登場者プロフィール
穂村 弘(ほむら ひろし)
歌人1990年に歌集『シンジケート』でデビュー(2021年新装版)。作歌活動の他、選歌、評論、エッセイ、翻訳等で活躍。『楽しい一日』で短歌研究賞、評論集『短歌の友人』で伊藤整文学賞他受賞多数。
穂村 弘(ほむら ひろし)
歌人1990年に歌集『シンジケート』でデビュー(2021年新装版)。作歌活動の他、選歌、評論、エッセイ、翻訳等で活躍。『楽しい一日』で短歌研究賞、評論集『短歌の友人』で伊藤整文学賞他受賞多数。
田中 章義(たなか あきよし)
その他 : 歌人総合政策学部 卒業1994年慶應義塾大学総合政策学部卒業。在学中に「キャラメル」50首で角川短歌賞受賞。作歌活動とともに評論、作詩、選歌等も手がける。近著に『日本史を動かした歌』。元国連WAFUNIF親善大使。
田中 章義(たなか あきよし)
その他 : 歌人総合政策学部 卒業1994年慶應義塾大学総合政策学部卒業。在学中に「キャラメル」50首で角川短歌賞受賞。作歌活動とともに評論、作詩、選歌等も手がける。近著に『日本史を動かした歌』。元国連WAFUNIF親善大使。
鈴木 晴香(すずき はるか)
その他 : 歌人文学部 卒業2005年慶應義塾大学文学部卒業。『ダ・ヴィンチ』誌上での穂村弘氏の連載「短歌ください」への投稿をきっかけに作歌活動を始める。歌集に『夜にあやまってくれ』『心がめあて』等がある。
鈴木 晴香(すずき はるか)
その他 : 歌人文学部 卒業2005年慶應義塾大学文学部卒業。『ダ・ヴィンチ』誌上での穂村弘氏の連載「短歌ください」への投稿をきっかけに作歌活動を始める。歌集に『夜にあやまってくれ』『心がめあて』等がある。
2024/06/10
歌を作り始めたきっかけ
僕が短歌を作り始めたのは大学生の時です。同学年に俵万智さんもいて、短歌が話し言葉に切り替わっていく時代でした。きっかけは北海道大学でルームメイトが読んでいた塚本邦雄の歌集を見たことです。
その後、北大を中退し上智に入りますが、図書館の奥で短歌雑誌を見つけ、林あまりというやはり同学年の歌人の「なにもかも派手な祭りの夜のゆめ火でも見てなよ さよなら、あんた」という作品を読み、これが短歌なのかと思った。『万葉集』や百人一首のようにできるとは思えなかったけど、話し言葉でもできるならという感じで始めました。
私が高校2年生の頃に俵さんや穂村さんが出てこられました。最初は『サラダ記念日』ではなく、大学入試の小論文対策で読みやすいものとして手に取ったのが万智さんの『よつ葉のエッセイ』でした。その中に寺山修司の10代の短歌があり、こんな世界があるのかと驚いて、その後、予備校に通いながら一生懸命短歌を詠んでいました。
慶應に入学してすぐ、浪人中に応募した作品50首で角川短歌賞を受賞しました。その頃、松尾芭蕉が日本中を廻って『奥の細道』を編んだように、私も世界中を廻り地球版『奥の細道』づくりをやってみたいと思ったのです。
200の国すべてに降り立って短歌を詠んだ歌人は1400年の歴史でまだ一人もいないだろうと。1年に4カ国廻り50年で実現できると考えました。
すごいですね。今も廻っているのですか?
