2024/04/09
未診断疾患という言葉をご存じでしょうか?いくつもの病院を訪れ、何度となく検査を受けても何が原因であるのかわからない―。診断がつかないため治療法がわからず、なす術もないままの患者さんが全国に3万人以上いると言われ、ここ十年くらいで「未診断疾患」と呼ばれるようになりました。
慶應義塾大学医学部臨床遺伝学センター長の小﨑健次郎教授らは、こうした未診断疾患の患者さんたちの全ての遺伝子(ゲノムと呼ばれます)を調べるプロジェクトに取り組み、多くの患者さんの診断を明らかにし、さらに世界に先駆けて新しい疾患をいくつも発見しています。
分子生物学・発生学への興味から小児科医に
分子生物学や発生学などの基礎医学への強い興味をもちつつも臨床医として患者さんの役に立ちたいと考えていた小﨑教授は、両分野と関連の深い小児科へと進路を決めました。小児科を含む臨床科では、卒業後一定期間、地域の病院に出向する仕組みが整備されています。小﨑教授も関東北部の大きな病院で小児患者さんの診療や救命救急を実践していましたが、多くの診断がつかない子どもたちの診療も担当しました。
小児科専門医となった後、小﨑教授はカリフォルニア大学サンディエゴ校に臨床医として留学し、遺伝性疾患の患者さんを診療する研修を受け、米国臨床遺伝学専門医の資格を取得しました。同時にゲノム解析の研究に取り組み、博士号を授与されました。1998年に帰国した小﨑教授は、小児科に新設された遺伝病を専門とする臨床遺伝学部門で活動を開始しました。
「小児科で遺伝性疾患の患者さんの外来を担当しました。どこの病院にかかっても何の病気だかわからないという患者さんが多数来院されるようになりました。アメリカでの多くの経験から診断がつく患者さんもいらっしゃいましたが、やはり診断がつかない患者さんも少なくありませんでした。とにかく患者さんの症状を丁寧に診察し、ご家族や患者さんにお話を伺うことがメインでした。症状の組み合わせから疑われる病気を考え、目ぼしい遺伝子に変化がないかをひとつずつ調べる、そういう時代でした。」
次第に患者さんが増え、2011年、新たに病院全体の遺伝性疾患の診療・研究・教育を担当する部署として臨床遺伝学センターが開設されることになりました。医師4名、看護師2名の体制で運営しています。ちょうどこのころに海外で、診察では診断のつかない患者さんに対して次世代シーケンサーと呼ばれるすべての遺伝子を調べる方法が、非常に珍しい遺伝病の診断に役立つとのニュースが飛び込んできました。さらには同じ方法で、世界で数人しかいない全く新しい病気が見つかるということもわかり始めたのでした。
「ヒトの遺伝子にはDNAのアルファベット配列が全部で30億文字分あります。この30億文字を手あたり次第に読み尽くすという作業を次世代シーケンサーで行います。患者さんの細胞から染色体を取り出し、超音波で切断したあと、断片に含まれるDNAのアルファベット数百文字の並びを片っ端から決めていくのです。ヒトの標準的なDNAの配列に対して、患者さんから得られた文字の並びをパズルのようにあてはめます。さらに患者さんのご両親のDNA配列と比べることで、どの遺伝子のどの文字の変化が病気の原因となっているかを決めることができます。」
ただしこの作業、すなわちゲノム解析を進めるには、難解なコンピュータのプログラムを組み合わせて使用しなければならず、多くの研究者にとって敷居の高いものでした。幸いなことにこれらのプログラムはUNIXを使って書かれていたことから、小﨑教授は、学生時代や研修医のころに独学したコンピュータの知識を頼りに遺伝性疾患の新たな研究分野にいち早く漕ぎだしました。
中学生(慶應義塾普通部)のときにコンピュータプログラミングに触れ、以来、興味を持つようになった小﨑教授。
「大学入学後、本格的な医学の勉強が始まる前の2年ほどプログラミングに熱中していました。当時はまだパソコンが『マイコン』と呼ばれていた時代でした。研修医になってからプログラミングを楽しむ機会は減ったのですが、研修先の北関東の病院の近くに某大学工学部があり、大型コンピュータが設置されていることに気づきました。担当者に頼み込んだところ、電話線を介して使わせていただけることになったのです。」
大型コンピュータを動かしていたオペレーティング・システムは当時、先進的であったUNIXでした。今日、サイエンティフィックなプログラムのほとんどにUNIXが使われています。電話線越しに基本的なUNIXの仕組みを学んだこの時の経験が後々、ゲノム解析に活きてくることになります。
「30年の月日を経て、以前に趣味的に勉強したことが強力な研究ツールとして活きてくるとは思いませんでした。」
ゲノム情報から新しい病気を見つける
診断のつかない多数の患者さんの遺伝子解析を進めるうちに、小﨑教授の研究グループはPDGFRB・CDC42・CNOT2・CDK19・CTR9・CRMP2・DHX9などの遺伝子の変異が病気の原因となることを世界に先駆けて突き止めました。たとえば小﨑教授と小児科の武内俊樹専任講師は、同じ症状の組み合わせとCDC42という遺伝子異常を持つ患者さんが複数いることを発見しました。その後、この病気は「武内・小崎症候群(たけのうち・こさきしょうこうぐん)」と名付けられ、国が支援する小児の難病(小児慢性特定疾病)に指定されました。
