慶應義塾

特別座談会:「コロナ報道」を考える──リスク社会のメディアのあり方

公開日:2020.07.10

登場者プロフィール

  • 李 光鎬(イー ゴアンホ)

    文学部 教授研究所・センター メディア・コミュニケーション研究所所員

    専門は社会心理学、メディア研究。

    李 光鎬(イー ゴアンホ)

    文学部 教授研究所・センター メディア・コミュニケーション研究所所員

    専門は社会心理学、メディア研究。

  • 烏谷 昌幸(からすだに まさゆき)

    法学部 准教授研究所・センター メディア・コミュニケーション研究所所員

    専門はジャーナリズム論、政治社会学。

    烏谷 昌幸(からすだに まさゆき)

    法学部 准教授研究所・センター メディア・コミュニケーション研究所所員

    専門はジャーナリズム論、政治社会学。

  • 山腰 修三(やまこし しゅうぞう)

    研究所・センター メディア・コミュニケーション研究所教授

    専門はマス・コミュニケーション論、ジャーナリズム論。

    山腰 修三(やまこし しゅうぞう)

    研究所・センター メディア・コミュニケーション研究所教授

    専門はマス・コミュニケーション論、ジャーナリズム論。

  • 大石 裕(司会)(おおいし ゆたか)

    法学部 教授その他 : 常任理事

    専門は政治コミュニケーション論、世論研究。

    大石 裕(司会)(おおいし ゆたか)

    法学部 教授その他 : 常任理事

    専門は政治コミュニケーション論、世論研究。

2020/07/10

アメリカと韓国の報道から

大石

「コロナ危機」に関しては、メディアの報道についてもいろいろと考えさせられることがあります。テレビ、新聞等のいわゆる従来型のマスメディアの報道とSNSなどのソーシャルメディアの発信が入り組んだ形で人々に影響を与えている。とりわけ、今回ニュースが「コロナ報道」一色ということで、いい意味でも悪い意味でもテレビが復権している、という印象を私は持っています。そこで今日はコロナ報道に関して皆さんと話し合っていきたいと思います。

烏谷さんは3月半ばまでアメリカにおられて、ギリギリのタイミングで日本に帰って来られたのですね。

烏谷

はい。3月の上旬にはマンハッタンでもまだほとんどマスクをしている人がいませんでした。アメリカから見ると、コロナはその頃はまだ遠いアジアの出来事で、自分たちの問題という意識はほとんどなかったと思います。

大石

メディアの報道もそうだったんですか。

烏谷

ニュースでは伝えられていましたが、一般社会の反応はまだまだ他人事という感じが強く、非常にギャップがありました。社会の雰囲気がはっきりと変わり始めるのは、3月中旬ぐらいです。3月上旬に私が日本に帰ると言った時には、アメリカのほうが安全なのだから帰らないほうがいいと、まるで戦場に行くような感じに見られたんですね。

私が日本に戻ってから、4月上旬にCNNのクリス・クオモという有名なニュースキャスターが新型コロナウイルスに感染しました。ニューヨーク州のアンドリュー・クオモ知事の弟さんですね。典型的なアメリカ人のタフガイといったイメージのクリス・クオモが、新型コロナウイルスに感染しながらも、自身の様子を自宅から一生懸命伝えるわけです。実際にコロナにかかったらどれぐらい高熱が出てつらいのかを、率直な言葉で語った。

ジャーナリストというのは、基本的に世の中の問題に対して非当事者の視点からリポートする仕事だと思うのですが、彼はコロナにかかって、当事者の言葉で皆知るべきであると、自宅からアメリカ国民につらさを訴えた。その光景が非常に印象に残っています。

彼はある種、リポーターというよりロールモデルになって、この問題をちゃんと受け止めなければいけないんだと自分の言葉で伝えたのです。

大石

ではそのリポートがターニングポイントになったと。

烏谷

そこまで強くは言えないと思いますが、シンボリックなものではありました。

日本では、志村けんさんが亡くなった(3月29日)ことで皆、非常に衝撃を受けましたよね。つまり身近に感じていた有名人が突然亡くなることで、非常に多くの人が認識を改めたところがあると思うのです。アメリカにおいては、その1つのターニングポイントをニュースキャスターがつくったことが印象的でした。

