慶應義塾

魅惑のチョコレート

登場者プロフィール

  • 野秋 誠治(のあき せいじ)

    その他 : 一般財団法人森永エンゼル財団研究員商学部 卒業

    1972年慶應義塾大学商学部卒業。森永製菓株式会社入社、史料室長時に定年。日本アーカイブズ学会登録アーキビスト、企業史料協議会理事、日本菓子BB協会スタッフ。

    野秋 誠治(のあき せいじ)

    その他 : 一般財団法人森永エンゼル財団研究員商学部 卒業

    1972年慶應義塾大学商学部卒業。森永製菓株式会社入社、史料室長時に定年。日本アーカイブズ学会登録アーキビスト、企業史料協議会理事、日本菓子BB協会スタッフ。

  • 山下 貴嗣(やました たかつぐ)

    その他 : 株式会社βace代表取締役CEO商学部 卒業

    2007年慶應義塾大学商学部卒業。豆からチョコレートを製造販売する「Minimal - Bean to Bar Chocolate -」代表。自ら世界中のカカオ産地に足を運ぶ。

    山下 貴嗣(やました たかつぐ)

    その他 : 株式会社βace代表取締役CEO商学部 卒業

    2007年慶應義塾大学商学部卒業。豆からチョコレートを製造販売する「Minimal - Bean to Bar Chocolate -」代表。自ら世界中のカカオ産地に足を運ぶ。

  • 本谷 裕子(ほんや ゆうこ)

    法学部 教授

    1996年慶應義塾大学大学院社会学研究科修士課程修了。家政学博士。専門はラテンアメリカ研究、文化人類学、民族服飾学。著書に『ラテンアメリカ世界のことばと文化』(共著)など。

    本谷 裕子(ほんや ゆうこ)

    法学部 教授

    1996年慶應義塾大学大学院社会学研究科修士課程修了。家政学博士。専門はラテンアメリカ研究、文化人類学、民族服飾学。著書に『ラテンアメリカ世界のことばと文化』(共著)など。

2021/02/25

国産チョコレート第1号

本谷

2月と言えば、バレンタインシーズンですが、森永製菓さんではいつごろからチョコレートをつくりはじめたのですか?

野秋

カカオ豆からの一貫製造は1918(大正7)年で、日本では森永製菓が初めてです。今日はミルクチョコレートをお持ちしましたが、パッケージに「since 1918」と書かれているでしょう。

山下

それまでは輸入をしていたわけですか。

野秋

外国から原料となるビターチョコレートを輸入し、それを加工してつくっていたようです。

森永製菓はもともと、米国で西洋菓子の修業をした森永太一郎が1899年に赤坂溜池で創業した会社です。むこうでチョコレートが庶民のお菓子として普及しているのを知り、後に2代目となる松崎半三郎とともに、日本でチョコレートをつくろうと思った。チョコレート一貫製造用の大型機械を導入したそうですが、まだ、日本で受け入れられるかどうかもわからなかったわけで、当時は大きな決断だったと思います。

「チョコレートとは」といった、蘊蓄を書いた広告を新聞に出して普及に努めました。その後、日本では明治さんや大東カカオさんなどが一貫製造を始めたわけですね。

山下

この板チョコのレトロなパッケージは、当時のデザインの復刻版ですか。

野秋

実はこのパッケージは100年以上、大きくは変わっていないんです。見慣れないお菓子をできるだけ親しみやすいものにしようとしたのでしょうね。

山下

僕は中南米やアフリカ、アジアのカカオ生産者のもとへ直接豆を仕入れに行くのですが、森永さんが最初に使ったカカオの産地はどこだったのでしょう?

野秋

残念ながら記録が残っていないですね。想像ですが、商社を通じて輸入したのではないかと思います。

戦前まで森永製菓の主力はミルクキャラメルだったんです。というのも、当時カカオは輸入の割当があって自由に輸入できなかった。戦後間もなく、多くのメーカーがチョコレートを売り出すようになるのも、カカオの輸入割当や関税等が緩和されたことが大きいと思います。

それによって戦後の経済復興とともに、お菓子が手頃になり、チョコレートもより広く食べられるようになっていったんですね。

日本のものづくりをチョコレートに

山下

私は株式会社βace(ベース)の代表として、「Minimal - Bean to Bar Chocolate-(ミニマル)」というチョコレートブランドを運営しています。6年前にカカオ豆を現地の生産者から直接仕入れてつくる、スペシャルティチョコレートのブランドを立ち上げました。現在都内に2店舗を構えています。

本谷

大変な人気ですよね。山下さんがチョコレートの道に入られたのは何がきっかけでしたか?