はい、廻っています。土地ごとの歌枕を探しながら、これまでに訪れた国は100カ国を超えました。
私が短歌を始めたのは少し遅く27歳の時です。やはり俵万智さんの『あなたと読む恋の歌百首』を読みました。掲載されている歌がどれも素敵で、お二人の歌も載っていました。
いいなと思う歌集を片っ端から買い、穂村さんの『シンジケート』や田中さんの『キスまでの距離』も読みました。穂村さんの「体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ」も、田中さんの「せつなさと淋しさの違い問う君に口づけをせり これはせつなさ」も好きな歌です。
短歌に感動したのは東日本大震災の直後、2011年4月に家族の仕事の都合で偶然東京から大阪に引っ越したことも大きかったのです。震災の翌月から大阪での暮らしが始まり、両親や友だちを置いてきた寂しさやどうしようもない気持ちが歌の中の誰かを恋しく思う気持ちと重なったんです。
その後、穂村さんのエッセイを読むうちに気持ちが高まって、『ダ・ヴィンチ』で今も連載中の「短歌ください」に投稿するようになりました。そうすれば一方通行であっても穂村さんにメッセージを送れると思ったのです。実際に取り上げていただけることもありますし、今も送り続けています。
現代短歌今昔
「短歌ください」は多くの歌人を輩出していますね。連載はどれくらい続いているのでしょう。
16年です。僕は連載の依頼があると基本的に「永遠にやります」と言います。雑誌が存続しているかぎりは続ける。でも、短歌はわりとやめる人が多いよね。晴香さんのように環境が変わることで始める人もいれば、就職などでやめる人もいる。もったいないけれど、コレクションしておけば、その人がやめても歌は残りますよね。
話し言葉で詠むのは穂村さんの時代は斬新だったのですか?
本当は斬新なはずはないんです。だって、普通の人は皆話し言葉で話しているし、小説はずっと前にそうなっていたでしょう。現代詩でも萩原朔太郎の『月に吠える』は1917年に出ている。
短歌と俳句だけがなぜか時間が止まったように文語体を使っていて、それは魅力でもありハードルでもありました。
穂村さんは以前インタビューで、短歌はマイノリティーだと仰っていました。今は世界でも俳句や短歌を詠む人が増え、国連機関の親善大使をやっていた頃、短歌を世界遺産にしようという動きが国内外で起きていると聞きました。
俳句ではなく短歌なのは、世界遺産は一般的に500年以上の歴史をもつものが認定されるからです。短歌は国歌にもなっている詩の形で、「君が代」は五七五七七の詠み人知らずの和歌ですし、天皇家は126代の御歴代の多くが歌を詠まれています。
そういうことが歴史や伝統を重んじる海外の人たちにも注目されているようですが、穂村さんや私たちが短歌を始めた時代はまだ年配者の趣味みたいに思われた時代でした。
「和服着ないんですか」とか言われましたね(笑)。
その頃に比べると鈴木さんが作歌を始めた時はもう若い世代にも短歌が定着していたのでしょうか。
そうですね。でも私自身は、初めて穂村さんの歌集を読んだ時はこういう世界があることすら知らなかったのです。「恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の死」という歌に衝撃を受けたことを覚えています。
漫画とか現代アートを初めて見たような感覚かもね。鈴木さんは「短歌を作っている」と、友だちにすんなり言えました?