大石

次に李さん、韓国の状況についてお願いいたします。

韓国では、2月中旬、日本より早く感染者の爆発的増加があったんですが、当初は何で中国からの入国制限をしないのだと、保守系の新聞、「朝鮮日報」「中央日報」「東亜日報」から政府が強く批判されました。

最初は大邱(テグ)にある「新天地イエス教会」という新興宗教の信者の間で感染が爆発的に広がっていきました。一時はどうなるかと心配していたのですが、政府で打ったいくつかの対策が功を奏し、何とか沈静化させることに成功しました。

私が、一連の経緯を報道する韓国のメディアを見て強く感じたのは、自国中心的、自国優越主義的な報道を展開しているなということです。まず印象深かったのは、日本もやりましたが、チャーター便を送って感染が蔓延していた中国・武漢から自国人を帰国させたことです。

烏谷さんは戦場に行く感じで見られたと言いましたが、逆に戦場から人質を救出して帰ってくるように、大々的に深夜に飛行機が降り立つ映像を流して国の力を示すイメージが流されたことが非常に印象的でした。

他にも、例えば韓国はマスクもまだ買える、他国に比べて死亡者が少なく、非常に上手く対策をやっている、とさかんに報道されました。最終的には「K防疫」という言葉をつくってブランド化することまでやって、非常に自国優越主義的なフレームで報道がなされたと思います。

欧米の先進国と見られていた国々がことごとく防疫に失敗し、今まで抱いていた先進国に対する尊敬の念が一気に崩れてしまった。そして、われわれは先進国より優れている、追い越したのだという形で報道がなされるということがあり、それが、私が非常に気になっているところです。

見えない「現場」

大石

山腰さん、今のお二方の話と日本とを比較して、お話ししていただけますか。

山腰

日本では、最初は中国でそれから韓国、ヨーロッパ、アメリカと、海外の集団感染、医療崩壊、ロックダウンの状況が大変インパクトのある形で報道されていました。一方、台湾や韓国がPCR検査を大量にやっているのに日本は何でやらないのかという批判がテレビやネットを中心にさかんに語られました。それから、3月下旬には2週間後の東京は今のニューヨークの感染状況と同じようになるなどと、何か煽るような語りがネットなどで頻繁に見られました。

また日本でも、2月にダイヤモンド・プリンセス号が来ると、ある種現場が可視化されました。チャーター便(1月29日~)、クルーズ船(2月3日)と、皆それらの「現場」を追っていたのですが、政府による全国の学校の一斉休校要請(2月27日)という話になると、もう現場がどこだかわからなくなってしまったのかと思います。

どこを取材しても結局、全部がコロナに関連したニュースになって、コロナ報道の取材方法や見せ方も手探りの状態だったという印象があります。

大石

そうですね。例えば1995年の阪神・淡路大震災の時には高速道路が倒れ、2001年の9・11の時には貿易センタービルが崩れた。それから2011年の東日本大震災の時には津波や原発の事故があった。つまり現場が直接テレビ画像で伝えられていた。

ところが、新型コロナウイルスは感染症ですから、敵とか戦争と言いながら相手が全く見えない。ですから、結局、人の動きにかかわる同じ映像が繰り返し使われ、同じ取材現場に殺到する。ウイルスという見えないものをどう報道するかといった時に、とにかくその影響が及んだ同じような場所や人を探し出して、取材するという方法がとられたという印象を持っていますが、その点についてはいかがでしょうか。

テレビニュースなどでも、常にコロナウイルスの電子顕微鏡の写真を色着けしたものが使われていますね。結局、取材をして印象的な「絵」となるものがないので、その映像しか使えないのでしょう。

また今回の報道で非常に特徴的だなと思うのは、感染者や死亡者の人数のカウントです。どこの国は今日の感染者が何名で死亡者は何名、検査数はいくつと連日カウントして、それをグラフとともに見せたりする。可視化する手段が、そういったものに限られてしまっているのかなと思いました。

科学ジャーナリズムは機能したか

大石

今までジャーナリズムというのは、犠牲者や被害者を人数だけで伝えていいのかという悩みを一方では持っていたはずです。

1人1人の命の問題なのに数だけで処理すると、個々の命や姿が見えなくなることへの恐れを、少なくとも頭の中には抱いていた。ところが今回は、それが当たり前のように行われていますよね。

