登場者プロフィール
HABU(羽部恒雄)(はぶ つねお)
その他 : 「空の写真家」商学部 卒業1978年慶應義塾大学商学部卒業。10年間のサラリーマン生活を経て写真家に転身。以来、「空の写真家」として世界各地を撮影。写真集に『雲を追いかけて』『空は、』等多数。
HABU(羽部恒雄)(はぶ つねお)
その他 : 「空の写真家」商学部 卒業1978年慶應義塾大学商学部卒業。10年間のサラリーマン生活を経て写真家に転身。以来、「空の写真家」として世界各地を撮影。写真集に『雲を追いかけて』『空は、』等多数。
日野原 健司(ひのはら けんじ)
その他 : 太田記念美術館主席学芸員文学研究科 卒業2001年慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。専門は江戸から明治にかけての浮世絵史。著書に『ようこそ浮世絵の世界へ』『かわいい浮世絵』等多数。
日野原 健司(ひのはら けんじ)
その他 : 太田記念美術館主席学芸員文学研究科 卒業2001年慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。専門は江戸から明治にかけての浮世絵史。著書に『ようこそ浮世絵の世界へ』『かわいい浮世絵』等多数。
宮本 佳明(みやもと よしあき)
環境情報学部 准教授2006年慶應義塾大学理工学部卒業。2011年京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻修了。博士(理学)。専門は気象学。主に台風の物理的メカニズムを研究。気象予報士。
宮本 佳明(みやもと よしあき)
環境情報学部 准教授2006年慶應義塾大学理工学部卒業。2011年京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻修了。博士(理学)。専門は気象学。主に台風の物理的メカニズムを研究。気象予報士。
2021/08/16
地平線に浮かぶ雲を追って
私は、慶應を出てから10年間サラリーマンをやっていたんですが、出張でオーストラリアに行って非常に気に入ってしまって、会社を辞めて車で放浪を始めたんです。
真っ平らで何時間車で走っても変わらないような景色なんだけれど、ふと、雲があるだけで風景の存在感がまるで違うということに気がついた。それから下に向いていたカメラがだんだん上を向くようになり、気がついたら雲、空の写真家になっていたんです。
テントで生活していたので、ちょっとした空の変化にすぐ気がつくようになります。それが面白くて。1日中外にいて、ずっと空ばかり眺めている。それで、雲がないと移動するという日々を10カ月くらい続けるんです。
まさに雲を追いかけていらっしゃったと。
そうですね。それで作ったのが最初の『空の色』という本です。これが売れたおかげで、何とか食べられるようになりました。
ある時、丘の上の木を撮っていたら、風がすごく強く吹いて、後ろを雲がどんどん流れていく。それで、ファインダーの中で構図を考えていて、「あれっ、俺が撮りたいのは木じゃなくて背景のほうだ」と気がついた。それから雲を主役にして、それと何かを組み合わせるという手法に変わったんですね。
やはり同じ場所の空の光景でも、例えば日没後と夜明け前では違って、色が反転していたりする。空の表情が変わるだけでまったく景色が変わるのがすごく面白い。雲と光のコンビネーション、光の色、夕方の色とか朝の色といったものとの組み合わせが無数にありますし。
空や雲を撮影するのは切り取り方やタイミングがすごく難しいと思うんですよね。空模様は、一瞬で、表情を変えてしまいますし。
車を運転していて、「あの雲、面白いな」と思う時があるんですよ。それで、何か組み合わせるものが見つかったら止まるのです。大体そういう時は興奮しているので、「うわっ、すげえ」と焦って撮るんです。
そこから三脚を立てて構図を考えて撮るんですけど、大体使うのは最初の1枚だけです。要するに、考えて撮るのではなくて、バイブレーションを感じるんですよね。一番大事なのは、自分の驚きだと思うんです。
