慶應義塾

【特別鼎談】アジアにおける民法典制定への国際協力──法整備支援への塾員の貢献

公開日:2021.03.25

登場者プロフィール

  • 入江 克典(いりえ かつのり)

    その他 : 弁護士経済学部 卒業法学研究科 卒業

    JICA国際協力専門員を経て、2017年よりJICAラオス法整備支援プロジェクト専門家。2002年慶應義塾大学経済学部卒業。2007年同大学院法務研究科修了。

    入江 克典(いりえ かつのり)

    その他 : 弁護士経済学部 卒業法学研究科 卒業

    JICA国際協力専門員を経て、2017年よりJICAラオス法整備支援プロジェクト専門家。2002年慶應義塾大学経済学部卒業。2007年同大学院法務研究科修了。

  • 長尾 貴子(ながお たかこ)

    法学研究科 博士課程在籍中法学部 卒業

    司法修習第60期修了、外務省勤務(経済協力専門員)。慶應義塾大学法学研究科博士課程在籍中。2006年同法学部法律学科卒業。2015~2017年ネパールにて法整備支援専門家として勤務。

    長尾 貴子(ながお たかこ)

    法学研究科 博士課程在籍中法学部 卒業

    司法修習第60期修了、外務省勤務(経済協力専門員)。慶應義塾大学法学研究科博士課程在籍中。2006年同法学部法律学科卒業。2015~2017年ネパールにて法整備支援専門家として勤務。

  • 松尾 弘(まつお ひろし)

    法務研究科(法科大学院) 教授

    専門は民法、開発法学。1985年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。法務研究科・慶應グローバル法研究所(KEIGLAD)所長。

    松尾 弘(まつお ひろし)

    法務研究科(法科大学院) 教授

    専門は民法、開発法学。1985年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。法務研究科・慶應グローバル法研究所(KEIGLAD)所長。

2021/03/24

国際協力としての法整備支援

松尾

今日は鼎談ということで、最初にその趣旨を私からお話ししたいと思います。

グローバル化が進行して市場経済システムが世界各国に浸透しつつある中、特に成長が著しいアジア諸国において、市場システムの導入や民主化の進展に必要な法制度を整備するために、日本は国際協力の一環として法制度整備支援(法整備支援)を1990年代末から実施してきました。

具体的には、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ネパール、インドネシア、バングラデシュ、東ティモール、中国、モンゴル、ウズベキスタン等の国々です。法整備支援は国際協力のメニューの中では、道路や鉄道といったインフラ整備のような「目に見える」支援に比べると「目に見えない」地味な国際協力ですが、1990年代に国家の発展を左右する根本原因として制度の違いが注目されるようになってから活発になり、今では「法の支配」の構築を目指す、日本ならではの特色ある国際協力の柱として注目されています。

これはグローバルな規範を共有する傾向とも深く関わっています。現在、法整備支援は国連総会決議に基づく「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals)の達成に向けた国際協力の一翼を担っています。中でもインクルーシブ(包摂的、全般的)な制度改革を通じたインクルーシブ(包摂的、誰も取り残さない)な社会の構築を目指す「目標16」が、法整備支援とのつながりを明確なものにしています。

さて、この法整備支援の現場で活躍する塾員が、近年少なくありません。今日はその代表として、ネパールとラオスにおける民法典の制定を基軸とする法整備支援に弁護士として貢献された、入江克典さん、長尾貴子さんとともに法整備支援が何を目指しているか、その意義や困難や展望について語り合いたいと思います。今や私たちのほかにも多くの塾員が法整備支援に貢献し、奮闘していることが、今日の鼎談の背景にあります。

私は学生時代から自然法論に興味をもち、1990年から大学で民法を研究・教育する中で、問題意識がごく自然に開発法学と法整備支援という形に具体化してきました。2000年代になって、ラオスやネパールでの民法整備支援の立ち上げ段階から企画、実施に関わることになりました。

2004年に法科大学院が開設された時から「開発法学」という講義を開講してきましたが、今ではその履修者が卒業して、長期専門家として法整備支援の最前線に立っていることには、非常に感慨深いものがあります。

日本の法整備支援は、政府開発援助という立場からは国際協力機構(JICA)、法務省法務総合研究所の国際協力部(ICD)などが中心になり、他方で非政府の立場から大学や日弁連、国際民商事法センターなどのNGO、NPOが参画し、相互に協力する形で実施している点に特色があります。

