慶應義塾

患者さんに寄り添い、その人らしい「生き方」を支える

2026/04/02

緩和ケア医という仕事

「誰もが、必要なときに自然に緩和ケアを受けられる社会にしたい」 そう語るのは、精神・神経科医であり、慶應義塾大学病院緩和ケアセンター センター長を務める竹内麻理専任講師です。

 

精神科医として、そして緩和ケアの専門医として、竹内医師はこれまで一貫して、身体だけでなく“心”にも目を向けた医療を実践してきました。

 

そもそも緩和ケアとは何なのか。なぜ今、その重要性が高まっているのか。そして、これから医師を目指す若者に、何を伝えたいのか。 竹内医師に話をうかがいました。

「緩和ケア」にまつわる、根強い誤解

「緩和ケア」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか。

・もう治療法がないときに受けるもの

・終末期医療のこと

・痛みを取るだけの医療

・がん患者だけが対象

・緩和ケア医だけが行う特別な医療

――実は、これらはすべて誤解です。

「こうした思い込みがあるために、本来受けられるはずの緩和ケアを、必要な時期に受けられていない患者さんが多くいます」と竹内医師は語ります。

緩和ケアを“特別なもの”ではなく、もっと身近な医療の選択肢として知ってほしい。

その思いが言葉の端々から伝わってきます。

緩和ケアは「終末期」だけの医療ではない

竹内医師のもとを訪れる患者さんの多くは、こんな言葉を口にするそうです。

「緩和ケアは、まだ早い気がします」

「自分は、そこまでではありませんから」

「緩和ケアというと、“もう治療ができない段階の医療”だと思われがちですが、それは違います。緩和ケアは治療をやめることではなく、治療と並行して行う医療です」

緩和ケア医は、病気の早い段階から患者さんと向き合い不安や迷いに寄り添いながら、生活や人生の意思決定を支える存在です。 診断を受けた直後、不安を抱えたとき、迷いが生じたとき――どのタイミングでも、緩和ケアを受けることができます。

「そして、緩和ケアは専門医だけが行うものではありません。すべての医師が基本的な緩和ケアを提供できるのが望ましいと考えています」

「その人らしく生きる」ための医療

緩和ケアの本当の目的は、まだ十分に知られていません。

「緩和ケアとは、痛みや息苦しさ、不安といった“つらさ”を和らげることで、生活の質、つまりQOL(Quality of Life)を高め、その人らしく生きていただくための医療です」

がんは「治る病気」になりつつある一方で、「強い痛みに苦しむのでは」という不安を抱く人は少なくありません。医療ドラマなどで描かれる痛みのイメージが、恐怖を増幅させている面もあるかもしれません。

「今は鎮痛薬も進歩し、痛みは適切にコントロールできる時代です。早い段階から緩和ケアを受けることで、仕事を続けたり、家事や育児を続けたりしながら、病気とともに普段の生活を送る方も増えています」

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緩和ケアは、がん患者だけのものではない

緩和ケアはがん医療の中で発展してきたため、「がんの人のための医療」という印象を持たれがちです。しかし現在では、その対象は広がっています。

「痛みやつらさを伴う病気は、がんだけではありません。『つらい』と感じる状態があれば、病名に関係なく誰でも受けられるのが緩和ケアです」

また、対象となるのは身体の症状だけではありません。

不安や恐怖といった精神的な苦痛、仕事や家族、経済的問題など、社会的な悩みも含めて支える医療です。

精神科医でもある竹内医師は、特に心のケアを通して患者さんに寄り添ってきました。

慶應義塾大学病院の緩和ケアの特徴

慶應義塾大学病院の緩和ケアの大きな特徴は、「緩和ケア病棟を持たない」ことです。

それは、「どの病棟に入院していても、必要な人が緩和ケアを受けられるべきだ」という考えに基づいています。 主治医が必要と判断したり、患者さんからのご希望があれば、緩和ケアセンターの医師がその病棟へ出向き、診察を行います。

そのため、院内を一日一万歩近く歩くこともあるそうです。

診療と並んで力を入れているのが、学生や若手医師の教育です。 医学部や看護医療学部、薬学部の学生、若手医師が講義や実習を通じて緩和ケアに触れています。

「将来緩和ケアの専門家を目指す人だけでなく、すべての学生に緩和ケアを学んでほしい。数値や画像には表れない苦痛に目を向ける視点は、どの診療科に進んでも必ず役立ちます」

日本一、風通しのいいチームで

緩和ケアは、多職種によるチーム医療です。 医師、看護師、薬剤師、ソーシャルワーカー、栄養士――それぞれが専門性を生かします。

「私たちは、日本で一番仲のいいチームだと思っています」と竹内医師。 職種の壁を越え、自由に意見を交わせる雰囲気が、患者さんを支えています。

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遠回りのようで、必然だったキャリア

竹内医師の歩みは、決して一直線ではありません。 もともとは研究者を志し、慶應義塾大学理工学部で学び、大学院ではがんのメカニズムを研究。修士課程修了後は製薬会社に就職しました。

