登場者プロフィール
伊藤 昌亮(いとう まさあき)
成蹊大学文学部教授1985年東京外国語大学卒業。2010年東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(学際情報学)。企業勤務等を経て15年より現職。専門はデジタルメディア論、社会運動論。著書に『ネット右派の歴史社会学』等。
伊藤 昌亮(いとう まさあき)
成蹊大学文学部教授1985年東京外国語大学卒業。2010年東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(学際情報学)。企業勤務等を経て15年より現職。専門はデジタルメディア論、社会運動論。著書に『ネット右派の歴史社会学』等。
森 千香子(もり ちかこ)
その他 : 同志社大学社会学部教授文学部 卒業塾員(1997文)。2005年フランス社会科学高等研究院博士課程修了。博士(社会学)。一橋大学准教授等を経て19年より現職。専門は国際社会学、都市社会学、レイシズム研究。著書に『排除と抵抗の郊外』等。
森 千香子(もり ちかこ)
その他 : 同志社大学社会学部教授文学部 卒業塾員(1997文)。2005年フランス社会科学高等研究院博士課程修了。博士(社会学)。一橋大学准教授等を経て19年より現職。専門は国際社会学、都市社会学、レイシズム研究。著書に『排除と抵抗の郊外』等。
林 晟一(はやし せいいち)
その他 : 評論家その他 : 都内中高一貫校教員法学部 卒業法学研究科 卒業塾員(2004政、06法修)。中学校・高校で歴史や政治を教えながら、評論を発表。在日コリアン三世。著訳書に『在日韓国人になる』『キューバ危機』(共訳)等。
林 晟一(はやし せいいち)
その他 : 評論家その他 : 都内中高一貫校教員法学部 卒業法学研究科 卒業塾員(2004政、06法修)。中学校・高校で歴史や政治を教えながら、評論を発表。在日コリアン三世。著訳書に『在日韓国人になる』『キューバ危機』(共訳)等。
望月 優大(もちづき ひろき)
その他 : ライター法学部 卒業塾員(2008政)。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』編集長。現在ニューヨーク市在住。著書に『ふたつの日本』『密航のち洗濯』(共著)。
望月 優大(もちづき ひろき)
その他 : ライター法学部 卒業塾員(2008政)。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』編集長。現在ニューヨーク市在住。著書に『ふたつの日本』『密航のち洗濯』(共著)。
塩原 良和(司会)(しおばら よしかず)
法学部 教授塾員(1996政、2003社博)。博士(社会学)。東京外国語大学准教授等を経て2012年より現職。専門は国際社会学・社会変動論、多文化主義・多文化共生論等。著書に『共生の思考法』等。
塩原 良和(司会)(しおばら よしかず)
法学部 教授塾員(1996政、2003社博)。博士(社会学)。東京外国語大学准教授等を経て2012年より現職。専門は国際社会学・社会変動論、多文化主義・多文化共生論等。著書に『共生の思考法』等。
「2023年」という起点
今日は日本における「排外主義」と呼ばれる動きについて、皆さんと討議していきたいと思います。日本の政治的な風景は、7月の参院選あたりから様変わりしてしまったように感じます。「日本人ファースト」という言葉が注目され、参政党のような政党とそれに呼応する人々があからさまに排外主義的な主張をするようになり、いわゆる「外国人問題」がにわかに政治的争点になり、社会にも広がっていきました。
そして選挙が終わり、社会は少し落ち着きを取り戻すかと思いきや、JICAのアフリカ・ホームタウン騒動という常識的には理解困難な現象まで起きてしまう。残念ながらこの半年間で排外主義という言葉をめぐる、メディアスケープ、社会状況は様変わりし、私もついていくのが精いっぱいという感覚でいます。
ただ、もちろんこれは日本国内に限った話ではありません。アメリカのトランプ政権は言うまでもなく、ドイツをはじめ、ヨーロッパのいわゆる極右排外主義的な運動がそれ以前からあります。日本も、悪い意味で諸外国と似たような状況になってしまったのだろうか、とも思います。日本の排外主義的な状況が、こうした世界の動向の中でどう位置づけられるか、という視点もあるかと思います。
まず最初に、今日の日本の状況を、伊藤さんはどのように捉えていらっしゃいますか。
私は今年の4月にクルド人排斥の問題を扱ったNHKのドキュメンタリー番組に出ました。まだ参政党が騒がれる前でしたが、流れ的に言うと、2023年から何かおかしなことになっています。
もちろんそれ以前から在特会(在日特権を許さない市民の会)を中心に歴史修正主義的な動きがありましたが、それは局所的な動きでした。しかし2023年4月からクルド人問題が始まると、Xでの投稿は2年間で約2600万件あり、これはこれまでとは規模が違う数字です。
ちなみにJICAホームタウン騒動は1カ月で400万件です。これは一種のパニック現象のようなもので、これまでの歴史修正主義的、文化的なアプローチとは明らかに違う動きが出てきたと見ています。
クルド人問題についてのネットでの書き込みを分析すると、炎上している時期と落ち着いている時期を繰り返しています。炎上している時期は常に犯罪や治安の問題が挙がっています。どこかの病院で騒動を起こしたとか、犯罪を起こした、といった安全に対する不安の話が多い。
落ち着いている時がまた非常に特徴的で、お金の話、要するに自分たちの税金の行き先の話ばかりです。赤い羽根募金がクルド人に使われているとか、月34万円の補助金が出されているといった話です。このようにお金の不満と安全の不安がずっと繰り返し話題となっている。在特会的な歴史問題や慰安婦問題とは違い、普通の人にとってリアリティのある話が多い。それらの動きを踏まえて、参政党、それからJICA騒動の動きがあるのです。
では、2023年当時に何が起きていたかと言うと、実は円安です。2022年以降、円安が歴史的なレベルまで進んでしまう中で、外国人の観光客や投資家がどんどん入ってくる。アベノミクスでのインバウンド促進政策を進め、労働者と投資家と観光客を積極的に入れるようになってきました。
アベノミクスが始まる前の2012年と比べると、10年間でインバウンドの旅行者は4.4倍。外国人労働者も3倍を超え、投資額のストックも3倍近くになっている。その一方で日本人が外国に行く割合は3割減です。
そのように円安に伴って外国人が入ってくる中、実はSNS上では労働者問題や移民問題より、投資と観光に対しての文句が多いのです。円安とともに景気は良くなり、円安、株高、賃上げ、インフレという動きが起きている。おそらくその中で人々のステータスが二分化されてしまったのでしょう。円安、株高、賃上げの恩恵を受けられる人と、円安が生活苦でしかない人に分かれてしまった。