法整備支援を志す動機

松尾

まず、ネパールで法整備支援に携わられた長尾さんから話を伺います。長尾さんは慶應女子高を経て2006年に法学部法律学科を卒業ということですね。どうしてこの分野に興味を持たれたのですか。

長尾

私は中学生の時期に2つ夢があったんです。1つは、弁護士になって刑事弁護などの活動をすること。もう1つがUNICEFやUNHCRのような機関で途上国支援に携わることです。

大学は法学部法律学科に入ったのですが、当時司法制度改革の真っただ中で、司法界に入ることが非常にプラスに捉えられていたこともあって、弁護士になることを目指して勉強を始めました。

司法試験に合格して修習を終えた後、ご縁があって東京都内の中規模の企業法務の法律事務所に入所しました。その事務所で弁護士としてのキャリアを始められ、弁護士としての基本的な働き方や、いろいろな分野の法律の知見やイメージを摑むことができ、非常に良かったなと思っています。

ただ、企業法務弁護士になって5年、6年と経つうちに、このままずっと企業法務の弁護士としてビジネスの分野で活動するのが自分にとって幸せなのかと悩んだ時期がありました。国際協力、途上国支援というもう1つの夢もまだ胸の中で消えていたわけではなかったので、そういうこともやってみたいと思っていたところ、たまたま高校の後輩からJICAの事業に法整備支援という分野があり、弁護士を募集していると教えてもらいました。

それで、ちょうどネパールの専門家の応募が出たので、これはチャンスかなと思って飛び込みまして、運良くそこで採用していただいたんです。

松尾

入江さんは経済学部出身ですが法律の分野に足を踏み入れて、今、専門家として活躍するに至っているわけです。そのきっかけなどをお話しいただけますか。

入江

私は中等部、塾高を経て2002年に経済学部を卒業し、2005年にロースクールに入学しました。2009年に弁護士に登録し、2015年の4月から国際協力機構(JICA)の国際協力専門員に就任し、2017年の6月からラオスで長期専門家の業務を開始しています。

経済学部出身なのに弁護士を志したのは複数の理由がありましたが、一番大きな理由は、助けを必要としている人に手を差し伸べてあげる仕事というのが自分の性分に合っていると思ったのです。

大学時代は、自分が何者なのか分からなくて悶々とした日々を過ごしていました。将来につながる何かに没頭したいと思いつつも、どれものめり込むことができず、経済学についても、あまり興味が持てませんでした。

そんなときにたまたま法律の科目を履修して、人間としての側面が非常に表れてくる面白さを感じたんです。そして、法律を使って助けを必要としている人に手を差し伸べてあげられるのではないかと思ったことが、弁護士を志した大きなきっかけです。

そのようにして弁護士になったのですが、私も長尾さんが言われたように、企業法務や訴訟業務をしてそれなりに充実した日々を送っていた一方、自分が日々、力を入れてやっていることが本当に社会のためになっているのかと思うこともありました。

国際的な仕事がしたいという思いがどこかにあり、それと社会貢献への思いがくっついて、もう一度自分の価値基準を見つめ直そうと思い出したのが、弁護士になって4、5年の頃ですね。

たまたま日弁連のセミナーで国際協力に励む弁護士、法整備支援に携わる弁護士を紹介するセミナーがあり、こういう仕事もあるのかと関心が深まっていきました。2014年にJICAが主催する法整備支援専門家を育てる能力強化研修に参加し、この世界に携わりたいという思いを強くし、国際協力専門員になったという経緯です。

松尾

お二人の話を伺って、共感するところが多くあります。法律は世の中の仕組みを知り、問題を解決する枠組みであるとともに、社会を改革するツールにもなる。

世の中は簡単には変えられないわけですが、制度を変えていくことを通じて初めて世の中は本当に変わっていく。その最初のきっかけになるのが法制度ですね。社会を改革するツールとして、国際協力分野でもインパクトがあるのではないかと、お二人とも感じられたのではないかと思います。

ネパールでの民法典の整備

松尾

次に、法整備支援の現地専門家として、具体的にどのような活動をし、どういった経験を積み重ねられたのかを伺っていきたいと思います。

私はかねてから、法整備支援は順序とペースが大事だと考えてきました。法制度は非常にたくさんのルールから成っているので、どこからどう手をつければいいのかが非常に難しい。市民の基本的な権利や義務を定めた民法典をはじめとする基礎的なルールをしっかりつくり、それをベースに法整備を進めることが大事です。