烏谷

人数がクローズアップされる1つの理由は、われわれはこのコロナの問題に対してあまりにもわからないことが多過ぎるからではないですか。

特に同じ先進国であるのに日本や韓国と欧米の人口当たりの死者数がなぜここまで大きく違ってくるのか。安倍首相は日本モデルが非常に素晴らしいと言いましたが、この死者数の差の謎がまるで解き明かされていない。

今、研究者がいろいろな仮説を出していますね。ウイルスの型が変異していてアジアからヨーロッパやアメリカに行って毒性を高めたのだとか、遺伝子の型の違いであるとかいろいろな仮説が出てきてはいますが、本当のところはわからない。この数字が示す謎の前では、ジャーナリストはもっと謙虚にならなければいけないと思うんですね。特にテレビなどは。

大石

水俣病事件報道の時も3・11の原発事故の時もそうでしたが、ジャーナリズムは、こうした科学的な問題をどうすれば適切に伝えられるかということですね。非常に専門性の高い情報・知識を持っている人たちがある種の知識人コミュニティをつくっている。それに対して記者は頑張って、その人たちにいろいろ取材はするのだけれども、どうしてもギャップを埋めることが難しい。

数値をどう処理して、それを理解していくかという時に、まさにいくつかの選択肢をそのまま羅列する形、専門家の意見を並列する形でしか出せない。そういったある種のもどかしさが科学ジャーナリズムにはあるのだろうと思うんです。

烏谷

大石先生がおっしゃった水俣病事件報道と今回の件を比較して大きく違うのは、水俣病の時には専門家の中でも一部の人々は原因がわかっていながらそれを隠していた、という意味で犯罪性の強いものだったわけです。

ところが今回は、世界中の科学者が寄ってたかって英知を結集しても謎が解けない。だからとにかく皆で協力してパズルを解く作業をしなければいけない。いわゆる科学ジャーナリズムは、どうやって専門家の意見を素人にわかりやすく教えるかという問題意識で基本考えるわけですが、今回は専門家も皆、まだわからないわけです。

そうなってくると、一般市民がどういう行動をとるかというと、自分の好む「神様」、つまり自分のフィーリングに合う専門的な言説を提供してくれる人を選んで、その言説を中心にコミュニティをつくり、敵対する考え方の人たちと非常に激しくバトルをするという傾向が出てくる。

私は、仮説が並んでいてどれも決定的ではないような状況では、自分の思っている確信、怒り、正義の感情も、非常に危うい仮説の上にしか乗っていないのだ、ということをしっかり自覚して発言しないと、非常に独断的、独善的なものの言い方、伝え方になってしまうのではないかと思うのです。

専門家の発信と受け手のギャップ

大石

ウイルスという実際に目には見えない相手であることの難しさが、こうした面でも表れているということでしょうか。

日本の報道の中で印象に残っているのは「正しく恐れる」という表現です。最初は、これは東京オリンピックが延期される可能性もあったから、それを心配してあまり騒ぎ立てないようにしたいという思惑もあったのかなと思いながらも、非常にいい標語だなと思いました。

でも「正しく恐れる」ためには正しい情報、正しい知識がないといけない。新型コロナウイルスに関しては、最初、ヒト・ヒト感染の可能性は低いという情報もあったし、マスクは実は効果がないという話もあった。それがいつの間にか、マスクは効果があるということになり、何が正しい情報なのかがわからない。だからそういった時には、最大限に警戒するということが生存戦略としては合理的なわけです。

そういう点から考えると、あまりはっきりしたことがわからない状況下で「正しく恐れましょう」という、やや警戒を緩めさせるようなニュアンスを伝えることは、あまりいいことではなかったのではないかとも思っています。

大石

確かに「3密を避ける」「手を洗う」「マスクをする」という最大公約数的なものを繰り返して奨励するしか感染予防の方法としては出てこない。それ以上、何がきちんとした正確な情報なのかが見えないままにずっときてしまっている、と言えますね。

山腰

科学ジャーナリズムというか、科学コミュニケーションの話になってくるかと思うんですが、専門家会議などが、「8割接触を減らすように」とさかんに情報発信をしていますよね。しかし、PCR検査の数が適切なのか、それとも少ないのかといった話も含めて、時期によってメッセージが違うように見えて、わかりづらかったことは確かです。

しかし、4月に放映された「NHKスペシャル」で厚生労働省のクラスター対策班に密着した番組を見ると、フェーズごとに対策が変わってくるのだということが理解できました。専門家会議や対策班はきちっと考えて戦略を練って、ある種のロジックを持ってやっているということが、よくわかったんです。