山下

僕は今36歳ですが、20代のころはコンサルティング会社で普通にサラリーマンをやっていたんです。これから少子高齢化で労働人口が減ると、生産性を上げてもGDPは下がっていく中で経済活動を通して自分が貢献できることは何だろうと思ったときに思い当たったのが日本人の細やかさを生かした、クラフトマンシップによるものづくりの世界でした。

「自分が当事者としてものづくりをやりたい」という思いの中でBean to Bar(カカオ豆からチョコレートバーになるまで一貫して製造を行うこと)の文化に出会って起業しました。このムーブメントは2007年頃、米国の人達が火付け役となり、2013年頃に本格化したようです。

本谷

ミニマルの創業が2014年ということですから国内では先駆け的な存在ですね。

山下

西洋発祥のチョコレートは、フレンチのように油を重ねていく技術に数百年の歴史的な蓄積があります。それに対して私はBean to Barを足し算ではなく、「引き算のチョコレート」として再定義しました。カカオという素材以外をできるかぎり「引いた」ところで何ができるか、と。日本人の手仕事の良さを生かしながらグローバルな市場で戦うなら、この考え方は面白いのではないかと。

チョコレートはカカオの発酵プロセスがポイントです。私は専門家の先生から発酵技術を学んで、日本酒などの発酵技術をカカオ豆の発酵に応用しました。

本谷

発酵というひと手間が重要なんですね。

山下

カカオ豆という素材の味の引き出し方はワインと似ていて、品種やテロワール(産地)、農法、発酵方法、輸送方法などによって条件づけられます。

例えば輸送時のコンテナの温度設定や豆の火入れの時間、砕き方、油の取り出し方まで、それぞれ細かく変えると全く違う風味が生まれます。

チョコレート史を覆す発見

本谷

私はメソアメリカ(現在のメキシコからコスタリカまでの地域)と呼ばれる、まさにカカオが生まれた場所の文化や風俗を研究しているのですが、カカオの原産地ではチョコレートを古くから飲み物として消費してきました。

山下

そうですよね。

本谷

実は2011年と18年にチョコレートをめぐる大発見がありました。米国南西部の先住民であるプエブロインディアンがチョコレートを飲んでいたことと、南米エクアドルの遺跡で発掘された石と陶器から最も古いカカオが発見されたことで、カカオをめぐる2つの通説が覆されたのです。

メキシコやグアテマラの考古遺跡などからカカオが発見されていたので、それまではメソアメリカがカカオの源流と言われていました。ところが、この発見により、エクアドルがルーツであることがわかったのです。

また、メソアメリカ地域のアステカ文明やマヤ文明の出土品から、チョコレートは貴族階層の効能品や嗜好品と考えられていました。ところが、プエブロインディアンは、庶民もチョコレートを飲んでいたようです。

山下

すると南米がやはりルーツとなるのでしょうか。

本谷

現時点でのルーツは南米が有力です。でも、カカオに関する史料はメソアメリカ地域のほうが多いと思います。例えば、カラクルムというマヤ文明の遺跡では、カカオを飲む姿が描かれた壁画が見つかっていますし。

アステカ文明は広域にわたる交易によって栄華を極めました。その交易で、カカオは高い価値を誇っていたようで、交易を通じてカカオが広まったと言われています。アステカの王族はチョコレート飲料を好み、1日に何杯も飲んでいたという記録もあります。

飲み物としてのチョコレート

本谷

私が飲み物としてのチョコレートに出会ったのは、忘れもしない22歳の時。バックパックを背負い2カ月ほどかけてメキシコとグアテマラをバスで巡った際に、メキシコのオアハカという町の市場でチョコラテ(chocolate)に出会ったのです。

