慶應義塾

新・駅弁の愉しみ

登場者プロフィール

  • 高見澤 志和(たかみざわ ゆきかず)

    その他 : 株式会社荻野屋代表取締役社長法学部 卒業システムデザイン・マネジメント研究科 卒業

    2000年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。2018年同大学院SDM研究科修了。2012年6代目社長就任。荻野屋は、明治18年横川駅の構内営業権取得。昭和33年より「峠の釜めし」を販売。

    高見澤 志和(たかみざわ ゆきかず)

    その他 : 株式会社荻野屋代表取締役社長法学部 卒業システムデザイン・マネジメント研究科 卒業

    2000年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。2018年同大学院SDM研究科修了。2012年6代目社長就任。荻野屋は、明治18年横川駅の構内営業権取得。昭和33年より「峠の釜めし」を販売。

  • 野並 晃(のなみ あきら)

    その他 : 株式会社崎陽軒専務取締役経済学部 卒業経営管理研究科 卒業

    2004年慶應義塾大学経済学部卒業、2011年同大学院経営管理研究科修了。2016年より専務取締役。崎陽軒は明治41年、横浜駅(現桜木町駅)構内で創業。昭和3年より名物「シウマイ」を販売。

    野並 晃(のなみ あきら)

    その他 : 株式会社崎陽軒専務取締役経済学部 卒業経営管理研究科 卒業

    2004年慶應義塾大学経済学部卒業、2011年同大学院経営管理研究科修了。2016年より専務取締役。崎陽軒は明治41年、横浜駅(現桜木町駅)構内で創業。昭和3年より名物「シウマイ」を販売。

  • 今井 麻椰(いまい まや)

    その他 : 株式会社いかめし阿部商店3代目環境情報学部 卒業

    2013年慶應義塾大学環境情報学部卒業。海外留学を経てBSフジにてキャスターを務める。現在バスケレポーターのかたわら「いかめし娘」としても活動中。いかめし阿部商店は明治36年、北海道森駅構内で創業。

    今井 麻椰(いまい まや)

    その他 : 株式会社いかめし阿部商店3代目環境情報学部 卒業

    2013年慶應義塾大学環境情報学部卒業。海外留学を経てBSフジにてキャスターを務める。現在バスケレポーターのかたわら「いかめし娘」としても活動中。いかめし阿部商店は明治36年、北海道森駅構内で創業。

2019/12/25

駅弁業のはじまり

高見澤

弊社は弁当屋としての創業が、信越本線横川駅の開業と同じ明治18(1885)年なのですが、実は創業以前に、横川より軽井沢寄りにある、今は霧積(きりづみ)温泉と言われているところで温泉旅館をやっていたのがスタートです。

そこは主要五街道の1つの中山道の宿場町として栄えていました。それが明治になって、交通が大きく変わってきた頃、たまたま後の首相の桂太郎が宿泊され、鉄道(信越線)開通の情報を得たそうです。それで、横川駅前で何かビジネスをしたらどうだろう、と駅弁屋を始めたというのが弊社の起源です。

当初は「釜めし」ではなく、おにぎり2つと、たくあん2切れを竹の皮に包んで、というスタートでした。

野並

弊社は当時の横浜駅(現在の桜木町駅)の4代目の駅長をしていた久保久行という人が、定年を迎えて引退する際、横浜駅構内での営業権をいただいたのが始まりです。

今でいうキヨスクみたいなところで、販売しているものは、牛乳、サイダー、タバコ、餅といったものでした。食べるものもありましたが、まだ駅弁とまで名乗れるかどうかというもので、当時は野球場の売り子のような立ち売りだったようですね。

今井

うちも、もともと阿部旅館というものを営業していたんですが、明治36(1903)年、函館本線森駅が開業したのと同時にお弁当業も始めたのが始まりです。

その後に旅館業を廃業して昭和16(1941)年からお弁当一本になりました。このときに「いかめし」を販売開始し、そこから今に至るという感じですね。

高見澤

旅館業から駅弁を始めたところは同じですね。野並さんがおっしゃられたように、構内営業権を取って始めたというところも弊社と全く同じです。構内営業権を取るのは結構大変だったみたいですね。

