登場者プロフィール
伊集院 史朗(いじゅういん しろう)
その他 : フラメンコ・ダンサー(バイレ)環境情報学部 卒業1998年慶應義塾大学環境情報学部卒業。SFCスペイン舞踊部でフラメンコに出会う。98年渡西。2001年日本フラメンコ協会主催新人公演にて奨励賞受賞。現在、全国の劇場で活動し、後進の指導にもあたる。
伊集院 史朗(いじゅういん しろう)
その他 : フラメンコ・ダンサー(バイレ)環境情報学部 卒業1998年慶應義塾大学環境情報学部卒業。SFCスペイン舞踊部でフラメンコに出会う。98年渡西。2001年日本フラメンコ協会主催新人公演にて奨励賞受賞。現在、全国の劇場で活動し、後進の指導にもあたる。
廣重 有加(ひろしげ ゆか)
その他 : カンタオーラ(フラメンコ歌手)総合政策学部 卒業2007年慶應義塾大学総合政策学部卒業。SFCスペイン舞踊部でフラメンコを始め、卒業と同時にスペインのクリスティナ・ヘレン財団芸術学院へ留学。現地公演でも好評を博し、現在、全国の劇場にて活動中。
廣重 有加(ひろしげ ゆか)
その他 : カンタオーラ(フラメンコ歌手)総合政策学部 卒業2007年慶應義塾大学総合政策学部卒業。SFCスペイン舞踊部でフラメンコを始め、卒業と同時にスペインのクリスティナ・ヘレン財団芸術学院へ留学。現地公演でも好評を博し、現在、全国の劇場にて活動中。
安藤 万奈(あんどう まな)
その他 : 非常勤講師(スペイン語)東京大学大学院教育学研究科比較教育専攻博士課程満期退学。マドリード・コンプルテンセ大学留学。在スペイン日本大使館専門調査員(広報文化担当)を経る。スペイン北部の民族楽器「ガイタ」を演奏。
安藤 万奈(あんどう まな)
その他 : 非常勤講師(スペイン語)東京大学大学院教育学研究科比較教育専攻博士課程満期退学。マドリード・コンプルテンセ大学留学。在スペイン日本大使館専門調査員(広報文化担当)を経る。スペイン北部の民族楽器「ガイタ」を演奏。
2020/01/27
フラメンコと出会って
私はSFCに合格してキャンパスに来た時にフラメンコサークルの部員募集ポスターを見て「よし、入会しよう」と思ったのがフラメンコとの出会いです。
高校時代の担任の先生から「なんか踊りとかやったら似合うんじゃないの?」と言われていたこともあって、これかなと。その時までフラメンコは観たこともなかったんですけれど(笑)。
すぐに踊れるようになってしまったとか。
いや、そんなことはありませんが、楽しくてリズミカルなところがすごく性に合いました。
私も体を動かすことが好きなのに、運動のセンスがなかったのでダンスに憧れがあり、伊集院さんと同じSFCのサークルに入りました。そうしたらはまったというか。
廣重さんも踊りから入ったのですか?
