健康マネジメント研究科に勤めて4年ほど経ったある日、妙なメールが届いた。曰く、おかしら日記の執筆者の対象を広げているとのこと。すぐ下に、自分の名前があった。陣頭を切るように、と言う位置だった。
私は健康マネジメント研究科の公衆衛生・スポーツ健康科学専攻に所属している。この専攻には3つの学位プログラムがあり、その中で医療マネジメント学学位プログラムからの運営委員を務めている。3つの学位プログラムの中で、専攻の名称に単語が含まれていないのは医療マネジメント学だけである。公衆衛生学とスポーツマネジメント学は含まれている。着任して暫くはそう思っていたが、同僚に尋ねたところ、健康の中に包含されているとのこと。そう言われて、確かに、と納得した。医療・看護・福祉・スポーツは社会の健康を支える重要な基盤だ。
私どもの専攻は、科目履修の垣根が低い。どの学位プログラムに所属していても、ほとんど全ての科目の履修が可能である。そして修了要件のうちの科目履修について、学位プログラムごとに異なるが、必修科目の割合は多くても半分弱、少ないところは3分の1だ。それ以外は、各自の研究分野に合わせて履修できる。公衆衛生・医療マネジメント・スポーツマネジメントに関する科目の開講数が多く、自分の学びをかなりの自由度で設計できる。
どの学位プログラムでも同様の学びができるなら、どれを目指して入学するのが良いか、と尋ねられる。大学院の中心は、学びではなく研究である。この専攻の研究には、インターンシップを通じた課題解決の実践も含まれる。学びは主として、研究や実践の準備だ。
学位プログラムの選択についての質問には、何を研究したいですか、と質問で返すことにしている。科目履修は自由でも、研究指導は学位プログラムごとに教員が異なるためである。またパンフレットに記載の通り、「保健・医療・福祉機関ならびに関連ビジネスには、より質の高いサービスの効率的な提供が求められ、また、サービス提供時にはサービス受領者個人のニーズを踏まえたきめ細やかな対応が求められることを踏まえ、医療マネジメント学では、それらを実現するためのマネジメントについて研究・企画・実践できる人材の養成を目標としています。」が医療マネジメント学学位プログラムである。健康・医療・福祉をサービスと捉え、これを提供する機関、組織、施設などの経営や運営、制度に関する問題や課題、勤務経験の中から生まれたマネジメントに関する問題や課題。これらへの取り組みの意識がある人には、医療マネジメント学を勧めている。
働きながらの就学は可能か、と尋ねられることもある。平日昼間の開講科目も多く、曜日を選んでの勤務の調整など、職場の理解が必要なこともあるだろう。こちらには勤務と就学の両方を頑張っている学生が幾人も在籍している。どのような調整をしているかはそれぞれ事情が異なるようだ、と答えている。
ここまでで、書くべきことは書いた、と本題に入る。実は私はおかしらではない。せいぜい、研究室のある3階から1階のウォーターサーバーまでの出勤する都度の往復が面倒になり、研究室に浄水器を設置することを画策したものの、ごく単純な制約を優しく教わってさっさと夢破れる程度の小物だ。そして健康を考えれば、階段を上り下りするのはいいことだから、購入できなくて正解だった。
私にとってのおかしらといえば、火付盗賊改方長谷川平蔵である。与力や同心、密偵を何人も配下に持ち、食や肴など、岩波正太郎が豊かに描いた物語の中心人物だ。二代目中村吉右衛門が演じるフジテレビ版の鬼平を、たぶん最初から最後まで観た。エンディングに流れるジプシーキングスのインスピレーションはよくマッチしていると聞くたびに感じ入ったものだ。おかしら、という文字を見るだけで、今でも思い浮かぶ。このまま蕎麦と日本酒の方に話を向けようか。が、それではおかしららしくないと話を戻す。
健康マネジメント研究科が2025年に2校地化して信濃町もキャンパスとなったこと、翌年の2026年には主キャンパスを信濃町としたことに触れようかとも考えた。自分の研究室は看護医療学部校舎にあり、研究室と教室が約50km離れているが、特に不自由は感じていない。私では話が短いので、本物のおかしらに書いていただくのが良いだろう。