「この病気はCDC42遺伝子の違いのために細胞が腕を伸ばしていくプロセスが少し異なっているという特徴がありました。たとえば神経細胞は周りにネットワークを張ったり、血小板は血小板が作られて血管の中に出てくるときに細胞の腕を伸ばしたりする仕組みがありますが、それが生まれつき少し違っているために脳の神経のネットワークの作られ方が違っていたり血小板の大きさが異なってしまったりするのです。」
日本国内には5人、国外には20人程度しかいないというこの珍しい病気は、CDC42遺伝子の機能が強く働きすぎているために起きていました。
「CDC42の機能亢進は神戸大学の基礎研究の先生が見つけてくれました。そこでCDC42を抑制できれば治療につながる可能性があります。」
IRUD始動:診断不明の患者さんの約半数の原因が明らかに
小﨑教授は、武内・小崎症候群の発見のあと、ゲノム解析により未診断の患者を減らすプロジェクトを全国に広げていきたいという思いに駆られました。多くの賛同者を得て、2015年設立の日本医療研究開発機構(AMED)の旗艦プロジェクトとして「未診断疾患イニシアチブ(Initiative on Rare and Undiagnosed Diseases:IRUD)」が始動し、全国の病院と研究者が情報共有して、未診断の患者に診断をもたらし、さらに治療法の開発につなげています。
「9年を経た今は、全国約400の病院、約40の大学病院や国立の医療センター、慶應義塾大学を含む5か所のゲノムセンターを結ぶネットワークに発展し、約500人の研究者が診断のつかない全国の患者さんのために活動を続けています。これまで原因がわからず、なす術もないままでいた7,000名の患者さんの約半数で診断がつくという目覚ましい結果を出しています。
IRUDは、長年、診断がつかない難病の子どもや患者さんを対象とする研究プロジェクトでした。さらに対象年齢を早めることで全身状態の悪い新生児の原因診断に使えるのではないかと考え、武内先生と一緒に新たな全国ネットワークを作り、ゲノム解析で赤ちゃんの病気を解明するプロジェクトを立ち上げました。1cc ほどの血液を採取すれば 、赤ちゃんの全ゲノム解析を行うことができます。当初は全部分析するのに半年ぐらいかかっていましたが、赤ちゃんを半年も待たせていては間に合わないため、さまざまなプロセスを短縮し、通常は2週間程度、スタッフを総動員すれば最短で3日ほどで分析できるようになりました。」
5年間で400人ほどの赤ちゃんとご家族がプロジェクトに参加しましたが、診断率は約50%で、このうち約半数は病気の打開策が出てくるなど治療へ向けた進展がありました。
小﨑教授は、ゲノム情報に基づく医療、「ゲノム医療」が新しい医療として社会に役立っていってほしいと願っています。
「一昔前は『遺伝性疾患は治らない病気だから原因を調べても仕方がない』という諦めが患者側にも医療者側にもあったと思います。ところが最近は、およそ3,000ある病気のうちの10%は超えないまでも、5%以上に対しては世界的に治療薬が開発されているのです。その5%ないし10%にあたる病気かどうかを判断せずに、『あなたは治らない病気です』と患者さんに伝えるのは間違いではないかと思いますね。ゲノム解析で原因がわかれば、治療につながる可能性が期待できる時代になってきています。私たち医療者側も考えを改めなければならない。患者さんも原因がわからなくても諦めず、IRUDのネットワークも重症新生児のネットワークも全国に広がっていますので、何かしらの遺伝病が疑われたらぜひプロジェクトに参加していただければと思います。」
これまで勉強してきたことで何一つ無駄になったことはないと語る小﨑教授は、研究でつながる出会いを楽しみ、日々熱気あふれる新しいネットワークを広げながら、未知の病に挑戦しています。
「別にすべてを自分1人でやる必要はなく、課題の解決を要するときにはそれに対応してくれる仲間のネットワークを広げ、それを繰り返していけばいいのです。」
小﨑 健次郎(こさき けんじろう)
1989年慶應義塾大学医学部卒業、同小児科学教室入局。1993年米国カリフォルニア大学サンディエゴ校臨床遺伝学クリニカルフェロー、1997年、米国ベーラー医科大学客員研究員を経て、1998年、慶應義塾大学医学部小児科学助手となる。1999年、同大学医学部ファルマシア・アップジョン成長発達講座専任講師、2001年、同大学医学部小児科学専任講師 、2003年、同大学医学部小児科学助教授に就任。2007年、慶應義塾大学医学部小児科学准教授を経て、2011年より現職。2019年より2023まで日本人類遺伝学会理事長を務め、2023年 アジア人類遺伝学会 Human Genetics Asia 2023を大会長として開催した。2019年より現在まで日本先天異常学会理事長を務める。
※所属・職名等は取材時のものです。