慶應義塾

次世代のバイオ操作技術で病気の蔓延を防ぐ分子を創成する

登場者プロフィール

  • 松原 輝彦

    松原 輝彦

細胞の表面は糖鎖で覆われており、糖鎖が細胞を保護する役割を果たしています。しかしながら一部のウイルスや毒性タンパク質はこの糖鎖を受容体として利用し、様々な疾患を引き起こします。われわれはこのような糖鎖が関わる疾患の診断や治療に役立つ人工分子の設計を行っています。

受容体を模倣する分子でウイルス感染を阻害する

受容体を模倣する分子でウイルス感染を阻害する表面の受容体とウイルスとの相互作用を阻害する分子は、感染症や認知症などをはじめとする様々な疾患の発症を抑えることが期待できます。しかし生理活性糖鎖の構造は複雑であることが多く、天然からの単離や人工合成が困難です。そこで受容体糖鎖の代わりに、同じ働きをする人工のペプチド分子の設計を行っています。同じ生理機能を有する代替物を使う例は、モルヒネがよく知られています。強力な鎮痛薬であるモルヒネは植物のケシから採取できる化合物ですが、これは体内のエンケファリンという5残基のペプチドの働きを模倣していると考えられています。

(T. Matsubara, Chemical Society Reviews 2022の図を一部改変)

ペプチドはアミノ酸が連結した構造であり、安価に大量生産できる技術が確立されているほか、遺伝子導入によって細胞内での発現も可能です。ランダムな遺伝子を人工的に化学合成し、その遺伝子をファージと呼ばれる大腸菌ウイルスゲノムに組込むことで、一度に1億種類以上の人工ペプチド配列を準備できます(ファージライブラリーと呼びます)。この中から標的とするウイルスなどに結合するペプチドを効率良く選別します(詳しい説明はこちら:https://www.bionano-molec.org/backgrounds/phage-display/)。また選別されたペプチドをさらに「分子進化」させ、高い結合活性を持つ分子を得ることもできます。これまでにインフルエンザA型ウイルスやSARS-CoV-2に結合する配列を見出しており、ウイルス感染を阻害する活性を有していることを報告しています。

超高感度ウイルスセンサーの開発

COVID-19が蔓延した時に薬局で販売された迅速診断キットは、SARS-CoV-2に結合する抗体を使ったイムノクロマトグラフィーです。抗体にコロイド粒子(目視可能なナノ材料です)を連結させ、ウイルスが流れると抗体が認識してコロイド粒子が凝集する仕組みです。粒子が凝集すると色が付くようにすることで、バンドとして可視化できるようにしています。このキットはもともと、インフルエンザを主な対象として医療現場で使用されていましたが、適切な抗体に置き換えることで様々な感染症を診断できるキットを作製することが可能です。

しかしながら迅速診断キットはポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法と比較し、感度が100程度低いとされています。PCRは特殊な試薬や装置が必要なため、医療現場や家庭で手軽に行うことができません。そこで我々はPCR法に匹敵する高感度の電気化学センサーを開発しています(詳しい説明はこちら:https://www.bionano-molec.org/research/flu-detection/)。電気化学センサーは血糖値を測定する機器が広く普及しており、実現すればすぐ実用化に繋ぐことが期待できます。

音響浮揚技術を活用した次世代のバイオ実験法:使い捨てプラスチックからの脱却

生命科学研究では、酵素や抗体などのタンパク質に加え、核酸や脂質、糖鎖などの多様な生体分子を取り扱います。これらの分子をガラス製もしくはプラスチック製の試験管に入れて研究を行いますが、試験管の壁面に触れることで失活するほか、有効濃度が下がり、研究結果に好ましくない影響を与えることあります。

そこで発想の転換を行い、「そもそも試験管を使わなければよいのではないか」と考え、無容器で研究を行う技術の開発を行っています(詳しい説明はこちら:https://www.bionano-molec.org/backgrounds/acoustic-levitation/)。やっていることは単純で、「空気中に反応溶液を浮かせる」だけです。浮せる方法として、音響浮揚現象(acoustic levitation)を活用しています。

(定在波の節の位置に発生する音響放射圧を利用し、水溶液を空中で保持する。超音波TECHNO2025年3-4月号より抜粋)

溶液を空気中に浮かせるだけで効率的な攪拌が行われ、クリック反応による有機合成反応や遺伝子導入効率が向上する、という成果を報告しています。また実験に用いるプラスチックの廃棄物を大幅に減らすことが期待できます。

(バイオ分子化学研究室ウエブサイト:https://www.bionano-molec.org/)