慶應義塾

松岡 宏泰:快進撃を続ける東宝をけん引する

公開日:2026.04.15

登場者プロフィール

  • 松岡 宏泰 (まつおか ひろやす)

    その他 : 東宝株式会社代表取締役社長 社長執行役員法学部 卒業

    塾員(1989法)。米国留学を経て1994年東宝東和入社。2008年同代表取締役社長。2014年東宝取締役。22年東宝代表取締役社長に就任。

    松岡 宏泰 (まつおか ひろやす)

    その他 : 東宝株式会社代表取締役社長 社長執行役員法学部 卒業

    塾員(1989法)。米国留学を経て1994年東宝東和入社。2008年同代表取締役社長。2014年東宝取締役。22年東宝代表取締役社長に就任。

  • 杉浦 重成(すぎうら しげなり)

    一貫教育校 慶應義塾幼稚舎長

    杉浦 重成(すぎうら しげなり)

    一貫教育校 慶應義塾幼稚舎長

映画『国宝』の大ヒット

──昨年公開された『国宝』の興行収入が204.2億円を記録し、実写邦画として歴代1位にランクインしています(3月15日現在)。この大ヒットについて、今、どのようなことをお感じになっていますか。

松岡

謙遜ではなく、本当に運が良かったのだと感じています。『国宝』は新聞に連載され、その後単行本化もされている作品で、実は過去に東宝でも映画化を検討したことがあるんですよ。

原作者の吉田修一さん、李相日監督のチームとは、これまで『悪人』(2010)と『怒り』(2016)と、2本の映画でご一緒させていただいた経緯があり、自然な流れで企画が持ち上がりました。けれども、企画・開発の段階では費用面や、歌舞伎の世界は専門性が高いのではないかという判断もあり、当時はやむなく製作を断念したのです。

それを、今回、ソニーグループのコンテンツスタジオであるMYRIAGON STUDIO(ミリアゴンスタジオ)が改めて企画・製作された。本来なら我々に声がかかる場面ではないのですが、配給会社としての東宝と組むことにメリットを感じてくださり、パートナーとして組むことになったのです。

──そんな事情があったんですね。

松岡

東宝は映画業界の中で、これまで一定の役割を担ってきましたが、それを支えているのは、製作から興行までをグループで担える「総合力」です。

映画館に作品を届ける配給部門としては、お預かりした様々な作品を成功させるために全力を尽くし、その実績を信頼に変えてきました。

また、興行部門を担うグループ会社のTOHOシネマズは、スクリーン数では2番手ですが、収入面では業界で最大手になっています。これまで劇場設備やサービスを充実させることで、お客さまに足を運んでいただける魅力的な映画館づくりを続けてきました。

そのような積み重ねが、映画業界における東宝のポジションを築いたのだと思います。

昨年は、東宝の「総合力」が非常にいい形で、『国宝』、『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』、劇場版『チェンソーマン レゼ篇』をはじめ、様々な作品に活かせたのではないでしょうか。

──『国宝』は私も拝見しましたが、歌舞伎というテーマは非常に難しいと思う一方、人の一生が丁寧に書かれていて、観終わった後になかなか席を立つことができないぐらいでした。非常に素晴らしい映画だと思います。完全に社会現象になりましたね。

松岡

ここまでの反響は誰も予想していませんでした。途中から自分たちの手を離れてしまったというか、まさに社会現象が起きる様子を目の当たりにしました。

当然、宣伝活動はしましたが、映画をご覧になった人たちが「すごいよ」とSNSで拡散させていった、その露出量、拡散量は尋常ではなかったと感じます。それはわれわれではコントロールできないことです。だから、お客さまが作品を育ててくださったのだと思います。

素晴らしい作品をお客さまが見つけ、それを他の人に伝えて共有してくださった。それによって、社会現象になったのだと思います。

「アニメ」へのかかわり

──次にアニメについて伺いたいと思います。これからますますアニメIP(知的財産)は事業の力になっていくのでしょうか。

松岡

東宝が本格的にアニメを製作するようになったのは2013年頃からですが、実はそれ以前、1980年代にも『タッチ』などを手がけていた時代があるんです。

また、製作を行っていない時期も、『映画ドラえもん』、劇場版『名探偵コナン』や『映画クレヨンしんちゃん』などのアニメ映画の配給はしていました。

ですが、当時の社長だった島谷能成(現会長)が、再びアニメを自分たちで手がけていこうとしたんですね。最初の数年間は試行錯誤が続き、海外展開についてもまだ課題が残る状況でした。

そこに、北米のCrunchyroll(クランチロール)という、アニメに特化した配信プラットフォームが日本企業と協力関係を築くようになりました。最終的にはソニーグループの傘下に入り、会員数も急速に伸びていったんです。その成長のタイミングと、日本のアニメ市場の拡大はちょうどシンクロしているんですよ。

