登場者プロフィール
雨宮 夏雄(あめみや なつお)
その他 : 一般社団法人モルドバジャパン代表理事一般社団法人モルドバジャパン代表理事その他 : 外交官法学部 卒業法学研究科 卒業1970年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。73年同大学院法学研究科修了。ニューオリンズ総領事、国際交流基金理事等を歴任。2009~12年在ルーマニア特命全権大使。
雨宮 夏雄(あめみや なつお)
その他 : 一般社団法人モルドバジャパン代表理事一般社団法人モルドバジャパン代表理事その他 : 外交官法学部 卒業法学研究科 卒業1970年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。73年同大学院法学研究科修了。ニューオリンズ総領事、国際交流基金理事等を歴任。2009~12年在ルーマニア特命全権大使。
川上・L・れい子(かわかみ・L・れいこ)
その他 : 明治大学ルーマニア文化研究所客員研究員その他 : 中東欧ワイン・リカー文化協会理事文学部 卒業2002年慶應義塾大学文学部卒業。外資系企業勤務の傍ら、ルーマニア現地情報を執筆。共著『東欧のかわいい陶器』。
川上・L・れい子(かわかみ・L・れいこ)
その他 : 明治大学ルーマニア文化研究所客員研究員その他 : 中東欧ワイン・リカー文化協会理事文学部 卒業2002年慶應義塾大学文学部卒業。外資系企業勤務の傍ら、ルーマニア現地情報を執筆。共著『東欧のかわいい陶器』。
田辺 一城(たなべ かずき)
その他 : 福岡県古賀市長法学部 卒業2003年慶應義塾大学法学部卒業。毎日新聞社記者、福岡県議会議員を経て2018年古賀市長に初当選し現在1期目。古賀市は東京2020オリンピック・パラリンピックのルーマニアのホストタウン。
田辺 一城(たなべ かずき)
その他 : 福岡県古賀市長法学部 卒業2003年慶應義塾大学法学部卒業。毎日新聞社記者、福岡県議会議員を経て2018年古賀市長に初当選し現在1期目。古賀市は東京2020オリンピック・パラリンピックのルーマニアのホストタウン。
2021/12/24
ルーマニアとの出会い
今年は「日本・ルーマニア外交関係樹立100周年」ということです。私は2009年から3年間、ルーマニア大使をしており、この間のちょうど真ん中、2011年3月11日に東日本大震災があったのですね。
実はルーマニアの人々は大変な親日家です。震災が起きると日本に対する様々な同情をいただき、支援活動を行っていただきました。ルーマニア赤十字社は募金をしてくれて、ブカレストの子どもたちは千羽鶴を折り、「日本の子どもたちに届けてほしい」と言ってくれました。そこで私は、その千羽鶴を持って帰国して福島を訪問し、当時の福島県知事にお渡ししました。ルーマニアの人々の優しさに触れた機会でした。
私はルーマニアの国旗と日本の国旗を合わせ、「友情」と「愛」と「協力」という文字を入れたハート型のバッチをつくり、これをお礼としてルーマニアの子どもたち1,000人に送ったんです。
心温まるエピソードですね。私は大学卒業後、イタリアの旅行会社で働いている時、たまたま出会ったルーマニア人と仲良くなり、ルーマニアに興味を持ちました。2000年代になり間もない頃で、「ドラキュラ・コマネチ・チャウシェスク」ぐらいしか日本では知られていませんでした。
その後、転職してルーマニアに行ったのですが、想像していた以上に美しい国で、食もおいしく、伝統もたくさん残っており、南イタリアのようにすごく人が温かくて、素晴らしいという印象を受けたんですね。
でも日本ではどちらかというとマイナスな印象しか知られていない。そこで仕事の傍ら、個人ブログでルーマニアの魅力を発信したところ、「地球の歩き方」や、現地の旅行代理店などから仕事をいただけるようになり、ルーマニアの発信をし続け、16年たってしまいました。