今井

うちも森駅開業とともに取ったみたいです。

野並

その後、大正に入ると横浜駅と平沼駅の間に新しい横浜駅(現在の横浜駅)を設け、平沼駅を廃止するという計画が起こったんですね。

当時平沼駅には東洋軒というところがあり、さらに別の会社も横浜駅での構内販売の申請をしたのです。申請を受けた東京鉄道局は3社が共同で経営することを条件にし、ここに、大正4(1915)年、現在の横浜駅開業と同時に、匿名組合崎陽軒が新たにスタートしました。そして間もなく、私の曾祖父にあたる野並茂吉が支配人になりました。

「峠の釜めし」の誕生

高見澤

弊社は明治18年開業ですが、「釜めし」を売り出すのは昭和33(1958)年です。

今井

かなり間がありますよね。

高見澤

そうなんですよ。その間、非常にいろいろあったみたいです。

第2次大戦が終わった後、物資難が厳しい中、開店休業みたいな感じだったらしいんです。お弁当も全然、売れなかったそうで、非常に経営が苦しい状況でした。

横川駅は小さな駅で、隣に軽井沢駅、少し行くと高崎駅と、大きな2つの駅に挟まれ、そこで皆さんお弁当を買ってしまっていた。このままではまずいということで、私の祖母・高見澤みねじが「釜めし」を発案したのです。

実は祖母は嫁いできていて4代目に就任したのですが、旦那である3代目は34歳で亡くなってしまった。経営難と夫がいないというダブルパンチに見舞われながら、荻野屋をつぶしてはいけないと、売れるお弁当を作ろうとしたんですね。

野並

大変な意志ですね。

高見澤

高崎や軽井沢で弁当が売れているので、需要があることは分かっていました。そこで、やはり何か特長のあるものを作ったほうがいいと、お客さまの声を聞いて回ると、「温かいお弁当が食べたい」という話が出たそうです。

当時は幕の内弁当が主流で、どこに行っても同じようなもの。温かさを保つのは非常に難しかった。試行錯誤する中、ある日、釜の容器を業者さんが持って来た。陶器は加熱すると保温性が高いので、この陶器にお弁当を詰めて売ったら温かい弁当が実現できるのでは、と具材を詰めて売ったのが「釜めし」でした。

具材についてもお客さまから聞いて、家庭的な素朴な味を試行錯誤して作りました。また特長のあるものを入れようと、崎陽軒さんもそうですが、アンズが入っていたり、栗だとか当初は地域で採れる食材を入れて。

今井

釜の形は最初から変わっていないのですか。

高見澤

多少、マイナーチェンジはしていますけど、基本的にはこの形でずっときています。でも売り出して、すぐに売れたわけではないんです。実はあの陶器が重くて、しかも値段が高いということで、まず国鉄の販売許可が下りなかったらしい。

当時、他のお弁当が80円でしたが、原価計算するとどうやっても120円じゃないと採算が合わない。そんなに高いものを売っては駄目だと、販売許可が下りるまでに時間がかかった。また、重いので、当初は売り子が売りたがらなかった。

でも、発売から半年くらいたったある日、雑誌の記事に取り上げられたら突然売れ出した。本当に小さなコラムでしたが、ここで紹介されたことで火がついて、生産が間に合わないほどになったそうです。

「いかめし」「シウマイ」の起源

今井

「いかめし」ができたのは昭和16(1941)年です。戦争中の兵隊さんたちが、北の旭川の駐屯地を目指している時に、すごくお腹を空かせているのを先代の妻が見ていて、何とか兵隊さんたちのお腹を何かで満たせないかと、「いかめし」を発明したそうです。

先代は父のおじに当たります。今では考えられませんが、当時、森駅の海辺にはイカが大漁でとても余っていました。このイカをどうにかできないかと、まずイカの中に北海道産のトウモロコシやジャガイモを詰めて煮たのですが、最終的に、やはり安くて一番お腹にたまる、もち米と普通のお米をブレンドした「いかめし」が一番、おいしかった。このように、兵隊さんたちのために「いかめし」を作ったのが最初なのです。

高見澤

いかめし自体、阿部商店さんが最初に作られたのですか?

