登場者プロフィール
宮里 藍(みやざと あい)
女子プロゴルファー2003年より女子プロゴルファーとして活躍。06年から米ツアーに参戦し09年に初優勝。10年には年間5勝を挙げ、世界ランキング1位も経験。17年現役引退。
宮里 藍(みやざと あい)
女子プロゴルファー2003年より女子プロゴルファーとして活躍。06年から米ツアーに参戦し09年に初優勝。10年には年間5勝を挙げ、世界ランキング1位も経験。17年現役引退。
早川 治良(はやかわ はるよし)
その他 : 東京グリーン富里カレドニアン取締役会長文学部 卒業1958年慶應義塾大学文学部卒業。1981年東京グリーンを設立し、「技と知力を必要とする世界レベルのコース」の理念の下に富里GC、カレドニアンGCを建設、運営。
早川 治良(はやかわ はるよし)
その他 : 東京グリーン富里カレドニアン取締役会長文学部 卒業1958年慶應義塾大学文学部卒業。1981年東京グリーンを設立し、「技と知力を必要とする世界レベルのコース」の理念の下に富里GC、カレドニアンGCを建設、運営。
戸張 捷(とばり しょう)
その他 : 株式会社ランダムアソシエイツ代表取締役商学部 卒業1968年慶應義塾大学商学部卒業。トーナメントディレクター・プロデューサーとしてゴルフトーナメントの現場運営からテレビ放送のアレンジなどを行う。
戸張 捷(とばり しょう)
その他 : 株式会社ランダムアソシエイツ代表取締役商学部 卒業1968年慶應義塾大学商学部卒業。トーナメントディレクター・プロデューサーとしてゴルフトーナメントの現場運営からテレビ放送のアレンジなどを行う。
2023/05/25
「いいゴルファーになってください」
最初に出会ったのが、宮里さんが15歳の時だよね。
そうですね。
僕が運営しているサントリーレディスオープンに、沖縄に非常に強いジュニアがいるから是非出場してもらいたいと連絡がきた。「予選通るかな」と思っていたら、堂々と通過して。それが宮里藍。
ホールアウトしてから、テレビのディレクターに、彼女を放送席に呼ぼうと言ったら来てくれたんですよ。中学校の制服を着て。
私、緊張していて、何をしゃべったかも覚えていないんですが、最後に戸張さんに「いいゴルファーになってくださいね」と言っていただいたことはよく覚えています。
有り難うございます。強いゴルファーは世の中にたくさんいるんだけど、やはりゴルファーって、リスペクトされるということが非常に大事な要素だと思うんだよね。
放送席での受け答えやプレーを見ていて、この人はたぶんゴルフの将来を背負っていくと思ったので、「いいゴルファーになってね」と言ったんです。人の目標となるような。
そのとおりになったよね、本当に。現在サントリーレディスは、宮里さんの名前を冠して「宮里藍 サントリーレディスオープン」になっている。
15歳の頃、雑誌にスウィングが載ったんですよね。
そう、すでにもう有名でした。
そのころ僕はお兄さん(宮里優作プロ)に注目していたんです。それが、たまたま雑誌で藍さんのスウィングを見て、「いいスウィングしてるな」と思って写真を切り抜いてスウィングの練習をしました。
本当ですか。有り難うございます。
あの頃はプロテストを通らないとトーナメントに出られなかったのを、戸張さんのお力で、藍さんが初めてアマチュアから出られるようになったんでしょう?