その傍証が、やはりこの時期から起きている財務省解体デモです。これも2023年から起き、2024年の12月から大きく広がっていった。まさに排外主義と歩調を合わせているかのようです。財務省解体デモも、今年の春頃から、参政党に乗っ取られて、外国人排斥のようなことも訴えるようになってしまっています。
そこに集まっている人たちは、フリーランスや自営業など生活が苦しい人が多く、皆最初は悪いのは財務省だと言っていたのが、悪いのは外国人だと言うようになってきている。
このように2023年頃から、円安が極端に進んだことによって中間層の二分化のようなことが起き、その中で円安のデメリットしか受けていない人たちが、外国人投資家や観光客に対して、タワマンを買い占めているとか、水源地を買っている、日本を守れ、みたいなことを言うような一連の動きが起きている。そして参政党がそれらをアジェンダ化したことで、今年大々的に広がってしまった。ざっとこのような流れかと思います。
ブレーキが利かない層の出現
最初から素晴らしい整理で、議論の土台をつくっていただきました。今の伊藤さんのお話を聞いて、望月さん、いかがですか。
本当に時代が一気に変わってきたのだなと、あらためて感じました。
日本では旧植民地支配に由来するいわゆる「オールドカマー」に加え、1990年代前後から「ニューカマー」と言われる人々が増えてきました。私が認定NPO法人難民支援協会の方々と『ニッポン複雑紀行』を始めたのが2017年ですが、直近の参院選での関心の高まりに比べると、右であれ左であれ相対的には関心が少ない状況だったと思います。だからこそ、いろいろなルーツの人たちが日本に暮らしているということを伝えていけたらと思い、始めた取り組みでした。
その頃に比べて、様々なメディアで移民や外国人といったテーマが取り上げられること自体はかなり増えたように感じていますが、同時に悪い形、今の排外的な形につながるような表象も増えてしまったと思います。様々な発信をしてきた立場からすると、すごく悲しい、忸怩たる気持ちもあります。
昨今、特にコロナ禍以降の変化はすごく大きいと私も感じていて、伊藤さんが言われたように、円安やインフレで構造的に社会が変化してきた部分がありますよね。加えて、日本の場合に重要なのは、安倍政権などの自公政権下で外国人労働者の受け入れが進められてきたことです。
技能実習や特定技能などでの受け入れを加速させつつ、イデオロギー的に外国人の受け入れをよしとしない、より右派的な一部の政治家や支持層からの「それはどうなんだ」という動きを抑えてきた。
しかし、最近では自民党自体の力が非常に弱ったため、これまで抑えてきた部分が抑えきれなくなっているように思います。もともと自民党に票を入れていた人の一部がより右側の参政党に流れ、同時に自民党が大きく議席を減らすという現象です。
もし今回の選挙で、参政党が例えば2議席しか取れなかったとしたら、移民や外国人といったテーマへの注目はここまで高まっていないと思うのですが、世論調査や選挙結果などによって過激な主張が一定の正当性を獲得する と、それ以外の政党もそのイシューに対して何か言わないといけないかのような雰囲気が生まれ、「自分たちもやることはやっています」という形で全体がどんどん右にずれていく。
既存の政党が弱ってより右側の政党や政治勢力が伸びてくるというのは世界的な現象で、アメリカの共和党やヨーロッパ各国の状況にも近いところがあると思います。最近では自民党の総裁、そして首相が高市早苗氏に代わり、一度右側に離れた層を既存政党の側に引き戻そうとしている。
加えて、こうした状況を見るときには差別感情や排外主義などの強い「アクセル」を持つ人にフォーカスしてしまいがちですが、同時に「ブレーキ」が利いていない人にも注目する必要があると思います。例えば、トランプ政権や高市政権の排外的な部分が少し気にはなったとしても、「株価が上がるからまあいいや」みたいな層もかなりいるのではないか。
アメリカでも、ICE(アメリカ合衆国移民・関税執行局)による移民の厳しい取り締まりはやり過ぎだと思っている人は共和党支持層の中でもそれなりにいるのですが、トランプの支持率が下がりきらない。「自分とは違う」と線を引いた人たちの権利や自由は制限されてもしょうがない。そういう感覚の広がりにも危惧を持っています。
ターゲットが移っても続くヘイト
林さんはいかがですか。
安倍政権以降、外国人の定住につながる「移民政策」はとらないということが、各政権で継承されてきました。国民からすると、いつの間にか・・・・・・在留外国人が400万人弱、永住者が90万人を超えていたという感覚があるのでしょう。「え、こんなにいるの?」みたいな国民の素朴な不快感や、だまされたという感覚を醸成してきた政府の責任は小さくないと思います。
在日コリアン(「在日」)としては、2010年代までずっと憎悪の標的だったのが、在日クルド人、ひいては中国人のほうに雪崩を打って移ったことは痛切です。ヘイトスピーチを見ても、かつて在日が受けたような陰謀論じかけの誹謗中傷が、別の外国人に向けられるようになった。文字どおりの既視感を覚えます。
2010年代には、鶴橋、新大久保、川崎などでヘイトスピーチやデモが相次ぎました。2016年にヘイトスピーチ解消法が成立し、在日を標的とするストリート上のヘイトスピーチが目立たなくなる中で、新しい標的に飛びついたという構図でしょうか。
そうすると、在日はもっと飽きられて・・・・・もおかしくないはずです。在日という言葉で示されるのは主に特別永住者ですが、他の永住者が増加するのに対し、30万人を優に切っており、増えることはありません。けれど、Xを開いて「在日」で検索すれば、ぞっとさせる言葉の列が目に入ります。
財務省解体デモでも、財務省と在日の陰謀が結びつけられる場面がありました。もはやコメディです。気に食わない人間や組織を「在日認定」するサブカルチャーが、れっきとした市民権を得たかのようです。今年の参院選のさなか、参政党の代表が、かつて在日に向けられた典型的な差別語を口にしても大きなニュースにならない。
人々はヘイトスピーチの海を遊泳することに慣れてしまいましたが、まずい気がします。コメディはコメディでも、人を虐げ、血祭りにあげて得る笑いは断じて遠ざけたいです。
クルド人をめぐるヘイトについて、2023年が1つの起点になっているとのお話が伊藤さんからありました。関東大震災から100年のその年、松野官房長官が、震災時の朝鮮人虐殺について政府内に資料が見当たらないと発言しました。すでに指摘されてきたとおり、この見解は不正確です。また、その年の末には、コリアンルーツの芸能人が出演した日清食品のCMが炎上し、不買運動がよびかけられました。
歴史否認ととられうる政府や地方自治体の態度に勇気をもらう排外主義者は、少なくありません。在日の数が減る中、「在日認定」があたかも大喜利のように消費され、むきだしのヘイトスピーチがネット上に飛びかうという、いささか皮肉な状況を観察しているところです。
「排外主義」で攻撃される人とは?