そうなんです。踊りを1年ぐらいサークル内でやっていたんですが、そう簡単に踊れるようにはならなくて。上手にならないのでどうしようかなと思った時、歌の先輩が1人しかいなかったんです。
それで、歌が歌えるようになったらサークルの中で重宝されるだろうと思ってやってみたら、踊りより向いていたみたいで、3年生の時に、「タブラオ」という、フラメンコをやっているショーレストランで初めて舞台に立ったんです。
それはすごいですね。
その時、歌を習っている先生に「フラメンコで食べていけますかね」と聞いたら、「大丈夫、大丈夫」と言われて今に至るという感じでしょうか(笑)。
フラメンコは「ギター」と「カンテ(歌)」と「踊り」で三位一体と言われていますが、もともとはやっぱり歌だと思いますね。フラメンコの起源を簡単に言えば、いわゆるヒターノ(ロマ民族)の方たちがインドの方から放浪してきて、スペインの南のアンダルシア地方にたどり着き、現地の民族芸能を吸収してできた、と言われています。
意外と歴史は浅く、おそらく19世紀ぐらいに現在の原型ができたと言われていますね。
当初は歌だけで、それに合わせて、だんだんと踊るようになっていったのだと思います。ギターは高価なので、おそらく後から入ってきたのではないかと。
一番最後と言われていますね。それまでは手拍子、指鳴らし、掛け声だけでした。だから、三位一体とおっしゃいましたが個々でももちろんできますね。
カンテソロとしてギター伴奏なしで歌う歌もあります。
曲種もトナというもののように無伴奏で歌われるような形式もありますね。ただ、やはり踊りは、基本的に歌とギターがあったほうがやりやすいですね。
宗教行事と結びつく歌
フラメンコとの出会いは、私は2つあるのです。1つは1980年代のカルロス・サウラ監督が、踊り手のアントニオ・ガデスと作った「フラメンコ3部作」と言われている映画です。
『血の婚礼』『カルメン』『恋は魔術師』ですね。
はい。その後、サウラ監督は90年代にも『セビジャーナス』『フラメンコ』といった映画を撮っています。
もう1つは、留学した時にセビージャ(セビリア)に友達がいたものですから、「フェリア・デ・アブリル」に行ったんですね。
セビージャの春祭りですね。
そうです。友達に誘われてお祭りの衣装を着せられて、3、4時間、「セビジャーナス」の踊りの特訓を受けました(笑)。それから1週間ずっと……。
踊り続けたんですか?
そうですね(笑)。1週間本当に朝から晩までやっているんです。
さらにもう1つ、「ロシオの巡礼(ロメリア・デ・ロシオ)」に連れて行ってもらったこと。セビージャの隣のウエルバ県にロシオという村があり、そこで見つかったマリア様の像があるんですが、何回他の場所に持っていっても必ずそこに戻ってしまう。
その地に教会が立っているんですが、そのロシオ村にエルマンダと呼ばれる信徒団が幌馬車の隊列を組んで、1年に一度その村に集まるんです。それが「ロシオの巡礼」と言われているものです。
そのロシオへ行く道中、各地で野営して踊りながら、皆行くんですね。
やはり敬虔なカトリック教徒の方が多いですよね。
そうですね。サエタという、セビージャのイースターの週間(セマナ・サンタ)に欠かすことができない歌もあるんです。
これは宗教歌に近いものですよね。「セマナ・サンタ」というのはキリストの苦しみを一緒に感じるというお祭りですね。
山車をかついでみんなで歩いて、おそらくキリストの受難を一緒に感じるというお祭りで歌われるのがサエタであると。
皆、泣きながら聴いていますよね。
フラメンコの歌い手の方が、たまに無伴奏でサエタを舞台で歌うことがありますが、これもフラメンコの歌の一種と言っていいものではないかと思います。
フラメンコの成り立ち
「セビジャーナス」という曲種は、厳密に言うと、フォークソング、フォークダンスに当たるので、フラメンコではないという考え方もあるんです。
でも、踊りの形式は完全にフラメンコで、僕らがフラメンコを踊る時に、最初に習うのがセビジャーナスです。腕の使い方や足の踏み方の基本が大体入っています。
そういったフラメンコと言えるのかどうか、みたいな曲はたくさんありますね。