言えたのですが「感受性が豊かなんですね」と返されてしまうと、どう答えたらいいかわからないんです。
結社という文化
お二人は短歌結社に入られていますよね。それも外部の人にとっては謎の文化に見えるかもしれない。〈心の花〉や〈塔〉を知らない人が「〈塔〉に入っている」と聞くとラプンツェルの世界をイメージしそうだよね。
逃げられなさそう(笑)。
お二人はどういう経緯で結社に入ったのでしょうか。
私は俵さんの本で永田和宏さんや吉川宏志さんを知ったこと、ちょうど働きはじめた京都を拠点にしていることから、伝統のあるところで勉強しようと〈塔〉を選びました。
私は〈心の花〉に入っていますが、どちらも現代の短歌界では十指に入る老舗ですね。〈心の花〉は昨年125周年を迎えました。
〈塔〉は永田和宏さん、河野裕子さんご夫妻を中心に吉川宏志さんや栗木京子さん、さらには角川短歌賞受賞者を何名も輩出しています。〈塔〉の活動は何年ぐらい続いているのでしょう。
この4月に70周年記念号が出ました。
どちらもすごいよね。『心の花』は雑誌の歴史が日本で五指に入るでしょう。
雑誌としては古いですね。私の場合は中野サンプラザで月1回歌会をやっているのを知り、どういうものか見てみようと飛び込んだのが最初です。自分の歌に意見をもらいたいと思い、高校3年生の学校帰りに制服姿で初めて参加しました。
そうすると、大事にしてくれるんですよ、若い世代を。角川短歌賞受賞当時は短歌界の高齢化の中、子役デビューではなく孫世代デビューみたいな感じでした(笑)。
歴史と繫がる感覚
〈心の花〉では今、伊藤一彦さんが毎日新聞の歌壇の選歌をやっていて、読売新聞を俵さんが、朝日新聞を佐佐木幸綱先生が担当しています。でも結社の中にいると125周年を迎えてもまだ青春期みたいな感じもある。
幸綱先生のご祖父様の佐佐木信綱先生が最初に「広く、深く、おのがじしに」と語り、それぞれの持っているものを大切にしながらという思いがあったからこそ、今もいろいろな人たちが集まってくる。死刑囚の人たちが刑務所から作品を送ってきたりもします。年齢層も幅広く、来る者拒まず去る者追わずです。
結社にはどのくらい教育性があるものですか。
〈心の花〉の東京歌会は毎月1回、世代も仕事もさまざまな人たちが三十一文字を持って集まるのですが、そこでは忌憚のない意見が交わされます。その中でこんな見方があるのかとか、それならばここを作り替えてみようといった具合に自分自身が探求する感じです。
こうした歌会が全国主要都市をはじめ、26カ所以上で毎月開催されています。歌会でコメントするには素養も必要なので、さりげなく勉強して臨みます(笑)。教育っぽさはなく、三十一文字に一生懸命向き合う中で、自然に学べている感じです。
添削されたりはしますか。
私はあまりありませんでした。こうしたほうがいいのではという意見は飛び交いますが、「おのがじし」なのでこうでなくてはならない、と強制されません。ただ、添削希望者には選者が丁寧に添削するシステムもあります。
〈塔〉も基本的には同じで、歌会は詠みを学ぶ場ですね。SNSを見ていると「いいね」がつく歌を作りたい誘惑にかられますが、結社では長い歴史の中の詠み人知らずになれるところがあります。自分が短歌の歴史の中にいるのを知ることが重要ですね。
〈心の花〉は今、佐佐木幸綱さんが先生だと思いますが、ご祖父様の佐佐木信綱は与謝野鉄幹や晶子と同じ世代ですね。岡野弘彦さんも釈迢空(しゃくちょうくう)(折口信夫(しのぶ))の晩年にお世話をしていたお弟子さんで、そういう方と接すると、この人は折口と一緒に住んでいたんだと、歴史に直結する感覚があります。
私が今、10年ほど受け持っている國學院大学の短歌の授業を、それまでずっと担当されていたのが岡野先生でした。國學院では折口が残そうとしたものを現代の学生にも知ってほしいということで、教授陣から折口も含めた和歌の魅力を大学で語ってほしいと言われました。
穂村さんのように、折口も当時、美意識、表現方法まで、いろいろな挑戦をし続けた人でした。今の慶應の学生にも、ぜひ折口のチャレンジ精神や多彩で多様な表現に触れてほしい。歌壇で由緒のある賞の1つに折口の業績を称えた迢空賞がありますが、慶應の中でも折口の意義と価値や、現代短歌の可能性を講義する場があっていいのではないかと思っています。
作家の北村薫さんのお父さんが慶應で折口門下でした。北村さんは父の日記を基に『いとま申して』という三部作を書かれています。その中に三田時代の折口の横顔が日記や資料を使って書かれていてすごく生々しい。折口のすごさと恐ろしさみたいなものを感じます。
短歌に流れている時間
佐佐木幸綱さんはよく短歌の特徴は2つあると仰る。1つは五七五七七の音数律を持つ定型詩であること、もう1つは1000年以上の歴史を持つ伝統詩であること。この横軸と縦軸の交点にあるという言い方をされます。
最初は定型詩の形式がパズルみたいで面白いと思って僕は始めましたが、短い音数律に何を求めるかは個人差があると思います。鈴木さんはどうですか?