そのルールをつくる際に、支援する側は、いきなり「こういういいものがあるから、どうですか」と提示するのではなく、現地の人々が自分たちの歴史や慣習を踏まえて草案を練るプロセスからサポートをしていくというやり方が大事だと思っています。あくまで現地の人々が主体で、それにわれわれの経験も加え、支援していくことです。

しかし、これには非常に時間がかかります。法整備支援は、10年、20年という時間がかかり、なかなか思うようにいかないことも多い。私自身、そういう歯がゆい経験をしてきました。

その中でも、ネパールとラオスは現地の人々が自ら学びながら草案をつくるプロセスに私たちが比較法的な観点も加えてコメントを付し、ざっくばらんに議論をしてルールをつくり上げていく、プロセス志向のスタイルであったと思います。

まず、ネパールでは2017年9月に初めて民法典ができました。これはネパールでは初めての民法典で、かつ南アジア初の民法典です。特にインドに先駆けてネパールで民法典ができたことの歴史的な意味は、非常に大きなものがあったと思います。

ネパールは多民族国家で、かつカースト制度が社会に根深く浸透し、しかも内戦が起こって、急進的なマオイスト(毛沢東主義派)が警察や軍の拠点を襲撃する事件も起こった。2006年の内戦終結後、国民の融和を目指して、制度の再編がスタートしました。

私が最初にネパールに行ったのは2009年1月で、民法典の骨格から議論を始めました。最初の草案が2011年にできたのですが、それを憲法成立前の制憲議会に提出したら、翌年、政党間の対立が止まず、憲法が期限内にできずに制憲議会が消滅するという事態が起こりました。その後、制憲議会の議員の再選挙をやって、新たな制憲議会が2014年に立ち上がり、2015年に憲法ができ、ようやく民法典の議会審議が始まりました。

長尾さんが赴任されたのはちょうどそのタイミングで、ネパール国会の法律委員会との最後の調整の部分を担当されたわけですね。

長尾

ちょうど憲法が制定された2015年9月に赴任しました。ネパールの立法議会(憲法成立に伴い、制憲議会が立法議会へと移行)としても、憲法ができたので、次は民法と刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法、そして量刑法と、基本的な法律を制定しよう、というタイミングでの赴任で、それ自体は非常に幸運なことだったと思います。また、2009年頃からの、松尾先生をはじめとするJICAの貢献がきちんと受け継がれていました。

具体的には、すでに国会に提出されていた民法案の総仕上げの段階で、そのお手伝いをすることになったのです。

新しい憲法ができたことで、これから国づくりをどんどん進めるぞという空気が盛り上がっていました。国づくりにあたっては、新しい憲法にも書かれたインクルーシブ(包摂的、誰も取り残さない)という考えが基本となっていました。ネパールはいろいろな民族やカーストがあり、男女間の格差もある。そこで、とにかく国づくりに当たってはインクルーシブが大切だという雰囲気が、少なくとも建前上は、大いに強かったと思います。

松尾

ネパールの新しい民法典の特徴をどう思われますか。

長尾

民法典、刑法典と呼ばれるものは確かにネパールに従前はなかったのですが、150年ぐらい前にできたムルキ・アイン、日本語で言うと「国法」と呼ばれる、民法、刑法、民訴法、刑訴法がゴチャッと一体になって、かつカースト制度も反映された法律があったんです。

基本的にネパールの裁判所はそれに基づいて裁判をしていたのですが、やはり現在の社会にそぐわない規定も多く、全然使われていない条文もあったし、私が英訳を見ても良く理解できないようなところもある。それで近代的な民法、刑法、民訴法、刑訴法が必要だということで、内戦終了後に新しい法律をつくることが決定されたという経緯です。

ですので、新しくできた民法典も6割はそのムルキ・アインを引き継いでおり、3割が蓄積されたネパールの裁判例、残りの1割が他の国から学んで取り入れたこと。大体そのような構成でできているということです。

ネパールの各都市を巡回

長尾

草案の総仕上げに当たっては、インクルーシブの観点から、首都カトマンズの、いわばエリートの国会議員、裁判官、検事、弁護士といった人たちだけではなく、ネパール各地を津々浦々回って皆の意見を聞くべきだということになりました。

