登場者プロフィール
安岡 孝一(やすおか こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授1990年京都大学大学院工学研究科修了。博士(工学)。専門は人文情報学、文字コード論。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(共著)など。
安岡 孝一(やすおか こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授1990年京都大学大学院工学研究科修了。博士(工学)。専門は人文情報学、文字コード論。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(共著)など。
小川 純己(おがわ じゅんき)
その他 : 小川皮フ科医院院長医学部 卒業1994年慶應義塾大学医学部卒業。親指シフトキーボードを学生時代から30年以上愛用。キータッチの「頭から指先に思いが届く感じ」をこよなく愛する。
小川 純己(おがわ じゅんき)
その他 : 小川皮フ科医院院長医学部 卒業1994年慶應義塾大学医学部卒業。親指シフトキーボードを学生時代から30年以上愛用。キータッチの「頭から指先に思いが届く感じ」をこよなく愛する。
増井 俊之(ますい としゆき)
環境情報学部 教授ユーザーインターフェース研究者。富士通、ソニー、アップルなどを経て2009年より現職。iPhoneの日本語入力システム(フリック入力)や予測型日本語入力システム「POBox」の発明者として知られる。
増井 俊之(ますい としゆき)
環境情報学部 教授ユーザーインターフェース研究者。富士通、ソニー、アップルなどを経て2009年より現職。iPhoneの日本語入力システム(フリック入力)や予測型日本語入力システム「POBox」の発明者として知られる。
2021/07/26
タイプライターは出力機器?
今日はキーボードを使った入力をテーマに話をしていきたいと思います。私はこれまでスマートフォンなどのUI(ユーザーインターフェース)の開発にかかわってきましたが、キーボードと言えば、日本のパソコンで最も普及している「QWERTY配列」に関するご著書もある安岡さんにまずはお話しいただきたいのですが。
端的に言えば、QWERTY配列はたまたまできたものなんです。ものの本にはクリストファー・レイサム・ショールズが発明したと書かれていたりするのですが、19世紀にいろいろな人たちが試行錯誤するなかで特許がとられ、普及していったというのが事実です。
じつは、タイプライターはもともと入力機器というより、「受信機器」、「出力機器」でした。というのも、最初のタイプライターはモールス信号を手書きよりも速く書き留めるために発明されたものだからです。タイピストというのもモールス信号を文書化(出力)するために生まれた職種でした。
その後、19世紀後半に大文字と小文字が区別された機構が発明されると、今度は人がしゃべった言葉を直接打ち込む、速記のための道具になりました。QWERTY配列ができ上がったのはこのころです。といっても、当時はまだしゃべるのと同じスピードで入力するのは難しく、1度速記した文章を清書するのに用いられていたそうです。そうして少しずつ広がっていきました。
キーボードの配列は、1890年代にタイプライター・トラストが成立するまでかなりいろいろな配列があったようです。記録もたくさん残っています。そのうちの1つにQWERTY配列があったという経緯で、それほど合理的な意味はないのです。
今、UIの分野ではQWERTY配列ではないほうがよいとする研究も多く出てきています。スマホやタブレットが当たり前になり、指やペンで入力する機会が増え、キーボードの配列では打ちにくいという声が上がっています。例えば、組み合わせて使われやすいTとHや、LとYを並べてはどうかといった提案が学会などでも出されています。
ですが、配列を新たに覚えるのはやっぱりみんな面倒くさいので、結果的にスマホやタブレットのソフトウェア・キーボードは今もQWERTYに準じた配列になっていますね。
最初のタイプライターは入力と出力がほぼ同時だったという感じなのでしょうか。
「入力機器」として使われるようになったのは、1940年代にテレタイプをコンピュータにつなぐということをやり始める人が現れてからではないでしょうか。
もともと通信機器だったテレタイプを、モールス信号を置き換えるために使うのはそれほど突飛なことではなく、打ったものをそのまま出すという感じでした。手書きの文章を清書するためにわざわざ印刷するのも大変なので、活字っぽいものに変換できる機械が求められた時に発明されたのがタイプライターでした。