最近「100分de名著」でフロイトの『夢判断』を取り上げていましたが、夢を見る時というのは、学校の友だちが職場に現れたり、別々の場所が地続きに構築されていたりといろいろな記憶が混ぜ合わさっています。私は実際に体験したことをそのまま書くというより、いろいろな記憶のレイヤーを重ねて新しい世界を生み出そうと考えます。定型詩の形式が「夢」のようなイマジネーションを引き出して、増幅してくれるんです。
鈴木さんにはそういう短歌がありましたよね。
「思い出は増えるというより重なってどのドアもどの鍵でも開く」ですね。
この歌には今仰った感じが現れていますね。思い出は時系列で増えるように感じるけど、確かに夢では混ざっている。時間や空間が混ざって「どのドアでもどの鍵でも開く」と鍵の意味がないんだけど、確かに夢の中ではそんな感じがある。
私にとって三十一文字は1400年のタイムマシーンみたいな存在です。『万葉集』や『古今和歌集』のような教科書で習う世界だけでなく、戦国時代に伊達政宗や豊臣秀吉、徳川家康らも短歌を一生懸命詠んでいましたし、幕末でも吉田松陰門下の久坂玄瑞や高杉晋作らが歌を詠み遺しています。
歴史の教科書に載るキーパーソンの多くが実は歌を詠み遺していることに驚きます。そういうことを知ると詩型そのものがいろいろな時代の鍵を開けられる装置なんだと実感します。
私はぜひ今のビジネスパーソンに短歌を詠んでほしい。仕事でも人生でも喜びや悲しみを重ねている人たちがどんな歌を謳うのか興味があるんです。
ある時代までは政治家や会社経営者も歌を詠んでいました。教育者もさまざまな歌を詠み遺しています。辞世の歌の文化もあった。三十一文字で何かを語る文化がこの1400年で培われてきました。
昔、馬場あき子さんと岡井隆さんと永田和宏さんと僕で、『新選・百人一首』と題して政治家や軍人、絵描き、物理学者といった文学から遠い世界の人たちの短歌を選んだことがありました。
それは素晴らしいですね。
やはりある時代までは皆短歌を遺しています。ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹の歌集が何冊か出ていて、僕なんかより全然古典を読み込んでいるわけ。小津安二郎は短歌どころか長歌も書いているし、そう考えるとわれわれはいつからか短歌を作るハードルを感じるようになってしまった。
若手歌人は恋愛を詠むもの?
そう言えば、今は昔に比べて恋愛の歌が少ないよね。僕らの頃、恋愛の歌はオーソドックスだった。というより、若い人は必ず恋愛の歌を書いていたんですよ。
文芸誌や女性誌の編集部から恋愛をテーマにしてください、という依頼が多くありました。CMのコピーでも、相聞歌(そうもんか)を、といわれることが多かった。
昔の和歌集でも季節と並んで恋の部になっていましたね。四季と同じぐらい本質的なものだという考えが大昔からあったのか。その点、今は例外的かも。恋の歌を忌避する感じがありませんか?
