登場者プロフィール
関 晴子(せき はるこ)
その他 : ランドスケープ・アーキテクトその他 : STUDIO LASSO LTD主宰文学部 卒業1983年慶應義塾大学文学部心理学専攻卒業。ロンドンにて長くランドスケープ・アーキテクトとして活動。英国チェルシーフラワーショー等受賞多数。2014年より東京造形大学客員教授。
関 晴子(せき はるこ)
その他 : ランドスケープ・アーキテクトその他 : STUDIO LASSO LTD主宰文学部 卒業1983年慶應義塾大学文学部心理学専攻卒業。ロンドンにて長くランドスケープ・アーキテクトとして活動。英国チェルシーフラワーショー等受賞多数。2014年より東京造形大学客員教授。
ライカーズ 玉恵(ライカーズ たまえ)
その他 : 西洋美術、デザイン史家・アドバイザー。商学部 卒業1987年慶應義塾大学商学部卒業。英国サザビーズ・インスティテュート/マンチェスター大学大学院:西欧美術史修士。元米国公認会計士。Zebra Prescot社主宰。香港在住。
ライカーズ 玉恵(ライカーズ たまえ)
その他 : 西洋美術、デザイン史家・アドバイザー。商学部 卒業1987年慶應義塾大学商学部卒業。英国サザビーズ・インスティテュート/マンチェスター大学大学院:西欧美術史修士。元米国公認会計士。Zebra Prescot社主宰。香港在住。
日野原 健司(ひのはら けんじ)
その他 : 太田記念美術館主席学芸員文学研究科 卒業2001年慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。専門は江戸から明治にかけての浮世絵史。著書に『浮世絵でめぐる江戸の花──見て楽しむ園芸文化』(共著)等。
日野原 健司(ひのはら けんじ)
その他 : 太田記念美術館主席学芸員文学研究科 卒業2001年慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。専門は江戸から明治にかけての浮世絵史。著書に『浮世絵でめぐる江戸の花──見て楽しむ園芸文化』(共著)等。
2019/05/24
江戸の植物の楽しみ方
日野原さんは江戸時代の浮世絵がご専門ということですが、大名はともかくも、江戸の長屋に住んでいた庶民の方が一体どのように園芸をやっていたのか、想像がつかないんです。
日本の場合、庭の歴史は、それこそ古代までさかのぼります。その頃はやはり富裕層、権力層にとっての庭ですね。平安時代には『作庭記』という、庭の造り方を記した書物が作られています。貴族たちの広大な庭をどのように造るかというものです。
室町時代になると中国から禅宗、新しい仏教文化が入ってきて、いわゆる枯山水(かれさんすい)の庭が出てきます。さらに江戸時代に入ってからは大きく分けて2つの流れがあります。
1つはやはり富裕層。即ち大名や公家を中心とした広大な庭です。特に江戸の場合、大名の屋敷が江戸の町の各所にありました。なかでも別邸の役割を担った下屋敷ですね。大きな池がある広大な自然の庭を造り、その中を散策して楽しむ回遊式の庭園が造られました。
もう1つが庶民、町民ですか。
そうです。庶民たちの中にも、18世紀、19世紀と徐々に経済力が増していくに従って、園芸として植物を自分たちで栽培することがどんどん拡大していきます。
また、庶民たちは、自分で植物を育てることとは別に、例えば桜の名所や梅の名所に出かけていました。特に梅は、裕福な町人が自分の屋敷に植えて庭園を造り、それを庶民たちに開放して、庶民たちがその季節になると足を運んで楽しむということがありました。
庭を造る側としては当然、自分の庭ですが、庶民たちにとっては公共の庭のような感覚ですね。
ヴァン・ゴッホも真似た、有名な亀戸梅屋敷もやはり、裕福な町人の家にあった梅だったのでしょうか。