今井

そうです。イカの中に何かを入れて煮るというのは北海道にあったみたいですけど、ご飯、特にもち米を入れるというものはなかったみたいです。

野並

「シウマイ」が販売されるのは昭和3(1928)年のことで、それまでは本当にありきたりの商品を販売していました。横浜はご存じのとおり、幕末の開港から出来上がった街で、歴史もなく、地元の名物なんて何もなかったんですね。

関東大震災の後、野並茂吉は、何か特色のあるものを出さなければと考え、横浜の南京街(今の中華街)で出されていたシューマイを見て、これを工夫すればいいんじゃないかと考えたそうです。

そこで、南京街の点心職人呉遇孫をスカウトし、昭和3年、冷めてもおいしい「シウマイ」が完成したんです。揺れる列車内でもこぼさないよう、一口サイズとしたんですね。

今井

最初から売れたのですか?

野並

いえ、当初は社長の道楽だと思われていたようです。飛行機から無料券をばらまいたりして(笑)、なんとか「シウマイ」を売りたいけれど、なかなか火がつかない。

戦後になってあるとき、タバコのピースを銀座できれいな女性が配っているのを見て、これはおもしろいと。当時の駅の構内の仕事は、重いものを持つので男性の仕事だった。これを、昭和25(1950)年に「シウマイ娘」という形で女性の売り子さんが売る形に変えていったところから火がつき始めました。

そうしたら、獅子文六の『やっさもっさ』という新聞小説の中で、シウマイ娘がヒロイン役として出てきて、これが映画化までされたおかげで一気にシウマイという名前が広がってくれたんです。

「シウマイ弁当」という形になったのは、シウマイを売り始めてから26年後の昭和29(1954)年のことです。

左より「シウマイ弁当」「峠の釜めし」「いかめし」

「冷めてもおいしい」をつくる

野並

飲食店で出されるシウマイは、出来立て、蒸し立てのものが一番で、それ自体は冷めた状態だとまずいのです。先ほどおっしゃられたように、出来立てを食べさせることができない商売なので、時間が経ち、冷めた状態でもおいしいシウマイを作るということが大事でした。

高見澤

崎陽軒のシウマイは独特のものがありますよね。

野並

帆立原料は一切、変えていません。豚肉はいろいろな部位を入れて作っていますので部位の差は存在する。それをミックスすることで均一な状態を作っています。

今では干し帆立貝柱を入れているシウマイは他でも売っていますが、当時、豚肉と干し帆立貝柱をミックスして作ったというものは新しかったようです。その辺のいいブレンド具合が、冷めてもおいしい状態である工夫だったようですね。

高見澤

まさに、弊社も冷めてもおいしいことを想定して、逆算して作っていますね。「冷めてもおいしい」ということは、やはりお弁当としては必要最低限の条件じゃないかなと思います。

今井

「いかめし」も、冷めてもおいしい。それをいつも言っています。

「いかめし」は戦時中、兵隊さんたちのあいだで話題になっていたみたいですが、特に人気が出たのは戦後からですね。

森駅って本当に何もないところなんですよ。「いかめし」というブランドがその当時からずっとすごく根付いているのは、逆に何もないおかげなのかなと思うのです。「いかめし」を買うしかないからと(笑)。

激変する環境に対応

高見澤

弊社の場合、何といっても、平成9(1997)年、長野新幹線(現北陸新幹線)の開業により、信越本線の横川・軽井沢間が廃止されたことが大きなことでした。これによって駅の売り上げは99.9%がなくなったんです。

弊社はそれ以前からドライブイン営業などをやっていて、車で旅をする方たちに提供していたので、何とか生き残ることができた。ですから、今は駅弁というよりは、旅を楽しむためのお弁当という捉え方をしています。

当初は主に群馬、長野を中心に展開していたのですが、最近は都内でも販売箇所を設けたり、駅弁大会で販売させていただいたり、日常と非日常の間にどう存在するかということを常に考えています。

日常の生活の中でもたまに違うものが食べたい、という旅行に行くような特別な感覚が得られるようなものを提供して、駅弁を楽しんでいただければと思うのです。

野並

うちも、危機感という点では似ています。昔は駅の構内営業という形で国鉄から権利をもらってやっていたのですが、昭和9(1934)年に、国鉄さんが駅の構内で販売する子会社をつくりました。そこで、「どうしよう」ということで、その後、駅に付随した、百貨店やショッピングセンターに店を出させてもらったのですね。

構内営業という改札の中の商売から改札の外に飛び出して行ったんです。危機を、うまくチャンスに変えられたというところがあります。

今井

うちは、東京駅の「駅弁屋 祭」というスポットには出しているんですが、やはり百貨店さんの物産展での販売がメインになっています。実際、今では森駅では1日に10個でも売れているのかなというところです。でも、毎日出さないと商標が取られてしまうので(笑)。

そのぐらい駅で買うことがなくなってしまった時代です。20代の友達とかはほとんど駅弁かどうかなど気にしていないと思います。私は小さいときから遊び感覚で駅弁を売っていたんですけど。

野並

いくつくらいからですか?

