執筆者プロフィール
詫摩 佳代(たくま かよ)
法学部 教授詫摩 佳代(たくま かよ)
法学部 教授
揺れる国際協力
戦後の国際秩序を支えてきた米国は、様々な形で現在の国際秩序にダメージを与えている。2025年1月に発足した第2次トランプ政権下では、ドナルド・トランプ大統領が就任早々、世界保健機関(WHO)からの脱退を宣言、同年7月には対外支援を担ってきた米国国際開発庁(USAID)の事実上の解体を発表した。さらに、翌26年1月には66の国際機関からの脱退・資金拠出の停止を指示する大統領令に署名した。ちなみに対外支援の削減は米国に限った話ではなく、フランスなど他の先進国でも減少傾向にある。
国際協力の機運が低下する中でも、ウイルスは活発に活動を続けている。2026年5月にはコンゴ民主共和国におけるエボラ出血熱の流行に関し、WHOが「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」だと宣言したが、以降、アフリカでは史上最悪のペースで感染拡大が続いている。世界的に多国間主義離れが進む中で、我々はどのように次の脅威に備えていけば良いのか。本稿では米国の動きがもたらすインパクト、国際的な保健協力の変容と課題について論じていきたい。
米国の方針転換のインパクト
米国のWHO脱退には具体的にいくつかのインパクトを伴っている。最大のものは、資金の大幅な削減に伴う保健プログラムの縮小である。米国は従来、WHOへの最大の拠出国であり、米国の脱退はWHOを資金不足に追いやり、その活動と運営を著しく妨げうる。たとえば2024-25年会計年度における米国からの拠出金は、地域ではアフリカや中東へ、項目別では健康危機への対応能力の強化、保健インフラの整備、ポリオ根絶事業などの重要事業に充てられていた。ちなみに2026-27年度の予算の分配を見ると、アフリカへの割当額は大きく減少し、項目別では、ポリオ根絶事業などがトップから消えている。金銭的な貢献に加え、米国は技術的にもWHOの活動を支えてきた。組織の財政難に伴い、スタッフのリストラも進行中である。WHOのスタッフ数は2025年1月から22%減少したとされる。
WHO脱退の傍ら、米国は健康安全保障に関する国際関与は継続している。エボラに関しては、米国政府は2国間支援や国連人道支援調整事務局(OCHA)などを通じて、資金提供を行っている。ただ、その関与のあり方は、従来の米国のやり方とは大きく異なっている。2025年にトランプ政権は“America First Global Health Strategy”(米国第一グローバル保健戦略)を発表し、その中で、従来のグローバル保健プログラムは非効率的で無駄なものが多かったと指摘、新しいグローバル保健戦略の下では、米国民の利益を優先し、米国をより安全で、強くすることを目指す、また対外支援を活用して米国企業の促進も行うことを目指すとも述べている。さらに、今後の米国のグローバル保健対外援助プログラムは戦略的なものとなり、主に2国間で行うと謳っている。この戦略の下で、米国トランプ政権は、健康安全保障強化を目的とした2国間の覚書(MOU)を数々締結した。2026年3月現在、米国務省は結核、マラリア、ポリオ根絶などへの支援のために、ボツワナ、ブルキナファソ、ブルンジなど主にアフリカの26カ国との間に、2国間のMOUを締結している。
このような姿勢は一見、多国間協力を補完するかのように見えるが、その詳細を見ていくと、多国間協力を損ねる可能性のある危うい性格を持つ。これらのMOUにおいては、アウトブレイクが発生してから1週間以内に米国に病原体情報を提供することが求められており、米国の健康安全保障強化に加え、米国の製薬企業に病原体情報への独占的なアクセス権を付与することを意味する内容となっている。病原体へのアクセスはワクチンを開発・製造する際に必須であり、その国際的な管理のあり方について、2026年8月現在、WHOの下で国際的な交渉が継続されている最中である。米国の2国間ベースのこうしたやりとりは、国際的な交渉を骨抜きにする危険性がある。
グローバルな保健協力の目的とは、WHO憲章に記されている通り、すべての人民の健康を増進しおよび保護することにある。他方、近年では、米国に代表されるように、セキュリティの観点から2国間ベースの交渉を行い、「自国」の健康安全保障の達成を目指す動きが増えている。そこで協力可能な相手は、政治的に友好な国や戦略的に重要な国に限定され、このような動きがはびこれば、健康の分断を招き、世界規模の健康危機が生じた際に、様々な不備をもたらすものと思われる。
エボラをめぐる動き
その兆しを顕著に示しているのが、アフリカでのエボラ出血熱の流行である。エボラは過去にもたびたび流行したことがあるが、今回、アウトブレイクが宣言されてから11週間で記録された死亡者数は、2014~16年の西アフリカにおける流行時に比べて5倍以上に上っている。前例がない被害を生み出している背景としては、検出の遅れ、コンゴ東部での武力紛争、そして流行しているウイルス株に対するワクチンや治療法の欠如が挙げられる。
