登場者プロフィール
松井 英子(まつい えいこ)
その他 : 建築家その他 : 松井建築研究所代表商学部 卒業1972年慶應義塾大学商学部卒業。ドイツStuttgart大学建築科卒業。設計事務所勤務後、1985年帰国。以来、木造住宅、民家再生を数多く手がける。
松井 英子(まつい えいこ)
その他 : 建築家その他 : 松井建築研究所代表商学部 卒業1972年慶應義塾大学商学部卒業。ドイツStuttgart大学建築科卒業。設計事務所勤務後、1985年帰国。以来、木造住宅、民家再生を数多く手がける。
保科 眞智子(ほしな まちこ)
その他 : 茶道家その他 : 裏千家教授文学部 卒業1995年慶應義塾大学文学部卒業。裏千家名誉師範森宗明氏に師事し、大使館や国際会議等、国内外でのべ1万人以上に茶道体験を提供。茶道と日本文化の伝道に努める。
保科 眞智子(ほしな まちこ)
その他 : 茶道家その他 : 裏千家教授文学部 卒業1995年慶應義塾大学文学部卒業。裏千家名誉師範森宗明氏に師事し、大使館や国際会議等、国内外でのべ1万人以上に茶道体験を提供。茶道と日本文化の伝道に努める。
久保木 史朗(くぼき ふみお)
その他 : 久保木畳店代表理工学部 卒業2012年慶應義塾大学理工学部卒業。建設会社勤務後、2020年に創業280年の家業を継承。東京と福島県の2拠点から日本の伝統産業としての畳の魅力を国内外に発信。
久保木 史朗(くぼき ふみお)
その他 : 久保木畳店代表理工学部 卒業2012年慶應義塾大学理工学部卒業。建設会社勤務後、2020年に創業280年の家業を継承。東京と福島県の2拠点から日本の伝統産業としての畳の魅力を国内外に発信。
誰でも参加できるお茶会
和室は一般的に日本の伝統工法で作られた木造建築を指しますが、遡れば千数百年前から存在しているものです。今、そうした古い木造建築が次々と壊されています。畳も古くからある日本独自のものですよね。
そうですね。奈良時代からあるとされているので、1300年以上の歴史があります。
私が子どもの頃は和室で寝起きするのが当たり前で、親戚が集まる時にも和室が団らんの場でした。そういう住まいのあり方は、経験と技術を持った大工や職人たちが築き上げてきた日本の宝でしょう。
日本の伝統工法は欧米諸国の硬い壁構造とは違い、構造に柔軟性があるのが特徴ですが、何百年も続いた技術が戦後急激になくなり始めました。欧米の工場生産的なプレハブなどに変わっていきました。
私も大好きな茶道を通じて、失われつつある日本の伝統文化を守りたいと考えています。2023年に東京藝術大学大学院に入学し、国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻で学んでいるのですが、最近、実験的に「在釜(ざいふ)」という茶会を催しています。
在釜とは、明治大正期頃まで続いていたお茶会の一形態です。茶人の家の軒先に「在釜」と書かれた看板が出ると、それは誰でも参加できるオープンなお茶会のしるしでした。家に入るとお点前で一服ごちそうになれる。そんな粋なもてなしを現代に蘇らせたら何が起こるだろうと、「仲町の家」という藝大が管理している築110年の古民家で始めてみました。
面白いですね。
「仲町の家」は江戸時代に建てられた民家が関東大震災で倒壊し、大正期に元の木材も活用して建て直された建物です。普段はアーティストが創作の場として自由な発想で使っています。
この建物で茶席を設けたところ、Z世代の若者たちが集まってきてくれました。興味本位で入ってきた人たちが偶発的な出会いを楽しむ場となり、敷居が高いと思っていたお茶が身近で温かくて楽しいものと知ってもらうことができました。
それを知った時、デジタルネイティブ世代の若者たちは、どこかでリアルな体験を求めているのではないかと感じました。私がインスタグラムで「在釜やります」と告知すると、それをキャッチして拡散してくれる。そこに明るい兆しを見ています。
大正期の古典的な空間がZ世代にウケているのですね。
私は稽古でもあえて灯りをつけないのですが、そういう非日常的な仕掛けもよかったのかもしれません。うす暗い空間にいると、不思議なことに他の感覚が研ぎ澄まされてきます。お茶の歴史を見ても、茶席を灯りでこうこうと照らす文化はありませんでした。逆に言うと、私たちは普段あまりにも視覚情報に頼りすぎているのでしょう。
しなやかな日本の伝統工法
私は建築士として古民家再生を手がけてきましたが、家をさらに次世代のために蘇らせたいと願う人たちはみんな強い思いを持っています。外国からの移住者のご相談も増えていますし、自分たちの手で直していきたいというニーズもあります。
