執筆者プロフィール

山内 慶太(やまうち けいた)
看護医療学部 教授
山内 慶太(やまうち けいた)
看護医療学部 教授
2020/06/05
2020年、統計的思考を重視する教育への転換
近年、ビックデータの時代と言われる中で、統計学、並びに学校から社会人に至るまで統計教育への関心が高まっている。『三田評論』でも2014年11月号の特集は「統計学が未来をひらく」であった。更に人工知能、いわゆるAIへの期待と相まって、益々、データを活用し、問題を発見し、解決する能力が問われるようになって来ている。
そのような中で、この2020年4月は大きな転換点となった。新しい学習指導要領では小学校から高校に至る統計教育が再構築されたが、それに基づく新教科書が、今春、全国の小学校で一斉に使われるようになったからである。筆者も港区の教育委員として区立小学校で使用する教科書を採択する為に、全出版社全学年の教科書の読み比べをしたが、時代の転換を実感するものであった。また、開設の責を負った横浜初等部では、論理的思考力の基礎として、数の言葉も含めた「言葉の力の教育」を3つの柱の1つに据えており、更に大学院における医療マネジメントの教育研究では、探索的・対話的なデータ解析の応用を企図して来た。それだけに、ようやくこのような時代になったのかと感慨深いものがある。
従来の教育を受けた人にとっては、統計教育と言うと平均や確率等の計算方法を練習をした記憶が中心かもしれない。しかし、新学習指導要領の算数科では、分量が増えるだけでなく、むしろ内容が転換して、「統計的な問題解決」が強調され、その方法を学んで「問題に対して自分なりの結論を出したり、その結論の妥当性について批判的に考察したりすること」、「生活や学習に活用する態度を身につけること」が謳われている。実際に、新教科書では、問題解決の為の話し合いが展開しやすい題材を選ぶ工夫がなされている。更に象徴的なことは、「統計的探究プロセス」とも言われるPPDACサイクルが取り上げられていることである。Problem(身近な課題の明確化)→ Plan(集めるデータとその集め方の検討) → Data( データの収集)→ Analysis(表やグラフを作って分析しパターンを見出す)→ Conclusion(最初の課題への結論と新たな課題の提示)のサイクルを回し続けるという思考方法である。このサイクルが示すように、単なる統計手法の習得ではなく、統計的思考、あるいは科学的な問題解決プロセスの思考の教育が重視されるようになったことに大きな意味がある。実は、この思考プロセスは21世紀型スキルの核として世界の統計教育では重視されて来たものである。
福澤先生と統計学の関係は今までも論じられて来たが、ここでは特に統計的思考という観点から考えてみたい。
「実学」に見られる科学的探究の思考
福澤先生が日本の統計史の緒をなし、また大切な役割を果たしたことを最初に指摘したのは、杉亨二の下で統計学を学び、呉文聰(くれあやとし)の跡を継いで義塾で統計学を講じた横山雅男であった。横山は、日本で最初にstatistik に対して「政表」と訳語を当てて翻訳出版されたのが、『万国政表』(岡本節蔵〔後の古川正雄〕訳、福澤の校閲として出された世界各国の統計資料集)であること、小幡篤次郎をはじめ門下生が多数参画して統計協会の創立に至ったこと、大隈重信の建議で政府に作られた統計院に矢野文雄、牛場卓蔵をはじめ門下生が参画したこと、統計の応用の事業の1つである生命保険業の嚆矢となったのは阿部泰蔵が興した明治生命であったこと、等をあげている。このような事蹟についての研究は近年益々精緻になされるに至っている。
しかしながら、福澤先生が単に統計資料の移入や作成活用のみならず、冒頭に述べた統計的思考に通じる思考方法をも当時既に唱道していたことに注目する必要がある。