もともとヒターノの人たちは文字も持っていないので、きちんと説明されずに来たものが結構あるのかもしれません。
セビージャはやはりアンダルシア州の州都で、人も集まるので、フラメンコは盛んですね。
やっている人が多いですよね。
フラメンコというと、3つの場所が必ず出てきますね。セビージャとカディスとへレス・デ・ラ・フロンテーラです。
あとは、グラナダもやはり特徴的です。
それぞれ町によってちょっと雰囲気も違うのですね。スペインからのフラメンコのアーティストとご一緒させていただく時、「今日の人はカディス出身だからこういう感じかな」と、イメージして行かないと嚙み合わずに大変なことになります。
スペインそのものが、地方ごとに多様性があります。それぞれ谷を越えると違う民族舞踊や民謡があり、いろいろなリズムがあると言われています。フラメンコというのは、アンダルシアにもともとあった民族音楽的なものに、ロマの人たちがやってきて混合されてできたというのが、一応定説になっていますよね。
そうですね。ロマ民族の特徴として、基本的に他民族と血を混じり合わせないんですが、現地の文化や宗教は取り入れる。取り入れるのは上手で、音楽的な才能や踊りの才能などは、天性のものがある気がします。ピアノなども自然に弾けてしまって驚いたことがあります。
そうですね。
そのようにして、いろいろな文化を吸収し、アラブ人による征服などの影響もあってフラメンコが段々と今の形になってきた。
フラメンコの歌には、歌詞がない「アイアイーアイーイイー」というものがありますが、このあたりがアラブの影響かと思います。
ジプシー・スケールだとか、いろいろと言われていますよね。 旋律の最後がミで終わる、「ミ」の旋法とか。
19世紀の初めぐらいには、カフェ・カンタンテというものができ、そこで公に見せるということが始まりますね。
そうですね。もともと内輪でやっていたものを、ショーとして観せ出したのが、カフェ・カンタンテですね。今はそれがタブラオという名前になってきている。皆で飲みながらフラメンコを観る場所ができたことで、職業として「観せる、聞かせるフラメンコ」というものが、発達していったのだと思うんです。
「カンテ」の難しさ
フラメンコのカンテは難しくて、まず拍子が違うんです。日本人になじみ深い四拍子だけではなく、十二拍子や、一拍の長さが違う変速の五拍子などもあったりするので、基本的にまずそのリズムをとることができないと歌えない。
それから、発声も全然違うのです。私はフラメンコの歌手だから、「カラオケとか得意でしょう?」と言われるんですが、日本の歌謡曲、ポップスとは歌い方がまるで違うので、全然歌えないんですよ。
母音の押し出し方がすごく強いんですね。簡単に言うと、「だからなんとか」というところを、「だあかあらあなんとか」みたいな感じで母音を押し出していくのです。日本人は自分を押し出すのが苦手な人が多いので、とっつきにくい部分もあるのかもしれません。
歌が一番難しいかもしれないですね。言葉の違いがまずありますし。
言語自体の発声の仕方が違うので体の使い方が違いますね。声の質も、向こうはものすごく乾燥した空気で、スペイン人は話す時もすごく声が大きい。乾いた空気の中で、常に大声でしゃべっている人たちと、日本で暮らしている私たちは、もともと声質が違うと思うのです。
しゃがれた声が、向こうの方たちは自然に出るんですけど、日本人は訓練しないと出ない。逆に訓練し過ぎても不自然になってしまう。
音階的な難しさというのもあるんですか?
どちらかというと、旋律自体は、日本人にはなじみがあるものも多いと思います。共感しやすいメロディーラインと言いますか。
曲調は、ちょっと哀愁がありますよね。
日本の演歌に近いところもあるかなと。
以前に北海道の留萌で、スペイン人と仕事をしていたのですが、街を歩いている時、スナックから演歌が聞こえてくると、「フラメンコだ、行こう、行こう」と言い出すんです。「いや違う」と言って止めたことがありますけど(笑)。何か似たものがあるのかもしれませんね。
こぶし的な感じのニュアンスもありますね。
コプラというジャンルがありますでしょう? あれが本当に演歌っぽい感じがします。
