慶應義塾

【パリ2024オリンピック・ パラリンピックでの塾生・ 塾員の活躍】メダリスト インタビュー

公開日:2024.12.11

執筆者プロフィール

  • 宮脇 花綸(みやわき かりん)

    その他 : パリ2024オリンピック フェンシング女子フルーレ団体銅メダル経済学部 卒業

    2019経

    宮脇 花綸(みやわき かりん)

    その他 : パリ2024オリンピック フェンシング女子フルーレ団体銅メダル経済学部 卒業

    2019経

2024/12/11

画像:塾長招待会(9月30日、三田キャンパス)にて

パリまでの道

子どもの頃からフェンシングをやってきましたが、オリンピックを意識するようになったのは、慶應の女子高2年生の時に太田雄貴(おおたゆうき)さん(元日本フェンシング協会会長、2008年北京、2012年ロンドンオリンピック銀メダリスト)の話を伺ったことがきっかけです。ちょうどリオオリンピック(2016年)が近づいていましたので、それを目標にしようと思いました。

女子高1年の時に世界ジュニアで3位になることができ、また代表チームも2012年のロンドン大会後、上の世代がごっそり抜けてしまったので、オリンピック出場は手が届きそうかなと思っていました。

しかし、結果的にはリオも東京(2021年)も代表にはなれませんでした。リオの時はまだ、自分の考えが甘かったかな、くらいに思いましたが、東京大会は人生で一度しかない自国開催、しかも2度目の挑戦で逃したので、このままオリンピック選手には一生なれないのではないかと思い、正直、引退も頭をよぎりました。

でも次のパリオリンピックも年齢的には十分可能でしたし、代表チームもメダルを目指せるような、いいチームになりそうだったので、ここでやめるのは心残りになると思ってパリまで続けようと思いました。

実は東京オリンピックの時に自分が一番成長したのかもしれないと思っています。東京大会前はコロナ禍でとても困難な状況にあり、出場するメンバーも国外での試合ができず、海外選手と対戦できない状況でした。そうすると、日本で練習相手となる私たちが強くないと練習にならないわけです。

ですので、「オリンピックに出られなかったからもういいや」ではなく、出場選手の練習相手としての責任を感じました。メダルを目指せるチームだったので、彼ら、彼女らに頑張ってほしいという気持ちで真剣に打ち込みました。それが結果的に次のパリへの3年間のよいスタートになったと思います。

パリに向けての3年間は、2021、2年あたりから世界選手権の代表に選ばれるようになり、特に団体戦では2023年の世界選手権で、自分のフェンシングができて、はじめて銅メダルを取れたことが自信になりました。

個人戦より、やはり団体戦のほうがパリはメダルの可能性が高いかなと思っていました。団体において自分が3番手、先鋒として次の選手にバトンをつなげば、他にいい選手が揃っていたので、ブレーキを掛けないことを心がけながら戦っていこうと思っていました。

パリ大会にて

そしてパリへの出場が決まりましたが、「出るだけで終えたくない」というのが一番の気持ちでした。メダルを狙えるチームだと思っていましたし、ここを逃してしまうと、次の4年後に代表になれるかどうかもわからないので、メダルを摑みにいこうと思っていました。

フルーレ団体は、まず準々決勝でポーランドと当たりました。自分で一番よかったのはポーランド戦の最初の試合だと思っています。チームとしては3試合目で、早目に逆転したいところでした。ポーランドには最初はリードされると思っていたので、早く逆転して、ポイントを取れるだけ取って次に渡すのが団体戦ではすごく大事なことです。9-5で勝つことができましたが、自分の役目をしっかり果たして次の人にバトンを渡すことができたと思います。結果的にポーランドには、45-30で勝利することができ、次のイタリア戦では敗れましたが、3位決定戦に進むことができました。

カナダとの3位決定戦は試合前から私は1試合だけ出て後は他の選手に託すことは決まっていたので、とにかく1試合を同点でもよいからしのいで、次に渡そうと思っていました。近年は画像分析も発達していてその国の傾向、クセを摑んでいますが、カナダはカウンタータイプで、いつもロースコアになります。リードされるとやりにくくなるので、とにかく1点ずつ差を広げ、無理をして失点せずに慎重につなげようと思いました。結果は2-2の引き分けでしたが、次につなげることができてよかったと思います。

その後は、皆が力を発揮すれば必ず勝てると信じ、結果、33-32のわずか1点差で銅メダルを手にすることができました。3位決定戦は会場である「グラン・パレ」の中央で試合をしましたが、すごく天井が高く、こういうところで試合をするのは初めての経験でした。