手間暇のかかる日常を望まれる人が増えているのですね。それが贅沢なこととして受け入れられているのでしょう。
外国の方は寒さなんて平気だと言います。環境の良さに比べれば不便ではない、と。
みんな、不便さを面白がりますよね。
古い材はなるべく残しつつ、現在の生活に合った耐震性、居住性を良くして安心して住み続けられる再生工事を行います。
「仲町の家」は耐震構造の問題があって、大学がすこし扱いに困っているんです。
民家は柔軟性とねばりのある免震構造なので耐震壁が少なく、現行の耐震基準に合致しないケースが多いため、耐震対策が必要になります。
肝心なのは、伝統工法特有の構造を生かしながら耐震性を持たせるようにすることです。とくに柱は「石場建て」と呼ばれ、基礎となる石の上に乗っているだけの状態です。時間の経過とともにずれてくるのですが、このずれが力を吸収してくれる。
さらに上部の構造は大工さんの高い木組みの技術によって柔軟性が保たれています。金物などでがっちりと固定しすぎないからこそ軸組がしなやかに動き、倒壊を防いでいるのです。
なるほど。わかりやすい。
そのため耐震壁が必要なところには、現代の構造用合板で硬くしてしまうのではなく、貫(ぬき)を通した木製フレームを既存の柱と柱の間に設置し、少し揺れを持たせています。
伝統的な建物の柔軟性を損なわない方法で更新するのですね。
そうです。現代工法の構造用合板や接着剤を使うと簡単なのですが、全体のバランスが崩れ、日本の技が光る伝統工法の良さが損なわれてしまいます。
リフォームなどによって日本の住宅から和室が減りつつあると言われていますが、実は、和室の再生工事は結構大変です。柱や梁を見せる真壁構造の木造住宅を、耐震性や居住性を高め、断熱効果を良くして、さらに座敷を元の状態に戻すのは洋室に変えるよりも難しいのです。
コストもかかりそうですね。
鎌倉にある古民家を再生した米国出身の方は、背が高いので天井を十数センチ高くしたそうですが、中に入れてもらうと不思議な感じがしました。畳はおそらく寸法どおりのものですが、普段私たちが親しんでいる和室とは天井高のバランスが違うのです。
襖や障子の大きさなど、和室の寸法は畳が基準になっているのでそうなると思います。和室の天井や建具が低く抑えられているのは、欧米の方には低すぎるのでしょう。頭をぶつけて不便という事情もあるのでしょうけれど、寸法を変えるくらいなら頭を下げて通っていただけないかしらとも思います(笑)。
素材のもつストーリー
畳の寸法は昔から90センチ×180センチと言われますね。
六尺×三尺で一畳。二畳で一坪ですが、畳の寸法は時代ごとに移り変わってきました。六尺=一間は、年貢米の根拠となる田んぼの面積を検地する際に、より多くの徴税を課そうとした徳川家康が寸法を変えたことに由来します。
畳の寸法は京間と江戸間が知られ、京間のほうが大きく、京間よりも少し小さい中京間(ちゅうきょうま)もあります。家康の定めた寸法は江戸間と言われ、年貢米の税率が上がるにつれて畳の寸法単位が小さくなっていったとされています。
町家の空間がうなぎの寝床のように細長いのも、間口の幅によって納める税が違ったからとも聞きます。
面白いですよね。中京間は基準尺としても知られ、柱と柱の内寸法をそう呼んだりします。
江戸間をセンチに直すと176センチ。襖の高さも同じ176センチとするケースは多いです。
176センチは五尺八寸ですね。
尺の数え方も残していかなくてはいけない大切なものの1つですね。
和室の設計には今も尺を使います。私たちは大工さんと尺で話しますが、お施主さんとはセンチで話すのです。
設計者はバイリンガルなのですね。
両方とも分からないと仕事ができません。でも尺を使わない若い設計者も増えていると思います。伝統的な木造建築を手がけている人は身に付いていると思いますが。
木材を切り出す「木取り」という作業の時にもこの寸法体系を使います。鎌倉に住む米国の方のように天井高を高くとろうとすると、おそらく普通の住宅用木材では合わないのではないかしら。
茶室にはさまざまな種類の木材が使われます。それによってあたかも森林浴のような効果が生まれるのも特徴です。
茶室の木材は選び抜かれた無垢材を使いますね。
そうですね。それぞれの木材、とくに床柱の素材には必ずストーリーがあり、茶席ではお話しを聞きながらいろいろな木の味わいを楽しみます。