私はタイプライターを使ったことがないのですが、キーがすごく重そうなイメージがあります。安岡さんのご著書にあるように、昔の人が1分間に170ワードも打っていたのは本当ですか。
そうみたいです。キーを奥まで押し込まず、印字されるぎりぎりに力を加減したり、キーの押下圧を変えたりと、速く打つためにいろいろと工夫されていたようです。
親指シフトの魅力
皆さんが思い描くタイプライターと言えば、紙の上から印字する「フロントストライク式」だと思いますが、これは20世紀に入って登場した機構です。それまでは活字を下から打ち上げる方式が普通で、活字棒の重みを利用するので確実に印字されるのですが、打ち間違えてもわからないという欠点がありました。さらに、活字を下から上に持ち上げるのでキーも重く、それで1分間に120~130ワードも打っていたというから驚きです。
当時のタイプライターで目指されていたのは、人がしゃべったスピードで打ち込めるような操作性だったのでしょうか。
速記の人たちにとってはそうだったようです。ただ、昔のタイプライターは打鍵音が大きいというのも難点でした。しゃべっている横でバチバチと打つのはうるさかったと見えて、聞き取りの現場には持ち込めず、速記士が書き留めたものを後からタイプするやり方がとられていました。
一方、タイプライターを使ってモールス信号を文字に打ち換える現場では「サウンダー」という装置が発明され、打鍵音が多少うるさくても、電信を聞きながらでも打てたようです。ただ、モールス信号は通信速度が遅く、どれだけ速く打ち込んでもせいぜい40ワード程度でした。
私は普段の診療で患者さんの話を聞きながら電子カルテに入力していきますが、同時に打ち込むなんてできませんし、なるべく速く打たないといけないというプレッシャーもあってよく打ち間違えます。それを直すのもまた面倒くさいのでもっとよい日本語入力方式があれば、と思っているのですが。
日本語入力は変換が必要なので欧米の入力とはまた違う事情もありますよね。
日本語はそれに加えてローマ字入力方式とひらがな入力方式がありますよね。私はローマ字派なのですが、小川さんはひらがなを直接入力する「親指シフト」キーボードをずっと使い続けているそうですね。
大学に入って最初に買ったワープロが富士通の親指シフトだったのです。それを使い続けているうちに手離せなくなり、それ以来ずっと「親指シフター」です。ただ、親指シフトは対応するキーボードが限られるので、今はエミュレーター(通常のJISかなキーボードをソフトで親指シフトに配列変換する)を使用しています。
そこまでしてなぜ使い続けるかというと、親指シフトは打っていてすごく気持ちいいからなんです。たとえるとバイオリンとピアノの違いに近いかもしれません。バイオリンでは音程のコントロールに使うのは左手だけですが、ピアノは両手を使って弾きますよね。親指シフトもすべての指を使って入力するのですが、この手応えといったら……。
ちなみにQWERTY配列のJ、K、Lは親指シフターにとって右手の1番使いやすい位置にあり、頻度順で「と」「き」「い」が割り振られています。ローマ字変換ではこれらのキーを使うことがほとんどないので、すごく理不尽な配列だなと感じているのですが。
ローマ字入力ではKの使用頻度は結構高いと思いますけどね。Lは最近、授業などで小書きに使う学生が増えていますが、「きゃ」をわざわざ「KILYA」と打つのでさすがに注意しました(笑)。
安岡さんは日本語のキーボード配列も研究されていたのですか。
調べていたことはあります。僕が大学に入った1984、5年ごろは研究室のキーボードも「親指シフト配列」と「JISかな配列」が半々だったので両方使えないと不便だったんですよ。
当時、ローマ字変換は少数派だったのでしょうか。
キーボードのシェアは半々くらいでしたね。その頃にカタカナの配列を調べていたのですが、今の「タテイスカンナニラセ」と並ぶJIS規格のカナ配列は、1950年代にカナタイプライターのキー配列を規格化する時の「カナモジカイ(カナ文字専用論を唱える民間団体)」の配列案なんです。
旧逓信省の案は電信用に考案された配列で、使用頻度の高い文字を人差指の担当するキーに集めたものでしたが、小書きのカナがなく不便だったので廃止になりました。そういう歴史を調べるなかで、キー配列というのは頻度で決めると失敗するんだなと思い至ったようです。
速く正確に打つには
増井さんはスマートフォンのフリック入力の開発者でもありますが、ご自身でもフリック入力を使っているのでしょうか?
