卒業生 武藤弘樹君(環境情報学部卒)
2022/06/23
武藤弘樹(むとう ひろき)/東京2020オリンピック アーチェリー銅メダリスト
2020年環境情報学部卒業。同年4月トヨタ自動車株式会社入社。中学1年生でアーチェリーを始め、高校時代には国際大会を経験し、日本代表にも選出。慶應義塾大学では体育会洋弓部に所属し、ワールドカップやアジア競技大会で好成績を残す。2021年、オリンピック日本代表に選ばれ、東京2020に出場。アーチェリーの男子団体では日本初となるメダル(銅)を獲得する。現在はトヨタ自動車社員として「レクサスブランドマネジメント部」の業務に携わりながら、2024年パリオリンピックに向けた準備を始動させている。
負けず嫌いから始まったアーチェリー人生
-武藤さんは中学でアーチェリーを始める前はどんな子どもでしたか。
武藤:外で遊ぶのが好きな活発な子どもだったと思います。幼稚園から小学校1年までサッカー教室に通い、野球も大好きでした。本当は野球チームに入りたかったのですが、中学受験があったのでそれはガマンしました。
-入学した東海中学校でアーチェリーに出会ったのですね。
武藤:はい。入学してすぐ仲良くなった友達に「カッコよさそうだから、アーチェリー部を見に行こうよ」と言われて練習を見学に行きました。そこで練習に没頭していた先輩たちの緊張感あふれる所作に触れて「やってみようかな」と入部を決めました。上達は早かったのですが、決して最初から真剣に競技に取り組んでいたわけではありません。たまに練習をサボったりしましたし……。ところが自信を持って初めての対外試合に出場したら同級生に勝てなかった。悔しかったですね。それから本気になりました。負けず嫌いなんです。
-翌年、中学2年生のときには早くも全国大会に出場されています。
武藤:アーチェリーは競技人口が少ないので、他のメジャースポーツに比べると、全国大会出場はそれほど難しいことではないのです。しかもその試合では完敗しました。
-とはいえ中学・高校6年間の練習量はすごかったとか。1日721本射た記録が残っているそうですね。
武藤:とにかく人に負けたくない一心で、自分が克服すべき課題を見つけて納得がいくまで練習していました。当時は朝から夕方まで6〜7時間ぐらい練習していたでしょうか。確かに平均して他の部員の倍以上射ったと思いますが、それは結果的にそうなっただけ。実は今でも練習量は多くて、1日1000本射つこともしばしばあります。今思い返しても、中学・高校時代は一生懸命に自分が好きなことに打ち込めて、競技者としての基盤を作った時期でした。部活動の先生や仲間たちには感謝の気持ちしかありません。
-高校1年で世界ユース選手権に出場され、初の国際舞台を経験されました。その後、高校2年でユースオリンピックの南京大会、3年で世界ユース選手権に出場して、それぞれ個人のベスト8と団体の銅メダルという好成績を残されています。当時から東京2020出場を意識されていましたか。
武藤:それがまったく(笑)。高校3年ではナショナルチームに選んでいただいたのですが、実は高校のクラブ引退とともにアーチェリーをやめるつもりだったのです。でもユースオリンピックの結果に満足していなかったので、考えを改めて「次を目指そう」と大学でも続けることを決心しました。
-進学先にSFCを選ばれたのはなぜですか。
武藤:まず、自分の競技体験から大学ではスポーツ心理学を学びたいと思いました。もう一つ、関心があったのはアーチェリーの強豪国である韓国についてです。なぜ韓国が強いのか、国民文化の視点から解明しようと思ったのです。その2つのテーマを同時に関連付けて研究できる大学ということで、SFCを選びました。競技者としては体育会洋弓部に入部して日吉キャンパスで練習に励みました。でも1、2年生の頃は東京2020出場に現実味は感じていませんでした。オリンピック代表を意識し始めたのは大学3年のときにナショナルチームのAチーム入りした後のことです。アジア競技大会で世界の強豪と戦い、トップクラスで競う勝負の重みと喜びを実感しました。「こういう舞台でもっと勝負したい」。そう思ったのが東京2020出場に向かう私の第一歩だったのかもしれません。
真ん中を「外さない」ではなく「当てる」気持ちで得た銅メダル
-その東京2020はコロナ禍で延期され、さらに無観客試合での開催となりました。選手としてはモチベーションの維持が難しかったのではないですか。
武藤:そうですね。代表の最終選考が1年延びたことで、その間プレッシャーの中で過ごしていました。練習場が閉鎖されてしまい、仕方なく自宅に3メートルのミニ射場を仮設して練習していました。そうすると次第に「こんなこと意味あるのか。できないことばかりで大丈夫なのか」と気持ちが沈んでいくのを感じました。「これではダメだ!」と思いましたね。だから「今だからできることはなんだろう? 今できることだけに集中しよう」と完全に頭を切り替えることにしました。
-日本代表として出場した東京2020ではアーチェリー男子団体初のメダリストに輝きました。メダル獲得を決めた最後の矢を放ったのが武藤さんでした。
武藤:初めてのオリンピック。そして真ん中に入る、入らないで天国と地獄の場面です。もちろんプレッシャーはありましたが、シューティングエリアに入ると「やるしかない」と心が定まりました。私の練習量が多い理由は、あらゆるプレッシャーやメンタル状態の場面を想定したいからでもあり、あの場面はこれまでの練習を集大成するチャンスでもありました。的を外さないように安全にいこうと意識すると外してしまうことはわかっていました。だから「真ん中に当てる!」と攻めの気持ちで射て、矢が手を離れた瞬間に「入った!」と確信しました。