水平線が曲がってしまったって構わないんですよ。自分が撮りたいと思った気持ちが写っていれば、あえて直さないほうがいい。それで、よく他の先生に怒られたりしますけど(笑)。
写真家の方は、構図をきちんと決めて、計算して決まった1枚を撮る方もいれば、感覚的に撮られる方もいますね。
僕が写真を始めた当時は、雲というのは被写体としてまったく認められていなかったんです。そういう写真集は図鑑のようなものだけ。写真のコンテストに出せば、必ず落ちると言われていた時代でした。
そんな時に、少し見方を変えて、例えばヨーロッパの宗教画みたいな空がポコンと空いているものとか、水中から撮ってみたり、全く教科書的ではない写真を撮ったら、かえって一般の人には受けたんですね。同業者には受けないけど(笑)。
宮本さんは気象学の見地から写真は撮られるんですか。
私は雲は好きなんですが、たぶん荒木健太郎さんとは違うタイプで物理のほうが好きで、台風ができる理由を考える研究をしています。でも、時々素人ながら撮ったりはしています。
私が気象学を志した直接のきっかけは、理工学部時代に夏休みに島のスキューバダイビングのショップでアルバイトをしていた時に、今までで一番、日本に台風が来た年に当たってしまったことです。それでほとんど仕事が台風対策みたいな感じになって、「何で台風は来るのかな」みたいなところから入りました。
何か、嵐が来るとわくわくしますよね。空はどんどん変わっていくし、ちょうど夕方の光とどんどん変わる空が出会ったりすると、とんでもない写真が撮れますからね。だから、雲一つない快晴の日が一番駄目。すぐに移動してしまいます(笑)。
お好きなタイプの雲はありますか。
やはり入道雲ですかね。飛行機で上から撮ったりもしました。
あと、海の上の遠くのほうに同じ高さにぽんぽんと並んでいる島の雲がありますよね。ああいう雲は好きで撮りたくなりますね。
浮世絵のリアルではない雲
私は、浮世絵の研究をしているので、浮世絵に描かれているものについていろいろと調べるのですが、風景というものは浮世絵の中で大変重要なテーマの1つです。
どちらかというと浮世絵の雲は、自然そのままに描くというよりは、かなりリアルではない雲の形を描いていることが多いんですね。
雲をすごくデフォルメしていますよね。
そうですね。一番わかりやすいところですと、この歌川広重の浮世絵です。構図的にも全然リアルではないんですね。駿河町という、今の日本橋の少し北の三越百貨店のあたりから富士山を眺めているという景色です。真ん中のところにあるのが雲です。色も下のほうが黄色くて、上のほうが少し青色で、空は少し赤くなっている感じで不思議な色をしています。
日本の絵画の雲はまず装飾的な目的があるんです。現実に見える形をそのまま描くのではなく、画面を華やかにするための要素、そして、手前の景色と遠くの景色の間を省略する要素、この2つが基本的な雲の使われ方です。江戸時代の間に少しずつリアルな雲の表現も出てきますが、やはり装飾的な雲が多いですね。
でも、雲は昔から描かれていたんですね。
ええ。雲自体は古くから描かれていて、それこそ平安時代でも描かれています。ただ、使われ方としては、仏画における宗教的な要素もかなり強いんです。真ん中に阿弥陀如来がいて、様々な菩薩たちが極楽浄土から雲に乗ってやってくるというような。これは別に日本だけではなく、ヨーロッパのキリスト教の宗教画の中でも雲は神の世界とのつながりみたいなところはあります。
だから、雲は必ずしもリアルな自然として描かれてこなかった。美しい自然として描かれるようになったのは、19世紀、20世紀からなのかと思います。
浮世絵の前までは、仏教的な表現が多いんですか。
それ以外にもあります。例えば洛中洛外図屏風という、戦国時代から江戸時代の初期ぐらいの京都の風景を描いた、京都の町並みをはるか上空から写している絵画があります。京都中を見下ろして描く中で、家々の間にある金色のものが全部雲なんです。金色の雲が京都の町の中にただよっている感じです。
リアルに描き込むよりは装飾的な画面を作るのが日本美術の1つの大きな特徴になっていますね。
当時の人々の雲に対するイメージが、やはり反映されているのでしょうか。神秘的と言うか、天上の世界の話のように思ったのですが。