薄茶色の液体に白い泡が立っていて、これが飲み物なのかとびっくりするほど気持ち悪い見た目でした。ところが実際に飲んでみると滋味深くてとてもおいしい。見た目と味がこれほど違う飲み物があるんだ!と2度びっくりしました。

野秋

気持ち悪いと思いながらも飲んでみたんですね。

本谷

現地の人から「これを飲まないお前はなんのためにオアハカに来たのか」と言われて勇気を振り絞りました(笑)。

山下

メキシコは「ストーングラインディング」と呼ばれる、カカオ豆を石臼で挽くスタイルで精錬が粗めなので、ザクザクした粒が飲料に混じるんですよね。飲料にする時はトウモロコシや小麦を挽いて溶いた液体で割るのが普通だと思いますが、本谷さんがお飲みになったのは何で割っていましたか?

本谷

トウモロコシです。ドロッとした食感でした。その石臼も「メタテ」と呼ばれる原始的なもので、それを使ってカカオだけでなくいろいろなものを挽くんです。

山下

スパイスなどもそれで挽いて混ぜますよね。

本谷

カカオ豆もスパイスもすべて「マノ」と呼ばれる石の棒を使って、メタテで挽いていきます。マノはスペイン語で手という意味なのです。

山下

僕、持っています。

本谷

こういう道具を使って少し粗めに挽くと独特な美味しさが生まれるんですよね。

中南米のチョコレート

山下

中南米はカカオ飲料にスパイスを入れて飲む文化が各地にありますね。アニスやクローブ、シナモンなどの甘いスパイスを入れるところもあれば、気候が冷涼なところでは、ジンジャーを入れたりもしますね。

本谷

唐辛子を入れたりもします。そういう違いが面白くて行く先々で飲んできたのですが、冷涼な高地だと、体を温めるために飲まれたりしています。

アチオテという食紅やバニラなど、地域固有の香辛料を混ぜて飲んだりもします。そうした飲み方はかつて強壮剤や薬として飲んでいたことの名残かしらと。

山下

各地で呼び方も違いますよね。JICAのODA関連のプロジェクトの仕事で行ったニカラグアでは「ティステ」と呼ばれていました。地域によって呼び名が違ったり、地元のおばあちゃんの独自のレシピがあったり、面白いですよね。

本谷

飲み物としてのチョコレートは千数百年前から伝統的に続いてきているのでしょうね。2010年にメキシコ料理が「ユネスコ無形文化遺産」に登録されましたが、あらゆるものを石臼で挽いて調理する製法は、スペイン人が新大陸に入植する以前からの典型的な方法とされていますね。

ニカラグアはメキシコよりも南の赤道に近い地域だから、冷たくして飲みますよね。逆に私がよく行くグアテマラの標高1500メートル以上の高地では温めて飲むのが主流ですが、カカオは高級品とされ、大部分が輸出品となり、庶民には行き渡らないのです。

コーヒーも同様で、現地で「コーヒー」を注文すると、コーヒーを薄めたような黒豆茶みたいな飲み物が出てきます。

山下

欧米などの先進国に輸出されるチョコレート用のカカオ豆は発酵させるプロセスがあるのですが、中米などの国内で流通しているものは基本的に未発酵であることが多いです。発酵は手間がかかるので、きちんとそのプロセスを踏めるのは高値で売れる輸出向けの品だけなんですよね。

カカオ豆の発酵はそれによってフレーバーが豊かになったり、渋みを感じさせるポリフェノールが分解されるという大切なプロセスなんですが、現地に行くと私達が親しんでいるチョコレートやコーヒーとは、ニュアンスが違うものが出てきますね。

チョコレート菓子の起源

山下

チョコレートに砂糖やミルクを加えて甘いお菓子として楽しむようになったのは、ヨーロッパの産業革命の時代と言われていますね。カカオと同時期に持ち込まれた香辛料の中に砂糖があり、やがてそれらを組み合わせてお菓子になっていく。

そうやってバンホーテンやネスレといったメーカーが製造を始めるようになり一般大衆にも広がっていったようですね。

本谷

ヨーロッパにカカオを持ち込んだのはエルナン・コルテスという説が有力ですね。コルテスがアステカの王だったモクテスマに謁見した時、カカオが貨幣の代わりに用いられているのを知ってヨーロッパに持ち帰り、カルロス1世(カール5世)に1528年献上したことがヨーロッパでも食されるきっかけになったと言われています。