ありますね。だからこそ私は恋の歌を頑張ろうと思っています。
今の若い子たちはどうして恋の歌を避けたいんだろう。
短歌だけではなく、現代の状況が恋愛至上主義ではなくなっていることが大きいのではないでしょうか。
そういう時代に昔の自分の歌を読まれると野蛮人みたいに思われそう。こんなに恋愛を詠んで頭の中はどうなっているのかと(笑)。
歌会でも「若いんだから、恋愛の短歌作りなさいよ」と言われます。「私はもう歌えないから」と。
それはハラスメントだよ(笑)。
70代、80代になって歌えないこと自体が自己検閲というか、何か圧力がかかっているんじゃないかと思えます。私は絶対にいつまでも恋愛の歌を詠み続けたい。
鈴木さんは最初に歌を作る時、ハードルを感じなかった?
ものすごく感じました。自分の心をさらけ出すことではないかという怖さがあって最初に投稿するまでに数カ月かかりました。
さらけ出して書いているんだね。
先入観を外してくれる歌
僕はいろいろなところから短歌を集めるコレクター気質があって、以前「おふとんでママとしていたしりとりに夜が入ってきてねむくなる(松田わこ)」という歌を取り上げました。これは7歳の女の子の作品なのですが、素晴らしい。
お布団でママと夜仲良くしりとりをしていたら眠くなってしまったという描写を、大人なら「睡魔に襲われる」と擬人化しますが、子どもだからそういう発想もなく、夜が仲間に入り3人のしりとりになって、いつの間にか眠ってしまったという。
いいですね。
同じ作者でこんなのもあります。「『わしはウマ』『わしはヒツジ』おじいちゃんたちが明るく揺れてる市電」。市電の中で干支を言い合っていたんでしょうね。なぜか知らないけど、干支を言い合う時間帯ってあるよね。それで「俺たち一回り違う」とか言い合う。作者の彼女は「わしはウマ」「わしはヒツジ」と言うのを聞いてちょっとびっくりしたんでしょう。市電というのも、動物が運ばれていくような箱舟みたいな感じがいい。
7歳の歌でも、われわれが本気で作った歌がこれに勝てるかというとちょっと自信がないよね。大人になると、ハードルが生まれて子どもの時にできていたことができなくなったりします。
7歳のお子さんの作品もいいですが、高齢の方の短歌もいいんです。数年前に静岡でコンテストがあって、そこで出会った渡辺つぎさんという100歳を超えた人の『一日一日はたからもの』という歌集づくりを応援しました。
100年生きた人の発想はとても自由ですごい歌がたくさんある。私たちもこうあるべきだという先入観は外していいと思いました。「音量をしぼりラジオ体操中誰ものぞくなよ百二歳なれば」という歌に見られるユーモア!
こんな短歌が新聞に送られてきたことがあります。「前科八犯この赤い血が人助けするのだらうか輸血針刺す」。金子大二郎という人の短歌ですが、輸血をするためには病気をしていなかったりとかいろいろな条件があるのは知っていたけど、「前科」は考えたことがなかった。
差別意識はないつもりでも、病院で「では今から前科八犯の血を輸血します」と言われると、自分も輸血後には〇・二五犯ぐらいにはなるような気がする(笑)。この人も「俺の血でいいのかな」と若干ひるんでいるよね。でも、本当は前科一犯とか二犯なんだそうです。
創作が入ってるんですね。
そう。確かに「前科二犯」では短歌として迫力不足。だけど、そこを盛るのかと(笑)。
「にはん」が「はっぱん」になって破裂音が入るのもいいですね。
今の時代、炎上したりコンプライアンスが厳しかったりして、しゃべりにくい世の中じゃないですか。散文で前科八犯の人が「献血した」と書いたら文句を言われるかもしれない。でも短歌ならユーモアが生まれたり、現実世界とはまた違う次元に行けると思うんです。今、地声で話せないことも短歌には裏声(・・)で話せる強みがある。
フィクションはどこまで許されるか