当時はアマチュア規定でプロの試合に出られるのが年に4回までだったんです。
その数少ない試合がサントリーレディスだったんですが、サントリーのアマチュア出場枠はとても多くて、10人ぐらいの枠を取ってくださっていた。これは有り難かったです。すごく貴重な機会でした。
あの頃から女子プロゴルファーがすごく華やかになった。藍さんが最初ですよね。従来の女子プロのイメージがガラッと変わりましたね。
宮里さんはゴルフをしない人が興味を持った最初の女子プロだと思います。それまではゴルフのトーナメントはゴルフをする人だけに興味があったんだけど、ゴルフをしない人たちがテレビで見て、宮里藍という名前を口にするようになった。ゴルフ界にとってすごく大きなターニングポイントだったと思います。
女子プロゴルフ界の隆盛の始まりですね。今、女子はスター選手も多くてすごく人気あるでしょう。そのきっかけでしたね。
高校3年で初優勝
どのくらいの年齢でプロになりたいと思い始めたんですか。
中学1年で初めてダイキンオーキッドレディスオープンにジュニアで出場し、予選会を勝ち抜いて本戦に出た頃です。そこで森口祐子さんや中野晶さんと一緒にプレーさせてもらって、「ああ、プロってかっこいいな」と。そのときに初めて自分の中の願望が明確になりました。
その後、仙台で高校3年生の時に地元仙台のミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンJLPGAの試合で優勝してしまう。
当時高校3年生がトーナメントで勝つというのはすごいことで、大騒ぎになりましたね。最後にいいバーディーパットを入れて。ものすごく印象に残っているんだけど、あれ、どのくらい?
3メートル弱くらいですね。
高校3年生が、最終日、たくさんのギャラリーに囲まれている中で、バーディパットを入れて優勝するんですよ。素晴らしかったです。
心臓が強いのかな(笑)。
いえ、そんなことないです。すごく緊張していて、手も震えていましたけれど。
高校を卒業する前にプロになることを決めたんですか。
ちょうど私がアマチュアで優勝する1月くらい前に、JLPGA(日本女子プロゴルフ協会)の規定が、アマチュアで優勝した場合、4週間以内にプロ宣言をすれば、1年間のシード権がもらえる、と変わったのです。
それで、こんな大きなチャンスはめったにないからプロになろうと、父と2人ですぐに決めました。
そのルールは樋口久子さんと僕で作ったルールなんです。宮里さんみたいな選手が、アマチュアから優勝してプロになって活躍したら、一番沸くわけじゃないですか。それで、ルールを変えてプロになった第1号が宮里藍なんですよ。
それが今、常態化しましたもんね。アマチュアから活躍する人がたくさん出てきましたね。
ワングリーンの魅力
宮里さんがデビューする前、宝インビテーショナルという試合を僕が作ったんですね。最初、関西でやっていたんだけれど、途中から早川さんが経営するカレドニアン・ゴルフクラブにそのトーナメントを持ってきて、毎年アメリカからLPGA(全米女子プロゴルフ協会)の選手を7、8人連れてきたんです。
トッププロのインビテーショナルは華やかでしたね。戸張さんが全部プロデュースされたんですね。
アメリカはボランティアの人がいろいろな手伝いをします。それを戸張さんがカレドニアンで実行されて、近くの初心者ゴルファーを集めてコンペをやったりして。随分、大勢手伝ってくれましたね。
300人ぐらいいました。地元でピーナッツ農家をやっている方々にも集まってもらって、地域で盛り上げていかないといいトーナメントができないので、「皆さんの力が大事です」と数十回話しました。
