登場者プロフィール
朴 英恵(パク ヨンヘ)
駐日韓国文化院長塾員(1992 政)。韓国外国語大学同時通訳大学院修了。駐日韓国大使館広報官、駐大阪韓国文化院長等を経て2025 年5 月より現職。
朴 英恵(パク ヨンヘ)
駐日韓国文化院長塾員(1992 政)。韓国外国語大学同時通訳大学院修了。駐日韓国大使館広報官、駐大阪韓国文化院長等を経て2025 年5 月より現職。
インタビュアー:塚本 壮一(つかもと そういち)
桜美林大学 教授法学部 卒業1989政
インタビュアー:塚本 壮一(つかもと そういち)
桜美林大学 教授法学部 卒業1989政
文化院長に就任して
──朴さんが文化院長に就任されたのが去年の5月ですね。
そうですね。とてもいい時期に院長となったと思っています。私が赴任したのは韓国の大統領選挙の直前。また秋には日本も高市首相に代わり、当初は日韓関係がどうなるのかという懸念がお互いにありました。しかし、間もなく日韓首脳会談があり、シャトル外交も復活して、日韓関係がこれほど良い時期はなかったのではと思うぐらい、良い関係になったと思います。
──本当にそうですね。正直、ここまで良くなると思っていませんでした。
私は大阪の文化院に2011年から18年まで7年間勤務していたのですが、その時は日韓関係が一番悪い時期でした。イベントが話題になることもなかったし、ひたすら地道な仕事をしているような感じでした。今はどんなイベントをしても良い反応があるので、とてもやりがいを感じています。首脳同士の交流も、例えば奈良や安東(アンドン)など、お互いの故郷での文化行事にも触れているので、私たち文化院としてもとても望ましいことです。
──文化院はどんな事業をされていて、職員の方は何人ぐらいいらっしゃるんですか。
韓国文化院は駐日韓国大使館の中で1つの文化を担当しているセクションと思っていただければと思います。
韓国文化観光体育部から来ている公務員は私1人だけで、他に12人の現地のスタッフと一緒に運営しています。韓国の伝統文化、現代文化、それからそのフュージョンといった様々な文化を講演やトークイベント、展示などを通じて日本の方たちに広めるのが私たちの役目です。
一番重要なことは、韓国の文化を通して日本の方たちに韓国を理解していただくことです。そのため、韓国語を習う人たちに向けた世宗学堂(韓国政府公認の韓国語教育機関)もありますし、今、文化院1階では韓国の伝統の螺鈿細工などを展示しています。
3階には図書館があり、いつでも、どなたでも韓国関連の書籍を見ることができます。4階には韓国式の庭園があり、フォトスポットや韓国関連のインタビュー、イベントなどに使うこともできます。
──こんなにいろいろなイベントをやっていらっしゃるのに、合計13人とは驚きました。
慶應義塾で学んで
──朴さんは、仕事で初めて日本に来たのは2002年だそうですね。
そうです。2002年から6年までの4年間、大使館で広報を担当していました。だから今回で3回目の日本での仕事になります。
──子ども時代にも日本にいらっしゃったんですよね?
小学生の時に少しいました。でもその記憶はあまりなく、大人になってから日本との関係の仕事をしてみたいと思ったのです。特に慶應義塾大学への留学がきっかけで日本との関わりを持ちたいと考えました。
韓国の1980年代はまだ旅行が自由化されていなかったんです。私は87年に日本に来ましたが、88年のソウルオリンピックに向けて旅行自由化の動きがようやく出てきたんです(全面的な自由化は89年)。それまでは、留学くらいしか海外に出ることが難しかったんです。
慶應で学びたいと思ったのは小此木政夫先生が朝鮮半島の専門家でいらしたからです。だから、慶應しか受けませんでした。そんなにお金がある家ではなく、落ちたら帰る覚悟でしたが運よく入学できました。おそらく私が韓国の留学生として法学部で初めて学部から入ったと思います。その頃ちょうど尹徳敏元駐日大使が慶應の大学院生でいて、神谷不二先生のところで博士号を取得しました。
──慶應での学生生活はいかがでしたか?