そうですね。他にたくさんの植物が植えられているところは、お寺や神社です。また、桜の名所は、8代将軍徳川吉宗が庶民たちの憩いの場として隅田川沿いとか、品川の御殿山、あるいは飛鳥山に造られました。飛鳥山は、今でも多くの花見客が訪れていますが、もともと幕府によって整備されたのです。
庶民の娯楽の1つとして、そういった場所で花見をしたり、あとは、裕福な町人も自分で庭を造って梅とか季節の花を植えたりして、それを一般の人たちにも開放するというようなこともあったわけです。
町人も庭を造るようになったということですね。
そうですね。主に19世紀になってからですが。今でも都立庭園の向島百花園が墨田区にありますが、もともとは佐原鞠塢(きくう)という町人が教養のある文化人たちとともに庭を造り、いろいろな文芸活動も楽しんでいました。
江戸時代の初期は、やはり、大名家や将軍家などを中心とする富裕層が広大な庭で植物を育てていましたが、徐々に文化人的な富裕層の町人の中でも、いろいろな植物を自分たちで栽培したり、それを売買したりするようになったのだと思います。
もともと植木屋という職業がありました。それは当初は、大名家からの仕事の依頼を受けて大名庭園などを整備する仕事だったのですね。
庭園をメンテナンスするためですね。
そうです。その植木屋さんから、徐々に庶民への販売が広まっていったのでしょう。
ある限定された時期に流行した植物もあります。アサガオなどは典型です。変化アサガオといって、ちょっと変わった形の花を自分で育てて「自分はこれだけ変わったアサガオの花を咲かせた」と、友人たちの間で競い合うんです。そうやって見せ合って品評会のようなものをする。
カラタチバナやフウランなども高値で転売されて、現代のお金で何十万から何百万ものお金になるというようなことが起きています。
それをやっていたのは、比較的生活に余裕があり、余暇を楽しむ時間のある裕福な武家や町人たちですね。時代にもよりますが、園芸に限らず、文芸、和歌、俳諧、あるいは絵画など様々な芸能を通して、身分を超えて武家と町人が交流し合う場というものがありました。園芸は文化人的な趣味としての要素もあったのです。
それとは別に、花は好きでも、そこまで本格的ではなく、植木鉢に植えられた花を植木市で買って、気軽に花を楽しむ人たちもいました。植木鉢の生産の増加というものも大きかったと思うんです。
鉢に凝って比べっこをすることもあったようですね。
鉢植えは、それこそ四季折々、お正月ですと福寿草の鉢植え、春だとサクラソウの鉢植え、などがありました。自分で買いに行くだけではなく、てんびん棒を担いだ植木売りが町中を歩いていて、とても気軽に買うこともできました。日常の娯楽の感覚で花や植物を入手し、それを実際に育てることが楽しみとして成り立っていたのですね。
浮世絵に描かれる植物
珍種などを育てるのが流行ったとおっしゃいましたが、その話を聞いていて、有名な17世紀初頭のオランダの、チューリップバブルを思い出しました。
オランダのチューリップバブルは、お金持ちから洗濯女まで球根を買ったと言われるぐらい、誰もが狂ったようにチューリップを買った。それが金融商品取引のベースになったみたいに言われていますね。
さすがに日本ではそこまでの社会的な変化はなかったと思いますが、やはり高値での売買が行われることもあり、幕府から禁止されることもあったようです。
一方で、そういった珍しいアサガオを絵にし、印刷物にして出版するようなこともまた同時に行われているんです。
まさにそこで浮世絵に描かれる。
ええ。当時、木版画の浮世絵の技術が高かったので、そういった珍しい植物を記録し、それを印刷、出版物として残す。園芸だけではなくて、絵画、美術の方面にも影響を与えたという意味では、影響力があったのかなと思います。
例えば円山応挙(まるやまおうきょ)には、すごく精密に植物を観察したような、有名な絵がありますよね。