ゴルフ場って、トーナメントをやる時に一番大切な要素なんですよ。舞台ですから。早川さんにお願いした一番大きな理由は、カレドニアンがワングリーンだからなんです。日本のゴルフ場はツーグリーンが多い。でも世界中で良いと言われているゴルフ場はツーグリーンのものはほとんどない。ワングリーンというのは最後にターゲットが狭くなって、グリーンの両側にトラブルがある。一方、ツーグリーンにすると、易しくなってしまうんです。
あのころはツーグリーンが当たり前でしたからね。
設計者はNature
そうでしたね。ゴルフは4、500年前から「リンクス」というスタイルで始まったと言われています。スコットランドの海岸で、ほとんど木も何もない所から始まっているんです。
セント・アンドリュースという有名なコースがありますね。あれはセント・アンドリュースの市の財産区が持っているパブリックコースです。ゴルフ場には普通、例えばマイケル・ポーレットという人がカレドニアンを設計したとか、設計者がいる。でも、セント・アンドリュースは、パンフレットに設計者は「Nature」って書いてあるわけ。
それ知らなかったです。
面白いでしょう。自然が設計したゴルフ場なんだと。これがゴルフの原点がスコットランドにあるということなんですね。
セント・アンドリュースでプレーしましたか。あそこは不思議なコースだよね。
はい。全英女子オープンで2回出場しました。テレビでは伝わらない細かい起伏が本当にすごいです。あと、バンカーが本当に見えない。私もいろいろなリンクスを回ってきましたが一番ポットバンカーが見づらくて、あちこちにあるという印象ですね。
すごくコースが波打っているんですよ。夕方になると影が出て、そのアンジュレーション(起伏)がわかるんですけど、日中だとわからないですね。だからプロがこれに苦労するんですね。また、1つのグリーンに2つピンのホールがありますね。
7つのグリーンに旗が2個立っている。だから「きれいなコースですね」とか「素晴らしいですね」とかではなくて、「セント・アンドリュースはやはりセント・アンドリュースですね」という感じだよね。
はい。その通りです。
「河川敷みたいなコースだ。あんなコース、ゴルフ場とは思えない」なんて言う人がいましたよね。
世界で一番有名な河川敷コースと言った人がいる(笑)。
私、セント・アンドリュースの17番、ホテルに2回、OB打っているんですよ(笑)。
セント・アンドリュースだからああいうことが許されるんですね。
あそこはもともと倉庫のあった所にコースを作ったんですよね。
そうですね。でも、ホテルを越えるのは気持ちがいいですよ(笑)。
そうですね。本当に上を打っていくので面白いですよね。
マスターズという舞台
僕が最初に作った試合は、50年前のフジサンケイクラシックなんです。まだジャンボ尾崎がトーナメントに出る1年前です。
まだノウハウがなくて杭を打ってロープを張るのも、どうやったらいいのかわからない。ギャラリーをロープの外で見せるというのも、それまで大きなメジャー大会以外はないわけです。日本オープンだって有料入場になったのは1973年だから。
自分たちでトンカチで杭を打ってロープを張って。私たちがロープの内側にいると、「俺たち金払ってるのに外か」とか言われて。
そういう時代ですか!
オーガスタのマスターズは1日、5万人しか入れない。「しか」ですよ。
マスターズを見ていると、オーガスタはアザレアなどの花が本当にきれいですね。それから11番から16番のアーメン・コーナーでは風があってすごくスリリングで有名ですけど、ギャラリーもものすごく華やかですよね。
ギャラリーをパトロンと呼ぶんですよね。マスターズは他のトーナメントとは違ってオーガスタナショナル・ゴルフクラブが主催しているんです。松山英樹プロが勝った時、最後にクラブの皆さんにお礼を言いたい、と言ったのは、そういう意味が含まれているんです。あのお土産屋さんのショップ、行きました?