今井

8歳くらいです。そのとき、駅で、1分くらいの停車のあいだに大勢の人が降りてきて、買える人だけ買うという光景が今でも印象に残っています。それが今は、夏だけ高校生のアルバイトを使ってやっていて、年中見られた昔の光景はもうなくなっているんです。

百貨店に来る方は年配の方が多いので、そういう方はよく立ち止まって、森駅の昔話をしてくれるんですが、私は聞いても全然分からない(笑)。

高見澤

確かに百貨店で、「昔、横川でああだった、こうだった」という話を本当に楽しくお話をされる方がいらっしゃいますね。

弊社もやはり信越線の横川・軽井沢間がなくなった後の世代への浸透度が非常に低い。これをどうにかしなくてはいけないと、今、いろいろやっていますが、その代表がローソンさんとの提携です。おにぎり弁当などで、「峠のかまめし本舗 おぎのや監修」という形で、名前を知っていただいています。

2017年からはGINZA SIXに出させていただいています。外国の方にも目につくような、駅弁文化として、こういった旅の楽しみが存在するということを積極的にアピールしているところです。外国の方は、あの釜が面白いのか必ず持って帰られますね。

野並

うちの商圏は一都四県、南関東首都圏一帯といったところで、「横浜」と言い続けられそうな範囲でやっています。

外国の方は、「冷めてもおいしい」ことに価値をおいてないんですよね。爆買いされる方々がブワーッとバスでお店に来て、ペタペタ触るわけです。「これ、温かいのかな」みたいな。「なんだ、温かくないのか」という感じで次のお店に行く(笑)。

そのときは、温かくしておいしいものを売らなければいけないのかな、と思ったんです。でも、お寿司だって「生魚を食うなんて大丈夫なのか」と言われていたものが、世界中で文化として今は広がっている。

そう考えると、これだけ多くの外国の方がいらしているので、「冷めてもおいしい弁当」というのが日本文化なんだ、と理解していただければ、きっと広まっていくのではないかと思っています。

普及のための様々な工夫

今井

最近、シンガポールに行ったのですが、やはり東南アジアの人のほうが、「いかめし」の味付けには少し親しみがあるようですね。

私はヨーロッパに行こうよ、と言っているんですが、やはりイカとかタコを毛嫌いして、それこそ揚げたカラマリ(イカフライ)とかじゃないと食べないようです。「いかめし」は、海外の人からすると、イカそのままの形なのでグロテスクと思われるらしい(笑)。

「釜めし」みたいに「うわー、ジャパニーズだ」ってならないんですよね。お弁当らしさもないですし。だから、日本に昔からある駅弁として海外の人に広めていくのとは、またちょっと違う作戦でやらなければと私は思っています。

野並

どのようなことを考えられているんですか。

今井

やっぱり若い世代には、SNSが一番影響力があるんです。それと、私自身、テレビ、雑誌とメディアに出られるものは拒まず出ています。

やっぱりメディアの力は大きいと思うので、そこをもっとSNSを通して発信していきたい。それこそ海外の方も見ています。そこは私の使命だと思っています。

野並

うちはコマーシャルの、「おいしいシウマイ 崎陽軒」というメロディを知っていただいているのは大きいなと思っています。

基本的には広告費を使うのではなく、いろいろなメディアに取り上げられるようにする、というスタンスです。最近、一番、話題性があったのは「シウマイ弁当の食べ方の順番をこだわる」というもの。あと直営のレストランで大きなシウマイをカットする、「ジャンボシウマイカット」というのをやっているのですが、これらが、メディアに取り上げていただいていますね。

高見澤

弊社も昔から、広告宣伝に使う金があったら衛生環境構築のためにお金を使えということで、積極的な広告宣伝は打っていません。

ただ、やはり今の時代、取り上げてもらわないと忘れられてしまう。圧倒的な情報量の中で存在感を示していくために、いろいろなものとのコラボレーションを進めています。

話題になったのは、『頭文字(イニシャル)D』という、群馬県を舞台にした、しげの秀一さんの峠を走る車の漫画とのコラボです。いわゆる走り屋の話ですが、実名で弊社が出てくるんですよ。作者の方が非常に弊社の「釜めし」を気に入ってくれているということで、「釜めし」の掛け紙を『頭文字D』の漫画にした特別バージョンを作ったんです。