実はわが家を建て替えることになった時、庭の桜の木をどうしても切らなくてはいけなくなりました。樹齢は100歳近く、毎年家族でお花見を楽しんだ木だったのでとても残念でしたが、それを自宅茶室の床柱に仕立て直すことができました。
素敵なストーリーですね。
桜はそれほど高価な木材ではないのですが、家族にとっては大切な思い出がある木だったのです。素材には物語があり、それゆえに価値をもつ。パーソナルな価値のつくり方も大切だなと感じました。
ござから置き畳、そして和室へ
畳はどのようにして今の形になっていったのでしょうか。
実は1300年前、敷物と言えばござでした。板の間にござを敷き使っていたのですが、「畳んでしまっておく」ことから「畳」と呼ばれるようになりました。平安時代になると、偉い人だけが座れる厚みを持った畳が生まれ、書院造りの居室に置き畳のスタイルへと変わっていきました。
おひなさまみたいな。
そうです。偉い人だけが座れる領域となっていき、やがて畳縁が登場します。縁には偉い人の位を表す模様が描かれていました。
よく知られる「繧繝縁(うんげんべり)」は皇室のための畳縁ですし、貴族にも高麗縁がありました。畳縁を踏んではいけないのは、位を示す大切な柄が描かれているからです。
なるほど!
置き畳の文化は800年ほど続きました。今のように敷き詰める形になったのは500年ほど前です。書院造や数寄屋造が興ったことで、置き畳から和室へと変わっていきました。
千利休が京都・山崎に建てた茶室・待庵(たいあん)は、畳の歴史でも画期的だったのでしょうね。わずか二畳の茶室で、身分の隔てなくお茶をたしなむために刀を外し、にじり口で頭を下げて入るのですから。
あれほど凝縮された空間をよく考えたものです。和室の設えは室内で正座した状態に合わせて考えられていますね。座った時の目線の高さが伝統的な和室の寸法基準(モデュール)となっています。正座して庭を眺めたり、室内の設えを拝見したりすると、和室の空間が生きてくるのを感じます。
私もそう思います。
和室を味わうことで、日本人が根っこに持っているものが呼び起こされる感覚がある。畳は和の基盤をなすものではないですか。
そう言われると嬉しいです。
にもかかわらず、畳のない空間で生活をしている人たちの多いこと。お茶の世界でも明治以降、立礼(りゅうれい)式というテーブルでのお点前の作法が考案されました。これもまた、日本における西洋化の象徴的な例ですが、私は普段畳でのお茶の体験をお勧めしています。正座をして足がしびれてしまう外国の方も多いので、足を崩してもいいですよと言います。茶席では目線を下げてほしいからです。
物理的に目線を下げてもらうことで、茶席のもつ情報量に気がついていただくのです。そうすると、イグサやお香の香り、お湯の煮える音や湯気、床の間の掛け軸やお花といったものにも気がついていただけます。
立礼式では見えないものがあるのですね。
そうです。待庵はにじり口からの見え方が肝心なのだそうです。中に入ると、工芸品と言ってもよいほどの究極なパーソナルスペースになっており、そこに身体を入れる瞬間しか空間の眺めを味わえません。茶室の中では自分もその一部となる。低いところに目線の照準を合わせて鑑賞するにじり口の発想はすごいと思います。
畳の縁を介して差し向かい
それほど小さな空間で、畳の縁は結界の役割を果たしているのではないかと思うんです。二畳の茶室では、畳の縁を介して目上の方と向き合うからです。
茶道体験に訪れた外国の方に畳の目を見ていただき、縁から16目まで数えてくださいと言うのです。最初は目を丸くされるのですが、16目に膝が来ると、お茶碗を縁の内側に置いて、手をついてお辞儀ができるちょうど良い寸法です、と説明すると納得していただけます。
畳の目は1つが1.5センチ、2つの目で一寸と言われています。つまり、一寸法師は約3センチ(笑)。
かつて雲水(修行僧)さんたちは僧堂の畳一畳を寝泊まりの場としたそうですが、修行やお茶席から一般の人たちの暮らしまで、畳が距離の基準になっていたことがわかります。普段のお茶席でも、畳の縁は主人と客のコミュニケーションの境界となります。主人は縁のぎりぎりまでお茶やお菓子をお持ちし、結界を越えてご自分の側に持っていくのは、お客さまの役目になります。
お互いの世界が合わさるところが、縁として可視化されることで、親しい仲に礼儀を介した空間が成立つのではと思います。待庵はその究極的なかたちでしょう。なかなか緊張感のある距離ですが、あの中でのおもてなしは最高の時間のはず。
和室でミカンが食べたい