はい、行きました。すごいです。やっぱり規模が違いますね。
もう試合が始まる頃にはお土産がなくなっている。
僕は秋にオーガスタに連れていってもらって回ったんです。帰りにお土産を買おうと思い売店に行ったんですが、これ、いいなと思ったら、メンバーだけにしか販売しないのだと言われました。
そうそう。
どう区別しているのかなと思ったら、メンバー用には「オーガスタナショナル」と書いてある。一方、お土産用には「マスターズ」だけ。メンバー用のほうが高級品で、それが欲しかったのに買えなかった(笑)。
ロッカールームも内緒で見せてもらいましたけれど、優勝者だけのロッカールームがあるんです。ジャック・ニクラスは何回も優勝しているからたくさんあるのかなと思ったら1つでしたけどね。そうやって大事に伝統を守っている。
アメリカツアーの経験
ところで宮里さんはアメリカに行って1つ勝つまで、ちょっと苦労しましたよね。
4年かかりました。
よく途中で帰ってこないなと思った。食事も大変でしょうし、広いアメリカを移動するのだから。
そうですね。私は食事は平気だったのですが、やはり移動が大変でしたね。海外でもたくさん試合がありますし、アメリカ国内だけでも時差があり、州によって芝も天気も違う。そのような中、自分の引き出しをちゃんと作れるようになるまで4年かかったのだと思います。
芝の違いは結構大きいんじゃないですか。
そうですね。本当に東と西で全然違います。あとコースセッティングも日本とは全然違ってピンポジションの振り方も違うので、攻略方法も違ってきます。
日本だと、私は当時、セカンドは7番アイアンとか8番アイアンで打てていたのに、アメリカでは5番アイアンとかユーティリティの距離になってしまいます。するとパー5の戦略もまた変わってきて、40ヤードぐらいの距離が残るんです。そのくらいのアプローチがあまり上手ではなかったので、チャンスがなかなか作れないことが多かったですね。
4年間って結構長いよね。
そうですね。1年半ぐらいはちょっとドライバーイップスの期間があったんです。ツアー参戦2年目にイップスになって、それから優勝まで2年ぐらいかかってしまった。
飛距離や、自分の正確性をもっと上げるためにはどうしたらいいかと試行錯誤を繰り返していくうちに、スウィングを大幅に変えるリスクにあまり考えずに取り組んでしまったことが原因としては大きかったですね。自分の最大の武器だった、どんな状況でも同じテンポとルーティンで打てるというところがわからなくなってしまって。
パッティングはイップスに皆よくかかりますよね。ドライバーにもイップスがあるんですね。
ドライバーもあります。インパクトって一瞬の出来事なので、一度恐怖心を持って振れない状態になると、なかなか自分が無意識でやっていた感覚までに戻すには、かなり調整しないといけない。難しい作業になるんです。
アドレスの時にクラブフェイスが自分の目標に対して一度ズレると、着地点が7ヤード以上違うと言われているので、それだけ繊細なんです。
微妙だなあ。イップスという言葉も口にしたくないと思うけど、それを直したの?
直したというよりは、自分がどうやって体を動かしていたかとか、勢いと若さでやっていたものを1回全部解体して、1つ1つ意識的にやるようにしていきました。どうやって自分が動かしていたかを理解し、体が動くようになるまで時間がかかりました。
本当にあの当時、打つと視界からボールが消えてしまうんです。打つはずの方向と違う方に飛んで行く、とんでもない状態でした。
超高速グリーンを実現
うちはもう、フェアウェイもラフもグリーンも最低の刈り高でやっています。グリーンは今、2.8ミリで刈っています。普通は3.5ミリぐらい。
アベレージゴルファーも1年中トーナメントのスピードをエンジョイできる(笑)。
季節を問わずに、グリーンスピードが14フィートを維持できるのはすごいです。
いや、1年間維持するのはすごく難しいです。オーガスタのような高速グリーンを目指してスタッフは頑張っていますが、超高速グリーンを体験しないと世界では戦えませんという意見が多いですね。
日本はプレー時間がかかるから、グリーンはあまり速くしないというゴルフ場経営者が多いんです。
そういう傾向はありますね。一般的にグリーンキーパーは、職人気質なので、危険を冒して挑戦するより一定の質での安全なコース管理をしていこうという考えが強いんですね。だから3ミリ以下で刈るなんて無理と、尻込みしています。
短く刈るとかじったりする(刃が傷つける)ので、いかに硬いグリーンにするか、四季との戦いに苦労しています。うちのグリーンキーパーは、最初は3ミリ以下で刈ったら枯れちゃいます、責任持てませんと、投げ出しそうになったこともありました。
まあ、いつも頭を五分刈りにしているようなものですからね(笑)。日本のグリーンできちんとそういうことをしているのは、カレドニアンを含めて数か所だけですよ。
超高速グリーンは難しいけれど。プレーしていて楽しいというお客さんが多いですね。ものすごくリピートします。
ゴルフ場というのは芝居の劇場みたいなものだから、やはりちゃんとした設備でやらないと、本当にいい芝居はできないんですよね。
アメリカツアーでの優勝
アメリカツアーで、フランスで行われたエビアン選手権で宮里さんは初優勝しますね。なぜかそれも僕がテレビでしゃべっていて。フジテレビが中継していたんです。
3日目が終わり、「明日、優勝しますか?」って聞いたら「はい、準備はできています」って。
はい、言いました。
それを聞いて、ああ、これはきっと勝つだろうなと。あの時は本当にそう思ったの?