今も子どもたちを連れて、できる時はルーマニアに戻って、長い時は夏休み1カ月を向こうで過ごします。「里帰り」と言っています(笑)。
私は一番若輩者で、しかもルーマニア歴も浅くて、具体的な接点が生まれたのは2018年、古賀市が、東京オリンピック・パラリンピックでのルーマニアのホストタウンへと動き始めた時からです。
当時、私はまだ福岡県議会議員で、何としても地元の古賀市に、外国の選手団のキャンプを誘致し、国際交流、多文化共生の機会をつくりたいと思っていました。そこで当時の市長に相談をしていたところ、福岡県から「ルーマニアの柔道選手団がキャンプ地を探している」と聞き、是非と手を挙げました。
2018年6月に選手団が初めて来た時には大歓迎をして、古賀の有名な薬王寺温泉など地域資源を堪能し、おいしいものを召し上がっていただきました。すると選手たちがとても喜んでくれたんですね。その年の12月、私は市長に当選して、正式にキャンプ地の締結をし、翌年、ホストタウンの登録となりました。
私はルーマニア語はしゃべれませんし、英語も苦手ですが、何事も交流が大事と、2019年夏、市長として自腹でルーマニアに行ってきました。
日本文化への関心
親日家が多いと言いましたが、関心は、日本が伝統的な文化を持ちながら、戦後目覚ましい経済発展を遂げたところにあるようです。今、ブカレスト大学やクルージュ=ナポカにあるバベシュ・ボーヤイ大学などで日本語を勉強している方が、大体2000名程度います。東ヨーロッパの国で、これだけの人が日本語を勉強しているんです。
若い人たちの間では、毎年「NIJIKON」というコスプレのお祭りが行われ、2、3000名の人たちが集まっているそうなので、日本文化への関心は非常に高いと思います。
ブカレストでは大学だけではなくて、高校でも日本語を教えるところがあります。ルーマニアは歴史的に多様性に富み、多言語を使う民族ですが、教育省が管轄し、子どもたちに日本語を教える機関もあります。
日本語検定試験もルーマニアで受けられます。2005年、ルーマニア・アメリカ大学内に日本研究センターができました。そこには国中の日本語を学ぶ方たちが登録していて、日本についてのイベントなども行っています。
ブカレストでは最近100軒以上のお寿司屋さんがあるそうです。私が初めて行った2000年当時はアジア人が歩いていると、中国人と思われることが多かったのですが、最近では「こんにちは」と声をかけられることもあるようです。
アジアの国の中では、日本が人気ナンバーワンと言っていいと思います。中国は経済関係などで相当進出してきていますが、結局いいところを取られてしまうというような警戒感もあるようです。
一方、日本のかかわり方は、例えばノウハウを教えながら開発援助をしていきますので、日本が撤退した後も、建設された道路や鉄道をルーマニア人が自ら運営できるようなサポートの仕方をする。それに対する評価があると思います。
人の温かさに触れる
ルーマニアを訪れた時、とても歓待してもらい、ルーマニアの人の温かさをすごく感じました。ルーマニアオリンピック委員会に行き、ミハイ・コヴァリウ委員長とお会いしました。日本の自治体の首長が来ることが珍しいのか、立派な応接の部屋には地元のテレビ局まで来ていました。
実は私は行く時にロストバゲージしてしまったんです。それで、本当はネクタイをしていなければいけない場なのに、スーツがなくてネクタイもしていなかった。でも、事情を話すと、「よくある話だよ。気にするな」と、すごく温かく迎えてくれて、歓待してくれました。
その後、「食事を一緒にしよう」と、立派なレストランに連れていってもらいコース料理をいただきました。チョルバ(Ciorba :ルーマニアで広く食べられているスープ)が、一気に4種類ぐらい出てきて、他にも様々な料理がたくさ出てきました。ルーマニアのお酒も出していただいて。
ツイカ(Ţuică)という蒸留酒ですね。
そうです。私が「お酒が強い」と言ったばかりに何杯も飲ませていただいて、お土産までいただきました。本当に温かい交流ができたと思っています。