オランダのチューリップ騒動の時期もやはり同じようなことをやっていて、チューリップ以外にも昆虫などを精密に描いた絵があるので、似ている感じがします。花を愛でるというだけではなく、科学的な探求心といったような側面もあったのかなという気がするのですが。
「描かれた花」ということで言えば、もともと日本の絵画の歴史というのは、いわゆる花鳥画が非常に主要なテーマになっています。花だけではなく松や梅などの樹木、あるいはそこに飛んでいる鳥が絵として古くから描かれていて、江戸時代も画家たちの主要なテーマの1つでした。その流れの中で、特に大名たちが、いわゆる博物学や植物学というものに大変興味を示したんですね。
博物学、あるいは本草学というのは、まず、日本各地にどういう植物があって、それがどういう名前であるか、地域によって違う名前だけど、どこまで種類として同じなのかということを見極めていました。
花に限らず、様々なものを科学的に調査するというようなことが、18世紀に入ってから大名たちの間で流行しました。その中で本物そっくりに記録した図鑑のような草花、そして鳥や魚なども、画家たちに描かせるということがよくあったのです。
イングリッシュガーデンの起源
日本で描かれた絵画がイギリスの庭園に影響を与えたという説もあるのです。17世紀までイギリスはルネサンスの影響を受けた整形庭園が主流でしたが、日本の影響を受けて東洋風になっていったと。
そうですね。研究テーマを探るうちに面白い話を1つ見つけたのです。ウィリアム・テンプル卿というイギリス人が17世紀後半にオランダのハーグで大使をやっていて、オランダ東インド会社の東洋から帰ってきた人の話を聞き、「東のほうの庭はいろいろなものが不揃いで、しかも不完全だ。ヨーロッパの左右対称の整形庭園ではない考え方もあるらしい。それを美しいと言っている。そういうのを〝シャラワジ〟と言うらしい」というエッセーを残しています。この話がイギリスの庭園に影響を与え、「シャラワジ風庭園」と呼ばれるのです。
ウィリアム・テンプル卿は『ガリバー旅行記』を書いたジョナサン・スウィフトのパトロンだった人です。一般に「シャラワジ」とは中国だと言われていますが、当時の中国、清はまだ鎖国状態で、オランダ東インド会社と貿易があったのは日本だけです。だからここで言う「東のほうの庭」は日本のことではないか。
大陸的な左右対称のガーデンとは違う、風景的な、自然を模したようなガーデンをイギリス人が造っていくことに日本が影響を与えたのではないか、と思うのですね。
イギリスの風景式庭園に影響を与えたということですね。一般にイングリッシュガーデンと呼ばれているのは、そのあとの時代のガートルード・ジーキルなどが、風景式庭園に対するアンチテーゼとして提唱した、コテージガーデンという園芸的な手法のことだと思います。
風景式庭園はピクチャレスクの概念がベースにあって、丘陵地を造成したりして英国の原風景を描くものですね。植物を愛でるというよりは、土木事業のように風景を造成する。風景式庭園の設計者、ケイパビリティ・ブラウンは村一つ動かすようなスケールで庭園を造っています。
それに対して、自然な植栽と自生植物を生かした庭園様式をジーキルは提唱したのですね。これは19世紀から20世紀のブルジョワ階級によって広く普及していきました。
風景式庭園の背景にあったのは、バロック時代に、フランスのニコラ・プッサンとかクロード・ロランという人が風景画を描き始めたことですね。そこに楽園としてのアルカディア思想みたいなものが表れるんですね。本当の風景ではない、理想郷としての風景を描いて、そこに美しい女神たちを描くのが流行ります。それがベースになったんですよね。
風景式庭園を発展させたウィリアム・ケントは、もともと造園の経験のない画家だったのです。
その風景式庭園に対して、「本当の庭って違うでしょう」みたいな、アンチテーゼがあったということなんですか。