野秋

ものの本では、コロンブスの積み荷にもカカオがあったそうですが、彼はカカオをほとんど無視し、船底にほったらかしにしていたと書かれていますね。

本谷

そうですね。最初はヨーロッパでも飲み物だったんです。それが固形になったのは19世紀ですね。

山下

様々な技術革新があって、固形のチョコレートができたんですね。その後もクーベルチュールという滑らかなチョコレートの生地をつくる製法ができたり、ショコラティエや製菓メーカーのように、生地からチョコレート菓子を製造する業態が誕生して洗練されていくんですね。

チョコレートと日本人

野秋

森永太一郎らが最初に売り出した板チョコは、今のものより1回り小さくて、今の貨幣価値にすると約1500~2000円くらいするものでした。当時はカカオ豆も大変高価で、やはり高級菓子だったようです。

本谷

どういう方が召し上がっていたのでしょうね。

野秋

上流階級でしょうね。製菓材料としてのチョコレート製造大手の大東カカオさんを創業した竹内政治氏の伝記の中に興味深い逸話があります。竹内さんが両親に手土産として、今で言うチョコボールのようなお菓子を持っていくと、母親が周りのチョコレートを剥いて中の砂糖菓子の部分だけ食べたと(笑)。

それが各メーカーの啓蒙普及によって次第に裾野が広がり、現在のように安価で手に入るようになっていきました。

本谷

かつては限られた人だけの楽しみだった食べ物が、ここまで愛されるようになったというのはすごいことですよね。

野秋

一方でBean to Bar のように、また違うこだわりを持ったチョコレートづくりも起こっている。

製造する方が多くなると、その分こだわりも増え、コストが上がりますが、今は多少高くても手間暇をかけてつくられた奥深さを楽しめる時代になっているし、他方で手軽に楽しめるチョコレートも豊富にある。1918年当時には考えられなかったような劇的な変化です。

食し方のバラエティー

本谷

チョコレートを食べると不思議なのは、身体が元気になる感じがするところですね。

山下

テオブロミンという天然由来の成分に覚醒効果があると言われていますね。

本谷

以前、グアテマラでマヤの祈祷師に会う機会があり、現地の儀礼に参加したことがありました。神様は甘くて、香りのよいものをお好みになるという言い伝えがあるそうで、チョコレートとお酒をお供え物として欠かさず用意するならわしでした。

野秋

そんな文化があるんですね。

本谷

また、初めてメキシコを旅した時にはお土産として円盤状のチョコレートをもらいました。

ちょっと変わった形だなと思ってかじってみると、「そうじゃない」と。実はそれは固形のココアパウダーで、お湯を加え、泡立てながら溶かして飲むものだったんですね。現地ではその円盤をひょうたんのようなかたちの器に入れ、すりこぎのような棒でかき混ぜます。チョコラテはスペイン語で、メキシコでは円盤状のココアパウダーを指すようです。

山下

それはカカオマスかもしれませんね。カカオ豆の胚乳を焙煎、磨砕しペースト状にしたものを固めたもので、アジアでも見られます。フィリピンの地元市場などに行くと、それを鍋でコトコト煮ている店があったりします。100%のカカオだから全く甘くないんですが、それをもち米にかけて食べる。やはり砂糖をかけずに口にするのが原産国では当たり前のようです。

野秋

カカオも砂糖も貿易品ですからどちらも最初は王侯貴族が独占していた。それらを掛け合わせるともっといいものになるはずとヨーロッパの人が気づいたんでしょうね。

本谷

私がメキシコで初めて飲んだときはほのかに甘みがありました。そのままだと苦すぎて飲めないから代わりにハチミツを入れたり。

山下

ハチミツを入れて飲むこともありますね。アニスやクローブなどの甘味系スパイスを入れたり。

本谷

香りも1つの楽しみですね。中南米は製糖も盛んなので、黒砂糖を入れて味付けすることもあります。

巡礼者を癒すチョコレート

本谷

スペインにチョコラテ・コン・チュロス(chocolate con churros)という食べ物があるのをご存じですか?