ドライバーイップスになってからその時でちょうど2年目ぐらいなんですが、ようやくいろいろなことが嚙み合ってきた頃だったんです。直前の全米女子オープンでトップ10に入っていたので、自分の中で手ごたえを感じていました。
プレーオフになったよね。
そうですね。まだイップスは完全には消えていない状態だったので、不安も大きかったですけれど、やるべきことはしっかりやれていたと思います。
大したものだと思いますよ。イップスと共にいながら勝つのは大変だと思います。
大変でした(笑)。
日本の女子プロゴルフ界のトーナメントで、一番ギャラリーが入ったのが、2005年に戸塚カントリー倶楽部でやった日本女子オープンなんです。そこでも宮里さんが優勝した。
あの時のギャラリーはすごかったですね。
史上最大ギャラリーで、ケガ人が出るかと思いましたよ。宮里さんは人気、実力ピークだったから。
アメリカに行く前年でした。
僕も戸塚のメンバーですから見に行ったんですよ。いやあ、ギャラリー大勢いるなと思ってびっくりしました。そういう中でちゃんと自分の技術を出して勝つんですから、本当に頭が下がりますね。
理想のゴルフ場とは
早川さんにとって理想のゴルフ場というのはどういうところなんですか。
「伝説のアマチュアゴルファー」と言われる中部銀次郎さんも言っていましたけれど、これはボビー・ジョーンズの思想だと思いますが、プロもアマチュアも両方楽しめるコースがベストだと。オーガスタはそういうふうに造られています。オーガスタはバーディーを取るのは難しいけれど、ボギーで回る分には楽しく回れるんです。
そういう誰でも楽しめる、面白いコース。しかも奥深く戦略を練らなければいけないというコースを僕は理想としたんです。
素晴らしいです。
カレドニアンというゴルフ場は、非常に特徴があるじゃないですか。あれは早川さんが、あの形がいいと言ったんですか。
僕はその前に3つコースをタッチしていたんです。最初に造ったコースは50年ぐらい前で、その頃は長くて広くてフラットなのが一番いいコースという時代でした。当然ツーグリーンで、ツーグリーンの1つはちょっとずらして端っこに造ることが多いけど、僕は両方ともチャンピオン的なコースじゃなきゃおかしいと思いグリーンを並べたんです。目玉グリーンと言われました(笑)。
だけどおっしゃるように、2つグリーンがあると、多少外しても大けがしないので、これではつまらないと思っていろいろ勉強しました。
ポーレットに設計を頼む時、最初、ビッグトーナメントに耐えられるレイアウトにしてほしいと言ったんです。だから、最初の図面はかなり難しくなっていた。アマチュアだと、全部回るのが大変そうなのでポーレットとホテルで一晩中議論し、われわれが回っても楽しいコースにしてくれと。そういう思想で造ったのが富里ゴルフとカレドニアンです。
そういう経緯だったわけですね。
カレドニアンを造るのと並行して、私が前にいた会社が某コースを造ろうとポーレットに頼んだんです。でも、社長が接待ゴルフ用に易しくしようと、ポーレットの造ったせっかくいい位置にあるバンカーを無断で移動して、イメージを変えてしまうわけです。
カレドニアンと某コースの間にバーがありまして、そこへポーレットの部下のシェイパーたちが夜、集まるんですよ。「このコースは平凡でもう嫌になった。カレドニアンで働きたい」なんてぼやいていました。
シェイパーというのは、設計者が描いた図面を見ながら、図面どおりの傾斜やマウンドを造る人を言うんです。ゴルフ場のフィニッシュをやるのはその人たちなんですね。
だからシェイパーの情熱が大事です。日本だとゼネコンの下請けみたいなのが仮のシェイパーをやるので、同じような造りになってしまう。アメリカでは技術の優れた専門のシェイパーがいるんですよ。