そうですね。日本には在来種だけでも約3千種の植物が存在すると言われていますが、イギリスの場合はおよそ200種しかありません。このことが逆に植物への憧れとなり、帝国主義と相まってプランツハンターが世界中のいろいろな国から植物を集めてきて、ハイブリッドにより種を増やしていった。
当初、イギリスでも植物を愛でることは、王族や貴族の趣味の世界でした。風景式庭園も多くは貴族の私有地でしたが、そこからブルジョアジーなど市民階級に広がっていったのは、庭に自然なかたちで自生種を植えて楽しむというコテージガーデンのスタイルが提案されたためで、それがガーデニングとして日本人が憧れた「イングリッシュガーデン」につながっているように思います。
西洋の庭と日本の庭
先ほど本草学のことをおっしゃっていましたが、ヨーロッパ中世は倫理観がものすごく強く、「花や草木を愛でるみたいなことをしている場合じゃない」という時代が長かったから、草木を育てるには何か目的がないとだめだったんですね。それでハーブガーデンみたいなものが修道院などで造られていた。
ロンドンにも薬草学のギルド、言ってみれば医者のハーブガーデンがチェルシー・フィジック・ガーデンという形で今でも残っています。日本の小石川植物園みたいですが、そのように、目的があって植物が育てられていたガーデンが、だんだん美しさ自体にも目を向けられるようになっていったのかと思うのです。
おそらくヨーロッパの植物、あるいは庭に対する捉え方というのは、やはり、人間が自然を支配するというような考え方が根底にあるとは思うんです。ベルサイユ宮殿の庭なども幾何学的に左右対称ですし、先ほどのイギリスの風景式庭園にしてもやはり、自分たちでその風景を造り出すという意味でのコントロールがあると思います。
すごく作為的に造っていくというのがありますよね。
そうですね。一方、当然、日本の庭園も自然に手を加えるという意識はあります。ただ、手を加えているけれど、人間が自然を支配するということではなく、あくまで自然の中に人間を置くためのツールだとは思うんですね。例えば枯山水の庭にしても、見る側がそこに山なり海なり、あるいは宇宙なりといった偉大な自然を脳内で感じています。
植物に関しても、先ほど言った本草学は医療という目的は当然あったと思いますが、大名が作っている図鑑などを見ると、純粋に花が好きで記録したい、魚が好きで絵にしておきたいという感じなんですよね。実用性よりもかなり趣味の世界という感じが強いように思います。
イギリスでも、19世紀は趣味的な部分は非常にありました。でも、先ほど関さんが言われたように、非常に品種が少ないから、アフリカやインドなどから珍種を集めてきてはそれを掛け合わせて、新しい種を自分たちで作っていこうという動きが強く、江戸の自然に対する興味、愛でるというようなこととは違うように感じられるのです。
ガーデンを共有する
また、ロンドンには例えばハイドパークなど広い公園が多い。ハイドパークはもともとヘンリー8世のお狩場だったのが17世紀、一般に開放されてパークになったようです。ハイドパークはパークと言うものの、小さなガーデンの寄せ集めみたいなところがあります。
ロンドンの8つのロイヤルパーク(王立公園)は、もともと王族の所有地を市民に開放したものです。ロンドンは世界の5大都市の中でも緑地の面積がとても多いのですが、私有地だったところを一般に開放したり、コモンスペースとして共有している緑地がすごく多い。
牧草地や耕作地を含んだもっと広い範囲で言うと、パブリック・フットパスというものがあります。広大な農地のフットパス(人が歩ける小径)を、通路として一般に開放しているのです。私有地でありながら、そこを通ることで風景を共有できるシステムとも言えますね。
また、私が一時住んでいたノース・ロンドンのフェアヘーゼルガーデンという街区では、50ぐらいの建物が1つの広大な庭を囲んでいたのです。その庭はコミュニティガーデンになっていて、その庭を共有することで、様々な人種・階層・年齢の人たちが植物を育てたり管理をしたりしながらコミュニティをつくり、共通の意識を持てる。これはすごくフェアで面白いシステムだなと思いました。