本当に演歌そっくりですよね。歌手のロシオ・フラドとか、コプラが得意でフラメンコも歌う方もいらっしゃいますね。
ロマ民族の文化としてのフラメンコがあり、それを継承した、パジョというヒターノじゃない人たちのフラメンコもあります。こちらは踊りで言うと、ちょっと洗練された感じになっています。
多様性の中から生まれる文化
先ほど安藤さんがおっしゃった、アントニオ・ガデスという踊り手はフラメンコを舞台芸術に変えた天才と言われているんです。
もともと小さな酒場でやっていたフラメンコが、カフェ・カンタンテというところでショーになり、それが今は舞台芸術にまでなって、フラメンコが世界的なものになってきた。今では世界文化遺産になっているんですよね。
そうです。2010年に世界無形文化遺産になりました。
でも、僕が最初にスペインに行った頃は、「フラメンコ、え、なにそれ」みたいな人もたくさんいて、何か卑しい文化のように思っている方も結構いらっしゃった感じがします。
そうですね。田舎っぽいと思われていたようにも感じます。
ただ、セビジャーナスは結婚式の後のダンスパーティーで必ず出てくるんです。セビジャーナスが踊れると、「オーッ」という感じになりますね。
マドリードでも、結婚式やダンスパーティーというと、セビジャーナスとパソドブレは必ず踊ります。
そうですか。パソドブレは、「タンタリアンタリアンタン」というやつですね。
そうです。闘牛のときに必ずかかる曲です。
僕は踊ったことがないですね。
いわゆるソーシャルダンス(社交ダンス)の中に入っていますね。
日本人がイメージするフラメンコの感じですね。
でも、本当のフラメンコとはちょっと違う感じでしょうか。
とにかくスペインには、各地方、それぞれの歌や踊りがあります。民族衣装も、われわれがイメージするフリルがいっぱいあるフラメンコの衣装は南のほうの一部のもので、スペイン全土では50以上あると思います。
北部のアストゥリアス州の方も全然違いますね。知り合いにアストゥリアス人の方がいますが、ここはスペインのレコンキスタ(対イスラムの再征服運動)が始まった場所なんですね。
そこでイスラム軍を止めたというところです。
いまだにスペイン王室に仕える人はアストゥリアス出身じゃなければいけないそうで。
イギリスで皇太子を「プリンス・オブ・ウェールズ」というのと同様「プリンシペ・デ・アストゥリアス」というのは皇太子の称号なんです。
地方によって本当に違いますよね。カタルーニャ人は勤勉というか商売上手だし。バルセロナオリンピックは、彼らだからできたんじゃないかと言われている。アンダルシアの人は無理でしょうと(笑)。
闘牛との関わり
女性だから変身願望もあるし、あのフラメンコのカラフルなドレスを着てみたいなと思ったんです。でも、カンテだから、結局黒なんですよね。
日本のショーは、やはりダンスを目当てに来るお客さんが多いので、必然的に後ろに座るので、ダンサーより目立たない恰好をしなければいけない感じにはなりますね。
ダンスがない形の自分のカンテライブをやる機会はまだ少ないですが、合間をつなぐために、「歌だけでここで2曲ぐらい歌ってください」と言われることはよくあります。そういう時は、なるべく飾りが多めのものを着て行きます。
男は、衣装はやはりハイウエストだったりしますね。
闘牛士っぽい、すごいハイウエストに短いジャケット、とかありますね。
いわゆるボレロですか。
そうですね。だから闘牛とやはり関わりがある感じはします。ダンスの形で、闘牛士の動きを模したような動きもたくさんあるし。実際、昔の有名な闘牛士は、やはりロマの方も結構多かったようです。
「闘牛士ポーズ」は踊りにはたくさんありますよね。歌詞にも闘牛の話は結構出てきます。
「サパテアード」という足で拍子をとる動きがありますよね。よく聞くのが、「ドゥエンデ」という言葉なんです。踊り手、歌い手、ギタリストに「取り憑いてしまう」という意味なんでしょうか。
そうですね、魔物みたいな。
そのドゥエンデは下から、つまり土からやってくると言われているようで、ただ技巧が優れているだけではなくて、そのドゥエンデが入ってくると、自分自身も、それから観客も感極まると言われているんですよね。