お話を聞いて、ルーマニア人らしいと思った点が二点あります。1つはおもてなしの精神、ホスピタリティに溢れるところ。「チョルバが4種類も出てきた」というのは、本当にルーマニア人らしい。「これも食べて、これも飲んで、これもぜひ見ていって」という、寛大なおもてなしのスピリットが、ラテンの血もあるルーマニア人の文化です。
もう1つ、ロストバゲージに、「気にするな」と言うのもルーマニア人らしい。ルーマニアには厳しい歴史を生き抜いてきた強さと不屈の精神、そして「何とかなるよ」という考えがあります。
ルーマニア人がよく使う「Asta e(アースタエ):これがそうさ」という表現があります。フランス語の「C’est la vie」に近いかもしれませんが、どんな状況でも「そうだよ、気にするな」と受け入れるところがある。ルーマニア人のメンタリティをよく表している言葉です。
お話を聞いて、1つ思い出しました。オリンピック委員会に行った翌日は、在ルーマニア日本大使館で大使にお会いする予定で、さすがに大使館にラフな格好では行けないので、前日の夜、靴とスーツを買いに店に行きました。
私は1人で探したかったんですけど、「私が探してあげるよ」と店の女性店員が明らかに20代が着るような服を勧めてくるわけです。「これ、僕は着れないよ」と言ったんですが、押しに負けて、その若者向きのスーツを買いました(笑)。その女性店員の積極的に勧めていた顔が今浮かびました。
押しの強さもイタリア人に似ていますよね。「私はこう思う。これがいい」というのを率直に伝えます。でも、同じラテン系でも、ちょっと皮肉っぽかったりするんです。
伝統文化と手つかずの自然
ルーマニアに行かれた方は皆さん、ファンになって帰ってこられますね。「ルーマニアは日本の旅行者にとって桃源郷」という言い方もされます。各地方ごとに踊り、音楽、衣装など、大変魅力ある独特な伝統文化がたくさん残っている。人の優しさに加えて、こうした伝統文化も1つの大きな魅力になっていると思います。
私がルーマニア大使在任時代に一番楽しんだのは、自然との触れ合いでした。ルーマニアの国土の真ん中にカルパティア山脈があって、これによって国土が3分され、それぞれ独特の文化が残されている。
この山脈のおかげで、ルーマニアは国としてまとまりにくい部分がありましたが、他方で、オスマン・トルコ、ロシアやハプスブルクなどの外国勢力が拡大しても山脈がそれを阻んでくれた。それによりルーマニア国民は、2000年の歴史を生き抜くことができたのだろうと思います。
ルーマニアは山地や高原が国土の7割ぐらいを占めていて、本当に「手つかずの自然」が残っていますね。カルパティア山脈もそうですし、世界自然遺産のドナウ・デルタもヨーロッパ最大で、ペリカンなど、多くの野生動物がいます。
そして、カルパティア山脈で分断されたそれぞれの地域に、修道院やお城が山の中に佇んでいます。
日本のツアーはブルガリアとセットにされることが多くて慌ただしいのですが、カルパティアを越えるには電車でも時間がかかるんですよ。その車窓からの風景は、山もそうですし、一面に広がる小麦畑、ヒマワリ、真っ赤なポピーなど季節ごとに感動します。首都から1時間も行かないところでも、素晴らしい自然に出会えますので、ゆっくり見てほしいと思います。
私としてはカルパティア山脈への登山が一番のお勧めですね。大使館の中に登山部を作って、あちこちの山へずいぶん登りました。
実はルーマニアはヨーロッパの中で最もヒグマの多い国です。でも、ヒグマというのは山の上のほうには行きません。せいぜい1600メートルくらいの森林限界までですから、ケーブルカーに乗って、標高が高いところに行ってしまえば何の心配もなく、大きな空と美しい山の風景を堪能しながら時間を過ごすことができます。
日本ですと、山の上にもいろいろな観光施設がありますが、そんなものはほぼありません。もう大自然がそのまま残っています。はるか向こうを見ると、鳥たちがたくさんいて大変美しい景色です。ルーマニアの宝物は、人の優しさに加えて美しい自然だろうと思います。
