登場者プロフィール
柳町 達(やなぎまち たつる)
その他 : 福岡ソフトバンクホークス外野手塾員。2020年福岡ソフトバンクホークス入団。2025年シーズン、パ・リーグ最高出塁率、ベストナインを獲得し、チームの日本一に貢献。
柳町 達(やなぎまち たつる)
その他 : 福岡ソフトバンクホークス外野手塾員。2020年福岡ソフトバンクホークス入団。2025年シーズン、パ・リーグ最高出塁率、ベストナインを獲得し、チームの日本一に貢献。
大久保 秀昭(おおくぼ ひであき)
前慶應義塾大学体育会野球部監督大久保 秀昭(おおくぼ ひであき)
前慶應義塾大学体育会野球部監督
シーズン初スタメンで摑んだ手応え
──プロ6年目で迎えた2025年シーズンはチームが日本一に輝くとともに、柳町選手自身もパ・リーグ最高出塁率、ベストナインを獲得しました。おめでとうございます。
有り難うございます。
─体育会野球部時代の監督として、ご活躍を誇りに思います。昨シーズンは飛躍の年となりましたが、どんなきっかけがあったのでしょうか。
一番大きかったのは、シーズン最初のスタメンを迎えた4月23日です。それまで、代打出場では良い状態を保ちながらも、なかなか結果が出せずにいました。
ヒットが出れば軌道に乗るのでは、というタイミングでスタメンに起用され、左打者に強いオリックスバファローズの曽谷龍平投手からホームランを打つことができました。この時の打撃は、自分にとって潮目が変わる実感があったのです。
──ホームランを打った時はどんな心境でしたか?
この日はホームランを含む3安打という結果を残すことができ、ヒーローにも選ばれました。ようやく打てたという安堵感と、曽谷投手を攻略できたという手応えがありました。内角高めのストレートを引っ張ってスタンドまで運べた時に「今年はいけるかもしれない」と感じました。
──開幕は2軍でのスタートでした。選手層が厚くライバルの多いホークスで「またか」という気持ちはありませんでしたか?
レギュラー争いの激しい球団なのであまり悲観的にならず、今年もはい上がるだけだ、と前を向いて臨みました。それよりもチャンスに応えられるよう準備を怠らないことのほうが大切でした。
──前半戦にスタメンの機会が増え、6月初旬からの交流戦では12球団トップの打率.397で交流戦首位打者、そしてMVPを獲得しました。この間にどのようなことを心がけていましたか。
交流戦は普段対戦する機会のない投手が相手なので、ボールをしっかり見ることを考えました。まず球筋を確認するために、すべての対戦で初球はあえて見送ることを心がけたのが良い結果に繋がったと思います。
──1打席勝負となる代打起用ではじっくり良いボールを待つほどの余裕はないですよね。スタメンで起用されるようになってボールを見きわめる余裕が生まれたのですね。
そうですね。全試合スタメン出場した交流戦の間はとても状態が良く、1ストライク取られても大丈夫だと思える余裕がありました。1打席目で球筋を見きわめ、2、3打席目でボールをしっかり捕えることを意識しました。
集中力を高める気持ちの切り換え
──学生時代から滅多に三振しないイメージがありました。ミート力は柳町選手にとって大きな武器だと思いますが、プロとして6年間を過ごしてどうでしたか?
今はむしろ三振が多いと思っていますが、それは割り切って打席に立った結果でもあります。良いコースにボールが決まればそれはもうピッチャーの勝ちと割り切ります。その代わりに失投は絶対に見逃さないという意識を強く持つようにしています。
──以前は速球に対し、バットの先端が遅れて出る印象がありました。打撃フォームを変えるといった対策をしたのでしょうか。
最近は速球に対し、スイングの始動を早めてゆっくり振る感覚を大切にしています。早いスイングをしようと力むことなく、タイミングを早めにとって「ダラッと振る」イメージを持つことにしたのです。その結果、上手くボールを捕えられるようになりました。
本当に微妙な修正ですが、後半戦も結果を出すことができたのはこの感覚を摑めたことが大きいと思います。
──なるほど。試合前や打席に入る前に心がけているルーティンはありますか?