宗教的な神秘性ももちろんあるのですが、雲自体を美しいものとして見る意識は古くからあるんです。それこそ和歌の中で雲の形を詠んだり、あるいは月にかかる雲で影が照らされてみたいな、自然の景色の美しさを文学として表す感覚が日本の中にはあります。清少納言の『枕草子』の中にも、雲の美しさに触れている文章がありますね。
ただ、絵画としてリアルな雲を鑑賞するという感覚はもう少し近代に近づいてからで、「雲の美しさ」というのはかなり概念的なものだったのかなと思いますね。
描く雲、撮る雲
ヨーロッパの宗教画は、天使が降りてきて、例えば教会の壁画に描いてあるものは必ず雲が装飾的な役目を果たしていますよね。
その後、18世紀になるとイギリス風景画がありますよね。ターナーが有名ですが、ジョン・コンスタブルという人はずっとサフォーク州の空ばかり描いて空の画家と呼ばれていて、ものすごく迫力がありますよね。
そうですね。18世紀、ヨーロッパで科学が発達していく中で、特にイギリスのコンスタブルやターナーなどはまさしくそうですが、そこに自然の美しさを見る。おそらくそこには自然に神の世界を見るような感覚もあったと思うんですが、自然の美しさを絵として描きとめていくという発想が出てきて、それが後に日本にも伝わったのだろうと思います。
雲を美しいものとして見る感覚という意味では、日本のほうがもしかすると和歌とかの世界では、いち早く感じとっていたのかもしれません。一方で、リアルな雲を形として残すということで言えば、ヨーロッパ、特にイギリスのほうが先に美意識を見出したのかなという感じがします。
ただ、雲の場合、ちょっと時間が経つと形が変わってしまう。だから、ヨーロッパでも日本の絵画でも、ある意味パーツとして使っていますよね。主役を引き立てるための装飾品のように。
それが、今の時代は誰でも写真を撮れるようになったので、空の写真を写したSNSがすごく多いんです。僕が始めた当時は、誰も空なんか撮っていなかった。それが、今や、誰の頭上にも空はあるから一番簡単に撮れる被写体としてとてもポピュラーになってきた。
雲を形として捉えるのは、絵として描くか、写真として撮るかで大きく違うと思うんですよね。明治時代の水彩画の教科書である『水彩画之栞』には、水彩画で雲を描くのは困難だと書かれている。
山や木は動かないのでそのままスケッチできるけれど、雲は一瞬たりとも同じ形がないので、描こうと思っている間に目の前の形がどんどん変わっていってしまうからです。
一方、写真の質はともかく、現代はスマホでカメラを常に持ち歩いていますから、空の景色で面白いなと思った瞬間に誰でも撮れてしまう。雲や空に対する表現力という意味ではまったく違いますよね。
今、花を撮ったり、身近なものを撮るという1つの例として雲が扱われている。わざわざ山に登らなくても身近で撮れますから。
また、ちょっとした異常気象とかの動画もよくSNSにアップされますよね。これは各地のポイントの災害の状況とか雨の状況、雲の状況がわかるので、便利なのかなと思うんですけれど。
災害に限らないんですが、SNSやアプリを通じて、気象の知識がないユーザーが撮ったデータを天気予報に使えないか、という話はここ数年すごく言われています。
ただ、現実のところ、精度の問題があるのでまだ使えてはいないんですが、そこがクリアできればすごいマンパワーになりますね。
テレビの天気予報で、視聴者から写真を送ってもらって紹介するコーナーがありますよね。僕も何度かテレビ局から写真が送られてきて「これは本物ですか」と聞かれたことがあります。中には、どう考えても加工だというのがあって。
その見極めは大変ですよね。
僕が思うに、雲というのは待って撮るものではなくて、出会うものなんです。だから、よく「待つんですか」と聞かれますが、「待たないです」と言いますね。移動して出会って、それでワッと思って撮る。それの繰り返しですね。まして、電線を消すなんてとんでもない話で。
今はアプリで、曇った日を晴れた日に変えられるものがあるみたいですね(笑)。
何でもありですよ。天気も変えてしまうという(笑)。
積乱雲のメカニズム