現地の人たちはチュロスと呼ばれる揚げドーナッツをチョコレートにつけて食べるのですが、そのチョコレートというのが葛湯のようにとろとろした液体なんです。胃もたれするほどくどいし、「どうしてこんな食べ方するんだろう」と思ったのですが、のちにこれが名物になっている場所が、サンティアゴ・デ・コンポステーラというカトリックの巡礼地だと知って、合点がいきました。

サンティアゴはスペインの北端にあり、年間を通じて晴れの日が少ない場所です。そこにヘトヘトになって辿り着いた巡礼の人たちが真っ先に口にするのがこのチョコラテ・コン・チュロスなんですね。ハイカロリーな揚げドーナッツとドロッとしたチョコレートが疲れた身体に染みるのでしょうね。

野秋

たしかに歩き疲れてクタクタの時に食べる甘いチョコレートは染み渡りそうですね。

スペインにチョコレートが入ったのは16世紀頃でしょう。バンホーテンが創業したのも、イギリスで固形チョコレートが登場したのも19世紀ですが、スペインでは16、7世紀からの食文化をそのまま保っている印象がありますね。

カトリックの修道院が板チョコみたいなものを食べていたというのを何かで読んだような気もします。

本谷

メキシコにはモレと呼ばれるチョコレートソースがあります。チョコレートの色がそのままペースト状になった褐色のソースです。この調理法が編み出されたのも修道院でした。5種類くらいの唐辛子にゴマやアチオテ、かぼちゃの種やアーモンドなどを加え、石臼で挽いてソースをつくるのですが、それをチキンなどにかけて食べるととても美味しいのです。メキシコの名物料理の1つです。

チョコレートは色々な形にアレンジできるところに奥深さがあります。最近はコスメにも使われるそうです。

山下

化粧水になっていますよね。ポリフェノール主体で抗酸化作用が高いというのが評判になって、使い始める人が増えているそうですね。

本谷

香りが優しいというのも、いろいろな用途に広がる理由なんでしょうね。

健康志向の高まりで大人気

野秋

今の日本では、まさに、カカオポリフェノールの抗酸化作用やチョコレートの健康機能に着目した商品がすごく出回っていますよね。

昔みたいな「楽しさいっぱい、お子様元気」というチョコレートより、健康にいいという謳い方をしているものがスーパーの棚を専有している。

本谷

その動きはいつごろからですか。

野秋

1995年にテレビ番組でココアの効能を謳う特集が組まれた時に、売り場からココアが一斉に消えたことがあるんです。2010年以降は健康志向の高まりとともに、各社が「カロリー過多、砂糖過多」のイメージを払拭するために健康に特化した商品を増やし始めたのではないかと思います。

山下

「カカオ○○%」と明記された商品がとりわけ目立ちますよね。

僕たちもカカオの含有率をパッケージに表示していますが、「健康に良い」というのは売りにしていないんです。やはりカカオ本来の味わいをダイレクトに引き出すことが面白くてやっているので、そこに特化したいという思いがあるからです。

コーヒーの世界でも最近サードウェーブコーヒーやスペシャルティコーヒーと呼ばれるように、苦いという今までの評価に対して、酸味を軸にした文化が受け入れられるようになっています。

本谷

価値観の変化には、ゆっくりと丁寧につくられ、身体に良いものを口にしたいというスローライフの影響もあるのでしょうね。私の両親も「体に良いから1日に2枚は食べなきゃ」と、森永の「カレ・ド・ショコラ」を食べています(笑)。

山下

「カレ・ド・ショコラ」は大人気ですよね。

野秋

私も今では毎朝食べていますが、10~20年前だと高カカオのチョコレートはあまり好まれませんでした。それが今や皆がおいしいと感じられることに隔世の感がありますミニマルのチョコレートにはカカオがどれくらい入っていますか?