日本もこれからコンパクトシティ化に向かって都市の再編が行われていくなかで、空き地がどんどん増えていくと思います。その土地をどのようにシェアしていくかということが、今後大きな課題になっていくように思います。
そうかもしれませんね。
これは日本に帰ってきて1年住んだ限りの感想ですが、ヨーロッパのほうが身近に花があるのではないかと思うんです。気軽にお花をプレゼントしたり、毎日ダイニングテーブルにささやかなお花を活けるような文化がある。庶民的、日常的なレベルで花が身近にあるような気がするのです。それは心の豊かさとかゆとりの問題なのかもしれないのですが。日本の場合は、新しくできた住宅は外構がコンクリートで固められていて、木を植えるスペースさえないようです。江戸で発展した園芸文化は今、どのように続いているのでしょうね。
植木市や縁日は、今でも入谷の朝顔市など、江戸から続く園芸文化として一部で残っているとは思うのですが、自分の庭に植木屋さんに入ってもらって庭を整えて、ということは、どんどん廃れていっていますよね。
私の実家の近所でも、立派な庭のある家がありましたが、この前、その庭を造らせた方が年配で病院に入ってしまい、息子さんが庭を全部更地にして半分を駐車場にして、半分は自分の家を建ててしまいました。
一方、鉢植えを買って並べるという文化は、東京の東側、隅田川を渡った江東区とか墨田区などの下町には残っているようです。玄関の周りに鉢植えをずらっと並べて、どこからどこまでが自分の家の敷地なのだろう、という光景は見かけますね。
江戸時代の長屋の前に置かれた植木鉢は、通る人皆がそれを共有できる、ある意味、とっても民主的なものでしたね。
私が渡英する直前、20年ぐらい前に日本でイングリッシュガーデンが流行りました。特にバラへの憧れが強かったと思うのですが、日本は湿気の多い気候なので害虫の被害を受けやすく、バラを育てるのが難しかった。それで少し違う形に変わってきました。
イギリスではその後、モダンブリティッシュ・ムーブメントと言われる動きが起きたんですね。それはダッチ・ウェイブと呼ばれる、生態環境に合った在来種のペレニアル(多年草)を主とした庭で、毎年刈り取ったり移植したりしなくてもよい、手の掛からないローメンテナンスの庭です。コテージガーデンのドリフト・プランティングに対して、マス・プランティングという、一見、自然なメドウ(草原)のようなスタイルが今、主流になってきています。
このコンセプトに従うなら、イギリスの植物を使わなくても、日本のオリジナルの種で「イングリッシュガーデン」を造ることができます。これは日本の生態系に合った造園の手法で、無理のない形ではないでしょうか。
「間」が主役の日本の庭園
先ほどヨーロッパの庭園のほうが自然をコントロールしているというお話がありましたが、日本の庭園もある意味では設計者の意図がすごく強いように思います。
例えばステッピング・ストーンという踏み石がありますね。その踏み石1つにしても、設計者が人々をどういうふうに歩かせて、どこで庭を見せるか、全てをコントロールしていますね。樹木も意図的に刈り込んで形を作っています。
現存する日本庭園には、日本の空間の特質が凝縮されていますね。そして、空間に対する考え方が、西洋のものとは此岸と彼岸ほど違うように思います。
「間」の取り方が違いますよね。いろいろ抜くというか。
そうですね。日本庭園では「間」が主役で、植物は脇役なんですね。「間」をつくるというのは、空気感、雰囲気をつくるということかもしれません。植物は脇役であって、それは石でもいいわけですが、要するに要素間のバランスが重要で、物と物との関係性、テンションやハーモニーが「間」に表現されるのだと思います。それに対して、西洋の庭では植物などのエレメントそのものが主役なんです。