例えば、『学問のすゝめ』初編で「実学」を説明している箇所がある。「専(もっぱ)ら勤べきは人間普通日用に近き実学なり」という有名な一節のある部分である。この一節のみが切り出され、「実学」が単に役に立つ学問であるかのように誤解されることがあるが、この先を読み進めると、
「一科一学も実事を押え、その事に就き、その物に従い、近く物事の道理を求て今日の用を達すべきなり。」
とある。つまり、どんな学問でも、まずは事実や現象を観察して、その客観的事実に基づいて、事象の背後にある理論や法則を追求し、それを日常の生活に応用すべきである、それが「人間普通の実学」だと指摘している。
ちなみに、『学問のすゝめ』は12編にも「実学」に関してよく引用される「学問の要は活用に在るのみ。活用なき学問は無学に等し」があるが、その先に次の一節がある。
「学問の本趣意は読書のみに非ずして精神の働(はたらき)に在り。この働を活用して実地に施すには、様々の工夫なかるべからず。「ヲブセルウェーション」とは事物を視察することなり。「リーゾニング」とは事物の道理を推究して、自分の説を付ることなり。」
ここにも、現象を「視察」し、その理論法則を「推究」することの重要性が書かれている。なお、ここでは更に、これだけでは不十分で、その「智見」を談話で「交易」し、著書、演説で「散ずる」ことの必要も指摘している。ちなみに、新学習指導要領では、「探究」が1つのキーワードになっているが、先生は「推究」という言葉を時に用いていた。
このように先生は「実学」という言葉は、科学的な思考方法の意をこめて使っていた。例えば、義塾25年史とも言うべき「慶應義塾紀事」では「本塾の主義は和漢の古学流に反し、仮令(たと)い文を談ずるにも世事を語るにも西洋の実学を根拠とするもの」と述べ、「実学」に「サイヤンス」とルビを振っている。
先生は、大人向けの著作の一方で、今日で言う小中学生の年代の子供達に向けても精力的に本を書いたが、それらは先生が大切にした考えを理解する助けになることがある。新しい時代に大切なことを全国の子供達にわかりやすくと心がけていたので、その考えが率直に表れているのである。例えば、『啓蒙手習之文』といういわゆる習字の手本書がある。それまでの手本書が漢詩や和歌、冠婚葬祭の手紙などを例文にしていたのに対して、新しい学問観等も例文に用いている。その中に、次の文章がある。
「窮理学之趣意は、平生人の慣れて怪(あやしま)ざる所に眼を着け、人の怪しむところの物を察してその理を詮索し、これを実用にほどこして世の裨益(ひえき)をいたす義、第一の専務に御座候。」
これなども、科学的探究の思考プロセスを実にわかりやすく示していると言えるのではないだろうか。
『文明論之概略』に見られる統計学への理解
福澤先生が、統計資料としてではなく、社会の現象にある傾向性、法則性を探究する学問としての「統計学」に言及した代表的な著作は『文明論之概略』である。
先生はバックルの『英国文明史』を読み込んだ上で、これを執筆している。丸山眞男が『「文明論之概略」を読む』でこの書を次のように紹介している。
「短い時間をとればとるほど、また狭い空間をとればとるほど、偶然性の支配が大きくなる。個々の特殊な事情が働く余地が出て来る。大量観察によって、特殊な事情が相殺されて、一般的法則性が出てくる。その大量観察の方法として、バックルがあげるのが(略)統計学です。」
そして、こう『文明論之概略』を評価している。
「これ(統計学)を一応政策論から独立した、社会法則の客観的認識の一般的方法としてとらえたのは、バックルから学んだ福澤のこの『概略』がはじめてでした。」
先生は、バックルの書をもとに、毎年の殺人者数、自殺者数、毎日の蒸し菓子の売り上げ等には一定の傾向があることを紹介し、更に人口、物価、賃金、婚姻者数、出生数、罹病数、死亡者数を表にして対比するとその国の事情が一目瞭然であること、毎年の婚姻者数には穀物の物価が関係していること等を示している。その上で、このような方法で事情を詮索すれば、その原因を求めるのに大いに便利であること、更に原因には「近因」と「遠因」がありそれを考える必要があることを述べている。ちなみに、比較や因果関係の推論は、統計的思考において重要な考え方である。
