですが、モガのような新しい女たちが街に出てきた時代です。
戦前、文六さんは彼女たちを取材していた。例えば、「あんみつ」というのが百貨店で働く女性たちのあいだで人気だと聞くと、そういった女性たちに集まってもらって、何がおいしいのか、これは何と呼ぶのかなど、生の言葉をメモしていったとか。
いい話ですね。
昭和10年ごろだと思いますが、当時から若い女性の感性をキャッチする技術も持っていたし、頭もあったのではないでしょうか。
ユーモア文学の系譜
彼は新劇ですが、同じ新劇でも築地小劇場になるとちょっと古い。その次の世代ですね。いわゆるプロレタリア演劇と芸術至上主義の両方でぎりぎりやり合った時代です。
文学座ですから、芸術至上主義のほうだけど、フランスで演出家ジャック・コポーなどに学んだのは、実験的な演劇術だけでなく、客に喜んでもらわなければ芝居は成り立たない、自分たちだけで喜んでいるやつは駄目だ、プロレタリア演劇は、芸術をイデオロギーの下に置いているからもっと駄目だ、という考えです。
彼は芸術至上主義のほうですが、やせ細くならないのは、幅の広い読者や観客があってこそ芝居なんだということをパリで学んだからでしょう。新聞小説にも通じる考えです。
私はモダニズム文学も好きですが、そういうものは戦争とともに消えてしまいました。そのなかで、獅子文六が戦後になってもう一度人気作家になったというのは、そういう大衆性が身に付いていたからではないでしょうか。
1920年に創刊された『新青年』というモダニズムの雑誌がありました。彼も若い時に寄稿しています。だから、おしゃれな若者たちが飛びつくようなものに対する感覚はきっとあったんだろうな。岩波的な大正教養主義とはちょっと違う。
そういうものが生き延びて戦後にまた続けてくれていたというのは、私たちの世代からするとすごくありがたい。
やはり文壇で主流じゃなかったからでしょう(笑)。
その、主流でないからこその魅力がある。
笑いなんてまさにそうです。いま、朝日新聞で漱石の「吾輩は猫である」が改めて連載されていますが、漱石自身その後、笑いを書かなくなってしまう。だから、笑いの系譜というのは日本の近代文学では非常に薄いでしょう。
戦前はユーモア文学みたいなものが結構あるのに、すっと無くなってしまった感じがしますね。あと、主流じゃなかったからこそ、私たちの世代としては、「自分たちが見つけたんだ」という気持ちになったりもします。
そういうのはあるかもしれませんね。
私が知っている父は60歳を過ぎていて、そのころは60歳というと本当におじいさんです。もともと無口な人で、そんなに面白いおしゃべりをする人だという記憶はありません。
ただ、いろいろなものに面白い名前をつけていましたね。亡くなるちょっと前ぐらいにゴルフの集まりを主宰していましたが、その名前が「吹き溜まり会」(笑)。みんな年を取って、いいスコアも出せなくなって、落ち葉みたいに溜まっているけれど、たまに風が吹いてパッと舞い上がる時があるから。そういうネーミングはうまいというか、らしいなと。
発見しがいのある作家
文六さんの作品で、これが一番好きだ、というものはありますか。
父のイメージとして、男らしいというか、うちではあまりユーモアを言うような人ではなかったので、やはり『大番』のような、男らしい人が出てくる作品のほうが好きですね。
『大番』も映画が大ヒットしました。
加東大介が主演ですよね。
私は『コーヒーと恋愛』から入ったのでやはりこれをお勧めしたいけれど、男の人はまた違う意見かもしれません。
僕はやっぱり『娘と私』だな。自伝文学の傑作だと思います。明治から昭和にかけて活躍したジャーナリストで歴史家の徳富蘇峰という人がいます。長寿で、戦後まで生きていた人ですが、その徳富蘇峰が『娘と私』を絶賛したという話があります。
子供を持った親、特に娘を持ったお父さんが読むテキストとして、とてもいい小説だと思います。僕なんかはどうしても昭和の時代とクロスさせて読んでしまうけれど、そうしなくても、自伝文学を読む喜びみたいなものを感じます。『福翁自伝』は代表的な自伝文学として知られていますが、それと並びうる作品だと思います。
これから読まれる方は、『コーヒーと恋愛』や『七時間半』など、まず最近読まれている作品から入って、面白いなと思ったら『娘と私』を読むと、これを書いた作家がどういう人かがよく分かると思います。あと、『悦ちゃん』もいいですね、さわやかで。『信子』という小説もいい。現代版「坊っちゃん」ですが。
続々と復刻が出ていますが、まだ出ていないものもたくさんありますよね。『箱根山』とか。あと、私は短編がすごく好きなので、短編集がもっと出るといいなと思います。昔古本屋で買っていたような。
古本屋には結構ありますか。
一時期より減ってしまいましたが、古いものだと、獅子文六さんの本は装丁のしゃれたものがとても多いので、それをいまだに集めています。『七時間半』も、函入りで、フライパンに目玉焼きがのっているみたいな、かわいらしい表紙です。あと、『断髪女中』はコバルト叢書ですから東郷青児さんの装画ですが、別バージョンもあります。人に貸したきり返ってこないんだけど(笑)。
戦後、四国を舞台にした短編がいくつかあるのですが、あの時代の事情をよく知ると面白く読めるけれど、知らなくても面白い。人間観察が独特というか、決して甘くない。でも、冷たくない。美談や人情話に落としこまない。人間とはこんなものだよ、概念では見てはいけないよというのでしょう。
掘り甲斐があるというか、発見しがいのある作家ですよね。いま復刊されているものとはまた違うタイプの作品もあるだろうし、もっと発掘していけたらいいなと思います。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。