しかし、それは「NHKスペシャル」、あるいは「BuzzFeed」による西浦博先生へのインタビュー記事など、限られた回路でしか伝わらず情報が多くの人に共有されない。ワイドショーなどでは何でPCR検査を増やさないのだという話がずっと続いている。そこに乖離があると思いました。

対策を担う専門家たちは非常にプラグマティックに、できることをやっていくというロジックを一生懸命に発信しているのだけれど、それがニュースという形で十分に伝わらない。それは取材する側の問題もあると思います。わかりやすい数字しか切り取ってこない。このまま行けば40万人が死ぬとか、8割減らせ、という部分だけ切り取ると科学的なメッセージとしては上手く伝わらない部分があります。

一方、専門家の側も、報道陣の前で話せば受け手に100パーセント伝わると思っているようなところもあり、ニュースがつくられる時にどういうコミュニケーションが適切かという戦略が欠けていた面もあると思います。

その不幸な認識ギャップがあったのかなという印象があります。

首相のリーダーシップをめぐって

大石

緊急事態宣言についても、経済危機による損失や犠牲の方が大きくなるので早く解除したほうがいい、いや、感染の蔓延を防ぐためには解除は先延ばししたほうがいいという論争もありました。専門家たちの知見・意見と、報道や世論も横目に見ながら動く政策とが、果たしてどの程度関連性を持って動いているのだろうか、という疑問がずっと続いています。

それと今回のコロナ報道では、この感染が早く収束に向かってほしいという点では一致しているのですが、その目標に向かって進む道があまりにも多岐にわたっている。その上、テレビのワイドショーなどでは、にわか専門家たちが積極的に発言することもあり、ある種の混乱状況が、今あるわけです。

日本の状況はかなりカオスだなという感じを持っているのですが、その点、李さん、韓国ではどうですか。

韓国ではリスクコミュニケーションの主体ははっきりしています。中央防疫対策本部というところの本部長が毎日のように決まった時間に記者会見を行い、そこからすべての公式の情報が提供されます。このように主体がはっきりしているので、誤情報、ミスコミュニケーションはかなり削減されていると思います。

それに対して日本の場合、最初は加藤勝信厚生労働大臣がやっていて、そのうち経済再生担当大臣の西村康稔さんが新型コロナウイルス対策担当大臣を兼ねて陣頭指揮をとる形に変わっていますよね。さらに自治体の首長さんたちがクローズアップされる形の報道が続いている。北海道の鈴木直道知事とか、小池百合子東京都知事や吉村洋文大阪府知事などがスターみたいになっていく。それに対して政府は何をやっているんだと比べられたりしています。

だから情報の出どころ、リスクコミュニケーションの主体がかなり分散していて、ちょっと混乱するような印象がありました。

烏谷

それに関連して思うのは、安倍首相のメッセージですが、危機の状況の中でもう少しリーダーが前に出てきてもよいのではないかと思うのです。記者会見でも非常に短い時間で予定調和的なやり取りだけをして去って行く。

ご存じの通り、第1次安倍政権では、安倍さんは小泉さんのメディア戦略を真似て一生懸命メディア露出をして支持率を上げようとしたが失敗した。それで、第2次安倍政権になった時にはメディアに対して相当周到な、慎重な戦略をつくり、場合によってはメディアを分断するような形で戦略を組み立ててきた経緯がある。つまり、メディアに対して非常に慎重なんです。

その方針はわかるのですが、こういう危機の時には、リーダーとして前面に出てきてもっとしっかりメッセージを発信しなければいけないし、いわゆる記者クラブと呼ばれるメディアの人たちも、首相の会見については積極的に質疑応答をやって、もう少しプレッシャーをかけてもいいのではないのかと非常に思いました。

大石

まさにそうなのですが、あえて安倍さんを擁護すると、例えば本格的なロックダウンは今の法律の下ではまずできない。そうするとよく言われるように同調圧力的なもので自粛を奨励していくしかないわけです。

一方、国家が強く明確なメッセージを出した時に、それぞれの地方の実情によって新型コロナウイルスへの対処の仕方は違うはずだと言われる。そうすると地方自治体に、政策の具体的な方策と決定を委ねるしかないのだという主張は一理あるわけです。

だから安倍さんたちの明確な方針を打ち出さないという「お任せ」の姿勢によって、地方自治体に決定を委ねるという分権的な姿勢とが上手く重なり合って、烏谷さんがおっしゃったようなメッセージの弱さにつながっていったと言えると思います。