じつは私自身はあまり上手く使いこなせていません。ですが、ひらがな入力のほうが便利という人は多く、そういう人たちの間でそれなりにフリック入力は流行っているようです。
フリック入力が速い人は本当に速いですね。手の動きを見ていると途方もないスピードで打っています。
今はガラケー、スマホにかかわらず、予測変換入力も定着していますからね。指やペンでの入力ですら遅いと感じる人が多いのでしょう。文字や記号を直接入れるよりも候補から選ぶほうが速いと感じる人が増えているのだと思います。米国では予測入力を使う人はほとんどいないようで、まだまだ新しい入力方式が登場しそうな、面白い状況なのではないかと思います。
一方で、パソコンではすべての読みを入力してから変換するほうが速いと感じる人がまだ多いようで、予測入力はまだあまり広まっていません。手に障害があったり、タイピングが苦手という人には重宝されているようですが。
私は電子カルテを入力する時に予測変換を使っています。履歴にもとづいて候補が表示されるので頻度の高いものが上位にくるのはとても便利です。
小川さんが使っているのは医療用の入力方式ですか?
ATOKの医療辞書を入れています。ですが、いつも困るのは同音異義語を変換する時なんです。そういう機能こそ医療用に最適化してほしいと思うのですが、一般用語が普通に候補で出てきたりします。
それはシステムの出来が悪いだけかもしれない(笑)。普通の日本語でも「しよう」と打つと、Specification(仕様)とUsage(使用)が判別されないみたいなことはよくありますよね。
以前、カルテ用の入力システムをつくってはどうかという話もあったのですが、実現しなかったのは日本語入力用の辞書をユーザーがそれぞれ最適化すれば不自由なく使えるからかもしれません。
急いで入力しなくてはならない時に表示された候補をマウスで選ぶのもちょっと面倒で、例えば視線を合わせるだけで文字を選んでくれるような技術があればとも思います。そういう入力システムが登場するのはまだ先のことでしょうか。
視線で入力する研究は数十年前から行われていますが、昔の視線検出デバイスは精度が低く高価でした。ただ、最近はわりと安くて高精度のものも出てきているので、いずれ実用化されるかもしれません。
フリック入力は検索だった?
これまで「予測入力」と呼んできましたが、じつを言うとこのシステムは「検索」なんです。入力場所に辞書の検索結果を貼り付けているだけなので、いい医療用辞書の検索システムがあればそれを組み合わせればいいんですよ。
なるほど。入力の精度は辞書の検索システムの性能次第ということですね。
昔のパソコンでは「連文節変換」といって長文入力したものを一括変換するのが流行りましたよね。当時はその精度を競っていましたが、今は柔軟な検索機能を使った予測入力システムで少しずつ入力するほうが速くて正確とされています。
長文入力はどこで変換ミスが起きたのかが一目でわからないのが難点でしたよね。
そう。変換ミスがあるといちいち直さなきゃいけない。それが面倒くさいので、今の入力方式に変わっていったんですよね。
私はスマホではフリックを使っていますが、上下左右に「あ、い、う、え、お」と入力するアイデアはいろいろと試行錯誤するなかで出てきたものなのでしょうか。
じつは、フリック入力は私が発明したというよりも、以前からあったものを組み合わせたんですよ。「プルダウンメニュー」というのがありますよね。あれは上下に並んだ候補項目から選ぶ方式ですが、それをマウスやペンを動かす方向で選ぶ「パイメニュー」という方式があるのです。メニューを表示した後の移動方向でメニュー項目を選択できるのが利点です。
パイメニューと辞書の予測入力を組み合わせれば日本語にも使えると考え、あのシステムが生まれました。よく私が開発者だと言われるんですが、既存の技術を実装して売ったというのが実際のところです。
自作キーボードの世界
増井さんは、フリック入力の開発にかかわる前はキーボード入力の開発もされていたのですか。
柔軟な辞書検索システムを試作していたことがあるのですが、その時に検索と入力は一緒だということに気が付いたわけです。辞書検索システムでは意外と簡単に単語を取り出せるので、この機能を入力システムと組み合わせてはどうかと考えてできたのが予測入力です。
私はキーボードの配列にとくに問題を感じていたわけではないので、普段はローマ字入力のQWERTYを使っていますし、キーボードも安パソコンのもので全然オッケーなんです。US配列のキーボードを使っていますが、今は配列を変えるソフトもあるのでこれじゃないと絶対にダメということもない。
辞書の検索システムを考える側から、楽な入力方式を考えていったということなんですね。
そうです。とにかくすぐに単語を検索できればそれでオッケーなので操作方法はペンでも音声でもジェスチャーでもいいんです。
最近は自作キーボードをつくる人が増えているそうで、秋葉原に専門店があるのはご存じですか?