先ほどの歌は前科を八犯に増やして作ったわけですが、では前科のない僕があの歌を作れるかというと、それは引っ掛かるんです。フィクションなら別に誰が作ってもいいはずですが、短歌にはそれを全面的には許さないところがある。いろいろな方面に失礼だし、ちゃんと刑務所に入った人に悪いだろうと。でもミステリー小説で人を殺しても不謹慎ではないじゃないですか。
あと短歌に限らずだけど、フィクションでも震災のように大きな現実の出来事があるといろいろ言われますよね。しばらくの間は不謹慎だみたいに言われて。SNSでも叩かれることがあって、それも何日経てばいいみたいなルールがあるわけではない。小説でさえも実際に震災を体験していないのにルポを借りて書いた作品が批判を浴びることがあるでしょう。当事者性の問題かもしれませんが。
もっと自由にファンタジーやミステリーの三十一文字があってもいいと思うんです。私は静岡県が募集する「あいの歌」という子育て短歌コンテストの選歌を俵万智さんと10年ほどやっていて、以前こんな歌がありました。「『ママどうぞ』小さな砂のおだんごは創業二年のやさしいお味」。
創業二年という表現で子どもは2歳と分かるのですが、お母さんには今この時しか作れない何かがあったのでしょう。フィクションであれ実際に起きたことであれ、一生の中でこれだけは自分の正直な気持ちで詠みたいという場面が人生にはある気がします。
短歌の中で子どもの有無や数や歳や性別を変えるのはどうだろうね。
この子育て短歌コンテストは毎年2、3000ぐらい集まる中で最終的に20首ほどが受賞作になるのですが、その中でLGBTQや性別の多様性を詠んだ歌もあります。
それは当事者かもしれないし、当事者を演じながら詠んだ歌かもしれない。自分がどちらともなく揺れている感じが現れている歌もあります。詠み手は女の子が好きだけどあえて違う立場で詠んでみた歌とか、内面にある何かからフィクションの名の下にそういう詠み方をするのかなと思ったりもします。
そのフィクション指数とでも言えばいいのか、晴香さんのフィクション度はどうですか?
難しいところですね。友だちのこういう仕草が素敵だなと思った時に恋愛の歌に変換して取り入れることもあります。実際の経験を元にしていたとしても別の記憶やフィクションを重ねるので、あとからこれは一体誰がつくった短歌だろうと思うこともある。
短歌にもコンプラ?
昔あるお母さんが「自転車の前後に子どもを乗せて」みたいな歌を新聞に載せたら交通法規上ダメという投書がきたそうです。SNSでも子どもと公園で花の蜜を吸ったと書いたら、それは公共物の条例違反に当たると言って炎上したこともあった。そういうのはどこまで許容されるのでしょうね。
炎上やハラスメントの例は本当にさまざまで、生きにくい状況だなあと思うのですが、花の蜜を吸って条例違反だと言われた歌には、それが当たり前だった時代への大らかな郷愁があるのかもしれない。
短歌には千数百年の物差しがあって、最近の過剰なコンプライアンス意識は、人間らしさを勝手に窮屈にしているように思えます。そういうことを問い直すためにも、あえて三十一文字の治外法権の場があってもいい。
僕がいつも例に挙げるのは荻原裕幸さんの若い頃の歌です。「どこの子か知らぬ少女を肩に乗せ雪のはじめのひとひらを待つ」。彼が20代の頃で80年代に作られた歌ですが、これは今だとまずいよね。
でも当時は孤独な青年のリリカルな心の触れ合いみたいに読まれていたわけよね。よく知っている幼なじみの少女を親の許可をもらって両親の前で肩車をしたというんじゃ短歌にならない。
そうですね。面白くない。
しかも今は子どもの権利は親でも勝手にジャッジできないと言われるわけでしょう。一方、これを疑いもなく叙情的な歌だと思って読んだ20代の自分の記憶もあるわけ。未来人になった現在の自分はこれを「事案」だと思っている。「じゃあ短歌としてはどうですか」と言われたら悪い歌じゃないと思うよね。
作中主体の行動が今はNGであることと、短歌として悪い歌じゃないと思うことが両方起きている。これをどう弁護できるだろう?