それで首長がやけに目立って頼りがいがあるように見え、ある種スター的な扱いを受けている。片やそういう首長たちも露出度が高まることをどうやら歓迎している。首長の存在感と発するメッセージの強さが、際立つようになってきた。でも、それに対する警戒感も、一般市民の間では、出てきたのではないかと思います。

山腰

「緊急事態宣言」を何で早く出さないんだという批判がありましたよね。そして何で韓国や台湾みたいに強い措置がとれないんだと。こういう危機の中では、ある種強権的な、あるいは人の行動を監視するような状況を求める人が政治的なスタンスにかかわりなく多くいることがわかったのは、今回の1つの特徴なのかと思います。

また、他の国に比べると、日本は国としては抑制的というか丸投げというか、「空気を読みながら各自が判断するように」というメッセージを暗に発していた。国家が責任を取ろうとしない代わりに前面にも出ようとしない。だからメディアが批判の矛先というか立脚点が上手くつくれない部分はあるのかなという気がします。

「世論」の動き

大石

自粛に関しては、同調圧力と皆言っていて、その渦の中に皆が巻き込まれていくというメカニズムが働き、そのことが非常に興味深かったのですけれども。

今のお話を聞いていて、次なるキーワードとしては「世論」だと思うんです。政治家たちは世論を気にしながらも、専門家会議の意見を参考にして政策決定をしていく。けれども他方において皆さんのご協力がぜひ必要だと言う。支持率も含めての世論の動きが非常に目立ってきた。

ソーシャルメディアの世論とマスメディアがつくる世論についてはいかがでしょうか。

韓国の場合、この前、総選挙があり与党が圧勝しました。それは新型コロナウイルス対策と完全に連動しています。

その数カ月前までは爆発的に感染者が増えて、何で中国からの入国を制限しないんだということで、支持率はどんどん落ちていったんです。しかし、総選挙の直前に感染者数がどんどん抑えこまれ、防疫対策の成果が出てきて、それが完全に選挙の結果に結び付いて圧勝しました。

韓国も最初はコロナ感染拡大が政府批判に使われた。アメリカも、CNNなどはコロナ対策がある種トランプ叩きの最も重要な材料とされています。日本も、基本的には安倍政権に対する批判として、対策の初動の遅れだとかアベノマスクだとか、また、小・中・高の学校の全国規模の休校を非常に早い時点で決めてしまった対策が政府批判の元になった。

今、日米では指導者の支持率がどんどん落ちていますが、不利な世論をつくる上でマスメディアの報道の影響はあったのかなと思います。特にテレビ朝日の朝の情報番組「モーニングショー」を見ていますと、毎朝、安倍叩きをやっていますよね(笑)。

烏谷

近年のメディア研究では世論(せろん)と輿論(よろん)をはっきりと区別するようになっています。メディア史研究者の佐藤卓己先生は「パブリックオピニオン(公論)」を意味する「輿論」と「ポピュラーセンチメンツ(民衆感情)」を意味する「世論」としっかり区別すべきことを提唱しています。

今回、検察庁法改正案に対して、最終的には政治の流れを変えるような輿論の大きな動きが出てきた。これはある意味、民主主義のフィードバックが効いたすばらしい成果だったと称えられる反面、ワイドショーの怒りに連動するような形で、行き過ぎた行動をとる、いわゆる自粛警察という言葉に象徴される過激な言動もネットで見られるなど、両面が非常にはっきり見えてきました。

ネットの暗黒面で言えば、例えば、新型コロナウイルスに感染して陽性だとわかっていたのに山梨からバスに乗ったという人へ、ツイッターで「バイオテロ」という言い方までする人が現れた。これはテロだ、何であいつを捕まえないのだと真剣に警察に電話をし、そういうやり取りがネットの中に出てきて社会的に注目される。

かなり極端なネットの中の声に、世の中の雰囲気が引きずられていくところがあったかと思います。

ソーシャルメディアとワイドショー

大石

これは山腰さんにぜひお聞きしたいのですが、今までエコーチェンバーとかフィルターバブルと言って、ネットの世論は、両極を形成し、相手の主張にほとんど耳を貸さずに、自分たちの主張の中で循環を繰り返し、非常に固い世論をつくってしまう傾向が見られました。しかし、今回、テレビなどの情報を共有しながらネットが動いていたという面がありますよね。