ホームゲームでは15分ほど仮眠をとってから試合に臨むようにしています。ナイトゲームは午前11時頃に球場入りし、球場を出るのが午後11時頃になり、とても長い。そうしたサイクルの中で、昼寝をすることで試合中にも集中力を持続できるようになりました。
──スタメンに定着すると一定のサイクルで準備ができ、余裕も生まれるのでしょうね。代打の選手は試合終盤まで待つことが多く、それなりに疲れるのではと思います。
そのとおりです。代打が多かった一昨年のシーズンはリズムが不規則で、身体にも随分負荷がかかりました。
──スタメンならその日は凡退しても翌日に切り換えられる。プロで大成する選手は皆切り換えが上手ですよね。
良い選手は結果を引きずりませんね。僕も次の日を元気に迎えるために何をすべきかつねに考えています。
──昨シーズンの柳町選手は打席に立った時の顔つきが違いました。集中できている様子が画面からもよく伝わってきました。
実は交流戦後の後半戦、30打席くらいノーヒットだったことがありました。この時は早く結果を出さなくてはという焦りから本当に余裕がなくなってしまい、1試合だけスタメンから外れました。集中できている時は雑念や不安な要素がなく、強い目つきで打席に立てていると思います。
「自分の強み」は何か?
──6年間のプロ生活で2025年に初めて日本一に輝きました。この間、ホークスでは二度監督が代わり、来シーズンは小久保裕紀監督の3年目となります。小久保野球とはどういうものですか?
プロとしての個の力を高めチームの輪をつくる野球です。入団1、2年目の工藤公康監督、3、4年目の藤本博史監督と比べ、小久保監督は全体練習の時間が最も短いのですが、その分個人の時間が重視されています。一軍経験の日数にかかわらず、選手たちは皆、チームの勝利よりも自分のベストパフォーマンスを考えるよう言われており、個人練習の時間を使って自分の足りないところを磨いています。
──小久保監督からは「チームをけん引する存在」と評されました。自分の中で何か変化はありましたか?
そう言われた時の僕はまだレギュラーを狙っている立場だったので、この1年はとにかくやるしかないという思いで自分のやれることに集中してきました。
──柳田悠岐選手や近藤健介選手、山川穂高選手といった主力選手はプレーの中でリーダーシップを発揮するタイプのように見えます。柳町選手はどんなリーダー像を描いていますか?
近藤さんは試合中に一番前で声を出し、山川さんは誰よりも早くその日の準備を始めます。柳田さんはその場にいるだけでチームが盛り上がる。3人とも最大限のパフォーマンスを発揮するための行動の中から自然とリーダーシップが溢れ出ています。
僕もまずは自分のやるべきことに集中し、気迫溢れるプレーで周りが元気になるような選手になりたいと思っています。
──監督とのコミュニケーションの中で印象に残っていることはありますか?
入団間もない頃、工藤監督に「プロの世界で何を売りにするか、自分の強みを考えなさい」と言われました。この言葉は今も自分の中に響いています。
──今の「自分の強み」は何だと思いますか?
ここぞという場面での集中力や勝負強さではないかなと思います。良くない結果に引きずられない能力はプロ生活の中で身についた強みだと思います。
──高校や大学では違った?
高校時代は気持ちを切り換えることが苦手で、むしろ「ダメだったら終わり」と考える性格でした。大学でようやく切り換えを意識するようになり、「ダメだったら次」と割り切れるようになったのはプロになってからのことです。
エンジョイ・ベースボールとの出会い
──野球を続けるために慶應義塾高校を選んだきっかけは何だったのですか。
中学時代は茨城の取手シニアに在籍しており、スカウトの方から受験を奨めていただいたことが塾高進学を考えるきっかけでした。勉強面を重視することにも惹かれましたが、何よりも強豪校が集まる神奈川で横浜高校や東海大相模に勝ちたいという気持ちがありました。
──当時、塾高野球部は上田誠監督が率いていました。上田さんは前田祐吉さんから「エンジョイ・ベースボール」を継承した伝道師的存在ですが、初めてこの言葉を聞いた時はどのように感じましたか。
中学までは軍隊のような環境で野球をやっていたので、最初は「エンジョイ・ベースボールって何だろう?」と思っていました。僕たちが3年生の年は上田監督のラストイヤーでもあり、「野球はやらされるものではなく自分で考えて自主的にやる」という柔軟な発想を3年間学ばせてもらいました。
──私も慶應で前田さんと「エンジョイ・ベースボール」に出会い、野球人生が大きく変わりました。そのことは指導者になった時に強く実感することとなりました。
僕も塾高を選んでよかったと思っています。プロになり、自分で考えてすべて実行しなければいけない立場になったことで、自ら考えて行動する「エンジョイ・ベースボール」の考え方を強く実感するようになりました。
──その意味で慶應の選手は自立心が少し早く身につくのかなと思います。
もし野球人生をやり直せるなら高校時代に戻りたいと思っています。当時はまだエンジョイ・ベースボールを「楽しんで練習すること」だと思い込んでおり、力を抜いていたところがありました。
逆にそういう後悔があるからこそ、大学やプロでは試合に勝って良い思いをするための厳しい練習にも耐えられたと思います。
──大学では1年生の春からスタメンでしたね。「柳町はセンスがある」と上田監督からも聞かされており、実際バッティング練習でもセンスを感じました。その結果、大学通算で体育会野球部歴代5位の113安打。私の見る目は間違っていなかった(笑)。
4年間有り難うございました。
──同学年には北海道日本ハムファイターズの郡司裕也選手もおり、2人とも早いうちから試合に出ていました。4年間試合に出続けられたのはケガがほとんどなかったことも大きかったと思います。
僕は一度だけ、1年生の時にバントの練習で指を突いてしまったことがありましたがそれだけですね。
──丈夫な身体づくりは現役で長くプレーするための大事な条件ですが、慶應義塾の7年間はそういう身体が培われた時間ではないかと思います。大学の4年間で印象に残っている試合や打席は何ですか?