そうするとやはりファンの方はそれを求めて来られる。それが話題になって、釜めしは今、1080円ですが、この掛け紙1つが3000円、4000円でネット上で取引されている。完全に鉄道から離れていますが(笑)。

今井

そうですね。

高見澤

一方、鉄道関連では、今年、横川・軽井沢間が廃止されてできた「碓氷峠鉄道文化むら」が開園20周年を迎えたことを記念して、碓氷峠を舞台としたライトノベル作品「碓氷と彼女とロクサンの。」のキャラクターを起用したオリジナルデザイン掛け紙が販売されました。これも、一部のマニアの方が求めて来られるんですね。

人気の「ひょうちゃん」

野並

最近、いじくりまくっているのは、やはり「ひょうちゃん」です。あれは本当に偶然の賜物といいますか。単なるのっぺらぼうのしょう油入れだったのを、昭和30(1955)年、漫画家・横山隆一さんが「目鼻をつけてあげよう」ということで誕生したんです。

今井

たくさん種類がありますよね。

野並

サイズは大小2種類ですが、通常バージョンで、いろは四十八文字にちなんで48種類あります。

最近、やはりコラボで、あれをいじくりたいというオファーをいただくことが多いのです。直近では地元の横浜F・マリノスさんとやらせていただいたり、昨年は創立110周年だったので、110番ということで、神奈川県警とコラボして警察の制服を着せた「ポリスひょうちゃん」を作りました。

2015年に60歳を迎えたんです。そのとき、赤いちゃんちゃんこを着たひょうちゃんを作り、それだけだとつまらないから、金色のひょうちゃんも作りました。さすがにちょっとお金がかかるので、全部には入れられず、一番売れている売店でその日1日に入ってくるシウマイを全部買っても当たらないぐらいの割合で入れました。でも、お客さまの中には、当たるまで買って食い続けるぞという方がいたり。

今井

いかめしの掛け紙のデザインはずっと変えてないです。中身の大きさも変えていません。よく「小さくなったね」と言われるんですけど、あなたが成長しただけですよって(笑)。

「絶対に変えない」と父からもずっと言われています。見た目はお腹にたまらなさそうですけど、食べたらお腹がいっぱいになる、というのがうちの売りで、このサイズにぎっしり入っている。

サイズも、パッケージもこれからも変えるつもりはないです。古くさい見た目なんですが、でも逆にレトロでかわいい、と若い人たちには思われているようで。

今、私はバスケットボールのレポーターもやっているので、最近はバスケの会場で売らせてもらっています。そうすると、バスケを見に来ている何千人の方が一気に来てくれる。そういった今までやってこなかった場所で広めていきたいですね。

今回のラグビーが盛り上がっているみたいに、やっぱりスポーツって強いです。バスケ観戦といえば「いかめし」、というのが根付けばいいなと密かに願っています。

職人の微妙な味の違い

高見澤

「いかめし」を作っているのは森駅1カ所だけなんですか。

今井

全部、実演販売なんですよ。物産展でもその都度、職人が行って、その場で生のイカからお米を詰めて作っています。

その職人さんたちが将来いなくなるという問題もあるんです。今、20人ぐらい職人さんがいますが、その方たちが全国に出かけて作っています。半年ぐらい、家に帰れないんですよ。一番若くて40代で、60代が当たり前です。

みんな意地も根性もあるおばさんたちばかりです。その人たちがいなくなったらどうしようというのが今の一番の悩みです。

味付けもその場で職人がやっているので、今回は甘かったとか、しょっぱかったということもある。でも、「その人の味だよ」と、家庭料理みたいに、毎回、味が違うというところが、飽きがこなくていいのかなと思っているんです。「いかめし」ファンから、「あそこの人の味が好き」と言ってくれる人もいます。

高見澤

弊社も一応、レシピは確立されているんですけど、職人の人たちはレシピを見ずに自分たちの感覚で作っている。私も横川にいるときは、毎朝、試食をするんですが、人によってやっぱり味付けが微妙に違うんです。でもある程度、平均値に収まっていればオッケーとしています。