正座は膝に負担がかかるので高齢の方には敬遠されがちですが、私は能の謡(うたい)を習っているので、正座は負担なくできます。先生と一対一で向かい合い、畳に直に正座しお稽古をします。謡は腹式呼吸でお腹に力を入れて声を出すため少し前かがみになります。
和室で和装を身につけ、草履を履いて歩いていた日本人の体幹は、もともと少し前傾気味なんですよね。正座をしている時もやや前傾で、北斎の浮世絵などを見ても、みんな前かがみで歩いている。かかとから足を出すようになったのは、靴を履くようになったからでしょうね。
日本人の姿勢が変わると、お稽古で美しい立ち居振る舞いを身に付けることも1つの価値になります。ハイヒールを格好よく履きこなし、和装では内股気味の歩幅でつま先から歩く、この体幹を切り替えられるのは1つの技術です。そうした技術を身に付けたり、和室のある暮らしを営むことはステータスになりつつありますね。
和室で過ごす時間は再び注目されるのではないでしょうか。私は終の棲家は和室がある伝統工法の木造住宅がいい。座椅子で庭を見ながら、また厚手の畳に正座して特別な時間を過ごせるのは良いものです。
その一方で、椅子の生活に慣れると、床に座る体勢が取れなくなってしまうというシニアの方もおられます。立ち上がれないとか、足首が硬いので痛いといったさまざまなハードルがある。日常的に和室に親しんでいただくにはどうすればよいでしょうね。
こたつのある和室を望まれる方はたくさんいます。古民家だけでなく新築でも、四畳半の広さでもいいから、みんなでミカンを食べたいと仰る。
いいですね。
和室は、離れて暮らしている家族が帰ってきた時に寝泊まりするのにも便利ですし、いろいろな用途が考えられるのでしょう。
実は、米国に住んでいる日本人の方から畳の注文をいただいたことがあります。どういう使い方を想定されていますかとお尋ねすると、こたつでミカンを食べたい、と(笑)。
和室にミカンは家族の団らんの1つのかたちなのですね。
床の間をいかに伝えていくか
床の間も日本の家庭から次第に減っていませんか。私は、日本人が大事にしてきたことが、根本から見えづらくなっていると感じます。畳の縁や茶室のにじり口のような形でコミュニケーションの要素を可視化するのが和の空間の役割でもあったと思います。
確かにそうですね。
どのお宅にも必ず床の間があり、掛け軸や花を飾るだけでなく、お客様や家長が近くに座ることで関係性をつくり出す役割も果たしていました。
床の間があるのは奥座敷ですが、是非残してほしいとご要望をいただくことは多いです。
床の間が希少なものになっているのですね。子育てをしていて感じるのは、日々暮らしている空間について次の世代に教えられることがたくさんあるということです。
しかし、今の子どもたちには床の間の概念がないので、そこが神聖な場所であり、家の中の関係性を形作る空間であるということも伝わりにくい。私たちの世代が文化のバトンを渡せるのかどうか。修学旅行先で初めて畳を見た生徒さんが、そうとは知らずにスリッパのまま上がってしまうことがあったという話も聞きました。
初等中等教育の授業をたまに和室で行うのもいいんじゃないかと思います。私は慶應女子高校を卒業したのですが、在学中は敷地内にかつて徳川達孝(さとたか)伯爵邸の木造家屋が立っていました。私たちもその日本家屋の中でくつろいだりして過ごしましたし、お茶会が開かれることもありました。
教材としての和室の役割はまだまだ多そうですね。
畳は世界に羽ばたけるか
畳は、和室を特別な空間として演出してくれる重要な要素だと思うんです。ウェスティン都ホテル京都の中に、和室の名手と言われた建築家、村野藤吾設計の佳水園という数寄屋があります。全室角窓になっていてお庭が拝見できる素晴らしいお部屋なのですが、日本人宿泊客が次第に減り、逆にインバウンドの宿泊客が増えているそうです。
この和室が最近、低いベッドを入れるなどして、現代人の生活スタイルに合わせた空間になりました。ですが、床は畳のまま、目線を低く下げるという和室の大切なポイントが守られているんです。
最近、畳のある空間として、北欧家具を組み合わせたスタイルを提案しています。
畳と北欧家具は合いそうですね。
自然素材という意味では、畳の原材料はイグサなので木材とも相性が良い。ウェルネスや心の安らぎをもたらしてくれるところを強みに、こんなふうに住んでみたいと思ってもらえる空間づくりを目指しています。
畳は外国でも人気が出そう。
簡単に取り外しができることも畳の良さですよね。茶室は夏と冬で炉を開いたり閉じたりするので、この手軽さは本当に機能的です。
