卒業生 高橋由伸君(法学部卒)
2025/10/23
高橋由伸(たかはし よしのぶ)/野球評論家・解説者
1998年法学部政治学科卒業。野球部では1年生からレギュラーを務め、4年生では主将としてチームを9季ぶりのリーグ優勝に導く。卒業後、読売ジャイアンツに入団。1年目より先発起用され、セ・リーグで長嶋茂雄氏以来となる新人打率3 割をマーク。松井秀喜氏(元NY ヤンキース)らと共に強力打線を形成し、3年目の2000年に日本シリーズ優勝を決めた。2004年にはアテネ五輪メンバーとして日本の銅メダル獲得にも貢献。2015年現役引退と同時に読売ジャイアンツ第18代監督に就任し、3シーズンの指揮を執る。現在は野球評論家・解説者、読売ジャイアンツ球団特別顧問、読売新聞スポーツアドバイザーを務める。
慶應義塾大学野球部の 第一印象は「大人」のチーム
-高橋さんと野球の出会いについて聞かせてください。
高橋 私が生まれ育ったのは千葉市の郊外でした。幼い頃は父や2人の兄たちと一緒に野球をすることが私にとっての数少ない遊びであり、楽しみでした。郊外で広いスペースが必要な野球をする場所だけはあり、高校まで野球をやっていた父が私にとって初めての指導者でした。小学生になって地域の少年野球チームに入ると、すでに打つことも投げることも人並み以上にできたので、すぐに上級生に交ざってレギュラーとして試合に出るようになりました。中学生になっても野球を続けましたが、プロになろうとは考えてもいませんでした。大人に「将来何になりたい?」と聞かれたら、なんとなく「プロ野球選手」と答えたことがあったかもしれませんが、全く現実感はありませんでした。私だけでなく親も同じだったと思います。
-神奈川県の桐蔭学園高校に進学された理由は。
高橋 中学生のときは全国大会で優勝を経験したこともあり、卒業前にいくつかの野球強豪校から高校入学のお誘いがありました。その中から桐蔭学園高校への進学を強く勧めてくれたのは母でした。おそらく末っ子の私を自立させるために全寮制での生活を望んだようです。当初父は私が家を出ることに反対で、私自身もあまり気が進みませんでしたが、いま振り返ると母の判断は正解だったと思います。高校3年間で一人で生活する力が付き、同時に親のありがたさも身に染みました。大学進学にも力を入れていた桐蔭学園高校での生活では、野球ばかりでなく将来に向けた視野も広がったと思います。
-慶應義塾大学への進学動機を教えてください。
高橋 やはり東京六大学野球でしょうか。当時もNHKで早慶戦の試合を放映していて、野球部の監督と部員みんなでテレビ観戦していたのです。そこから早慶戦に出てみたいという憧れの気持ちが生まれ、当時の監督からは「慶應が合うのでは」と言われていました。しかも野球部で2年先輩だった髙木大成さん(元西武ライオンズ選手、現埼玉西武ライオンズ球団職員)がSFCに進学していたこともあって、私も慶應義塾大学への進学を決めました。ただ、その時点でもプロ野球選手になろうとは思っていなかったのです。
-慶應義塾大学野球部の印象はいかがでしたか。
高橋 まず感じたのは「大人」のチームだな、ということでした。先輩が大人なのは当然ですが、浪人して入学した同級生は年上でしたし、その後、5浪したという年上の後輩もできました。また、私のように子どものときから野球だけをやってきた部員のみならず、大学まで野球経験がないという部員もいました。野球強豪校だけではなく、内部進学の学生も多いですし、そうした多様なメンバーが個人の目標を持ちながら試合に向けてチーム一丸となって勝利を目指す……高校までとは全く異なる面白い環境だったと思います。監督やコーチも選手を大人扱いしてくれました。就任したばかりの後藤寿彦監督は選手一人一人の個性を大切にされ、私たちが伸び伸びとプレーできるよう心を配ってくれていたと思います。
-高橋さんは1年生からレギュラーとして活躍され、東京六大学野球ルーキー新記録の3本塁打を記録されています。
高橋 監督に1年の春季リーグからレギュラーとして出場させていただいたことは感謝しかありません。「慶應義塾の選手として神宮球場で活躍したい」という夢を思いのほか早く実現できましたし、大学時代のさまざまな記録も4年間全試合フルイニング出場したからこそ達成できたわけですから。神宮球場という晴れの舞台で、野球の伝統校同士が天皇杯を争って真剣勝負を繰り広げる……30年近くたって振り返ると、やはり特別な経験だったと思います。天覧試合だった最初の早慶戦、最終学年での優勝と優勝パレードなどは決して忘れられない思い出です。
選手としてずっと大切にしていた長嶋茂雄監督の教え
-在学中は各球団からも注目されていたわけですが、ご自身もその過程でプロに進む気持ちを固められたわけですね。
高橋 そうですね。後藤監督からもプロになることを勧められていましたし、高校、大学の先輩の髙木大成さんが西武ライオンズで活躍されている姿を見て、ようやく「プロ野球選手」という進路が私にとっても現実感のある目標となった気がします。幸いにも多くの球団からお声がけいただき、多くの方の期待に応えるためにもしっかり「プロ」への進路に向き合おうと決意しました。どの球団を選ぶのかはかなり迷いましたが、最終的に逆指名という形で読売ジャイアンツへの入団を決断しました。
-ジャイアンツへの入団が決まって、野球部の仲間たちも喜んでくれましたか。