設計者のセンスも大事だけれど、シェイパーのセンスはものすごく大事。アメリカの有名なコースを、これは誰がシェイプしたんだと設計者同士が結構、話をするんですね。
反対を押し切って木を切る
僕が戸張さんに一番感心しているのは、木を切れと、かなり強く要求することなんですよ。
はい、存じています(笑)。
僕は川奈ホテルゴルフコースが好きだから毎年、お正月に行っているんですが、海沿いに大きな松がいっぱいあって景色をちょっと阻害していたんですね。それを戸張さんが切らせたら、川奈らしく原点に戻ったような感じがする。キャディーさんに聞いたら、「ものすごく反対がありました」と。
僕がどんどん海沿いの木を切ったら、川奈は世界ベスト100コースランキングが70位程だったのが、50位まで上がったんです。あるパネリストのコメントに、海沿いが非常にきれいになって海と一体化したのがポイントを上げた理由だと書いてあった。
ペブルビーチの海沿いに最終18番があるけれど、あの左側に木が植わっていたらやはり変でしょう?
そうですね。右側に1本あるだけでいいですよね。左から攻めないとバーディー取れないから。
ちょうど川奈とペブルビーチは同じ頃の開場ですよね。伐採ですごく良くなりましたよ。12番とか15番とか海がきれいに映る。
こんな話も聞きましたよ。龍ヶ崎で日本オープンをやろうとなった時に、戸張さんが木が邪魔していると。それであの木を切れ、この木を切れと言ったら龍ヶ崎は言うことを聞かなくて、トーナメントを返上しちゃったと。
でも何かを変えようとするときは、そのくらいきちんと言わないと変わらないんです。世の中すべて。変化を嫌う人が多いです。
古いゴルファーは皆反対するんですよね。でも、我孫子ゴルフ倶楽部も木を切ってさっぱりしました。
キャディーさんは戸張さんがここ切れと言って、すごくすっきりしたと言っていました。
改造した直後に行った時は違和感はありました。でも、この前行ってみたら、ちゃんと落ち着いたコースになっていて。
床屋に行った後にすぐ会うと、何か変だと思うじゃない。でも大体1週間ぐらいすると落ち着くんです。だから慣れの問題なんです。でも結構、僕は危険だと思われている(笑)。
ああいうのを恐れずやるところはすごいですよ。
マッチプレーという原点
日本アマチュアという試合はずっとマッチプレーでやっていたんです。それが3年前から男子もストロークプレーに変えてしまった。僕は大反対しました。マッチプレーというのはゴルフの原点だからです。
馬場咲希選手が勝った全米女子アマだってマッチプレーです。日本アマチュアの最高峰の試合が、目の前にいる相手と戦うというゴルフの原点ではなくなるのは良くない。
マッチプレーは実際、面白いですよね。自然と人間との闘いのゲーム。
面白いです。ストロークプレーとは全然違う。
カレドニアンはマッチプレーを随分設けているんです。5大競技の他にウィークデーも(中部)銀次郎杯や金田メモリアルでマッチプレーをやっていてすごく参加者が多い。それだけマッチプレーをやりたいという人が多いんですね。
カレドニアンはグリーンが速くて面白いということで、割と上手なプレーヤーがたくさん来るようになりました。月例競技が、以前は参加者が30人ぐらいだったのが、今はもう150人。月例だけで満杯です。
ゴルフの歴史は基本的にスタートはマッチプレーなのです。要するに一緒に行って勝負が決着したら、帰ってもいいし、先を楽しんでもいいという。スコットランドは昔全部そうで、全英オープンが1860年に始まった時、初めてストロークプレーで行われるようになった。
でも脈々とマッチプレーの系譜は残っていてそれが原点です。
ストロークプレーとマッチプレーではルールがだいぶ違うんですよ。オーケーの出し方なんかも。