いえ、知りませんでした。
その店ではとにかく自作キーボードばかりを扱っていて、自由に配置したキーをマイコンで制御して市販のキーボードと同じように使えるようにしたものが売られているのです。
CPU付きのキーボードみたいなものですね。プログラムさえ書ければ配列はもちろん、どこのキーでどんな文字や記号を出せるかも自在に変えられるので、いろいろなマニアがいろいろなキーボードをつくっています。その店はとても繁盛しているようで、こだわりのある人が本当に多いのがわかります。
“スローハンド”で叩きたい
私は増井さんとは逆で、ストロークの深さとかキーの押下圧にもこだわりがあるんです。ある時、周りから「東プレ(Topre)」のキーボードはいいよと薦められ、調べてみるといろいろな重さを選べるので、押下圧が35から40グラムぐらいの製品を買って試してみたところ、手首やひじへの負担が軽く、ミスタイプも減りました。手の微妙な角度でもタイプの精度は変わってくるので大事だな、と。
お二人は普段どのようなキーボードを使っているのでしょう。
私はノートパソコンの本体に付いているものを使っています。基本的にストロークが浅く、指をあまり動かさなくても打てるものが好きなんです。
そのためにリターンキーの位置も自分で変えています。通常の位置だと小指を伸ばさなければ叩けないのが嫌で、私はセミコロンキーをリターンキーに変えて使っています。これだと指をほとんど動かさなくても大体のことができます。
セミコロンがないとプログラムを書く時に困りませんか?
最近はセミコロンの要らないプログラミング言語も多いんですよ。
ギターの名手であるエリック・クラプトンは指の動きが絶妙すぎるため「スローハンド」と呼ばれることがありますが、その無駄のない動きがかっこいいんですね。
増井さんはそういうキーボードさばきがお好きなんですね。
そうです。クラプトンのようにスローハンドで叩きたい。指がほとんど動いていないように見えて、じつはすごい速さで文字を打っている、みたいなのがいいんです。
逆にタイプライターは割とダイナミックな動きになりますよね。
機械式ですからね。もともと人間の指の力で印字していたので、どうしてもストロークはゼロにはなりませんよね。でも、電気仕掛けになってもストロークをなくさなかったのはなぜだろうとは思います。
PCが出始めのころは、メンブレンスイッチ(フィルムに回路と接点を印刷して貼り重ねた薄いシート状のスイッチ)のようなものもなく、ある程度は押し込まないと反応しない物理スイッチが当たり前でしたが、今もストロークがあったほうがよいという声は根強いですよね。
技術的な制約がなくなった後でもストロークが深いものに需要があるのは、やっぱり好みの問題なのでしょうね。
私もノートパソコン程度の浅さは平気なのですが、マイクロソフトの「Surface」のカバー状のキーボードは、さすがに押しているのかどうか不安になってしまいますね。タッチ感が全くないと少し使いにくいと感じます。
Macbook はどうですか? 私はあれぐらいがちょうどいいのですが。
Macbook はいいのですが、タブレットのように画面に表示させて叩くソフトウェア・キーボードは苦手ですね。ペンがあるならまだしも、ディスプレイを指で叩くのは感覚的に駄目。手応えがあれば多少軽くてもいいのですが。
私はノートパソコンのぺチペチと打つようなタイプが苦手です。IBM「ThinkPad」はノートの中でもわりとストロークが深くてよかったのですが、浅い物になると腱鞘炎になりそうでこわいんです。それでノートパソコンでも外付けのマイキーボードを使っています。
じつは、私はプログラム用のUNIXマシンにはストロークが深めのものを使っているんですが、こっちは日本語入力用のキーボードとはまた求める感触が違うんです。
昔の米国映画を見ていると、人差し指だけでパカパカと素早く打つ人が出てきますけど、ああいう人は今でもいるんですか?