先ほど入道雲がお好きだとHABUさんが言われましたが、入道雲すなわち積乱雲は、雲の中でも独特です。地球の大気は上下に空気が動きにくいんです。大体の雲は、横にシュッと広がっているんですね。ニュッと上がるというのは稀なケースで、特別なメカニズムが働かないとできないのです。
そのメカニズムは、下が暖かくて、空気が上っていくというのがカギです。だから、熱帯とか、夏に地面が暖められた時に積乱雲ができやすい性質があります。
一番巨大な入道雲は何メートルぐらいあるんですか。
高度は、対流圏の頂上(対流圏界面)まで行きます。
成層圏のところで止まってしまって、横に流れるものがありますね。「かなとこ雲」というのはそういう現象ですよね。
おっしゃる通りです。成長中の積乱雲が、対流圏の頂上まで行くと、全体で15キロ、1万5千メートルぐらいです。1万8千メートルぐらいのこともありますが、日本だと1万2千ぐらいです。そこに行くとパンと上に当たって、行き場がなくなってしまい「金床」の平べったい形になるので「かなとこ雲」と言われたりします。
やはり、入道雲ができるところは湿度が高いとか、そういう条件があるんですか。
そうです。高温多湿ですね。下のほうが多湿で海水とかをどんどん吸い上げていきます。
博士課程の時に海洋観測船で1カ月ぐらい海の上で過ごしたことがあるんですが、その時に360度海で、まさに水平線に空みたいな感じでした。すると入道雲が日々、そこら中にできてきます。
積乱雲が発生することと台風が発生するメカニズムは同じところがあるのでしょうか。
すごく似ています。台風も上空に空気が動いていくことが大事ですし、台風は積乱雲がたくさん集まっているイメージなので、入道雲がたくさんできるぐらい大きなスケールで全体的に暑くて湿っている形ですと、環境場としてはすごく好ましい。後は、何かしらの渦、つまり風が来ると成長しやすいんです。
積乱雲は成長していく段階では、上だけを目指してひたすら上っていくんですが、その上っていく間に雲の中でいろいろな過程があり、どんどん水滴が成長していきます。そして、やがて、その水滴が大きく重くなって落ちてくるので、地面まで雨が降ってくる。その時に空気も一緒に引きずり下ろしてきますので、下降流、つまりダウンバーストが発生したりします。
集中豪雨はなぜ増えている?
入道雲を見ていると、何かわくわくしますよね。動きが速いから見ていても面白いし、このままどこまで行くんだろうみたいな。
あと、高積雲というのかな、ヒツジ雲みたいなのがあるじゃないですか。ああいうのがぽこぽこと並んでいて、上からの光で小さい影がいっぱいできる時が面白いですね。
HABUさんの話を伺っていると、光と雲というのがキーワードですね。
太陽が沈む時に、逆の東側の空にピーッと光の筋が出る時があるんです。これは一体どういうことなんでしょうね。光の筋が雲間からピッと出るのは「天使の梯子」と言いますけど、あれも格好よくていいですよね。
雲の美しさや空の美しさは光が重要ですよね。
そうですね。空は光が降り注いでいるのに、海で一部だけ雨が降っているとかもいいですよね。
最近、集中豪雨が非常に多いですけど、それはどういうメカニズムでそうなるのでしょうか。
細かいことは少し難しくなってしまうのですが、ざっくり言うと、大気中に含まれている水蒸気の量が増えてきていることが大きな要因だと思います。
暖かい空気のほうがたくさん水蒸気を含むことができて、スポンジが大きいようなイメージです。昔に比べてスポンジのサイズが大きくなっている。そしてきっかけがあり、ギュッと絞り始めたらすごく出てくるみたいな感じになってきています。
雲が大きくなってきているということですか。
たぶんそうですが、おそらくサイズというよりも、雲が強くなっているのだと思います。雲の強さは雲の中の鉛直方向の流れの速さや、水の量で表せます。温暖化していくとその傾向は続くので、強い雨が多くなることは今後も続いていくのではないかと思います。
昔と比べて局地的なゲリラ豪雨が増えている印象があります。単に全体の気温が上昇しているだけではなく、局地的になっているのは何かまた原因があるんでしょうか。