そうですね。やはり東洋的な考えなのではないでしょうか。踊っている人が取り憑かれるみたいな。今はあまり言わなくなりましたが。
やはり、都会化されてきたということでしょうか。
そういった要素は薄まっている感じはします。でも、東洋的な文化は確かにあります。習っている時に、「地面を踏んで、そこから花が咲いてくるように」といったアドバイスをもらうこともありました。
あと、カスタネットも使うんですが、ロマの人は実はカスタネットが嫌いなんです。あれは、クラシコ・エスパニョールというスペインの民族舞踊から来ているのかもしれません。カスタネットはすごく難しいんですよ。あれは僕はちょっとできないです。
私もやってみたんですけど難しい。幼稚園のものを想像していたので、ゴムが付いていると思っていたら、ただの紐なんですね。どうやって戻せばいいんだろうと思って。
両手で音を出しながら踊るんですね。
あれができると、自分の売りになりますね。
それが得意な踊り手さんが日本にもいらっしゃいます。
楽譜のない世界
手拍子(パルマ)も難しいんですよ。
めっちゃ難しいですね(笑)。
スペイン人の暗黙のグルーヴ感みたいなのがあって。それについていけなかったんです。しかも、何が違うか教えてくれずに「おまえ、それは違う」と言われることが多かった。
パルマは、パーム(手の平)から、おそらく来ていると思うんですが、フラメンコの手拍子の場合、少し両手をずらしてやるんです。
フラメンコは誰も教えてくれないことが多くて大変なんです。今でこそ変わってきましたが、何回も聞いてやっと教えてくれるような世界で。
一種の秘伝のような。ラモン・モントーヤという有名なギタリストは、自分のお父さんが息子に聞かせないように、部屋に閉じこもって自室で練習していて教えてもらえなかったそうです。
楽譜もないことが多いですよね。
基本的に譜面が読めない人が多いですね。
ドリームズ・カム・トゥルーの吉田美和さんが、フラメンコ・ギターの貴公子と言われているビセンテ・アミーゴを、アルバムを作るのに呼んだことがあるそうですが、吉田美和さんはきちんと楽譜を用意していたのに即興でやったと聞いたことがあります。
私が歌を習った時は、先生がまず全部歌ってみた後に、「じゃあ、あなた歌ってみて」と、クラスで順番にやるんです。スペイン人はこれで結構できてしまう。完璧ではなくても、聞いたものを歌うことができるんですが、日本人はそれが苦手で、その場だとどうしてもできないから、録音したものを家に持ち帰って一生懸命聞いて解析するんです。
ここでちょっと上がって、1回下りて、また3回ぐらいうねうねしてから上がるとか。でも、微妙な4分の1音階みたいな音程もあって正確に楽譜にできないから、音の高さを玉で書いて次の日に持っていくと、すごく褒められるんです。「マキナ(マシーン)みたい」だと。
「なんでそんなふうに先生をコピーできるの。信じられない、日本人すごい」って言われるんですけど、こっちからすると、皆のほうがすごい(笑)。
私がやっている楽器は、北部アストゥリアス地方のガイタというバグパイプの一種です。
バッグがあって、そのバッグに空気を入れて吹くという感じです。先ほどの「下からのドゥエンデ」に対して、こちらは上から息を吹き込む感じです。こういったところも、だいぶ違うのかなと思うのですね。
昔はやはり楽譜はなかったみたいで、口伝で習う方式だったようです。ところが1980年代以降、コンセルバトリオ(音楽学校)を出た人たちが口伝で教わっていたものを楽譜に起こしてかなり裾野が広がったようです。
そういうことがありますよね。フラメンコもインターナショナルになって、パコ・デ・ルシアが世界中のギタリストと共演して、メトロノームの基準が大事だということに気付いた。その中でフラメンコのグルーヴをどう出すかという考え方になったのですね。
グルーヴを出すために、アクセントでちょっとリズムを揺らすという作業が必要なんですが、それをこのくらいやるとフラメンコらしくなるというところがあるんです。
今はそれがだいぶできるので、僕らにはすごい助けになりますね。学校ができて、そのように分かりやすくなることがあります。
フラメンコは日本で人気か?