そこで、ネパールの16の主要都市を立法委員会の議員が実際に訪問し、現地の裁判官、検事、弁護士、警察官や地方公共団体の職員、NGO職員、メディア関係者などの参加を得て、法案に対する意見を聞きました。

正直に言うとネパールの地方出張というのは非常に大変で、私にとって苦労が多いものでした。しかし一番楽しくて成果があったと言えるのもまた、その16の都市への出張に同行したことだと思います。なぜかと言えば、先ほど松尾先生が法整備支援は目に見えにくい支援だとおっしゃったのですが、上手くやると顔が見える支援にもなることがわかったからです。

松尾

なるほど。

長尾

JICAネパール事務所の企画調査員の方から、「長尾さんみたいに各地について行くことは、顔の見える支援の最たるもので、今後のモデルの1つになると思います」と言っていただき、これには嬉しくなりました。

私は同行して法案に何か意見するわけではないのですが、内政干渉にならないように注意しながら、日本による支援のプレゼンスを見せるだけでも、非常に効果があったかなと思います。

そんなに頑張っているなら、ということで、情報も共有してくれるようになり、カウンターパートとの信頼関係も深まっていったように感じています。出張を通じて顔を突き合わせてご飯を食べたり、車で移動したりしながら人間関係を築いていったことは非常に楽しかったし、おそらく専門家として存在意義を発揮できたところかなと思います。

お蔭で、法案がいよいよ国会に提出され、JICAとしては見守ることしかできない時期になっても、情報は頻繁にアップデートしてくれたので、タイムリーに松尾先生やJICAの方にもお伝えすることができ、非常に良かったなと思っています。

松尾

ネパールは急進的な共産党毛沢東主義派から統一マルクス・レーニン主義派、会議派、さらには少数民族を代表する政党と、政党対立が激しい。その中で、民法案を立法委員会の中で議論する時に、共通に受け入れてくれる問題とそうでない問題があります。

党による意見対立、あるいは男性・女性の立場の違いもあるでしょう。そのあたりの委員会での議論の調整にかなり苦労されたのではないかと思うのです。立法委員会の委員長は、主流派の政党所属ではないですね。

長尾

そうです、タルー族という少数民族の女性の議員でした。

松尾

長尾さんが立法委員会のメンバーと緊密な連絡をとってくださったことは、法案を取りまとめる上でもすごく役に立ちました。その意思疎通の良さは、普段からの地方での地道な活動がベースになっていたのだと、お話を伺って納得がいきました。

私が最初にネパールに行った時も、カーストが違うと普通は同じ部屋の中で食事をすることもなかった。ある少数民族出身の国会議員が、食事中、突然立ち上がって、「自分は生まれて初めてカーストの違う方と同じ部屋で食事をした。今日は私にとって非常に記念すべき日だ。この喜びを皆さんと分かち合いたい」と演説されたのです。そういう伝統の中で合意を形成するのは非常に難しいことだと思います。

長尾

民法、刑法などの制定を担っていた立法委員会の主要メンバーの多くは、政党や民族は別々でも、弁護士資格を持っている人でした。なので、もちろん議会の中では意見の対立があると思いますが、民法や刑法というのは基本的に政党の対立を超えた普遍的なルールであるという共通認識をお持ちだったので、日ごろの法案の検討において政党の対立が表れることはあまりなかったように思います。

また立法委員会全体としても、この5つの法律を通すことが重要で歴史的なことだと考えていたので、基本的には制定に向けてあまり大きな対立はなかったように思います。

ただ、この民法典で初めてネパールに導入されようとしていた遺言についての条項を削除するか残すかでは、女性議員や女性弁護士からの強い反対もあり、最終的に政治的な話し合いの結果、削除されました。男女間の対立や政党の対立が顕在化して、成立するかしないかの瀬戸際に追い込まれたということはありました。

松尾

ネパール民法典には不法行為と不当利得という制度が初めて入りましたね。

遺言に関しては草案にはあったものの、最終段階で一章丸ごと削除ということになった。これは、民法典を通すためには涙を飲んで削らざるを得ない状況だったのだと思います。やはり女性団体にとって、遺言制度を運用した時に、男女の格差の是正がどう図られるかということに対する危惧が大きかったのでしょうか。