やはり勉強が大変でした。小さい頃に少し日本語をやってはいましたが、ずっと習っていたわけではないので、授業についていけない。全然日本語がわからず、ノートを取るのも大変でした。でも先生方はすごく気を遣っていただいて。小此木ゼミでは大学院生も面倒を見てくれて平岩俊司先生や阪田恭代先生をはじめ沢山の先輩方からいろいろなことを教えてもらいました。
小此木先生は時には優しく、時には厳しかったです。私は授業についていくのもやっとなのに、このぐらいは勉強しないと駄目だと言われました。でも、ゼミの飲み会では、「それも君のためを思って言っているんだから」と丁寧に教えてもらい、父親のように接していただきました。あの当時、韓国では40代の教授はなかなかいなかったので、若くして韓国の専門家としてテレビに出る先生のもとにいるだけで光栄でした。
──小此木先生で特に印象に残っていることはありますか。
私は大学を卒業する際、大学院に行こうか、韓国に戻ろうか迷いがあり、小此木先生に相談に行ったんです。そうしたら先生は一言、「大学院に行く必要はない」と言われた。先生曰く、人には勉強を続けるよりも、それを活用して他の道に進むのが向いている人もいる。君は学問より、それを活用して実務的な仕事をするほうが向いていると。
勉強を続けなければいけないというプレッシャーと、韓国ではその当時、女性はなるべく早く結婚しなければならないから国にも帰らなければいけないという事情もありました。そんな時に先生から道を示していただきました。それをきっかけに帰国して、韓国外国語大学の同時通訳院に入り、自分は公務員として日韓関係の仕事ができたらいいなと思うきっかけになったので、先生の一言にはすごく恩を感じています。
──慶應で会った学友や友達の縁は、その後も続いていますか。
同じゼミ出身ではありませんが、慶應卒の毎日新聞(現論説委員)の澤田克己さんとはソウル特派員で来られた時から親しくしています。また小此木先生が韓国にいらした時は韓国で日本関係をしている人たちの集まりがあって様々な方々にお会いしました。
慶應の小此木先生のところで学びました、と言うと、同じゼミでなくても、慶應出身の方にすごく面倒を見てもらったりします。現在も、テレビ朝日の社長を務められた角南源五さんには悩み事の相談から、「日韓交流おまつり」の実行委員の1人までお引き受けいただいています。
若い世代の韓流の楽しみ方
──素晴らしいですね。日本の韓流ブームについてお伺いしたいのですが、日本の韓国文化の受け入れの深まりはどうご覧になっていますか。
2002年、東京に勤務していた時がヨン様ブーム。2011年、大阪勤務の時はちょうど、少女時代やKARA、T-ARAといったグループが出始めてK-POPブームが始まった頃でした。今はその時に比べて、見て楽しむだけではなく、それを自分の生活に取り入れている人が多いようです。今の10代、20代の日本の人はK-POPを聴くだけではなくて、自ら踊ってカバーダンスをしたり、歌詞を覚えるために韓国語を習っています。
若い人たちの間には韓国語と日本語をちゃんぽんにしたハンボン語というものがあるんです。韓国語の「マシッソヨ」は「おいしい」という意味ですが、「まじマシッソヨ」とか。「アラッタ(分かった)」に「です」を付けて「アラッタです」とか。またK-POP好きな人たちは、K-POP風のメイクアップや衣装を自分の生活の中にどんどん取り入れています。
──確かに私の勤務先の大学でも、学生たちは本当に生活の中に取り入れていて、韓国語でK-POPも歌えます。大変な変化ですよね。
これは個人的な意見ですが、今の若い人は偏見がないんですね。ただ、自分の好きなグループの所属している国が韓国だ、と単純に考えているんですね。
私の世代は、日本は好きだけど、歴史問題などがあって、どうしてももう一歩踏み出せない面があり、学生の時は、日本が好きだと人に言えないような雰囲気が少しあったような気がします。日本にいる時もゼミの人たち以外の人からは韓国はよく知らない、北朝鮮との問題がある危ない国という感じがありました。
ところが、今は1人でも頻繁に行ける。近くて遠い国が、今は本当に近くて近い存在になったのだと思います。
「文化」をめぐる様々な思い
──ただ今年1月にNHKの国際放送に出演された時、嫌韓の時代があったことにも触れながら、韓国文化が日本に「浸透する」という表現を使いたくないとおっしゃったのが印象的でした。
私は、文化というのは自分が好きだから受け入れるものだと思うのです。それが「浸透」となると、好きではない人に文化を押し付ける、という意味になるように思うのです。でも今、韓国文化に興味を持っている人は、自分から受け入れて、自分のものにしている。私たちは浸透させるという目的は持っていませんし、文化とは自然と受け入れられるものだと思っています。
1998年に金大中大統領が日本の大衆文化を開放した時、韓国では「日本の文化が韓国に浸透する」のではないかとの懸念がありました。私は浸透させることで、その国の文化を受け入れてもらうことはできないと思うんです。その文化に対する理解がなければ広がらない。そういう意味で、文化はお互いに交流しなければならないと思います。
──なるほど。これだけ日韓関係も順調に見え、両国の若者も互いの文化に親しんでいるにもかかわらず、嫌韓の歴史もあるわけですからね。
個人的な意見ですが、嫌韓というのは、いいものもあまりに広まり過ぎると、それに反発する人がどうしても出くるのだと思います。