高橋 入団決定の記者会見を日吉キャンパス「藤山記念館」で行ったのですが、会場には記者に交じって同級生の姿も見えました。みんな喜んでくれていたとは思いますが、私自身、残りの学生生活をきちんと学生らしく過ごしたいと思っていましたので、仲間ともこれまでと変わりなく過ごすようにしていました。みんなもそういう私の気持ちをわかってくれていたのでしょう、誰もジャイアンツの話題に触れず、これまで通り友人として付き合ってくれました。そのことがとてもうれしかったことを覚えています。
-高橋さん自身は入団に際してプレッシャーなどは感じていましたか。
高橋 もちろんそれはありました。なにしろ当時のジャイアンツには、松井(秀喜)さん、清原(和博)さん、広澤(克実)さんという大打者がそろっていましたから、その中に入っていくことは私にとって大きなチャレンジでした。もしかしたら試合に出られないかもしれない……そうしたプレッシャーの一方で、リスクを取らないとプロとして成長できないという思いもあったのです。幸いにも当時の長嶋茂雄監督は1年目から私を先発メンバーとして使ってくださいました。
-その後も主軸打者、好守の外野手として活躍され、3年目には「日本一」にも貢献されました。
高橋 3年目には確かに日本一にはなりましたが、個人としての成績は少々満足できない結果でした。3年目はそれまでの2年間の経験を踏まえて、さらなる成長を目指して練習やプレーにおいて新しいチャレンジに取り組んでいたからです。そのシーズンは満足できない個人成績に終わりましたが、その後の選手生活においてそのチャレンジは大いに役立ちました。「結果」はすぐに出るわけではないんですね。
-現役時代、全力プレーゆえのケガにも悩まされました。
高橋 ケガで試合に出られないことはつらかったですが、ジャイアンツのようなチームでは常に全力でプレーしないと選手として生き残れません。また、新人の私に目をかけてくださった長嶋監督からは「プロである限りファンに感動を与えなければいけない」と教えられました。スタジアムに観戦に来ているファンの中には何度もスタジアムに来られない方もいるし、もしかしたら一生に一度の野球観戦になるかもしれない。全力でプレーしないことはそんな方々に失礼にあたる……それが長嶋監督の教えです。だから私は常に全力でプレーをすることがプロの使命と考え、そのためにもケガをしない頑強な身体づくりに励みました。それでも現役時代はケガには何度も悩まされましたが、ジャイアンツの一員として毎試合ファンに与える「感動」を最も大切に考えていました。
すぐに答えが出なくても 簡単に諦めないでほしい
-2015年に17年間のプロ生活を終え、翌シーズンからはチームの監督に就任されました。
高橋 現役の最後の方では「やがて自分もチームの指揮を執る日が来るかもしれない」という意識は持っていました。監督を拝命したときは、球団からの期待と評価だと感じてとてもうれしかったですよ。チーム事情が厳しい時期だったので監督として過ごした3シーズンは苦しいことが多かったですけど、困難な時期だからこそ私にチームを任されたと前向きに受け取っていました。監督の仕事とはとにかく試合に勝つこと。そのためには選手と試合をしっかり見る監督としての「眼」を持つことが何より重要で、選手時代とは同じ試合でも見える“光景”が全く異なります。監督在任中は優勝こそできませんでしたが、野球というスポーツを捉え直すかけがえのない経験となりました。
-現在は評論家・解説者、また球団特別顧問などさまざまな立場で野球に関わっていますが、日本のプロ野球の未来をどう見ていますか。
高橋 MLBの大谷翔平選手の活躍が連日伝えられていますが、日本のプロ野球もグローバル市場を意識する時代になったと思います。またサイエンスを取り入れた練習やIT技術を駆使したマーケティングなど、プロ野球全体が大きな変革期にあるように思います。一方で、野球という競技そのものは変わりません。最近の若い選手には、すぐに練習の結果を求める傾向があるようにも思えます。もちろんサイエンスに基づいた合理的な練習で早く結果を求めるというやり方もあるでしょう。しかし、人間の心と身体を使うスポーツはすぐに答えが出るモノではないという側面もあります。私自身の経験を振り返っても、試行錯誤した結果、ようやく得た答えがたくさんありました。若い選手にはすぐに結果が出なくても焦らないでほしいと思っています。
-では、最後に野球部の後輩たちを含む塾生へのメッセージをお願いします。
高橋 かつて自分が戦った東京六大学野球を観戦することは今も毎年の楽しみです。力を尽くして戦う後輩たちをこちらも全力で応援し、共に勝利の喜びを味わっています。あまり野球に関心がない塾生の方もいらっしゃるかもしれませんが、一度、試合に足を運んで、同じ大学の仲間が頑張っている姿を見てほしい。東京六大学野球の思い出は卒業後も共通の話題として盛り上がりますし、そこから新たな人間関係が芽生えることもあります。慶應義塾で過ごした4年間は私にとってほんとうに素晴らしい日々でした。何より良かったのは今も仲良くしているたくさんの仲間と出会えたことです。もし可能であればもう一度あの頃に戻りたいとさえ思います。
-本日はありがとうございました。
(取材日:2025年5月8日)
この記事は、『塾』SUMMER 2025(No.327)の「塾員山脈」に掲載したものです。