しかし、「研究ではなく、直接患者さんに向き合いたい」という思いが募り、医学部への再入学を決断します。

「今思えば無謀でした。受かる保証もないのに、会社を辞めてしまったのですから」

それでも思いは揺らがず、医学部に編入。医師免許を取得したのは30歳でした。

当初は「がんを治す医師」を目指して内科へ。しかし、ある患者さんとの出会いが価値観を大きく変えます。

「もう治る見込みがない患者さんを担当したときのこと。症状が強くなり入院をして、ご家族との一泊旅行をあきらめかけていたのですが、緩和ケアによって症状が改善し、予定していた旅行ができたのです。途中で体調を崩すことなく、すごくいい笑顔で病室にもどってきた患者さんを見たときに、価値観が大きく変わりました。治すことと同じくらい、特に心も含めたつらさを和らげることも大切なのだと」

そこで、「心のケアができる緩和ケア医になりたい」と考え、内科を離れて精神科へ。周囲から見れば、またしても「無謀」な選択だったかもしれません。

「迷いは今でもいろいろあります。でも、やらない後悔より、やった後悔の方がいいと思っています」

やりがいと、乗り越えきれない別れ

がんの宣告にうちひしがれ、将来に不安を感じていた患者さんが緩和ケアを受け、少しずつ自分らしさを取り戻し、「ライブに行ってきました!」など、近況を話してくれる瞬間は、この仕事の大きな喜びです。

「病気である事実は変えられませんが、少しでも病気のことを忘れて、いきいきと過ごされている患者さんの姿を見ると、この仕事をしていて本当によかったと思います」

一方で、心を通わせた患者さんとの別れは、今も辛いといいます。

「病気を治せる医師でありたかった、という思いはあります。でも今は、緩和ケア医として患者さんに寄り添うことに生きがいを感じています。そして、今後は緩和ケアを担う医療者を増やすことが、自分の新たな使命だと考えています」

日本は超高齢化社会に向かい、緩和ケアを専門とする医療者は今よりも必要になると竹内医師は言います。

「若い医師たちに、緩和ケアについて正しく理解してもらうだけでなく、やりがいや意義も伝えていきたい。治すことが難しい状況でも、苦痛をやわらげ患者さんやご家族にとって『この医師がいてよかった』と感じてもらえる経験は大きな支えになります。

そうした経験や実際に緩和ケアに携わるロールモデルと出会う機会が増えることで、緩和ケアは『特別な人の選択肢』ではなく、『多くの医師に開かれた進路』として、自然に志す人が増えていくのではと期待しています」

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「やりたい」を応援する慶應義塾大学

慶應義塾大学の魅力を尋ねると、「やりたいことをやらせてもらえるところ」と即答が返ってきました。

「誰かの役に立つことや社会の役に立つこと、学問として面白いことで、かつ人に迷惑をかけるものでなければ、年齢や経験に関係なく、何でもやらせてくれる場です。医学部も同じで、誰でも平等にチャンスをもらえる場所だと思います。とても熱意がある先輩方や先生が多いことも魅力ですね」

それを特に実感したのは、竹内医師が精神科医から緩和ケア医になろうと決意したときのこと。

「まだ、精神科医から緩和ケア医になるという前例がない時代でしたが、誰一人『無理だ』とは言わず、ではどうしたらできるかと考えてくれました。慶應義塾大学大学院医学研究科に緩和医療のコースができた時は、わざわざ電話で知らせてくれる先生もいました。たくさんの方々のおかげで、今の私があると思います」

「会えてよかった」と思われる医師であるために

「この先生に会えてよかった、そう思ってもらえたら、それ以上の喜びはありません」と竹内医師。

「技術や能力の高い医師はたくさんいて、到底太刀打ちできません。だからこそ、私にしかできないことをしたい」

そんな竹内医師の座右の銘は「一期一会」。

「同じ患者さんであっても、その日の体調や気持ち、置かれている状況は毎回少しずつ異なります。その時、その瞬間は二度と訪れない貴重な時間なのです」

限られた時間だからこそ、目の前の患者さんとの一瞬一瞬を大切にする。

その姿勢こそが、竹内医師の医師としての在り方であり、緩和ケアという医療の本質なのかもしれません。

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竹内 麻理(たけうち まり)

慶應義塾大学病院緩和ケアセンター センター長

慶應義塾大学医学部専任講師

1995年慶應義塾大学理工学部卒業、1997年慶應義塾大学大学院医科学修士課程修了、2003年島根医科大学医学部卒業。慶應義塾大学病院内科研修医を経て、精神・神経科学教室助教へ。2013年博士(医学)取得。2020年緩和ケアセンター講師、2021年から緩和ケアセンター長を務める。専門は、緩和医療学、精神腫瘍学。

※所属・職名等は取材時のものです。