この部分はバックルの書が基になっているが、そこで挙げている例の記述は、正に自家薬籠中の物にしているという感がある。本書は明治7年2月頃まで構想を練った上で執筆にとりかかった。前述の『学問のすゝめ』初編が明治5年2月、『啓蒙手習之文』が明治4年の刊行であることを考えると、既に科学的探究の思考の重要性を認識し、論じていた先生にとって、バックルが示した統計学は魅力的であると共に、実感を持って理解できるものであったに違いない。
また、「天下の形勢は一事一物に就いて臆断すべきものに非ず」と1つのことに囚われて根拠もなく決め付けたり、「近く耳目の聞見(ぶんけん)する所に惑溺(わくでき)して」遠因を探ろうとしないことを批判し、統計学の意義を説明している。臆断や惑溺は先生には最も排すべき思考態度であったから、そこに陥らない思考方法としても強く意を同じくしたであろう。
同書には、「仮令(たとい)試てよく進むも未だその極度に達したるものあるを聞かず。開闢(かいびゃく)の初(はじめ)より今日に至るまで或は之を試験の世の中と云て可なり」の一節もある。統計的探究のサイクルを廻し続けようとする思考と通ずるものがある。
数量的に現象を捉える姿勢
福澤先生の統計学への理解、「実学」に象徴される統計的思考は、具体的なデータが無いところでも発揮されたことに大きな意味があるが、先生が数量データをどう扱ったかも見てみたい。
先生は元々、数量的な情報を積極的に集め、具体的に理解しようとする人であった。例えば文久2年の遣欧使節で各国の事情を探索した際の手帳には多数の数字が縦に横にと書き留められている。
また、著作においても、その国の事情を説明する時に統計資料を用いてより具体的にわかりやすく説明するだけでなく、議論を進める為に比較して示すこともしばしばあった。時事新報の社説を見ても、「肉食せざるべからず」(明治15年12月16日)では、日本全国の牛の屠殺頭数から1人当たりの牛肉消費量を推計し、更に数字の無い豚、猪、羊等は多めに見積もって加えた上で、欧米諸国と比較して、日本が格段に少ないことを示している。「国財論」(16年6月23日)では、明治6年から15年の間の各種の酒の石高を表にして、清酒の需要は増税によって一時的に減少するが翌年には元に戻ることを実証している。
このように、統計データを用いて、比較をしたり、変化を見たり、あるいはその要因を考えるというような思考が日常からあったことが窺われる。
具体的な例として、『民情一新』(明治12年刊行)を見てみたい。これは、1800年代の「近時の文明」(モデルン・シウヰリジエーションとも併記している)は、蒸気の文明であり、それによる蒸気船車、電信、印刷、郵便という「文明の利器」によって世界各国の人民の心情つまり「民情」が「一新」したことを論じたものである。
この中で、その利器によって「聞見(ぶんけん)」(「インフヲルメーション」とも併記している)つまり情報が瞬時に広がる時代になったことを説明し、英国の状況について「人の聞見を博(ひろ)くする」新聞の発行部数を示した上で「人の聞見を交易する」郵便書簡の数が、1867年には7億8千万余で、人口1人あたり25通と盛んであること、1874年には9億6千7百万と増加していると示している。
この頃の先生は、文明の進歩に不可欠な要素として、日本の状況も統計資料を基に対比して見ていたようで、前年に刊行された『通俗民権論』でも、「人智進歩の度を測量せんには、その地方に郵便物の多寡を見ても1班を知るべし」と、明治9年からの1年間の郵便物の数を示している。即ち、東京本局が15,103,000、大阪局2,788,000、京都局1,461,000、愛知965,000、青森257,000と列記し、更に愛知、青森は人口で割って、1人当たり年間0.8通、0.55通と少ないことを示している。