確かに日本人ファーストには、「おまえ本当は日本人じゃないだろう」という他者をあぶりだす意図が込められていますよね。いわゆる在日認定的な論理というのが見え隠れしている。そこには言説的な連続性がとてもあると思います。
他方、望月さんがおっしゃったように、ブレーキが利かなくなっているのも確かにその通りです。暴走している人たちは昔から当然いたわけですが、誰もブレーキを利かせられない状況になってしまっている側面もあるかもしれません。
森さんはしばらくヨーロッパに滞在されていてちょうど帰ってこられたところですが、どのように日本の状況を思われましたか。
日本の状況は、ヨーロッパでもかなり報道され、すごいことになったなと思っていました。帰国すると、やはり想像を超えた変化があるなと思いました。友人や職場の同僚、学生で、外国籍の人たちがとても恐怖を感じている。その人たちから、本当に変わってしまった、すごく怖いと言われ、深刻さを理解するようになりました。
やはりすごく驚いたのは、いろいろな人が論争に参戦していることです。先ほど伊藤さんが話されたボリュームの問題もあると思うのですが、何か質的な変化があったのだなと感じます。
排外主義の拡大は、フランスでは40年以上前から起きてきました。この問題は排外主義に傾いてしまう人たちの心情に議論が集まりがちですが、その一方で排外主義の標的にされ、恐怖を感じている人たち、被害者や被害者になり得る人たちへの影響を、もっときちんと議論する必要があると感じます。
つまり、排外主義によって恐怖を抱いている人たちをどのようにサポートするのかを議論の中心に据え、これまで以上に考えていかなければいけないと感じさせられます。ヨーロッパでも、排外主義の言説が拡散していく中で、排外主義の標的にされる人たちがメンタル、あるいは身体や健康、また人生設計の点などで、本当に計り知れないダメージを受けていることが研究で明らかにされてきました。
また排外主義と言っても、すべての外国人が攻撃対象になるわけでもない点に留意が必要です。私は京都に住んでいて、インバウンドの力をひしひしと感じていますが、最近、中心部は欧米からのツーリストの遊び場になっていて、地元の客が全くいない店もあります。では排外主義者がそういった白人ツーリストを攻撃するかと言えば、必ずしもそうならない。いわゆる人種間関係とか、様々な力関係の中で弱い立場に置かれた人たちに排外的な感情は向かっていく傾向があります。
先ほど伊藤さんから財務省解体デモとの接続という話がありました。排外主義と言うと、外国から来る人やものが自国にとって脅威になっていると考える見方だと一般には考えられがちですが、その捉え方は十分ではありません。排外主義者が日本人ファーストと言う時、そこに入る「日本人」というのは、日本国籍を持つ人全員ではない、という点には注意が必要です。
フランスの排外主義者たちがターゲットにするのは、一部の移民たちと、移民を擁護する人たち、左翼、あとは貧困層です。その視点に立つと、日本で2010年代ぐらいから広がっていった生活保護バッシングも、現在拡散する排外主義と地続きだと考えられる。つまり排外主義とは外国人だけを排除するのではなく、内なる敵をつくり出して排除しようとする思想であり、そのなかには日本人も含まれる、という点を理解することが必要です。
「怖さ」の可視化と味方の退場
本当に様々な論点が出されたと思います。まず伺いたいのは、当事者の視点についてです。確かに恐怖を感じるのは外国籍の方だけでなく、今まさにおっしゃっていただいたように様々な形でターゲットになり得る人々がいるのだと思います。
日本国籍を持っているのに「本当の日本人ではない」と言われたり、「愛国者ではない」とカテゴライズされる人にも影響は及んでいる。それこそ「本当は日本人ではないんだろう」と言われかねない人々に与える心理的、また実際の悪影響があると思います。望月さんいかがでしょうか。
林さんもおっしゃったように、最近の変化もある一方で、もともと日本は冷たい社会であったし、当事者からすれば様々な時に感じる怖さというのは今までもあったと思うのです。同じ「外国人」と言っても人によって見た目も違い、体験のあり方も違うと思いますが、電車の横の席に誰も座らない、色々な言葉の暴力を受けてきたといった個々人にとっての経験は、昔から変わらずあったものです。その上で、今のSNSの状況では移民や外国人に対する攻撃やヘイトがより可視化されやすい状況になっていて、当事者の方に与える悪影響が増しています。
加えて、例えば2010年代などに、マイノリティの境遇や差別の状況を理解し、ともにそこに立ち向かおうという形でSNSなどをやっていたマジョリティ側の人はたくさんいると思うのですが、そういう人の一部が「おまえは外国人の味方をして裏に何があるんだ」といったような攻撃を受け、徐々に退場する流れもあるでしょう。
継続的に発信し続けられる人ばかりではないのは仕方がないことだと思いますが、当事者からは、味方は増えていないのに敵ばかり増えていくような感じに少なくともSNS上では見えているかもしれません。
同じマジョリティの中にも、排外主義のアクセルを強く踏み込む人もいれば、ブレーキがそんなに利かない人もいる。そして、ブレーキを利かせたいけれど恐れが勝っている人もいる、ブレーキを踏み続けている人もいる。そうした構造のあり方が全体的に悪い方向にずれていく状況をどう変えられるのかを考える必要があると思います。
家庭の中で立ち現れる排外主義
バックラッシュの中で口を閉ざしてしまいかねない人がいる。アライ的な立場に立つことが難しくなっているということですね。
伊藤さんにここでお伺いしたいのは、身近な人が突然排外主義化する、ネトウヨ的な言動を始めるという話をよく聞きます。このあたりはどのように考えればいいですか。
テレビの別の番組で、親がネトウヨになったという企画をやっています。こういったケースは本当に多くて親だけではなく子どももそうです。つまり、路上にこれだけ右派のレイシストが出てきたということは家庭の中にも当然いるわけです。