山下

一番低いもので65%ですね。平均すると70~75%。高いものでは80%~90%です。

野秋

明治さんの「ザ・チョコレート」も70%ですよね。好んで食べる人が増えるようになったのは味覚的な変化のせいなのか、技術的な革新のせいなのか。

山下

技術が進んだ部分は確実にあると思います。大量生産が始まった当時は殻に付着した菌を殺すために大量の豆を高温で焼き、一部の豆を焦がしていました。

焦げは苦みや雑味のもとですから、カカオ本来の風味を引き出すことは難しい。ところが、昨今は、焼きの工程で繊細にコントロールして焦げないように調える技術が確立され、きめ細かく丁寧に風味の追求ができるようになったのだと思います。

カカオ豆をフェアトレードで

山下

ミニマルは健康志向を狙っているわけでないのですが、苦味を減らした発酵の仕方を工夫しているので、70~80%でもとても食べやすいものになっています。ところが高齢の方に試食していただくと「苦くないから物足りない」と言われたり。

野秋

「良薬口に苦し」と思う世代なのかな(笑)。

山下

最近、産地への関心も高まり始めましたね。例えば、「シングルオリジン」と呼ばれる1つの産地や農園で採れるカカオ原料に統一し、香りを生かす動きもこの5年ほどで注目されるようになってきました。

本谷

私の周りにも「ベネズエラ産がいいんだよね」と言い出す人が現れています(笑)。本当にワインのようですよね。

野秋

今はわかりませんが、昔は世界的にカカオ豆の生産量はそれほど多くはなく、価格変動が激しかった。単一の豆で製品をつくるには原料コストが不安定なので、ブレンドすることで安定的な供給体制をつくっていったんだと思うんですね。山下さんのように豆にこだわると、価格が変動した場合、大変ではないですか。

山下

私達は独自基準で100%フェアトレードで市場価格より高く買うので市場価格には左右されません。カカオの価格にはICCO(International Cocoa Organization)が設ける基準があり、ロンドンやニューヨークのマーケットなどでは、1トンあたり2000~3000ドルくらいになります。僕らのロットで言うと1キロあたり2ドルから3ドルぐらいが大体の相場でしょうか。

ミニマルでは基本的に生産地や製法、品質をきちんと評価をした上で、キロ当たり市場価格プラス1ドルを最低価格として品質に応じて、時に市場の数倍の価格で豆を仕入れています。

その分どうしても単価が上がり、板チョコ1枚1500円ぐらいになります。もちろんの価値があると自信を持って商品をつくっていますが、それが適当か判断するのはお客様です。

本谷

ミニマルが6周年を迎えたのも高級なチョコレートを志向するお客さんが一定数いる証拠ですよね。

山下

そうですね。作り手の数も増えていて、スペシャルティチョコレートのメーカーも今は全国で60~100社ほどあるそうです。

小規模のところが多いのですが、私が立ち上げた当時は片手で足りるほどの軒数でしたので、この6年でずいぶん増えました。今年はコロナ禍で開催できなかったのですが、毎年、私が発起人となって「Craft Chocolate Festival」というイベントを主催していて盛況です。

本谷

私はそういうお話を聞くたびに「フィールドワーカーとして実際に確かめなければ」と言いながら出かけていきます(笑)。

チョコレートでできる社会貢献

本谷

最近、環境問題や社会貢献活動に関心をもつ学生がとても多いのです。

カカオの生産地では児童労働が問題になっていて、とくに深刻なのがアフリカ諸国です。そうした中で、森永製菓さんは日本のメーカーで初めて、2008年から、カカオ生産国の子どもたちの教育支援を行う「1チョコ for 1スマイル」という取り組みをされていると聞きました。チョコレートを1つ買うと、1円、寄付されるのだそうですね。

野秋

この仕組みは森永製菓が直接生産地に寄付するのではなく、途上国で支援活動を行っている公益財団法人プラン・インターナショナル・ジャパン様、認定NPO法人ACE様をパートナーとして売上げの一部をお預けし、その活動をサポートする形なんです。

会社としての取り組みですが、そこには開発や販売の担当者の思いが響いている部分が大きいと思います。社内で議論を重ねる中で、ある担当がNGO・NPOと組むというスキームを発案し、それを会社として積極的に受け入れ継続しています。

本谷

フェアトレードの流れを生むきっかけとなったのは2001年に米国の議員とチョコレート製造業者協会が締結したハーキン・エンゲル議定書ですね。

野秋

以前、森永製菓で「フェアトレード認証チョコレート」を製造販売しましたが、やはり継続していくのは難しい。その上で「カレ・ド・ショコラ」などの商品を通じて、「1チョコ for 1スマイル」という形で社会貢献をしているということなんです。