長尾

そのように聞いています。せっかく憲法で初めて男女平等が謳われたのに、遺言制度で親の意思でどのように子ども達に財産を相続させるかを決められるとしたら、やはり長男にばかり財産がいってしまうだろうという懸念が噴出したようです。もちろん遺留分のような制度も入っており、制度の趣旨を理解しないわけではないけれど、少し早すぎるという意見が主流だったと聞いています。

ラオス民法典制定への支援

松尾

では、話をラオスに移します。ラオスではちょうどネパールから1年後、2018年12月に社会主義ラオスで初めての民法典が成立しました。ラオスはネパールと違い、法整備支援が始まったのは非常に早く、1998年から始まっていました。

最初は民法典をつくることは目標に入っておらず、10年ほど経った2012年に民法典起草が本格化しました。それに先立って様々な教科書や辞書をつくる準備期間があったので、プロセス重視の法整備支援の典型的なスタイルができたのではないかと思います。

入江さんは最後の成立の段階に立ち会われた。ここでもやはり生みの苦しみで、何度か国会に草案を提出して、その都度、草案の微調整があり、ラオスの立法担当者との橋渡しを入江さんがしてくださいました。

入江

私が初めてラオスを訪れたのは2015年の5月頃、JICA本部の専門員としてでした。ラオスの人たちはとても温かく、のんびりしているところはあるけれど、意思をしっかり持っているという印象でした。

私たちの活動は、ラオスの皆さんの背中を押しながら、活動を計画して会議を設定し、何度も同じ議論を繰り返して理解を促すということの連続でした。限られた時間のプロジェクトの中で、こうしたことを根気よく続けつつ、何らかの形に残さないといけないのが一番難しいことでした。

専門家として常に意識していたことは、「ラオスの文脈で物事を考える」ということです。法整備支援は日本法の知識を提供すればよいというだけではなくて、ラオスの文脈で何がラオスの人たちにとってよいのかと、一緒になって考えていくことが重要です。それを考えながら、ラオスの人に寄り添った発想で支援に携わっていくことが最大の面白みだと思います。

松尾先生をはじめとして長くラオスの支援に携わっておられ、民法の知見をお持ちの先生方がいらっしゃる中で、自分が貢献できることは、可能な限りラオス語で法律を読んで、ラオス語の法文として適切かどうかを判断することだと思い、民法典の草案についてはラオス語で判断できるようにしようと心掛けました。

民法典の起草は国家の一大事業で、それに携わっているという責任を常に感じていました。ラオス側の主体性を尊重しつつも、日本の支援によって起草された民法典として世界に発信されますので、法律家としておかしいところはおかしいと伝えなければいけない。このバランスが非常に難しかったです。

松尾

ラオスは社会主義革命を経て、1976年以降大きく法制をつくり替えている若い国ですね。ネパールは植民地になっていないのである程度連続性がありますが、ラオスはフランスの植民地になり、その後独立し、その後社会主義革命を経るという大きな社会変動があって、社会主義政権の下で司法制度ができたばかりです。

入江

おっしゃる通り、国としては非常に若いです。1986年に市場経済化した後に、民事関係の法律を外国の支援に基づいてつくっていったのですが、それらの民事系の法律を今回基本法として民法典として起草したというのが民法典起草の経緯になります。

また、ラオスには、革命や市場経済化という制度の大転換にかかわらず存在した統治機構として「村」があり、その村制度の下で多くの紛争が解決されてきたという実態があります。司法が機能していない中でも紛争は村長に持ち込まれ、村長がこのように解決しなさいと裁定する。村長が上手く裁定できない時は、村の調停委員会が裁定します。

他方、司法制度としては、司法省の傘下にあった裁判所が独立したのが1982年です。社会主義という政治体制やそうした裁判所設立の経緯もあって、日本や欧米諸国とは異なり、裁判という国家作用の政治的な色が強い。国家としてどういう裁判をするのが適切かという観点から、1つ1つの紛争について司法判断をすることから、そもそも日本とは紛争解決のコンセプトが異なる。

そのような中でどういう民法典をつくるかというところは、やはり意識せざるを得なかったところです。

松尾

ラオスの場合、村の制度という、社会主義以前から存在する伝統的なコミュニティが制度の連続性を繋ぎ止めている。そういった既存の制度の上に新しい民法典を乗せていく時にギャップができるだけ生じないように、随所でどちらかに僅かずつ引き寄せて接合することが、非常に難しいですね。