聞き取りをすると、家庭の中の事情が大きいことがわかります。親が左翼だったので反発して右翼になったとか、あるいは妻と娘が2人ともフェミニストで、家の中でお父さんの居場所がなくなってレイシストになってしまった例もある。そういう家庭の中での孤立などが原因という例は結構多いのです。
これからの私たちの戦いは、路上ではなく家庭の中で行うべきなのではないかという気がしています。しかもこれは戦いではなくて対話です。家庭の中で、なぜそのような思いをしてしまうのか。1つ1つきちんと議論をし、家庭の中で理解し合いながら、対話を続けていく必要があると思います。
実は、参政党的なアジェンダというのは非常に強い。要するに「普通の人たち」であることを強調する議論が非常に多いのです。何かの原因があって、「普通の人たちであるあなたたちが苦しんでいるんだ」という論理です。
例えば参政党は主婦の支持者がとても多いのですが、「専業主婦でいいんだよ」みたいなことを言ってくれるわけです。「普通の日本人であるあなたは大変だけど間違っていない。あなたを助けるよ」みたいに言って、普通でまともで、真ん中にいる自分たちみたいなことを強調し、そこに自信を持たせてくれる。すると孤立している人たちは簡単にそれを真に受けてしまう。
参政党のアジェンダは、もともと表面的には結構左派的なのです。積極財政をやるとか、子育てに10万円あげるとか入口はとてもまともなのです。そして、まともなものが周りから攻撃されているんだという話にする。外国人が日本を侵略して、メガソーラーをたくさん敷き詰め、日本のエネルギーをのっとっているというような話です。そこで、「そうだよね」と思ってしまう人が結構多い。そういう現象が家庭の中で起きている。いきなり極右になるという話ではないのです。
参政党が極右だと思っているのはわれわれだけです。当人たちはまったく右翼だとも排外主義者だとも思っていない。ただ自分たちの安全な生活が脅かされているので、それを守りたい。そして自分がいろいろな意味で不当な扱いを受けて孤立しているんだという感情を喚起させられている。
こういうことが、「普通の人」の中にすごく浸透しているのです。それをある特定のインフルエンサーがレイシズムに結びつけ、盛り上げて皆が対象者を攻撃する。これをものすごく普通の人が普通にやっているのです。
支持者は本当に普通の人たちです。自営業の方とか寄る辺がない、あるいは家庭の中で孤立してしまっている中で起きている現象です。これらをまとめて見ると排外主義に見える。実際、被害者も生じてしまうのですが、1人1人の心の中では攻撃しているつもりはない。そこがやはり恐ろしい部分です。
インフルエンサーの扇動による攻撃は加害者1人1人の中の当事者性から発しているのですが、被害者の当事者性は全く見えていない。自分自身は普通の当たり前のことをやっていると。それが被害者にとってどんなことになるかは全く想像がつかない。やはりSNSの中では被害者の複雑な当事者性みたいなものは見えないんですね。
参政党のタウンミーティングで話を聞くと、おれたちはサークル活動をやっているんだ、みたいなことを言うのです。ネットワークがない人たちが、自分たちを救ってくれるからと集まってくるみたいな。それが集積してこういう形になってしまっている。最初からレイシストがいるわけではないのです。
そういった加害に結び付く行動を防ぎ止めるのは、家族内の対話、あるいは近隣との対話だという気がします。
上からの排外主義
森さん、今のお話を聞いていて、フランスあるいはヨーロッパの状況との対比という点ではいかがですか。
最初から排外主義者やレイシストではない、というところには共感して伺っていました。何か現状を少しでも良くする上で、そこは出発点として大事だなと思います。
フランスの状況は本当にいろいろなケースがあります。昨年、岩波の『世界』でも書いたのですが、農村でも極右の支持が広がっており、衰退した地域で生き延びるため、コミュニティに居場所を確保するために極右であることがまともな人間の証となるような状況もあります。
その一方、フランスは40年前と比べて、極右の主流化が大きく進んでいます。その中で従来、極右を批判してきた中央政府の中に、極右が主張してきた反移民的政策や排外主義が浸透している点も捉えることが大事です。
フランスで最近注目されているのは、いわゆる億万長者で極右思想を支持する人たちがメディアなどで影響力を広げていることです。例えばヴァンサン・ボロレが次々とメディアを買収し、これまでのフランスの大手メディアには出てこなかったような言説が当たり前と化しています。テレビ局、ラジオ局、大手の出版社グループを買い取ることで、メディアへの極右の影響を拡大しています。これはアメリカのトランピズムの中の、ビリオネアたちともつながると思いますが、こういったメディアを通した「上からの排外主義」も看過できないでしょう。
「上からの排外主義」といえば国家による排外主義も重要な論点です。フランスで継続的に排外主義のターゲットにされてきたのが、旧植民地出身のムスリムです。ある時期までは、フランスに同化するいいムスリムとそうでないムスリムがいる、というような政策を行ってきたのですが、2015年の同時多発テロ事件以降、大きく状況が変わってきました。
1つ例を挙げると、これまでフランスのムスリム差別の数を集計する、反イスラムフォビアの会という市民団体がありました。全くラディカルでなく、単に差別の集計をし、差別を受けた人の法廷闘争の支援をしている団体でした。しかし数年前、その団体は国家によって解散に追い込まれました。
このように大手メディアや国家による上からの排外主義が、草の根の排外主義にお墨付きを与えるという構図を見ることも大事です。実際、フランスでは国家の排外主義が強まる中、今年もモスクでの信者殺害事件などヘイトクライムが起きています。
まさに日本でも、政府は「外国人との秩序ある共生社会」の名の下に、排外主義とは一線を画すると言いつつも、国益に資さないと見なされた外国人の排除を進めていますね。また政治家による「犬笛」というキーワードも注目されています。
「日本人」とは誰か?