持ち運びできるサイズがあるといいなと思うのですが、いかがですか? 実際に4分の1サイズの畳を作っている方がいて、海外でお茶碗等をディスプレイするのにも使えて便利なのです。これを製作した畳屋さんは、その上で赤ちゃんのおむつ替えをしたり、お昼寝をさせたりして使っていました。
私たちもテーブルに置けるサイズの小さな畳を作っています。近年、和食が世界中に広まる中で、外国のラグジュアリーホテルのレストランでも和食が食べられるようになりました。お客様が食後に抹茶を召し上がるシーン等を思い描いて製作したのです。実際にニューヨークのホテルで提供されており好評です。
ちょこんとあるだけでも、食卓が和の空間になりそうですね。
日本人旅行者や現地で暮らしている方々にも日本文化を再認識してもらえるかもしれません。
たしかに。日本人は逆輸入に弱いので、ハッとしてくれる人がいそう(笑)。
和室文化を発信するには
逆輸入の機運は茶席などでも感じますか?
感じます。とりわけ海外で教育を受けた日本の若い人たちの反応がよいのです。
私も日本文化の素晴らしさを再認識したのは、ドイツから帰ってきてからでした。
ずっと国内にいると、当たり前すぎてなかなか気がつかないのかもしれません。最近は、子どもを海外の学校に通わせるご家庭が増えています。そういう子たちは語学やグローバルな感覚が身に付くだけでなく、一度マイノリティーになることから、日本のことをさらに認識するようです。
またお茶を通して外国の方と接していると、今日本文化への関心が驚くほど高まっているのも感じます。逆に日本からの発信が足りていないのではないかと思うほどです。
保科さんはインバウンドの方々に日本文化を伝える時に、どのようなことを考えていますか。
私は幼少期からお茶に親しんできましたが、きっかけとなったのは学生時代の留学経験でした。自分にとって当たり前のものとなっていたお茶の文化が外国ではたいへん珍しいものとして受けとめられました。それを言語化できないもどかしさがあったのです。
その一方で、大学卒業後、就職や結婚、子育てに追われる中で、お茶室や和の空間が素の自分に戻れる場所だと感じました。メディテーションの空間、あるいは整う場所ということですね。この2つの経験が重なり、「英語茶道」として、行間や間、型といったものを徹底的に言語化しようと考えました。お茶は陰に含む世界なので、野暮たること甚だしいとは思いつつ、やってみると空間や作法に対する解像度が飛躍的に上がったのです。
とても大事なことです。
言葉にすることで自分の中でも腑に落ちるだけでなく、予備知識のない方にも伝わることがわかりました。他の言語に置き換えることで、あらためて日本語の美しさを知りましたし、論理的な説明とは違う感性の言葉を再認識することもできました。
根本的にニュアンスが違うのでしょうね。
そうですね。ですが、それを何とか翻訳しなければ外国の人に伝わりません。また、それを考える過程が自分を知ることにもつながるのでとても面白いのです。
面白いですね。そこまで考えている方はなかなかいないのでは。
でも、増えてきていると思います。チャレンジしようという人たちの原動力は、自分が好きだから、という内発的な動機だと思うのです。その意味でインバウンドの方々はわざわざ日本に来て、私たちにとってすごく良い機会を与えてくれる存在です。
まさしくそうですね。
旅する場所は世界中にいくらでもあるのに、日本に来て茶道体験にも参加してくださる。その時点でとても相性がよいわけです。
「畳って何が良いの?」
私も文化を言葉で伝えることに強い関心があります。というのも5年前、畳を世界に広めようと米国に行った時にすごく悔しい思いをしたからです。
現地で飛び込み営業をして回ったのですが、「畳って何が良いの?」と訊かれても「何となく落ち着くんです」とったことしか言えず、困り果てました。でもそれは英語の壁ではなく、自分の中でしっかり伝えられる言葉を持っていなかったからだったのです。日本語で説明できないのに外国で伝わるはずがないと痛感しました。
貴重な経験でしたね。
この経験を糧に、田んぼに入って材料を観察したり、香りの成分を学んだりするようになりました。「これこそが畳の魅力である」というものをしっかりと伝える必要があると思ったのです。そうして昨年、銀座にショールームをオープンしましたが、インバウンドの方々だけでなく、日本文化の再発見をしてくれる日本のお客様がいることを知りました。
「外国人には新発見、日本人には再発見」というのが、私の最近のキャッチコピーです。
まさにそのとおり。
久保木畳店の社員さんたちとは、伝統や日本文化を守ろうといった話をされますか?
