慶應義塾

日常会話の分析と日本語教育への応用

登場者プロフィール

  • 田中妙子

    文学研究科 国文学専攻 日本語教育学分野

    田中妙子

    文学研究科 国文学専攻 日本語教育学分野

2026/04/01

私の専門的な研究対象は、13世紀から16世紀の西ヨーロッパの説教です。古代から現代まで世界の多くの文化で、宗教的な教えを大勢の人々に対して語る行為はおこなわれてきました。ただし、中世後期の西ヨーロッパのキリスト教(すなわちカトリック)の説教は、当時の社会において独特の重要性を帯びることになり、世界的に見ても興味深い発展を遂げました。私は非母語話者に対する日本語教育を専門とし、本塾で学ぶ留学生に対して日本語能力向上のための支援を行っています。そのような活動の中で特に関心を寄せているのは、学習者の会話能力の養成です。日常会話における一まとまりの発話は、質問、依頼、勧誘、謝罪、約束など、様々な機能を持っています。母語話者はこのような機能を果たすのに適切な表現を自然に選択することができますが、非母語話者はどのような語彙と文型を組み合わせれば効果的な表現になるかを意識的に学ぶ必要があります。そのため、教育の場では、具体的な日本語の表現を学習者の習熟度に応じて段階的に提示することが求められます。私はその基礎研究として、日常会話やドラマのシナリオから各種の機能を持つ用例を収集し、その中に現れる特徴的な表現や語彙、コミュニケーション・ストラテジーなどを整理・類型化して、教授内容や教材作成に還元する方法を模索しています。実際の会話は発話の場の条件によって常に変化しますから、教室の中だけで会話のし方を教えることには限界があります。しかし、学習者が日本語による豊かなコミュニケーションを実現できるよう、多様な機能を持つ会話例に触れ、効率的に表現を習得できる教育を提供することは重要です。

ヨーロッパでは、15世紀の半ばのグーテンベルクによって活版印刷の導入が行われ、それ以前の書物は手書きで複製された写本でした。したがって、ヨーロッパでは、活版印刷の導入以降に「マス・メディア=大量言説普及システム」が出現したと考えられがちです。しかし、13世紀以降の中世のキリスト教、とくに、フランシスコ会やドミニコ会といった托鉢修道会による説教活動が、活版印刷を前提としない大量言説普及システムとしての仕組みをかたちづくり、当時のカトリック教会と当時の社会に深く影響を与えたのです。また、近年はメタ言語表現にも注目しています。メタ言語表現とは発話者が自分や相手の発話そのものに言及する表現を指します。私たちは相手とのやりとりの中で情報の交換を行いながら、同時に「先ほどのことに戻りますが」「話が飛びますが」といった会話の方向づけを示す表現や、「ちょっと失礼かもしれませんが」「はっきり言ってください」といった自分や相手の話し方に言及して人間関係を調整する表現など、メタ言語表現を用いた伝達行為を行っています。学習者はこれらの表現を学ぶことにより、会話を自律的に管理・調整して、円滑に進めることができるようになります。また、メタ言語表現には文化的な要素も含まれるため、会話における文化的な文脈を理解する上でも欠かせない知識です。こうした複雑で重層的な会話の仕組みを探り、研究成果を教育に反映させることを通じて、日本語を学ぶ方々の会話能力向上に寄与したいと考えています。