慶應義塾

ワクモンのススメ

登場者プロフィール

  • 小野 文

    小野 文

私の好きな中国語由来の言葉に「或問(ワクモン)」という表現があります。直訳すると「或る人が問う」という意味らしいのですが、なんとなく問いが擬人化されているようで、また「ワクモン」という音がワクワクする学問のようで、気に入っています。問いとは本来、謎を秘めているような人物との出会いに象徴されるのではないでしょうか。簡単な答えが予想されない、いつまでたっても自分につきまとう問い——— それに或る日、出会うこと。その問いが別な問いを生み出すこと。その問いを追い続けるうちに、自分もまた「或る人」となり、問いを発すること。思えば大学とは「ワクモン」との出会いに満ちた、特権的な場所です。「答え」と出会うのではなく、「問い」と出会う、そうした場所なのです。

私が専門としている言語思想史も、ことばに関する様々な「ワクモン」に突き動かされてきた言語学者・思想家たちが作りなす歴史です。例えばここ十数年、私が継続して読んでいるフランスの言語学者エミール・バンヴェニストは、「話す」とはどのような行為なのかを突きつめて考えようとしました。「話す」とは、ただ単に自分の思考・感情や何らかの情報を相手に伝えることではない、と彼は考えています。「話す」ことのなかに、自分自身を共同体の関係性のなかに見いだし、その構成員としていく行為があったり、あるいは話し相手を自分の話のなかに読み込んでいく行為があったり、または曖昧な思考を形にしていく行為があったりするのです。また本当の意味で「話す」ためには、相手がいなければいけないともバンヴェニストは考えています。対話を想定してこそ、私たちの話は外に開いていくのです。「話す」という単純に見える行為のなかに、こんなに複雑で危険で、そして豊かなプロセスがあるのかと、バンヴェニストを読むたびに思います。そして「ワクモン」に時間を超えて出会うことの不思議さと幸運にも、感謝したい気持ちになります。

理工学部に来ようとしている人達は、いわゆる“論理的な”思考を得意としている人が多いかもしれません。しかしことばの中にある論理は、一つではなく複数です。「ワクモン」に出会っていくためには、自分の論理を守るだけではなく、相手の論理に耳を傾けていくことも必要です。これから大学の門をたたこうとしている人達には、ここでぜひ自分の「ワクモン」に出会い、それに対峙し、そして或る日、自らも問いを発する人となってほしいと思っています。

フランス語インテンシブの学生たちと