そのあたりの世論のつくられ方も、新型コロナウイルスのような、まさに危機的な状況になって違いが出てきたのでしょうか。

山腰

基本的にこれまでの延長線上にあると個人的には捉えています。ソーシャルメディアの中で形成されていく世論は、まさにポスト真実というか、自分が信じたいもの、自分にとって望ましいものに基づいて形成される。この現象は今回も大きな違いはないと思っています。

例えば検察庁法改正案についても、世論は一枚岩ではなくむしろ賛否が両極化する中で、芸能人に向かってソーシャルメディア上で「政治を知らないくせに口を出すな」と攻撃するような動きもありました。ワイドショーなどテレビの様々な情報を引用しながらソーシャルメディアで話題が盛り上がっていたとしても、やはり自分たちが信じるフレームに基づいてつまみ食いをしている。極端な場合には自分自身で番組や記事に直接触れていなくても、ソーシャルメディアで流れてくるそうした情報や他者の感想や解釈を引用・参照する。

まさにウイルスとは違った意味での「クラスター」、つまり同じ意見を共有する集団に根差した世論形成の仕方は変わらなかったと思います。

ただ、どこに行けば批判する対象があるかという部分は、ソーシャルメディアはワイドショーから影響されていたと思います。パチンコ屋に行ったり、バーベキューをしている河原に行ったり。それはソーシャルメディアがそうした情報を流すからワイドショーも取材に行ったのか、ワイドショーが放送するからソーシャルメディア上で話題になるのか、どちらが先かはわかりませんが、その怒り、不安の感情を動員しながらまとまっていくプロセスには、ある種のマスメディアとソーシャルメディアの連動性がありました。

最近、特にツイッターは格好の取材場になっていますよね。マスメディアが世論の動向を見る手がかりとしてもツイッターの書き込みを見たり、またどこでどういう問題が起きているのか、地域の細かい出来事をつかむ時にも見ています。

多くの記者たちにとって、今、ツイッターは大事な情報入手手段ですね。クラウドソーシングとも言いますが、災害の時のいろいろな映像もそこで収集したりしています。

烏谷

ツイッターが非常に影響力を増してきながら、一方で根拠の怪しい情報が一瞬で拡散されていくという現状があるんですが、記者の側もツイッターを安易に否定できるような時代ではない。テレビならテレビ、新聞なら新聞で、自分たちの取材活動を活性化するためのインフラとして、どうやってソーシャルメディアを上手く成長させていくことができるかという視点で考えている人たちが、だいぶ増えてきている。

そういう中、ツイッターの中に拡散するデマをできるだけ早くファクトチェックして、その成果をメディアの世界に還元しようとするファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)などの団体があります。

例えばオリンピック・パラリンピックの開催を延期した途端に、感染者数が一気に増大しました。これは今までオリンピック・パラリンピックを開催したいから検査を抑えていたのではないのかという話がツイッター上で広く拡散したわけです。

この点については、ファクトチェック・イニシアティブのページで確認することができます。毎日新聞と「BuzzFeed」が、PCR検査の担当者に取材をして、この噂は誤りであって、実際になぜ検査件数がこのタイミングで増えていったのかの理由などをきちんと取材して説明していました。

ソーシャルメディアではデマが拡散しやすいからと避けるのではなく、ここまで基幹的なインフラになった以上、どうやってそれを上手く使いこなしていけるかということが、オールドメディアの側の見識としても問われていると思います。

病院現場の報道は行われたのか

大石

もう1つ、気になっているのが病院現場の報道なんです。台東区の永寿総合病院では約180人の陽性者という、ものすごいクラスターが発生したのに、何も見えてこなかった。

医療崩壊の危険があれほど強く言われていたのに、当初は具体的な医療に対するサポートは不十分だった。要するに現場が全然見えていなかったということで、これは報道の責任もあると思うのです。海外の報道などでは、ニューヨークの病院の大変な様子などが次から次へと映し出されたわけです。

日本の医療の見えなかった現場ということについて、何かお気づきの点があったらお話しいただきたいのですが。

山腰

この座談会の準備のために朝日新聞のデータベースで「病院 現場」と記事検索をしたところ、やはり病院現場の報道は、それほど多くなかったようです。例えば、永寿総合病院で院内感染が広まって危機感が高まっているという記事はありましたが、やはり中に入っての取材という感じではなかったです。