林さんにお伺いしたいのですが、伊藤さんが言われた、家族の中の差別や排外主義というのは在日コリアンの生きてきた現実の中では、結婚差別などに代表されるように、遍在するテーマだったわけですよね。家族関係の中で生きづらさを抱えている人々が、サークル活動感覚で自分らしさを取り戻し、それが排外主義につながっていく、という先ほどの話は在日の今まで歩んできた歴史から見て、どのように考えればいいのでしょうか。
私は小中高と日本の公立校で学んできました。幼少期は親族に、朝鮮語をちゃんと覚えろ、民族意識を高めろと説教されていました。それがいやで仕方なかった私は、「朝鮮的なるもの」を避けながら10代を過ごしました。
その経験をふまえて在日が置かれた現状を見ると、排外主義的言動に触れ続けた在日が、コリアンであることを自覚させられる・・・・・契機が増えていると感じます。コリアンであるとあまり意識してこなかったけれど、それを本質的に捉え直す人もいるでしょう。けちんぼうなヘイトスピーチに負けないためにも、民族アイデンティティを再構築しようとする人がいてもおかしくありません。それがいいか悪いかは別として、とくに、指先でソーシャルメディアを使いこなす若い在日にとっては、つらい局面が続いています。
一国の政治を担う以上、「日本ファースト」はむしろ当たり前でしょうが、「日本人・ファースト」が争点化するとなると、胸がざわつきます。問題は、そのスローガンの下で掲げられる提案が、多かれ少なかれ陰謀論や誤った情報に基づいていることです。外国人の「公金チューチュー」だとか、生活保護の受給世帯は外国籍が30%を超えているとか(実際は3%未満)……。挙げればきりがありません。
私は、かつて「朝鮮」籍から韓国籍へ変更した在日コリアンです。ヘイトスピーチはたしかに傷つきますが、誤解を恐れずにいえば、傷つくことへの心の準備があるといえばあります。戦後日本で飛びかってきたヘイトスピーチの長大なリストに、新奇なフレーズが加わったな! とか、時代をドライに観察する心の余裕を失いたくないなと思っています。
私が一番痛切に感じるのは、日本国籍のもと日本人として育ってきた、日本語ネイティブのミックスルーツの子どもたちのことです。「私は、日本人ファーストの「日本人」の中に入っているのだろうか?」そんな実存的な不安を強める子は多いと思います。
参政党の新憲法構想案(第19条)には、「帰化」した日本人に関する差別的条文が掲げられています。日本人ファーストを唱える人たちが考える普通・・の日本人から、こぼれ落ちそうな人がいる。その人たちがむやみやたらと煽られる焦燥感は、察するに余りあります。たぶん多くの人は、ふだんと同じ元気をよそおって日常を送っているでしょう。でも家に帰ったら、ホッと胸をなでおろす日々かもしれません。日本人ファーストや排外主義のカジュアルな共感者は、当然、その人の生活圏内にもいるでしょうから。
私などは、かつて確信犯的な「同化」主義者でした。今でも日本人と手を取りあって生きる毎日だし、国民ではなくとも市民の1人として、簡単に日本を見限りたくない。普通の日本人からこぼれ落ちそうな人たちも、ある種の中途半端な立ち位置、どっちつかずの日々を、何とか生きているかもしれません。民族アイデンティティが先鋭化しやすく、白黒はっきりつけろと迫られる時代に、そういったやせ我慢の中庸を維持する人こそ、支えていかないとだめだと私は思います。
中途半端と言いますが、まさにそこがいわゆる「共生」というものが目指してきたところでもあるわけですよね。対抗言説に振れるわけでもなく、もちろん排外主義でもなく、その中間的なものを目指していこうと。「中途半端さ」を肯定的に評価していこうという感覚がどんどん持ちづらくなっているのは私もとても感じます。
私の慶應での授業をミックスルーツの学生が履修してくれることも多いですが、授業中の発言や課題レポート、授業を聴く際の表情から、彼・彼女たちの生きづらさが垣間見える瞬間も増えたように感じます。
望月さんはどう感じられていますか。
「日本人」という言葉や概念は多義的で、日本国籍のような制度的な部分と、見た目や言葉などに関するイメージの部分とで、重なったり重ならなかったりすることがあると思います。
その上で、日本社会で起きている変化の実態から考えれば、まず日本国籍という意味での「日本人」の範囲をもっと広げられるようにしないといけないと思います。現在の国籍法は血統主義で、外国籍の親同士だとその子どもは日本で生まれても日本国籍になりません。ここを広げる方向にしないといけないし、ほかの国でも例えばドイツではそのように変えてきました。
日本ではそうした制度的な変化を実現してすらいないのに、その段階で早くも参政党的なものが出てきてしまった。アメリカではトランプが出生地主義をやめたいと言って、時計の針を巻き戻そうとしていますが、制度的にはその巻き戻った先にあるのが日本です。
参政党は帰化してから3世代を経るまでは公務員になってはいけない、みたいなことまで言い始めています。日本ではもともとの土台が低いところから始まっているのに、そこに世界で広がるバックラッシュの流行を取り入れてしまえば、むしろより悪い状況になってしまう可能性もあるでしょう。上からの排外主義のあり方について言えば、参政党のような極右政党がアウトサイダー的な立ち位置から政府や与党に圧力をかけて政策が変わるということが日本でも起きないか懸念される。同時に、アメリカのように極右が権力のど真ん中に入ってしまい、様々な政策が直接実行される形になるとやはり桁違いのインパクトがあると、今のアメリカ社会を見ていて感じます。