ビル・ゲイツがそうらしいですよ。
そうなんですか!?
最近の大学でもそういう学生がいますね。プログラムを書くのを後ろで見ていると、パパッと打つのですが、指は2、3本しか使っていない。そういう学生がいっぱいます。
彼らはキーボードを見ながら打っているのですか?
いえ、大体見なくても打てるようです。プログラムを書かない文系の授業を見ていると、キーボードに慣れていないスマホ世代の学生も結構いますね。しばらく触らせておくとスマホよりも打ちやすいと言い出したりします。慣れてくるとフリック入力よりも速いと感じるようです。
入力システムをカスタマイズ
セミコロンキーにリターンキーを割り当てているという増井さんの話が衝撃的だったのですが、打ち間違えたりしないのでしょうか?
自分のキーボードでは間違えませんが、すべてカスタマイズしているので他人の端末を使う時には困りますね。ちなみに、Macやウインドウズには入力システムの入れ替えソフトがあるのですが、Chromebookにはないんです。
Chromebook では、JavaScript で書いた自作のIME(Input Method Editor、入力方法編集プログラム)を使っています。デフォルトで入っているグーグルの入力システムと入れ替えるのですが、これは普通の人にお薦めできない。
私は普段使いのJISキーボードとプログラム用のUSキーボードを両方使っているのですが、困るのは記号の入力なんです。この2つはダブルクォートや「@」、「+」、「*」の位置が違うので混同してしまいます。親指シフトを使っている小川さんはそういうことありませんか?
電子カルテでは記号を使うことがあまりないですね。
それでも普段メールを打つのに「@」は必要でしょう。
足りない記号はエミュレーターで切り替えています。たまに画面上のキーボードと実際に打ち込まれる文字が違うこともありますけど。
親指シフトで「@」はどうやって入れるんですか。
オリジナル・キーボード(Thumb TouchTM)だとエンターキーが上下二段に分かれて、下が「@」になっています。エミュレーターでは、半角入力にすると、JISかなキーボードの記載どおり、Pの右隣から「@」が入力できます。
昔からキーボードでプログラムを書いていた人たちはSunのワークステーションなどを使っていたから、USキーボードしか使えない身体になってしまっているんですよね。最近はUSキーボードも減っているので、私たちも肩身が狭くなってきました。
そうなんですよ。
同じ英語圏でも英国のキーボードはUSキーボードともまた配列が違いますしね。
米国と英国でも違うんですか?
違いますよ。英国のパソコン屋でうっかりキーボードを買うと大変なことになります。
英国のキーボードは「@」が「P」の右にあるんです。
フランスも配列が違いますよね。
フランスは特殊ですね。AZERTY配列ですから。
同じアルファベットを使うからといって共通しているわけでもないところが面白いですよね。
ハード産業は地域ごとに規格が違うので大変なんです。だからこそスティーブ・ジョブズはiPhoneをソフトウェア・キーボードにしたんですね。タッチパネルが格好いいからとかそんな理由じゃなく、コストの問題だったんですね。
でも、ジョブズが本当にすごいと思ったのは「タッチパネルのほうが格好いいだろ?」と言ったことです。おかげで皆、だまされてしまったでしょう?
謎のキーは誰がために
今のキーボードには何に使うのかわからない謎のキーがたくさんありますよね。IBMの大型コンピュータの名残だと思うのですが、どうして残っているのか不思議です。
私も同感。こんなにたくさんのキーは必要ないだろうといつも思っています。
OSの切り換えの時などに別の機能を割り当てられてしまったからですよね。それを知らない若い人たちもそのためのキーだと誤解してしまい、しかもそれがウィキペディアにまで書いてあるから余計に信じ込む。
Tabキーはもともとタイプライターで表作成に使うキーだったのですが、今やエディター上で隣のカラムに飛ぶためにあると思われていますよね。
Caps Lock キーなんて本当になくしてほしいですよ。どうして残っているんでしょうね。
Caps Lock もタイプライターの名残で、大文字と小文字が区別された時点では、Lockキーだけだったんです。押したら大文字に切り替わるけど、離しても戻らなくて、別のキー(Unlock)で小文字に戻る仕掛けだったんですよ。その後、バネが1890年代に付加されたので、シフトキーを離せば小文字に戻るようになったのですが、それまでのLock キーに慣れた人が困るので、Caps Lock の形で残されたのです。
それはいつの時代ですか?