大石

当然、院内感染が起きている現場に入るということは難しいのだけれども、その脇を固めるような証言を集めていく取材方法は、記者たちはいくらでもできるはずなんです。それさえも何で踏み込まないのか。

それは戦争報道でもそうですが、日本のジャーナリズムが持っている、ある種の、踏み込まない、踏み込めないという問題があるのでは、と思うのは考え過ぎでしょうか。

烏谷

僕は日本のテレビの報道をそこまで注意して見ていたわけではありませんが、確かにCNNを見ていると、例えばニューヨークの病院の医療の崩壊の現場が出てきて、働いている人が盛んに医療現場の危機的状況についてしゃべっている。それを見ていると、何か正視できないところがありましたね。

大石

そうなんです。外国の医療崩壊の報道をあれだけやっているのに、日本の報道は、あまりにも少なくて落差があるという印象を受けたんです。

山腰

「報道特集」で一度、金平キャスターが集中治療を行っている病院の現場を取材していました。立ち入りが厳しく制限されていて、中に入れるスタッフは防護服をきちっと身にまとってやっているけれど、医療資源もだんだん少なくなってきて限界が近づいている、といったストーリーでした。

しかし、もちろんニューヨーク、あるいはイタリアやスペインの状況に比べると、衝撃的な映像ではありません。テレビの場合、映像のインパクトを重視するというニュースバリューの問題も日本での現場取材が優先されない要因かもしれません。

大石

医療従事者に対する感謝の念ということで、ヨーロッパ、アメリカでは、だれが発案したか知りませんが7時、あるいは8時、9時になったら皆で拍手していた。日本はブルーインパルスが飛んで終わってしまった。報道だけでなく人々の医療現場の大変さに対する関心の薄さが何か見えてしまったという感じがしました。

現場の中に入り込むという意識が違うと言えばそれまでですが、日本のジャーナリズムの場合、やはりある種の慎重さが強すぎるのかなという感じは否めなかったと思うんです。

山腰

クルーズ船の時から現場に積極的に入ろうという姿勢は見られなかったように思います。

大石

そうですね。神戸大学の岩田健太郎先生が入ってYouTubeで発信したら大騒ぎになりましたが。

オンラインジャーナリズムの役割

大石

ツイッターなどのSNS世論とは別に、「BuzzFeed」や「ハフィントン・ポスト」など一部のいわゆるオンラインメディアによる記事配信も今回目立っていたような印象を受けます。

また、そもそもその基盤となる、Zoomなどでのオンライン上でのコミュニケーションメディアが普通になったのが今回の大きな変化ですね。

今回ほどオンラインコミュニケーション、そしてそれを支えるITメディアがあらゆる生活の領域で基幹メディア化したことは今までなかったと思います。

大学の教育で、今、ゼミや授業はZoom等を使って遠隔でやっているわけですが、これがないと成立しないというほど決定的な役割を果たしている。ここまで基幹メディア化しているのであれば、以前ユニバーサルアクセスという言葉が言われていましたが、皆がアクセスでき、使える状況にしないといけないと思いました。慶應も、Wi - Fiが使えない学生たちにレンタルWi - Fiを契約してもらって、それを大学が肩代わりしましたが、アクセスを保証し、収入等にかかわらず授業が受けられるようにしないといけません。

また、ZoomやGoogleといったIT企業にどこまで資料保存等のセキュリティを期待できるのか。それも実はよくわからない。当初、Zoomはサーバーが中国にあるということで、セキュリティに対する不安の声が上がったこともありました。

だから、われわれが生活のすべての領域で頼らざるを得なくなった、このオンラインのプラットフォームとなっている様々なサービスに対して、ある種の社会的責務、法的責務を求めていくことも必要なのではないか。その公共性も問われているのではないかと思うのです。

烏谷

ジャーナリズムの問題に引き寄せて言うと、世界を見た時、今回のコロナの経済的な打撃で、いわゆる地方紙、紙メディアで経営基盤が非常に脆弱なメディアがどんどん倒産したり、あるいは記者を解雇しています。

アメリカの場合、もともとインターネットが出てきてから地域に密着した紙のメディアの経営が厳しくなって、数多くの会社がつぶれていったのですが、そうすると、地域によってニュースの砂漠と言われるものが出てくる。地方紙がなくなり、地域の問題を掘り起こして社会問題を世の中に提供していくようなジャーナリストの監視の目が光らなくなると、様々な問題がそのまま棚ざらしにされるようなケースが出てきたわけです。