このほか上述のような米国の動きにより、従来の危機の際に見られたような国際連携が円滑に機能していないことも影響している。2014年の流行時には、オバマ政権主導の下、災害支援対応チームが設立され、USAIDは感染対応のために必要な物流や計画を指揮監督した。こうした米国政府の支援により、エボラの感染件数を大きく削減することに成功したとされる。
現在、米国国務省はエボラ対応に、「世界で最大規模の資金を投じている」とアピールしているが、感染症支援で重要なのは、金銭的支援の規模ではなく、様々なアクターが連携し、必要な場所に必要な支援を迅速に届けることである。米国の独りよがりの「支援」がどこまで効果を発揮できるかは未知数であり、米国内からも批判が噴出している。
ハンタウイルスをめぐる米国とWHOの連携について
希望を見出せる側面もある。世界の健康に関するルールや規範の設定に関しては、WHOを中心に、一定程度の団結を維持できる可能性があるという点である。2026年5月、南大西洋を航行中のクルーズ船内でハンタウイルスの集団感染が発生した際には、WHOは2025年に発効した改正国際保健規則(IHR)に依拠して、オランダやスペイン、イギリスなどの関係諸国と協力しながら、感染リスクを評価するための情報収集を行った。また感染者の対応や濃厚接触者の追跡調査等に関し、指針の策定、関係国との情報共有等でも中心的な役割を果たした。インターネット上で根拠のない情報が拡散される中でも、エビデンスに基づき、一般人の間で感染が広がるリスクは低いとの認識をWHOが発し続け、各国で目立ったパニックが起きなかったことも評価される。
興味深いのは、米国が専門家のレベルでWHOと連携した点である。クルーズ船には米国人の乗客が含まれていたため、米国疾病予防管理センター(CDC)は現地に専門家チームを派遣した。CDCのチームは米国籍の乗客に対するリスク評価を行い、本国に送還、帰国後の健康観察、追跡調査に関してもWHOと連携して対応にあたった。
つまるところ、WHOは依然、グローバルな保健協力における規範やルールの策定、健康危機における情報収集、加盟国のコーディネーターとしての重要な役割を保持しているといえる。そしてその役割に関しては、米国やアルゼンチンなどWHOと距離をとる国との間でも機能している点は興味深い。他方で、既述の通り、現在のWHOはポリオなどの特定の感染症撲滅事業、途上国の保健インフラ整備のための資金が圧倒的に欠如しており、規範の設定という領域を除き、今後、大幅な役割縮小を余儀なくされそうだ。
グローバル感染症をめぐる国際協力の行方
地球規模の健康課題に取り組む構造は重層的であり、地域や国、有志国間の取り組みもその重要な構成要素である。
この中で、地球規模の取り組みは、共通のルールや規範を世界に向けて示す上で依然重要である。感染症に国境はなく、地球規模で脅威を認識し、同じ規範で問題に対処していくことが不可欠だからだ。ただし、グローバルなルールを見直すだけでは、脅威に備えるのは十分ではない。ワクチン開発能力やサーベイランスの強化など、具体的な備えと対応能力をグローバル以外のレベルで強化する必要がある。
実際、政治的な分断を受けて、世界では、各国レベルの対応能力強化に加え、地域や有志国などの協力が活発化している。もちろん、このような動きは一歩間違えれば、米国のように、多国間協力を阻害する危険性を孕んでいるが、グローバルなルールとの整合性を確保した上で、多層的に備えを強化することは世界の健康安全保障を補強することにつながる。
戦後の日本はグローバルな保健協力に一貫して関与してきた。最近では、パンデミック協定(Pandemic Agreement)や改正IHRをはじめとするグローバルなルールの整備に積極的に尽力しつつも、国内では健康危機の司令塔を設立し、近隣の東南アジアとは健康安全保障の強化に向けた連携を強めるなど、多層的に備えを強化してきた。
健康安全保障の意識はCOVID-19のパンデミック以降、いずれの国でも高まっており、日本でも、医薬品供給網の見直しを行ったり、先端医薬品への投資などが活発に行われている。昨今の国際情勢を踏まえれば、このような動きは主権国家として当然である。ただし、日本は多層的にグローバル保健に関与しているという点で、自国第一とは明確に区別される。日本でも反グローバリズムの高まりがみられ、それが日本の多国間協力への関与に影を落とす可能性も懸念される。しかしパンデミックで我々が理解したように、グローバル感染症に関しては、世界の安全と日本の安全は断ちがたく結びついている。この特異性を意識しつつ、自国の健康安全保障と世界の健康安全保障のバランスを図っていく視点が、今まで以上に重要になっているのではなかろうか。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。