慶應義塾

[第198回]数原 良彦

登場者プロフィール

  • 数原 良彦(すはら よしひこ)

    (慶應義塾高等学校出身) 2006年3月 慶應義塾大学理工学部管理工学科卒業 2008年3月 慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻修士課程修了 2008年4月 日本電信電話株式会社研究員 2014年3月 慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻後期博士課程所定単位取得退学 2014年9月 株式会社リクルートホールディングス研究員 2014年11月 慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻博士(工学)学位取得 2014年12月 The Media Lab, Massachusetts Institute of Technology; Visiting Scientist 2017年2月 Megagon Labs; Senior Research Scientist 2021年9月 New College of Florida; Adjunct Instructor 2022年4月 Grammarly; Applied Research Scientist 現在に至る

    数原 良彦(すはら よしひこ)

    (慶應義塾高等学校出身) 2006年3月 慶應義塾大学理工学部管理工学科卒業 2008年3月 慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻修士課程修了 2008年4月 日本電信電話株式会社研究員 2014年3月 慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻後期博士課程所定単位取得退学 2014年9月 株式会社リクルートホールディングス研究員 2014年11月 慶應義塾大学大学院理工学研究科開放環境科学専攻博士(工学)学位取得 2014年12月 The Media Lab, Massachusetts Institute of Technology; Visiting Scientist 2017年2月 Megagon Labs; Senior Research Scientist 2021年9月 New College of Florida; Adjunct Instructor 2022年4月 Grammarly; Applied Research Scientist 現在に至る

このたびは塾員来往への執筆の機会を頂きましたことを光栄に思います。

私は管理工学科卒業後、修士課程を修了して以来、日本の企業、アメリカの大学、シリコンバレーのスタートアップと場所を変えながら人工知能技術の研究開発に取り組んできました。現在はサンフランシスコにあるGrammarlyというスタートアップで自然言語処理の研究開発をしています。気がついたら社会人生活の半分以上をアメリカで過ごしていますが、慶應義塾で学んだ経験が間違いなく今の自分の基盤になっています。

学生時代

理工学部体育会アメフト部の夏合宿の写真。最前列左から3番目の坊主頭が私です。

私は理工学部体育会アメリカンフットボール部(当時は伊藤公平塾長が顧問でした)に所属していたので、矢上キャンパスには他の理工学部生よりも早く学部1年生から修士2年生までの丸6年間通い、社会人博士学生になってからも矢上に通いました。研究室時代には週末を含めて講義以外の一日の大半を研究室で過ごしていたため、矢上は第二の故郷です。

管理工学科では櫻井研究室に所属し、機械学習の研究に取り組んでいました。当時、人工知能は二度目の冬の時代を迎えており、再び脚光を浴びる前に機械学習、特にニューラルネットワークの研究に携われたのは幸運でした。櫻井彰人先生には進捗報告や議論のたびに「そこから得られた知見は何ですか?」という問いかけを繰り返しいただき、常に本質を見極めようとする姿勢を学びました。また研究室時代の論文や書籍の内容を互いに発表しあう輪講、勉強会では慶應義塾の「半学半教」という言葉にもある通り、教員、学生問わずお互いに教え合い、学び合う、という姿勢を身につけることができました。

管理工学科は他学科に比べてカバーする学問分野が多岐に亘ります。学部生時代は勉強する内容の幅が広く、講義、レポート、試験ととても大変でしたが、学生時代にこれほど多様な学問に触れられた経験は貴重でした。我々の卒業と同じタイミングで退職された行待武生先生が管理工学科の卒業式で「君たちが管理工学科で学んだことは北極星のようなもの。これから何をやるにしても、それが道標になるよ。」とおっしゃったことをよく覚えており、社会人になってしばらくしてからようやくその意味を実感しました。

また管理工学科では「エンジェルス」という管理工学科サーバの管理をする組織にも参加させていただき、飯島正先生と篠沢佳久先生には大変お世話になりました。UNIXシステムの基礎、そして責任を持って計算機管理を行う姿勢を二人の先生と諸先輩方から学びました。まさかその後、社会人になっても10年以上計算機管理に携わり続けるとは思いませんでしたが…。シリコンバレーのITベンダーとシステム設計運用の打ち合わせをした時には自分が本職のインフラエンジニアではないことに驚かれました。エンジェルス時代に培った基礎が活かされています。

社会人時代と学位取得

修士修了後はNTT研究所に入社し、情報検索の研究開発を行う部署に配属されました。NTTでは3年ほどかけて一人前の企業研究者になるよう研修プログラムが組まれており、周りの先輩たちに手厚く指導していただきました。一方で、自ら勉強することも多く、特に最初の3年間は会社で仕事、帰宅後に夜ふかしして勉強という生活を送りました。会社でも輪講を開催し、情報検索の教科書や機械学習の教科書を同僚たちと勉強したのは良い思い出です。

NTT入社1年目の研修後にディズニーシーで同期たちと。(右端が私)

仕事では情報検索に関わる基礎研究だけでなく、商用検索エンジンやAndroidアプリにもなった地図情報検索サービスの基盤技術などの研究開発にも携わることができました。NTT時代は(も)いろいろとわがままを聞いていただき、京都にあるNTT CS研で滞在研究をさせていただくなど、貴重な経験をすることができました。