弁護したい自分が9割ぐらいですが、大学で教員をしていると教員が生徒を詠みづらい時代だと感じることもあります。以前特別支援学校の教員をしていたことがあるんです。その時にいろいろな生徒のことを固有名詞で詠みたかったんですが、それもまた「事案」になってしまう。
でも本当は三十一文字の中に固有名詞もどんどん入れて、主体がそれとどう向き合ったのかを生き生きと詠んだほうが嘘っぽくない気がする。それを勝手に制限している自分のフィルターが嫌だなと思います。
どうして短歌の中では肩車しただけで事案なのにミステリーは人を殺してもいいんだろうね。
私もすごく好きな歌ですが、いつの間にかこれ大丈夫かなと心配してしまうような世界になりましたよね。
今は下校中の子どもに「こんにちは」と声をかけたら事案だからね。
一方で、今は短歌ブームと言われ詠む人が増えているのは、散文では言えないことが言えるゾーンが短歌に残っているからじゃないかとも思います。
読みたくなる怖い歌、暗い歌
今はいろいろな表現者が批判を恐れて炎上を怖がっているご時世でもありますが、三十一文字に関しては信念を持って書いたものならどんなに批判されてもこれを貫こうと私は思います。他人に何と言われてもこうだと言い張りたいことを短歌で表現する。
鈴木さんは割といけそうだよね。燃える闘魂という感じで。
今はあまり女流歌人と言いづらい世の中ですが、短歌界には芯の強い女性がたくさんいてその貫き方がかっこいい。その系譜に鈴木さんも入りそうです。
ありがとうございます。
晴香さんのこの歌が僕は好きなんです。「冷たいと思わないと思われている鮮魚は氷の上に眠って」。魚屋さんの氷の上の魚が「冷たいと思わないと思われている」と言ったらギョッとするよね。「いや、思わないよ。だって死んでるじゃん」というのが普通の反応だけど、作者は、自分をあの氷の上の魚だと思って皆が冷たいと思わないんだと思っていると思うと恐ろしい感じがする。
与謝野晶子のライバルで若くして亡くなった山川登美子という人がいますが、この短歌を読んで僕はその人の晩年の歌を思い出したんです。「おつとせい氷に眠るさいはひを我も今知るおもしろきかな」。
たぶん病気で床に付いていて、発熱して氷を当てているんだと思うんです。それで氷の上に眠るオットセイが幸福だという。どう見ても普通の感覚では快適そうに思えないけど、それを今自分も知るという、すごくニヒルな、ある絶望を踏まえた誇り高さみたいなものを感じる。
晴香さんの、死んでいるはずなのに氷の上で皆は冷たいと思わないと思うというのは、死んだ魚にそんなこと言われたとしたらすごく怖い。これは読者に心地良い今の短歌とは少し違いますよね。
媚びていない感じがある。
ユーザーフレンドリーなものを皆が望む時代になっているから、短歌にもそういうものが望まれるんだけど、どこかでそうではない面白さもあるんじゃないかという。
國學院での授業でも学生たちは最初、喜怒哀楽の喜びや楽しさを表現しようとするのですが、途中であえて今まで誰にも言わなかったことやネガティブな感情を詠んでみてと言うんです。
学生は大体戸惑いますが、そこでこんな自分を表現してみましたと持ってくる学生もいる。それは作品としてすごく面白い。他人がどうかという価値基準を超えて、詠み手にとっての正解を見つけたり、それを詠むことで誰にも言えなかった気持ちが自分の中にあるのを知った感じが見て取れるんです。
折口信夫が卒業していく学生に向けて「桜の花ちりぢりにしもわかれ行く遠きひとりと君もなりなむ」と歌った短歌があります。われわれ平凡な人間の感じだと、励ましの言葉とか「元気で頑張れよ」というのがあるべきじゃないですか。でも、折口にはそういう祝意がなくひんやりしている。でも「おめでとう、頑張れよ」と言った先生が「君」のことを忘れても、この人は忘れないなという感じがすごくする。