先日、チャーリー・カークというトランプ政権に非常に近い保守派の活動家が暗殺されましたが、その後カークに対してSNSで批判的なことを書いたりした人々を政権側が取り上げ、名指しで犬笛的に攻撃して黙らせようとしています。加えて、同じ理由で政府の職員を辞めさせたり、発言者が外国人の場合には、ビザを取り上げるという形で、国家が直接的に権力を使うということまでやってしまう。
アメリカもここまで来るのが本当に早かったです。トランプの2期目が始まってからまだ1年も経っていませんが、その短い期間でここまでのことをやれてしまう、そしてそれでも一定の支持は揺るがないんだということをトランプ政権は見せつけている。日本でも、アメリカではこういう形でうまく行っているんだからと、同じような変化を起こそうとする動きを懸念しています。
排外主義に抗うために
ここまでの議論をまとめると、排外主義には自分のことを「普通」だと思っている人々が、ある種の生きづらさの回復を求めるという側面と、オーガナイザーやインフルエンサーまたは政治家や億万長者が、それを上手く扇動、動員していく側面がある。それをきちんと区別する必要が、分析的にはある。それを一枚岩的に捉えて、全部極右なんだとか、逆に全部普通の人なんだ、みたいな見方ではいけない。
それに加えて、自分のことを「普通」だと思っている人の日常的な排外主義とどう対話していくのかという面と、制度的に行われる排外主義にどう対抗していくのかという面を両方考えていく必要がある。
そこで、これから共生に向けてどんな糸口、打開の方向性があり得るのかというところに話を移していきたいと思っています。
最初に伊藤さんが、炎上する時は、安全とか治安への不安のようなものがあり、落ち着いている時は福祉ショービニズムが出てくると言われていました。セキュリティの問題と福祉排外主義というのは、ヨーロッパで出てきた流れだと思うのですが、フランスなどではそれに抵抗してきた人々の歴史も長いと思います。森さん、フランスで排外主義に対抗していく側の状況や戦略は、現在どのような感じでしょうか。
塩原さんの整理を伺って、2つあります。今の政治は、例えばアメリカではトランプ政権となり、フランスでも議会は極右が大きな影響力を持っています。しかし、同時にこのような政治状況と社会の間には少しギャップがあるようにも思います。
フランスでは90年代から毎年パネル調査を行っている全国人権諮問委員会が寛容度指数を測る報告書を毎年出しています。興味深いのは、その調査が始まった35年前と比べると、政治的には極右が明らかに勢力を拡大しているのに対し、他者への寛容度は、90年代よりも今のほうが高まっているという結果が出ていることです。
例えば自分の子どもが黒人と結婚することを受け入れるかという質問や、外国人に参政権を認めるべきであるかという質問に対しての回答で、その指数は90年代初めは50だったのが、フランスで極右が大躍進した2022年には、過去最高の68になっている。このように政党の得票率と社会の間には、必ずしも同じ動きが見られないところが興味深いと思います。
ミックスルーツの若者が日本でも増えてきているという話がありました。実際フランスでも、50年前に比べると、国際結婚も増え、ミックスルーツの人の数が飛躍的に増えている。排外主義政党の勢力が拡大している一方で、社会のほうは、例えば黒人と白人のカップルが当たり前になってきている現実も同時にあるわけです。これは程度の差こそあれ、日本の現実とも重なる部分があるのではないかと思います。
大学の授業でディスカッションすると、排外主義的な発言を堂々とする学生も出てきます。しかし同時に、自分が大学生の時にここまできちんと考えられていたかなと思うくらい共生や反差別について深く考えている学生や、多様なルーツを持ち全然違った角度から発言する学生もいます。
それから2つ目ですが、伊藤さんのお話に円安で儲かった人とそうでない人の格差の話がありました。今、大都市部では、本当に不動産価格が上がり、住宅難が深刻化しています。中間層の解体ということが、大きな問題としてあると思うのです。
排外主義の政治というのは、非常に安いコストで人を引き付けられると思うのですが、同時に、社会的な政策とか、人々がより生活の状況を改善できるような、社会政策を求めるような運動も、大都市レベルでは起きています。特に過去十数年あまり、パリやベルリン、ロンドンなどで、住宅問題が1つの市長選の争点となり、進歩的な勢力が選挙で勝利する現象が起きていることには注目しています。
その点、今ニューヨークで起きているゾーラン・マムダニのニューヨーク市長選でのアフォーダビリティ(住宅などを適正な値段で買えるのかということ)を軸にした運動は本当に世界的に注目されています(※その後の市長選でマムダニは勝利)。
大統領選でトランプ支持に転じた人たちに話を聞きに行くという彼らがつくったビデオがすごく面白い。そこでマムダニが話を聞きながら、トランプに投票した人たちの言説を排外主義から生活の質の改善のほうにつなげようとする試みが垣間見えます。
国レベルの政治だけを見ていると、そういった動きもなかなか見えてこないのですが、ローカリティに注目するとさまざまな試みが行われています。ローカルな転回によって新しい地平を切り開くことが重要でしょう。
政策利用される排外主義
寛容性に関してですが、左右というのは文化の問題と経済の問題の2つがあると思います。経団連などは文化的にはリベラルで、多様性を積極的に受け入れようとしている。労働力として必要ですから。一方、経済的にはネオリベ、右側です。これが実は日本の主流で、若いビジネスマンなどは、文化的にはリベラルでかなり多様性についての寛容性も高い。一方で経済的には再分配に賛成しない。こういった堀江貴文やひろゆきの路線が基本的にずっと主流だった。