そういう変化に気付いてくれる方もたまにいらっしゃるんです。横川と諏訪店に工場があるんですが、「諏訪店は味が違うね」と言っていただくとドキッとしますが、逆にうれしい部分もありますね。

時代に合わせた変化

今井

今の釜めしは紙容器のものが出ているのですよね。

高見澤

パルプモールドというとても軽い容器です。なんでこれを作ったかというと、特に女性の方の意見で、陶器が重い、持ち運びが嫌だ、という意見が多かった。

群馬や長野で売る分には問題ないんですが、イベント出店のときに持って帰るのが嫌だから「釜めし」を買いたくない、というお客さまの声や、バス旅行の方から、バスの中で召し上がった方が陶器を捨てづらいという意見あって、作ったんですね。

「もはや釜めしじゃないだろう」というお叱りも受けるんですけど、お客さまの声を元に「釜めし」が作られたのだから、やはりそのような声があれば、と作ったのです。

素材は単なる紙ではなく、竹の皮やサトウキビの搾りかすなんかの産業廃棄物を再利用して環境に配慮していて、2013年にグッドデザイン賞も受賞しました。

野並

陶器のものもまだ売っているんですよね。

高見澤

はい、売っています。ですが、都内は圧倒的にパルプモールド容器のほうが売れますね。これはお客さまの層によって、全然、選ばれ方が違う。男性は圧倒的に陶器ですが、女性は紙容器なんですよね。

今井

私もこっち(紙)がいいと思っちゃいます。

高見澤

やっぱり実用的な感覚なんでしょうね。

私自身は陶器のほうがおいしく感じますね。多分、食べることに対して五感で感じているんでしょうね。中身は全く変えていないのですが。

野並

でも数としては紙のほうが出ているんですね。

高見澤

いや、全体としてはまだ陶器のほうが多いです。

野並

うちは経木という木の部分は変えていませんが、上のパッケージに書いてある横浜の風景は、時代に合わせて少しずつ変わってきています。

経木という、木の容器を使い続けるのは、やはりおいしさへのこだわりといったところです。冷めてもおいしい状態を作るには、そういった投資も必要だと思っています。

シウマイ弁当の中身も実は、長い年月ではちょっと変わってきているところもあるんです。一時期、アンズの代わりにサクランボという時代もありました。鶏のから揚げがエビフライだったり。ただ、やはり今の形が、一番、親しまれていると思いますので、そこは変えずにやっていこうと思っています。

高見澤

「釜めし」を正式に販売開始してから変わったのが、実はうずらの卵とグリンピースなんです。

うずらの卵以前は色合い的に錦糸卵を入れていたんですね。でも、卵は時間が経つと菌の繁殖が出てくるので、駅弁大会などに出店する際に問題があって、うずらの卵に変わったんです。

グリンピースは昔はサヤエンドウを使っていたんですけど、こちらも色合いとして使っていたのですが、使い勝手のよいグリンピースに変えました。他は食材の産地は変わっていますが、基本的には味付けとか中身自体は変わっていませんね。

バリエーションや派生商品

野並

「いかめし」の中身は変えたりしないんですか。

今井

今、「何を変えた」ってうらやましい、と思って聞いていました(笑)。

高見澤

バリエーションとかもないんですか。

今井

京王百貨店でやるときに、中にホタテの貝柱を入れた「ホタテいかめし、限定50個」とかやりますが、そのぐらいです。

スペース的な問題もあって、基本、何も変わらないんですね。

野並

そうすると、「いかめし」とは、違う商品を派生させていく感じですね。

今井

今、「いかめしコロッケ」というのをやっていて、それが結構人気です。「いかめし」より人気かもしれない(笑)。

男爵いもの中にイカもご飯も入っていて、味付けがいかめしのタレを使っているので、ソースもいらずに、食べたらそのままいかめしをコロッケで味わえる。海外でもそっちのほうが人気なんです。代々木公園のフェスでも行列ができます。