法整備支援活動の難しさ

入江

1つ間違えれば国家間の信頼関係を崩しかねないような緊張感の中での会議もありましたし、議論が白熱することもありましたが、それは、いろいろな関係者が、よい法律、よい民法典をつくろうと必死になっていたことの表れだったと思います。私は、国会本会議の前の常務委員会会議に外国人として初めて参加を認められ、信頼していただいていると感じました。

また民法典の起草においては、政治に関わる難しさ、越えられない壁があることも感じました。起草委員会で長い時間をかけて検討した条文も、政府の上層部の一言で委員会の納得のいかない修正がされましたが、民法典を国会に通過させるという大きな目標の達成のために、涙を飲んで受け入れなければならないこともありました。

さらに驚いたのは、民法典が国会を通過した後にも、施行までの間に一部の国会議員などを通じて条文の修正が行われたことです。これはラオス特有の慣習ではないかと思いますが、この修正によって、いくつか残念な結果を招いてしまったところもあります。

このような経緯もありましたが、無事、民法典が国会を通過し、施行に至ったことにひとまず安堵しています。

松尾

お二人の話を伺って共通するのは、法整備支援という1つの国の主権作用に関わる活動に外国人として関与することの難しさだと思います。一歩間違えば内政干渉になる。他方で、何かこちらとして、実際に役に立つコメントや情報を、率直に提示する必要がある。このあたりのバランスの取り方が非常に難しいと思います。

お二人ともそれぞれの国の政府関係者の信頼が非常に厚かったので、委員会の中に深く入って、率直な議論ができる信頼関係を築いていただいたことが、大きな成果を生んだ背景にあったのではないかと思います。

ラオスでは私も入江さんと協力する中で、最終局面で一部の国会議員から、「法律行為」という概念を民法典に入れることに異議が出ました。この言葉はすでに「法令」という意味で使われているから全部変えろと言うのです。

起草メンバーたちはこれまで10年以上もかけて、「法律行為」という概念に親しんで、その言葉を使って教科書を書き、問題集をつくってきた。様々な制度を統一的に説明するキー概念だったのです。私も起草メンバーの責任者から、悩みを打ち明けられた時に、非常に迷ったんですね。私たちとして、何か国会議員に向けてメッセージを発すべきなのか、それは内政干渉になってしまうのかと。

結局、アドバイザリー・グループとして国会議員と常務委員会に向けて、法律行為という概念はこの民法典では鍵になるもので、起草者が比較法的検討も重ねて採用した経緯には理由があるという意見書を出し、入江さんを通じて常務委員会で配っていただきました。私たちの葛藤が、入江さんの仲介により、法律専門家ではない上層部の議員の心にも届き、最後の最後でその概念が民法典で維持されました。

私がそのとき伝えたかったのは、これは起草メンバーであるラオスの若手が10年以上準備してつくったものだから、若手を信頼し、プロセスを尊重してよいのではないでしょうか、ということでした。入江さんと上手く連携が取れて提言が実現したので、私にとっても思い出深い経験になりました。

法整備支援による変化

松尾

お二人が法整備支援活動に携わってこられて、実際に相手国やその国の人たちにどういう変化を感じ取りましたか。法整備支援の成果はすぐには見えないけれど、変化の兆候や小さな変化を感じることはありましたか。

長尾

おっしゃられたように、効果はそう簡単には見えないのだと思います。とくに私は民法典が制定される前に離任していることもあって、何が変わったかは自分では分からないのが正直なところです。

ネパールに住んでネパール政府関係者をはじめとするネパールの人々と一緒に働いていても、やはり一歩距離を置いて生活していますし、実際制定された民法がどのようにインパクトがあるか、実感しきれないところがあると思いました。

それはある意味致し方のないことだと思っています。つまり、できることをやって民法ができたことを一緒に喜び、相手国の民法ですので、その行く末は彼らの手に委ねるというのがあるべき姿かなと思います。2、30年後にこのネパールの民法がどうなっているのかを見るのも1つの楽しみです。

私が赴任していた当時のJICAネパール事務所の所長さんが、事務所のニュースレターに、「風の人と土の人」という言葉があると書いていました。土の人というのは現地の人、風の人というのは援助機関の人ということで、風というのはサッとと吹いただけでは土に何か大きな影響を与えるわけではないけれど、吹き続けると何らかの変化を起こすことができる、というような趣旨だったと思います。