銅メダルを受け取ってすぐに思ったのは、そう簡単に団体戦の金メダルは取れるものではないなということです。次のロス大会に向けて金メダルという目標ができたと思いました。今、少し時間がたって思うのは、ロスで金メダルという目標は長い時間の中で、地道な練習努力をしなければ辿りつけないということです。大きな目標を持っていると私は思っています。

女子高から慶應へ

慶應のフェンシング部関係の方々のみならず、社中のいろいろな方から、皆におめでとうと言ってもらい、とても嬉しかったです。今でもフェンシングにかかわっている同期や関係者の方も多いので、オリンピックというフェンシング界にとって一番大きな大会でメダルを見せることができてよかったと思っています。

慶應でフェンシングをやるようになるきっかけは、中学2年生の頃、慶應のフェンシング部の方に「慶應に来ないか」と言われたことです。中高一貫校に通っていたので、大学受験のためにフェンシングを中断するか、あるいはスポーツ推薦で行くかという選択肢しかないかと思っていたところ、慶應に女子高から入れば、大学受験も必要ないし、学部も選べると言われ、高校受験のタイミングで慶應に入ろうと思いました。

女子高ではフェンシングは外で活動していましたが、「本当に女子高は青春だったね」と今でも友達と会って言い合うくらい楽しかった場所でした。自分の中でフェンシングと関係のない場所があることはとても仕合せなことだったと思っています。女子高は本当に自由で開かれていて、多彩な活躍をしている同級生もたくさんいましたので、そういう人たちに囲まれ、行事も勉強も青春を楽しんだ、と思います。

私の人生はフェンシングが占めることが子どもの頃から多く、家族も熱心だったので、プレッシャーや周りの期待にさらされることが多かったと思います。女子高で、試合に勝っても負けても関係ないような友達に囲まれ、1人の女子高生として学校生活を楽しめる場所があったことは大きなことでした。

特に演劇祭は本当に長い時間をかけてすべてを生徒が作り、物語を完成させる、女子高生の熱い思いをぶつける行事で、クラス一丸となってそれに打ち込む体験が素晴らしかったです。フェンシングは基本的には個人種目で、それまでは皆で1つのことをするという経験があまりなかったのですが、人生で初めて組織の一員としての達成感に触れたような気がしました。

慶應でフェンシングをする意義

その後、大学では体育会フェンシング部に所属し、人生ではじめて部活動をやることになりました。慶應は女子はそれほど強くはありませんでしたが、チームの一員として役割を果たしていくのは楽しかったです。在籍中、はじめて2部から1部に昇格し、フルーレ以外の種目を団体でかけ持つなどしたことも部活に入ったんだなと実感しました。

部活動と日本代表との両立は難しさもありましたが、一方で得るものも多かったです。例えば部ではフルーレの種目では1人でたくさんの点を稼ぐことが必要で、それはよい経験になりました。またエペ、サーブルと他の種目を経験するのも競技の幅を広げるという意味では決して無駄なことではありませんでした。

慶應フェンシング部は歴史も古く、受け継いできた伝統とともに、今は新しい道場もあり、フェンシングを厳しくかつ楽しくやる雰囲気があるのかなと思います。今までは塾高から入る流れが大きかったと思いますが、今は湘南藤沢・中高等部も強くなってきたので、一貫教育校が複数ある中、大学の部員が多様化しているのはよいことだと思っています。

慶應のよいところはアスリートだからといって何ら特別扱いされることがないところです。私は経済学部でしたが、本当に1人の学生として勉学に励むことができました。海外遠征などで大変な部分もありましたが、その中でしっかり勉学を修めることができたのは幸運なことだったと思いますし、文武両道を実践させてくれる大学だったと思います。

慶應でフェンシングをすることの意義は2つあると思っています。1つは今言った文武両道を実践できるというところです。もう1つはタテヨコのつながりが本当に強いということ。フェンシング部だけではなく、義塾社中という、お互いに応援をし合う大きなかたまりの中に各々がいること、そこが慶應でスポーツをする意義かなと思います。

これから慶應に入ってくる塾生にはやはり何か1つ、自由な時間の中で、打ち込むものがあることが大事だと伝えたいです。そのうちの1つとして体育会は結束の強い場所で、大学生活をすごい熱量で過ごす仲間が多くいるので、その仲間が後の人生でずっとかけがえのない存在になると思います。

現在、日本代表チームは世界ランキングが3位まであがりました。そのランキングをキープしていきたいです。このままの順位であればもちろんオリンピックも出られますし、決勝に進むという意味でも重要になります。私自身もコンディションを整えて、よりよい色のメダルを取れるように頑張りたいと思います。

(聞き書きにて構成。聞き手=慶應義塾常任理事[体育会担当]山内慶太君)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。