大体1900年から1905年ごろですかね。
もう必要ないでしょう。そういう機能を使うソフトがあるんだと思い、以前「Caps Lock は何に使うんですか」とツイッターで投げかけてみたのです。そうしたら「誤ってキーを押してしまった時に元に戻すのに使う」という答えが1番多かった。皆わかっていなかったんですね。
そういう人は多いでしょうね。そういう意味では、Altキーも特殊なキーです。これはIBM由来なのですが、たしかアスキー(ASCII、1967年に米国規格協会がした情報交換用標準符号)で定められた「Ctrl+ ○○」以外の機能を割り当てるためのものだったと思います。「Alt+A」「Alt+B」というふうに組み合わせて使うんですが……。
IBMの大型計算機にそんなメニューありましたっけ?
私たちの時代のパソコンにはすでになかったものです。もともとはIBMの端末側に付いていたキーで、大型機とパソコン型の端末をつなぐ時に何か必要な機能があってつくられたキーではなかったかと思います。
Fn(ファンクション)キーが12個もある意味もよくわからない。
増やした後で減らさないからこうなってしまうんですよね。
テレビのリモコンもそうですし、1度付いてしまうとなくせないのはあらゆるプロダクトに共通していますね。
その点でApple Remote やFireTV Stick のボタンの少なさは画期的でした。ゼロから考え直したのでしょうね。今のキーボードも本当はそうすべきかもしれません。
スマホがタッチパネルになったのは、そういう流れをリセットする意味もあったのでしょうか。
でもスマホのキーもおそらく増えていきますよ。こんな機能があったらいいんじゃないかと誰かが勝手に加えてしまう。そうなるのは本当に困ったものなのですが。
音声入力の今
入力というものは今後、どうなっていくでしょうか? キーボード本来の目的はしゃべる速度で入力するためだったというお話でしたが、例えば、Siriのような音声入力が広まっていくとキーボードの役割も終わるのかなと思ったのですが。
音声入力の精度は上がっていますね。とくに速くしゃべるほうが認識率は高いそうです。さらに精度が上がればしゃべった内容をそのまま本の原稿をつくるのにも有効です。実際、『「超」整理法』を書いた経済学者の野口悠紀雄さんは音声入力で本を書いているそうです。
ただ、音声入力の難点は他人がいる場所で使いづらいことですね。それと、やってみるとわかりますが、間違えずにしゃべるのもそう簡単ではないんです。
音声入力は間違えた時にまた音声で修正できないのが面倒ですよね。
野口さんほどの達人はそこで間違えずにしゃべれるからこそたくさんの本を書けるのでしょうね。でも、認識率はこの3、4年で驚くほどよくなったと思いますよ。
昔から口述筆記は書くほうにとっても合理的な方法でしたからね。それを機械が正確にやってくれるなら執筆活動もはかどるでしょうね。
医療の分野ではかつて教授がしゃべったことを書き留めるベシュライバーという立場の人がいました。
音声入力はそれを機械が代わりにやってくれるということだと思うのですが、白紙にバッと書き出すならともかく、今の電子カルテの書式には看護師や薬剤師の人たちと共有している処方欄や検査欄といったいろいろなフレームがあるので、その違いを音声認識で区別するのはまだ難しそうな気がします。
そういう書式の問題もありますし、日本語はひらがなやカタカナ、漢字の違いを区別するのもまだ技術的には難しそうです。キーボードで入力していても、文字が3種類もあるのは無茶だよなとつねづね思うのですが。
読むほうからすると、いろんな種類の文字があったほうがかえって読みやすいようにも思うんですけどね。それによって飛ばし読みもできるから。
たしかに単語レベルで拾いやすいという利点はありますけどね。
音声入力ではカナや漢字は手動で直すことになるのでしょうか。
どうなるんでしょう。AIががんばって直してくれるのか……。ただ、「けいおう」と言っても「慶應」と「京王」と「KO」を判別するのは難しいですよね。機械が文脈で判断してくれると有り難いのですが、すべてはそうはいかないでしょう。
英語圏以外の入力
先ほど話題に出たような英語と自国語での入力方式の違いみたいなものは他の国でもありますよね。
やはりそれぞれの言語ごとにみんな試行錯誤して入力システムをつくっています。ドイツ語でも普通のローマ字以外にも「ä」や「ü」や「ö」の割り当てがあります。