雲一つひとつの雨ももちろんスポンジが大きいのでバシャッと降ってくるんですが、雲ができてくると、その周りの空気の流れも変わってくるんです。雲ができる時は、周りの空気を温めるようになる。打ち水の逆、気化熱の逆ですね。湯冷めする時はくっついていた水滴が蒸発して肌が冷えますが、その逆の現象が起きている。蒸発していた水蒸気が液体になるので周りを温めようとするのです。
温まった空気は軽いのでフワッと浮いて、周りも影響を受け、どんどん雲が集まる働きが起きます。そうやって、2つの雲が寄ってきたら当然2倍の雨量になります。さらに寄ってくるともっと複雑なパワーアップをする。「組織化する」という言葉を使うんですが、雲が組織化しやすくなってきているのかもしれない。線状降水帯とかはそうですね。
全体に大気の動きがどんどん活発になっていると。
雲のでき方が激しくなってきているので、上下方向の動きが活発になってきていると思います。逆に言うと、雲がないと上下方向に空気はほとんど動きません。同じ高さでジェット気流みたいなのが横に吹くだけですが、雲があるおかげで高低に空気が動くんです。
大気の動きが攪拌されている感じですか。
その通りです。入道雲は攪拌するための1つの道具と言うか、入道雲の存在意義は大気を攪拌するためです。上空に比べて地面近くの空気が熱すぎるので、その温度の差を嫌がって、かき混ぜたい。そのために雲がそこにいるみたいなことになります。
雲の形で天気はわかるのか?
雲の形で今後の天気の動きがわかると言われますが、実際どの程度わかるものなんですか。
この雲の形だとそろそろ雨が降ってきそうだということは昔から言われていて、実際結構当たるんですよね。
天気予報は今、すごく精度がいいですが、目視による雲の形でどれだけ当てられるのかというのは、まだ誰も検証したことがないです。
江戸時代でも『通機図解』という、雲の形でこんな天気になりますよ、みたいな書籍があったりします。どこまで科学的なのかはわかりませんけれど。
一方、現代でも、今のNHKの朝ドラ「おかえりモネ」が気象予報士になりたい子が主人公のドラマですが、漁師とか林業を営む人たちがこれから天気が崩れるということを経験則的にわかっているというシーンが出てきます。実際、具体的にどこまで雲の形でわかるのかなと不思議に思うんですけれど。
例えば入道雲でしたら、見るからにこれはちょっとまずいと思うんですが、難しいのは、それほどモクモクしてないのに追々天気が悪くなるケースが多々あることです。
ドラマのシーンですと、まだ全然天候は崩れていないのに午後から崩れるよ、みたいな(笑)。雲の形からの読み解きというのは科学的な裏付けもあるのでしょうか。
そうですね。経験則の話ですが、科学的に考えても的を射ているものが多いです。少し話が変わりますが、現代の天気予報は科学的知見をもとにした方程式をコンピュータで解いて行われまして、ある程度の精度で積乱雲のまとまりが予想できるようになってきています。やはり災害に直結する入道雲的なものを予測したいというのが一番の目標です。
その一方で、それ以外の、HABUさんのお好きな小さいもこもこした雲が並んでいるような状態では、今の天気予報では予測することが難しいです。実際、あれが出たからいつ天気が崩れるか、という科学的な根拠はあまりなくて、ただ、1つの前兆として捉えられている。そういうタイプの雲があるということは、順を追っていくと、入道雲が何時間後にできて、最終的にそれが雨を降らせる、という流れなのだと思います。
ちょうど研究室の学生の1人が、昔の人は天気をどう考えていたのかというテーマで研究をしていて、今、室町時代に焦点を当ててやっているんですが、情報があまりなくて苦戦しています。
室町だとほとんど聞きませんが、農書というのは江戸時代にはいくつも作られています。当然、天候、季節というものは非常に重要な要素ですので、自然とのつながりが深かった農業を生業としている人にとっては、天候に対する意識は高かったのではないかと思います。
漁業はあまり調べてないのですが、農書と比べると数多く記録されているというイメージはそんなにないですね。
リアルな雲を描くには
浮世絵には入道雲などが描かれることは結構あったんですか。