例えば陶磁器や漆器でも、日本の作品は「間」とか空間が多いですが、海外向けに出された作品には、わざと外国人が好きなように、間を埋めていったんですよね。
私がロンドンで庭を造るときに経験したことですが、イギリス人に施工をお願いすると、「間」を全部埋めたがるんですよ(笑)。隙間があると落ち着かないようです。これは空間に対する感覚の違いなのだな、と思いました。
これは、あらゆるジャンルに日本の造詣の感覚として「間」というものがある。ただ、意識的に「これくらいの間を空ける」と規則に基づいてやっているのではなくて、かなり感覚的なものなんですよね。
そうじゃないと逆に、日本人は落ち着かない。
海外で活躍されている現在のアーティストや職人さんでも、自分は日本的なものを作っている意識が全然ないにも拘らず、「すごく日本的だ」と言われて初めて、「ああ、自分の空間の取り方や作り方がそう見られるんだ」と気づく方は多いです。
それは私もありました。最初、イングリッシュガーデンを学ぶ学校に入って、イングリッシュガーデンを設計しているつもりなのに、すごく東洋的だと言われて。無意識に3点でバランスをとっていたりするところがあるんです。
中国文化との対比
日本と中国もすごく違うと思うんですね。中国の庭に行って思うのですが、中国は非常に間を埋めたがるし、左右対称が好きで、偶数好きです。同じ東洋の中でも日本の特殊性をあらためて感じます。中国から入ってきた文化を日本人がいかに日本的につくっていったのかと思うと面白いですよね。
あらゆるジャンルがそうですね。水墨画が一番典型的です。ヨーロッパの人が日本を見ないで想像の世界で日本的なものをつくっていたのと同じで、日本人も実際に中国に渡った人はほとんどいなかった。中国から伝わってきたものだけを見て、それを表面的に模倣して想像しているんですよね。
中国にある、大きな岩のような山や大きな川を見たことのない日本人が、絵を見て、日本ではあり得ない世界を表面的に真似るので、空間の把握の仕方が全然できていないんですよね。
空間の概念としてはたぶん、中国は西洋のほうに近いですよね。
その通りです。
日本の文化のコアみたいなものがあって、どんな外来文化を持ってきても変えていく力があるというか、変わらない普遍的なものがあると思うのですが、それが何なのかなと思っています。
一言で言うと、過去のものを捨てられないのでしょうね。ある意味、ヨーロッパや中国の場合、大陸ですので、何かからの攻撃や支配を受けたときに、地続きの別の土地に逃げるということができる。しかし、日本の場合は、言ってみればそうやって逃げてきた人たちが最後に行き着く場ですので、逃げ場がどこにもない。「逃げてきた者同士、ここの中で皆一緒に上手くやっていくしかないよね」というのが、日本の歴史だと思うんですよね。
もともと神道のような自然崇拝があるところに仏教が入ってくると、これが大陸だったら文化の移動が起こると思うのですが、移動できないので一緒になるしかない。神仏習合で、神と仏を一体化させてしまう。あるいは中国の禅宗の文化にしても、従来の日本的な文化と融合して独自の改造をしてしまう。ガラパゴスと言えばガラパゴスですが、それでずっと来ていますよね。
そうですね。また日本は椅子文化ではない一方、中国は椅子文化なんですね。なんで日本では椅子が普及しなかったのかと考えると、やはり農耕民族だからなのではないか。自然が豊かで、川に行けば魚が釣れる。雨も多いし、草木は育つ。そういう環境がいろいろな形で目線にも現れているのではと。
床に座るのと椅子に座るのとでは目線が違うので、こういうところも庭の造り方に影響するのではないかと思います。障子を開けると、濡れ縁の向こう側に庭が見える。それはたぶん、椅子文化にはない世界でしょう。そういうことも日本独自の庭園・風景をつくり上げていったのではないかと思うのです。
確かにそれもあるかもしれませんね。
絵画に表れる世界観