ローマ人の末裔としての誇り
ルーマニアというのは「ローマ人の国」という意味です。紀元後2、3世紀頃、ローマ帝国の軍隊がこの地に侵出しました。現地にいたダキア人とローマの兵士たちが混交して今のルーマニア人ができ上がる。そういう歴史から出発しています。
ローマ人の末裔であることは、彼らの誇りなんですね。今のルーマニア国歌は、オスマン・トルコから独立する際、戦意を鼓舞するために使われた戦いの歌で、その歌詞に「私たちの祖先であるローマ人の血が流れていることを忘れるな」「トラヤヌス(ローマの皇帝)こそ、われわれの崇拝する人間だ」とあります。
ルーマニアの人々はある意味で、今でも戦っている。EUの一番東の端で、すぐそこにはロシア、ちょっと行けばイスラム世界がある。いわばEUの最前線にいるわけです。実際、この地域における国際政治や安全保障上の影響力は大きいのです。
国歌は「目覚めよ、ルーマニア人!」というタイトルですものね。
最近は、ITのアウトソーシング、オフショア開発も盛んですね。2007年のEU加盟後、いろいろな製品をEUスタンダードで開発をしてテストできる環境がルーマニアにはあります。ルーマニア人は多言語による開発にも向いているんです。今、東欧初の大型データセンターがつくられているそうです。
日本企業にとって、ルーマニアはEU貿易とのゲートウェイですね。ルーマニアに進出して、そこで製品を作ると、EUの中の製品ですから、中で貿易が自由にできてくる。ヨーロッパとの貿易を促進する重要な拠点になっていると思います。
芸術に込められたもの
ルーマニアには周辺大国の圧迫を受けてきた歴史があります。その悔しさ、それに対する抵抗の思いを、音楽や文学などの芸術に託しているんですね。自然の美しさと同時に、そういったことがルーマニアの文化の中に結晶しているのだと思います。
古都シビウでは世界3大演劇祭の1つ、シビウ国際演劇祭が毎年開かれています。ここの演劇は大変インパクトがあり、観衆に訴えてくる力がすごいのです。音楽、伝説や民話も含めて、その中にルーマニア人の誇り、悔しさや思いが全部入っていて、それが非常に強く伝わってくるのだろうと思います。
シビウ国際演劇祭には毎年岐阜県高山市から、若い人が20名近くお手伝いに出掛けています。ぜひ古賀市もいかがですか?
そうなんですね。ちなみに私は高校のときは演劇部だったので、私がまず行こうかなと(笑)。オリンピック・パラリンピックが終わり、次の世代の子どもたちにルーマニアを体感してもらったり、ルーマニアの子どもたちと交流する機会をつくれないかと思っています。
シビウ演劇祭は、1989年の革命から数年後に学生演劇祭から小規模で始まったものですね。今は世界中70カ国以上から集まる、本当に大きなものになりました。日本からはシビウが欧州文化都市に選ばれた年には中村勘三郎さん、また野田秀樹さんなど著名な方も公演されています。
舞台もそうですが、魅力的なのはトランシルヴァニアのドイツ系の街、シビウ全体がアートになることです。工場や教会も劇場になり、広場でサーカスをしたり、大通りでは大道芸やダンスも行われます。そういった場所で日本の盆踊りや、日本の子どもの歌を紹介するのも素敵なのではないかと思いました。
ルーマニアでは、子どもたちがクリスマス聖歌コリンダや新年の歌を、ハロウィンのように家を訪ねながら歌う伝統があります。舞台だけではなく、生活の中で歌を楽しむ。そんな子どもたちによる交流ができたらいいですね。市長のシビウでの演劇もぜひ拝見したいです(笑)。
古賀市には市民の皆さんがつくる劇団もあります。演劇というのは舞台芸術ではあるのですが、日常生活の中のコミュニケーションにつながるものだと思うのです。まさに私たちの暮らしそのもの、日々の生活そのものが劇性を帯びているはず。そしてそこには人と人とのコミュニケーション、心のつながり合いがあると思うので、今のお話はとても素敵だなと思いました。
柔道の拠点