そうですね。文化を守りたいという意識はありますが、伝統だけでは畳が欲しいと思ってもらえるわけではありません。畳の価値をどう伝えるか、という話はします。
例えば、保育園に畳を敷く、というアイデアはいかがでしょう。お昼寝をするのにとても良いと思うのです。古民家を保育園として利用している施設も随分あります。
いいですね。福島県須賀川市に、久保木畳店の工場だった建物を改修して、2023年に畳ビレッジという体験型複合施設をオープンしました。そこでは子ども向けイベントも開催しているのですが、子育てをしているご家族に畳はとても評判がよいのです。
お子さんも安全ですしね。
畳ビレッジのカフェには、縁側をイメージした腰掛けがあります。小さなお子さんを連れたお母さん同士が、畳に赤ちゃんを寝かせながらお茶をしたりしています。畳表でコースターも作ってみました。
いいですね!
畳を使っていろいろな実験もしています。カフェの腰掛けには一般的な六尺三尺の形ではない、幾何学的なパターンの畳も作りました。
斬新ですね。簡単に作れるものなのでしょうか。
簡単ではないですね。腰掛の形状にぴったり合わせて作るのが大変でした。
特注ですものね。そう考えると一畳のサイズ感が、日本人の寸法感覚の基準になっているとわかります。六尺三尺で製作するのが工程としてはやはり合理的?
そうですね。尺寸法が基本なので、道具も約30センチの倍数でできています。
畳の上でヨガ?
実は今、日本全体でイグサの生産量が減っています。国内の畳表の供給量はこの20年間で72%減少しました。イグサ生産の95%以上が熊本県で、かつては広島や岡山も主要な産地でしたが、生産者も年々減っています。イグサ農家の数は2年前に300軒を下回り、昨年260軒、今年は220軒となりました。これを何とか食い止めたいと考えています。
それ以外は輸入ですか?
おもに中国産です。畳業界の課題は価格競争ばかりに行き過ぎていることです。良い畳があまり出回っていません。
プラスチックや化学繊維などを使って安くしようとすると、当然品質が下がります。畳の品質とは何かというと、1つは耐久性。細いイグサは摩擦に弱く、すぐにすり減ってささくれになってしまいます。そういう製品を使ってしまうと畳そのものが嫌になり、和室離れが進むという悪循環に陥ります。
逆に国産のイグサは希少性が高いとも言えますよね。畳の空間がラグジュアリーなものに思えてきます。日常の中で畳の質感を楽しめるのは豊かなことかもしれません。
そうですね。畳業界でよく話すのは、お客様に畳を欲しいと思ってもらうためにはどのように価値を提供すればよいか、ということです。しかし、畳の存在が当たり前すぎて、ラグジュアリーなものになるとは思ってもみませんでした。
足の裏の肌触りなども、畳だからこそ味わえるものですよね。畳には調湿効果もありますし、私が以前、民家の再生を手がけたお宅は、お子さんのために和室をピアノ部屋としてお使いでした。落ち着くそうです。
畳には防音効果もありますからね。
私ももっと敷居なくお茶を楽しんでもらうために、和室でヨガをやっていただいた後にお点前をさし上げる、というのをやりました。
畳の上でヨガ?