その瞬間は「メダル取ったぞ!」とうれしさで一杯でした。でも実を言えば1週間後には「なんだ3位か……」と残念な気持ちになっていたのです。また、個人戦で結果を残せなかったことも悔しさとして残りました。やはりさらに上を目指すのがアスリートの性(さが) なのかもしれませんね。すでに現在はパリオリンピック、さらにその次のロサンゼルスオリンピックまでが視野に入っています。初めてのオリンピックを経験して、私は競技者に必要な冷静さを身に付けることができました。これまで豊富な練習量を自信にして、心の中から「不安」や「緊張」を追い出すことばかりを考えていましたが、その二つをなくすことなど人間には不可能です。だったら「緊張」するのは「戦闘態勢に入った」サインと受け取ればいい。次のパリオリンピックまでに自分のメンタルをしっかりコントロールする術を身に付けたいと思っています。
SFC時代の学びをベースに世の中にアーチェリーの魅力を広めたい
-トヨタ自動車に就職されたのは、故郷愛知県の企業だということも関係あったのですか。
武藤:もちろん関係は大いにあります。クルマに興味があったことも志望動機の一つでしたが、とにかく私は生まれ育った愛知県が大好きです。大学入学で東京に来たときも「やっぱり住むのは愛知の方がいい」と思っていました。その故郷の誇りでもあるトヨタは、やはり私にとって憧れの会社でした。アーチェリー日本代表ということで会社からも配慮や支援をしていただき、おかげで東京2020に向けた準備にもしっかり取り組むことができました。会社には心から感謝しています。現在はレクサスブランドマネジメント部に所属して、高級車ブランドの魅力を広くお客さまに伝える仕事に携わっています。最近は「若者のクルマ離れ」と言われますが、かつてトヨタが掲げた企業スローガン「FUN TO DRIVE」、すなわちクルマに乗る楽しさや面白さを若い世代にもっともっと伝えていきたいと思っています。同じように、アスリートとしては競技人口が少ないアーチェリーの魅力も多くの人に伝えていきたいですね。これからは「伝えていく」ことが私の人生のキーワードとなるのかもしれません。
-現役引退後も「伝えていく」ことということですか。
武藤:はい。選手引退後はアーチェリーファンを増やすことや、選手の育成などに関わっていきたいと思っています。野球やサッカーのクラブチーム、水泳や体操を学べるスポーツクラブは全国各地にありますが、子どもたちがアーチェリーを経験できる場所が日本にはまだありません。自分と向き合うスポーツであるアーチェリーは、子どもにこそ経験してほしい。きっと競技を通して新しい自分に出会えるはずです。習い事として誰でもアーチェリーを経験できる環境が整い、競技人口の底辺が広がれば必然的に選手層も厚くなります。社会の関心も高くなり、そうすれば競技環境も良くなる好循環が生まれるはず。日本では未開拓であるアーチェリーの普及・強化の事業ですが、ぜひ実現していきたいと考えています。
-SFC時代に所属していた髙木丈也研究会で手がけていたアーチェリー強豪国・韓国に関する研究も、そうした普及・強化のお仕事に役立つかもしれませんね。
武藤:はい、もちろんです。東京2020では韓国、台湾、日本が「金・銀・銅」を分け合いました。このうち銀メダルの台湾もコーチは韓国人です。もちろん欧米にもアーチェリー強豪国はありますが、韓国の強さを分析することで日本を強くできるヒントが得られるかもしれません。SFCではスポーツ普及に関する研究にも携わり、卒業論文のテーマは「日本のアーチェリー人気上昇への施策―日韓比較を通して―」でした。日本においてアーチェリーをどのように普及させるかということは、学生時代からの私の大きなテーマです。
-SFCで学んだ学生時代はいかがでしたか。
武藤:とにかくみんなイキイキしていましたね。目をキラキラ輝かせながら好きなことに熱中し、さまざまな分野にたけている人がたくさんいました。私はC言語のプログラミングが不得意だったのですが、プログラミングに非常に詳しい友達がいて、彼の丁寧な指導でなんとか授業の単位を取ることができました。あの個性的な塾生が集うキャンパスで4年間過ごしたおかげで、たくさんの刺激をもらいました。
-最後に塾生へのメッセージをお願いいたします。
武藤:慶應義塾の本当の良さは、「人」だと思います。SFC時代に人の長所を見つけるのがたいへん得意な友人がいました。彼にかかるとみんな魅力的な人間になるのですが、もともと慶應義塾には良いキャラクターの人々が集まっているように感じていました。コロナ禍の中で入学された後輩の皆さんの中には、なかなか大学での交遊を広げられない方もいらっしゃるかもしれません。しかし、今後は対面できる場面も増えるでしょうし、なんとかして同級生、先輩・後輩、そして先生方も含めて「スゴイ人」たちとたくさん知り合ってください。その出会いがあなたの世界を広げてくれます。また、一人でも多くの塾生にアーチェリーの試合を見たり、自分でやってみたりしていただき、この競技の面白さと奥深さを知っていただきたいと思います。
-本日はありがとうございました。
この記事は、『塾』WINTER 2022(No.313)の「塾員山脈」に掲載したものです。