日本で人気があるのは、インドから来た人たちの東洋的なものとかアラブ的なものが融合されていることもあり、音使いに哀愁があったりするところが琴線に響くのではないでしょうか。
そうですね。感情移入を意外としやすいのかなと。
ただ、スペイン人の有名アーティストの公演には多くの観衆が来るんですけれど、やっぱり、もともとやっていた内輪の要素がいまだに強い気もするのです。
愛好者が5万人と言われていますが、これ以上のムーブメントには、なかなかなりにくいのかなという気もしますね。それでもスペインに次いで人気のある国なのだそうですけれど。
でも、フラメンコほど世界に広がっていったスペイン文化はないですよね。私のやっているガイタも、1990年代終わりぐらいに、ケルトブームに乗って一時期かなり盛り上がった時がありましたけど、やっぱりフラメンコは別格ですね。
メリメ原作のビゼーのオペラ「カルメン」の影響もやっぱり大きいでしょうね。
そうですね。カルメンという女の人も多いですし。
一番多いんじゃないですか。
おそらく、ビゼーの「カルメン」まではそんなにいなかったんじゃないかと思うんですけど(笑)。
ああいう女性に憧れがあるのか、ともかく多いですね。
日本人的じゃないから、日本人もやっぱり憧れてしまうんですね。
私は、フラメンコが日本で人気なのは、日本人は抑圧された気持ちを抱えている人が多いからではないかと思うのです。逆にフラメンコって、ものすごく自分を出していくものなのです。だから、一回観たり、ちょっとやってみると、気持ち良くて抜け出せないんですね。
その気持ち良さがフラメンコ以外では得られないという感じで、はまっていく人が多いのではと。
男のダンサーは少ないですね。やはり圧倒的に女性が多い。観に来る方も、習いに来る方もそうなので、男の人ももうちょっとやってくれるといいなと思うんですが。
私の教え子の男子で習っている子が、何人かいますよ。
それは嬉しいですね。
今、自分でも、小規模ながら教室をやっています。踊りと、パルマと、カホンというパーカッションもちょっと教えています。
カホンも面白いですよね。
カホンは大きい箱という意味で後ろに穴があいている、南米ペルー発祥のパーカッションです。パコ・デ・ルシアが1970年代に南米ツアーをした時に見つけて、フラメンコに取り入れられないかなと持ち帰ったんですね。
すごくシンプルで、低い音と高い音しかない。僕はスペインで習いましたが、我流でも結構できてしまうところもあって楽しいですね。
カホン専門でステージに立つこともあるんですか。
いろいろなんです。今回はカホンで仕事をしてくださいとか、今回はパルマでとか、踊りと組み合わせてという場合もあります。パコ・デ・ルシアもそうですが、メンバーの踊り手がカホンを叩いていると思ったら、急に踊ったり、ということもあります。
足はどのように鳴らすんでしょうか。
タップより、もっと踏み付ける感じですかね。でも、近年はタップの要素もバレエ的な要素が取り入れられ、進化していると思います。
フラメンコは足をものすごく床に打ち付けるので、近所迷惑になるんですが、最近は軽く打ち鳴らすような感じにもなっていますね。いろいろなジャンルの人と共演をして自然にそうなったんだと思います。
無数にある歌
歌も、ミロンガとか、中南米の音楽も随分取り入れていますよね。
そうですね。キューバに1回入って、また戻ってきたグアヒーラという曲があったりします。
歌の数はどのくらいあるのでしょうね。
例えば「喜びの歌:アレグリアス」みたいなカテゴリーがあるんですが、そのアレグリアスという名の下に、無数の歌詞があるのです。「だから、アレグリアスを今日やります」と言われても、それが昨日のアレグリアスと同じ歌かというと、全然違う。曲の数は正直数え切れないですね。
歌詞も日々新しくなったりしますし。
そうですね。ちょっと雰囲気がおしゃれになったり。
カタツムリ売りの歌というのもありません?