例えば、2002年に韓流ブームが始まった時、フジテレビで韓国のドラマをやりすぎだという反韓デモがありましたね。文化というものはそれがいいと言う人もいれば、それを悪く思う人たちも一方でいる。
10年前には反韓デモもあり、多くの嫌韓本が出ました。今、そういうものがなくなった理由はよくわからないのですが、表面的にないからといって、そういう感情がないわけではないし、それがいつまた表面に出るかはわからないと思います。
今、日本には韓国のものがあまりにも多く入ってきていることもあって日本のJ-POPなどの文化を海外に発信させなければ、という意識も強くなっていると思います。その中には「韓国を参考にすべき」という意識も少しはあると思うんですね。
政治ができないことを文化で補う
──これだけ韓国ブームになった今、これからはどういったところに力を入れていきますか。
1つは「ウェブトゥーン」です。韓国のウェブトゥーンはそれを原作にしてドラマ化、映画化された作品が結構ある。だから、ドラマや映画を見た人たちで、ウェブトゥーンの原作を見たいという人たちが増えています。
また、韓国の食べ物は日本で広まっていますが、宮廷料理などはまだ少ない。サチャルウムシク(精進料理)も韓国にはあるので、紹介したいと思っています。今までは韓国料理というと辛いもの、それからニンニク、ニラといったヤンニョム(香辛料)がたくさん入っていて味がきついイメージがあったかと思いますが、精進料理はそういった5つの香辛料を除いたもので、薬膳に近くて体にいいんです。
──ただ、文化交流はどうしても政治や外交に左右されてしまう側面もありますよね。
でも前に比べると少なくなっていると思います。2011年から18年の日韓関係が悪い時期でも文化院の行事は必ず人が集まりました。だんだん文化と政治外交は切り離して考えられるようになっていると思うんですね。政治や経済の関係がたとえ両国間で悪くても、文化はそれを和らげる1つの手段になるので、文化院での文化交流は大事です。日韓関係が悪くて地方自治体が交流行事をやめた時も、文化院は一度も文化事業をやめたことがありません。今後も、文化院は政治ができない部分を文化で補っていきたいと思っています。
緊密になる日韓の文化交流
──朴さんご自身では韓国文化で好きなもの、また日本文化で好きなものは何でしょう。
私はドラマが大好きで、韓国のドラマも日本のドラマもよく見ます。また、日本の小説が好きでよく読んでいます。日本のドラマでは『ホットスポット』とか好きです。他に映画では『かもめ食堂』や、是枝裕和監督の作品も好きです。
今はNetflixなどの配信で日本の映画・ドラマがたくさん見られますが、私が韓国の大学院にいた時は、日本の映画やドラマは見ることが難しかったです。日本のドラマのVHSビデオを専門に扱っているところから借りて、皆で『ロングバケーション』や『東京ラブストーリー』を見ていました。その頃は日本のドラマが韓国ですごく受けていて、とても「ナウい」と感じました。今はそれが逆転していますが、今も日本のドラマはよく見ています。
私は韓国の映像も日本の映像も好きなのですが、それはその映像の中に共通の人間の価値観とかが通じるものがあるように思うからです。
──最近、ドラマも日韓合作のものが増えているように思いますね。
日本テレビで9月から『メリーベリーラブ』という、韓国の俳優、チ・チャンウクと日本の俳優、今田美桜が出るドラマが始まります。俳優は日本人が多くても、スタッフ、監督や制作が韓国だったり、韓国と日本のスターが共演する合作が多くつくられ、それはすごくいいことだと思います。
──ハン・ガンさんのノーベル文学賞受賞もありましたし、韓国の小説も随分日本で普及してきましたね。
文化院では7月3日から「K-BOOK in TOKYO」という催しを代官山蔦屋で、文化院と韓国出版文化産業振興院と共同で開催します(7月23日まで)。3人の韓国の作家、キム・ホヨンとSFで有名なチョン・セラン、ファン・ボルムを呼んでトークイベントをしたり、文化院でも展示をやる予定です。今、かなりの勢いで韓国文学の、特に女性の日本の読者が増えています。
一方、今、韓国のベストセラーに日本の若い作家、鈴木結生さんの『ゲーテはすべてを言った』が入っています。また、東野圭吾、村上春樹、江國香織といった作家はずっと人気があります。
──韓国の若者たちの間でも、日本文化の受容の仕方が変わってきたように感じるのですが。
何より今まで韓国の人が日本に来る数はそんなに多くなかったのが、2014年から逆転し、今は来日韓国人客のほうが来韓日本人客より2倍ぐらい多いですよね。なかでもリピーターの人たちが多く、それも東京だけでなく、いろいろな地方都市を訪れるなど、若い世代を中心に、日本に対する考え方が変わってきています。
私はそれをすごくいいことだなと思っているのです。これだけお互いの国の若い人たちが行き来していれば、現地を見て、それをもう一度、経験しに文化院に来てくれれば、理解はとても深まると思います。
今は文化も産業にならなければ意味がないという感覚が強まっています。そういった部分では、韓国は日本より少し進んでいます。例えば韓国の博物館で売っているミュージアムグッズは韓国ではすごく売れているんです。私たちは今年11月にそれを文化院に持ってくる予定です。
──様々なお話を有り難うございました。
(2026年6月19日、駐日韓国文化院にて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。