そうして実績を積み重ねていく中で、さまざまな漫画原作の作品を東宝に預けていただく流れが生まれてきました。アニメは、まず漫画原作がテレビアニメ化され、2、3シーズン続いた後、もう1段ステップを上げる形で映画化されることが多いですよね。映画化によってさらにファンが広がり、シリーズがより高いステージで続いていく。

そうした映画化の流れを見て、東宝と組むメリットを感じていただけたのだと思います。われわれが早い時期から海外展開に取り組んでいることも大きかったと思います。

──今、世界でアニメ全般が大変な人気ですが、中国などの進出も目覚ましく、海外との差も縮まっているようにも感じます。

松岡

世界中のアニメーションの中でも、日本のアニメだけが「アニメ」と区別して呼ばれることがあります。これは、単なる呼び方の違いではなく、独自のジャンルとして確立されている証拠ではないでしょうか。

日本のアニメが面白いのは、宮崎駿さんの作品に代表されるような独創的なオリジナルアニメがある一方で、漫画を原作とする作品もあることです。これは他の国のアニメにはない強みであり、さらなる可能性を秘めているのではないかと感じます。

経営者として判断するということ

──経営に関しても伺いたいのですが、コロナ禍で長期ビジョン「TOHO VISION 2032」というものを策定されましたね。

松岡

コロナ禍に、私を含めた3人の取締役を中心に、次の中期経営計画を考えることになりました。長期的な視点を盛り込む意味で、100周年を迎える2032年に向けて議論を始めたんです。その後、社長に就任してから3年が経ち、われわれがあの時に考えていた方向性は間違ってはいなかったなと感じています。

──経営者として決断しなければいけない場面がたくさんあると思うのですが、松岡さんが決断する際、何を根拠に決めるのですか。

松岡

私のもとに上がってくるのは、現場で仕事をしている人や、その部門の責任者が一所懸命考えても、簡単には答えが出ないような難しい判断ばかりです。

けれども、各所の意見を聞いたうえで、最後は自分がいいと思うほうを選ぶしかありません。その判断の根拠になるのは、これまで自分が積み重ねてきた判断や考え方で、言ってみれば自分そのものですよね。

だから、たとえ判断を誤ったとしても、それはそれまでの自分の人生の積み重ねが出た結果だと受け止めるしかないと思っています。判断した後に後悔することや、不安になることもありますが、それをしていくのが仕事ですから。

AIとどうかかわっていくか

──今はAIとどうかかわっていくかが、あらゆる領域で問題になっています。AIというものに対して、映画などに対する影響、また今後の付き合い方については、どうお考えでしょうか。

松岡

これは本当に難しい問題です。レベルは日に日に上がっています。ですが、ビジネス上のルールが未整備なまま技術だけが先行している現状には危惧を抱いています。

ただ一方で、会社の業務を合理化、効率化しようとすると、AIを使うと本当に楽になります。東宝でも去年の10月に、AIソリューション推進室を立ち上げています。

AIはわれわれにとっては重要なツールであると同時に、脅威でもあります。そういうものを使いこなすのも人間だし、出来上がったものに責任を持つのも人間。ですから、われわれはAIに対して、自分たちでコントロールしていかなければいけないはずです。

われわれはできる限り、今何が起こっているかを知っておき、何か対処しなければならない時には早めに動けるようにはしておきたいです。やはりルールがないと危険な領域に行ってしまうような気がします。

精鋭多数という考え方

──中期経営計画で「少数精鋭から精鋭多数への転換」を目指しているとあったのですが、人材育成についてはどのようにお考えでしょうか。

松岡

1970年代、映画が厳しい状況に置かれた時代がありました。テレビの台頭など娯楽の多様化が進む中で、東宝も大きな変革を迫られ、映画の製作部門を分離・独立させるという苦渋の決断をしました。その経験から、東宝には「人を増やさない」というマインドセットが根付いていたように思います。

東宝には優秀な社員が揃っていて、1人で2人分の仕事をしているような印象を受けます。けれども今、アニメを海外でも展開するとなると、新しい事業でもあり、仕事量も増えるので、人員を増やさざるをえない。

そこで、優秀な人たちを一定数きちんと採っていきましょうと、数年間で方針を変えてきました。それを言葉で表現しようとした時、「精鋭多数」だなと思ったわけです。

幼稚舎での体験

──慶應義塾時代のことについて伺いたいと思います。幼稚舎から慶應義塾の一貫教育の中で学び、大学まで進まれていますが、思い出に残っていることや学んだことなどを教えていただければと思います。