「カラコレス」ですね。カタツムリ売りの売り声がもとになっていると言われています。
エスカルゴではなく、本当のカタツムリを食べるのですよね。
おいしいですけど。
茹でて、蒸して。
つぶ貝を食べているみたいな感じですね。ニンニクといろいろな香辛料を入れて。ただ、形態が(笑)。
いっぱい積んであるのを見ると、「ちょっとぉーっ」って思いますよね(笑)。
マドリードの古き良き時代を歌っている歌詞が多いんですよね。
また、ソレアレス(ソレア)などのちょっと悲しい形式のものだと、ヒターノの迫害の歴史を歌っていたり、ミネーラという炭鉱の歌とかもある。「兄弟の両手が切られてしまった」というような結構えぐい歌詞があったりしますね。
アレグリアスというのは「喜び」という意味ですが、曲はアラゴン地方のホタという音楽の形式が元なんです。ナポレオンが攻めてきた時に、アラゴン人が勇敢に戦ったので、スペイン全土に、ホタが流行り、歌として広まったらしい。それを南の人たちがフラメンコの形式に取り入れたのがアレグリアスだそうです。だから、歌の中に、砲弾とかが出てくる。
そうですね。「喜び」のカテゴリーのはずなのに、「爆弾が降ってきて」なんて歌詞がある。でも、曲調は明るいんですよ。いろいろな歌詞があって面白いです。恋の歌とか、生活苦の歌が多いでしょうか。
自分の夫が飯をつくれと言って殴る、というような歌も結構あります。
うちの奥さんがどれだけひどいか教えてやろう、みたいな歌も。恋の歌も結構激しくて、「もう殺してやる」みたいなものがいっぱいあったり、あとは「お金がない、お金くれ」とか(笑)。
「今」を生きるフラメンコ
「タブラオ」はマドリードにも何軒かあるんですが、ちょっとレストランっぽく高級感があるところが多くなったかもしれないですね。
フラメンコはアントニオ・ガデスが舞台芸術にするまではせいぜい5、60人が入れるくらいのところでやっていたのです。それが空気感を感じられるサイズ感かなと思いますね。
日本にも「タブラオ」は何軒かあります。一時よりだいぶ減ってしまいましたが、今あるのが、西日暮里、新宿、八王子ですかね。
あと、浅草橋。明日、そこに出ますけど。
カンテをやる人が増えないかな、と思うんですね。
少ないですね。プロがせいぜい20人ぐらいかな。歌い手をつかまえるのが大変なんですよ。
舞台に出られるようになるまでのハードルが高いんですよ。たくさんのカテゴリーを覚えて、どの歌でも歌えるようにしなければいけない。こんな感じの歌とリクエストも来るので、もう膨大なストックがないと舞台に出られない。
フラメンコは歌が大事だから歌う人は確かにたくさんいてほしいですね。
廣重さんもおっしゃっていましたが、フラメンコをやっていると、日本とスペインはすごく違うということに気付かされるんです。僕らは、とりあえず考えてから動くので「間」があるんですが、スペインの人たちはリハーサルをしていても、じゃあやろう、次はなんだ、次はどうするんだと、どんどん行くんです(笑)。
「今」をどう生きていくかということに、すごく長けた人たちだと思います。これは、やはり狩猟民族と農耕民族の違いなんでしょうか。狩猟民族は、動物がいたらその場で倒さないといけないからではないか、と思うんですね。
実は私はアンチフラメンコだったんです(笑)。あまりにも、スペイン=フラメンコみたいな感じのところがあったものですから。嫌いなわけでは決してないんですが、あまりにもフラメンコと言われ過ぎるので。
でも、今回、お話をお聞きして、やっぱりフラメンコもいいなと(笑)。お二人のライブも見せていただければと思います。
お話を伺っていると、フラメンコは確かに南のものだけど、スペイン全土からいろいろな影響を受けているということを、あらためて認識しました。スペインの中でいろいろな文化があるということを僕らも見ていないと、フラメンコだけだと駄目だなと。
とにかくスペインは民族衣装も、踊りも、歌も、いろいろあって面白い世界だと思います。是非多くの方がフラメンコ、そしてスペインの文化に触れてほしいと思います。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。