法整備支援はそのように、吹き続けて、吹き続けて、変化が見えることに思いを馳せながら活動するということなのかなと思います。

1つ、民法・刑法がいよいよ議会を通るぞ、という機運が高まって以降、裁判官、検事、弁護士が法案の分析や勉強を始めたので、これから法律家が主体となって普及させてくれるに違いないと思い、非常に嬉しく感じました。

松尾

法律家は、政府と市民社会の媒介者になって、国民に制度改革の成果を届けるという使命があると思うのです。いっぺんに社会が変わるということはなく、媒介者としての法律家の理解や意識や態度が変わり、それを通じて人々の理解や意識や関心も変わっていくのでしょう。そういう意味では法律家の中での変化が生じたのは、大事な前進の1つだと思います。入江さんはいかがでしょうか。

入江

民法典は成立、施行しましたが、それがラオスの社会で機能し、紛争解決のチャンスとなって、人々の権利や利益の実現に生かされなければ絵に描いた餅となってしまう。私たちは、そのための支援を、これからも気を抜かずにやっていかないといけないと思っています。

民法典が機能するためには法文があればいいというものではなくて、裁判所や行政の実務が変わっていくことも必要になりますので、さらに長い時間がかかると思います。

私たちがしていることは、国づくりのために糸を紡いでいく中の一紡ぎでしかないわけですが、それがないと先に進めないということでは大きな意味があります。民法典を持ち人々の権利や利益が実現して、平和で安定した社会がつくられることが法律家としてできるお手伝いだと思います。

進歩を実際に感じるのは、やはり時間がかかるのでなかなか難しいのですが、最近、会議の中で、こういう結論だとこちら側の当事者が不利益なのではないか、取引を促進するためにこういう制度をこう解釈したほうがいいのではないかと、いろいろな関係者の利益を調整して、適切な解釈を導いていくような意見が出るようになったと感じます。

これまでは法律というのは市民を従わせる、市民を律するためのものだという発想が、ラオスの人たちにあったと思うのですが、そうではなく、法律を使ってラオスの社会を機能させるにはどうしたらよいか、ラオスの人々が利益を受けるにはどうしたらよいか。

そのための良いバランスはどこにあるのかという発想で考える意見が多く出てきている。これは、これからのラオス法学の発展にとって、非常に貴重な一歩なのかなと思っています。

松尾

それは面白いですね。やはり、法律家、司法省、裁判所、検察の人々の法意識が変わっていくということが、最初のポイントだと思うのです。

法律が国家統治の手段であるという考え方は、アジアの国では一般的ですし、日本でもそういう法意識は存続しています。そのような考え方を全部捨ててしまうわけではないけれど、同時に、法を使って人々が権利を擁護し、実現し、時には政府をコントロールできるということが、「法の支配」が誕生していくプロセスです。そういう意味で、お二人が感じ取られた変化というのは大事な点だと思います。

おそらくこれから法律が普及し、それを裁判所で裁判した結果、判例を市民に公開し、市民がそれを使って自分たちの権利を法によって擁護する方向へと徐々に前進していくのだと思います。

日本を相対化して見る視点

松尾

法整備支援をすることによって日本に何かメリットがあるんですかと、私はよく聞かれます。「それは当然ありますよ」というのが私の答えですが、お二人は、自分にとって何が一番勉強になったと思われますか。

長尾

曲がりなりにもネパールで民法典という法典を一から制定する作業に関与することができたことは、本当に弁護士としては得がたい経験だったと思っています。もちろん日本でも頻繁に民法の改正はありますが、一から民法典をつくるということはもう二度とないはずですし、他の国で民法典をつくる経験ができたことは、一弁護士としては非常に貴重な経験でした。

1つ法律家として言えることは、他国の法律をきちんと学ぶと、自分の国の法律の特色や、改正の余地がある箇所が非常によくわかります。

司法試験の際には、やはり試験範囲を必死に勉強するだけで、日本の民法を勉強して、民法とはこういうものだと、気づかないうちに思い込んでいました。でもアメリカのロースクールに行って、例えばアメリカの契約法や不法行為法を学び、やはり日本の民法と違うところもあるなと思い、そこで1つ開眼した。さらにネパールで民法典をつくることに携わってまた1つ開眼するという感じで、日本の法律は1つのかたちに過ぎないと分かったことが非常に大きな経験だったと思います。