ところが今、この路線についてこられない人たちがたくさん出てきてしまっている。ネオリベというのは、多少なりとも競争しなくてはいけないし、投資もしなくてはいけない。しかし、投資の元手もないみたいな人たちが発生し、反ネオリベに行き、経済的には再分配派になるのです。積極財政です。それで文化的には非常に不寛容になってくる。若い人たちの中にネオリベ型の人と、参政党型の人、両方が出てきてしまっている気がします。
そういう意味で、この寛容性の問題は非常に複雑で、文化の問題と経済の問題の両方を考える必要がある。そうした中、参政党や高市さんは、排外主義を一種の経済政策の中で上手く利用するのです。つまりいわゆるローワーミドルにフォーカスする。貧困層ではなく、中間層の中でも下のほうです。高市さんは、生活保護より少し上の人たちを助けるために、むしろ生活保護受給は厳しくすると明確に言っていました。このローワーミドル層というのは大変大きなボリュームゾーンで、そこを票田にしようとしているのが参政党であり高市さんです。
この背景にはローワーミドル層が苦しんでいるという状況がある。なぜ苦しんでいるかと言うと、中間層の二分化によって、アッパーミドル層が儲かり新しい富裕層がどんどん出てきている。そこから税金を取るスキームがないので、全く放っておかれて、アベノミクスなんかはまさにそこを育ててきたわけです。しかし、そこではなくて、ローワーミドルを票田にしようとすると、排外主義は大変利用価値がある。
しかしこれは経団連的にはプラスではない。つまり労働力として女性も高齢者も外国人も必要です。文化の問題と経済の問題があり、経済的な面でいろいろなアクターを組み合わせていった時、この排外主義がどう利用されているかを確かめることが重要です。
社会運動・メディア運動として排外主義に抵抗していく萌芽が見出せるとしたら、今の日本ではどのあたりになるのでしょうか。
社会運動は、私はSNSより、今、むしろテレビ局や新聞社といったオールドメディアの人たちが、この問題に対して強い意識を持っていると思います。
これは昨年の兵庫県知事選挙の際、テレビ局の人たちが、「マスゴミ」と無茶苦茶叩かれたことからきています。私も様々な新聞やテレビ地方局の人たちと議論をしてきましたが、マスメディアの人たちの取り組みは、単に排外主義という問題だけでなく、マスメディアは一体何ができるかと、危機意識を持っている人が多い。
昔、在特会が流行っていた時、NHKの人に、なぜ取り上げないんですかと聞いたら、あれはちょっと汚くて、みたいなことを言っていた。しかし、今は違います。排外主義の問題をテレビではどう表現するのか、新聞ではどう表現するのかと、メディアの人たちが危機感を持っていろいろ考えています。そこは1つの新しい動きなのかなと思い、いろいろと動いていく可能性はあるのではないかと思います。
確かに私も、伊藤さんほどではないですが、最近は取材を受けると、皆結構真剣で、しかも若い記者さんが多く、何とかしなければいけないという熱意を感じます。オールドメディアの逆襲みたいな話になっていくのかもしれませんね。
教育現場から考えること
次に林さん、どこに打開策、あるいは可能性を見出すのかということで、本職である教員というお立場からは、いかがでしょうか。
学校は社会の縮図ですから、当然、生徒のルーツは多様です。一方、教壇に立つ教師は日本人であるべきだという規範が、公教育の業界では根強いです。ごく一部の自治体を除いて、外国籍者は公立校の「教諭」とはなれず、「任用期限を附さない常勤講師」として働いています。
私自身は私立校に勤務する「教諭」として、やれることをやろうと思っています。生徒にとっては、私が最初に出会う外国人かもしれない。それがろくでもない教員だったら、外国人全体への悪いイメージにつながるのではないかという恐れがあります。生徒に対し下手に出るという意味ではなく、どうしても八方美人であろうとしてしまうんですね。外国籍教員への信頼がそこそこ厚ければ、ミックスルーツの生徒にも、めぐりめぐって自信を与えるかもしれませんし。
もちろん、こんなプレッシャーを抱えてしまうこと自体、マイノリティが抑圧されている証なのでしょう。それでも、生徒たちが大人になった時、「あんなおもしろい先生もいたな」と思い出してもらえれば、未来の外国人嫌悪をやわらげる一服の鎮痛剤となるのではないか。「教育は未来への投資だ」と言われますが、それはマイノリティ教員にとってより重く響きます。
大人がいまだに「ガイジン」と使えば、子どもだって平気で使います。地元が「ガイジン」に乗っ取られるといった話題は、どの学校でも休み時間に見聞きするものでしょう。大人が話題とする以上、そういったせりふは気軽に、悪気なく飛び出します。同調してうなずくのではなく、安直に非難するのでもなく、一体自分には何ができるのだろうかと考えておきたいです。
教育ともつながる評論の仕事のほうでは、まっとうな・・・・・議論を積み重ねるしかないなと思っています。『三田評論』を含め、名だたる論壇誌といえども、威勢のいい排外主義者はほとんど読まないでしょう。だからといって、インプを狙った極端な議論の量産では、明日は暗いままです。まっとうな議論はしばしば地味で、派手さがない。けれど、積み重ねたほうがよっぽどましです。遅効性に希望を見出したいですね。
私の好きな言葉に、「アンチよりオルターを」(ガッサン・ハージ)があります。日本の文脈に置いて、私なりにこう解釈しています。排外主義への対抗心をむきだしにして鬼の形相で極端化するのではなく、怒りの炎を絶やさない中でも赦せるところは赦し、別の得策をみんなで探る。私たちは、社会という校庭で行われる体育祭で、二人三脚をやっているようなものです。気に食わないペアであっても、その人が転べば自分も転ぶ。ただでは転ばないためにも、いっしょに頭を悩ますほかありません。
