登場者プロフィール
紺田 和宣(こんだ かずのぶ)
(東京都立新宿高校出身) 1992年3月 慶應義塾大学理工学部電気工学科卒業 1994年3月 慶應義塾大学大学院理工学研究科計算機科学専攻修士課程修了 1994年4月 株式会社東芝入社旧マルチメディア技術研究所 配属 2001年11月 デジタルメディアネットワーク社コアテクノロジーセンター配属 現在 同インターフェイスコア技術開発部グループ長
紺田 和宣(こんだ かずのぶ)
(東京都立新宿高校出身) 1992年3月 慶應義塾大学理工学部電気工学科卒業 1994年3月 慶應義塾大学大学院理工学研究科計算機科学専攻修士課程修了 1994年4月 株式会社東芝入社旧マルチメディア技術研究所 配属 2001年11月 デジタルメディアネットワーク社コアテクノロジーセンター配属 現在 同インターフェイスコア技術開発部グループ長
SF好きだった小学生が漠然と憧れを抱いていたのは、機械に囲まれ、ロボットを操縦したり、ロボットを作ったりすることでした。その小学生の夢は少しずつ形を変え、慶應義塾大学理工学部にたどり着き、そこで培った「力」が今の私を形成しています。理工学部の選択に対しては、全く迷いはありませんでした。漠然とはしていましたが、物心ついた頃からの夢である世界中の人が認める科学者になりたいという、無謀とも思える野望への道だったからです。
その後、少しずつ考え方の成長や、心境の変化があり、現在の職にたどりつきましたが、あらためて思いなおすと慶應義塾大学理工学部へ進むことの選択、そして、当時の安西・天野研究室(現 安西・今井研)の門をたたいたことは大正解だったと思っています。
私が安西・天野研究室に所属していた時、安西祐一郎先生が「これからは、ロボットだと思うんですよ。」とのことで、“Prime Project”が開始されました。安西先生の強烈な(!?)リーダーシップのもと、研究室内で共有する明確な目標を掲げられ、メンバーは昼夜を問わず目標に向かい自らの得意分野、興味のある分野で研究に熱中しました。当時の私は、どちらかというと引っ込み思案なメンバーだったのですが、安西・天野研究室には聡明な先輩がいらっしゃったとともに、優秀な同僚に囲まれ過ごしました。今では、その中の一員であることを誇りに思うとともに、多くの刺激を受け、飛躍的な成長を遂げさせていただいたということを実感しています。卒業後10年以上経ちますが、研究室時代の先輩方、そして同僚とはいまだにお付き合いをさせていただいています。
現在の仕事内容は塾生時代の研究内容を直接的に活用しているわけではありませんが、そのとき感じた「力」に支えられています。その「力」とは、失敗することを恐れず立ち向かう姿勢、新しい物事を生み出す姿勢、自らを信じ他者を説得させるための熱意、そして、一つの考えに固執しない柔軟性です。慶應義塾大学理工学部の学生生活にはこれらが満ち溢れており、自然と感化されていきました。
株式会社東芝に入社ししばらくしてから、国際的な標準化活動に参加させていただくことができました。現在は、TCP/IPを用いたAV家電の相互接続性を確保するための標準化団体であるDigital Living Network Allianceに参加しており、北米およびヨーロッパで開催される会議に出席しています。今後のAV家電のあるべき姿を思い描き、必要な技術を選定し、他社の方々とともに協力し合って標準仕様の策定を行っています。自ら考え、熱意を持って他者を説得する。また、他社からの意見に対しても、優れているものであれば、素直に認め新しいAV家電のあるユーザの生活を向上させるべく受け入れる。私は今の仕事において、ユーザに対する新しいライフスタイルを提案し、社会の流れを作っていることを実感しています。そして、このような仕事につけることができたのも理工学部で身に着けた「力」であることを常に感じています。少年時代にあこがれた世界中の人が認める科学者への道は進んでいませんが、世界に通用する技術の一端を担えるようになれたとは感じています。
近い将来、安西先生がおっしゃっておられたロボットが当たり前の世界が来るような予兆を皆さんも感じておられることでしょう。このような、最先端の技術を生み出し、そして、それを社会に浸透させるための教育を行っている慶應義塾大学理工学部は、本当にすばらしいところだと感じています。