もちろん日本で弁護士をやる以上はその民法に従いますが、必ずしもこれが最適解ではないかもしれないと思いながら活動できるということは、非常に有意義なことではないかと思います。たぶんそれは法律家としても刺激になると思いますし、日本の法律の改正を考える上でも、なにがしかの貢献ができる時がきっとめぐってくるのではないかと思います。

入江

私も長尾さんがおっしゃった通りで、日本の法制度を客観的に見つめ直す機会を得られたということが一番大きかったと感じます。それは、その後のキャリアにも生かせるのではないかと思います。法律が社会の中でどういう機能を果たしているのか、法とは何か、ということを考える機会を得られます。

法務省からの出張でラオスにいらした方が、「ラオスの坂本龍馬に会えるというのが法整備支援の一番面白いところだ」とおっしゃっていました。まさにこれから国がつくられていく中で、意志ある若い人が、世界に誇れるラオスの民法典をつくるんだ、という心意気で活動している。彼らの熱い気持ちを肌で感じながら一緒に活動できることが専門家としての醍醐味と思います。

松尾

非常に実感のこもったメッセージですね。私も全く同感で、今まで当然だと思っていたことが決して当然ではない、他の解もあるという場面によくぶつかるんですね。社会の中に根付いているルールには必ず「理由」があるはずで、その理由を考えるとそのルールが何らかの合理性を持っていることに気づかされます。

そういう中から、より普遍性の高いルール、普遍性の高い法理が見出されるのだと思います。こういう条件の下ではこのルールが合理的だけれど、少し条件が違えばまた別のルールのつくり方がある。そういう発見を蓄積していくことが、法律学の発展にとって大事なことなのだろうと思います。

「法の支配」の浸透を目指して

入江

法整備支援の究極の目標は、松尾先生が提唱されている、「法の支配ユビキスタス世界」を実現すること、というのが最もしっくりきています。いつでもどこでもすべての人が法の支配の恩恵を受けられるようにするということ、その実現に向けて歩みを進めていくことが重要なのだと思います。

松尾

最後にその点を共有できればと思っていました。例えば、空気を吸うことは、どこの国に行ってもほぼ同様にできると思いますが、法的なサービスや権利保護を受けることは、どの国にいるかで非常に大きく違ってきてしまう。

私は2009年の著書で、法の支配の構築を通じて、いつでも誰でもどの国でも権利の保護を受けられる状態を「法の支配ユビキタス(遍在)」とし、そうしたグローバルな空間を「法の支配ユビキタス世界」と呼んだのですが、空気を吸うように法の支配を遍在させる国際協力が、法整備支援の最終的な目標であると思います。しかし、なかなかそれを実現するのは難しい。

ではそれをどうやって実現するかというと、いきなり詳しい法律をつくればいいというのではなくて、プロセスを大事にして法律をつくり、それを運用する専門家を育て、専門家の理解や態度が変わり、人々の法制度に対する理解と関心と信頼が増していくことが大切です。

できれば法制度のお世話になりたくない、避けたいというイメージがつきまとっている段階では、法の支配ユビキタスには近づいていかないでしょうから、法改革と意識改革を徐々に徐々に図っていくのが大事だと思います。

そういう意味では法律の専門家だけではなく、法学教育や一般市民への法の教育などにも、法整備支援のフロンティアが広がっていくことが大切だと思います。例えば、大学同士の法学教育の連携や、相手国の留学生を受け入れたり、こちらから学生を派遣したりすることを活発にしていくのも、広い意味での法整備支援の重要な要素になりつつあります。

法務研究科では、2016年から、慶應グローバル法研究所(KEIGLAD)を設置し、「アジア発グローバル法務人材養成プログラム」(PAGLEP)として、東南アジアのメコン地域諸国、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマーの6大学と慶應義塾大学で連携して、学生の受入、派遣、法学教育の共同セミナーなどを始めています。長尾さんにも参加してもらい、入江さんにはラオスのプロジェクト・オフィスで研修させていただきました。

こうした様々な窓口を通じて、その意味でのインクルーシブな法整備支援により、「法の支配ユビキタス世界」への地道な活動を広めてゆくことができるように思います。非常に時間のかかることですが、私たちもささやかな寄与ができればと思っています。

今日は、外からはなかなか分からない、その国にいてこそ初めて分かる空気感のようなものも伝えていただき、私も改めて勉強になりました。有り難うございました。

(2021年1月25日、オンラインにより収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。