ヨガウェアのまま茶室に入っていただき、私がお点前でおもてなしをしました。お着物を着たり、作法を覚えたりといったところで遠慮される方が多いので、そういうルールを取り除き、プラスの体験だけを取り出したいと考えたのです。日本人にとっては古くて新しい、外国の方にとっては日本らしいウェルネスを感じていただき、とても好評でした。
ヨガの後にお茶席とは……とてもリラックスできそうです。ウェルネスは和室の魅力を語るうえで重要なキーワードですね。
実は、イグサにリラックスできる効果があるとされるのは、バニリンというバニラエッセンスの成分が含まれているからです。さらに、フィトンチッドという森林成分も多く含まれており、森林浴をした時に得られるリラックス効果があります。収穫したばかりのイグサはとても青々としており、視覚的にも心が安らぐのではと思います。
畳を長持ちさせるには
畳を長持ちさせるメンテナンスのコツなどはあるのでしょうか?
耐久性は素材の品質に左右される部分が大きいのですが、やはりこまめに掃除をしていただくのが一番です。私たちも新しい畳を納める時に「掃除機は畳の目に沿ってかけてください」とか、「飲み物をこぼした時ら濡れた布で叩いて汚れを落としてください」とお伝えします。
よく水拭きするといい、と思われる方もいますが、実は水を与えすぎると腐ってしまう原因にもなります。それよりもから拭きで目に沿って拭いたほうがきれいな光沢が出ます。
イグサは呼吸していますものね。
そうですね。水よりも人の脂分のほうが畳には良かったりします。
そういう意味では、柱や土壁もそうですね。和室の素材は呼吸しています。良い柱は使っているうちに色合いが増し風格が出てきます。
そうですよね。赤坂にある大橋茶寮茶室の床柱は、師匠の頭の位置が黒く光っています。長年使ううちに、鬢付け油によってピカピカになったのです。それも味ですよね。
モバイル茶室の挑戦
10月19日の連合三田会で、日吉キャンパスの来往舎にモバイル茶室をつくりお茶会をします。宮大工の方に来てもらい、当日朝から待庵を模した二畳の茶室を建て、「在釜」を掛けますので、是非いらしてください。
素敵ですね!
モバイル茶室の畳は決まっていますか? 熊本の田んぼで獲れた日本で一番良いイグサがあります。
すごい。日本一のイグサとはどのようなものですか?
何よりも丈夫なことです。長持ちしてささくれになることがありません。そして、きれいに日焼けします。
2年前に埼玉県深谷市の旧渋沢栄一邸にこのイグサを使った畳を納めました。最近見に行ったところ、とても美しく日焼けしていました。良いイグサは身が詰まっているのでとても柔らかい仕上がりになります。
それはぜひ座ってみたい。良い畳は座り心地も違いますね。ふかふかしていて足がしびれにくく、お昼寝するにも最適です。
モバイル茶室にも是非入れてほしい…(笑)。
連合三田会では、組立ての過程もお見せするので、木組みの技や建築の軽やかさ、素材の味わいといったことも楽しんでいただけます。林業三田会の方々にも協力していただき、各地にある「慶應の森」の間伐材を提供していただけることになりました。将来的には「慶應の森」の間伐材を使った茶室をご提案できたらいいなと思っています。
素敵なストーリーですね。
木材の由緒も一昔前は無節無垢の銘木であることが茶室の価値になっていました。サステナブルであることが目指される今の時代は、廃棄されてしまう材を積極的に活用することに意義があると思うのです。宮大工さんの目で良い素材を取り出していただき、「文化銘木」として使っていければと考えています。
面白いアイデアですね。
モバイル茶室は移築できるのでぜひ皆さんにも使っていただきたいのです。最近、慶應の仲間たちと日本橋人形町の古民家を使って「藤袴」という文化サロンを始めました。そのスペースにも二畳のモバイル茶室を実際に入れてみました。
どんどん広がりますね。
今年3月には羽田空港国際線ターミナルの羽田エアポートガーデンで大々的に披露しました。日本の文化をアート作品として提案する企画だったのですが、インバウンドの方だけでなく、日本の皆さんからも反響がありました。
それはすごい。是非コラボレーションしたいです。大工さんが現地で茶室を組み立て、久保木畳店の職人が畳表を縫う、というパフォーマンスはいかがでしょう。
私も友人や日本民家再生協会の人たちに声をかけましょう。
いいですね! みんなでやりましょう。
2025年9月4日、三田キャンパスにて収録
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。