そういったニュースの砂漠を何とか埋めなければいけないという問題意識を持った人たちが、新しくニュースを配信するような仕事を始める時、コストがあまりかからないオンラインでやるしかない。そのようにオンラインジャーナリズムは、紙のメディアでできなくなってしまった仕事をオンラインでやるという流れがずっとあると思います。

日本の「BuzzFeed」の創刊編集長の古田大輔さんはもともと朝日新聞の方で、日本におけるオンラインジャーナリズムの重要なキーパーソンです。以前、伺った話では、主要紙が毎朝どういうニュースを持ってきて日本社会に対してアジェンダを設定しようとしているのか、まず必ずチェックすると。そして、その主要紙の盲点になっているようなところを意識してニュースをつくっているとおっしゃっていました。

そうやって視聴者がマスメディアのニュースを見て疑問に思っているところに「BuzzFeed」の記者が痒いところに手が届くニュースをつくって配信する。明確なポリシーのもとに自分たちの独自性を発揮しようとしているのではないかと思います。

大石

既存の、特に新聞、テレビニュースの隙間を埋めていくという役割ですね。それは例えば「週刊新潮」とか「週刊文春」、昔だと「朝日ジャーナル」といった週刊誌、雑誌がやろうとしていたこととは、どう違いますか。

烏谷

週刊誌という紙の雑誌の時代と比べるとスピードが全然違います。今は週刊誌の記事もオンライン化されているので、あらゆるメディアのスピードがあがっているとも言えますが、「BuzzFeed」はかなり小回りが利いて動きが機敏だなと思うことがよくあります。

変質するニュースのカルチャー

大石

私も、「BuzzFeed」はお気に入りに入れて見るようにはしています。今回のコロナ報道のような専門性のあるものは、自分の取材記事というよりインタビューで引き出すという方法ですよね。他の記事を見ていると、実は発表報道的なものも結構多いように思います。

気になるのは、今は既存メディアでトレーニングを受けた人が、「ハフィントン・ポスト」でも「BuzzFeed」でも活躍している。果たしてこれから世代交代が進んだ時に、記者・編集者としてのトレーニングの場があるのだろうか。まだ1人1人の個人の力量に依存しているところが結構あるのかなと。そういう不安がジャーナリズムの組織という面ではぬぐい切れないところがあります。

烏谷

正直、「BuzzFeed」みたいなメディアがこの先、どう展開していくかは私にもよくわかりません。ただ、主要紙のニッチな部分を、スピード感を持ってやっているという意味で、割と上手く、特に若い人などを中心にニュースを届けることができていると思います。

今の、いわゆるデジタルネイティブの若い人たちにニュースのカルチャーを根づかせる上で、おそらく独自の役割を果たしていると僕は思うんです。

大石

なるほど。では山腰さん、最後の締めをお願いします。

山腰

ニュースのカルチャーということで言えば、今これだけメディア環境が大きく変わっている中で、ニュースというのはそもそもどういうものなのか、その境界線が非常にあやふやになっているわけです。

だからワイドショー的なものがニュースという形で多くの人々に理解されている。おそらくオーディエンスの多くは、情報番組と報道番組を区別することなくニュースだと捉えているのではないでしょうか。さらにソーシャルメディア上で行き交う専門家の発言、あるいはプロフェッショナルなジャーナリストがつくったニュース、政府の公報も含めてあらゆる公的な情報がニュースなのだという認識になっている。そこへフェイクニュースの問題などが絡んできているという状況があると思います。

フェイクニュースの問題は、やはり日本でも、新型コロナウイルスのようなリスク状況下では、ソーシャルメディア上に間違った噂が拡散しがちだということが今回わかりました。そして、一方でニュースメディアに対する不信があって、これがプロのつくった情報だといくら説明してもなかなか取り合ってもらえない状況があります。

だからこそわれわれ教育者の役割もあると思うのですが、これまで主張されてきた批判的に情報を読み解きましょうとか、自分で情報を発信しましょう、という従来型のメディアリテラシーの次元を超えて、ニュースというのはこういうものなのだという理解を定着させていくことが、ますます求められているのではないかと考えます。

大石

今日は皆さんのお話を聞かせていただいて、大変勉強になりました。有り難うございました。

(2020年6月1日、オンラインにより収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。