神宮では2017年秋、18年春、19年秋の3回優勝しましたが、最も達成感があったのは大学通算100安打を達成した打席です。4年生で迎えた東京六大学野球2019春季リーグ戦の早慶戦、相手投手は早川隆久選手(現東北楽天ゴールデンイーグルス)でした。
100安打まで残り15本に迫る中で大会に臨み、大久保監督にも「このリーグ戦中に達成する勢いで行こう」と励まされていたので、無事に達成できた時にはとてもほっとしました。
──逆に苦しんだことは?
3年生の時です。1年生で3割打つことができましたが、3年生の終わりに2割5分まで低迷し、「このままでは終 わってしまう」と奮起して4年生の春季リーグ戦で盛り返しました。
同期5人がプロの世界へ
──慶應野球で一番記憶に残っている想い出は何ですか。
何よりも「エンジョイ・ベースボール」の本当のあり方を学べたことです。勝つ喜びを教えていただいたと思っています。
大久保監督に当時よく言われたのは、「自分の成績よりもチームの勝利を考える」ということでした。主力選手が個人成績で一喜一憂するべきではない、どんな成績だろうが試合に勝つためにがんばれ、と。その言葉をいただけたことで、勝ちに向かって何ができるかを冷静に考えられるようになったのです。
──「エンジョイ・ベースボール」は誤解されることもありますが、実は慶應こそ一番泥臭く練習するチームだと思います。練習について、プロになってから実感することはありますか?
慶應出身であることで、入団当初はあまり練習しないイメージをもたれたこともありました。今では僕と後輩の正木智也選手、廣瀨隆太選手がホークスの「慶應三兄弟」と呼ばれるほど練習を頑張っています。
──プロに行った大学の同期は5人もいます。そんな学年はなかなかありません。
そうですね。郡司選手の他、植田将太選手(千葉ロッテマリーンズ)、津留﨑大成選手(東北楽天ゴールデンイーグルス)が現役でプレーしており、広島でプレーした中村健人君(2025年引退)も同期でした。
──そういう仲間に恵まれる中でプロ野球の世界が夢から目標へと変わったのはいつ頃だったのでしょうか。
4年生の春にベストナインに選ばれ、その後、日本代表として米国代表と対戦した試合で首位打者になった時に「あるかもしれない」と思いました。
──代表チームには右投げ左打ちの選手が多く、競争が激しい環境だったでしょう?
大久保監督に「米国投手の速球を攻略できればプロでも通用すると評価される」と言って送り出していただけたことが大きかったと思います。そこで結果を残せたことが自信に繋がりました。
熾烈なレギュラー争いに勝つために
──プロの世界で現役を続けることはとても大変だと思います。家族の支えも大きいのではないですか?
そのとおりです。調子が出ない日でも、子どもは「パパ遊ぼう」と変わらないテンションで接してくれます。また家族のために頑張ろうという気持ちに切り換えてくれますね。
──周囲の期待が高まる一方、レギュラー争いも熾烈だと思います。来シーズンの目標を聞かせてください。
今年は打率3割、2桁ホームランを目指しています。そのためにも昨年から取り組んできたウェイトを継続し、フィジカル面の強化に一番力を入れたいと思っています。
昨シーズンはベストナインに選ばれましたが、おっしゃるとおり熾烈なレギュラー争いは続きます。レギュラーを3年間維持できればたとえ離脱することがあっても復帰できる場所があると言われるので、3年間はまずレギュラーを守ることが目標です。
──最後に慶應野球部の後輩たちへの激励と、慶應の関係者に向けてメッセージをお願いします。
自分で考えて実行する「エンジョイ・ベースボール」の精神はプロの世界でも、社会に出ても役に立つ重要な考え方です。是非学生のうちに実践してほしいと思います。
そして、皆さんからの応援が大きな励みになるので優しい温かい目で応援していただければ嬉しいです。僕ももっと長く現役生活を続け、皆さんに勇気を与えられるような活躍をしたいと思います。
──プレーを通して伝えられるメッセージがあると思います。これからの活躍に期待しています。有り難うございました。
(2026年1月27日、三田キャンパスにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。