入道雲と言っていいのかわからないんですが、例えば、昇亭北寿という葛飾北斎の弟子が隅田川の両国橋を描いた絵ではもくもくとした雲が出ている描写がされていますね。これは19世紀のもので、西洋から銅版画が伝わっている時代なんですね。
リアルな風景を描く意識が絵として伝わってきたので、それを真似て遠近法を使ったり、よく見ると橋のところにも影ができている。光が当たって影が生まれる西洋的な表現を浮世絵の中で真似して取り入れようとしています。これまでになかった雲の描き方が生まれてきた例ですね。
表現が少しリアルになってきたということでしょうか。
そうですね。雲もリアルに描こうという意識が、江戸時代の終わりごろから徐々に生まれてきていると思います。
浮世絵で雲や空を描いたのは北斎と広重が多いんでしょうか。
風景作品が多いのが広重であり北斎なので、それに応じて当然空も描かれることが多くなります。ただ、変わった雲というか、少しリアルな雲ということで考えると、国芳という浮世絵師も変わった雲を描いていますね。
やはり、明治時代ぐらいになってくるとリアルな雲が描かれるようになります。明治12(1879)年ごろの小林清親の浮世絵の版画だと、だいぶリアルな風景表現になってきます。光に対する意識が生まれてくるかどうかが、雲を表現する上ではかなり重要なのではないかと思います。
浮世絵は陰影がないですし、太陽の光とかを表現する意識は低かった。それがヨーロッパの影響を受けて表現の中に取り入れるようになったところがあります。HABUさんのお話にもありましたが、雲を表現する上では光がかなり重要ですよね。
刻一刻と変わる空模様
やはり写真は偶然を切り取るところが、絵画と違って面白いですよね。
そうですね。雲は一瞬で形が変わってしまいますから。
絵で描いてしまうとリアルではなくなってしまうというか、自然らしさがなくなってしまうところがあります。
同じものは2度とないというのはやはりいいですよね。大体旅行していても夕方どこで写真を撮るかを決めてから飯食って、それで日没まで撮る感じです。
やはり夕方が一番きれいなものが撮れるんですか。
ハイライトは夕方ですね。刻一刻と空が変わっていって、その時うまい具合に風でも吹いてくれていると、いろいろな形に雲が流れていって、その都度光の当たり方が変わりますから。結局、組み合わせですよね。うろこ雲にきれいに夕日が映っているとか。
今までに緑色の雲をご覧になったことはありますか。
聞いたことはありますけど、見たことはないですね。水平線の上とかでしょう?
それはどういう現象なんですか。
グリーンフラッシュ(緑閃光)というのでしょうか。空の色が変わるのは太陽の光の中にもともと虹色の成分が含まれているからで、太陽光がその地点に来るまでにどれだけ大気を通過してきたかで色が決まるんです。日中は太陽の真下にいて短い距離なので青なんですけど、夕方や朝方は距離が長くなるので、青が消えて赤が残るんですけど、その間に緑があるはずなんですよね。
一瞬だけちょっと緑が出るという非常に稀な現象なんです。
それは見ていませんが、西オーストラリアの真っ平らなところでは、見たことのない雲がよく出ます。道路の上だけ雨が降っていなくて額縁みたいになっていたり。
日本でも雲の写真は撮るんですが、近所だと電線など邪魔なものが多すぎて。オーストラリアは何もないところがいいんですね。雲一つない日に360度見渡すと、何となく霞がかかっているみたいなところが見える。あそこまで行けば雲があるんじゃないかなと、そちらへ向かって400キロ走ったこともありました。そんなことばかり30年ぐらいやっていますね。楽しいですよ。雲を追いかけているのは。
空が広いのはいいですよね。学生の時にアメリカのオクラホマに1年間留学していたんです。トルネードがよく出るところで有名ですが、本当に何もなくて空と平原しかないみたいな感じでした。
ビジネス目的でトルネードチェイサーという竜巻を追いかける人たちがいて、車で待機していて、トルネードが出そうになったら追いかけいって、映像を撮ってテレビ局に売ることを生業にしているんです。
その人たちはなぜかわからないけど竜巻を見つけてくるんですよね。
彼らは竜巻を予測して追いかけているんですか?