折口の歌にはそういうのが多くて、すごく暗いと思うものがいっぱいあるけど、そこにわれわれが普段良いとしているベクトルの中だけに良いものがあるのではなく、何か読みたくなるような異様な思いの強さがあるんです。晴香さんの歌にもそういうところがあると思いました。暗い歌でも。
暗い歌が好きなんです。
例えば「手品師が覚えていろと言うカードいつ忘れればいいのだろうか」という歌もあって、これは自分が手品師だったら怖いと思う(笑)。手品の場面では全員合意しているはずの「これを覚えてください」「(絶対当たるはずがない)」「これでしょう」、わあっとなったところで世界は終わるじゃない? でも、その人はずっと覚えていていつ忘れればいいのかと本気で思っている。
例えば50年後に再会して「50年前、あなたにこのカードを覚えておくように言われたんですが、いつ忘れればいいですか」と訊かれたら怖いよね。でもすごくいい。その怖さは味わってみたい。
この歌は私自身がこの肉体から逃れられないみたいなところから発想した歌ですね。私である限り、本当の意味でカードを忘れることはできない。
没入型の歌人とは
ある種の歌人にはすべてにおいて、いつ忘れればいいのだろうかの塊みたいな感じがあるんですよ。心の深いところでどうなってもいいと思っている人の怖さというか。
よく駅の改札口で抱き合っているカップルがいますよね。2人とも一心不乱になっている場合はいいんだけど、1人は完全に没入していてもう1人は微妙に周りを気にしている気配がある時、ああ、あの人はやばい、あっちが死ぬと思うよね(笑)。没入しているほうは意外と死なない。だってキョロキョロしているのは無理がある状態じゃん。でも、歌人には時々、今ここへの没入感を強く出す人がいるから怖くなるんです。
両方のタイプがいませんか?
田中さんはどちらなの。
周りがどうであれ突っ込む派。
全部の国に行こうとするぐらいだからね(笑)。海外で危険な目に遭ったことはないんですか?
泊まったホテルに、爆弾が打ち込まれて、真っ黒な痕跡が壁に残っていたことがありました。
それは危険だね。
サラエボではかつてサッカー場だったところが20万人の墓地に変わっていたんです。そんな状況を聞いたら、これを見ずして帰れないと思って、行きました。やはり現地で目にしたものを大事にしていきたいと思います。三十一文字のルポルタージュ。
書斎型の人が多い歌人の中で現場に行く人は少数派ですよね。
突き進むタイプですね。
僕なんて今日、ここにたどり着くまでに超おどおどしたな。だって、慶應大学の行き方なんてどう考えても駅から分かりやすいはずじゃない? それなのに赤羽橋からの地図がどれも微妙なんですよ。迷って迷って「慶應は存在しないんじゃないか」とすら思えた。
穂村さんはすごくきっちりされているイメージがあるのに(笑)。
大丈夫だという気持ちが維持できないんですよね。
歌を詠んでいても信念を持って言葉を選んでいるようで迷いを感じさせないところがありますよ。
他の人の感覚がわからないんだけど、そういう不安の強さが短歌に現れる人は時々いるよね。大滝和子さんにも「おそろしき桜なるかな鉄幹と晶子むすばれざりしごとくに」という短歌があって、これも普通の感覚じゃないよね。
面白いですね。
すごい比喩というか。でも、たぶんこれは頭の感覚というより身体の感覚だと思うんだよね。
(2024年4月24日、三田キャンパスにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。