寺社の日本庭園はもちろん仏教思想の反映だと思いますが、私は宗教以前に何が文化の違いを形成したのかを考え、色々文献を当たったのですが、空間論には宇宙軸という考え方があることが分かりました。
「森の文化と砂漠の文化」という考え方があって、日本は森の文化で、西洋は砂漠の文化です。砂漠では方位を確認するために、まず北極星を発見したんですね。北極星というのは宇宙の固定点なので、北極星と地球の地軸を結んだものを宇宙軸と定め、そこから固定的な世界観が生まれていったと。それに対して日本は、太陽の軌道の東西軸を宇宙軸とした流動的な世界観で、そこからアニミズムや多神教的な考えが生まれた。
西洋ではここから一神教が生まれ、絵画においても一点透視図法のように固定的な世界観が生まれました。日本の場合、例えば「洛中洛外図屏風」のように、画家が視点を移動させながら描いていく。庭でも回遊式庭園のような形式が生まれました。
生命は巡り、また生まれ変わる輪廻転生という考え方、円環思想はインドに由来すると思われますが、これは日本の空間概念を支配しているように思います。一方、西洋は直線崇拝で、時間もリニアなものとして認識されているようです。
一点透視図法というのはまさしく絵を描いている人間の目から見た世界で、非常に人間の個の意識が強い。一方、従来の日本の絵画の描き方は、人間の目から見た世界ではなくて、人間を俯瞰的に見下ろす別の視点から捉えていますね。
「洛中洛外図」ですと、フラットに町の様子全体を捉えているという意識がありますので、やはり見ている世界、自然に対する意識がだいぶ違うのではないか。
それは浮世絵にも表れているのですか。
広い意味ではもちろん表れていますね。人間の目から見たまま写実的に描くということが、なかなかその通りにはいかない。浮世絵でも西洋の絵画の技法を取り入れたケースはありますが、やはり表面的な理解でとどまってしまって、理論として理解せずに、「もうそこでいいや」と、絵としてまとめてしまっています。
日本庭園はとても抽象度が高くて、芸術というか、思想の反映なんですよね。それに対して、イギリスの庭は使われるための庭で、常に機能が意識されている。
私がイングリッシュガーデンを勉強したときに、バブル・ダイアグラムというのですが、空間をすべて機能で埋めていくということを教わりました。それに対して日本には「間」という、何も機能のない空間がありますよね。
機能に執着するのは砂漠の文化に通じるのではないでしょうか。要は灌漑(かんがい)をしないと水が得られない。だから、西洋人は噴水にすごく執着があって、バビロンの空中庭園も噴水だし、チボリの庭も噴水です。
もともと人間は食べるために植物を育てたという部分があって、それが長い時間をかけて、「愛でるための庭」という部分も出てきたと思うのです。機能の部分というのは、そういう切実な環境の違いの表れなのではないかと思います。日本はやはり自然が豊かな国なんですね。
そうですね。庭の機能という意味でちょっと面白いのが、江戸時代の劇作者の滝沢馬琴です。その日記によると、あくまで普通の一軒家の庭ぐらいの規模ですが、庭造りを結構しています。
その際の要素の1つに家相学というものがあるのです。今で言う風水のようなもので、家族に病人が出ると、水が悪いということで池を埋めたり、この場所、この方角にはこういう木を植えてはいけないというものです。ただ、それは機能と言えば機能ですが、信心や迷信に近い感覚ですよね。
「植物を育てる」という倫理観
今、またガーデニングが流行っているというのは、少子化だと言われている中でも、やはり何かを育てたいという、1つの表れなのではないかと私は思うんです。
イギリスの「ガーデニング」という言葉にはモラルの意識がとてもあると思うんです。これはキリスト教に通じるのかもしれないのですが、要は「植物を育てるような人はいい人。善良であり、地の塩みたいな人たちだ」と。