ちょうど社会人3年目が終わる2011年から社会人博士学生として博士課程に入学しました。しかし、同時期に仕事も忙しくなり、なかなか学位論文をまとめることができないまま3年が経ってしまいました。

そんな中、2014年に転職とMITへの赴任が決まり、学位論文を一気に仕上げてなんとか渡米前に学位を取得することができました。辛抱強い指導と無理なスケジュール調整をしていただいた櫻井彰人先生、副査、専攻の先生方には感謝の言葉もありません。

渡米、ボストンからシリコンバレーへ

凍ったチャールズ川の上で。ボストンの冬はとても寒かったです。

学位とビザを無事に取得し2014年末に真冬のボストンに到着しました。MIT Media Labでの指導教官であるAlex (Sandy) Pentland教授は会うなり「ボストンは寒いだろう。研究をするには最高の場所だよ。」と言われました。ボストンの冬は寒いのですが建物は暖房もよく効いていて暖かく、ボストンの冬の室内は世界で一番快適な気候です。(「一番寒い冬はサンフランシスコの夏だ」と言ったのは作家の Mark Twain)。研究室には多様なバックグラウンドの学生がいて、研究だけでなく文化的にも多くのことを学びました。

渡米当初、MITでの研究は思うようには進みませんでした。自分がそれまで取り組んだことがない、Computational Social Scienceと呼ばれる計算機科学の手法を用いて社会科学の問題に取り組む学際的な研究分野であったため、研究の勝手がわかりません。言語と文化の壁もあり、最初の1年間は全く成果が出ず、この頃は精神的にも本当に大変でした。

しかし2年目にラボメンバーと二人三脚で進めていた研究で一本論文を出すことができて、研究作法がなんとなくわかってくると、その後はようやく歯車が噛み合ったように国際会議や論文誌に次々と論文が採択されました。それでも結局論文にならなかった研究の方が多いという状況でした。しかし、なかなか思うような結果が出ない時にも諦めずに試行錯誤を止めないことと、特に新しい分野では自分と視座が近いメンター的役割のメンバーと一緒に仕事することが大切だと思いました。

ボストンマラソンを走っている“気分”の私。

またボストン時代には同じくボストンにいらした理工学部体育会アメフト部の先輩のお誘いで一緒に5km-10km-ハーフマラソンのメドレーを2年連続で完走しました。その中で5kmレースはボストンマラソンの前日に開催され、翌日のボストンマラソンのゴールラインを通過するコースなので、まるでボストンマラソンを完走した気分になり、とても良い思い出になりました。

櫻井彰人教授のご退職記念パーティ(2017年3月)にて櫻井先生と研究室同期たちと。みんなが敬愛する櫻井先生へ同期がデザインした櫻井先生Tシャツをプレゼントしました。(中央が櫻井彰人先生、その左隣が私)

2017年からはシリコンバレーに設立されたリクルートのAI研究所であるMegagon Labs(当時はRecruit Institute of Technologyという名称)に移って自然言語処理と機械学習の研究開発に取り組むことになりました。当初は5人という少人数のメンバーから始まりましたが、5年間で20人以上の組織になっていました。チームメンバーの多様性も豊かで、話せる言葉の数がチームメンバーの人数以上だったこともあります。小さい組織ということもあり、プロジェクトの垣根を越えて議論をしたり、会社の仕組みづくりに関わる業務を行ったり、と幅広い経験をすることができました。また、指導的立場になることが増え、インターンや若手メンバーの研究指導などをするようになりました。この頃から仕事や研究で英語を使うことが苦にならなくなってきました。だいぶ時間がかかりました。

Megagon Labs メンバーとインターン生たちと。当時は犬のテディ(写真中央)と隣の席で仕事をしていました。(左から4番目が私)

昨年の秋にはNew College of Floridaのデータサイエンスコースで大学院生向けにDeep Learningに関する講義を担当しました。それまでゲストスピーカーとしての講義経験はありましたが、初めて教員として「教壇の向こう側に立つ」という夢を叶えることができました。Zoomでのオンライン講義だったのでZoomの向こう側でしたが。

今年の4月からはGrammarlyというライティング添削ツールを開発しているスタートアップに転職し、引き続き自然言語処理の研究開発をしています。大学一年生の時に受講した小原京子先生担当の少人数ゼミで語学学習支援ツールを設計したことを思い出し、実に20年越しに当時考えていた問題に取り組んでいると思うと感慨深いものです。Grammarlyはウクライナ人が創業したこともあってウクライナ人の同僚が多く、ウクライナ式乾杯を教わったりしました。

最後に

ついこの間まで矢上に通っている感覚でしたが、気がついたら修士を出てから14年も経ってしまったようです。そしてどうやらその半分以上はアメリカで過ごしていました。日本の企業、アメリカの大学、シリコンバレーのスタートアップで働いた経験からすると、言葉と文化が違うだけで、本質的にはそんなに変わらないのかもしれないと思うようになってきました。

ただ、文化の違いを理解し、変化を受け入れて対応することと、常に学び続ける姿勢が大切だと思っています。これについては学問の幅と学生の興味の多様性が高い管理工学科で学べたことが間違いなくプラスに働いています。

私は慶應義塾にある言葉で「練習ハ不可能ヲ可能ニス」を座右の銘にしています。日々の訓練を通じてそれまでできなかった(わからなかった)ことができる(わかる)ようにする。スポーツも仕事も研究も、この点においてはすべて同じだと信じています。