レーダーとかを見ているのかもしれないですけど、データが緻密にあるわけではないので、勘なんですかね。竜巻はほぼ間違いなく親雲という入道雲のさらに強力版のような雲の下にできるので、その親雲を捉えられるかが勝負なんです。
モーニンググローリー
オーストラリアだと、モーニンググローリーというのはご存じですか。
はい。白い霧みたいなものがロール状になって、横にブワーッと広がって。たぶん僕、その中に1回入ったことがあります。
そうなんですか(笑)。
車で走っていると、突然スポンと視界が50センチぐらいになるんですよ。
雨が土砂降りなんですか。
いや、降っていないんです。突然すごく濃い霧の中にスポンと入り込む。よほど離れないと、どんなサイズなのかはわからない。
車だと危険ですよね。モーニンググローリーは雲なんですか。
霧状のものだと思います。分類すると雲になるんですか?
雲と言ってもいろいろなサイズがあるんです。雲の正体は水滴とか氷の粒ですが、できたての雲は0.01ミリとか10マイクロで、髪の毛より細くてすごく小さい。
ただ、落ちてくる雲の粒、雨粒になると数ミリぐらいになるので、できたての雲の粒の100倍ぐらい大きくなっています。だから、同じ入道雲でも、できたての部分はビー玉ぐらいの大きさだったものが、落ちてくる時は大玉転がしの玉ぐらいになっているのです。
モーニンググローリーの粒はたぶんできたての雲ぐらいの大きさだと思います。霧と同じぐらい。それと、ダストストームで巻き上がっている砂の粒の大きさはそんなに変わらない。たぶん入ってしまうとまったく見えないので、霧なのか砂嵐なのか、わからないぐらいのすさまじさだろうと思います。
まあ、いろいろびっくりする、経験したことがない自然現象はありますよ。本当に。
科学とアートの交わるところ
今、気象に興味を持っていたり、気象予報士になりたいという学生は増えているんですか。
そうですね。年々増えていて、環境問題がきっかけという人はすごく多いです。後は、自然エネルギー系と防災ですね。研究室は今大学院を合わせて40人ぐらいいます。
ゼミの開始時に空観察という時間を作っているんです。今、オンラインなので、家の外に出てもらって、それぞれ住んでいる地域の空模様を報告してもらっています。
気象予報士の人は、写真を撮るとどうしても記録になってしまうんですよね。この間、慶應の卒業生の菊池真以さんという気象予報士の方と対談したんですが、「どうやったらこういう写真を撮れるんですか」と聞くので、考えて撮らないことだと言ったんです。考えるとどうしても余計なことを考えたのが写ってしまう。きれいだなと思ったら撮りなさいと言いましたけれどね。
われわれは、雲を見た時にまず10種類に分けられる十種雲形というものがあるので、まず何雲かと考えてしまう。また、全天でどれぐらい雲の量があるかという学術的なところにフォーカスしてしまうんです。
でも、パッと見た時に「きれいだな」と思ったものを切り取ってもらって報告してもらうのもよさそうですよね。感覚的なものを養うことにもなりますし。
先ほどお話しした明治時代の『水彩画之栞』という教科書ですが、そこにも十種雲形という概念が出てくるんですよ。
そうなんですか。
明治34年の刊行ですが、「雲の形は十種に分けることができて、こういう雲の形はこういう色を使いなさい」みたいに書いてある。おそらく目に見えたものをスケッチしなければいけないので、感覚的なことだけではなく、学術的、概念的なことも併せて形を記録することが必要だったのかなと。
やはり、芸術的な美しさと科学的なところは決して2つに分断されるものではなくて、それぞれ共通点があり、お互いの関係は深いと思うんですよね。
雲を30年以上撮っていますけれど本当に飽きないですよ。撮っても撮っても同じことはなくて新しい発見がありますから。一生撮っていけるなと思っています。
まさに雲というのは科学とアートの交わるところなのかもしれませんね。科学とアートは真逆に思われることも多いのですが、そこを混ぜたほうがいいと思うので、いろいろなことに興味を持っていこうと思っています。
(2021年6月16日、オンラインにより収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。