登場者プロフィール

五藤 信隆(ごとう のぶたか)
(慶應義塾高等学校出身) 1989年3月 慶應義塾大学理工学部機械工学科卒業 1989年4月 株式会社三菱銀行(現株式会社東京三菱銀行)入行 1992年3月 株式会社三菱銀行(現株式会社東京三菱銀行)退行 1992年4月 株式会社五藤光学研究所入社 1997年6月 取締役に就任 2001年5月 専務取締役に就任 2003年7月 代表取締役社長に就任 現在に至る

五藤 信隆(ごとう のぶたか)
(慶應義塾高等学校出身) 1989年3月 慶應義塾大学理工学部機械工学科卒業 1989年4月 株式会社三菱銀行(現株式会社東京三菱銀行)入行 1992年3月 株式会社三菱銀行(現株式会社東京三菱銀行)退行 1992年4月 株式会社五藤光学研究所入社 1997年6月 取締役に就任 2001年5月 専務取締役に就任 2003年7月 代表取締役社長に就任 現在に至る
私は平成元年に慶応義塾大学理工学部機械工学科を卒業いたしました。今回ホームページへの掲載を依頼され、有名な諸先輩が多い中、本当に小生でよいのかと悩みましたが、沢山の思い出をつくらせていただいた母校であり、またこんな卒業生もいるんだという紹介になれればと思い、筆を執らせていただきました。
正直のところ在学4年間、私は優秀な生徒ではなかったと思います。多くの先生方、友人に支えられて卒業ができたと思っております。特に感謝申し上げたいのは、1年生の時の担任の先生であった戸張規子先生、4年生の時の研究室でご指導いただいた益田重明先生。そして1年生の時のクラスメート達です。クラスメートの中には現在理工学部物理情報工学科で教鞭を振るう伊藤公平先生もいました(その当時、公平君は私と同じく素行の悪い生徒でしたが、今では素晴しい先生になられております)。
私は理工学部という研究が多い学部におりながら、体育会水泳部水球部門に所属していたため、いつも水着の上に軽装で日吉・矢上のキャンパスとプールを行ったり来たりしておりました。練習後の授業は睡魔に襲われることが多く、先生方には本当にご迷惑をおかけしたと思っております。試験期間中はとにかく単位を取得することに必死で、2週間ほとんど寝ずに勉強したことは今でも良い思い出になっております(本来こうあってはいけないのですが・・・。)
4年生の研究室での1年間は、益田先生のもと研究内容の実験の毎日で、矢上に泊り込みの作業でした。研究の結果そのものは決して自慢できるものではありませんが、この1年の研究作業を通じて、物事を考えるプロセスを学ばせていただいたと思っており、このことはその後社会に出てからの自分に大いに役立っています。
大学を卒業後、大学院への進学を希望しましたが、成績が悪くあえなく断念。就職活動をスタートするも出遅れた為、希望していたメーカー以外に、金融機関や広告関係などにも応募しました。その結果、研究とは全く関係のない都市銀行に採用されましたが、その当時、理工系の学生が金融機関に進むのはシステム関係を除きまれでした。私の配属先が決まって出社した初日に支店長から「銀行は普通、経済学部や法学部の生徒が来るところだぞ」と開口一番言われたことを覚えております(今では理工系の学生が多く金融機関に就職しています)。銀行では支店の新規の法人営業を主に担当しましたが、“理工系出身の変わった担当者”として多くのお客様にご指導いただきました。
その後、父が経営する家業を手伝うこととなり、現在の光学機器メーカーを営んでおります。やっと理工系らしい仕事になりました。弊社は、望遠鏡等の特殊レンズを製造する会社として私の先々代が大正15年に創業しました。その後、国内で初めてとなるプラネタリウムを開発して販売し、全世界に弊社の機器を納入しております。
2005年の愛知万博では、世界初となる360度の全球ドーム映像を長久手日本館に納入しましたが、今まで見たことのない映像空間を投影するものとして大変ご好評頂いております。また、望遠鏡の分野では、慶應義塾大学日吉物理学教室・表教授と共同研究にてインターネット望遠鏡プロジェクトを行っております。これは望遠鏡をインターネットにより遠隔操作することにより、その画像やデータを観測し、実験や実際の授業等に活用しようという試みです。日本は弊社の屋上に1台、米国は慶應義塾ニューヨーク学院に設置してあり、その活用方を検討中です。
最後は、私の理工学部時代の忘れられない思い出です。理工学部の卒業式に代表でエールを斬らせて頂きましたが、実は、卒業式一週間前に不慮の事故で頭部と右目の上を怪我し、その際は頭部に包帯ぐるぐる巻いたまま、若き血の斉唱とエールの交換をしました。卒業式という重大な日に、なんとも恥かしい、見る方には滑稽な、先生方には最後の最後までご心配をかけた、悪い思い出を作ってしまったと卒業後17年経った今でも反省しております。この場をお借りし、皆様に改めて深くお詫び申し上げます。