松岡

一貫教育の慶應義塾に入って一番よかったことは、受験のプレッシャーがなかったことでしょうね。だから私も、弟(松岡修造氏)もテニスばかりしていましたが、テニスを離れる必要は一度もなかったんです。好きなことを続けられる環境が一貫教育の中で保証されていた。そのことについては特に両親には感謝していますね。

──私と松岡さんは幼稚舎で同じクラスでしたが、思い出すのはソフトボール大会。大会直前に松岡さんが靴紐を結ばずに永田町駅の階段を駆け下りて、自分で靴紐を踏んで転んで腕を骨折してしまったんですよね。4番・キャッチャーなのに(笑)。私は今、舎長をしていますが、朝の玄関での挨拶をする時に、とにかく靴紐を結んでいない幼稚舎生に「靴紐、ほどけていますよ」と注意をしてしまいます。

松岡

私も気づいた時は、「靴紐、結んだほうがいいですよ」とつい言ってしまいます(笑)。

幼稚舎時代の思い出で言えば、われわれには2人、担任の先生がいらっしゃいましたが、後半の担任の桑原三郎先生の言葉が、私のその後の人生に大きな影響を与えました。

5年生ぐらいの時だったと思うのですが、ある日、「松岡君、君は外国に行って勉強しなさい。君はイギリスではなくてアメリカだな」と言われたんです。

私はその一言だけを頼りに大学卒業後、アメリカへ留学したんですよ。なぜそんなことをおっしゃったのか、よくはわからないのですけれど、今の自分の人生はあのアメリカ留学なしにはないから、やはり恩師の一言には感謝すべきだなと思います。

慶應義塾の教育から得たもの

──お父様はテニスプレイヤーとしても活躍された、東宝の名誉会長・松岡功氏ですが、松岡さん自身はいつ頃からテニスを始められたのですか。

松岡

幼稚舎3年か4年だと思います。不思議なんですけど、家にはラケットもトロフィーも写真もなかったので、私たち兄弟は父がテニス選手だったことは本当に知らなかったんですよ。

姉が5年生ぐらいの時にテニスを始めて、そのスクールに私と弟も連れて行ってもらったんです。そこでコート整備のおじさんがラケットを貸してくれて、「壁にポンポン打ってごらん」と声をかけてくれて。弟がそれに夢中になり、一緒に通い始めました。

その時もまだ父がテニス選手だったことは知らなかったんですよ。しばらくして試合に出た際、周囲から「さすが松岡さんの息子さんだ」と言われ、母に聞いて初めて父の経歴を知ったほどです。そのくらい父はテニスの話は一切しなかったですね。

──その後、中学、高校、大学とずっとテニスを続けられて、大学では主将を務められましたね。

松岡

私にとっての大学の体育会のテニスは挫折体験だったんですよね。高校生の時に、弟が慶應義塾からテニスの名門校・柳川高校に転校しました。それまで一緒にクラブでテニスをしていて、練習パートナーでライバルでもあった相手がいなくなってしまったので、父に相談して、人生勉強のためにも体育会に入ったんです。

でもその時点で、テニスで生きていこうという気持ちはなかった。だから周りの人たちに比べると、気持ちが中途半端だったのではないかと思います。戦績も今一つだったし、今、思っても「あの試合に勝っておけば……」というようなものがたくさんある。中途半端な気持ちでテニスと体育会と向き合ってしまった学生時代は反省することばかりですし、周囲に迷惑をかけたと思います。

もうああいう気持ちにはなりたくないということが、仕事のモチベーションなんじゃないかなと思っています。

──慶應義塾の一貫教育を通して学んだことなど、今、慶應義塾で学んでいる学生へのメッセージという形で、何かお話しいただけますでしょうか。

松岡

東宝、そして阪急という会社をつくった小林一三さんの創業の理念は、今でも東宝の理念だし、それはこれからも変わらないものです。健全な娯楽を広く大衆に届けようという、一三さんが言ったことを、今は日本だけではなく、世界に対してやっていこうということで、その理想を受け継いでいます。

それよりももっと大きな意味で、福澤諭吉先生が掲げた慶應義塾のあるべき姿、こういう教育の場にしたいという理想は160年以上経っても色あせていない。こういう激動の時代だからこそ、意義が大きくなっていると思います。

だから、盲信する必要はないけれど、その言葉の、あるいはその教えの意味を学生の間にできる限り自分の腹に落とし、自分の言葉にすることが、学校を卒業した後の大きな資産になるのではないかと思います。

私は学校の勉強にあまり熱心なほうではありませんでしたが、福澤先生の考え方のようなものは自分の行動指針になっていると思います。そういう意味で、幼稚舎から一貫教育で勉強できたことは本当に有り難かったなと思います。

──今日はいろいろなお話を伺うことができました。どうも有り難うございます。

(2026年2月26日、東宝本社にて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。