コンシードですよね。
僕は日本プロゴルフマッチプレー選手権というのを作ったことがあるんですよ。それで、テレビ朝日で毎週、1試合ずつ放映していったんですが、すごく面白かった。
先に長いのをコーンと入れて、バーディーチャンスの人がうろたえてスリーパットするとか、結構そういうシーンがあるんだよね。
マッチプレーをしている人はものすごく興奮していますよ。よっぽど面白いんでしょうね。
国際化への対応
戸張さんにお願いしたいんですけど、今、テレビに映った画面に、コース名がほとんど入っていない。だから、途中から見ていると、このコースどこかなと思うことも多い。どこのコースの何番という表示を出してくれるといいなと思うんですけれど、ぜひ言ってください。
わかりました。前は何人もいたんですが、テレビでプロではなくてトーナメントの解説をする人が、今、僕しかいなくなっちゃったんです。僕は50年前、フジサンケイの1回目に、「あなたが企画した試合なんだからしゃべりなさい」と言われて、それでしゃべり出したのが最初なんです。
戸張さんの声はすごく通るんですよ。だから解説者としてはすごく印象に残りますね。
素敵ですよね。50年やられてきて、これからゴルフがどういうふうになってほしいと思いますか。
どのみち、より国際的になると思うんですね。世界中、どの国のどの試合に出ても通用するプロゴルファーであることが要求される時代が来ると思うんです。
テレビの中継も、今は、日本語でしゃべって日本語でスコアが出るから日本のトーナメントって日本でしか放映できない。昔、英語でスコアや名前を出せばと言ったことがあるんだけど、いまだ改善されない。
それから、今、ゴルフをプレーすると、ゴルフ利用税という税金を払っているわけです。やはりあれが別の形にならないとスポーツにならないでしょう。税金を払うスポーツってあまりないわけだから。
確かにそうですね。
そのあたりが変わってほしい。よりインターナショナルになることは間違いないので、それに見合う準備を、ゴルフ場もトーナメントもアマチュアの世界もやっておかないといけません。
ダブルペリアというハンディキャップ方式でコンペをやるアマチュアが日本では多いんですが、あれは全く日本でしか通用しない。外国、特にアメリカは、ゴルフ場の会員でもそうでなくてもハンディキャップを取れるようなシステムになっている。それによって、アマチュアのゴルフが楽しく運用できるようになっているんです。
ハワイでゴルフをした時に、一緒に回ったアメリカ人は皆ハンディキャップのカードを見せるんですよ。日本にはないので、私は適当にハンデを言って回りましたけどね。
戸張さんがおっしゃるように、これからどんどんスポーツとして競技がより国際的になるのでしょうね。今でも、すでに私の感覚ではゴルフは全く違う競技になっています。この5年ですごい変わったと思うんです。オリンピック競技になったのも、私の中ではすごく大きな変化でした。
今までは、オリンピアンの方と話をする際、「ゴルフってプロ競技じゃないですか」と言われることが多かったので、壁も感じていたのですが、そういうものがなくなってゴルフがもっと世界に広がるといいなと思うんですね。
ゴルフで大切なリスペクト
ゴルフ人口(ゴルフコースでプレーしたことのある人口)は、生産性本部のデータでは、560万人という数字が出ている。バブルのときは1000万人いたんです。でもコロナで少し増えてきている。
ゴルフ練習場の延べ利用者数で言うと、バブル期は優に1億人を超えていたのが、2018年には8600万人に下がってしまった。でもそこからまた増加に転じ、2021年には1億人台を回復しています。