日本文化では柔道、空手など、武道に対する関心は非常に強いですね。全ルーマニアで、空手、柔道、剣道、合気道、合わせると何千人という人がやっていると思います。ですからスポーツを通じての交流もあるかなと思います。
幸運なことに、わが市にキャンプに来たのが柔道選手団で、日本に高い関心を持っていました。オリンピックに出たのは女子選手1人、男子選手2人の3人でしたが、柔道に対してすごくシンパシーを持たれているのを感じました。こちらに来ていただいたときには、古賀市の柔道をやっている子どもたちと交流し、双方に楽しんでもらえる場をつくれたと思います。
コロナ禍でオリンピック本番は応援にも行けないし、キャンプにも来られない状況でしたが、子どもたちがオンラインで声援を送る機会をつくり、エールを送ってもらいました。
私が知っている範囲では、愛媛県の松山市が、ルーマニアとの関係は大変熱心です。松山市にある愛媛大学はブカレスト大学と学術交流協定を結んでいて相互に留学したり、イオン・クレアンガ高校と松山市の高校生の交流も行っています。
2018年にはクルージュ=ナポカ市に、桜の苗木を千本、松山市から寄贈しました。いずれクルージュ=ナポカには桜並木ができるのだろうと思います。
クルージュ=ナポカはぜひ行ってみたいですね。
いやあ、きれいなところですよ。
クルージュ=ナポカがルーマニアの柔道選手の拠点なんですね。ルーマニア代表の監督が大石公平さんという日本人の方で、大石さんもそこを拠点にしています。いわゆる姉妹都市的な都市同士の連携、友好関係の構築ができたらいいね、という話はしています。
クルージュ=ナポカのバベシュ・ボーヤイ大学にも日本文化研究センターができて日本語教育に大変熱心な大学の一つです。トランシルヴァニア州の中心都市の1つですが、日本の企業が進出するのはほとんどブカレストかトランシルヴァニア地域です。投資環境がいいのだと思います。
トランシルヴァニアはもともとはルーマニアの一部ではなく、後から入ってきたところなんです。ハンガリーやドイツの影響を受けてきた歴史があります。
私が勤めていたイタリアの会社は、トランシルヴァニア地方のティミショアラが拠点でした。街の建物もカラフルだったり、外国文化にも非常に明るく、言葉も多様ですね。イタリア語もよく通じます。
チョルバの魅力
チョルバというスープは日本で言うと味噌汁のようなものですが、いろいろなパターンがあって何種類も味付けがあり。具もいろいろなものが入っているんですね。それをいただいた4皿で知りました。
向こうの小麦を発酵させた調味料を入れるものです。おっしゃったようにすごくバラエティに富み、牛肉、豚肉、魚も入れますし、麺も入れるところもあります。
味付けもトマトベースだったり、もっとあっさりさせたり、いろいろなベースがある。ただ、1杯がかなり大きく、なみなみとボウルに注ぐようなスープです。チョルバがあれば事足りるぐらいなものですね。それが4杯出てきたというのは(笑)。
そうなんですよ。1皿で十分なのが4皿出てくる(笑)。内蔵が入っているものもありました。
牛が多いですね。チョルバはどの家庭でも作ります。家庭で作るときには鍋いっぱいに作り、2、3日に分けて、味を変えて食べるということもあります。もちろんレストランでも出てきます。チョルバは国民食の1つでしょうね。
本市には8小学校、3中学校があるんですが、子どもたちにルーマニアを意識してもらうために、給食センターにお願いをしてチョルバを作ってもらいました。もちろん給食ですから、現地のようなものにはなってないかもしれませんが、ルーマニア料理が出てきたことは強く印象に残っているようでした。
なんて素敵な試み! 日本全国に広めて欲しいです!
給食以外にも料理教室で市民の皆さんと作ったんです。キャンプ地誘致をきっかけに知り合ったフロレンティナさんというルーマニア出身の女性に講師として来てもらって、チョルバを皆で作りました。
隠れたワイン王国
ルーマニア料理は初めて食べても、食べやすくて懐かしい感じがするのです。いかがでしたか?