高見澤

「いかめし」自体を揚げるわけではないんですね。

今井

そうなんです。男爵いもの普通のコロッケの味付けが「いかめし風」で、お米もちょっと入っていて、イカが中にゴロゴロ入っている。

高見澤

「いかめし」に衣をつけて揚げてもおいしそうですけどね。

今井

よく「いかめしが揚がっているんですか」って聞かれるんですよ。新商品は、もっと私の時代で作りたいとは思っています。

高見澤

弊社も、「釜めしは変えちゃいけない」いうことでやっていたのですが、私の代になってから、実はいろいろなバリエーションを作り始めたんです。

例えば秋のシーズン、一番高いのがGINZA SIXで提供している6660円の松茸釜めしです。これは国産松茸が1.5から2本入っていますから、実はお得なんですよ。

野並

それはすごいですね。

高見澤

1個、2個、予約で売っている感じです。あとは特別の釜にしたりとか、多少バージョンの違うものも出しています。

野並

最近は、「コト消費」だ、みたいな感じで、何かの出来事に合わせて商品を作っていますね。

例えば、2017年にラグビーの日本代表堀江翔太選手が崎陽軒が好きで、もっとたくさん食べたいとおっしゃったので、1.5倍にした「メガシウマイ弁当」というものを作って売り出しました。これをこのラグビーワールドカップの開催期間限定で販売しています

シウマイ弁当の中身だけは変えるなと言っています。パッケージについても、シウマイ弁当の掛け紙を変えたいというお申し出があるのですが変えていません。他のお弁当で、この弁当だったらそういう遊びができますよと、いうものを提案するような形ですね。

これからの駅弁

今井

以前は森駅構内のキヨスクで「いかめし」を売っていたのですが、今は駅を出たところの柴田商店というお店でしか売っていないんです。

野並

でも、いかめしだけ買わせてくださいと言ったら、改札から出してくれるんですよね。

今井

そうです。食べるものがそれしかないし(笑)。鉄道を好きな方が、毎日、ブログやSNSとかに載せてくれると、私もチェックしています。でも、そういう人たちが続けばいいんですが、これから3、40年したらどうなるんだろうと。

野並

私は、冷めてもおいしいお弁当というのは、小学校、中学校、小さい子どもたちがお母さんにお弁当を作ってもらった思い出みたいなものがなくならない限りは、この国には残っていてくれるんじゃないかなと思っているんです。

高見澤

外国人の方も新幹線の車内で駅弁を食べる人は増えていると思うんですよ。北陸新幹線に乗っていると、結構いろいろな国の方が食べています。

逆に日本人より外国人の方が、日本ではこういう楽しみ方があるというのを知っている面もあるなと。

今井

私は小学校のときの文集に、将来の夢を「いかめし3代目」と書いているんですよ。皆、かわいくお花屋さんとかケーキ屋さんと書く中で一人だけ(笑)。

多分、物心ついた頃から、そう思っていたところはあるんですが、本気で継ぐというつもりは、正直、なかったのです。でも一人娘で周りに継ぎそうな親戚もいないし、「いかめし」を手放すと考えると、なんか兄弟が取られる気分になったんです。

テレビのバラエティとかで、「いかめし3代目、後継ぎ娘」みたいに取り上げられたのが3年前ぐらいですが、もともと父は継がなくていいよとずっと言っていたんです。

「男社会だから」とすごく言われました。でも、レポーターとかメディアの仕事もやりながら、できるところまで二足のわらじでずっと続けていきたいと思います。いつかは結婚したいし子どもも生みたいという、女としての希望は捨てずに、いかめしを自分のものとして守っていきたいと思っています。

野並

自分では作らないんですか。

今井

味付けまでのことはできるようになりました。それこそおばさんたちに鍛えられて。最初はつらすぎて、イカを触りながら泣きまくっていました。ネイルもできないんですよ。手もボロボロだし。でも、それもこの家に生まれたからこそできることだと、プラスに考えてやっていきたいなと思っています。

高見澤

私も当初は継ぐつもりはなくやってきましたが、やるからには、自分にしかできないことを徹底してやり抜いて行こうと思っています。歴史を見ても、常にいい状態ということはまずないので、会社もチャレンジしなければいけない。チャレンジしないとチャンスが摑めず変わらない。「チャレンジ、チャンス、チェンジ」と合言葉のように言っています。

「釜めし」を軸に違う展開もして、何か新しい形のものもやっていきたいなと思っています。

野並

うちの会社はやっぱり横浜の人たちに支えられている会社という思いが強いです。よく言わせていただくのですが、崎陽軒という会社は横浜市民から「シウマイ」とか「シウマイ弁当」の製造販売を委託されている会社なんだと。

そのような気持ちで、これからも「駅弁づくり」をやっていきたいと思っています。

それぞれのお弁当を手に

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。