『民情一新』では更に、情報の伝達が緩慢であった時代の人民は蝶で言えば蛹のようなもので政府も容易に御することが出来た。しかし「思想通達の利器」を得た人民は羽翼をつけた蝶のようなもので、容易に御することは出来ない。そこで専制抑圧の手段をとる国が出て来るがそのような旧套では奏効しないと指摘し、英国の「平穏の間に政権を受授」、「政権を常に陳新交代」する形態を紹介し国会の必要を述べている。
ここでも、1784年から1879年の間の首相の「就職の日」、「在職の時限」、「執権(首相)の人名」の一覧表を掲載した上で、「右九十六年の間、執権の交代二十六代、在職の時限短きものは百二十一日、長きものは十七年八十四日、五年以上の物は(略)七名、十年以上の者は二名のみ。又、この九十六年を二十六代に平均すれば、一代在職の時限、三年六分九厘余」で「その交代却(かえっ)て速(すみやか)なるを見るべし」と示した。ここに、平均を算出するだけでなく、最大値、最小値をはじめ在職期間の分布も丁寧に記していることも注目すべきであろう。加えて、続けて日本においても徳川政府で、御老中御勝手方等の在職年数も表を作成して平均と分布を示し、1人で永年持続する地位でないことを説明しているのも面白い。このように、自ら積極的にデータを集め、分布を見たり、対比するという思考を福澤先生が持っていたことがよくわかる。
このような思考は晩年まで衰えなかった。例えば、時事新報社説「宗教上に統計の必要」(明治31年4月24日)は、仏教の状況は「法主の品行」の問題が著しく、このままでは維持の望みはないと改革の必要を唱えた上で、「その改革に関して我輩の一案は、僧侶の黜陟(ちゅっちょく)を行うに統計の数字に依てその勤惰能不能を判断することなり」と主張した。戸数と寺院の数、人口と僧侶の数と割合、僧侶の説教の時間、1年間の警察犯罪の数を見て僧侶の評価をすべきだというのである。僧侶の評価を、構造(僧侶の人口比)、過程(説教の時間)、結果(犯罪数)でと、今日、病院等のサービスの質の評価でよく使われる3要素に注目した提案は当時としては斬新であったに違いない。
「諸科推究の実学」
先生は、『文明論之概略』以降、統計的思考を正面から述べることは余りなかった。しかし、その思いが吐露されたのが、明治29年刊行の『福翁百話』である。
86話で「この統計全体の思想なき人は共に文明の事を語るに足らざるなり」とまで語った福澤は、34話でも、「我輩の多年唱導する所は文明の実学」であるとして、「数理の実を計(かぞ)えて細大を解剖し」、「疑(うたがい)を発してその本(もと)を究めん」とする文明の特質に発する「諸科推究の実学」による、蒸気や電気をはじめ科学技術上の成果は数え切れないと述べた。そして、科学技術を離れて無形の領域、即ち、政治、法律、経済等を見ても「その進歩発達は数理の賜(たまもの)に非(あら)ざるはなし。西洋諸国の人が夙(つと)に統計の法を重んじ、人間万事の運動を視察するに統計の実数を利用して、以て最大多数の最大幸福を謀(はか)るが如き、亦(また)以てその思想の所在を窺うに足るべし」と語った。最後に次の一節を紹介したい。
「その汽車汽船の動く所以(ゆえん)を学理上に説き、郵便の始末に由りて統計学の原則を示し、電信の実際に証してエレキトルの妙用を語る時は、一切万事、学理の外に在るものを見ず。独(ひと)り文明流の新事物のみに限らず、眼前にある一木一石、一紙一毫の微(び)も、之(これ)を真理原則に照らしてその性質を説きその効用を明(あきらか)にし、次第々々にその理を推究して玄妙に入り、玄の又玄なるものに達すれば、人間の方寸に宇宙を包羅(ほうら)して(略)」(70話)
『民情一新』で郵便の事情を分析してから17年、62歳の先生は、科学技術には理論があるのと同様、社会の現象や効用も統計的思考で推究し、その及ぶ範囲を拡げて期待を抱いていたのである。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。