排外主義を唱える政党の支持者たちとの回路さえ、できることなら閉ざしたくありません。一緒に食事する機会に恵まれれば、鍋を囲みたいです。わかりあえることもほんの少しはあるかもしれない。ヘイトスピーチの泥水を浴びせられるだけかもしれない。それでも、たとえけんか別れとなるにせよ、「わかりあえないことがあるね」とわかりあえるかもしれません。
カギとなる経済の部分
望月さんにお伺いしたいのは、まず森さんが言われたニューヨーク市長選の動きをどう考えるかという話。
もう1つ、今の林さんの議論の続きで、加害者側の当事者性は前面に押し出されつつ、被害者側の当事者性に対する想像力がますます欠如していく。そういったマイノリティ側の人々の当事者性の置かれた複雑さがあると思います。そこはまさに望月さんが『ニッポン複雑紀行』の中で取り組んできたことにつながっていくわけですよね。あらためて、どのようにお考えでしょうか。
森さんがおっしゃったマムダニがトランプ側にスイングした地域で撮影した動画を私も見ました。主な話題はアフォーダビリティの話と、ガザの話です。生活費の高騰に苦しみ、経済面での期待を理由にトランプに投票した人々も数多くいる中で、「アフォーダブルなニューヨークに変えていく」というメッセージを進歩派の立場から強く打ち出し、支持を広げています。
同時に、やはりニューヨーク特有の事情もあるとは思います。この街には若くてリベラルな学生がたくさんいる。また、移民同士の子どもが日本国籍を持てない日本とは違って、アメリカの場合はアメリカ生まれの子どもがアメリカ国籍になるため、移民ルーツの人々が投票でき、しかもニューヨークの場合はその票が相当な数に上ります。マムダニ自身のルーツもインドやウガンダにありますが、様々なアジア系などいろいろなルーツの人たちがマムダニの背後には集まっている状況です。
一方の日本を見れば、ニューヨークのような都市部がリベラルや進歩派の強固な牙城となっているアメリカとは違って、自民党総裁選の結果からもわかる通り、高市氏はむしろ都市部に強い。東京の小池都知事を見れば、関東大震災時の朝鮮人虐殺から意図的に目を背け続けているという状況で、ニューヨークとはかなり違います。日本の都市部が政治的にどう変わっていくかはこれからの日本にとってすごく重要です。移民2世以降の人たちが日本国籍を持つような形に制度を変えていくことも、そこに影響すると思います。
少し危惧しているのは、アメリカでは株を持っている人の比率が非常に高いことです。半分以上が何らかの形で株などを持っていると言われていて、富裕層や中間層にとどまりません。例えばウーバーなどの運転手は移民の人が多いですが、地図アプリの隣で株のアプリを開けっ放しにして、ひたすら短期売買を繰り返しているのを見たこともあります。生活が大変な中、細かい取引で追加的に稼ぐのも重要という世界観が浸透している社会では、政治家が「アンチビジネス」的に捉えられると、それだけで支持を失いかねない。
昨年の大統領選挙でヒスパニックや黒人の間でトランプ支持の割合が増えていった背景にも、そうした状況が無関係とは思えません。最近では暗号資産も広がっていて、トランプ政権も注力しています。トランプ政権で自分の資産が少しでも増えるなら、非正規移民がひどい目に遭おうとも許容してしまう、そんな力学はないでしょうか。
日本でも賃金が上がらない、ならばNISAなども使って資産形成しようと言われています。日経平均が今年だけですでに2割も上がっているわけですから、金融資産を持っている人が増えていく中で、そういうものの吸引力はすごく強いはずです。心の中にやんわりとリベラルな考え方を持っている人が、金融面の動機ではがれ落ちていく懸念はあると思っています。
「オルター」をどこに見出すか
被害者の当事者性についてですが、私はこれまで当事者のインタビュアーという形でできるだけ生の声を届けてきました。それはこれからも続けていきたいし、できるだけ多くの人に読んでもらいたい。同時に、本人の名前出し、顔出しで複雑な現実を届けることの難しさが増しているのも事実です。
世界で流行している極右的な言説のパッケージでは、移民も、トランスジェンダーも、生活保護利用者も攻撃する。社会全体のために政治をするのではなく、半分を敵に回しても、残り半分が票をくれさえすればいいみたいな思考になっている。排外主義的な動きによる被害者の捉え方を広げてつなげていくことも重要だと思っています。
自分が受けている被害をそれぞれが見出しつつ、それを別の誰かに対する加害に転換させない。そういう形の政治や情報発信につなげていくことができれば、希望があるかもしれません。
「オルター」という言葉を林さんに出していただきました。まさに排外主義の政治的な利用価値に対抗するような、政治的、社会的オルタナティブをどう立ち上げていけるのか。今の投機的な資本主義のあり方がそもそもの問題なのだとしたら、ポスト資本主義のような方向性を構想し得るのか。そういう大きなオルタナティブをどこに見出していくのかを考えなければいけないと思います。
それと同時に、家族内も含めてまっとうな議論と日常的な対話を積み重ねていくことの大切さという問題提起もありましたね。もちろん難しさもある。鍵となるのは、むしろ自分の中にある自己の内なる複雑性でしょうか。自分の中のマイノリティ性、あるいは傷つきやすさのようなものについての気づきから、他者とつながっていく回路を探していく。そのための地道な対話の繰り返しが必要だということでしょう。
大変実りのある話ができたかと思います。本日は有り難うございました。
(2025年10月21日、オンラインにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。