慶應義塾

[第125回] 黒沢 健

登場者プロフィール

  • 黒沢 健(くろさわ たけし)

    (東京都立八王子東高等学校出身) 2001年3月 慶應義塾大学理工学部数理科学科卒業 2003年3月 慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻修士課程修了 2003年4月 日本電信電話株式会社情報流通総合基盤研究所入社 2006年9月 慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻後期博士課程入塾 2009年3月 慶應義塾大学大学院理工学研究科 基礎理工学専攻後期博士課程修了 2010年4月 東京理科大学理学部第一部数理情報科学科講師 2015年4月 東京理科大学理学部第一部数理情報科学科准教授

    黒沢 健(くろさわ たけし)

    (東京都立八王子東高等学校出身) 2001年3月 慶應義塾大学理工学部数理科学科卒業 2003年3月 慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻修士課程修了 2003年4月 日本電信電話株式会社情報流通総合基盤研究所入社 2006年9月 慶應義塾大学大学院理工学研究科基礎理工学専攻後期博士課程入塾 2009年3月 慶應義塾大学大学院理工学研究科 基礎理工学専攻後期博士課程修了 2010年4月 東京理科大学理学部第一部数理情報科学科講師 2015年4月 東京理科大学理学部第一部数理情報科学科准教授

学部生時代

昔から比較的得意だったこともあり、数学は好きな教科であったのですが、2年生を対象に開講していた少人数制の数学研究法という授業で、よりそのことが実感できたのです。授業内容は授業担当教員が研究テーマを与えてくださり、学部生だけど数学の研究を体験してみようというものでした(参考:黒山人重著「数学研究法」)。

私の授業担当教員は数論(特にζ関数)を専門にされている小山先生(現:東洋大学教授)でした。数論は(難解ではあるけれど)とっつきやすい問題が多く、ζ関数の偶数値ζ(2m) (m∈ℕ)は円周率πの累乗と有理数をかけた形という明示的な表現がありますが、ζ(3)は明示的な表現ができるのか?という素朴な問題に取り掛かりました。現在もなお、ζ(3)が無理数であるという事実のみが示されているだけで、奇数値における値は謎が多い数となっております。

学部生がわかるような問題ではないのですが、若いというのは良いことで、何も考えずに修士論文などを図書館に借りに行ったりして色んな文献を読み漁り、幼稚でありながら研究の体験をしました。途中、できたと思って喜び、間違いに後から気づいて落胆するという繰り返しながら、結局何も解決には至らなかったのですが、その研究報告が田中孝明先生(現:慶應義塾大学准教授)を通じて、私の最大の恩師である塩川宇賢先生(現:慶應義塾大学名誉教授)にめぐり合わせてくれたのです。塩川先生は無理数や超越数などの研究をされており、3年生から特別にゼミに参加させてくれ、私の数学の研究が始まったわけです。

大学院生時代(修士課程)

修士に進学すると、東北大から立谷洋平君(現:弘前大学准教授)という優秀な同期が塩川研の一員に加わりました。ライバルとは言うのはおこがましいのですが、彼は真面目と言うよりは優秀なタイプで、色々と彼に教えてもらいながら勉強しておりました。彼は大学の近くに下宿しており、私は家に帰るのが面倒だったので、彼の部屋に良く厄介になっていたのですが、ワンルームの部屋にホワイトボードがドーンとある部屋で、二人でよくゼミの勉強をしていたわけです。といっても、四六時中勉強していたわけではなく、どちらかと言うと大半は二人麻雀をしたり、鉄道ゲームをしたり、ネット麻雀して過ごしており、彼の家に泊まり、私の実家に泊まり、1週間以上寝食を共にして、家族以外で最も長い時間を一緒にいた友達でした。朝方までネットをしながら研究室で遊んで、清掃の人にご苦労様と言われた時に、気恥ずかしい気持ちを感じながら、今日は捗ったなーと言い返し、二人で苦笑いをするというような楽しい学生生活を過ごしていたのです。

友人の立谷洋平さんと
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数学系の博士課程終了後の進路は比較的限られていて、必ずしも大学のポストが用意されているというわけではありませんでした。塩川先生が進学を勧めて下さっているように感じられましたが、将来的な不安もあり、進学の意思は強かったのですが、研究職の企業への就職の道を選んだのです。

博士課程への進学と進路

研究所だったため、内容はガラッと変わりましたが、統計分析のような研究をすることになりました。ただ、卒業して数年後、一生懸命やってきた数学をしっかり修めたいという気持ちを忘れられず、塩川先生に相談したところ、博士課程入学を快諾をしてくださり、社会人ドクターとしての2重生活を開始したわけです。平日は会社の業務(研究)をこなし、頭を切り替えて通勤電車の中で数学を考え、証明のメモを書き取り、土曜日に塩川先生とゼミをし、日曜日には原稿化したりするという生活を2年半送りました。確かに大変だった毎日だったと思いますが、昔からじっと座って勉強するのが苦手で、電車の中で勉強するのが今でも好きだったので、それ自体は苦ではなかったわけです。(当時は既に結婚していたので)妻の協力および理解もあり、更には土曜日もかかわらず、塩川先生に毎週面倒を見て頂いたわけです。博士課程在学中に子供も生まれ、引っ越しやら大変な時期でもあり、いざ公聴会の審査会のときに、博士課程の提出書類に記載ミスがあり、「忙しくて疲れているのでしょう」という言葉をかけられ、とても恥ずかしく思いつつ、なんとか博士課程を修了できたわけです。

塩川宇賢先生とゼミ合宿において

色々と苦労しながら学位を取得後、公募を出したところ、運よく大学のポストがみつかり、現在の職に落ち着くことができたわけです。比較的、変わったパスで大学のポストに就いたわけですが、ここに書いていない方々を含めた多大なる助けを経て、今の自分があるのだと実感する日々です。この場を借りて感謝を申し上げたいと思います。