例えば文学にもそれが表れています。『指輪物語(The Lord of the Rings)』はフロドという人が主人公ですが、くじけそうになるフロドを最後まで助けたのがガーデナーで、自分の庭に戻り、「やれやれ、これで自分の庭に戻ってきた」というのが最後の場面です。私はそこにイギリス人の倫理観、庭との関係性を見たのです。
なるほど。
イギリスのようなところでは植物を育てることが大変だからこそ、倫理観が必要になるのだと思います。
江戸の庶民にはそういった倫理観はなく、ある意味、無邪気に花々を育てた。これは、やはり日本は自然が豊かで草花の品種も多いからだと感じます。
昨年日本に戻り、植物の生長の勢いをすごく感じました。放っておくと森に返る地域というのは人の住んでいるところでは地球上で30%しかないらしいのですが、日本はそのうちの1つだということですね。家の庭をほったらかして自然の猛威を楽しんでいたのですけれど(笑)。
確かに日本では、江戸時代でも本当に雑貨を買うような感覚で、鉢植えを買っているという節が感じられます。イギリスの育てづらさとは違うでしょうね。
オランダは今でも盛んに花を輸出していますが、冬はとても寒い。だからこそ春が来て花が咲くことへの思いは、日本人以上に切実です。だから、花が輸出産業の重要な1つとして発展したのではないかと思うんです。日本はこれだけ品種がありながら、そこまでの思い入れはないように思うのです。
園芸種として市場に出回るもので言うと、イギリスのマーケットのほうが豊富ですね。ガーデンセンターには豊富な植物があって、一般人が樹木なども買える。園芸・造園がダイナミックな産業になっているんですよね。日本は植物の在来種は多いのですが、あまり園芸市場が発達していないのかなと思います。
様々なガーデンの形
今、イギリスで流行っている庭の1つに、エディブルガーデン(食べられる庭)というものがあります。ベジタブルガーデンのような、食と結び付いたガーデンもあります。
また、イギリスには戦争中からアロットメント・ガーデン(市民農園)という、住宅に囲まれた畑を耕して野菜をつくるという習慣があり、そこでもコミュニティが生まれます。多国籍社会にあって、人々の交流の場として機能しているのです。
日本も入管法が改正されて、今後もっと外国人が増えますし、高齢化社会も進んでいくと思います。これは多国籍社会ロンドンの知恵ですが、アロットメント・ガーデンやコミュニティガーデンで人々をつないでいく。植物と関わりながら、フェアな形でいろいろな人が関わりを持っていく空間があるのは、すごくいいことだなと思っています。
香港は不動産が非常に高いのですが、ファッションビルとオフィスビルとが合体したような大きな建物の屋上に、去年、ベジタブルガーデンが造られて、テナントに勤めている従業員がその一部を耕して、ニンジンなどを育てられるようになっていました。
皆、狭い家に住んでいるので自分の庭は持てない。でも会社に行って、例えば上司と部下が、植物を一緒に育てることでコミュニケーションを図ることができるというのが、このビルのブランド強化になっているわけです。日本もそういう感じで何かできるといいですね。
東京では唯一、ルーフガーデンが残されたフロンティアだと思います。ルーフガーデンは私も幾つか手掛けたのですが、軽量化された土など技術もかなり進んでいるので、これからルーフガーデンの可能性はどんどん広がっていくと思います。
今、新しくできている大きなビルやデパートですと、庭というほどではないにしても、上の階にちょっと植物を植えたりするところが増えてきていますね。ギンザシックスや東京ミッドタウン日比谷などもそうだったと思います。
また、日本にも最近、エディブルガーデンのようなものが、レストランの横などに結構できていますよね。そういう形で、食べるものを知るというところにも、植物との新しい関わり方を求めている時代なのかもしれませんね。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。