もっと複雑なのはラテンアルファベット以外の文字を使う文化圏ですよね。アジアはほとんどそうで、とくに私たち日本人も含め、漢字圏は大変です。
というのも漢字の入力は「音」か「形」で区別するしかなく、音での入力も種類に限りがあって同音異義語が無数にある。中国や台湾の人たちは一万種類もの漢字を使い分けるのですが、音だけで検索するのは無理があるのでキーボードには最初から漢字の部品を書いておき、そこから選んでいく方式になります。
中国語の入力はどの方式が一番多いのですか。
大陸系の学生を見ているとローマ字キーボードで打てる「拼音(ピンイン)」が多いようですが、台湾からの学生は漢字の字形で入力する「五筆」を使っていますね。
両方ともそれほど古いものではないですよね。
そうですね。どちらも1990年代に登場した方式です。五筆をキーボードに貼り付けて使うのは台湾や香港の学生に多い気がします。
どうしてどちらも拼音にしないのでしょうね。
香港はわかりませんが、台湾ではすでにボポモフォ(主に台湾で用いられる中国語の発音記号の1つで注音符号とも呼ばれる)というシステムが使われていて、入力方式も違います。アルファベットとの対応も中国ほど厳密ではないので独自の入力方式がつくられたんですね。
タイにはタイキーボードがあり、これはタイ語と対応するアルファベットがキーボードに載っています。韓国も「2ボル式」という、ハングルとそれに対応するアルファベットをキーボードに載せて入力する方式があり、どちらもラテンアルファベットを使わないという点で共通しています。
とくにハングルは21種類の母音と14種類の子音しかないので、キーの数が限られる上、子音+母音+子音字母(パッチム)のパターンなので入力方式もシンプルです。
ハングルは子音と母音を順番に入れればいいし、変換も要らないのでたしかに楽でしょうね。
これからの入力
いろいろな話題が出ましたが、僕はやっぱりこの先、親指シフトがなくなっていくのがさみしいです。
今のうちに買い置きしておいたほうがいいかもしれませんね(笑)。
富士通はもう製造していないので、あとは同好の士の間でエミュレーターを開発して細々とやるしかないのかな、と。エミュレーターが今のOSに対応しているかぎりは親指シフトを使い続けたいですね。
コンピュータ科学者の坂村健さんがつくったTRONキーボードはご存知ですか? それが大好きだという人がいて、一生使い続けたいからと金型を起こして20台くらい自分で作ったそうです。親指シフトにもきっとそういう人がいますよ。
最近は自作する流れもありますしね。
そう。キーボード本体にCPUを入れてプログラムもできてしまうので全然平気です。それどころか変換もキーボードでできてしまうかもしれない。
キーボードで変換?
OSが対応していなくても漢字変換システムをキーボードに内蔵させればいいんです。ディスプレイは必要でしょうが、今はそういうこともできる時代ですから。
本当に入力は多様化していますものね。音声入力や視線入力も普及すると、入力デバイスはますます広がっていくのでしょうか。
コンピュータ・ヒューマンインターフェースの学会などでは毎年必ず入力に関する論文が出てきます。ある日突然すごいアイデアが出てくるかもしれませんね。
フリック入力みたいな新しいアイデアが出てくる可能性もありますか。
普及するかどうかはさておき、研究者が一定数いてハードウェアもつくりやすい時代なので、視線入力や音声入力のようなものも少しずつ使い勝手がよくなっているのは間違いありません。温かく見守っていってほしいですね。
QWERTY配列も偶然の産物なので、私も新しいデバイスとそれに応じた入力手段は絶対に出てくると思っています。ただ、人は一度覚えたものをなかなか手離せないので、それが流行るかは次の世代にならないとわからないんですよね。
入力方式はこの20年でずいぶん変わったのにパソコンのウィンドウやメニューは40年くらい変化していない。そう考えると入力のほうがまだ可能性に満ちている気がします。
ただ、キーの数はこれ以上増えないでほしい(笑)。明らかに人間が覚えられる数を超えています。
でも、これからどんな入力が出るのか楽しみですね。
私もかかわっていきたいと思います。
(2021年5月15日、オンラインにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。