慶應もこれだけOBがいるんだから、本当はアメリカの大学のようにどこかにゴルフ場の1つぐらい持っていてもいいよね。それもパブリックでいいゴルフ場を作って慶應の卒業生が優先的にスタートがとれて、一般の人たちもプレーができるという。ゴルフ界に役に立つような。
ゴルフってものすごく人間性を問われるゲームなんです。人からリスペクトされることが大事。人が見ていなくてもスコアは正しく書くとか嘘をつかないことが原点なんですね。
私も最近よく感じるんですが、プロ競技ももっとスポーツマンシップというところを大事にしていかなければいけないと思うんです。
今、女子プロゴルフ界が盛り上がっていてとても華やかで、若いうちからすごくお金を稼げる競技になっている。でも、同伴競技者がいるスポーツなので、相手を讃え、終わった後はお互い頑張ったねという、そのリスペクトがすごく大事になってくると思います。
若手の選手の優勝インタビューで、競って負けた相手に対して掛ける一言が最近少ないような印象を受けているので、もう少し視野を広く持ち、一緒に戦った人に対してのリスペクトを大事にしよう、というメッセージを発信していきたいです。
一生楽しめるスポーツ
宮里さんはリタイヤを決めた時は、結構時間をかけて考えたのですか?
結構考えました。最初に引退の文字がちらついたのは29歳ぐらいの時なので、そこから引退するまでに3、4年かかったと思います。
それは自分のゴルフをしながら、ちょっと違ってきたなと?
そうでしたね。やはり最初はフィジカル面での変化を28歳ぐらいから感じ始めました。思うような動きができないことが少しずつ出て、あと、ちょっと疲れやすいなと。対策は26歳くらいからしていたつもりだったんですが、なんとなく上手く嚙み合っていかなくなる。
あとはやはり勝つことに対しての意欲、モチベーションが以前ほど強くなくなってきたということです。モチベーションが高くないと、練習も100%できなくなる。これでは勝てる世界ではないので。
自分が7割とか6割ぐらいのモチベーションでやろうと思ったらたぶんできるんですが、それがいいのかどうかというところでしたね。
僕らから見ると引退が早すぎたなと。すごく残念でしたよ。
そう言っていただき、有り難うございます。
もう全然、自分の感覚では戦えていなかったので。これで日本に帰ってきたとしても、たぶん同じことが起きると感じていました。
でも六甲国際カントリー倶楽部での引退した試合の最後の18番。よくあのパット入れたなと。
入れましたよね。あのアプローチは本当に下手過ぎてびっくりしたんですけれど(笑)。
あれは見ていてジーンときましたね。最後のホールのアプローチがあまり上手くいかなくて、ちょっと嫌なパットが残った。それをきっちり入れてきてね。
あれはもうご褒美でしたね。本当にそんな感じがしました。
でも、ゴルフはとてもいいスポーツです。私はもちろん引退はしていますが、競技としては続けられるので、すごく今、ゴルフが楽しいです。80打っても気にならない時が来るからと言われたんですけど、今、まさにそれなんですよ(笑)。痛くも痒くもないんです。
だから楽しいのよ。
楽しいんですよ。やはり現役時代は1、2ヤードを争う世界だったので、クラブを変えることもすごく慎重でした。でも今は1ヤードでも飛ぶんだったらボールもドライバーも変えます。現役の時よりもはるかにいろいろなクラブを試しています。
心の中はちょっとアマチュアっぽくなるんですよね。
本当にそうですね。全然違う視点で今、ゴルフをしていますが、やはりいい競技だなと思いますね。
とにかくゴルフは老若男女がそれぞれのレベルで生涯にわたって楽しめるスポーツですからね。
(2023年3月3日、三田キャンパスにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。