日本人に合いますよね。すごく食べやすいと思いました。
私はよく「(イタリア料理+フランス料理)÷ロシア料理」と言うんです。イタリアはトマトの煮込み、基本シンプル。フランスはチーズ、クリームなど酪農。ロシアは寒い地域ですからピクルスとか酸っぱいもの。日本人が、どこかで食べたことがあるようなものに出会える。
私がルーマニアに長く居られた1つの理由は食がおいしかったから。何十リットルもトマトペーストやジャムを煮込んだりするんです。
ルーマニアでは旬の素材をいつも大切にしつつ、保存食も手作りでいつも最高のものが食べられる。初めて行かれた方がルーマニアに魅かれる魅力の1つではないかと思います。ワインもそうですね。
ルーマニアの土地は肥沃で、フランスからつながっている黒土穀倉地帯なんですね。したがって余計なことをしなくても、出てくる野菜や果物がとてもおいしい。
ちょっと地方に行きますと、どの家でも自分のところでブドウを育ててワインを造り、豚を飼い、間違いなく鶏は飼っています(笑)。全部地産地消です。
私はヨーロッパの他の国では経験したことがなかったのですが、ルーマニアに行ったときに、正直「こんなに食が豊かなのか」と、意外に思いました。
今、お二人が当たり前のようにワインのお話しをされましたが、僕はこれまでルーマニアのワインがおいしいことを知りませんでした。ルーマニアの方は皆「うちはワインがおいしいんだ」と言いますけど、日本ではそんなイメージはないですよね。
ワインの発祥の地だと自負しているところはいくつかありますが、そのうちの1つはルーマニアであり、隣国のモルドバですね。
ここで取れるワインは本当においしい。もともとこのあたりからワインが出てきて、イタリア、フランスはその後ですね。確かにそのことは日本の方はほとんどご存じないですね。
おっしゃる通りルーマニアはワイン国ですが、実は造った量の90%ぐらいが国内消費されてしまう。まだまだ知られていないワイナリーもたくさんあると思うんです。
そして雨宮さんが言われた通り、おうちでワインを造る。「うちの酒を飲んでいけ」というおもてなしですね(笑)。いわゆるホームワインが主流なので、プレミアムワインがそんなに広まっていないところもありますね。
民族衣装「イエ」
あと、ルーマニアというと縫製技術、洋服を作る技術が進んでいます。これは共産主義時代からの伝統ですが、大変上手で安いものですから、イタリアの洋服メーカーが、ルーマニアで作って、それをイタリア製品として海外に売っている。
それほどいろいろな技術を持っているのですが、日本の方はあまりご存じない。
イタリアやフランスの高級ブランドを見ると、「メイド・イン・ルーマニア」が結構あります。
そして最近ルーマニアのブランドも少しずつ出てきています。ハリウッドのセレブが愛用するような高級ランジェリーの「アイディーサリエリ」は、後で知ったのですが、仕入れているのが塾員の先輩でした。
民族衣装である「イエ」と呼ばれる刺繍付きのブラウスも、ルーマニアとモルドバが一緒に世界遺産に申請しようとしています。洋服の縫製の技術はすごく高いですね。
イエは市役所に男性用、女性用の2着、買ってありますよ。
あら、もうシビウに行く準備はバッチリですね(笑)。
それを着て、古賀市をアピールしたんです。ルーマニアは羊も多いですか?
