登場者プロフィール
井上逸兵
文学研究科 英米文学専攻井上逸兵
文学研究科 英米文学専攻
2026/04/01
言語学をやっています。私の言語学、とくに社会言語学はとても安上がりな学問です。なにしろ材料はそのへんの日常に転がっているからです。英語と日本語は私にとって重要な材料ですが、それらも遠い世界の立派な英語や日本語ではありません。日々、生活のために使い、時に格闘し、楽しむツールでもあるところの言語です。よく「英会話」の練習をする際に、「英語はツールなんだから、文法とか細かいことを考えちゃだめだ」などという言い方をすることがありますが、「英会話」のためにはよいとしても、ツールそのものを馬鹿にしてはいけません。ツールはとても複雑で、重層的な働きをしています。ツールとしての言語は、安上がりですが、一筋縄ではいかない、ネタの宝庫です。
「英会話」は英語に訳すと、English conversationになろうかと思いますが、このような語の組み合わせは、英語圏の英語ではあまりありません。「英会話」は、日本独特の社会事象です。英語は多くの言語と同様ひとつの言語にすぎませんが、世界で特別な地位を持っているのは誰もが知るところです。そして、日本の英語受容、日本人にとっての英語も社会言語学のネタのひとつで、これまた一筋縄ではいきません。
日本人、日本語と英語という関係といっても、そのような内向きの視点からの研究ばかりではありません。アニメを中心として日本コンテンツが英語に乗って(字幕や吹替えとなって)世界に出て行っているという外向きの状況も私の社会言語学の重要なネタです。私がとくにおもしろいと思っているのは、西暦2000年を境に、英語訳の性格が変わってきたことです。「アニメ2000年問題」と私は呼んでいます。その第一の要因は、インターネットやメディアとの関わりの変質です。
言語学、社会言語学は、ありふれた日常が相手ですが、テクノロジーの進化で、この日常自体が大きく変化してきています。テクノロジーと言語というネタは、いままさにAIとの関わりという次元に急速になってきました。速すぎて言語学もついていくのがたいへんです。言語学の移り変わりは、じつは社会の移り変わりを反映しています。
私はYouTubeや言語系のNPOでのなどを通したアウトリーチ活動や企業と組んでコミュニケーションコンサルのようなことをやっていますが、これは社会実践のようなかっこいいことではなく、言語学的に生きるということを通して、言語学の新しい地平を見たいのです。私にとって言語学をやるというとは、この社会に生きることそのものなのです。