森永製菓では2020年度より、チョコレート商品の一部において、社会課題を解決し持続可能な調達に貢献する認証カカオ豆(バリーカレボー社より提供される「ココアホライズン認証カカオ」)の使用を開始し、2025年度までに国内の商品に使用するカカオ豆を100%持続可能な原料に切り替えることを目指しています。

本谷

フェアトレードでカカオ豆を仕入れていらっしゃる山下さんは、どのようにお考えですか。

山下

野秋さんが言うように、チョコレート全体で考えると、なかなか難しい現実もありますよね。カカオの生産量の6~7割は、コートジボワールやガーナ、といった西アフリカ諸国に集中しています。

あるレビューによれば、西アフリカで12歳から15歳までの222万人以上の児童が労働を強いられているそうです。カカオの7割が彼ら彼女らによってつくられているとすると、普段食べているものも何らかの関わりがあるかもしれない。それを白か黒かの二者択一で捉えてしまうと、チョコレートを口にできなくなってしまうと僕は思っています。

だから、そうではなく色々な選択肢の中でチョコレートに親しんでほしいなと思うんです。一般向けの手軽なチョコレートも、フェアトレードで高値で仕入れるチョコレートもある。消費者の選択肢が増えることが、フェアトレードが増えていったり、少なくとも児童労働のような問題が少しずつ解決に向かっていくことにつながるんじゃないかと期待しているんです。

今、ICTが発達しているので、消費者の方の情報感度も飛躍的に発達していますし。

野秋

まさしく、選択肢が多くあることが大切ですね。

山下

クラフトチョコをやっている僕でも当然、森永さんのチョコレートは食べたいし、おいしいだけじゃなく、その自由な選択の中でも社会貢献できる仕組みがあるわけですから。

野秋

お客様の選択肢が広がるのは素晴らしいことで、だからこそ、品質アップしないと市場競争では負けていく側面もあります。

バレンタインの起源は?

本谷

日本で2月14日にチョコレートをあげるというイベントは森永さんが最初に始められたのですか。

野秋

歴史的に言うと、戦前にモロゾフさんが新聞広告を出したのがどうも一番古そうです。戦後は様々なメーカーがそれに追従したので、何を始まりと定めるかはすごく難しいですね。ただ、僕が史料室にいた時には森永製菓はバレンタインを広めた企業だったと言われていました。

1960年頃、「森永チョコレート ゴールド」という新商品を売り出す時に、新聞やテレビでバレンタインを前面に押し出す広告を出したんです。

本谷

やっぱり色々な面で先駆けなんですね。

山下

ヨーロッパではバレンタインには男性が女性に対して花を贈るんですよね。

本谷

スペイン語圏では、Dia del Amor(ディア・デル・アモール)と言って、恋人同士でプレゼントを交換する習慣があるんです。日本では女の子が好きな男の子にチョコレートをあげて告白するのよと教えると、向こうの男性は皆、日本に生まれればよかったと言いますね(笑)。

野秋

2月は日本でキャンペーンに最適なんです。商売の世界では売り上げが伸びにくい2月と8月は28(にっぱち)と呼ばれ、当時の広告部の人間もそこに着目したんです。

山下

バレンタインはいまや1千億円を超える市場規模ですものね。

本谷

バレンタインも今は色々と変わってきていて、「友チョコ」と呼んで友達同士で交換したりとか。

山下

本命チョコみたいなのは少なくなっていますよね。義理チョコから友チョコに移り変わっていって。

野秋

自分へのご褒美とかね。

本谷

普段口にしない高価なチョコレートはまさにご褒美チョコでしょうか。

山下

ご褒美チョコとしてお求めになるお客さんは多いですね。うちのバイトの子たちも、お父さんにあげるのは自分が食べたいチョコだと話していました。お母さんと一緒に選びに行って、一旦はお父さんにあげるんだけど、お父さん経由で自分に戻ってくると(笑)。だから自分の食べたいチョコを選ぶんだそうです。

野秋

ちゃんと自分に戻ってくることを計算して選ぶんですね。

本谷

賢い(笑)。まだまだ語りつくせませんが、とても楽しかったです。今日は有り難うございました。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。