地域によります。トランシルヴァニアでも山岳地方ではたくさんいますし、モルドバやウクライナに近いブコビナ地方には本当に羊と生きる文化がありますね。
母親が機織りをやっている染色家なんです。私が「ルーマニアに行くんだ」と言ったら、「羊のたくさんおるところで、あんた、いいね」と言われて。
その地方は、人よりも羊たちが優先で、羊が通りすぎてから人が道を進む時もあります。
紡いで衣装にするだけではなく、寒い地域なので羽織るジャケット、それから絨毯や家を飾るためのタペストリーも、羊毛で作るものもあって色鮮やかです。そういうものが地域によっては、伝統の嫁入り道具の1つであったりします。
日本人はイエも好きだと思うんですよね。着てみてすごくよかったですし。
日本人との相性は、様々な分野で絶対いいんですよ。
ルーマニアは第2次大戦以降、社会主義圏の一国として長いことソ連の影響下に置かれていたため、オリジナルな文化に日本の皆さんが触れる機会は少なかったと思います。
でも明るい国なんですよね。ルーマニアの人々はやや運命論者ですが、周辺大国に囲まれて忍従する、おとなしい部分があるかと思えば、大変明るくて情熱的な側面もあります。このあたりがもうちょっと日本に紹介されるといいかなと思います。
英雄ドラキュラ
話してきたように、かようにルーマニアはあまり知られていない。ルーマニアの人はあまり宣伝が上手ではないんだろうと思います。
ルーマニアを世界にもっと広めるために、公認サンタクロースのように公認ドラキュラをつくって、それを各国で認定したらいいんじゃないかと考えています(笑)。
ドラキュラはルーマニア人にとって英雄ですね。
通称ドラキュラ公と言われるヴラド3世はトルコに征服されていた時代にワラキア公国の君主だったんですね。お父さん(ヴラド2世)がオスマン帝国と戦っていて、そこからドラクルという名称が生まれたんですね。
ドラクルというのは13、4世紀に、ハンガリーの王様が中心になってつくったドラゴン騎士団の一員で、そこに由来している。その息子がドラキュラ(竜の息子)と呼ばれたようです。
イギリス時代のアイルランド人の作家、ブラム・ストーカーが、彼を材料に小説に書いて有名になったのですが、ルーマニアにとってはオスマン・トルコと激しく戦った英雄だと思います。
ヴラド3世が一時身を隠したと言われているブラン城も、ドラキュラ城として知られています。トルコ時代に戦っていたときに造られた修道院なども美しいですね。
ブラン城に行きますと、克明に説明が載っていますね。
ドラキュラ公だけではなく修道院を造ったトルコと戦っていた君主も、英雄として称えられ、大通りや空港にその名前を使ったりしています。
海外への宣伝として、物語があるということはいいことなんじゃないでしょうか。
まちづくりをしている立場から申しますと、まずドラキュラから入ってもらってブラン城に行く。その先に、ほかの魅力的な人たちや歴史があれば、ルーマニア応援団としては大いに利用してほしいですね。ドラキュラを知らない人はほぼいないので(笑)。
国交100周年を超えて
もう10年以上前になりますが、大使として勤務している頃、当時のバセスク大統領が日本に来られて鳩山総理と首脳会談をしました。そしてブカレストの地下鉄建設に対する、日本の円借款の交換公文署名式が行われ、日本の援助に基づいてブカレスト国際空港から市の中心地を結ぶ地下鉄を建設することになっています。あまり上手く進んでいないようなのですが、駅の一つが、「TOKYO」という名前の駅になるそうで、実現してくれるといいんですが。
日本の皇室関係では、明仁天皇(現上皇)が皇太子時代に皇太子妃と一緒にルーマニアを訪問しています。秋篠宮同妃殿下も2009年に訪問されています。100周年を機に、また要人往来があるといいですね。
西部のティミショアラは、革命が最初に起こったまちで、本当は今年が欧州文化都市になるはずだったんですが、コロナで延期になりました。そこの革命広場では毎年フラワーフェスティバルが行われるんです。ルーマニア人の名前は花から由来している名前が多かったり、花を贈り合う行事も盛んです。
過去の歴史と現代の華やかな部分がマッチしたイベントや物事が行われる都市に、これから注目が集まると思います。ルーマニアにはのどかな田園風景といった古きよき風景がある一方、新たなものも取り入れて変革していく側面もありますね。
彫刻家のブランクーシ、作曲家のエネスクもルーマニア人です。20世紀初めはルーマニア文化が花開いた時代でした。
芸術分野での交流を期待しています。まずは田辺さんの舞台を(笑)。
役者としてですね(笑)。本市とルーマニアとの交流はまだ短いのですが、EUに向けたビジネスャンスがあるのはすごく重要だと思います。
ちなみに古賀市は工業力が強いまちで食料品の分野では、県内60市町村で2位の出荷額を誇ります。古賀市にある企業にルーマニアを紹介し、ヨーロッパ展開に向けたチャンスを働きかけていくことも、大事な仕事だろうと思っています。
私も皆さんのお話を聞きながら、10年前に一生懸命ルーマニアで走り回っていた時のことを思い出しました。本年の「日本・ルーマニア外交関係樹立100周年」を機に各分野での相互理解と協力関係が一層推進されることを期待しています。