単なる日記なら、と猫に想いを馳せる。私は人間と結婚しているが、猫とも同居している。新型コロナウィルスに関する緊急事態宣言以降、なぜか私だけ早寝早起きになった。そのせいで、起床のタイミングが猫と合うようになった。毎朝、起こされるか、こちらが猫を起こす。猫に先導されて、食事の器を取りに行き、台所で綺麗に洗い、また猫に先導されて、猫の食事処に食事を用意する。猫が食べている間にドアを閉め、猫の泉を洗いつつ、水を交換する。また猫に声を掛けられて、猫草を1本ずつ10本、手ずから差し出して食べてもらう。その後にまた猫に先導されて、食事処のドアを開ける。なんなら少しお代わりをあげる。生後10年を超えた猫は、私にお願いすれば何でも叶うと信じているようだ。すまない。10年目になってもまだ、シーバのどれを今食べたいか、1回では当てられない。朝晩の猫の世話、また添い寝してくれる猫とのやりとりは、それなりに書ける。何しろうちの猫は時々、堰を切ったように語ってくる。募る思いや、貯まった不満でも生じるのだろう。何を言っているか全く理解できないが、それがとても可愛い。しかしこの話題を続けても、おかしららしくない。そもそも大学や自分の研究に触れる要素が全くない。
湘南藤沢キャンパスへ通う日々のことを記そうかとも考えた。湘南台駅や辻堂駅の周辺での出来事、神奈川中央交通の慶応大学バス停までのバスの様子、自転車で駅とキャンパスを往復すると何度も見え隠れする大きな富士山、看護医療学部校舎からの遠藤笹久保公園の借景、アプリで眺められる近隣で生じているサイクルシェアの確保競争、中高の試験の昼前後と七夕祭の夕方に現れるバス停を取り巻く人の渦、見ているこちらも和む、隣接する病院の保育児童たちがこちらの敷地で和んでいる光景、など日々のことを記すのもいいかな、と。しかしいずれも日常すぎて、おかしら日記で披露する意義がない。真夏の湘南藤沢キャンパス周辺で、秋葉台や市民センターどころか、石川五丁目のファミマから宇都母知神社まで全ての駐輪場が埋まっていて、御所見市民センターまで行って自転車を返却し、そこから歩いて来た顛末など、読みたい人がいるとも思えない。バスを待って、それに乗った方がずっと早く、快適だった。別の暑い日に、自転車を修理に出した後に適当にバスに乗ってたどり着いた石川五丁目から、タクシーを呼んで出勤したこともある。なかむら公園から看護医療学部校舎まで歩いたこともある。そんな中、少し遠回りをして利用していた、菖蒲沢にあったコンビニの店主から、閉店の予定を告げられたのは悲しかった。
ここまで書いて、こんな私でもおかしら的な立場にあることを思い出した。看護医療学部校舎には、公的統計のミクロデータを研究目的に分析できるオンサイト施設が設置されている。オンサイト施設では、通常ではアクセスできない公的統計の個票データを研究に活用させてもらえる。公表されている集計表ではなく、個票を扱えることは、研究にとって大きな利点がある。これは慶應義塾の施設だが、統計法が定める独立行政法人統計センターが所管する公的な施設でもある。この部屋の中にある端末は、国に申請して認められた人しか操作できない。この施設の運営と管理を担当している。日常過ぎて、ここまで書かないと思い出さなかった。
公益財団法人統計情報研究開発センターから支援を頂けるとの助言と、作りましょう、と言うお声掛けを頂いて、着任半年足らずの私は、それ以外の予算もないまま、オンサイト施設の設置の準備を始めた。準備が進むと、百万円以上の予算不足が発覚した。そもそも壁を作る工事の相場感もなかった。それでも開設の意義を理解してくださった関連部署の方々が、壁を設置する改修費用を支弁してくださり、一部の設備に在庫品を提供してくださり、なんとか支援費用の倍程度の支出で完成した。皆様のご理解なしには、看護医療学部校舎とSFC本館を結ぶ土管、また藤沢と慶應のSINET口を結ぶ根幹ネットワークを通じてVPNトンネルを設置するなど、絶対に無理だった。この施設の利用者に使っていただくクライアントを私が個人で調達したのは、ちょっとした誤差でしかない。完成して本当に良かった。
当たり前と思う日常は、実は多くの皆様によって支えられている。オンサイト施設の開設と運営、綺麗な校舎の維持、校舎で日中を過ごす際の安全安心。全て多くの方々によって支えられている。そのおかげで、やるべきこと、やりたいことに専念できることへの感謝を、ここに述べ、この日記のおかげで一人所帯でしかない慶應義塾オンサイト施設のおかしらであることを思い出せたことにも感謝して、筆を置きたい。
皆さん、いつもありがとう。皆さんのお陰でなんとかなっていることに、この場を借りて感謝申し上げる。
日記、とのことで、徒然なるままに書いた散漫な文章をお許し頂ければ幸いである。