キャンパスの福澤先生像,κειο館,さらにはλ館やθ館の周りには,シナノキが植えられています.葉はハート型をしていることが特徴で初夏には小さな花を咲かせます.ところが,数年前からキャンパスに植えられているこのシナノキが次々と死に絶えようとしています.私の部屋から見下ろす位置にあったシナノキは立ち枯れし,切り倒されました.θ館そばのシナノキも同様に切り倒され,残っているシナノキ達もすでに寿命が尽きてしまっているようです.残されているシナノキに近づいて樹皮や枝ぶりを観てもらえれば,そのほとんどが瀕死の状態であることがわかるはずです.実はシナノキだけでなく,ι館とο館の間にそびえ立っていたケヤキの大木も数年前の枝の伐採をきっかけにして立ち枯れして,そして切り倒されてしまいました.このケヤキには梅雨時になるとアオダイショウが出没して見かけていました.道を間違えてο館に入ってきた時は外に出してあげたのですが,彼もケヤキと共にいなくなってしまいました.今では木陰を作れないほどの小さく細いケヤキの苗が植えられています.生き物の営みをひとつ見ることが出来なくなったことは私にとって残念です.
専門家ではありませんので,立ち枯れの理由は定かではありませんが,栄養不足であることは間違いないでしょう.研究棟と講義棟の間のシナノキはポツン,ポツンと植えられていて,その根元にはわずかな土壌しかありません.慶緑産業の方がこれを切り倒す際,たまたま通り,囲われたわずかな土に浅い根を張っていたことを観て知りました.対して諭吉先生の周りには一見すると広い芝生に十分な間隔を空けて植えられています.しかし,これら諭吉先生を囲むハート達の命もどうやら風前の灯のようです.
森の木が力強く育つには毎年落ち葉が堆積し,それが時間をかけて腐葉土となり,微生物の力によって分解され,そして次の世代の栄養となって新しい命を育みます.枯れてしまった葉っぱにも次世代のための役割がある,ということです.しかしながらSFCでは景観美を大切にするからでしょうか,キャンパスでは毎年綺麗に落ち葉をかき集めて「処分」しています.次の世代に栄養になるものを捨てています.生ゴミから堆肥を作って小菜園で野菜を育てる身としては,「もったいない」と長年感じていましたが,「もったいない」どころか,ここへきてSFC自慢のハートが消え去ろうとしています.
資格取得のための必修授業をもつ看護医療学部とは事情が異なり,SFCの総・環・政メではいわゆる講座制ではなく教員それぞれが独立した研究室を構えていて,実に多様な研究者が在籍しています.研究領域や方法論が近い教員同士で合同研究会を催している場合もありますが,基本的には「個」で勝負する仕組みをとっています.したがって,定年や異動によって誰かが去った場合,その教員が受け持っていた授業をバトンタッチする教員を雇うわけではなく,「新たな個」を採用します.「新たな個=新任教員」はその時々でSFCが必要とする,未来に向けて発信力をもつ人材を検討した上で採用するわけです.新規性と多様性を重視した戦略です.一方で「古い個」は一切の研究設備や機材,書籍を撤去して去っていきます.同時にそれまで培ってきた知識,経験・ノウハウ,人脈などの無形資産も失われます.時代に合わせて変わり続けることこそがSFCとしてのアイデンティティであることに異論はありません.一方で,築いてきた有形無形の財産が継承と承継できない仕組みであることも否めません.
昨年10月にSFC研究所所長を仰せつかりました.所長業務には様々あることをこの半年で学びました.3学部・2研究科の専任教員や特任教員らの研究をサポートすることがひとつの大きな仕事です.直接的に研究者を支援するのは研究資金,設備,人的リソースや情報提供であろうと思いますが,SFCという多様性のなかで生み出されたユニークで突き抜けた研究資産が未来のSFCにとっての腐葉土になるような仕組みが作れないものか,とシナノキが次々に倒れていくのを見ながら考えています.「昔はよかったのに」という懐古的な想いではなく,SFC創設時にこのキャンパスが突き抜けた存在であったように,将来も慶應義塾のなかで先頭をきって新しいことに挑戦するための仕組みに今一つ足りないことがないだろうか?と考えています.変わっていくための仕組みのなかに変わらない仕組みをどうやって共存させるのか,ということなのかも知れません.
キャンパスの至る所にシナノキを植えるように指示したのが当時の石川塾長であったのか,加藤・相磯両学部長であったのか,はたまたキャンパスの植林計画を委託された造園業者さんであったのかを知る由もありませんが,シナノキの葉が「ハート」であることをきっと知っていたのだろう,と想いを馳せています.